side−B −限界3− 豪 高校3年5月〜 翌日から連休が終わるまで正規、智、愛の3人は朝食を食べるとすぐに本邸に向かった。 毎晩帰宅時間が深夜に及ぶ為、申し訳なさそうな顔をする豪に軽いチョップやデコピンを食らわせると、3人は和紀と生に「豪の『お守り』をしっかりするように」と言った。 「お守りとは何だ」と、豪も初めは憤慨していたが、何だかんだと理由を付けて自分が1人で考え込む暇を与えない生達の行動に、あながち否定しきれないものを感じて、珍しく賢明にもその点に関しては沈黙を通した。 恵も休日出勤で遅くまで仕事をしているメンバーに豪華な食事や菓子を作って応援し、家に居るメンバーには遠慮無く家事を言いつけ、特に豪は毎日クタクタになるほどこき使った。 連休が明けた日の昼休み。 豪がいつもの様にクラスメイト達と弁卓を囲もうとしていると、和紀が教室に弁当を持って現れた。 「豪、昼休みに悪いけど仕事だよ」 豪が編入して以来初めての事に、クラス中がどよめく。 クラスメイトでもないと、なかなか近くで顔を見られない校内で5指に入る超有名人(千寿子、智、愛、和紀、豪)の登場という事もあって、他のクラスからもわざわざ見物にやってくる生徒が出るほどだった。 豪が急いで開きかけた弁当を手に持って廊下に出ると、和紀は無言で豪の手を握って廊下を足早に歩きだすので、更に大きなどよめきが生徒達から上がった。 和紀は中庭を突っ切り林の奥に行って周囲に誰も居ない事を確認すると、豪の手を引いたまま一緒に腰を下ろす。 豪は執務室に連れて行かれるものとばかり思っていたので、和紀の強引な行動に戸惑った。 「仕事じゃ無かったのか?」 「うん。これも仕事だよ。とにかくお弁当を食べようよ。はいお茶」 和紀がポケットから紙パックを取り出して豪に手渡す。 豪が訳が解らないという顔をしているので、和紀は笑って手を振った。 「ここはね、お母さん達の秘密の場所だったんだって。良い隠れ場所が無いか聞いたら教えてくれたんだ」 「隠れるって何でだ?」 弁当を広げながら豪が問い掛けると、和紀は口に入っていた卵焼きを飲み込んだ。 「当分、僕と豪は執務室に入室禁止なんだよ。本邸も出入り禁止にされているよね。いつも昼休みに執務室に居る僕が、教室でお弁当を食べたら他の生徒に色々勘ぐられるよね。だから、避難する事にしたんだよ」 そうかと言いかけて豪は「ん?」と首を傾げた。 「ちょっと待て。そういう事情なら何で俺が一緒に避難しなくちゃいけないんだ? 俺は今までずっと教室で食べてたんだぞ」 豪の当然の疑問に和紀はぺろりと舌を出した。 「だって。せっかく綺麗な景色を観ながら食べるのに、1人だと美味しくないじゃない」 「お前の事情に俺を巻き込むな。それで無くても目立つ和紀がいきなり現れたから、クラス中がびっくりしていたぞ」 豪が恥ずかしいと頬を染めて抗議すると、和紀は逆に頬を膨らませた。 「君の希望を通す為の非常処置なんだよ。僕も昼休みにやる予定だった仕事が止まって困ってるんだからね。君が責任取ってよ。場所は何ヵ所かキープして有るからこれから毎日迎えに行くからね」 豪は言われて漸く気付く自分の至らなさを恥じて、即座に和紀に「悪かった」と頭を下げた。 (こういうところがめちゃくちゃ可愛い!) 和紀は心の中で両手を握りしめて絶叫したが、実際にそれを態度や口にすると豪の機嫌が一気に悪くなるので微笑するに留めた。 「謝らなくても良いよ。僕の仕事は一般生徒に僕達の仕事内容を気付かせないよう陽動する事の他に、豪の見張りも入ってるから」 突然、とんでもない事を言われた豪がご飯を喉に詰まらせてむせかえる。 「俺の見張り? なぜだ?」 先に食べ終わった和紀が弁当箱をハンカチでくるむと豪に向き直った。 「豪が仕事中の千寿子さん達への接触防止と、1人で煮詰まったあげくの暴走阻止。君にはゴールデンウィークに前科が有るからね」 少しだけ恨みがましそうに上目遣いで見上げてくる和紀に、豪は言葉に詰まらせた。 