side−B −大地の御子2− 豪 高校2年3月後半〜


 生は軽装で森の中を歩いていた。
「御子様はご自分で答えを見つけるまで1人で森で暮らしてください」
 と護人達に言われ、持たされたのは僅かな着替えとライターと鍋1つと塩とナイフのみ。
 つまり食料や水は自力で調達しろという事である。
 春の森は多くの種類の植物が芽吹き花を咲かせているが、この季節に人が食べられる物は限られる。森の木々が実を付けるのは、夏から秋にかけてが1番多いからだ。
 東に行けば綺麗な川が有るので水の心配だけはしなくて良い。
 生は立ち止まって目を閉じて両手を広げる。
 深く息を吸い込むと、周囲から集まった柔らかい光が生の全身を包み込む。森と大地からエネルギーを補給しているのだ。
 ふっと息を吐いて生は目を開ける。
「本当はご飯を食べなくても水と酸素さえ有れば、そうそう死なない身体だっていうのも考え物なんだろうな」
 生が苦笑して歩いていると、背後からカサカサと草を踏み分ける音が聞こえてくる。
 実は護人の庵を出てすぐに足音は聞こえていたのだが、森の奥に進むほどその音は増え続けていた。
 くるりと振り返ると一瞬で気配が四散する。
 生は「仕方ないなぁ」と笑って近くの倒木に腰掛けた。
「俺は森を荒らしにきたんじゃないから心配しなくて良いよ。それとも俺が珍しい? 千寿姉ちゃんや護人のじいちゃん達と一緒に居るから、こういう人間に慣れてると思ってた。驚かしてごめん」
 その声を聞いてイタチ、狸、猪、野ウサギ、日本カモシカや日本ザルまで姿を現した。
 熊が居ない地方で良かったと生は微笑する。
 皆、一様に生をじっと見つめている。
「こんにちは。千寿姉ちゃんから言われてしばらくの間ここに住む事になったんだ。もし良かったら何か食べる物が有る所に連れて行ってくれる?」
 生の正面に立っていたカモシカが、付いてこいという視線を向けて首を振ると歩き出した。
「ありがとう」
 生は立ち上がると他の動物達と共にカモシカの後を追った。

 カモシカは日当たりが良く木の多い川辺に生を連れてくると、視線を生に向けながらクイッと顎で指した。
「助かった。ありがとう」
 生が礼を言うとカモシカは森の中へ戻って行った。
 生は足元に広がる野草を見てうーんと唸った。
「つくし、せりは割と普通に食べられるんだよね。たんぽぽは花が食べられるって聞いてるけど本当かなぁ。えっと、フキノトウにナズナ、ハコベ、ユリワサビ、ヤブカンゾウに……うーん。名前だけ知ってても見ても判らないから意味無いって。せめてワラビやゼンマイが有れば良いんだけどまだ時期早いし。竹の子くらい無いかなぁ」
 くるりと振り返ると、生は同行した動物達に問い掛ける。
「どれが食べられると思う?」
 そんな事を聞かれても困るという顔をする動物達に生が素直に謝った。
「ごめん。皆は俺とは食べられる物が違うんだったね。うん。自分で何とかする」
 猪が食べ物はそこら辺に居るだろうという顔したが生は頭を振った。
「たしかに俺は雑食だから肉や魚も食べるけど、皆をとても食べれないよ。植物なら場所を変えて少しずつ採る分には許して貰えそうだけど、この森の食物連鎖の頂点は人間じゃ無いから。人はここでは侵入者でしかない事くらい俺でも分かる」
 低く唸る猪に生は「うん。気持ちは嬉しい。ありがとう」と答えて、膝を付くと食べられそうな草を捜し始めた。
 生の背中をイタチがトンと付いて草を指し示す。
「ん。これがせり? 食べられるね。ありがとう」
 生が頭を撫でるとイタチは嬉しそうに生の肩に乗り上げた。

