side−B −F・K 2− 豪 高校2年10月


 真っ暗なビルの地下駐車場、そこに豪は1人で立っていた。
 全身には無数のすり傷、埃まみれのその顔色は過度の疲労で真っ青になっている。
 豪はガス爆発で今にも倒壊しようとしているビルをたった1人で支え続けている。

『愛、後何人残ってるんだ?』
『僕達の担当は5人。和紀はレスキュー隊が発見しやすい安全なところまで飛ばしているよ。生は未救助の重傷者達を、遠隔で少しだけ手当している。豪こそ大丈夫? 君の方が今にも倒れそうだ。生にサポートを頼んだ方が良いと思うけど』
『まだやれる。俺の事はいいから和紀と生の連絡に集中してくれ』
『分かった。でも、無理しないで』
 声と同時に愛の気配が薄らいだ。どうやら和紀達の中継に戻ったようだ。
 愛には大きな事を言ったものの、今回は自分1人の超能力では持たないかもしれないと豪は全身から冷や汗を流した。

 事故発生直前の智の予知で、雑居ビルのガス爆発崩壊現場の被害者を早期に救出する為、豪達は緊急出動していた。
 被害が大きければ大きいほど智の予知は強く、反動で智自身を大きく消耗させる。
 千寿子は正規と共に全員に急いで指示を出すと、倒れた智の看病に当たっていた。
 豪は絶対に自分が倒れる訳にはいかなかった。すでに、爆発で死者は十数人出ている。
 超能力を使わなければ絶対に救出は不可能と予知され、歯ぎしりをする思いでやむなく放置せざるをえない人々も居た。
 今、豪が倒れたらすぐにもビルが倒壊し、救出活動を続けているレスキュー隊にまで2次災害の犠牲者が更に増える。
 レスキュー隊員や未だに残された大勢の怪我人達全員、ビルからの脱出が終わるまで、何が有っても崩壊しかけたビルを支え続けなければならない。
 今、豪の肩には多くの人の命が重くのしかかっている。豪が一瞬だけ目眩を起こすと、その直後に柱がミシリといやな音を立てた。

(畜生! あとわずかな時間なのに、もう無理なのか?)
 朦朧として今にも崩れ落ちようとする豪の目の前にやわらかな光と人影が現れた。

(千寿子? まさか、こんな危険な場所へは来てはいけない決まりのはずだ)
「豪、しっかりして」
 そう言って千寿子は、一回りは大きな豪の身体を支えた。
「何で来たんだ? 智は?」
 豪の問い掛けに千寿子は答えず、大声でいきなり怒鳴りつけた。
「いいから今すぐ目を閉じて。そして、何が有ってもビルの崩壊を止める事だけに集中するのよ。いいわね!」
 あまりの迫力に豪は言われるまま目を閉じた。
 その瞬間、柔らかく温かいものが豪の唇を塞いだ。そして全身に一気に流れ込むパワー。
 瞬時に癒される身体の傷と疲れ、千寿子は口づけを通して豪に生体エネルギーを送り続けていた。
『千寿子!?』
『集中しなさい! あなたの役割を忘れたの?』
 慌ててビルに意識を集中させようとするが、豪の唇は千寿子の唇で塞がれたままだった。
 初めての経験に動揺せずにいられるはずもない。しかし、そんな事を悠長に考えている場合では無い事はたしかだった。

 どれくらい時間が過ぎたのか、唇が離され豪はそっと目を開ける。
 暗闇の中では気配でしか知り得ないが、千寿子は目の前で倒れているようだった。
「千寿子?」
 声も出せないほど消耗したのか、豪の足に手で触れた千寿子から切れ切れのテレパシーが伝わってくる。
『お願……い……は……集中……て。豪、あな……を死な……くない』
「千寿子!?」
 豪は千寿子に手を差し伸べたかったが、今、少しでも気を逸らせばビルが倒壊する。
 舌打ちして、ひたすら救助が終わるのを待った。

「千寿子さん! 豪!」
 新たな光と共に和紀がテレポートして来て、素早く千寿子を抱え上げる。
「千寿子さん、なんて無茶をするんだ。豪、さっき最後の1人がレスキュー隊に救出されよ。僕達も今すぐに脱出するよ」
「分かった。頼む。和紀」
 遠視・透視能力者にしてテレポーターの和紀が来てくれた事で、豪の心に安堵の気持ちが広がる。
 千寿子からパワーを分けられたからとはいえ、後どれくらい自分がビルを支え続けられるのか自信が持てなかったし、何より千寿子の様態が心配だった。

