side−B −大地の御子3− 豪 高校2年3月後半〜


 食事中もパソコンの話で盛り上がる豪と和紀を見て、智は面白く無いと早々に自室に戻って風呂に入るとベッドに横になった。
 エンジニアでシステムを担当している和紀に遠く及ばないが、パソコン程度の知識ならモバイルと社内ネットワーク端末を自室に持つ愛や、ノートパソコンを持つ自分もそれなりに知っている。
 それなのに、豪は和紀だけに色々と聞くのだ。
「俺じゃ力不足なのか?」
 ボソリと呟いて智は目を閉じた。

 大きな2つの手が、まだ幼い智の手を引いて歩く。
 扉が開けられて一斉に見知らぬ大人達が智を見つめる。
「お父さん、お母さん?」
 何かとても怖い事が起こる気がして、智は自分の手を握る両親の手をしっかり握り返した。
 母親が腰を屈めて智の顔を覗き込む。
「智、今日からあなたはここで暮らすのよ」
「どうして?」
「お父様もわたしもお仕事で当分家に居られないの。だから、智は千寿子ちゃんや愛君と仲良く待っていてね」
「智、父さんが仕事で遠くに行く時はいつもそうしているだろう。聞き分けなさい」
 父が厳しい声で智を聡そうとする。
「嘘! お父さんもお母さんもずっとお家に居るのに、どうして僕だけ家に居ちゃいけないの?」
 困惑した妻は夫の顔を見上げ、夫も苦悩の表情を浮かべる。
「お父さんもお母さんも嘘をついてる。僕知ってるよ!」
 顔を真っ赤にして叫ぶ智の背後から、低く落ち着いた声が響いた。
「なるほど。この子はちょっと難しい子だ。うちで預かるのが1番良かろう」
「会長、後は宜しくお願いします」
 夫婦は深く頭を下げて、足早に部屋から出て行こうとする。
「お父さん。お母さん。難しい子って何? 僕が何か悪い事したの?」
 追い掛けようとする智を、背後から大きな腕が掴まえて拘束する。
「お父さん。お母さん。戻ってきてよ! どうして? どうしてぇ!?」
 両手を必死で伸ばす智の目の前で、1度も振り返らない両親の手が扉を閉めた。
「嘘つきーーーっ!」

 跳ね上がるように智は起き上がった。
 荒く息をしながら頬に残る幾筋もの涙の跡と、全身を伝う汗に気付き苦笑する。
「今更こんな昔の夢を見るなんて、俺もどうかしている」
 時計を見ると午前1時を回っていた。
 未だに幼児期のトラウマから抜け出せない自分の弱さに腹が立った智は、顔を洗おうと洗面所に向かう。
 冷たい水で嫌な夢と涙を流して部屋に戻ろうとした時、豪の部屋のドアからかすかに明かりが漏れているのに気付いた。
 こんな遅くまで何をしているのかと思いドアをノックする。
 豪が笑顔で智を部屋に迎え入れると、ベッドの上に和紀が買ったパソコンの入門書が目に入った。
 智の視線に気付いた豪が、本を手にとって智に見せる。
「実物が無いから今一つピンと来ないんだが、面白くてつい読みふけってしまった。これは本当に解りやすい。和紀が俺用に選んでくれただけの事はある」
「ふ……ん」
 また和紀の話かと智が視線を落とすので、いつもの元気が無いと豪が首を傾げる。
「どこか体調が悪いのか? 晩飯を食ってすぐに部屋に戻ったと思えば、こんな時間に起きているし。母さんに起きて貰った方が良いか?」
「いや、体調が悪いんじゃない。ちょっと夢見が……」
 言い淀む智を見て、豪はまた予知夢を見て辛い思いをしたのだと勘違いをした。
「酒を盗って来ようか?」
「いやいい。今は眠る方が苦痛だ」
「分かった」
 豪はベッドから立ち上がると、クッションの上で膝を抱えて俯く智の肩に自分の毛布を掛けた。
「起きているのは良いが、そのままだと風邪を引く」
「悪い」
「俺はこういう時、何の役にも立てないから。愛や生のように無理に言葉にしなくても、智の苦痛を和らげる超能力は無い。本当にすまない」
 こんな自分にも優しい言葉を掛けるのかと、智は肩を大きく震わせ、思い切ったように顔を上げた。
「豪、今夜はこの部屋に泊めてくれないか? 1人だと辛いんだ」
「それは全く構わない。智が眠れないなら俺も付き合うから」
 あっさりと答える豪に恥ずかしさで智は顔を背けた。
「豪は今日1日歩き回って疲れているだろう。部屋の隅に居させてくれたら多分俺も眠れると思う。その……。部屋から布団を持ってくる」
 俯いてぽつりと言う智の頭をくしゃりと撫でると、豪はにっこり微笑んだ。
「布団一式を持ってくるのは面倒くさいだろう。狭いのが嫌じゃ無かったら枕だけ持って来い。一緒に寝るか?」
 豪の言葉に智が一気に赤面する。
「1年前にもこんな事が有ったな。一応言っておくが俺は寝相は良いぞ。よく生が泊まりに来るが、ベッドから蹴り落とした事は1度も無い」
「生は時々ここで寝ているのか?」
「ああ。小さな頃からよく一緒に寝ていたから癖になっているんだろう」
 智は即座に立ち上がると「枕を取ってくる」と言って部屋を出て行った。
(豪は本気でそう思っているんだろうが、生にとっては絶対違うぞ。自分達兄弟が異常だといい加減に気付かないか?)
 智は自分の行動は綺麗に棚上げをして、弟の立場を良い事に豪を独り占めする生に怒りを覚えた。
 枕を持って豪の部屋に戻ると、すでに枕元以外の明かりを消し、ベッドの半分を空けて横になっている豪の隣に素早く潜り込んだ。
 豪の左腕にしがみつくと、頭を豪の胸の上に乗せる。
 耳に響いてくる心音を聞いている内に、智は徐々に手の力を抜いていく。
 豪は智の強引さに苦笑したが、さっきまでの憔悴した姿よりこの方がらしくて良いと、優しく智を抱きしめてそのまま眠った。
 智は温かい豪の腕の中で、涙が溢れそうになるのを必死で堪えた。

