side−B −一瞬 2− 豪 高校2年12月


 暗闇の中、高速道路を見下ろせる急な山の斜面を、2つの人影が移動していた。
「ここら辺で良いか?」
「うん。ここなら道路はよく見える。だけど、森の外からここは見えないから安心だね」
 ふり返って暗視ゴーグルを外す豪の背後に、やはり暗視ゴーグルを引き上げた和紀が足元を確認する。
 誰に聞かれる訳でも無いのに小声で話す2人の吐く息は真っ白だ。
 和紀は漆黒のジャケットのポケットから携帯を取り出し、ヘッドフォンマイクを取り付ける。
「千寿子さん、予定位置に到着したよ」
 事故発生後処理班の千寿子達は、人目に付かないように高速道路から100メートル程上の山道のワゴン車内に居る。
『OK。時間まで15分有るわ。集中力が落ちないように、充分身体を温めておいて』
「了解」
 オフボタンを押し、胸ポケットに携帯を納めると和紀は豪に苦笑してみせる。
「非常時以外はテレパシー厳禁って結構面倒臭いね」
「俺達は2人共テレパスじゃ無いから仕方ないだろう。愛に今から負荷を掛ける訳にもいかない」
「まあね」
 光を反射しない素材の服に全身を包まれた2人は木の陰に身を潜めた。
「かなり渋滞距離が伸びてきているな」
 豪が前方のテールライトに視線を向けると、和紀は背後に視線を移す。
「これからどんどん長くなるよ。結構後続車が流れて来てる」
「そうか」
 豪は頭に被っていた帽子をぐっと引き下げて目以外を覆うと、手袋と靴を堅く絞める。
 真っ黒な厚手のスパッツ姿の豪に和紀が声を掛けた。
「強盗にしか見えない姿だね。それはともかく早くない?」
「後10分も無いんじゃないのか? それに、いつでも動けるようにしておいた方が気も楽だ」
 予め時刻を合わせていた時計を見て、和紀が「そうだね」と頷く。
 豪が立ち上って「動きにくい」と言うと、ジャケットを脱いで和紀に放る。
「和紀、すまないがこれを預かっててくれ」
「そんな格好じゃ寒さで凍えるよ」
 和紀がジャケットを返そうとすると、豪は小さく頭を振った。
「寒い。けど、これを着ると集中の邪魔だ。和紀は俺が無事にここへ戻って来たら、真っ先にジャケットを返してくれ」
 和紀は豪の言葉を頭の中で反芻すると、しっかりと頷いた。
「分かった。汚さないようにしっかり持ってるね」
「頼む」
「うん」
 豪は和紀に背を向けると意識を集中させ始めた。普通の人には見えない真っ青な光に豪の全身が包まれる。
(絶対に死なせない。全てが終わったら一昨日のお礼にこれを君の肩に掛けるよ。豪)
 和紀は豪が自分にジャケットを渡した理由を、完全に理解していた。
 小さな事だが和紀にとっては大きな保険。ジャケットを豪に返す為に、自分は豪を無事に救出しなければならない。
 和紀は豪の何気ない優しさに胸が温かくなっていくのを感じた。
 スカイブルーに瞳を輝かせて和紀が叫ぶ。
「豪、行くよ!」
「まかせた!」
 その声と同時に豪の姿は高速道路上に降り立った。

 トラックの運転手はカーブを曲がると同時に、長い渋滞を目の前にして焦っていた。速度制限も渋滞情報も事前に出ていたが、まさかここまで酷いとは思ってもいなかったのだ。
 しかし、慣れた足は俊敏にアクセルからブレーキへと踏み換えられる。
 その間に豪がトラックを強力なシールドで囲い、50センチ宙に浮かせると同時に、進行方向とは逆の方向に引っ張った。
 豪が自分が居るトラック前方から超能力を使うと周囲に掛かる圧力が2倍になる為、逆の位置に当たるトラックの後方から超能力を奮う。
 豪は遮断された空気の層の中で、タイヤが完全停止するのを確認すると、そっとトラックを地上に降ろす。
 その情景を和紀はスローモーションの映画を観るように細部まで遠視していた。瞳は鮮やかなスカイブルーに輝いている。
 トラックの着地と同時に、耳を劈くブレーキ音が鳴り響く。
 豪とトラックの距離が5、6メートルにまで迫った瞬間、豪の身体はその場から消えた。