 まばゆい光が豪の目を射る。先程まで暗闇の中にずっと居た為に、目が慣れるまでいく分かの時間がかかった。
 何度か瞬きをして目を慣らすと、そこは本邸の居間だった。
 3人同時、しかも1回での長距離のジャンプとは、和紀もかなりの無茶をしていると豪は思った。
「千寿姉ちゃん!」
 先に戻っていた生が千寿子の両手を強く握りしめて、生体エネルギーを送り手当を始めていた。
「生、千寿子はどうしたんだ?」
 疲れとショックからかぼんやりと豪は尋ねた。
「兄ちゃん、今は黙ってて。千寿姉ちゃんマジで危ないんだ。和紀兄ちゃん、千寿姉ちゃんのベッドまで飛ばしてくれる?」
「解ってる」
 即答と同時に、3人の姿が居間から消える。しかし、何が起こったのか豪には訳が解らなかった。
 ふと視線に気付くとそこには、疲れ切った顔の愛と智が豪に悲しい目を向けていた。
「豪、お前も疲れただろう? 座ったらどうだ」
 智が手招きをするので、豪は自分が埃まみれなのを気にしながら、2人が座っているソファーの正面に腰掛けた。

 しばらくの沈黙の後、口火を切ったのは智だった。
「豪、千寿子さんが宮司の巫女である事は覚えているな?」
 豪は少しだけ首を巡らして頷いた。
「ああ、たしか天ノ宮の直系の女子は生まれた瞬間から宮司の巫女になり、己が命を護る事を第1に置き、子孫を決して絶やしてはならない。っていう一族の掟だろう? だから千寿子は俺達みたいに第一線に出てこないはずじゃなかったか。なのに何で今日に限ってあの場に現れたんだ?」
 豪の問い掛けに愛と智は同時に深い溜息を吐いた。
 悲しみに満ちた瞳で愛が告げる。
「豪、姉さんは掟以外の理由で、第一線に出たくても出れないんだ」
「えっ?」
 沈黙する愛の言葉を智が続ける。
「千寿子さんは全ての超能力に通じ、万能の人と思っている奴が多いが真実は違う。万能の人なら、なぜ俺達を集めて危険な仕事をさせる必要が有った?」
 智が右手を豪の目の前に差し出して、指を1本ずつ伸ばしていった。
「念動力で豪に劣り、テレパシーで愛に劣り、透視能力とテレポーターとして和紀に劣り、予知能力では俺に劣る。ましてや無尽蔵の生命力を持つ生の癒し能力には遠く及ばない」
 豪が「あっ」と声を上げると智は頷いた。
「その千寿子さんが疲労していた俺より早くお前の危険を予知し、掟を破ってすぐに遠視能力を駆使し、愛のテレパシーを読み取り、長距離ジャンプをしてお前を救った」
 一気に話し終え脱力した智は、ソファーにもたれて目を閉じた。智の顔色も回復にはほど遠い状態だった。
「姉さんは本当は自分1人でこの仕事をやりたがっていたんだ。自分以外の誰も危険な目に遭わせたりしたく無いといつも言っていたよ。でも、超能力が足り無かった。その上、姉さんの立場が一族にそれを許させなかった。だから僕達を集めてチームを組み、姉さん自身はバックアップに徹していたんだ」
 両手をきつく握り締めたまま、事実を告げる愛の目には涙が潤んでいた。

(俺の知らない事がまだ有ったというのか?)
 事実を突きつけられ豪は青ざめた。
「それで、千寿子はどうなったんだ?」
 豪にとって精一杯の質問。しかし、愛は怒りのまま叫び返した。
「姉さんには生の様に大地から生命力を貰って、人に与える超能力は持っていない! 姉さんは自分の命を君に分け与えたんだ! だから今、姉さんは命の危険にさらされている。豪、本当に全然気づかなかったの?」
 愛の瞳からはすでに涙が溢れていた。

