side−B −司の巫女 1− 豪 高校2年12月後半〜


 12月も後半になり、間もなく冬休みに入る。
 期末試験が無事に終わると、教室で一部の女子生徒が編み物に取り組んでいた。
 色彩と何かを期待した嬉しそうな顔から、男子へのプレゼントだろうと豪は思った。
「何だ。天野、ああいうのに憧れてるのか? お前なら今まで沢山貰っただろ」
 豪の視線に気付いた梨本が鋭いツッコミを入れてくる。
「いや、俺はああいう事に全く縁が無いんだ」
 恥ずかしそうに小声で答える豪に、梨本は呆れたような顔になる。
「嘘だろ。人気者の天野に縁が無いって言ったら俺なんかどうするんだよ」
 そこまで言って「ああ」と梨本は含み笑いをする。
「そうだったな。天野には天ノ宮さんが居たっけ。そりゃ、他の女子から受け取る訳にはいかないよな」
 茶化された豪は一気に真っ赤な顔になって梨本に耳打ちした。
「それは誤解だって言っただろう。俺と千寿子はそういう関係じゃ無いんだ」
「でも、仕事関係で一緒にいる事が多いんだろ。クリスマスも何か有るんじゃないのか?」
 にやにやと笑う梨本の言葉に、豪ははっとして唸った。
「今までバイト経験が無かったが、そういう事も有るかもしれないんだな。クリスマスでなくても忘年会とか有るかもしれない」
 自分が千寿子の下で仕事をしているという事をうっかり失念していた豪は、腕を組んで真面目に考え込みだした。
「上司にお歳暮とか送った方が良いんだろうか? 会社関係の決まり事は全く知らないから一度親父に聞いてみるか」
 ぶつぶつと間抜けな独り言を言い出した豪に、梨本は噴き出して豪の肩を叩いた。
「バイトだろ? 普通はしないって。でも、天ノ宮さんも天野からクリスマスプレゼントを貰えたら絶対喜ぶと思うぜ」
「そうなのか?」
「うん。保証してやるよ」
「いまいちピンと来ない」と首を傾げる豪に、梨本は「そういうものなんだ」とだめ押しをした。

 日頃、豪は授業が終わると真っ直ぐに家に帰るのだが、この日は編入以来何かと世話を焼いてくれる梨本から言われた事が心に引っかかり、駅前の繁華街に足を伸ばした。
 クリスマス商戦まっただ中の街並みは、明るいイルミネーションに輝いており、眩しさで豪は目を細めた。
(去年までは母さんがケーキとご馳走を作ってくれて、親父がプレセントをくれて家族4人でパーティーをしていたが、今年は俺や生も仕事をしているから、さすがにプレゼントは貰え無いだろうな)
(愛はうちに養子に来たから良いとして、智達は冬休みに入ったらどうするつもりだろう? 夏休みは仕事が結構詰まってたから2人共家に帰らなかったな)
(あ、和紀は盆に2、3日は帰ってたか。智は……。そう言えば1度も帰って無い。智の実家も千寿子の家みたいに両親がほとんど家に居ないのかもしれない。親父さんが千寿子の父親のお兄さんだって母さんが言ってたし)
 豪が考え事をしながらぼんやりと歩いているので、足早に歩道を通る人達にどんどん追い越されていく。
 師走とはよく言ったものだなと豪は思った。
 駅前まで来たは良いが何を買えば良いのか全く見当が付かず、ゆっくりと歩道を歩いていた豪は品の良い店の前で立ち止まった。
 ショーウインドウに飾ってある商品に、自然と目が向かう。
 温かみのある優しい色をした真珠をちりばめた金とプラチナ細工の髪飾り。濃い茶色の千寿子の髪に映えてとても似合いそうだと豪は思った。
 値札を見てぎょっとしたが、幸いバイト代をほとんど使っていないので懐はかなり温かい。
 豪はしばらく髪飾りを見つめると、学生服ではかなり不釣り合いな店に入って行った。

