side−B −限界1− 豪 高校3年5月〜


   ことわり
=天の理=

 ゴールデンウィークの連休に入ると、豪は自室に籠もって和紀から貰ったパソコンに張り付いていた。
 書き込む事は一切出来ないが、千寿子と和紀が会社サーバーにかなりのレベルで自由にアクセスできるように取りはからってくれたので、自分が所属する基礎研究開発部門付特殊応用実験室の過去の記録に丁寧に目を通す。
 同時にインターネットから過去10年分のニュース記事を抜粋して、計算ソフトに数値を入力する。
 入力したデータから出されたパーセンテージを見て、豪は思わず舌打ちした。自分の予想が外れる事を心底から望んでいたのだ。
 ファイルを保存すると、豪は目頭を押さえて椅子の背もたれにその身を預けた。

 一方、リビングに集まっている和紀以外のメンバーは、皆一様に沈んだ顔をしていた。
 智が不快感を隠そうともせずに和紀の顔を睨む。
 愛も何度か言いかけては思いとどまり、コーヒーを口に含む。
 我慢ができなくなった生が和紀を上目遣いで見つめる。
「ねえ、和紀兄ちゃんなら知ってるんだろ? 兄ちゃんがずっとパソコン使って何をしているのか」
 頬を膨らませる生に和紀は笑って答えた。
「たしかに僕はうちの部署のシステム管理者だから、豪が何をしているのか知れる立場だね。アクセスログは全部取って有るし。だからと言って、プライバシーの侵害をする趣味は無いよ」

 初心者の豪が千寿子と和紀の教育で簡単なパソコン操作方法を覚えて以来、部屋に籠もる事が多くなり、皆の前にあまり姿を現さなくなった。
 特にここ最近は弟の生も理由を一切告げられぬまま、豪が作業中は部屋に入れて貰えないので、他のメンバーの不満はそれ以上だった。
「あ。でも、危険なH系のサイトに行ったりしていないから安心してよ」
「そういう方面に出入りするくらいに、あの豪が成長したのなら問題は無いんだが」
 わざと話をはぐらかそうとする和紀に、智が逆ギレ寸前だと言わんばかりに声を荒げる。
 ふっと軽く息を吐くと、和紀は空になったコーヒーカップをテーブルに置いた。
「智の予知の範囲外で、愛のテレパシーを遮断し、その上大地の声すら届かない所に豪が居る事がそんなに不安?」
「当然だろう!」
「当たり前じゃんか!」
「いつもオープンな豪が、こんなに内に籠もる事はこれが初めてだから心配だよ」
 同時に不満をぶつけてくる3人に対し、和紀は一瞬だけ苦笑すると真剣な目を向けた。
「豪は皆に大人しく守られ続ける様な男じゃ無いよ。ちゃんと自分の意志を持って、自分の行動に必要以上に責任を持とうとするよね。今回もそうだと思うよ」
 一呼吸置いて和紀は3人の顔を見渡すと、立ち上がって静かに告げた。
「豪がその気になって話してくれるのを待つしか無いんじゃない。僕らにできるのは豪の足りない部分をフォローしたり、黙って見守る事だと思う。それに、豪が籠の鳥でいる事なんか皆も望んでいないよね」
 そう言うと和紀はリビングを出て、カップを流し台に置くと自室に戻って行った。
 豪の事になると必要以上に神経質になる皆に、これ以上は心配を掛けたくないと思ってああは言ったものの、和紀は部屋に入ると同時にパソコンの前に座り、社内LANに素早く目を通す。
 豪のパソコンからのアクセスログや作成したデータの内容を細かくチェックすると、深い溜息を吐いた。
(豪、君は何をしようとしているの? 皆の超能力が及ばない場所で、1人きりで何を考えているの?)
(僕に智や愛達のような超能力が有れば、絶対にこんな状態で君を放っておかない。今、誰よりも不安なのは僕なんだ)
「視る事しかできない事がこれだけもどかしいなんて思いもしなかったよ」
 豪が収拾し作成したデータは、これまでの自分達の活動記録と、過去10年間の事故・災害記録の違いを数値化したものだった。
 和紀は豪のパソコンへのハッキング記録を完全に削除すると、項垂れて頭を抱えた。