(豪、お前はどうして何も言わないのにいつも俺が1番欲しい物をくれるんだ? お前が居てくれるから俺も俺で居られるんだ)
(独りよがりな我が儘だと判っている。だけど今だけはずっとこうしていたい。俺はお前の事を……)

 翌朝、和紀はパソコンの組み立ての続きと設定をしようと早起きをした。洗面所に行くと、豪の部屋の方から話し声が聞こえてきた。
 廊下を覗き込むと、智が枕を持って豪の部屋から出てきたところだった。
「昨夜は助かった」
「今回の事で智が赤ちゃんと同じだと、判ったから辛くなったらいつでも来て良いぞ」
 ぶっと智が吹き出す。
「世話になったから今は引いてやる。愛にも同じ事を言っていたが、生達とはち合わせたらどうする気だ?」
「その時は全員が布団を持ち寄って床でざこ寝だ。ベッドの定員は2人が限界だからな」
「それはそうだ」
 智にしては珍しく満面の笑みを浮かべて手を振ると、豪の部屋を後にした。

(うっそぉ)
 智に気づかれないように洗面所の壁にもたれていた和紀は、呆然としてそのままずるずると床にへたり込んだ。

 和紀は注意深く豪と智の様子を窺っていたが、朝食の席では2人一見いつもと何も変わらないように見えた。
 豪の天然発言に鋭く智がツッコミを入れ、豪は一瞬だけむっとした顔をするとすぐに笑顔を返す。
 そうすると、今度は智の方が赤面して押し黙るのだった。
 愛や恵もいつもと何かが違うと勘付いていたが、できるだけ顔に出さないように勤めている。
 事が大きくなる前に何とかしなくてはと思った和紀は、朝食後すぐに着替えて外に出て行った。
 公園まで行くとベンチに座り、携帯を取り出した。
『おはよう。和紀、早いのね。昨日は豪と1日「デート」してたんですってね。何故かわたしのところに智と愛から別々に苦情が来たわよ』
 うわぁ、いきなりトゲびしびしだよ。と、和紀は肩を竦めたが今はそれどころじゃ無いと意を決して訴える。
「ちーちゃん、一生のお願い。生が帰って来るまで豪を引き取って」
『はぁ? どういう事?』
 千寿子にしてみれば当然の質問だが、できれば答えたくないと言うか、後が怖いと言うか、どう説明すれば良いのか和紀は迷った。
「生がいなくなってからうちの中で人間関係がごちゃごちゃになったって言うか……。その、詳しく言いたくないんだけど」
『1番混ぜっ返した張本人がそれを言うの?』
「昨日は僕が悪うございました。でも、僕の場合は付いて来るって言いだしたのは豪の方なんだからね」
『何が有ったの?』
「あのね、ちーちゃん。今まで生に集中して向けられていた分まで豪の魅了の力と意識が僕達に分散されたら何が起こるか判らない? 男に豪を取られても良いの?」
『グシャッ!』

