side−B −V.S 1− 豪 高校2年6月初旬 6月に入って最初の土曜日。 天野家では休日出勤中の正規を除く全員総出で、早朝から大掃除をするように恵から言い渡された。 「この1週間でわたしができる範囲はやっておいたわ。後は各自の部屋と、超能力を出し切って家中を綺麗にしてね」 住み始めて2ヶ月しか経っていないのになぜ今? という疑問を口に出す勇者は居ない。すでに天野家では恵が法律なのだ。 「お母さん、俺の予知は何に使えば良いんだ?」 「智君は後で誰かがやり忘れたという事の無いように、全員の動向をチェックしてね」 つまり常に全員の次の行動を予知しながら、未処理部分を報告しろという事である。 「そういう使い方はした事が無いな」 「良い訓練だと思いなさいな。はい、手も同時に動かすのよ」 窓を指差しながら鉄壁の笑顔の恵に雑巾を手渡されれ、智は思わず絶句する。 「じゃあ、僕は?」 「和紀君は大きな物の裏側や上、奥、隅に渡るまでゴミや片付け物が無いか透視ね。テレパシーで全員を中継しながら愛君がゴミ掃除を担当。和紀君は片付けよ」 「はーい」 明るい返事と共に和紀と愛はリビングを出て行き、恵みは残った豪と生に視線を向ける。 「俺は重い物を持ち上げながら、その下の掃除をするんだろう?」 「俺が皆の体力サポートと手伝い?」 「分かってるならさっさと行動開始。今日の食事とおやつは期待して良いわよ。他の皆にも伝えてね」 食べ物に見事に釣られた2人は、喜々としてダッシュで部屋を出て行った。 智は脚立に登って高い位置の窓枠の雑巾掛けをしながら、事の一部始終を見ていた。たしかに、恵は侮れない相手だと再認識する。 透視を続けていた和紀が、台所の棚の上に置かれた数冊の本を見つけ、恵にどうするのか尋ねた。 「いけない。ここ数日掃除にばかりかまけていたから、資料作成用に出したままうっかり忘れていたわ。悪いけど3階の本棚に戻しておいて。1番下の段よ。空いてるからすぐに解るわ」 和紀が頷いて椅子の上に登ると、落とさない様に気を付けながら分厚い本を手に取る。 「分かった。あ、結構重い。お母さん、これ何?」 「アルバムよ」 「ひょっとして昔の写真? ちょっとだけ見ても良い?」 好奇心に勝てないという顔の和紀に、「仕方ないわね」と恵が笑う。 「良いわよ。ちょっとだけならね」 和紀が床に座ってアルバムを開くと、小学校の入学式の帰りという風情の少年がかしこまって写っていた。 「うわぁ。可愛い。これ生だよね」 自分の名前を呼ばれて生が「俺が何?」とアルバムを覗き込む。 騒ぎに釣られてたまたま近くに居た智と愛も集まって来た。 「あっ、これ。前髪が少し癖毛だから、俺じゃ無くて兄ちゃんだよ」 「嘘。これが豪?」 和紀の極端な反応に智と愛が顔を見合わせて苦笑する。 「たしかにそれは豪だな。和紀もその頃にパーティーで会ってるぞ」 「うん。初めて来た時にお父さんに連れられて、君にも挨拶してたと思ったけど」 2人から言われて写真をしげしげと見つめながら和紀が首を傾げる。 「そうだっけ? うーん、思い出せないなぁ。記憶力には自信が有るし、もう少し育った豪の事は良く覚えているんだけど、この写真と今の豪じゃギャップが有り過ぎて繋がらない」 「俺も兄ちゃんも母ちゃん似だから。でも俺達が似てたのはほんの小さい頃だけで、兄ちゃんは俺の歳にはもっと大きかったよ」 「そういえば豪は成長が早くて、愛が木から落とされた頃にはかなり育ってたな」 智が笑って応じると、愛が激しく咳き込んで智の服の袖を握りしめた。 「智、その話は僕達が此処に住む事が決まった時に禁句だって決めたよね。未だに豪に根に持たれてんだから勘弁して」 皆が集まっているので何事かと豪が顔を出すと、和紀が立ち上がってしみじみと豪に言った。 「時の流れって残酷だよね」 「いきなり何だ?」 唐突に訳の解らない事を言われて戸惑う豪に、和紀が手に持っていたアルバムを差し出す。 「ほら、この写真。小さい頃はこんなに可愛かったのに勿体ないと思わない?」 「ああ、この写真か。たしか幼稚園卒園の時に撮った……」 そう言いかけたところで、豪は和紀の言葉に引っかかりを覚えて思わずむっとした。 