 沈黙だけがそこにあった。
 智は疲れ果て、愛は姉の身を案じ涙を流す。
 そして豪は、自分が今まで何も真実を知らせて貰えていなかった事実に対する衝撃と、自分の代わりに死の危険にさらされている千寿子の身を案じていた。

(千寿子、なぜだ? なぜそこまでの危険を冒してまで俺を助けたんだ? 千寿子が俺の代わりに死ぬかもしれないだって? そんなはず無いだろう?)
(千寿子はいつも自信に満ちていて誰よりも強かったじゃないか。そう……そうだ。お前はいつも命の光で輝いていた)
「千寿子は死なない。死なせない!」
 そう言ってソファーから立ち上がると、豪は走って部屋から出ていった。

 後に残された2人、その顔にはなぜか笑顔がうっすらと浮かんでいた。
「良いのか愛? 後で千寿子さんからこってり絞られるぞ。豪にだけは何が有っても教えるなってきつく言われてたはずだろう」
「それは智も一緒だよね。さっきまで気付かなかったけど、姉さんは死にかけたけど、無事回復する事を知っていたね? ついでにこの後、姉さんからどんな目に遭わされるのかも予知済みなら教えてほしいよ」
 にやり笑顔で智は応じる。
「そんな事はわざわざ予知しなくても、お前が身を持って1番知ってるだろう」
「姉さんの久しぶりのおしおきか。怖いね」
「ああ、どうせ思いっきり攻撃されるんだ。今から覚悟しててもしなくても結果は同じだ」
 長年、同居している2人は数々の千寿子の行動を思い出し、同時に苦笑していた。

 広い屋敷の中を全速で豪は走り続ける。
(そういえば俺は千寿子の部屋の場所を知らない。それでも一緒に居る生の気配くらいは、俺にでも辿れるだろう)
 焦っていた為に誰かに聞くという事を思い付かなかった豪は、ただひたすら弟の気配を捜して広い屋敷を彷徨っていた。

 和紀がベッドサイドのテーブルに水差しを置きながら、千寿子の顔をのぞき込むと同時に小さく笑った。
「思いっきり走り回っているね。もうすぐ豪がこの部屋にたどり着くよ。生、千寿子さんの様態はかなり落ち着いたように見えるんだけどどう? 生もずっと超能力を使い続けているから、かなり疲れているんじゃない?」
 ベッドに寝かされた千寿子に両手をかざしながら、生は笑顔で答える。
「千寿姉ちゃんは回復したからもう大丈夫。少し休めば目を覚ますんじゃないかな。俺の方は腹がすっごく減った。頼んだら何か食べさせてくれるかな」
 ほどなく大きな音をたてて扉が開かれた。
 豪がぜいぜいと息を切らせながら立っている。よほど必死に走ってきたらしく、振り返った生を真剣な形相の豪が見つめた。
「生、千寿子は助かるんだろう?」
「兄ちゃ……」
 生が答える前に口を和紀の両手で塞がれ、そのままドアまで引きずられていく。
「豪、千寿子さんはなんとか持ち直したけど、疲れている生の超能力だけだと、千寿子さんが安定するまで回復させるには足りないみたいなんだ。それだけ走ってこれるなら、豪は体力が回復してるよね?」
 更ににっこりと笑って、和紀は生の引きずったまま部屋から出る。
「そういう事情だから、残りはちゃんと君が千寿子さんに返してあげてくれないと駄目なんだよ。じゃあ、後は頼んだよ」
 そう言って豪1人だけ千寿子の寝室に残すと、和紀は扉を閉じた。
「……!」
 生が和紀の両手を引き剥がそうと暴れる。手を外しながら小声で和紀が生の耳元に囁く。
「しーっ。生、ごめんね。だけど少しだけ僕に協力してくれない?」
 生は和紀の意図に気付いて囁き返す。
「もしかして、この機会に兄ちゃんと千寿姉ちゃんを仲良くさせようって計画?」
 笑って肯定の意志を伝えると、生もにっこり笑って承諾した。
「じゃあ、お邪魔虫はさっさと退散しようよ」
 生は足音も立てずに軽い足取りで駈けていく。
 和紀もそれに続いて走って。……つまり、2人共逃げ出したのだった。

