side−B −大地の御子1− 豪 高校2年3月後半〜 本邸の自分の執務室で、千寿子は手渡された報告書を何度も読み返した。 両肘を机に付き、何度目か溜息を吐いて、組んだ両手に額を預けて顔を覆う。 報告書を持ってきた女性は千寿子の正面の椅子に座り、身動ぎもせず黙ってその様子を見つめている。 何度か深呼吸をして、漸く千寿子は顔を上げた。 「おば様。……いいえ、天野恵主任。この報告書に間違いは有りませんね?」 「はい。この1年観察してきた結果、そう判断いたしました」 不安げな千寿子に対して恵は冷静な声で答える。 「あなたの観察力は高く評価しています。これが事実なら、わたしも放置できません」 これ以上問題を先送りには出来ないと、千寿子は真剣な顔で再び報告書に視線を落とした。 極秘の判が捺された数枚の書類の表題には、『天野生に関する報告書』と書かれている。 天野生はいたって健康体である。 食欲旺盛で精神的にも充実している。 但し、それは表面上の事だけだと考えられる。 以下、昨年3月から本年3月に掛けて天野生に関する特記事項。 身長が全く伸びていない。 体重の変動が無い。 ゴミ箱の中に切った爪が入っている形跡が無い。 髪が伸びない為、1度も散髪をしていない。 以上の点から、天野生の成長はこの1年間、完全に止まっていると判断する。 考えられる一番の原因:常に兄の豪を保護している為、自己の成長分のエネルギーを、全て超能力に使っている。 後の数枚は身体データーと毎日の摂取カロリーを、グラフと表に纏めた観察結果だった。 身長、体重は兄の豪に比べて二次成長期が遅いとしても、爪も髪も全然伸びていないのは異常としか言えない。 千寿子は恵に視線を向けると、言葉を探すようにゆっくりと聞いた。 「愛が原因とは考えられませんか? 生の成長が止まったのは、愛が天野家に養子に行ってからです。愛への精神フォローが、無意識下でストレスになっているのではないのでしょうか?」 恵は千寿子の視線を受け止め、小さく頭を振った。 「わたしが見た限り、愛へのバックアップは、生にとって呼吸をするくらい自然で簡単な事だと思います。生の超能力の発動が強くなったのは引っ越しをする少し前。丁度、豪の天ノ宮家への出入りが頻繁になった頃です」 恵の鋭い指摘に、千寿子の顔が僅かに歪む。 「それはわたしや天ノ宮家が、生に警戒されているという事ですか?」 どんどん堅くなっていく千寿子の声に、恵は軽く微笑んで気さくに答えた。 「と、言うよりね。千寿子ちゃん、どうも生は新しく増えた同居人全員を、ライバルだと思っているようなのよ」 「はいぃ?」 突然、思いがけない事を言われて千寿子の声が裏返る。 「去年皆に会った時に、生は豪が自分だけの兄では無くなってしまうのではないかと不安を感じたみたいなの。あ、千寿子ちゃんは別よ。超奥手で鈍くさいの豪に、自分の目がねに適った良いガールフレンドができたと素直に喜んでいるから」 「はあ」 何と答えて良いか判らず、ただただ千寿子は恵の言葉に頷く。 はたと気が付いて、千寿子が大声を上げる。 「ちょと待ってください。まさかとは思いますが、生は自分から他の3人に豪の関心が行く事に、ずっとやきもちをやき続けているという事なんですか?」 「簡単に言うとそうなるわね」 恵にあっさり認められ、千寿子は勢いよく頭を机にぶつけた。 「言って無かったかしら。豪より生の方が重度のブラコンなのよ。生まれた時からずっと側にいて、自分を1番大切にして愛してくれているのが豪だからかしらね。わたし達両親はその次よ」 言われてみると思い当たる節が有り過ぎて、思わず千寿子は頭を抱えた。 あの素直で真っ直ぐな気性の豪が、生まれてからずっと生1人だけを見つめて愛情を注ぎ続けていたのだ。生が豪に執着する気持ちは痛い程解る。 豪は根っから長男気質で、親しい年下には誰に対しても実の兄のように振る舞う。同居までしているのだから、豪の愛情が他の3人にも注がれるのは簡単に想像出来る。 