side−B −限界2− 豪 高校3年5月〜


 訓練や実動が無くても、天ノ宮家の地下施設では定期的にミーティングが行われている。
 ゴールデンウィーク中日のこの日は、昨年の実績から今後の活動方針と訓練計画が、事細かく話し合われていた。
「行楽シーズンの割に今年は静かで良いわね。もうすぐ梅雨時に入るから、また交通事故絡みの出動が増えると思うわ。あれほど連日事故のニュースが流れているのに、どうして過度のスピード違反や整備不良が後を断たないのかしら」
 大型ディスプレイの長期天気予報眺めながら、千寿子が不満気な声を出す。
「その事でちょっと皆に話が有るんだが」
 豪が手を挙げると、正面に立って議事進行をしていた正規が千寿子の顔を見る。
 ここ数日の豪の不審な行動を千寿子も感じていて不安に思っていたが、それを顔には出さず頷いた。
「豪の話を聞きましょう」
 正規が席に戻ると、豪は手元の端末から自宅パソコンのデータを呼び出して、正面のディスプレイに表示させた。
「これは皆も知っていると思うが、昨年1年間に俺達がやった仕事を内容別にパーセントで表したものだ。交通事故が90%、ガス爆発及び火災事故4%、老朽化して崩壊した建造物からの救出が3%、後の3%が作業員のミスによる機械の暴走などだ。これを見て何かおかしいと思わないか?」
 これが皆に隠れて豪がずっと1人でやっていた事なのかと、全員の顔が一気に緊張する。
 しかし、このデータだけでは豪の意図が完全には見えてこない。
 豪は何が言いたいのだろう? これまで蓄積されていた不満が、ここへ来て更に皆の不安をかき立てる。
 和紀だけは豪の作ったデータを予め知っていた為、豪が何を言おうとしているのか最後まで黙って聞く心の準備ができていた。
 見えない豪の言動に苛つきを感じながら、智は少しでも不安材料を取り除くべく、素早く思考を巡らして端末を操作し始める。
「そうか?」
 データベースから情報を引き出し、ディスプレイを画面分割して豪が出したデータの横に別画面を表示させた。
「ここ1年に実際に起きた事故の割合を簡単に出してみた。これを見る限り俺達がやった仕事の内容と差は1%程度だな」
 皆が智の意見に頷くと、豪は眉をひそめて別画面を表示させた。
「智の……と言うか、うちの部署のデータは故意にある種のデータを排除しているように見える。これは俺が調べられる限り集めたここ10年の事故率だ」
「あっ」と生が声を上げて息を飲む。
 智は牽制が不発に終わった事に小さく舌打ちし、愛はごくりと唾を飲み込んで豪の顔を見た。
 和紀はとうとう豪がこれを出してきたと思い堅く目を閉じる。
 正規は豪の言わんとするところを察して小さく溜息を吐いた。
 千寿子は組んだ手の指先が真っ白になるほど力を込めて、画面を見つめ続けていた。