自分が連休中に独断で突っ走ったあげく、強引に意見を通した為に、現在千寿子達が不休で奔走している。 実動部隊の自分達が計画立案に参加できない以上、待つしかないという事は今では豪も納得ができていた。 弁当を食べ終わった豪がぼんやり青空を見上げる。 「智達は学校から直接本邸に行って仕事をするんだろうか?」 「うん。計画が決まるまではずっとだって言ってたよ」 「身体を壊さなければ良いんだが」 豪の横顔を見つめながら、和紀は千寿子達が何をやっているのかを少ない情報の中で推理していた。 千寿子達のネットワークへのアクセスが皆無な事。 執務室への立ち入り禁止。 正規と愛と智の帰りが毎日異常に遅い事。 表向きは豪のお守りと言われているが、和紀が豪の側を離れられないという事は、自然と行動が規制される。 本気で和紀にも全てが決まるまでは一切秘密にしたいらしい。 パソコンへのハッキングが一切できないようにしている上に、愛が僕が遠視や透視で探れないように強力な精神バリアを張っている。 本気の愛相手に精神戦を挑むほど、和紀は無謀では無いのだが、警戒を一切緩めない。 以上の事から、余裕を見せている様で、実際は逆に皆の超能力が今回の仕事に回せない事が知れる。 智が起こる事故そのものを予知する事は可能。 選定にあったってはかなりの人海戦術を取っていると思われる。 連休明けに臨時の人事異動が行われるという記録が、他部門のいくつかのサーバーに侵入して見つかった。 集められているのは大学で気象と地質学、建築土木系を過去専攻していたか実務経験の有る天野一族の社員30名。 一般社員に怪しまれずに移動できるぎりぎりの人数を揃えている。 ここからも、日本中から条件の合う自然災害を探す気なのだ知れる。 水害系の可能性が高い。 成功率0.1パーセント未満の救助活動。 豪の命が掛かっている以上、生半可な覚悟じゃ絶対にやれないのはたしかだ。 思考を巡らせ過ぎて、自分の視線に気付いた豪とずっと目が合っていた事に和紀が気付いたのは、間もなく予鈴が鳴ろうかという時間だった。 和紀はまばたきをして意識を現実に戻すと軽く笑った。 「じっとこっちを見てるのに目が虚ろで不気味だったぞ。目を開けながら寝る特技が有るとは思わなかった」 正気に返った和紀に苦笑すると豪は時計を見て立ち上がる。 寝ていたんじゃないんだけどと和紀は言い返したくなったが、いくら鈍感でも今の豪に僅かなヒントも与える訳にはいかない。 「今度コツを教えてあげるよ」 「マジで怖かったからいらん」 「酷いなぁ」 校舎に向かいながら嫌そうに手を振る豪に「明日も迎えに行くから待ってて」と念を押して、和紀も教室へと向かった。 「もうすぐ予鈴が鳴るわ。そろそろ片付けましょう」 千寿子が気象データーをフラッシュメモリーに保存すると、ノートパソコンを鞄に入れる。 智はかすかとは言え、予知した場所に正確に印を付ける為に地形図を見ながら吐き気と闘い続けていた。 冷や汗を流しながらマウスを握る智の手を愛が止めた。 「今はもう止めよう。これ以上続けたら君の身体が保たない。片付けは僕がやるから智は教室へ帰って。姉さん、途中まで送ってあげてくれる?」 「もちろんよ。智が1番辛い仕事をやっているのだから」 「忘れない内にこれだけはやらせてくれ」 愛の手を払い除けて智が力を振り絞って地図に印を打った。 肩で息をする智の身体を背後からそっと千寿子が支える。 「誰からも不審を買わない為にも授業には必ず出ましょう。それに、授業中ならあなたも休む事ができるわ」 「これくらい何でもない」と弱々しく頭を振る智に千寿子が「駄目よ」と言った。 「授業が休憩時間なんて学生として本末転倒だけど、このまま放っておけばあなたは仕事を続けるでしょう? あなたには休息が必要よ」 千寿子に支えられて漸く智が立ち上がる。 「智、上司命令よ。