side−B −大地の御子5− 豪 高校2年3月後半〜


「豪、もうすぐあなたはお兄ちゃんになるのよ」
「本当? すっげー嬉しい」
「このお腹の中にね、あなたの弟か妹が居るのよ」
「どっち?」
「まだ判らないの」
「判ったら絶対教えてよ。俺、友達に自慢するんだ。ずっと兄弟が居る皆が羨ましかったから」
「はいはい」

「男の子ですって」
「弟だね。早く産まれないかな」
「まだ何ヶ月も先の話よ。気が早過ぎるわ。でもね、豪の声はお腹に直接触るとこの子に届くのよ。どんどん話しかけてあげてね」
「うん、解った。聞こえる? 兄ちゃんだよ。豪って名前なんだ。毎日教えるからちゃんと覚えるんだぞ」

うん。ちゃんと兄ちゃんの事を1番初めに覚えたよ。
あの頃は上手く話せなかったから「にーに」としか呼べなかったけど。

「生、可愛いなぁ。ねえ母ちゃん、俺にも抱かせて」
「まだあなたには無理よ。もう少し大きくなったらね」

覚えてる。
兄ちゃんが俺の手をずっと握っていてくれた事。
凄く安心して嬉しかったんだ。

「豪、抱いてみる?」
「良いの?」
「首が据わったから良いわ。絶対落としちゃ駄目よ」
「解ってるって。うわぁ、生って温かいな」

温かかったのは兄ちゃんの方。
とくん、とくんって音が母ちゃんのより心地良かったんだ。
だって母ちゃんのお腹に居た時から兄ちゃんの声や音を聴いていたから。

「生が豪の怪我を治してくれたのよ」
「凄いな。生、ありがとう」
「でも、これは誰にも内緒よ」
「何で?」
「生が遠くに連れて行かれてしまうから」

ずっとこの言葉の意味が解らなかったんだ。
俺が何者で、どうして兄ちゃんが本当は怪我をしなくても済んだのに超能力を使わなかったのか。

「僕のお嫁さんになって」

愛兄ちゃんと会った。
あれから何かが変わった。
俺の周囲に何か凄く嫌な事が有ったんだ。
それが天ノ宮家への養子の話だったんだ。
俺、ずっと知らなかった。
俺の超能力は本来なら天ノ宮家に現れるものだって。
母ちゃんと父ちゃんが俺を守ってくたんだ。
兄ちゃんと離ればなれにならなくても済むように。
ずっと家族4人で幸せだった。

「なんだって! それじゃここに居る男全員一緒に暮らすって事なのか?」

家族が増えて楽しくなると思ってた。
だけど、兄ちゃんが俺だけの兄ちゃんじゃなくなっちゃうのが嫌だった。
だから俺は……。

『兄に気付かれないように、ずっと側で兄の力を封印しようとしたんだな』
うん。
でも皆、兄ちゃんに気付いちゃうんだ。
隠そうとしても隠しきれないんだ。
皆、兄ちゃんの事がどんどん好きになるんだ。
兄ちゃんは自分を少しでも好きになってくれた相手にはとても優しいんだ。
凄く優しいから皆、もっと兄ちゃんの側に居たいって思うんだ。
『御子の様にか?』
違う!
俺は、俺だけは兄ちゃんにとって特別なんだ。
『では何故兄の力を隠そうとした?』
兄ちゃんが優し過ぎるから。
『嘘だな』
……!
認めたく無いけど。
すっごく悔しいから認めたく無いけど。
兄ちゃんは俺だけのじゃ無いから。
ずっと兄ちゃんの1番でいたかったんだ。
『いずれは離ればなれに暮らす事になっても?』
それでも兄ちゃんにとって俺が1番だったら良かった。
たとえ千寿姉ちゃんと一緒にいても、兄ちゃんの1番が俺だったら良かったんだ。
『やれやれ、困った子供だ』
ガキで良い!
俺にとって1番大事な事なんだから誰にどう思われたって良いんだ。
『今、1度問う。誰の為により強い超能力が欲しい?』
……。
『どうした? 自分の我が儘を通したいと認めるのが怖いか?』
……。
『1番大事だと言う兄や周囲の人の心や道を曲げてまで、御子が望んだ事は兄の独占か?』
ち が う。
『何が違う? 御子は自分さえ満足できれば良ければそれで良いのだろう?』
違う!
俺は……。俺は……。
『言うが良い』
俺にとって1番大好きで1番大事な兄ちゃんに世界で1番幸せになって欲しいんだ!