 豪は立ち上がって数歩歩くと、ディスプレイを背にして皆の正面に立った。
「このデータが示しているのは明確だ。今までの俺達の仕事は全て人為事故だけに限られている。自然災害事故が1件も無いんだ。これはわざとなんだろう? 千寿子!」
 大声を上げた豪に見据えられて、千寿子の顔が僅かに強張る。両足が震え、全身から冷や汗が流れ出るのを感じていた。
「待て。豪、予知をしているのは俺だぞ」
 智が慌てて立ち上がって言うと、豪も反論する。
「智の予知はランダムで方向性を持たない。だから、度々悪夢にうなされるんだろう? お前が視る予知の中でどれを仕事にするか、最終的に決めているのは千寿子だろう?」
 豪の問い掛けに微動だにせずに答えない千寿子に代わって愛が答える。
「豪、姉さん1人で決めている訳じゃ無いよ。たしかに最終決定権は姉さんに有るけど、お父……正規室長と智に僕も行動計画立案に参加しているんだ」
「その会議に和紀と俺と生が外されている理由は何だ?」
「それは……」
 愛が口ごもると沈黙を守っていた和紀が目を開けて豪を見つめた。
「僕は僕の意志で外れているんだよ。僕はエンジニアだからね。与えられた条件に見合ったプログラムを組んだり、実験機や作業機材を作るだけで手が一杯なんだよ。君と生が外されているのは多分」
「多分?」
「救助者の選別なんて、癒し能力者でまだ中学生の生には辛い内容だし、性格がとぉーっても可愛い君には合わない仕事だからだと思うよ」
 にっこり笑って気持ち悪い事を言い切る和紀に、怒りで身を包んでいた豪の腰が一気にくだける。
 脱力して両膝に手をつくと盛大な溜息を吐いた。
「和紀、お前なぁ」
 頭を抱える豪に軽い声で和紀は聞き返す。
「何? 僕なりの正直な意見だけど、どこか変だった?」
「男に向かって「可愛い」と言うなといつも言っているだろうって、違う! そうやってわざと話をはぐらかすのを止めろ」
「あれ、ばれちゃった」
 ぺろりと舌を出して笑う和紀に、豪は頬を赤らめて「絶対に遊ばれている」と愚痴をこぼす。
「えーっ。僕、嘘は言って無いよ」としつこく言い募る和紀に背を向けて、豪は千寿子に視線を戻した。
 怒りは和紀によって相殺されてしまっている。それでも豪は1度抱えてしまった不信と苛立ちを消す事はできなかった。
「正直に答えて欲しい。なぜ自然災害事故を故意に外してきたのか」
 数度まばたきをして千寿子が豪を見つめ返す。
 できればこのままずっと知られずにいたかったのに、とうとう気付かれてしまったと思いながら、千寿子はテーブルの陰で震える足を引き締める。
「答える前にわたしの質問にも1つ答えて。なぜそれを知りたいの?」
「天命で失う命を救う事も、起こる事故の運命を変える事もできない事は理解している。でも、それが人為事故でも、自然災害事故でも、怪我をした人にとっては変わりは無いんじゃないのか? それなのに人為事故は助けて、自然災害事故は無視し続けた。俺にはどうしてもそれが納得できないんだ」
 豪の訴えに皆がテーブルに視線を落とす。

 生は自分の心臓の音がドンドンと頭に響くほど大きくなっていくのを感じて全身が震えていく。
 キケン、キケン、と何かが自分に強く知らせている。
「兄ちゃん……兄ちゃん、兄ちゃん!」
 いきなり大声を上げた生に、豪がびっくりして振り返った。
「生?」
「兄ちゃん。それ以上言っちゃ駄目だ。絶対駄目なんだ!」
 涙を流しながら何度も大きく首を横に振る生の肩を抑えて豪が問い掛ける。
「生、一体どうしたんだ?」
「兄ちゃん、もうそれ以上言っちゃ駄目なんだ。これ以上は危ないんだ!」
 生の言う事が理解できない豪は、暴れ出そうとする生の肩をテーブル越しに強く抱きとめる。
「生、どうした? 何が有ったんだ? 生!?」
 森の主からだと思われる危険を伝えるシグナルがどんどん強くなるに従って、生の身体の震えは酷くなる一方だった。
「て ん の」
「何だ?」
 消え入りそうな生の声を豪は聞き逃すまいと耳を近づける。
 その肩を押し戻す手が横から伸ばされた。
「愛?」
 豪から厳しい顔をした愛が強引に生の身体を引き取ると静かに告げた。
「豪、生の精神はパニックを起こしている。熱も出てきたみたいだし、この話を続けるなら生は席を外させてあげて。生には僕が付き添うから」
 力無く自分に寄りかかる生を抱き上げて、愛は豪に背を向ける。
「生はまだ中学生だと、さっき和紀が言ったはずだね」
 豪ははっと気付いて羞恥で赤面すると「すまない。生を頼む」と言って頭を下げた。
 和紀が「嘘は言っていない」と言ったばかりなのに、冗談ではぐらかされたと思い信じていなかった。
 強引に話を進めた結果、生の心に負担を掛けたのだと、豪も漸く気付いたのだった。

 愛は生を抱いたまま部屋から出るとテレパシーで話しかけた。
『生、もう気絶しているふりしなくて良いよ』
 生はぱっと目を開けると愛の腕から飛び降りた。
『愛兄ちゃんごめん。それと危ないトコ助けてくれてありがとう』
『君の正体をまだ豪には知られたくないんだね』
『うん。我が儘かもしれないけどまだ兄ちゃんには言いたくないんだ。兄ちゃんを助けたい。だけど怖いんだ』
『その気持ちはとても解るよ。生が自分を責める必要は無いから』
 愛は生の肩に手を掛けると「取り合えず上で休もう」と促した。