授業中は故意の超能力使用は禁止します」 声にはならず視線だけで抗議の意志を伝える智を千寿子は睨め付けた。 「あなたの気持ちは解るけど、無理をして倒れたら誰が豪の安全な場所を見つけられるの? それほど豪を想うのなら、自己の健康管理にもっと注意しなくては駄目よ」 「この仕事で智が倒れたら、1番傷付くのは豪だって事くらい判るね」 2人からたしなめられた智は小さく頷くと千寿子の手を離して、しっかりとした足取りで廊下に向かった。 「送って貰って気分が悪そうな姿を誰かに見られたら、豪の耳に入るかもしれないだろう」 それだけは御免だと智は執務室を出て行った。 智の後ろ姿を見送って片付けを再開すると千寿子はぼそりと愚痴を漏らした。 「本当にどこまでも強情なんだから。一体誰に似たのかしら?」 「一緒に育ったんだから姉さんだろ」 うっかり本音を口にした瞬間、どこからか辞書が愛の頭に落ちてきた。 「……」 天井に穴が開いていたり、誰かがわざわざ脚立に登って背後から落としでもしない限り絶対に起こらない現象に愛は溜息をつく。 「姉さん。それで無くてもコントロールが難しい状況で、貴重な超能力の無駄使いは無しにして。智にはきっちり釘さしておいて自分は……なんて事態になるのは絶対に止めなよ」 姉弟2人きりなので愛の口調にも遠慮が無い。 千寿子は旗色が悪くなったので口を閉ざし、片付けを済ませると愛と共に急いで教室に戻った。 千寿子達が学校に行っている間、正規は基礎研究部門の本部で臨時に転属してきた社員達に業務上の細かい指示を出していた。 社内ネットワークが一切使えないという指示には多少不満が出たが、短期極秘プロジェクトで期間中は50パーセントの基本給増額と聞いていたので、社員達は喜々として指示された図書館や役所に向かって行った。 智が連休中に能力をぎりぎりまで振り絞って予知した、たった1つの可能性が『土砂災害』。 梅雨入り前から小雨が続くとの長期予報に従って、過去の事例や最近、地盤がゆるくなっている危険箇所を、人海戦術でしらみ潰しに割り出していく。 海や河じゃ無かったのが不幸中の幸いだというのが正規の本音だった。過去の事例から、その手の災害事故で救命された人はほんの僅か。 偶然通りかかって救助に行った人も巻き込んだ二次災害発生率の高さは、他の事故の比ではない。 現実には土砂災害の場合、プロでも二次災害を怖れて、安全が確認されなければ救助に向かう事自体が少ないのだから、あえてそれに挑んだ場合の危険性は相当高いだろう。 すでに妻の恵には全ての事情を話して有る。 「あなたを信じているわ」 不安で一杯だろうに、たった一言おだやかに笑って言った妻に、顔向けができないような事にはさせない。 何より自分達の作成したデーターに、大事な息子の命が掛かっているのだ。 正規はこれまでに無いほど真剣に仕事に没頭していた。 豪と和紀が一緒に帰宅すると、交代といわんばかりに生が豪に抱きついた。 コアラか猿に抱きつかれたような姿になった豪が思わず苦笑する。 「生、せめて靴を脱いで制服を着替えてからにしてくれ」 頭を撫でる豪に生がむっとした顔を見せる。 「和紀兄ちゃんは学校で兄ちゃんの事独り占めしてるんだろ。だったら、家に居る間は俺が独占したって良いだろ」 和紀がぷっと噴き出すと豪の肩に手を回す。 「豪は高等部の人気者だからね。僕が豪に近付けるはせいぜい昼休みと帰り道くらいだよ。豪は可愛いからもて過ぎて困っちゃうね。あ、これは生も一緒だよね」 「可愛いは止めろって」と今更無駄な事を言う豪は無視して、癒し能力と魅了の力で中等部で人気No.1の地位を独占する生に和紀がツッコミを入れる。 「だって皆、純粋な好意で一緒に遊ぼうって言ってくれてるのに断ったら悪いだろ」 「男女問わずだって聞いてるけど」 「普通に遊ぶのなら性別なんかどうだって良いだろ」 「そういうところがまだまだ子供だね。好みのタイプの女の子は居ないの?」 自分を挟んで会話を続ける2人に豪が切れた。 