 残された3人は何かを知っているはずなのに堅く口を閉ざす和紀に憤りを覚えた。
 眉間に皺を寄せて智が低く唸る。
「俺の予知から外れているという事は、豪が今やっている事は俺自身にとっても重大な何かのはずなんだ。自分の運命に強く関わる予知はできないという制約が有るからな。つまり、千寿子さんも豪に何が起こっているのか知らないはずだ」
 生は自分の力不足に憤って、両手を強くソファーの肘掛けに叩き付ける。
「森の主の奴がもっと俺に超能力を貸してくれたら兄ちゃんが何をやってるか判るはずなのに、春休み以来放ったらかしだからな。あのヤロ、何の為にあんなに時間を掛けてリンクしたと思ってんだ」
 生の言葉に驚いて愛が顔を上げる。
「生、森の声を直接聞けるのは護人様方や姉さんでも年に数度なんだ。君が何日も交信し続けていられたのは、森がそれを必要と感じたからだと聞いている。たとえ希有な大地の御子の君が望んでも、向こうが必要を感じなければ超能力は貸してくれないんだよ」
 養子に出たとはいえ、天ノ宮の直系の愛は幼少期から天ノ宮家の神事の全てに参加している。
 愛自身は直接森の声を聞く事はできないが、千寿子、両親、護人達から森の意志がどんな役割を果たしてきたのか切々と聞かされて育ったのだ。生の不遜過ぎる言葉に愛は眉をひそめる。
「んな事言ったって超能力使えないんじゃ意味無いだろ。兄ちゃんが凄く危険な事に足を突っ込もうとしてるって事だけはたしかなんだ。いくら頑張ってもそれだけしか判らないのがすっげー悔しいんだ」
 生が両目を真っ赤に腫らして握りしめた両手を震わせる。
 誰よりも兄を想う生は、豪が自分にすら何も言わず、不安だけを周囲に感じさせている事に気付かないいる事に、これ以上は耐えられないと涙を流す。
 愛は生の強い心の慟哭を感じ取って小さく頷いた。
「ごめん。生、君の気持ちは解っているはずなのにきつい事を言ってしまったね。僕の超能力でも今の豪の心がどうしても読めないんだ」
 ポケットからハンカチを出すと愛は生の涙をそっと拭った。
 煮詰まって親指の爪を噛んでいた智が意を決したように立ち上がる。
「豪本人に問い質すか。それが1番手っ取り早い」

「俺が何だって?」
「豪!」
「兄ちゃん!」
 マグカップを持ってリビングに入ってきた豪を見て、3人が同時に声を上げる。
 癖毛の髪は普段よりボサボサで、一体何日徹夜したのか、少しやつれた顔の目の下にくっきりクマができていた。
 疲れ切っているだろうに「どうかしたのか?」と逆に皆を気遣う豪に3人は胸が締め付けられた。
 ソファーに腰掛けてブラックコーヒーを飲む豪の膝の上に生が乗り上げる。
 言いたい事も聞きたい事も山ほど有ったが、豪の疲れた顔を見ると生は上手く言葉にする事ができずにもどかしさを感じていた。
 いつもなら生の小さな表情の変化にもすぐに気付く豪が、「何だ?」とのんびりした声を掛ける。
 生はどう言えば良いのか思い付かず、結局途方に暮れて適当に誤魔化した。
「皆で兄ちゃんが遊んでくれないからつまんないって話をしてたんだよ。せっかくの連休で珍しく仕事が入って無いのに。兄ちゃん、徹夜してまでパソコンで変なH系サイトに行ってるんじゃない? 千寿姉ちゃんにチクっちゃうぞ」
 思わずぶっとコーヒーを噴きかけた豪が目を丸くして生の顔を覗き込む。
「どこでそんな事を覚えたんだ? と言うか、俺がそんな事をすると思うか? 兄ちゃんは悲しいぞ」
 生は一瞬言葉を詰まらせたが、智と愛に視線を合わせてお互いに頷くと天井を指差した。
「和紀兄ちゃん」
 ひくっと顔を引きつらせると、豪は生を膝の上から下ろして立ち上がった。
「ちょっと和紀と話してくる。生、一緒に遊べなかったのは悪いと思ってる。だがな、俺はそんな事にパソコンを使った事は1度も無いぞ。どうしても欲しいデータが有ったんだが、まだ慣れていないから集めるのに思っていたより時間が掛かっただけだ」
「でも和紀兄ちゃんが……」
 尚も疑いの目を向ける生に「誤解だ!」と強く言って豪は階段を駆け上がって行った。
 背後から視線を送ってくる智と愛に、生は振り返ってにっこりと笑う。
「俺、嘘は言って無いからな」
 2階からは豪の怒鳴り声と同時にけたたましくドアを開ける音、それと和紀の狼狽した声が聞こえてきた。
 愛は我慢ができないと笑い出し、智もにやりと笑って良くやったと生に向けて親指を立てた。
「これくらいの八つ当たりは許されるだろ」
 ソファーに腰掛けて豪が飲みかけたコーヒーを飲む生に、智と愛は同時に大きく頷いた。
「こういう時、豪が単純で本当に良かったって思うよ」
 愛が微笑むと、智も「全くだ」と笑みを返す。