「でかくなり過ぎて悪かったな。この歳でその顔のままだったら逆に不気味だろう」 「そうじゃなくて、顔のつくり自体は今でも可愛いのに、身体が育ち過ぎてアンバランスだって言ってるんだよ」 「あ、そう言われてみるとそうだね。豪って立ってると見上げるかたちになるから目立たないけど、正面から見ると以外と可愛い顔してるよね」 愛が同意すると智も珍しく素直に頷いた。 皆のにやけた顔を見て背筋に鳥肌が立った豪が大声を上げる。 「男に向かって可愛いって言うな!」 和紀が言い返そうとした時、どこからともなく豪と和紀の頭に堅く絞った雑巾が投げつけられた。 2人がふり返ると恵が腰に手を当てて立っていた。 「ちょっとだけって言ったでしょ。いつまで遊んでいるの。ご飯の時間が遅くなるけど良いの?」 実は凄く怒っている状態である恵の鉄壁の笑顔に、全員が一斉に謝ると蜘蛛の子を散らす様に台所を飛び出した。 和紀は3階の本棚にアルバムを片付けながら、豪が自分の顔にコンプレックスを持ってる事を知って、しばらく笑い転げていた。 翌日、千寿子が天野家を訪れると、恵と正規を除く全員がソファーや床に寝転がっていた。 「皆、どうしたんですか?」 「気にしないで。主婦の仕事がどれだけ大変か実体験して、筋肉痛になってるだけだから」 恵が笑って空いてるソファーを勧めると、千寿子は礼を言って腰掛けた。 お茶の用意に恵が席を離れると正規が小声で千寿子に問いかける。 「わざわざこちらに出向かれたという事は、何か秘匿性の強く、早急な問題でも持ち上がったんですか?」 千寿子は苦笑しながら頭を振って否定する。 「おじ様、ご心配を掛けてすみません。今日は仕事で来たんじゃ無いんです。ここ1週間ほど勘が上手く働かなくて、仕事も思ったより進まないので、気晴らしにこちらにお邪魔させていただいたんです」 ソファーにもたれていた愛が「えっ」と振り返って声を上げる。 「姉さんも超能力が上手く使えないの? 僕も昨日は何とかなったけど、ここ数日はよほど神経を集中しないとテレパシーが使えないんだ」 「僕も昨日は順調だったけど、ここんとこ遠視も透視も全然駄目」 和紀がソファーに寝そべったまま手を上げる。 「智、あなたは?」 千寿子に問われて智が渋面を浮かべる。 「昨日はともかくここ数日は頭にもやが掛かったみたいに超能力が使えなかった。おかげで嫌な夢も見ずに済んでるが、何かに妨害されている気がして凄く不快だ」 豪と生は日当たりの良い窓辺の床で、クッションを枕に並んで気持ち良さそうに熟睡している。 (あの様子からして豪と生には問題が無さそうね。超能力が使えないのはわたしと愛、和紀、智の4人でだいたいここ1週間の間の事。この4人に共通するものと言えば……) はっと息を飲んだ千寿子が慌ててソファーから立ち上がった。 「あの、クソババァ!」 普段の千寿子からは考えられない汚い言葉使いに、皆が驚いて一斉に顔を上げる。 それに気も止めず千寿子は熟睡している豪の枕元に立つと、大声と平手で乱暴に叩き起こした。 「いきなり何をするんだ。……と言うより、いつ来たんだ?」 「豪、寝ぼけてないで、今すぐ出掛ける準備をなさい!」 千寿子の剣幕に圧されながらも、目が覚めきっていない豪は寝転がったまま手を振った。 「今日は勘弁してくれ。昨日、母さんにこき使われて身体のあちこちが痛いんだ」 「暢気な事を言ってる場合じゃ無いのよ。そのままでもいいからすぐに出発するわよ」 千寿子の様子の急変に皆が動揺する。 「千寿子さん、何が有ったんだ?」 智の問いかけに振り返った千寿子は、壁に掛けられたカレンダーを真っ直ぐに指差す。 「1番勘の良い智がここまで鈍くなっているという事は、私達全員の能力が他者から抑えられている何よりの証拠。こんな事ができるのはあの人しか居ないし、状況からして今日にでもあの人がここに来るって事よ。わたし達の超能力を封じたのは、自分が来る事を悟られない為に違いないわ」 「あの人ってもしかして……」 和紀が聞き返すと、千寿子は真剣な面持ちで頷いた。 「そう、うちの母よ」 「母様が?」 「会長がうちへおいでになる!?」 愛と正規も思わずソファーから立ち上がった。 