「いい加減に2人共俺から離れろ! 制服が皺だらけになるだろう」 「はーい」 こういう時だけは息を合わせて、バタバタと2階に駆け上がって行く生と和紀の姿を見上げながら豪は微笑する。連休中から2人が常に自分に気を使ってわざとふざけている事に、くすぐったい気分を味わっていたからだった。 こうしている間にも千寿子達は自分の命を守る為に頑張ってくれている。 そんな皆の優しさが嬉しくて、豪は泣きたい気持ちになったが、せめて皆の前では笑顔でいようと思うのだった。 定時内に集められたデーターを集計した正規は、特殊応用実験室のミーティングルームで千寿子達を待った。 臨時スタッフ達は本部で残業をして作業を続けている。 制服のまま現れた千寿子達は、昼休みに作成したデーターと正規が集計したデーターを照らし合わせる。 「室長、N35、E139を中心に広域地図を出してください。尺度を合わせて予知されたポイントを出します」 「わかりました」 千寿子の指示で正規がディスプレイに素早く地図を表示させると、愛が昼休みに智が予知して印を付けたポイントを重ね合わせる。 画面を見た智が渋面になって端末を操作する。 「これだけでも15ヶ所にのぼるからな。時期を絞り込んでみる。確率のより高い5月中で設定する」 期間を絞っても6ヶ所のポイントが残った。 正規がそれに今日作成された地図を重ね合わせる。 「過去の災害発生地域です。予知ポイントと重なる場所が有りませんね」 ディスプレイを見ていた千寿子が頬に手を当てて呟いた。 「完全な自然災害なら、現在ピンポイントで視ている智の予知からは外れるでしょう。ここ5年以内に工事等で地形が大幅に変わった場所を特定できませんか?」 正規が頷いて別のフラッシュメモリーに入れ替えると更に地図を読み込んだ。 「まだ途中段階ですがいくつか調べて有ります。現在続行中なので、明日まで待って頂ければもっと詳しい情報が得られます」 地図が更に加わり、画面を見ていた愛と智が同時に声を上げる。 「あそこか!」 智の予知ポイント、複雑な地形、降水予想、大規模造成工事地の全てが重なる場所が1つだけ見つかった。 全員がそのデータをフラッシュメモリーに保存し、素早く抜き取る。 「室長はこの地点のどんな些細な情報でも良いので集めてください。智は難しいでしょうけどこの地点での予知を再度試みて。愛はこの地域在住の人達の古くからの風評を集められるかしら?」 「ちょっと遠いけどやってみるよ。住人の深層意識に根付くほど強いものならここからでも何とかできると思う」 愛が半眼を開いて意識を研ぎ澄ませる。 正規はすぐに本部に電話を掛けて新たな指示を出す。 「俺も場所さえ特定されたら、日時や状態まで正確に視る事ができるはずだ。ただし」 智が言いにくそうな顔で視線を皆から逸らせる。 「豪の姿だけは視る事ができないと思う」 千寿子は智の言葉に胸が締め付けられそうになったが、力強く頷いた。 「あなたはよくやってくれているわ。できる範囲で良いのよ。今日はこれで終わりましょう。また明日、同じ時間に集合しましょう」 ディスプレイから地図を消去すると千寿子は全員を見送った。 フラッシュメモリーをポケットに入れ、自分も自室に戻る。 何事も無かった様に飛島達と会話をし、夕食を摂ってパソコンに向かう。 現時点でのデーターから新しい行動計画を素早く作成していく。 その表情は氷の様に冷たく堅かった。 (わたしは何をやっているのかしら? 超能力の通じない現実と予想データだけの世界) (何も視えない状態で、心も通じないままで、豪を死地に送り出すの? 何の権利が有ってわたしは人の命運を左右しようとしているの?) (お願いだから私の愛する人を守って。それが無理なら馬鹿な事をしようとしているわたしを止めて) (誰か……。 たすけて!!) 千寿子の慟哭に耳を傾ける意識がいくつかは居た。 しかし、その心の叫びに応える者は誰も居なかった。 |