side−B −F・K 1− 豪 高校2年10月 日当たりの良いリビングの窓際で、愛は瞑想を続けている。 コーヒーを飲む為に台所に降りてきた豪は、愛の後ろ姿を目にとめると、邪魔をしないように静かに自分の部屋に戻って行った。 この日は生がクラスメイト達と遊びに行っているので、夕方まで帰って来ない。 日頃は生に精神安定のフォローを受けている愛は、生の存在を感知できないほど距離が離れると、超能力の制御で心労を抱える為、瞑想する事によって自己制御能力を高める訓練を行っていた。 愛のテレパシー能力は、特別意識しなくても半径5キロメートルをカバーできるので、学校での中等部と高等部の距離は無いに等しい。 すっと息を吐き出すと、愛は目を開いて立ち上がって2階に上がって行く。 「どう?」 廊下で待ちかまえていた和紀が声を掛けると、愛はVサインを出した。 「ばっちり。生もお父さんもお母さんも姉さんも、僕が探知出来る範囲には居ないよ」 「と、いう事は今がチャンスだな」 手に小さな四角いケースを隠し持っていた智がにやりと笑う。 「じゃ、久しぶりにやろう」 「ごぉーう、遊びに来たよ!」 浮かれた声を上げた和紀は、ノックもせずにいきなり豪の部屋のドアを開けた。 ベッドに寝転んで漫画雑誌を見ていた豪は、智達が突然部屋に入ってきたので一瞬固まった。 半年以上一緒に暮らしきて、和紀達が突然こういう行動に出たのは初めてだった。 「一体何だ? 何か有ったのか?」 慌てて上体を起こした豪の手元を見て、和紀が軽く笑った。 「豪って本当に健全過ぎ。1人部屋で見てるのが少年漫画だもんね。あの手の本を隠し持ってる気配も無いし」 きょろきょろと部屋を視線を泳がせる和紀に豪が詰め寄る。 「おい、勝手に人の部屋を透視するな」 「まぁまぁ、豪のそういう所も僕は気に入ってるよ。安心して姉さんを任せられるからね」 笑いながら愛が豪の肩に手を掛けると、ゆっくり床に座らせる。 「その『純情』な豪の為に、俺達が面白い物を観せてやろうと色々手を尽くした訳だ」 そう言って智が持っていたケースを豪に手渡す。 渡された物を見て、びっくりした豪が即座にケースを投げ出した。 「な……な……!」 「豪、駄目だよ。これレンタルなんだから壊したら弁償だからね」 ケースを拾い上げた和紀が中をじっくり透視する。 「無事? じゃあ今の内に皆で見ようよ。滅多に無いチャンスだよ」 愛がテレビとビデオの電源を入れて、和紀からケースを受け取りビデオテープをセットした。 「こら待て。それは18禁のAVじゃないか。どこからそんな物を手に入れたんだ?」 「だからレンタルだって言ったよ」 豪は平然と答える和紀に絶句しつつ、リモコンを手に取りビデオの電源を切った。 「あーっ!」 期待して待ちかまえていた3人の前で、空しくテレビは真っ黒な画面を映す。 「あーっ。じゃないだろう。お前達はまだ15、6だろうが。こういう物を観るのは2年は早い!」 真剣に訴える豪に他の3人は思いっきり脱力した。 立ち直りの早い和紀が怒る豪の頭を宥めるようによしよしと撫でる。 「あのね、豪。僕らの歳ならとっくにこういう物を観てるの。今まで1度も観たことが無い豪の方が異常なんだよ」 「ガキじゃあるまいし頭を撫でるな。俺だって全く興味が無い訳じゃ無いぞ。母さんが生がまだ子供だからって言うから、その手の物はうちでは一切持ち込み禁止なんだ」 1度手を払い除けられても、めげずに和紀はにこにこ笑いながら豪の頭を撫で続ける。 「うん知ってる。だからみんなで協力して、豪に評判の良いビデオを観せてあげようって話になったんだ」 豪の意識が和紀にいっている隙に、智が豪の手からリモコンを取り上げた。 「それに豪はゴールデンウィークの特訓の時に、わざとカメラ撮影の妨害をやっただろう。あれの為にデーターが不揃いになってうちの部門が2000万は損したって知っているか?」 「えっ!?」 智にとんでも無い金額を言われ、豪は硬直して青ざめた。 「あの時の実験データーは、当然豪達が写っている部分は完全にカットされている。但し、どういう状況において、どの程度の負荷が掛かったかを正確な数値で出すには、あの映像も必要だった」 「しかしあれは……」 豪の口を手の平で塞いで反論を封じると、智は話し続ける。 「最後まで聞け。ともかく千寿子さんの身体に取り付けたセンサーと、外部熱センサーだけでは曖昧で、データーとしては完璧じゃなかった。それであのデーター不足分、うちの部門の利益が減ったし、何よりも、命を掛けて飛び降りた千寿子さんに心底から悪いと思え」 「……」 きっぱりと正論を言われ、豪は項垂れる事しか出来なかった。 智は豪から手を離すと再びビデオの電源を入れ再生ボタンを押した。 「そういう事情も有って女慣れしてないお前にAVでも見せて慣れさせようと思ったんだ」 うんうんと和紀と愛も頷く。 少し唸ると念動力で智からリモコンを取り上げ、豪は3人に向き直った。 「またぁ?」 不満げな声を上げる愛を一睨みすると、豪は咳払いをした。 「お前達の言いたい事はよく解った。たしかにあれは俺が悪かった。だがな、お前達がどうやってこのビデオを手に入れたのかという質問には答えて無いぞ」 「なんだ。そんな事を気にしてたの? 