「うっかりしていたわ。わたし達の誕生日まで数日しかないもの。あの母が書類だけで納得すると思っていたわたしの読みが甘かったわ。それとも、この読みの甘さすら母の策略だったのかしら」 「話がよく見えないんだが、千寿子達の誕生日が近いとどうかするのか?」 床に座り直してあくびをしながら頭を掻いていた豪がのんびりとした声を出す。 千寿子が寝ぼけている豪の襟首を掴んで、ぶんぶんと身体を揺すった。 「まだ解らないの? わたしはもうすぐ16歳になるわ。わたしの勘が正しければ母は正式にあなたとの婚約を発表する気よ」 「なにぃ!?」 驚いた豪は一気に目を覚まして立ち上がった。 生も騒ぎに気付いて漸く目を覚ます。 「今更「あれは全部嘘でした」なんて母には通用しないわ。婚姻届けにあなたの署名捺印まで貰っているんだもの」 「あれが有れば当分親族達を黙らせられるはずじゃ無かったのか?」 千寿子の断言に豪が青い顔をして狼狽える。 「そのつもりだったのだけど、どうやら完全には承知してくれなかった様ね。とにかく今すぐ一緒に逃げるわよ」 自分の腕を引いて足早に歩く千寿子に豪が後ろから声を掛けた。 「どこへ逃げる気だ?」 「どこでも良いわよ。忙しい母から誕生日までの数日間を逃げ切れればなんとかなるわ」 「兄ちゃん達、かけおちするの?」 瞼をこする生に豪が思わず言い返す。 「馬鹿。その逆だ」 「智、和紀、愛、封じられた超能力の範囲で良いわ。母から逃げ出せるポイントを割り出して、わたし達に協力してちょうだい。連絡は携帯に入れてね」 「分かった」 3人が同時に意識を集中させている間に、豪は「財布だけ取りに行く」と言って走って2階に上がって行った。 千寿子も気を引き締めて玄関に向かおうとした時、横から誰かが肩に手を添えた。 「お待ちなさい。逃げも隠れもしなくて良いわ。会長が今日うちへ来る事は判っていたから」 「おば様?」 笑みを浮かべる恵に、千寿子が困惑の表情を向ける。 「お茶を用意したわ。とにかく座って落ち着いて。この件は全てわたしに任せてくれない?」 ドアを大きなトレイで塞がれて、千寿子は部屋から出る事もできず、不安げにソファーに腰掛けた。 2階から降りて来た豪も、恵に呼ばれてソファーに腰掛ける。 一同の緊張した真剣な視線を受けて、恵がころころと笑う。 「やぁね。何の為に昨日、皆に大掃除をして貰ったと思っていたの? 会長をお迎えするのに失礼が有ってはいけないでしょう」 智が強張った手で何とか緑茶をすすった。 「お母さんも予知能力者だったんですか?」 くすっと小さく笑って恵が頭を横に振る。 「まさか。そんな大層な超能力はわたしには無いわ。ただ、ここ数日智君達の食欲が落ちていたから何か有ると思っていたの。それに彼女の考えそうな事は長年の付き合いで判るのよ」 「長年の付き合い?」 豪が聞き返そうとした時に、和紀が「あっ」と声を上げた。 「来たわね」 恵がにっこり笑うと同事に、玄関のチャイムが鳴った。 「会長、お久しぶりです。お忙しいところをわざわざお越しいただいてすみません。言っていただけたらこちらからお伺いしましたのに」 恵に迎えられて細身の中年女性がリビングに入って来た。 全員が急いで湯飲みを台所に片付けると、部屋の壁際に立って出迎える。 千寿子と同じ柔らかそうな濃い茶の髪を肩で綺麗に切りそろえ、広い額と強い視線に巨大グループ企業AMANOを統括するだけの気迫と気概を感じさせる。 ブランド物のスーツに身を包み、背筋をピンと張っている姿に豪は圧倒された。 「母様、お久ぶりです」 千寿子と愛が頭を下げると2人の母である天ノ宮可奈女(かなめ)は軽く笑った。 「本当に久しぶり。この前に会ったのはお正月だったかしら。2人とも元気そうで良かったわ」 (白々しい! わたしの動向を見張る為に、色々陰で探りを入れていた事ぐらい知っているのよ。適当にあしらって追い払ったのが逆効果だったのかしら) 千寿子の鋭い視線を受けてくすりと可奈女は薄笑いを浮かべた。 「わたし1人に抑えられるとは。まだまだ、あなた達も半人前ね。もっと精進なさい。智君、和紀君もね」 名前を呼ばれて智と和紀も硬い表情のまま黙って頭を下げる。 