 豪が先程まで居た山中に戻るとほぼ同時に、背後から激しい衝突音がした。完全にトラックが停止するには、後30メートルほどの距離が必要だったのだ。
「豪!」
 道路をふり返ろうとした豪に抱きつくように、和紀がジャケットで豪の身体を被う。
 和紀の全身は震えていたが寒さからでは無い。無事に豪を取り戻せた、その達成感と安堵からだった。
「豪、豪、豪!」
 精一杯力を込めて豪を抱きしめ、何度もくり返して名前を呼ぶ。
 豪は軽く笑うといつも生にするように和紀の頭をくしゃりと撫でた。
「和紀、お前のおかげで助かった。ありがとう。しかし、寒いから早くジャケットを着たいんだが」
 その言葉で和紀ははっと我に返り、真っ赤になって豪から離れた。
「ご、ごめん」
 豪は素早くジャケットに袖を通すとファスナーを上げて和紀に背を向けた。
「負ぶされ。できるだけ早く千寿子達と合流する」
「え、何で?」
 意味が解らず首を傾げる和紀を豪が怒鳴りつける。
「いいから早く乗れ。救出活動はこれから始まるんだぞ。俺達の超能力が必要なはずなんだ!」
「あっ」と声を上げて和紀の顔は一気に緊張する。
「僕がテレポートした方が早い。豪、手を!」
 豪は和紀が差し出した手を、そのまま引っ張って強引に背負った。
「俺が飛ぶからお前の超能力は温存しておけ。今頃あっちはパニック状態だ。3分も掛からずに合流してみせるから」
「豪?」
「口を閉じないと舌を噛むぞ」
 混乱する和紀を強引に黙らせて、豪は一気に木を避けながら数メートル上方にジャンプした。

 周囲を破壊しないよう気を付けながら、豪が高速ジャンプをくり返す。振り落とされないように、和紀は必死で豪の肩にしがみ付いていた。
「和紀、何で俺達が事故前班になったか解るか?」
 突然の事に和紀が「ううん」と小声で答える。
「この仕事で1番要になるのは和紀だ。俺を正確にあのポイントにテレポートさせ、被害車両11台の状況を全て同時に視れる超能力を持つのはお前だけだろう」
「たしかに……でも、だったらどうして?」
「俺の命を守る為だ」
「え?」
 意外な事を言われ和紀は混乱した。
「アンバランスな人員配置、じっくり考える暇も無いほどハードスケジュールの訓練。これらは全て和紀が俺を護る事だけに集中できるよう考えられたものだ」
「豪は始めから知っていたの!?」
 舌を噛みそうになるのも構わず、和紀が大声を上げる。
「話を聞いた段階で確信は持てなかったが、訓練を続ける内にやはりと思った。千寿子は自分の為に誰かが傷付くのを1番恐れているから」
「……そうだね」
「今、お前の代わりに被害車両の透視と全員の中継を同時にやっているのは千寿子だと思う。予知は智1人でやっているだろう。愛は要救助者達がパニックを起こさない為の精神フォローで一杯だろうし、生は怪我人の出血を抑える事に集中しているはずだ」
 豪は限界に近い超能力を使った直後に、十数回のジャンプをくり返し遂に息が切れた。和紀を背負ったまま足を止めて2、3度深呼吸をする。
「本当はお前にすぐに戻って欲しいと言いたかったんだと思う。テレパスの千寿子は怪我人の意識に引きずられてしまうし、智の予知はあいつ自身の精神を酷く消耗させる」
 豪は和紀の脚を抱え直してジャンプを再開させた。
「それでも和紀には何も言わなかった。気付かせなかった。誰よりも俺の命を安心して預けられるお前を俺に同行させてくれたんだ。皆も始めからお前を信じていただろう?」
「うん」
和紀はミーティングでの愛達の顔を思い浮かべて笑いだした。
(どうしてこんなに簡単な事に今まで気付かなかったんだろう。もしかしたらずっと愛が僕に暗示を掛けていたのかな。僕が一瞬たりとも迷わないように、豪の事だけを考えられるように。皆がずっと僕を後押ししてくれていたんだ)