 気まずい雰囲気が立ちこめる中、覚悟を決めた千寿子が「長い話になるから席に戻って座って」と豪に言った。
 千寿子は手元の端末を操作して、過去1年間の業務実績と実動のほぼ同時期に有った事故災害一覧を時系列順でディスプレイに出す。
「あなたも知ってのとおり、わたし達が助けられる人は実際に事故に遭う人のほんの一握りだわ」
 実際に救助活動を行ったものには緑色のバックカラーが付けられ、他には白、黄色、青、赤の色が付けられる。
「わたし達が計画を立案するに当たって、智の綿密な予知からいくつかの条件で優先順位を付けてランク分けをしているわ。1つ目はあなたも知っているでしょう? できるだけ明るい未来を呼び起こせる運命の人」
「ああ、初仕事の時に言われたから覚えている」
 豪が頷くと千寿子が更に続けた。
「2つ目は被害者が多数に登る場合ね。黄色が被災者が5人を超える場合、白はそれ以下。青はわたし達が出動しなくても、レスキュー隊に迅速に救助されて、要救助者に酷い後遺症が残らないもの。そして赤は被災者全員死亡の場合よ」
「!」
 豪が1度千寿子に顔を向けて、正面ディスプレイに視線を戻す。
 赤でマークされた事故の多くが自然災害と交通事故で占められていた。
「そんな……」
 呆然とディスプレイを見つめる豪に千寿子は静かに告げた。
「わたし達が助けられる自然災害は皆無と言って良いわ。条件はそれぞれ違うけど、助かる運命の人は必ず強運の元に無事に救助されるの」
 豪は腕を組んでディスプレイを見つめたまま唸る。
 持ち直した智が更にデータを追加する。
「俺の超能力も万能じゃない。予知から外れた事故に印を付けるからよく見てくれ」
「あっ!」
 智が印を付けた9割以上の事故が自然災害によるものだった。
「自然災害事故は不安定要素が多過ぎる。俺でも正しい未来が視られない事が多い。それがどれほど大きく酷い災害だったとしてもだ。いや、大きければ大きいほど正確さからはかけ離れる」
 智の言葉を受けて正規が豪に言った。
「第1の優先順位として、私達はできるだけ正確な予知が視える事故を選んでいる。その理由はお前にも解るな? メンバー全員の無事生還だ。お前がどれほど優秀な念動力者でも、12月の事故が超能力の限界だろう。それ以上の事故への出動は私が決して認めない」

 皆の言う事は正しく、嘘も無く、理性では豪も納得がいくものだった。しかし、感情が付いていけずにキリキリと痛みで心が締め付けられる。
(だからさっき和紀は俺には合わないと言ったんだろうか? だけど、俺は必死で救いを求める手を離したくない)
「それでも……それでも、助けられる人は全く居ないのか? 大怪我をして寒さや空腹と闘いながら、不安な気持ちで救助を何日も待っている人達の怪我を少しでも和らげたり、水害に遭って流木に必死で掴まりながら救助を待つ人を、ほんの少しでも陸に近付けるとか」
 絞り出すように言葉を紡ぐ豪に、千寿子がきっぱり言い切る。
「さっきも言ったけど、そういうとても運の良い人は青ゾーンに入るのよ」
「そうか」
 何日も苦しみ続ける人達を見て見ぬふりをしなければならないのだろうかと俯く豪を見て、千寿子の胸が強く痛む。
(豪、ごめんなさい。あなたにはまだ言えないの。その権利がわたしには無いの)
(あなたがもし、今18歳でわたしの夫だったらわたしの知る全てを話す事ができるわ)
(だけど、未だにあなたの気持ちはわたしには向いていなくて、そんな時は本当に来るのかしら?)
 自分の運命に強く関わる未来を視る事ができないという枷は、智同様千寿子にもはめられている。
 生が感じた危険を知らせる森のシグナルは、千寿子も受け取っていた。
 それでも豪の悲しむ顔を見ると、巫女の立場を圧して心が揺れる。
「自然災害事故でわたし達の介入で助けられる運命を持つ人が見つかる可能性はゼロに近いわ。それでもとあなたは望むの?」
 ぎょっとして智と和紀が同時に声を上げる。
「千寿子さん!?」
 豪が顔を上げて千寿子の顔をじっと見返す。
「万に1つの可能性でも、助かる運命がその人に有るのなら俺は全力を尽くす」
 これ以上は無いというほどの真剣な瞳で訴える豪に千寿子が小さく頷いた。
「わたし達も最善を尽くすわ。会議はこれで終わります。このまま検討に入りますから室長と智はわたしと一緒に来てください」
 智と和紀が反論する前に、千寿子は素早く席を立って部屋を出ようと歩き出す。
 和紀は千寿子の後ろ姿と何とか交渉に成功してほっと息を吐く豪を見比べて狼狽えた。まさか千寿子が豪の無茶な要求を飲むとは、全く予想していなかったのだ。
 それは智と正規も同様で、千寿子の後を追って駆け出した。部屋を出て扉が閉まったのを確認して、正規が千寿子に後ろから声を掛ける。
「万に1つも無い、文字通り命賭けの仕事になりますよ」
「千寿子さん、本気か? 豪を殺す気か?」
千寿子は立ち止まると両手を握りしめ、肩を震わせて振り返った。
「あれほど強い思いに捕らわれた豪を誰が止められるの? 放っておけば1人でも救助に行ってしまうわ。わたし達は全力で豪を守るしかないじゃない。その為の労力も費用も一切惜しまないわ。豪の命には代えられないもの!」
 両目に涙を溜めて叫ぶ千寿子に、正規と智は掛ける言葉を持たなかった。