 たどたどしい手つきでマウスをクリックする手の上に、後ろから別の手が重ねられる。
「ここは左クリックアンドドラックじゃなくてスクロールを使った方が早いんだよ。ほらこんな風に」
 手を添えたまま中指でスクロールボタンを回して、画面を移動させる。
「解った」
「うん。コツさえ掴めばどんどんスピードが速くなるからね。基本動作だから大体のソフトを使う時に応用が利くよ」
 暇を持てあました豪は、和紀に頼んでパソコンの簡単な使い方を教えて貰っていた。
「ここで左クリックで終了っと」
 背後から声をかけながら和紀が豪を促す。
 ほっと息をついて豪が笑顔で振り返る。
「ありがとう。これで俺でもネットを使って調べ物やメールくらいはできそうだ」
 和紀はサイドテーブルに置いてあったコーヒーを豪に手渡すと、自分はベッドに腰掛ける。
「豪は飲み込みが早いから教え甲斐が有るよ。自分専用のパソコンを買うの?」
「和紀の教え方が上手いんだ。そろそろ安いので良いから買って、一般的な使い方くらいは知っておこうと思う。学校の図書館のパソコンはデーターベースで予約制だから、申し訳なくて練習にはとても使えない」
「たしかに調べ物をする時に順番を待つのってイライラするからね。豪さえ良ければこのマシンを一般向きにインストールし直して譲るけど」
「こんな高価な物を良いのか!?」
 驚いて大声を上げる豪に和紀は笑って手を振った。
「自作だからそれほど高く無いよ。そのマシンは作って1年半になるからそろそろ全面的に買い換えようと思ってたんだ。HDDやメモリーの容量を増やしたり、CPUを変えてきたけどマザーボードが追いつかないからね。周辺機器もどんどん良いのが出てるし。売っても大した金額にならないから、逆に中古で豪に悪いかなって思ってるよ」
 ぶんぶんと頭を横に振る豪に、和紀は貧血を起こしかねないなと微笑する。
「丁度明日にでも買いに行って、春休み中に組んで設定しようと思っていたんだ。すでにネットで注文してある物も有るしね。その後で良かったら周辺機器ごと豪に全部あげるよ」
「それじゃいくら何でも申し訳無さ過ぎる。せめて買い取りさせてくれないか?」
 真剣に訴える豪に和紀が思わず吹き出す。
「あのね、豪。PCの世界は半年経ったら中古はタダ同然の世界なんだよ。世代交代がとても早いんだ。そうだね、場所取りだから17インチモニターは売って豪にはスピーカー付きの15インチ液晶を買った方が良いかも」
 うーんとしばらく考えて豪は「じゃあ」と顔を上げた。
「明日は一緒に買い物に行って、このモニターを俺が店まで運ぶ。それと、買った物を俺が全部運ぶって事でどうだ? 労働力で少しでも返せるなら、俺もあまり罪悪感を感じなくて済むんだが」
「……」
 あくまで真面目な顔で訴える豪に和紀は絶句する。
(今時液晶じゃないモニターはネットで引き取って貰おう思ってたし、買った部品や器機も大きくて重い物は宅配で送ろうと思ってたんだけど……)
(とても手で持って帰れる様な半端な量じゃ無いって知らないから言ってるんだろうけど、豪の真剣な目を見てたら凄く言いづらいね)
 和紀は大きな図体で子犬の様な目を向ける豪から、どうしても視線を外す事ができず、結局折れて頷いた。
「かなりの量だし凄く重いけどそれでも良い? それに、明日は朝ご飯を食べたらすぐに出掛けるし、帰りも遅くなるけど豪は困らない?」
「ああ。どうせ時間も力も持て余しているから俺は大丈夫だ」
「じゃあ決まり。モニターは今夜中に箱詰めしておくよ」
「分かった」
 笑顔で部屋を出て行く豪に手を振り替えすと、和紀はがっくりと肩を落とした。
「どうしても豪のあの目にだけは逆らえない。明日になったら智達から思い切り恨まれるだろうな」
 愛と智が生が居ないのを良い事に、もっと豪と親しくなろうとしているのを和紀は判っていた。
 無用なトラブル回避に自分だけでもいつもどおりに豪に接していこうと思っていた矢先に、その豪本人から懐かれて和紀は少々痛む頭を押さえた。