(ちーちゃん……携帯壊したね)
 和紀が痛む耳を押さえながら携帯をポケットに入れると、頬を怒りで真っ赤に染めた千寿子が瞬時に現れた。
「一体どういう事よ!?」
 人目もはばからずいきなりテレポートをしてきた千寿子に、気持ちはよく解ると和紀は手招きした。

「……と、いう事で。僕はいつもの可愛い豪でいて欲しいんだよ。生が居なくて凄く寂しいんだろうけど、今の豪の可愛さは尋常じゃ無いからね。能力がら安定している僕でも正気を保つのがきついのに、不安定な愛や智はいつ暴走するか判らないよ」
 ベンチに腰掛けて和紀の話を聞いていた千寿子は、どいつもこいつ(和紀)もと頭を抱えた。
 何気なく人の名前を出しているが「可愛い」と連呼する段階で、和紀も他の2人と同レベルかそれ以上だ。
 解っていたはずだった。
 豪の魅了の力は桁はずれに強くて、生の癒し能力すらはるかに凌駕するものだと。
 あの誠実で素直な性格に癒されて、誰もが側に居たくなるのだから。
 生の豪への執着の強さを見れば一目瞭然なのに、なまじ全員に同性愛の資質が皆無だという事で安心してしまっていた。
 このまま放置すれば、そう遠くない内に豪の側に居る権利をめぐって争いが起こると和紀は言いたいのだ。
 千寿子はふっと溜息を漏らすと立ち上がった。
「今から豪を引き取りに天野家に行くわ。理由なんていくらでも付けられるもの」

「今すぐにか?」
 突然、和紀と一緒に家に来て、AMANOグループの仕事内容を泊まり込みで教えたいと言う千寿子に、豪は思わず声を上げる。
「ええ。まだまだ豪にも覚えて貰いたい事が沢山有るの。わたしも仕事が有るから、できれば集中して一気にやりたいのよ」
「いきなりそんな事を言われても、俺はこの春休みに和紀にパソコンの使い方を教えて貰う約束が有るし、それに愛や智とも約束が有るんだ」
 そう言って千寿子の横に座る和紀に視線を向けると、和紀は「ごめん」と言わんばかりに、自分に向けて両手を合わせていた。
 同じ様にリビングのソファーに腰掛けている智は目が完全に据わり、日頃は自己主張をあまりしない愛も不機嫌さを隠そうとしない。
「パソコンの使い方ならレクチャーがてらわたしが教えるわ。智と愛の事は今は保留にして欲しいの」
 暗に豪とどんな約束をしたのか知っていると告げる千寿子に、智と愛が戸惑いの視線を向け、その後、和紀を睨み付ける。
「用意ができたらすぐに来て。こちらも準備をして待っているわ」
 それだけ告げて千寿子は足早に天野家を出て行った。
 千寿子は天野家から数十メートル離れると、振り返って大きくのびをする。
「とてもあれほど痛い雰囲気の中に居られないわ。わたしの神経がやられちゃうもの。和紀には悪いけど全部引き受けて貰うしかないわね」
 豪はこれも仕事だと諦めると、部屋に戻って着替えを纏めた。
 家を出る前に豪は智と愛の部屋に寄って、約束を守れない事を詫びると、2人共豪を強く抱きしめて「自分の事は良いから豪も無理をしないで欲しい」と口々に言った。

 豪が本邸を訪れると千寿子の執務室に案内された。
 部屋には豪の席が用意されており、千寿子の予備用ノートパソコンを渡された。
「和紀からマニュアルを渡されているのよね。同じ部屋に居るけどわたしとの連絡は全てメールかチャットでやりましょう。先ずキー打ちに慣れないとね。AMANOに関する資料はネットワークを通して見られるようにしてあるから、それを読んでも解らない事が有ったらメールで知らせて」
 1度に色々言われて豪が首を傾げる。
「チャットって何だ?」
「ごめんなさい。そこから説明しなくちゃいけないのよね。簡単に言うとネットを使った文字電話かリアルタイムのメールね。使い方を教えるから以後の質問はネットを通してよ」
「分かった」
 豪は席に付くとバッグから入門書を出してパソコンを立ち上げた。

 豪>この資料全部に目を通すのか?
 千>当然全部。それでも概要だけなのよ。恨むなら自分が働いている会社を避けていた自分自身を恨んでね。
 豪>……(ーー;
 千>安易に顔文字を使わないで。文章構成力が落ちる上に悪い癖が付くから。
 豪>マニュアルにはコミュニケーションに良いって書いてあるぞ。
 千>仕事上では当然禁止。

 人差し指でポツリポツリとキーを打っていく豪に対して、千寿子は仕事もしながら最速に設定してあるリロードのスピードよりはるかに速く返事を返してくる。
 豪は千寿子の横顔を見ながら素直に感心した。



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