甘えっ子の生にしてみれば、日頃は仲の良い愛も智も和紀も、邪魔な存在でしか無いのだ。 他の3人も特別何も言わないが、生に対するものとは別の特別な愛情を、豪に対して抱いている事に千寿子も気付いていた。 精神的にはいつも生と共に居る愛ですら豪には凄く甘い。 救いなのは誰1人として同性愛の資質を持たない事である。 くらくらと目眩を起こし掛けた頭を両手で支えると、千寿子は真剣に恵に問い掛けた。 「生の事はおば様が1番知っていますよね。どうすれば良いと思います?」 問われた恵は頬に手を当ててしばらく考えると、1つの答えを導き出した。 「当分の間、生を豪から引き離した方が良いかしらね。学校行事以外でこれまで1日以上離れた事が無かったから」 恵の考えに千寿子も頷いて思案を巡らす。 「そうですね。心情的な事はともかく、生は超能力の正しい制御方法を完全にマスターしていません。身内に良い師匠が居ますから、1度生を天ノ宮家に預けていただけませんか? そちらが天の宮家に良い印象を持っていない事は承知しています。生が超能力の使い方を誤らなくなれば、わたしが責任を持って生を天野家にお返しします」 千寿子の提案に恵も苦笑しながら「それが1番早い解決方法だと思うわ」と答えた。 その週の土曜日、他のメンバーは絶対来ないよう厳重注意の上で、生1人が千寿子に呼び出された。 その上、千寿子は生が天野家に戻るまで、和紀に遠視を、愛にテレパシーの使用を禁じた。 本邸の応接間に通された生は、大好きなケーキと紅茶を目の前にしても一切手を付けず、淡々と痛いところを突いてくる千寿子を、恨みがましい目で睨んでいた。 「1番大好きで大事な兄ちゃんを守りたいって思う事がそんなに悪い事か?」 漸く口を開いた生の言葉に、千寿子は恵の報告書がいかに正確か再認識して苦笑する。 「いいえ。兄弟仲が良くて悪いはずが無いでしょう。豪も重度のブラコンだけど、あなたの場合はちょっと過激過ぎるだけよ」 「兄ちゃんは昔っから鈍感で、自分が周囲からどれだけ想われてるかなんて全然気付いてないんだ。それに、馬鹿が付くくらい正直でお人好しだから、どんどん危ない事に足を突っ込むんだ。でも、俺はそんな兄ちゃんが大好きだから、俺が兄ちゃんを守るんだ」 両手を握りしめて真剣な顔で訴える生に、千寿子は「そうね」と同意する。 「豪は見張って無いと自ら進んで危険な落とし穴に足を突っ込むタイプよね。だから、わたしも同じ高校に入れるまで、あなた達兄弟に仕事の話をしなかったの。生の気持ちはとても良く解るわ」 「だったらどうして俺が兄ちゃんと離ればなれにならなきゃいけないんだよ? 俺、絶対嫌だからな!」 大きな音を立ててソファーから立ち上がると、生は千寿子を睨み付けた。 視線で人を傷付けられるものなら、千寿子はこの瞬間にも全身に傷を負っていただろうと思うほど強い意志を持った瞳だ。 千寿子は生の視線を正面から受け止め冷静に見返す。 「あなたの今の状態を知れば、1番傷付いて悲しんで苦しむのは豪なのよ。それはあなたにも判るでしょう?」 「……!」 あまりの図星に絶句した生は、顔を怒りで真っ赤に染めた。だが、すぐに諦めて全身の力を抜くとソファーに腰掛けた。 「いつから来ればいい?」 「春休みに入り次第ね」 千寿子は垂れる生に心から同情しつつ、できるだけ静かに告げた。 生が暗い気持ちで天野家に戻ると、豪が玄関まで出迎えた。 「お帰り。千寿子に何か無茶を言われたのか? 顔色が悪いぞ」 心配そうに自分の顔を覗き込む豪の顔を見て、生は思わず泣きそうになったが、不安を豪には知られたくないと黙ってしがみついた。 一方、豪は生のらしくない行動に困惑しつつ強く抱き返す。 「生?」 生は豪の腕の中で俯いたままぼそりと愚痴を漏らす。 「千寿姉ちゃんから春休みにすっごく大きな宿題出された」 「宿題? 仕事絡みか?」 「うん。