 その頃、夕食を大量の野草で済ませて満腹になった生は、狸の巣にやっかいになり、群と一緒にざこ寝をしていた。
「兄ちゃん。大丈夫かな? 俺にするみたいな調子で皆に接してたら、マジでヤバイんだけど」
 ぼそりと漏らす生に子狸が枕元で首を傾げる。
「ああ、兄ちゃんっていうのは俺と血の繋がった兄弟の事なんだ。兄ちゃんはね、凄く優しくて、純情で、温かくて、俺の1番大好きで大事な人なんだ。疑うって事を知らないんじゃないかって思うくらい素直で、皆にも好かれてて、その上自覚が無いから本当に無防備で……」
 そこまで言うと生はだんだん腹が立ってきて起き上がって叫んだ。
「千寿姉ちゃんも含めて言うけど、俺が居ない間に兄ちゃんに手を出したら絶対許さないんだからな!」

 仕事中に森の気を通して生の叫びが聞こえた千寿子は、ゴキッと音を立てて机に顔面をぶつけた。
 ぶるぶる肩を震わせながらボソリと呟く。
「本当に重傷のブラコン。こんな事で本当に更正できるのかしら? 護人様達は大丈夫だと言われていたけど、生の豪に対する執着は半端ないわ」
 天野家まで生の声が届かない事がせめてもの幸いと、千寿子はしくしく痛む胃を押さえた。

「うーっ。あっ、あっ、あっ。あぁんあん!」
 突然ベッドから激しい泣き声が聞こえて、恵が台所から慌てて幼い生を抱き上げる。
「どうしたの? 生」
 恵は熱やオムツの状態を調べて、生が何か精神的に癇癪を起こしているという事に気付いた。
「生?」
「にーに! にーに!」
 腕の中で暴れる生を何とか宥めようとするが、生は一向に泣きやまない。
「もしかしたら豪の身に何か?」
 生は「にーに」という言葉を1番初めに覚えた。生が生まれてから豪は友達と外で遊ぶ時以外は、ずっと生の側にいて一緒に遊んでいた。
 その為か生にとって「まま」や「ぱぱ」より「にーに」の方が覚えやすい言葉だったのである。
 玄関のブザーが押されたので、泣きじゃくる生を抱えたまま恵がドアを開ける。
 そこには真っ赤な顔で荒い息をする半べその子供達が居た。
「こう君、のり君、どうしたの?」
「天野のおばちゃん、大変だ。豪君が怪我して動かなくなっちゃった」
「えっ?」
「早く来て!」
 バッグを持ち玄関の鍵を掛けると、駆け出す子供達を恵は生を抱えたまま追い掛けた。
 どこからか救急車のサイレンが聞こえてくる。
 恵がマンション横の公園に出ると、管理人の男が声を掛けてきた。
「天野さん! 済まない。呼びに行くのが一足遅かった。さっき、豪君は救急車で運ばれていった」
「何が有ったんです?」
「ほれ、あれ」
 管理人が指差す方向には、桜の老木とその側に3メートルは有る折れた枝が転がっていた。
 その場所を遠巻きにして近所の2、30人程の大人や子供達が立っている。
「わしも遠目でしか見ていなかったんだが、子供達数人があの桜の枝に登って遊んでいてな。豪君が古い木だから危ないと止めて何人かは降りたんだ。だが、洋太君だけが枝の上で飛び跳ね続けていた。それで、ポッキリ枝が折れてしまったんだよ。豪君は洋太君を庇って下敷きになったんだ。わしも含めて周囲に居た大人が慌てて枝をどかしたんだが、豪君は頭から血を流して、腕も変な方向に曲がっておった」
 恵は目眩がするのを堪えてなんとか言葉を絞り出した。
「それで豪は?」
「すぐに救急車を呼んだ。救急救命士の話だと腕の骨折と、頭の方は検査をしてみないと判らないという事だ」
「管理人さん。病院から電話」
 エントランスから中年女性の呼ぶ声がして、「すぐ行く」と管理人は返事をした。
「どこの病院に運ばれたのか判り次第連絡を貰う事になっとる。すぐにタクシーを呼ぶから天野さんは病院へ行きなさい。旦那さんにもわしから電話で知らせておくから」
「ありがとうございます」
 管理人と恵は急いで管理人室に向かった。
 タクシーを待つ間に、洋太とその母親がやって来て恵に頭を下げた。
「この度は本当に申し訳ありません。うちの洋太がおたくの豪君に酷い怪我をさせてしまって。ほら、あんたも謝りなさい」
 全身に擦り傷と、それ以上に友達に怪我をさせた事で心に傷を負った洋太が、「おばちゃん。ごめんなさい」と泣きながら謝った。
 恵は頭を振って洋太の頭を優しく撫でる。
「洋太君の怪我が大した事無くて本当に良かったわ。大丈夫。豪はとても丈夫だから心配しないで」
「でも……」
 泣きながら洋太がもっと詫びの言葉を言おうとした時に、タクシーが到着した。
「豪は大丈夫。おばちゃんが今から病院に行って、洋太君は無事だって豪に言っておくわね。きっと安心するだろうから。奥さん、あまり叱らないであげてください。洋太君も怪我をしています。早く治療してあげてください」
 そう言うと恵はすぐにタクシーに乗り込んだ。