 目の前に広がる惨状と、被害者達の動揺や苦痛の大きさに耐えかねて千寿子が両手で顔を覆う。
「姉さん!?」
 愛が崩れ落ちる千寿子の両肩を支える。
「ごめんなさい。すぐに遠視を続けるわ」
 千寿子は愛の手を退けると、シートに座り直して再び意識を事故現場に集中させる。
「生。今、11人止血中だったな。後3人増やせられるか? 失血でショック状態を起こす怪我人が居る」
 智が数分先の未来を視て、30人を超える怪我人達の治療優先度を決めていく。
「大丈夫。やれるよ。でもどの車の誰?」
 生が両手を広げて多くの命を支えながら問い掛ける。
「千寿子さん、視えるか?」
 智の声に真っ青になった千寿子が頭を振る。
「ああ、お願い待って。追いつけない」
「1番痛がっている人達で良いのなら判るからやるよ」
 生が被害者の苦痛を感じ取って更に超能力を奮おうとするのを智が止める。
「違う。今の状態じゃ無いんだ」
「じゃあ誰に!?」

「トラックから前に4台目のベージュのワゴンの中に4歳くらいの幼児。隣車線の赤いスポーツカーの女性と男性の2人だよ」
 千寿子達が乗っているワゴン車のサイドドアが開かれ、和紀を背負ったまま豪が車の中に飛び込んできた。
「和紀、豪!?」
 目を見張る千寿子の肩を和紀が軽く叩く。
「交代。千寿子さんは中継を宜しく。司令塔が居ないと皆がバラバラに動いて無理が出るよ」
「戻ってきてくれてありがとう」
 立ち直った千寿子が顔をほころばせる。
 和紀を下ろした豪は、床に膝を付いてぜいぜいと荒く息をしていた。智が軽く舌打ちして豪にタオルとホットのスポーツドリンクを放る。
「遅い! 俺の予知にも限界が有るんだぞ。もっと早く飛んでこい」
「悪かった。木を避けるのに予想以上に手間取った」
「これが終わったらそれも今後のトレーニングメニューに入れるわ。愛、対向車が脇見で事故を起こしかねないわ。そちらの意識にも介入できる?」
 和紀の遠視を中継しながら千寿子が指示を出す。
「そうだね。2次災害は何としても止めないと……やってみるよ」
「生はそのまま救助が来るまでの間失血をできるだけ抑えて。7台目にシートベルトをしていなかった老人が居るわね。骨折しているわ。3台目の男性は思っていたより怪我の程度が軽いからそちらに超能力を回して」
「うん」
 両手をかざして生が新たに超能力を振るう。
「豪、レスキュー隊が到着次第こちらも協力するわ。今は体力の回復に専念して。室長、豪に食事をお願いします」
「承知しました。豪、疲れてるだろうが助手席に移動しろ。そこじゃ皆の邪魔だ」
「メシが有るのか。助かる」
 運転席から振り返った正紀に豪が頷いた。
 豪が助手席に移ると、正規はダッシュボードからサンドイッチを取り出し、豪に渡しながら小声で話しかける。
「豪、よくやった」
「誉めるなら和紀を誉めてやってくれ。俺の命の恩人だ」
 豪は速攻でサンドイッチを口の中に収めるとスポーツドリンクで流し込む。
「豪、僕だけじゃ無い。君を護ったのはここに居る皆だよ」
 助手席のすぐ後ろに移動した和紀が、豪の頭を軽く小突く。
「兄ちゃん、ずっとずっと心配してたんだからな! 本当は俺も付いて行きたかったんだけど我慢したんだよ」
「お前が無事に帰って来ないと、予知から割り出した予定が狂うんだ」
「僕も付いて行けなかったのは悪かったと思ってる。でも、いくら豪でも2人を抱えてここまで戻るのは辛いよね」
「そうね、わたし達にも何か言って貰わないと割が合わないわね。でも、トラックはもちろん森林に一切の被害を出さずに戻って来られた事は素直に賞賛するわ」
 皆が仕事の手を休めずに口々に豪に向かって小言を言う。
「悪かった。礼を言うなら全員にだったな。ありがとう」

 豪と和紀は互いに目を合わせると同時に微笑んだ。皆が軽口をたたくのは豪達が無事に戻って来たので安心したからだとすぐに理解できたからだ。
 豪が声を立てずに笑うと、不謹慎だと正規と和紀が同時に豪の頭を叩いた。
「室長、間もなく報道ヘリが来ます。今の内に木陰に移動してください」
 正規が頷いて車のエンジンを掛け、無灯火で車を移動させ始めた。
 豪が「えっ?」と言って振り返る。
「報道ヘリが出ているって事は、レスキューや消防ヘリも来れるという事じゃないのか?」
「そうよ。予知していたより天候回復が早かったの。豪、あなたもすぐに忙しくなるわ」と千寿子。
「予知の補正はすでにできている」と智。
「俺もまだまだやれるよ」と生。
「ヘリと救急車を視野に入れたよ」と和紀。
「救助が来ると知って要救助者達に安堵感が広がりつつあるね」と愛。
「よし!」と豪が手を叩く。
「レスキュー隊到着と同時に順次指示を変えるわ。全員スタンバイして」
 力強く響く千寿子の声に、全員が「了解」と応えた。