『良かろうよ。それが答えだ。目覚めよ。御子』

 生は洞穴の中で目を覚ました。
 上体を起こすと砂埃が身体の上に積もっている。
 右手にはしおれかけた榊の枝が有ったが、それより生を1番驚かせたのは、指の先で丸まって5センチ近く伸びている爪だった。
「痛っ」
 足先が痛むので靴を脱ぐと、足の爪も靴を突き破らんばかりに伸びていた。
「どれくらい時間が経ったんだろう?」
 生は身震いして裸足で洞穴から出て行った。
 洞穴から出ると周囲の空気の匂いから、季節が変わる程時間が経っていない事を知ってほっとした。
 リュックからナイフを出して、伸び過ぎた爪を適当に切り落とす。
 川に行って顔を洗おうとした時、自分の髪が肩よりも伸びている事に漸く気付いた。
 1年間止まっていた成長が一気に進んだのだ。

(どうしよう。こんな格好じゃ家に帰れないや)
 生が途方に暮れていると自分を呼ぶ声が聞こえた。
『生、お疲れ様。その姿では天野家には帰れないでしょう。うちへいらっしゃい』
「千寿姉ちゃん?」
『上手くやるから、安心して任せて』
「うん」

 千寿子は豪と共に朝食を摂りながら微笑んでいた。
「豪、生が帰って来るわよ」
 思いがけない朗報に、豪は大きな音を立てて椅子から立ち上がる。
「本当か? あれからもう1週間が過ぎた。ずっと音信不通だと言っていただろう」
「ええ。さっき連絡が取れたの。それであなたにお願いが有るのよ」
「迎えに行けば良いんだな?」
 嬉しそうに聞く豪に千寿子は頭を振る。
「天野家に戻って生を迎える準備をして欲しいの。だって、生が帰るのはあの家でしょう。あなたが1番初めによく頑張ったって言ってあげて欲しいの。それと、皆にも知らせてあげてね。皆もずっと生を気に掛けていたのだから。もう1つ。きっと生は凄くお腹を空かせていると思うわ」
「分かった。ありがとう」
 食事もほとんど手付かずのまま、豪は喜々として部屋を飛び出した。急いで荷物をまとめると走って本邸を後にする。

 豪の姿が見えなくなるのを確認すると、千寿子はすぐに電話を手に取った。
「飛島さん。すぐにお風呂と生の着替え一式と美容師の手配をお願いします。生の身長はほとんど変わっていないと思いますから」
『承知いたしました』
 これで全ての歯車が正常に戻ると、千寿子は心から安堵する。
 千寿子は数時間後にボロボロの姿で本邸に現れた生に、よく耐えたと微笑みかけた。