俺、兄ちゃん達に比べて超能力の制御が下手だから、1人で強化合宿だって言われたんだ」 日頃から厳しい訓練を受けている豪や、すでに超能力を使いこなしている他のメンバーとは違い、治癒能力者の生は実践でしか超能力を使えない。 豪は膝を付いて生の顔を正面から覗き込んだ。 「何の手助けにもならないだろうが、俺が一緒に合宿に参加する。千寿子には俺から言っておくから」 豪の気持ちは嬉しいが、生は何度も頭を振る。 豪にだけは真実を知られたくないという切実な気持ちが、生の口から嘘を紡ぎ出す。 「精神修行は誰かと一緒だと甘えが出て駄目だって。だから俺、春休みになったら1人で行く」 漸く顔を上げて何とか笑顔を作って見せる生の健気さに、豪は強く胸が痛んだが「そうか」とだけ答えた。 その様子を廊下から窺っていた愛達3人は、お互い顔を見合わせるて頷くと小さく溜息を吐いた。何故生が今になって1人だけ呼び出しを受けたのか、千寿子が自分達の超能力を封じた事から薄々感じ取っていたのだ。 生は春休み初日に着替えを入れたリュックを背負って本邸を訪れた。ラフな服装で待っていた千寿子は、「付いてきて」とだけ言って、北の森の中に足を進めた。 視界一杯に広がる広葉樹の森に、生は少しだけ首を傾げる。 「ここって前にも来た様な気がする」 「前にここを通った時は夜だったからあまり覚えていないかもね。年末に来たでしょう」 「あ、あの時」 千寿子に置いて行かれないよう気を付けながら生は周囲を見渡す。 振り返るとさほど歩いてもいないのに、巨大な本邸の姿は見えず、この森がいかに深いかを証明していた。 「あなたの超能力はとてもまれで貴重なものなの。わたしではあなたを導けないわ。だから、護人様方にあなたを預ける事にしたの。ほら、あの庵に護人様方が暮らしてみえるの」 千寿子が生を振り返って、木々の間にかすかに見える小さな小屋を指差した。 「護人様って誰?」 生の素朴な疑問に、千寿子は自分の言葉足らずを気付いて話し続ける。 「年末の神事を見たあなたにはもう理解できるでしょう? 護人様はこの広大な森の真の守護者。そして、わたしと愛の祖父母に当たるわ」 「あの仙人みたいな人達が、千寿姉ちゃんのおじいさんとおばあさん?」 生は篝火に照らされ洞穴から姿を現した穏やかな顔をした老夫婦を思い起こした。 生の素直な感想に千寿子も笑みを浮かべる。 「そうね。人里を離れて森の奥深くで静かに暮らす護人様方は、人より仙に近いかもね」 「血の繋がった自分の家族なのに役職名で呼ぶんだ」 「言われてみれば少し変わってるわね。でも、守護者であらせられる護人様方をそうお呼びするのは数百年も続いた天ノ宮家の伝統なの」 「ふーん」 生が理解はできないけどそういうものなんだと思っていると、到着する前に老夫婦が庵から出て2人を出迎えた。 「これは『大地の御子』様、お待ちしておりました」 「え?」 年輩の老人2人から丁寧な礼を取られ、困惑する生の肩に千寿子が手を乗せた。 「護人様方、『御子』をお預けいたします。後は宜しくお願いいたします」 「『巫女』も苦労が絶えんな。若い内はそれも修行と思いなさい」 「はい。ありがとうございます」 「え、え、え? 千寿姉ちゃん」 更に困惑を深める生の背を押して護人の手に預けると、千寿子は深々と一礼をして踵を返した。 「千寿姉ちゃん?」 千寿子の後を追おうとした生の肩を、背後から力強い手が伸びて阻む。 振り返ると老人が戻っては駄目だと頭を振っていた。 老婆が笑みを浮かべて不安げな生を庵へと招き入れる。 「生様とお呼びした方が良かったでしょうか。とても良いお名前ですね。ですが、あなた様ご自身に『大地の御子』だという自覚を早く持って頂きたいのです」 生は色々聞きたい事は有ったが、態度こそ丁寧だが有無を言わせぬ迫力に、黙って老夫婦に従った。 早朝、生を送り出した後はリビングでぼーっと何時間も外を眺めている豪を、背後から智達は様子を窺っていた。 「あれは完全に馬鹿になってるな」 「智、馬鹿って言い方は無いんじゃない。せめてボケたくらいにしてあげて」 「和紀こそフォローになってないよ。