「だから僕が言ったのはそういう意味じゃ無くてね」
「生はまだ子供なんだから変な言葉を教えるな。意味が解らなくても使いたがるだろう」
 上から聞こえてくる声に、3人は同時にソファーやテーブルにへたり込んだ。
「えっと、こういう場合は何て言ったら良いのかな?」
 愛が苦笑して生の顔を見ると、生は軽く肩を揺すってポリポリと頭を掻く。
「超奥手で天然の兄ちゃんに言われたかと思うと、さすがに俺でもへこむって。俺、もう中2なんだけど兄ちゃん解ってんのかな?」
「俺もいくら歳が1番上でも1番遅れている奴からは言われたく無いな。自覚無しもあそこまで行くとさすがに笑えないぞ」
 智は軽くこめかみを押さえながら冷めたコーヒーを口に含んだ。

 和紀はまさか他の3人からこんな形で反撃されるとは全く思っていなかったので、いきなり豪に部屋に乗り込まれて戸惑った。
 豪のパソコンへのハッキングを終了させていた事に安堵しつつ、疲れで頭が回らなくなっている豪を何とか宥めようと言葉を選ぶ。
「あのね豪、この僕がそういう事をわざと生に言うと思う? そんなに僕の事が信用できない?」
 少しだけ傷付いたという表情を故意とは知られないように見せる和紀に、今度は豪が本気で狼狽える。
「あ、いやそんな風には思っていない。ただ、まだ生の耳にはその手の話を聞かせるのは早いと思ったんだ。よく考えたら和紀がそういう話をするはず無かったな。その……疑ってすまない」
 素直に頭を下げる豪に和紀は軽く笑みを浮かべる。
「分かってくれたら良いよ。ところで豪、鏡を見た? クマがくっきりできていかにも寝不足で疲れてるって顔してるよ」
 和紀の指摘に豪が「ああ」と声を漏らす。
「ここ最近やる事が多くてあまり寝て無かったからだと思うんだが、そんなに酷い顔をしているか?」
「うん。誰が見たって同じ事を言うと思うよ。僕のベッドを貸すから少し寝たら? 防音がしっかりしていても、階段に1番近い豪の部屋より静かだと思うから」
 和紀の提案に疲労がピークを超えている豪は、この部屋に来た当初の目的も忘れて素直に頷く。
「じゃあ、悪いが少しだけベッドを借りる」
 ゴロリとベッドに横たわると、ものの1分も経たない内に豪の静かな寝息が聞こえてくる。
 和紀は微笑するとカーテンを引き、豪を起こさないように布団を掛ける。
 部屋のドアの廊下側に『作業中!』と書かれたプレートをドアノブに掛ける。椅子に腰掛け読みかけの本を手に取ると、手元のライトを付けた。
 和紀は自室でプログラムを組んだり試作機の製作をする事が多いので、誰にも邪魔されずに集中したい時はドアにプレートを掛ける様にしている。
 そのプレートが掛けられている間は、たとえ恵でも和紀の部屋には入らないルールになっていた。

(君が何をそこまで思い詰めているのか本当は知りたいけど聞かないよ。誰にも邪魔はさせないから今だけは全部忘れてゆっくり休んで。3日以上も眠っていない君には休息が必要だからね。
 和紀は1度だけ豪に視線を向けると静かに本を読み始めた。

 生が静かになった2階に目を向けてそわそわと手を組み替える。
「兄ちゃん、降りてこないね」
「愛?」
 智が声を掛けると愛が頷いた。
「豪は寝ちゃったみたいだよ。さっきここに降りてきた時も凄く疲れた顔をしていたよね」
「なら良い。ここ数日、食事の度に豪のやつれた顔を見るのは辛かったからな」
「でも、兄ちゃんどこで寝てるんだ? 兄ちゃんが部屋に戻った気配は無かったんだけど」
 生の素朴な疑問に、ピクリと愛と智は肩を震わせる。
 眉間に皺をよせつつ何とか笑顔を保ちながら智が生の顔を見た。
「それは聞くな。俺も我慢をしてるんだ。やっと眠った豪の睡眠の邪魔だけはするなよ」
 不満気な顔をする生の肩に愛が手を乗せる。
『豪の意識が少しだけ漏れだしてきている。憤り、不満、悲しみ、優しさが混ざった複雑な思い。多分、豪は今まで眠らなかったんじゃ無くて眠れなかったんだと思う。何が豪をそうさせたのかまでは判らないけど今はそっとしておこう』
 愛の辛そうな視線を受けて生も「分かった」と頷いた。
「ずっと寝れなかった兄ちゃんが漸く寝られたのならそれがどこだって良いや。俺も兄ちゃんのあんな顔はもう見たくないから」
 深い溜息を吐くと生、は豪が残した冷めたコーヒーの入ったマグカップを大事そうに抱えた。
「結局、和紀兄ちゃんが言ったとおりなのかもしれない」



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