「本当に買いに行ったのか?」
 翌日の昼休みに一緒に弁卓を囲みながら梨本が目を丸くする。
「ああ」
 素直に頷く豪の背中を、梨本は笑って力強く叩いた。
「こう言っちゃ悪いが、天野にそんな行動力が有ると思わなかったぜ」
「梨本が買った方が良いって言ったんだろう」
「それはそうだけど」
 顔もそれなりに整っており、長身で逞しく均整の取れた体格の豪は、その素直過ぎる表情と性格で「格好良い」というイメージを覆して、周囲から「親しみやすい」とか、こっそり「可愛い」と言われている。
 拗ねたという顔で弁当を食べる豪に、一緒に昼食を摂っているクラスメイト達は一様に肩を震わせた。
「という事はクリスマスの予定は決まったんだ」
 2人のやりとりを聞いていた吉村が豪に問い掛ける。
「……そう言えば、まだ聞いていない」
「天野ぉ。普通は順番が逆だろ」
「そうか?」
 相変わらずの天然ボケを発揮してずれた事を言う豪に、周囲は一斉に溜息を漏らす。
「今すぐ電話して予定を聞いておいた方が良いぞ。相手が天ノ宮さんじゃすぐに他の予定が入ると思う」
 梨本がきっぱり言い切ると、他のクラスメイト達も同時に頷いた。
「あ、ああ」
 豪は皆がそう言うのならと、ポケットから携帯を取り出して千寿子に電話を掛ける。

 その頃、千寿子は愛達と共に執務室で昼食を摂りながら、冬休みの課題に取り組んでいた。
 豪からの電話に何事かと手を止める。
「はい?」
『千寿子か? 俺だ。ちょっと聞きたい事が有るんだが、クリスマスに何か予定が入ってるか?』
「はいー?」
 あの豪が突然何を言い出すのかと、千寿子が目を丸くして問い返す。
『あー、えっ? 何だ?(ボソボソ)年末に忘年会を兼ねた企画が有るのかと思ったんだが』
 電話の向こう側からしきりに豪をせっつく複数の声が聞こえてくる。大方の事情を正確に察した千寿子の頬が引きつった。
「前回の仕事で今年は終わりだって言ったでしょう。クリスマス? 忘年会? わたしにそんな暇が有る訳無いでしょう。今だって忙しいんだから用がそれだけなら切るわよ!」
 そう言って千寿子は豪の返事も聞かずに電話を切った。
 その様子を見ていた3人が呆れたという表情を見せる。
「本音は嬉しいくせに素直じゃないな」
 いち早く課題に向き直った智がぼそりと呟く。
「クラスメイト達から言われたからって、あの豪が自分から千寿子さんを誘うなんて、真冬に台風が来るくらい珍しい事だと思うよ。ちょっと可哀想じゃない?」
 と、和紀が少しだけ非難めいた声で言う。
「僕も事情を正直に話してあげたら、豪だって分かってくれると思う」
 愛も上目遣いで千寿子を見る。
 暗に千寿子が悪いと言う3人に向き直った千寿子が声を荒げる。
「仕方無いでしょ。まだ豪達に話せないんだもの。一族でも親族以外には知られてはならないなんて掟が無ければわたしだって……」
「というのは表向きで、本音は自発的に誘わなかった豪に腹を立てていると」
 智の鋭い指摘に千寿子が一瞬絶句したが、ぐっと手を握って反論する。
「貴重な予知能力を無駄な事に使わないでよ」
 苦し紛れな言い訳に3人は肩を竦めるに留めた。

 一方的に電話を切られた豪はしばらく呆然としていた。
 横から携帯に耳を寄せていた梨本が、何とも言えない表情で慰めるように豪の肩を叩く。
「仕方無いって。相手は大企業の会長令嬢だから外せない別の用事が有るんだろう」
 何とか気を取り直した豪が携帯をポケットに入れる。
「そうだな。千寿子が他にも仕事を持っている事を忘れていた俺が悪い」
 心配そうに自分を見つめるクラスメイト達に、豪は何とか笑顔を作ってみせる。
「クリスマス当日に渡せなかったからって、プレゼントが無駄になる訳じゃ無いから」
 吉村がフォローを入れると、豪は今度は心から微笑んで頷いた。

 豪が帰宅して部屋に入ろうとすると、愛が「ちょっと良い?」と声を掛けた。
「詳しくはまだ君や生には話せない。だけど、姉さんの事を悪く思わないであげて」
 昼休みの事を言っているのだろうと、豪は愛の肩に手を置いた。
『お前がその気になれば俺の心を読むくらい簡単にできるだろう。俺は怒ってない。ただ、……ちょっとだけ寂しいと思っただけだ』
 軽く愛の肩を叩くと、豪は微笑んで自分の部屋に入って行き、愛は肩に残った豪の温もりに少しだけ胸が痛んだ。