「正規さんも第一線に復帰してくれて嬉しく思っています。今後も千寿子のサポートを宜しくお願いします」 「はい。微力ながらできる限りの事をさせていただきます」 正規も頭を下げると可奈女は豪と生に視線を移す。 「お久しぶりね。直接お話するのは何年ぶりかしら。これから一生の長い付き合いになるのだから、1度ゆっくりとあなた達ともお話したいわ」 豪と生が頬を引きつらせながら頭を下げると、可奈女は恵に勧められて上座のソファーに腰掛けた。 「そんなにかしこまらないで皆も座って。見上げて話すのも結構首が疲れるものよ。変に気を使わなくて良いから同じ目線でお話しましょう」 そう言われてもと思いつつ、全員がぎこちない動作でソファーに腰掛けると、恵が新品のティーセットで紅茶を出した。 可奈女がそれに気付き、紅茶を1口飲んで周囲を見渡す。 「とても美味しいわ。あなたの腕は若い頃から全く鈍っていないわね。カップの趣味も良いし、それに家の中もずいぶんと手入れが行き届いているわ」 「こちらは社宅ですし、管理を任されてますので大事に使わせていただいています」 にっこり笑って恵が答える。 「配属先移動の際に、この家は支給する様に手配させたはずだけど」 「大変ありがたいお話でしたけど、お断りさせていただきました」 「そう、相変わらず遠慮深いのね」 2人の間にただならぬ雰囲気を感じて、誰1人として口を開こうとしない。 それに可奈女の目的が本当に豪と千寿子の正式婚約の話だった場合、あの千寿子でさえ逃げると言った可奈女に、到底勝てそうもないと皆が思っていた。 それを恵が「わたしに任せて」と言い切ったのだから、黙って見守るしか術が無い。 カップを置いて可奈女は正面に座る恵の顔を真っ直ぐに見つめた。 「話というのは他でもないわ。千寿子ももうすぐ16歳、誕生日パーティーで天ノ宮家のしきたりに則り、そちらの豪君と正式に婚約発表をしようと思って打ち合わせに来たのよ」 恵もカップを置いて可奈女の目をしっかり見つめ返す。 「すでに仮婚約は済んでいますし、それほど急ぐ必要は無いと思われます。なにぶんうちの豪もまだ16歳で高校生です。早過ぎる発表は会社にとってもあまり利益になるとは思えません」 「そうかしら? 若くして選ばれるほどの逸材と喜ぶ声は大きいし、彼を次期会長の夫としてふさわしい人物に育て上げる時間が充分取れると、一族を上げて張り切っているわ」 「譲(ゆずる)さんの時はたしか20歳でしたね。天野の中でも最高レベルと言われるほど秀才で、年齢よりも落ち着きが有ると大変評価が高かったと記憶しています。それを会長が……あ、これは禁句でしたわね」 わざとらしく微笑む恵に可奈女の眉が吊り上がり、両手、両足を組むとソファーに背も垂れる。 「何が言いたいのかしら?」 「単に豪はまだ若過ぎると言っているだけですわ。まだまだ学生として学ぶ事の多い年齢です。無理強いをして、もし逃げ出しでもたらAMANOの名に傷が付くのではないでしょうか」 (おば様、それはあまりにもストレート過ぎます。たしかに私達は逃げだそうとしましたけどそれをはっきり言ってしまっては……) 千寿子が俯いて冷や汗を流していると、視界の隅に震える母の足が見えた。 「相変わらず性格が悪いわね。佐藤恵!」 「あんたが自分の事を綺麗に棚上げして強引に事を進めようとするから、やんわり言ってあげていたのに、これぐらいでボロを出すとはAMANOの先も暗いわね。あ、そうね。いくらあんたが馬鹿でもしっかり者の譲さんが付いているから大丈夫なのね。どうせ今日も彼1人に仕事を押しつけてここに来たんじゃないの?」 「むかくつ女ー」 「どっちがよ」 可奈女が立ち上がると負けじと恵も立ち上がった。 態度の急変に周囲が動揺している事に全く気付く様子も無く、2人の間には静電気と熱い空気が渦巻いていた。 正規がティーカップを持ったまま2人の視界を遮らないように腰を落として、そっとリビングから逃げ出す。 廊下に腰を下ろすと、呆然とする豪達に来い来いと手招きした。 豪達はお互いに視線を交わすと頷いてカップを持って、可奈女と恵を残した全員が廊下に抜け出した。 |