僕らは中学の時から3人で連携してたから全然気にしてなかったよ」 あっさりと答える和紀に豪が絶句する。 「まず、僕がネットで面白そうなビデオの情報を集めて、リストアップするんだ」と和紀。 「その中から俺が予知能力で、前後1週間以内に誰も借りないビデオを選択する」と智。 「僕が実際に借りに行く係。テレパシーでちょっとだけ店員の意識に干渉して、僕の事を曖昧にしか記憶出来ない様にしておくんだ」と愛。 「中学生がAVを借りたなんて記録が残ったらまずいから、僕がレンタル店のPCにハッキングして一般向けのビデオを借りたと、記録も同時に変えてるんだ」 自慢げに言う和紀に、愛も少しだけ笑って答える。 「返却する時は店員のビデオに関する記憶を曖昧にしておくんだよ。1度返却されてしまえば、店員は誰がそのビデオを借りたなんて気にしないからね」 「全部予知した上で失敗の無い様にしてあるから、この手でミスした事が無い。豪も安心して良いぞ」 すらすらととんでも無い事を言う3人に、豪は頭を抱え込んだ。 「解って貰えたところでビデオ観ようよ。今回は豪の為に僕らが本当に苦労して手に入れたんだからね」 呆然とする豪からリモコンを受け取ると、和紀が再生ボタンを押す。 「本当はもっと早くやりたかったんだが、お母さんのチェックが厳しくて今日まで延び延びになってしまったんだ」 智が珍しく苦笑しながら豪の肩を叩いた。 「ほら、始まるよ」 愛がテレビを指差した。 「今回は和モノだよ。洋モノってたしかに女優さんは綺麗だけど、オーバーアクションでいまいち気分が乗らないんだよね」 豪はそんな話を自分に振るなと和紀に訴えたかったが、『善意』としっかり書いてある顔を見て脱力する。 3人に周囲を固められた豪は、諦めてテレビの画面を眺めていた。 3人の話によると主演女優はスタイルも顔も良いので結構人気が有り、演技力もこの手のビデオとしてはそこそこ有るらしい。 豪は17歳にして生まれて初めてこういうビデオを観たので、皆から説明されても何がどう違うのか全く判らない。 画面上では女優があられもない姿を晒し、声を上げていた。 男優の姿がほとんど映らないのは、やはり男の裸など誰も見たくないからだろうという事くらいは、豪にでも理解できた。 つつーっ。 真っ赤になった豪の顔から深紅の液体が流れ出し、服や絨毯を染めていく。 「わーっ! 豪、鼻血。鼻血!」 愛が慌ててティッシュを豪に放るが豪は微動だにしない。 「ちょっと、豪ってば目を開けたまま気絶しちゃってるよ!」 和紀が身体の大きい豪をなんとか抱えて寝かせる、鼻に丸めたティシュを詰める。 「まずいぞ。これは俺の予知範囲外だ。お母さんに見つかる前に全てを始末しなければ後が恐ろしい」 智が洗面台から雑巾とバケツを持って来て、絨毯を丹念に叩き始める。 和紀は血の付いた豪の着ていたトレーナーを苦労して脱がすと愛に手渡す。 血染みはすぐに洗わないと完全に綺麗に落ちないので、愛はトレーナーを持ってすぐに洗面台に駈けていった。 和紀はクローゼットから豪の服を出して着せると、台所からビニール袋に入れた氷を持って来た。 気絶した豪の眉間にハンカチでくるんだ氷を当てる。 「お母さんを牽制する事ばかりに気を取られていて、豪がこういう状態になるとは予知できなかった」 智が絨毯の染みを完全に拭き取ると、「疲れた」と言って項垂れた。 「僕もまさか豪がここまでこの手のものに弱いと思って無かったからね」 洗い終わったトレーナーを、3階の物干しに吊してきた愛も溜息を吐く。 「本当に豪って可愛いよね」 膝枕をして豪の顔に氷を当て続けていた和紀が鼻血が止まった事を確認して、ウェットティシュで豪の顔を綺麗に拭いた。 「豪の場合は、可愛いとかいう段階をとっくに通り越していると思うぞ。遅れすぎだ」 じろりと和紀を睨み付けると智はビデオテープを巻き戻してケースに納めた。 「どうする?」 テレパシーで豪の覚醒を促そうかと愛が提案する。 「今、起こしても大丈夫?」 和紀が智の顔を覗き込むと、智は首を横に振った。 「今回の事は完全に俺の予知範囲外だからな。さすがにどうしたら良いのか全く思い付かない」 3人が途方に暮れて同時に肩を落とすと、ドアがノックされて恵が顔を覗かせた。 「お母さん!?」 真っ青になった3人は逃げ場も無くひたすら狼狽える。 和紀は豪に膝枕をしているので全く動けず、愛はまだ湿っている絨毯の上に飛び乗った。 智は上着の裏側にビデオテープを素早く隠した。 しばらくの間、3人の表情を見ていた恵がくすりと笑う。 「豪は身体ばかり大きくて中身は小さな子供だから、そういうのを観せる時は初心者向きからにしてね。解っていると思うけど生には当分駄目よ」 それだけ告げると、恵はドアを閉めて1階に下りて行った。 全部ばれていた! 3人は背筋に冷たいモノが流れ落ちるのを感じたが、あの恵に隠し事ができるはずも無く、今夜の夕食のメニューが悲惨なモノにならない事を心から願った。 意識を取り戻した豪は男として自分の不甲斐なさを恥じたが、3人は豪にとても優しくした。 豪のあまりの初さに当てられたというのも有るが、何より恵が恐ろしかったからである。 以降、恵を恐れた3人は、当分の間清らかな生活を送り続けた。 |