「姉さん、まさか!?」
 千寿子の出した結論に、信じられないと動揺した愛はティーカップを取り落とした。
 手を震わせる愛に生が悲壮な顔を向ける。
「千寿姉ちゃんでも兄ちゃんを止められなかったんだ。これも『天の理(ことわり)』? いや違うな。皆が道を見失って迷っている。兄ちゃんの強い思いに皆が引きずられているんだ」
「生……」
「俺達、どうなっちゃうんだろうな? 誰も知らない。誰にも教えて貰えない。素人が目隠しして綱渡りをする様な状態で」
「生!」
 呟き続ける生の肩を愛は強く掴む。
 違うと言いたくても決して言えない現状に愛が何も言えずにいると、生は口の端だけで笑って愛を見上げた。
「愛兄ちゃん、千寿姉ちゃんがさっきから呼んでるよ。俺は先に家に帰る。多分兄ちゃん達と合流できると思うから大丈夫」
 愛の手を軽く振り払ってソファーから立ち上がると生は強い口調で言った。
「俺はどんな事をしても兄ちゃんを絶対に守る」
「その気持ちは僕も同じだよ」
 生の後ろ姿に愛は小さな声で呟いた。

 地下施設からエレベータで上がってきた豪と和紀に向かって、生が元気に駈け寄る。
「兄ちゃん、和紀兄ちゃん。お疲れ」
「生、もう身体は大丈夫なのか?」
 自分の胸に笑顔で飛び込んできた生を、豪はしっかりと抱きとめる。
「うん。愛兄ちゃんに解熱剤貰ってソファーで休んでたら大分楽になったよ」
「そうか。でも、無理はするな。その……生に辛い思いをさせて悪かった」
 和紀の言葉を信じている豪は、自分の不用意な言葉で生が体調を崩したのだと思っている。
「小難しい事を1度に一杯言われて頭ボーボーって感じ? ちょっと寝たら頭スッキリしたから大丈夫だって。知恵熱じゃないかな」
 豪に負担を掛けたくないという生の気持ちを察した和紀が「じゃあ」と悪戯っぽく笑う。
 会議が終わって生に会うまでの間、忠告を信じなかった事を豪にひたすら平謝りされ続け、さすがの和紀も困っていたのだ。
「豪が生を背負って家まで連れて帰ったら? 結構距離有るし、動いてまた熱が出るといけないから」
「そうだな」
 豪は軽く生を放り上げると背中で上手くキャッチした。そのまま両足を抱えるので、生も豪の肩に手を掛ける。
「このままゆっくり家までだかんな。超能力を使ったり、走ったりするのは無し。当然和紀兄ちゃんのテレポート補助も無しだぞ」
「もちろん。これは豪のペナルティだから絶対手伝わないよ」
 和紀が「お先に」と小走りで前を行く。
 3人は執事の飛島に玄関先で呼び止められて空を見た。
 昼過ぎに家を出た時は晴れていたのに今は小雨が降っている。
「車でお送りいたします」
「あの車で家の前に着けられたら絶対目立つな」
 豪が天ノ宮家所有の高級車には乗りたくないという意志を見せると、生も「俺もパス」と頷いた。
「傘を持って生を背負うのは無理だから、地下駐車場から直通地下通路を通って帰る?」
 和紀の提案に、大切なお客様方をとてもそんな所を歩かせる訳にはいかないと飛島が慌てて電話をし、生が熱を出す可能性も考慮して、地下通路を専用車を使って送って貰う事になった。
「貸し1個!」
 車の中で生と和紀に同時に言われた豪は、ケーキ好きの2人に今度買ってくるからという事で話を付けた。
 後部座席に座っている和紀と生は、互いに顔を見合わせて暗黙の了解を確認して頷いた。