 恵が生を抱いて待合室のソファーに腰掛けていると、会社を早退した正規が走って来た。
「恵、豪は?」
 ぐずり続ける生を見つめながら、正規は恵の横に腰掛ける。
「腕は単純骨折で1ヶ月もすれば完治するそうよ。頭の傷は血を流した分は大丈夫だろうって。でも、かなり強く打ったみたいだから、脳の検査をしないと何とも言い切れないって」
 涙ぐむ恵の肩を正規は抱いた。
 治療が終わり、正規達は医師に呼ばれて診察室に行った。
「本当に運の良い子です。数日は検査も含めて入院が必要ですが、脳も神経も傷付いていません。聞けば、友達を庇って下敷きになったとか。勇敢な息子さんですね。後1時間もすれば麻酔が切れて目を覚まします。親御さんの顔を見せて安心させてあげてください」
「はい。ありがとうございました」
 正規と恵は医師に頭を下げて豪の病室に向かった。
 看護師に案内されて眠る豪の傍らに佇む。
「にーに、にーに!」
 1歳になって間もない生が、自由にならない両手を必死で伸ばして、恵の腕から豪の側に行こうとする。
「生。駄目よ」
 恵が生を抱え直そうとしたが、生は恵の腹を強く蹴って豪の上に飛び乗った。
「にーに!」
 生の両手が頬に触れると、豪がうっすらと目を開ける。
「にーに」
「生、兄ちゃんは大丈夫だ」
 自分の腹の上で涙を流しながら笑顔を見せる生の頭を自由な方の手で撫でると、豪は正規達に視線を移した。
「父ちゃん。母ちゃん。俺、ちゃんと約束守ったよ。……使わなかったよ。……洋君は大丈夫だよな?」
 それだけ言うと豪は再び目を閉じた。
 恵は感極まって涙を流し、正規は「本当に良くやった」と豪の頭をそっと撫でた。
 安らかな豪の寝顔を見て笑う生に気付いた恵は、はっと我に返る。
「あなた。すぐに豪を退院させなければいけないわ」
「何を言ってるんだ? 頭を強く打っているんだ。まだ動かせないだろう」
 正規が椅子から立ち上がると、恵が入れ替わるように豪の側に立つ。
「豪はすでに完治しちゃってるの。入院させておいたら医師にすぐにばれてしまうわ」
「あっ!」
 2人はしばらく無言で立ち竦んだ。
「生、やってくれたな」
 余程安心したのか、超能力を使って疲れたのか、生も豪の腹の上ですやすやと眠っていた。
 正規と恵は、恵1人で幼い生と豪の両方の面倒を見る事は不可能だと、半ば強引に医師を言いくるめ、何とか通院のみという形にして豪を連れ帰った。
 眠る息子達を横目に正規と恵は一気に心労と疲れが全身に回り、同事に脱力したのだった。