 久しぶりに風呂に入り、爪整え、髪をカットされながら生は背後に立つ千寿子に声をかける。
「千寿姉ちゃん。ごめん……と言うか……本当にありがとう」
「何の事かしら? わたしはあなたがとても汚い格好で『偶然』うちに来たから、天ノ宮家として一族の恥にならないようにして貰っているだけよ」
 千寿子の言葉にはならない気配りに生は笑みを浮かべる。
「千寿姉ちゃん。その解りにくい愛情表現を直さないと、いつまで経ってもあの兄ちゃんには気付いて貰えないからな」
「言うわね。じゃあわたしも言わせて貰うわ。あなたが居ない間、天野家では豪の事で色々有ったみたいよ」
「えっ! 色々って何?」
「危ないから動かないでください」
 振り返りそうになった生の肩を美容師が抑える。
「うーっ。めっちゃ気になる。だから家を空けるの嫌だったんだよ」
「ほーほっほっほ。これも全部自業自得よ。今までさぼったツケを一気に払う羽目になったのだもの。情報不足になって当然よね」
 今すぐ帰りたくても帰れなくて焦れる生を、千寿子は嫌みったらしく笑う。
「くそーっ!」
 美容師が「終わりました」と言うが早いか、生はカバーを脱ぎ捨てた。
 駆け出そうとする生の襟首を千寿子が掴まえ、その手を振り解こうと生がもがく。
「千寿姉ちゃん。いい加減に意地悪止めなよ」
『帰る前に聞くわ。豪にはまだ何も知られていないの。あなたの事も豪自身の事もよ。あなたが天野家に戻ったらどうするべきか、判るわね?』
 生はしばらくの間黙って千寿子の顔を見上げていたが、当然とばかりににやりと笑う。
『元々兄ちゃんは俺が何もしなくてもすっごく鈍いんだ。でも、今のままで良いと思う。今度は方法を間違えずに絶対に兄ちゃんを守る』
 千寿子も生の答えを聞いてにっこり微笑んだ。
「豪が待っているわ。早く帰ってあげて」
「うん。千寿姉ちゃん、ありがとう」
 生は部屋の入り口に置いてあったリュックを拾い上げ走って行く。

 豪は天野家に戻ってくるなり生の帰宅を皆に知らせると、玄関先で生を出迎える為に何時間も立っていた。
「豪、生が帰ってきたらすぐに知らせるから家の中で待っていたら」
 朝食もまともに摂っていないと聞いて、見るに見かねた和紀が背後から声をかける。
「ここで待ってたいからいい。視えても言うなよ。楽しみが半減する」
 振り返りもせずに豪が言い切るので、和紀も軽く肩を竦めて扉を閉める。
「いつもの状態に戻ったって感じだね」
 和紀が苦笑しながらリビングに戻ると、智と愛が同時に首を横に振った。
「行く前より更に図太くなった分、タチが悪い」
「前よりずっと強くなって帰ってくる」
 仏頂面の智に対して微笑を浮かべる愛。
 2人の顔を見比べて和紀も納得する。
(生が甘えじゃなくて、本当の意味で豪を守れるだけの強さと超能力を持てたって事だね)
 そうなら自分は良いと和紀は笑う。

「兄ちゃん!」
「生!」
 満面の笑顔で全速力で走って自分の胸に飛び込んできた生を、豪は力一杯抱きとめる。
「お帰り。長い間1人で良く頑張ったな」
「ただいま。兄ちゃん、ずっと会いたかった」
「俺もだ」
 生はしっかりと豪の首にすがりつき、豪は何度も生の髪を撫で続けた。
 季節がら5分咲きの川沿いの桜並木道路は見物で歩く人もかなり多い。
 その道の側で人目もはばからず超ブラコンぶりを発揮する兄弟2人に、玄関口から恵の怒号が飛ぶ。
「豪! 生! 恥ずかしいからそういう事は家に入ってからにしなさい!」
「大声で名前を呼ぶお母さんも結構恥ずかしいと思うけど」
 和紀が笑って混ぜっ返すと愛も笑顔で扉を大きく開ける。
「2人共、本当に早く入った方が良いよ。ここ数日食欲が無かった智が凄いスピードで食べ始めたから」
「あっ、丁度昼飯の時間なんだ。俺、朝飯食べてない!」
 豪と生が同事に大声を上げ、お互いの顔を見交わす。
「兄ちゃんも?」
「生もか?」
 お互い安心したのか、空きっ腹が情けないほど大きな音を立てる。
「悪いけど僕らも先に食べるよ」と和紀。
「こればかりは早い者勝ちだからごめんね」と愛。
「おい、待て。待て」
「ちょっと待って。俺、ここんトコまともに食べてないからマジで腹空いてるんだって!」

 2人が急いで玄関の中に飛び込むと同時に、天野家ではいつもの日常が完全に戻ったのだった。

つづく



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