「また深夜に考え事か?」
 無事に仕事を終え、ベランダに出ていた和紀の背後から豪が声を掛ける。
 振り返って微笑むと和紀は軽く頭を振った。
「星を観ていたんだよ。今夜は新月だしね」
 並んで空を見上げた豪が「ああ」と頷く。
 2人の視界にはオリオン座の力強い3つ星が輝いていた。
「あのベルトの下には今、新しい星が生まれつつあるんだよね」
「そうだな」
 豪は懐からカイロで巻いた缶を取り出すと和紀に手渡す。
 ぶっと噴き出した和紀は「ありがとう」と言って缶を開けた。
「ココアだね」
「身体が温まるだろう。酒はあれから母さんに完全に抑えられてるから、怖くてとても持って来れなかった」
 豪も缶を開けてココアを口に含む。
 軽く笑うと和紀は缶のカイロに頬を当てた。
「温かい。……色々な意味でね」
 和紀の真っ直ぐな視線を受けて、豪は少し赤面して視線を逸らした。
「一昨日はもっとずっと長い間ここに立っていたのに全然星が目に入らなかったんだ」
「ああ」
「でも今夜はこんなに綺麗な星を観ていられる」
「ああ」
「全部豪のおかげだよ」
「……」
 返事に詰まった豪の肩に和紀が手を掛けようとすると、背後から黒い影が飛び込んできた。
「兄ちゃん達、また自分達だけ酒飲んでるの? 怒られる時は一緒だよ!」
 豪の背に飛び乗った生が手に持っていた缶を取り上げて口に含む。
「あれ? 甘いや」
「生、お前なぁ」
 コアラのように、しっかり背にしがみついている生の膝を抱えて豪は苦笑した。
「お母さんの警備網を突破できなかったんだよね」
 いつの間にか愛も豪の横に立っていて、ブランケットを皆に差し出す。
「こんな事だろうと思って用意しておいた」
 智が和紀の横に立ってジャケットのポケットから缶チューハイを人数分出す。
「さすが……だね」
 突然現れた3人に何と言って良いのか判らず和紀も苦笑する。
「たまには超能力を有効に使わないと勿体ないだろう?」
 全員にチューハイが回ったのを確認すると智が缶を軽く上げた。
「取り合えず今『だけ』のささやかな平和に乾杯」
 その一言に全員が飲みかけた酒を噴き出した。
「智……まさかと思うが」
 豪が小刻みに震える手でチューハイを指差す。
「お母さんの目を盗んでお父さん専用の冷蔵庫から失敬してきたから、明日には絶対ばれるな」
「げげーっ!」
 生が真っ青になって声を荒げる。
「どうせ超能力を使うならこっそり自販機から買ってきてよ」
 和紀が訴えると愛がはっと気付いて智に詰め寄った。
「自分だけ怒られるのが嫌で僕達も巻き込む方法を選んだんだね?」
 にやりと笑って智は缶に口を付ける。
「俺達は怒られる程度だが、2連で飲酒した豪と和紀には楽しいイベントが待っている。今からそれが楽しみだ」
「智ーっ!」
 呆気に捕らわれた生と愛に対して半泣きの豪と和紀の声がベランダに響き渡る。
「大声で騒ぐと今は見逃してくれているお母さんが怒鳴り込んで来るぞ」
「……という事はもうばれているんじゃないか?」
 生を背負ったまま豪が問いただすと、智はぺろりと舌を出した。
「俺は、お父さんには明日ばれるという意味で言ったんだ。お母さんにばれていないなんて一言でも言ったか?」
 がっくりと肩を落とす豪と生の後ろ姿を見て和紀は笑みを浮かべる。

(温かい。皆の気持ちが、思いやりが、とても温かい。それはみんな、豪。君が生きてくれいたからだよ)

 安堵の息を漏らすと、和紀は缶の中身を一気に飲み干した。

つづく



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