(本当に豪は不器用で馬鹿正直だね。嘘が付けないテレパシーまで使わなくても良かったのに)
 愛が階段を下りると、待ちかまえるように和紀と智が立っていた。
「その時が来れば全て解る事だぞ」
「僕も豪達はちゃんと理解できると思うよ」
 愛は2人に「うん。余計な事だったみたいだ」と小さく笑みを返した。

 千寿子は自室でノートパソコンと資料を片手に冬休みの課題のレポートをまとめていた。
 ふいに手を止めてうなり声を上げると、レポート用紙をくしゃくしゃに丸めてゴミ箱に放った。
 何も知らない豪に酷い仕打ちをしてしまった事、毎年この時期になると緊張で荒れ気味になる自分を諫めようとしてくれた皆に、酷い八つ当たりをしてしまった事を深く後悔していた。
 天ノ宮の女として生まれた時から科せられた使命。
 今年は豪にもあの姿を見られるという事実が、更に千寿子の不安を煽っていた。自分の真の姿を知られたら、漸く打ち解け始めてきた豪との関係が、また冷え込むのではないかと。
 義務を疎かにする気は毛頭無い。何よりも大切な役目で誇らしくさえ思うと千寿子は考えている。
 しかし、一抹の不安から来る寂しさはどうしようも無かった。
「こんな事では駄目よ。役目を果たせない。わたし以外は誰もできない事なのに……」
 千寿子は両手で顔を覆ってじっと不安と戦い続けた。
「何はともあれ、今は課題を全て済まる事に集中しなくちゃね」
 仕事で冬休みに課題ができない千寿子達は、事前に学校側から課題を渡されていた。
 締め切りは終業式当日。他の事に気を取られている暇は無いないのだからと千寿子は両手で自分の頬を強く叩いた。

 終業式を終え、クラスメイト達と「また来年」と声を掛け合って豪は家路に付いた。
 珍しく家に居たのは生1人だけで、リビングでテレビを観ていた。
 帰宅を告げる声を聞いて、台所で豪を呼び止める。
「兄ちゃん、母ちゃんは明日からの準備で買い物に行くって。愛兄ちゃん達は今日は少し帰りが遅いって書いてあるよ」
 生が冷蔵庫に張ってある連絡メモを指差す。
「愛達が仕事以外で帰りが遅いとは珍しいな……あ、皆もか」
「どうしたの? 兄ちゃん」
 豪が考え込む様に口元に手を当てる。
「ああ、千寿子が冬休みは凄く忙しいって言っていたんだ。俺達と違って愛達は中学時代から千寿子のサポートをやっていた事を思い出した」
「あれ? 千寿姉ちゃんはともかく、愛兄ちゃん達は今は他の仕事はしていないって言ってたよ。二股が掛けられるほど甘い仕事じゃないからって」
 生が冷蔵庫から牛乳を出して2個のカップに注ぎ、電子レンジに入れる。
「そうなのか?」
「うん」
 生は温まったカップをレンジから出すと1つを豪に手渡して椅子に腰掛けた。豪も礼を言って生の隣に座る。
「今は言えない。……か」
 豪が愛に言われた事の深意を考えてボソリと漏らすとほぼ同事に、和紀達が「やっと終わった!」と満面の笑顔で帰ってきた。

「じゃあ、皆クリスマスはここで過ごすのか?」
 豪の問い掛けに和紀が答える。
「お母さんの作ったご馳走を僕達も食べたいからね。学校を出る前に電話しておいたんだ」
「それで母ちゃんは急いで買い出しに行ったんだ」
 生がそう言うと「それに」と愛が続けた。
「AMANOは国際企業だから一応会社としてクリスマスパーティーはやるけど、天ノ宮家ではやらないんだよ。親族もね。だから、僕達はクリスマスを祝うはこれが初めてなんだ」
「宗教上の理由か?」
 豪の素朴な疑問に智が曖昧に相づちをうつ。
「宗教とはちょっと違う。あれを見たら2人にも解る」
 素っ気ない智の返事に、今は何を聞いても答えては貰えないだろうと判断した豪は黙っていた。