 夜明け前の薄明かりの中、生はうっすらと目を覚ました。
(……夢? ううん、あれは小さな頃の俺の記憶だ。全部忘れていたけど森が見せてくれたのかな。兄ちゃん、大好きだよ)
 少しだけ身動ぎをして生は再び目を閉じた。

 翌朝、モニター入り段ボールを背負った豪と軽装の和紀は、皆に予定を告げて電気街に出掛けた。
 出掛けの際の愛と智からの突き刺さるような痛い視線に、和紀はやっぱりと肩を落とす。
「和紀、どうかしたのか?」
 はっと気付いて、和紀は心配そうに自分の顔を覗き込む豪に視線を向ける。
「うん。そのモニターは凄く重いから豪の腰や肩を痛めるんじゃないかって心配になったんだよ」
「ああ、俺の方はこっそり裏技(超能力)を使ってるから大丈夫だ。気を付けているが落としたりして壊したら元も子も無いだろう」
 笑って答える豪に「そうだね」と和紀も笑みを返した。
 電車に乗って電器街に行くと、2人は真っ直ぐ中古買い取りショップに行った。状態も性能も良いモニターだが年代なりの価格しか付かず、和紀は納得し、豪は少しだけ落胆した。
 その足でATMに行って和紀が現金を下ろすと、豪は和紀に言われるまま電器街を一緒に回り始めた。
 和紀は狭い店一杯に山積みになった箱を手に取ったり、ガラスケースを覗き込み、時々ポケットから携帯を出して確認をしたり、店から出てメモを取ったりしていた。
 何が起こっているのか判らない豪は、和紀が人混みの中を目まぐるしく歩き回るのでそれに付いて行くだけで必死だった。
 14、5軒を歩き回って和紀は納得したように頷くと、携帯を閉じて豪を振り返る。
「ごめんね。豪がこういう場所に慣れてない事を忘れてたよ。お昼もかなり過ぎているし食事がてら休む?」
「そうしてくれると助かる」
 体力では和紀のそれをはるかに上回っているはずの豪も、初めての場所と人混みにさすがに疲れたという顔を見せた。
「じゃあ、ゆっくり休める所にしようか」
 そう言って和紀が豪を連れてきたのは、ケーキとデザートがメインのガラス張りの洒落たデザインの店だった。
 当然、中は女性グループかカップルが多い為、豪は店先で立ち止まる。店内の隅の方に若い男連れも居るには居たが、かなり浮いている。
「本当にここに入るのか?」
「うん。疲れた時は甘い物を摂った方が回復が早いからね」
 恥ずかしいから嫌だと、豪は声を上げそうになったが、話している間に店員の視線が自分達に向けられている事を感じ、和紀に腕を引かれて店に入った。
 オーダーは和紀に全部任せて、豪はなるべく外から自分の姿が見えないように、しかし、充分目立つので無駄な努力でしか無いのだが、無理矢理ガラスに背を向ける。
 定員に注文を言うと、和紀はポケットから携帯を出してテーブルの上に置いたので、豪もそれを覗き込む。
「ずっと気になっていたんだが、それで何をしていたんだ?」
「うん。買い物リストは予め雑誌やネットで調べて作っておいたんだけど、同じ物でも店によって価格差が有るんだ。急な特売も有るしね。それで、どこが1番安く売ってるのか調べていたんだよ。欲しい部品が無かった場合は相性とかもね。豪のモニターもチェック済みだから、一休みしたら一気に買いに回るよ」
 にこにこと笑う和紀にバーゲンに走る主婦めいたものを豪は感じたが、物が物だけにそういうものかもしれないと思う事にした。
 和紀が注文したのはホットドッグとドリンクとケーキバイキングだった。
「どれになさいますか?」
 営業スマイルの店員がワゴンに乗せて持ってきた大量のケーキを見て、豪の顔は引きつった。
 和紀は待ってましたとばかりにケーキを指差していく。
「僕はこれとこれとこれとこれとこれを2個ずつ。豪はどれにする? ここのはどれも美味しいけどチョコレート系が特にお勧めだよ」
(俺に聞くな! と言うか、それを1人で全部食べる気か!?)
 そう豪は言いたかったが、甘い物好きの和紀にオーダーを任せたのは自分の責任で、和紀が注文した10個のケーキを見て、食べる前から胸焼けを感じながら、3種類の小さめのケーキを頼んだ。
 店員は何を勘違いしたのか、豪の皿にも3種類のケーキを2個ずつ乗せて足早に去って行く。
「……」
 諦めて泣きそうな顔でケーキを突つく豪の姿を見て、和紀は微笑する。
(ちょっと虐め過ぎたかな。でも、こういう時の豪は凄く可愛くて見てて飽きないから良いね。どうせ帰ったら智達に嫌みを一杯言われるんだから、その分楽しまなくっちゃ)
 豪が必死でブラックコーヒーでケーキを流し込む傍らで、和紀は平然とケーキを腹に収めていった。