 執務室で千寿子、正規、智、愛の4人が真剣に話し合っていると部屋の隅に和紀が現れた。豪達と一緒に家に帰った後、部屋から直接テレポートしてきたのだ。
 瞬時に全員が口を閉ざす。
「今回の会議だけは僕も参加させて貰うよ。理由は言わなくても判るよね」
 いつもの人当たりの良い顔を完全に捨て、怒りにスカイブルーの瞳を輝かせて千寿子の顔を見る。
 和紀の豪の身を心配する気持ちは痛いほど解ると千寿子は思ったが、あえて目を閉じて頭を振った。
「あなたはここに居てはいけない人よ。最悪の事態が起こった時にあなただけは何も知らないままで豪側の立場でいて欲しいの」
「それってどういう意味?」
 和紀が千寿子に詰め寄ろうとすると、愛が間に立ちはだかった。
「この計画はいつもどおり僕達4人で決める。絶対に豪と生には本当の事を知らせる訳にはいかないんだ。もっとも生には別口から知られてしまう可能性は有るけど」
 辛そうに愛が「君にしか頼めない。お願いだから帰って」と告げる。
 予知能力の使い過ぎで疲れて青ざめた智が虚ろな目で和紀を見上げた。
「必要以上の情報は、それでなくても不安定な予知を更に狂わせる」
「適材適所を考えての統一見解だ。豪を心配してくれる気持ちは嬉しいが今は引いて欲しい」
 智と正規にも「分かって欲しい」と頭を下げられた和紀は、悔しさを隠そうともせずに「分かった」とだけ言って姿を消した。
 和紀が近くに居ない事を確認した愛がもう話しても大丈夫だと頷くと全員が再び同時に意見を言いだした。
「今回の仕事に限りどうしても追加しなくてはならない項目が有るわ」
 そう千寿子が言うと全員が顔を上げた。
「書類は残さない事。手書きのメモもよ。計画立案はオフライン状態のパソコン上で行う事。保存は全てフラッシュメモリーを使用して必ず手元に置く事。特に愛と智は入浴時は相手に預けるくらいの注意が必要よ。データ開示用のパスワードを各自が最低14桁で設定。HDDには絶対に残さない事。検索は社用や学校で行わず、一般公共施設で行う事。ネットで繋がる範囲や紙媒体の形で残したら、和紀がどんな方法を使ってでも調べ出すに決まっているもの。計画立案の責任はこの場に居るわたし達だけで負う。これだけは譲れないわ」
 千寿子の意見に全員が頷いた。

 テレポートで和紀が部屋に戻ると豪が壁際に座って待っていた。
「来てたの」
 豪は立ち上がると和紀に頭を深く下げた。
「勝手に部屋に入ってすまない。これ以上生に負担を掛けたく無かったから部屋で待たせて貰った」
「豪なら良いよ。勝手に部屋の物を触ったりしないからね」
 広げた新聞紙の上に正確に足を着けた和紀は、靴を脱いで箱に入れる。
「豪が生にも内緒で話したい事って何?」
 和紀は汚れた新聞紙を丸めてゴミ箱に入れると、豪にベッドに腰掛けるように勧めた。
「どこに行ってた?」
 真剣な顔で問い掛けてきた豪の横に座ると、和紀はいきなりストレートに来たと思いつつ正直に話した。
「本邸。でもすぐに皆から追い返されちゃったよ。邪魔だって」
 意外だという顔をする豪に、和紀は苦笑する。
「たしかに今まで計画に参加した事は1度も無かったからね。事が事だけに尚更かもしれないね」
 豪は顔を何度か上下させると和紀に向き直った。
「俺の要求はそれほど皆に負担が掛かる事だったのか? 皆、俺の身を心配して止めたかっていたのは解っていた。でも、最終的に千寿子は承諾した。俺が強引な態度に出たから皆が困っているんじゃないか?」
 豪の不安で一杯だという顔を見て、和紀は千寿子が言っていたのはこういう事だったのかと気付いた。
 豪や生はともかく、自分まで計画に参加を拒否された理由はこういう立場を求められたのだと。