豪はいつも生と一緒に居るのが当たり前だったから、ちょっとだけ戸惑っているだけだよ」 愛の指摘に智が素早く思考を巡らせると頷いた。 「愛、お前ちょっと豪のところに行って来い。テレパスのお前なら豪のフォローは楽にできるだろう」 「えっ。僕が?」 驚いて声を上げる愛の口を慌てて和紀が塞ぐ。 「声が大きいよ。智の言うとおり、悔しいけど僕達の中では愛が1番適任だと思う」 強引に2人から背を押されて、愛がリビングに入るとそっと豪の横に座った。 「生が居ないと寂しい?」 すぐ側から声をかけられて、漸く自分の隣に愛が居る事に気付いた豪が視線を向ける。 「寂しいって言うより、違和感かな。背中とか腰の辺りがスカスカする」 何かと言うと豪に張り付く生の姿を思い出して愛は微笑する。 愛の顔を見ながら豪が「あっ」と手を打った。 「そういえば愛も当分キツイんじゃないか? 生のフォロー無しだと能力制御が不安定になるんだろう」 「うん。でも、僕も姉さんに「良い機会だから修行し直ししなさい」って言われてるんだ。たしかにこの1年間、生に頼り過ぎていたかもしれない」 「そうか。相変わらず千寿子は厳しいな。あいつがそう言うならそれなりの理由が有るんだろうが、こっちが自発的に気付くまで説明すらしてくれないからな」 いつも生にするように、豪の手が自然に愛の頭に伸びてくしゃりと撫でる。 「本当に辛くなったら、黙って我慢せずに言えよ。俺じゃとても生の代わりはできないが、愚痴聞きくらいならするから」 真摯な笑顔を向けられて、、愛は豪は素直過ぎると赤面する。 自分の頭に優しく乗せられた豪の手を感じて「あれっ?」と小さく声を上げる。 「何だ?」 「やっぱり兄弟だからかな。豪の気配って生に似てる」 「そうなのか?」 「うん」 愛は不思議そうに自分を見つめる豪をぎゅっと抱きしめた。 「うわっ。愛?」 突然の事に狼狽して逃げようとする豪の身体を離すまいと更に腕に力を込める。 「うん。こうして触れているとよく判る。やっぱり凄く似てるよ」 (本当はもっと別の意味でも安心するけど、それは豪には言っちゃ駄目だよね) 愛が豪の肩に頭を寄せてほっと息を吐くのを見て、豪はポリポリと頭を掻いて小さな溜息を漏らした。 「そういう事なら仕方ないか。生が居ない間は辛くなったら引っ付いてきても良いぞ」 「本当?」 ぱっと顔上げてを瞳を輝かす愛に豪は苦笑する。 「但し、朝起きたら愛が横に寝てたっていうのだけは勘弁だぞ。あれは心臓に悪過ぎる」 1年前の失態を思い出して愛もつられて吹き出した。 「うん。気を付ける」 「ああいうのって有り!? いつも生の側に居るくせに、生が居なくなったら今度は豪?」 事の一部始終を見ていた和紀が、2階の智の部屋で思いっきり文句を言う。 「和紀が愛が1番適任だって言ったんだろう。俺だってかなりムカついてるんだから俺に八つ当たりするな」 はっと気付いて智は口を押さえたが、1度口に出したのは戻せない。ばつが悪そうに和紀の顔を見る。 「さと君。まだ豪の事、諦めて無かったんだ?」 真面目に問い掛ける和紀に、赤面した智が言い返す。 「この歳で幼名で呼ぶな。諦めるも何も初めから豪と俺は只の親戚で、職場の同僚で、同居人だろう」 「それはそうなんだけどね。ちーちゃんより先に豪を見つけたのはさと君だったって聞いてるから」 和紀の「これ以上は言わないけど」という言葉を含んだ眼差しを受けて、智は顔を逸らした。 「あれは単に俺の方が超能力の発動が早かっただけだ」 親戚で幼なじみでもある智の強情さは長年の付き合いでよく知っていたので、和紀は肩を軽く竦めて智の部屋を出ると自分の部屋に戻った。 椅子に腰掛けて和紀は軽く肩を竦めた。 (口や態度に一切出さない分、智が1番重傷だと思うけどね。でも、豪に惹かれる気持ちは痛いほど解るから今は黙っておくよ) (僕も豪に『魅了』され続けている1人だから) そんな事をつらつらと考えていると、部屋のドアを誰かがノックした。 |