 充分に足を休めると2人は店を出て、和紀の先導で店を廻る。完全に記憶しているのか、和紀は迷う事無く歩いて行く。
 次々と店を変えながら部品を買っているが、かさは有っても軽い物や小さな部品から選んでいた。
 多少の遠回りより、負担を掛けたく無いという和紀の無言の気配りに気付いて、豪の口元に笑みが浮かぶ。
 最後に液晶モニターを2台買うと、和紀は両手と背に荷物を一杯抱えた豪に、歩道で少し待つように言うと本屋に入って行った。
 10分程して和紀は袋を持って店から出てきた。
「これは僕が持つよ。買い物はこれで全部だから帰ろうか」
 他の乗客の邪魔になるからと、電車の隅に立った豪は和紀に色々質問をしていた。
「普段からああいう所に出入りしているのか?」
「時々ね。パソコン関係以外の部品を買う事も多いし、ネットで買った方が安い事も多いけど、現物を見て決めたい時は来てるよ。近所のショップで済むものならそこで済ませる事の方が多いかな。でも、今回みたいに完全に新しくしたい時は、自分の足で捜すのが1番良いんだよ」
「……」
 話の半分も理解ができずに困った顔をする豪に、和紀は笑い掛ける。
「豪は全くの初心者なんだから解らないのが普通だよ。これから勉強すれば良いんだから安心して」
「ああ。暇な時にでも教えてくれないか?」
「喜んで」

 2人が家に帰った時には日没をとっくに過ぎていたので、智と愛からいきなり「遅い!」と言われた。
 豪が持っている荷物を玄関先で強引に受け取ると、ぶつぶつと文句を言いながら手分けして和紀の部屋に運び始めた。
 残された豪が自分のモニターを部屋の隅に置くと、和紀がドアから顔を覗かせる。
「豪、先にこれをあげるよ」
 それは和紀が最後に本屋で買った袋だった。
「初心者用のパソコンのソフトとOSの入門書だよ。まだ本体はあげられないけど先に読んでおいた方が良いと思って」
「ありがとう」
 細かい所まで気が付く和紀に、豪は笑みを返した。
「お礼を言うのは僕の方だよ。豪のおかげで予定より早く今夜から組み付けができるからね」
 2人が廊下で本を開いて話していると、台所から恵が「晩ご飯よ」と声を掛けた。



<<もどる||side-B TOP||つづき>>