 豪はよほどの事がない限り無茶な我が儘を言わない。
 どちらかと言えば、人の好意にあまりにも鈍感ゆえに、周囲の我が儘に振り回される事がほとんどだ。
 今回の事は、豪の優し過ぎる性格が暴走してしまった結果だと皆も気付いていた。
 豪は自分の超能力でできる事など、ほんの僅かでしかない事を熟知している。
 だからこそ豪は自分の超能力は誰に対しても平等でありたいといつも願い、そんな豪の性格をよく知っているから和紀も含めて誰も豪を止める事ができなかったのだ。
「もしもそうだったとしたら、豪は自分の意見を取り下げる?」
 逆に問い掛けられて豪は言葉を詰まらせた。
「豪の誰かをできるだけ助けたいって気持ちは解るよ。僕も同じ様な気分を味わった事が有るからね」
 豪が首を傾げると和紀は軽く頷いた。
「僕には普通の人が見えない物が視えるし、どれほど危険な目に遭いそうになっても、瞬時に安全な場所に逃げられる。だけど、この超能力を人の為に使っちゃ駄目なんだよね。これって子供の頃は結構辛かったよ。自分だけズルしてる気持ちだったから」
 和紀の告白に豪が目を見張る。自分達兄弟がずっと感じていたのと同じ辛さを、和紀もしてきたのだと初めて知った。
「楽になったのは小等部5年の時に千寿子さんの個人スタッフになってからかな。自分の超能力が誰かを助ける為になるって聞いた時は凄く嬉しかったよ。だから、身に付きそうな勉強も一生懸命したんだ」
 豪も千寿子に仕事の話を持ちかけられた時に同じ事を思ったので頷いた。
「皆もそうだよ。だから豪の今の気持ちが凄く解るんだよ」
「だが、俺の我が儘で皆が……う゛ぁがっ」
 和紀が豪の口にいきなり自分の人差し指を突っ込んだ。
「質問してきたのは豪なんだから、人の話は最後まで聞くの。分かった?」
 舌を押さえられて涙目になった豪が小さく頷くと和紀は笑って指を引いた。
 しばらく豪が咳き込み続けたので、和紀も黙って咳が治まるのを待って話を続けた。
「たしかに豪の要求を飲むのは僕達にはとても辛い事だよ。常に最前線に出る君の命に関わる問題だからね。だけどね、君の願いを叶えたいとも思うんだ。その為の努力は一切惜しまないって皆は思ってるよ。僕達実動部隊がしなくちゃいけないのは、皆が決めてくれた計画を正確に実行する事だよね」
 和紀からたまに聞かされる力説は、いつも豪が忘れ掛けた事を思い出させてくれるもので、豪は今まで胸につっかえていた物が一気に降りた気がして、久しぶりに心から笑った。
「ところで、貸しはこれで今日2個目だからね。駅前においしいケーキ屋を見つけたんだ。もちろん豪のおごりで付き合ってくれるよね」
「げっ!」
 以前、和紀にケーキバイキングを付き合わされた豪の顔色が真っ青に変わる。
「和紀、そのケーキ屋の名前を教えてくれたら何個でも買ってくる。だからそれだけは」
「それだけは何?」
 和紀の有無を言わさぬ恵仕込みの笑顔を見た瞬間、豪は全面敗北を感じて俯いたまま立ち上がった。
「部屋に帰る。邪魔したな。それと……ありがとう」
「何の事? ケーキ、楽しみにしてるからね」
「……」
 何とも言えない複雑な表情で豪が部屋を出ていくと、和紀は小さな溜息を吐いて脱力した。
 自分の役回りが思っていたよりも重い事を思い知り、気分が重くなる。
 未だ豪には秘密にされている『天の理』、この仕事がルール違反だと和紀も気付いている。
 智の予知も愛のテレパシーも生の大地の御子の超能力すら及ばないのが何よりの証拠。それが和紀には恐ろしい。
 皆のサポート無しでたった2人で自然を相手にどれほどの事が成せるのか。
 12月の交通事故の時より分が悪いと和紀は無意識の内に指を噛んで、はっと気付いて苦笑した。
「これも間接キスに入るのかな? ……良いか。豪だし」
 和紀はしばらく指を彷徨わせたが、切り替えの早さを得意としているので都合の悪い事はすぐに忘れてパソコンに向かった。

 その後、どれほど調べても千寿子達がネットワークにアクセスしている形跡を見つけられなかった和紀は、逆に皆の本気を感じて心底からぞっとした。



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