 初めて千寿子の、と言うより女の子の寝室に入った豪は困惑し、途方に暮れていた。
(さっき和紀はなんて言った? 俺が千寿子に生命エネルギーを返さなければならない?)
(一体どうやって返すんだ? 俺にはそんな超能力は無いぞ)
 途方に暮れた豪は、ベッドの横に有る椅子に腰掛けると小さく溜息を吐いた。目の前には青ざめたまま目覚める気配の無い千寿子が横たわっている。
(俺を助ける為に無茶をしてこんな姿になってしまったんだな。返せるものなら返したい。俺にそれができるのなら)
 豪は途方に暮れて頭を抱えると、再び大きな溜息を吐いた。
(悩んでる時間は無い。こうしている間にも千寿子は衰弱していってるんだ)
 とりあえず生の真似をしてみる事に決め、千寿子の両手を握りしめた。
『千寿子。頼むから目を開けてくれ』
 一心に超能力を両手に込め祈り続けるが、千寿子が目覚める気配は無い。

(駄目だ。こんな事では千寿子にエネルギーを返せない。じゃあどうすれば?)
 ふと豪は、自分がどうやって千寿子からエネルギーを分け与えられたのか思い出し、一気に赤面する。
 あれは豪にとってファーストキスだったのだ。

(いや、あれは人工呼吸と同じでキスじゃ無い。キスの内に入らない)
 必死で自分に言い聞かせる。
 もうその方法しか思い付かないのだから仕方が無かった。
 意を決して千寿子の顔に自分の顔を近づけると目を閉じ、千寿子の唇に自分のそれを重ねた。

 直後、豪の左頬に激痛が走った。
「人の意識が無い時に何をするのよ!」
 顔を真っ赤にして半身を起こした千寿子が叫んだ。豪の左頬には千寿子の手形がきっちりついていた。
 一瞬唖然としたが、満面の笑顔で豪は千寿子を抱きしめる。
「千寿子、良かった。本当に良かった」
 豪の肩はかすかに震えていた。
「豪?」
 千寿子はテレパシーを使い、自分が気を失っている間に豪達の間でどの様な会話が展開されたのかを知った。
 そして、普段の豪からは考えられない行動を充分に理解し、そっと豪の背に両手を回した。
「心配かけてごめんなさい。豪、わたしはもう大丈夫よ。大丈夫だから……」
 安心してと千寿子が言おうとした瞬間によほど慌てたのか、ぱっと離される豪の両手。
 叩かれた事だけが理由ではない真っ赤な顔ですぐさま立ち上がると、「悪い」と一言だけ残して豪は部屋から走り出して行った。
 独り自室に残された千寿子は豪のあまりに初な態度に笑いをかみ殺し切れず、大声で笑い続けた。
 ひとしきり笑い続けると、表情を引き締める。

(愛、智、和紀、はともかく生までなんて事を……。生だけはあんな悪だくみに乗るはず無いと思っていたのに、すっかり周りに感化されちゃって、人が気絶しているのを良いことに、皆でやりたい放題やってくれるじゃない。もちろん、只で済ましてもらえるなんて甘い事を思っていないわよね)
 ベッドから立ち上がり、身支度を整えると彼らが待っている、というより逃げ込んでいる居間に向かって歩きだした。

 切羽詰まっていたとはいえ、豪が自分の行動に恥じ入って森の奥で自己嫌悪に陥っていた時、本邸の居間では男4人の絶叫が響き渡っていた。

 数時間後、豪が恥を忍んで本邸に戻ると、居間ではすっきりした顔をした千寿子が1人で紅茶を飲んでいた。
「皆、もう帰ったのか?」
 頬を赤らめて問い掛ける豪に、黙って千寿子が部屋の隅を指差した。
 そこには生を含めた4人がボロ雑巾の様になって息絶え絶えに転がっており、粉砕された数脚のソファーの残骸が山になっていた。
「……」
 絶句して千寿子と生達を見比べる豪に、千寿子はにっこり笑いかけた。
「豪は気にしなくて良いわよ。皆、疲れてるって言っていた割にずいぶんと元気が余っているみたいだから、ちょっだけ訓練代わりに運動させてみただけよ」

 あれはそう簡単に言って良い状態なんだろうかと、豪の全身に鳥肌が立つ。
 どうしてこんな事になったのか理由が解らず首を傾げる豪に、千寿子は新しく入れた紅茶とケーキを差し出した。

つづく



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