 課題を全て提出し終えた千寿子は家で荷物をまとめていた。
「お嬢様、今日出発されるのですか?」
 執事の飛島の問い掛けに千寿子は小さく頷く。
「ええ。今年は特に念入りに準備したいの。本当に色々有ったから」
「たしかに今年は色々とございました」
 千寿子が生まれる以前から天ノ宮家に仕える飛島は、千寿子の表情に少しだけ例年には無い陰りと疲れを見取った。
 しかし、千寿子自身が何も言わないので沈黙を保つ。
 小さく纏めたバックを持つと、千寿子は飛島に頭を下げた。
「飛島さん。今年から人数が増えて更に忙くなると思うけど、後の事は宜しくお願いします」
「勿体無いお言葉です。こちらの準備はお任せください。お嬢様もどうぞお気を付けて」
「ええ、ありがとう」
 見送る使用人達に軽く手を振って、千寿子は歩いて家を出て行った。

 道無き夜の森を月明かりを頼りに千寿子は迷わず歩き続ける。
 小さな庵にたどり着くと、玄関の前には老夫婦が立って千寿子を待っていた。
「なるほど。いつもより3日も早く来たと思ったらそういう事か」
 老人から声を掛けられ、千寿子はバックを降ろすと2人の前に正座して頭を下げる。
「護人様方、申し訳ございません。このような有様ですので早急に参りました」
「解っているよ。森が騒がしい。中に入りなさい。まずは心身を温めてからだな」
「はい。ありがとうございます」
 更に一度深く頭を垂れて、千寿子は老夫婦に続いて庵に入った。

「お母さんって本当に何でも作れるんだね。店で買うより美味しいかも」
 和紀がケーキを頬張りながら言うと恵みが笑みを浮かべる。
「そう言って貰えると時々作ってみようかなんて思うわね」
「えっ、このフルーツジュースも市販品じゃ無いの?」
 愛がピッチャーを片手に生に向き直った。
「全部母ちゃんの手作りだよ。市販はシャンパンくらいかな」
「あ、これか。……ノンアルコールだな」
 生の言葉に智がコップに口を付けて顔をしかめる。
「母さんが俺達に酒を出す訳が無いだろう」
 ターキーにかぶりつきながら、豪が小声で智に「後で何とかしよう」と声を掛ける。
「聞こえたぞ。未成年」
 何度か豪達に酒を盗られている正規が智と豪の頭を軽く小突く。

 恵が2日間で腕によりをかけて作った料理がテーブル一杯に広げられている。置ききれない料理はワゴンに乗せてテーブルサイドに置かれていた。
「こんなにアットホームなクリスマスパーティーは初めてだ」と、笑顔で愛と智と和紀が口をそろえて言う。
 毎年恒例な豪と生は、視線を合わせて同時に頷いた。
「兄ちゃん達。これ、俺と兄ちゃんからクリスマスプレゼント」
 そう言って生が足元に置いていた白い布袋からおもちゃのお菓子入りブーツを取り出す。
「安物で悪い」
 1つずつ豪が3人に手渡すと、愛と智と和紀が目を輝かせてまるで宝物の様にブーツを抱えた。
「これ、子供の頃からずっと欲しかったんだ」と和紀。
「他の子達が持っているのがいつも羨ましかった」と愛。
「自分で買うのは悔しかったからな」と智。
 3人が豪と生に礼を言うと正規がコホンと咳払いをする。
「子供達の自主性は尊重するが、サンタの役はお父さんというのが基本だ」
 にやりと笑って正規が皆の顔を見渡す。
「全員、部屋に戻ったら枕元を見る様に」
「今年も貰えるのか?」
 今年からは無理だろうと諦めていた豪が声をあげると、正規から「当然だろう」という返事が返ってきた。
 皆が「おおーっ!」と歓びの声を上げると、恵がしっかり釘を刺す。
「今夜はいくらでも浮かて良いけど、明日は朝から全員で大掃除よ」
 その一言で喜んでいた全員が凍り付く。
「お母さーん」
 和紀が上目遣いで手を合わせるが恵は頓着しない。
「これも日本の大事な年末行事の1つよ。大体は済ませてあるから皆でやればすぐに終わるわ」
 5人は6月の筋肉痛を思い出してうんざりした顔になる。
「そういう顔をしないの」
 恵が棚に隠しておいたシフォンケーキを取り出して全員に切り分ける。
「楽しい催しの後には必ず後片付けをしなくてはならないわ。同じように辛い事の後には良い事も待っている。そういうものでしょう」
 優しく微笑む恵に全員がしみじみと頷いた。



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