side−B −G・W特訓中2− 豪 高校2年5月前半


「行くわよ」
「ちょっと待て。マジで待て。千寿子、お前のその格好は一体何だ? そんな格好でそんな所に立つな。下から丸見えだぞ!」
 顔を真っ赤に染めて豪は視線を逸らした。その際、隣に居た生の両目をしっかり覆う事も忘れない。
 千寿子はノーブラで大きめのハーフタイプのタンクトップと、超ミニのスカートを身に付けていて、真下に居た豪には下着も、形の良い胸も丸見えだった。
「豪。要救護者は何時どういう状態で災害に遭うか判らないのよ。ホテルだったら浴衣かもしれないし、入浴中の女性も居る可能性は充分有るわ。そういう人を助けるのに、あなたが目を逸らしてどうするの?」
「だからってお前がそういう格好をする必要は無いだろうが!」
 上擦った声で叫ぶ豪を千寿子が一喝する。
「一体何を聞いていたの? 今からわたしがここから飛び降りるって言ってるでしょ。もともとわたし1人が実験体になる予定だったのだもの。生1人だけを犠牲にするはず無いじゃない」
「だからこういう真似はやめろって言ってるだろう!」
「豪、腹を括りなさい。そんな状態で本当の災害が起こった時に冷静に対処出来るの? 今から飛ぶわよ」
「よせーっ!」
 豪が顔を上げた時、千寿子はキャットウォークから1歩を踏み出していた。
 実験室が目映い光に包まれ、生も、モニタールームに居た3人も、メンテナンスルームに居た全員が思わず目を閉じた。

(一体、何が起こっているの? わたしは落ちたはずなのに何も感じない。浮遊感も風圧も衝撃も痛みも。……眩しくて目も開けられない)  目を覆っている千寿子の両手をそっと掴む感触が有った。
 手から伝わって来る良く知るその意識に千寿子は僅かに目を開いた。
「豪?」
「頼むから今は黙ってじっとしていてくれ。俺の超能力ではこれが限界だ」
 千寿子の目に前には、これまで見た事も無い真剣な顔の豪が立っていた。
 2人の足元には何も無い。千寿子が踏み出した時、豪は跳躍すると同時に千寿子の足元の空気を完全に固定した。
 2人の身体は光に包まれたまま、生の時よりもゆっくりと地上に降りて行った。
 お互いの足が地面に着いた事を確認すると豪はほっと息をついた。
「今から手を離すから足元に気を付けろ」
「えっ? あ、はい」
 豪が千寿子の腕から手を離すと同時に2人を被っていた光は消え、千寿子は一気に自分の体重を感じて少しだけよろけた。
 それを素早く腕を伸ばして豪が支える。
「だから気を付けろと言った」
「ごめんなさい。ありがとう」
 千寿子の姿を間近に見て、豪は顔を赤らめて逸らした。豪の身長ではタンクトップの上からでも胸がしっかり見えてしまうのだ。

「これは全て千寿子が計画した事なのか?」
 顔を逸らしたまま不機嫌な声で豪が問い掛ける。
「ええ。智とわたしの予知で、豪はダミー人形では完全に超能力を使いこなせないと出たの。それで、わたしが実験体に志願したのだけど、それを知った生も強引に加わって……」
「生!」
 千寿子の説明が終わるのをを待たずに、豪の手の平が生の頬を強く打ち、生は数歩後ずさった。

(兄ちゃんが俺をぶった。こんな事生まれて初めてだ。兄ちゃん、俺の事凄く怒ってる? もしかして兄ちゃんに嫌われた!?)
 真っ赤になった頬を押さえた生は、豪の顔を見るのが恐ろしくて顔を上げられなかった。
「千寿子!」
 反射的に千寿子が目を閉じて歯を食いしばる。
 全ては自分が計画した事、生と同じくらいかそれ以上の力でぶたれると思ったからだ。
 ところが、千寿子の頬には軽く触れるくらいの感触しか無かった。
 驚いて目を開くと、豪が瞳に涙を浮かべて自分達を悲しそうに見つめていた。
 そのまま豪は生と千寿子を強く抱きしめる。
「もうこんな思いは2度とさせないでくれ。……お願いだ」
 2人を抱きしめる豪は震えていた。
「兄ちゃん。兄ちゃん。ごめんなさい」
 生が豪にしがみついて号泣した。
 千寿子も小さな声で「ごめんなさい」と謝った。
 テレパシーを使わなくても豪の悲しみは腕の温もりを通して伝わってくる。
 2人から手を離すと豪は背を向けて実験室から出て行こうとした。
「豪!」
 漸く目を開けて動けるようになった和紀が慌てて豪の後を追う。
 豪はそれには応えず部屋を出て行った。
 和紀は一瞬躊躇ったが、すぐにそのまま豪の後を付いて行く。

 生が泣きながら千寿子に訴えた。
「千寿姉ちゃん。俺、兄ちゃんの事傷付けちゃった。兄ちゃんがああいう事が大嫌いだって知ってたのに! でも、兄ちゃんは優しいから許してくれるんだ。俺、どうやって償ったら良いのか判らないよ」
 ボロボロと涙を流す生を千寿子はそっと抱きしめた。
「後で豪にもう1度謝りましょう。やってしまった事は取り消せ無いわ。だけど、やり直す事は出来ると思うわ。……そう信じたいの。わたしも」
 静かに涙を流す2人をメンテナンスルームに居た全員が辛そうに見つめていた。

 長い上り廊下を通って大きな鉄の扉を開けると天ノ宮家の私有地の森に出る。
 豪は真っ直ぐに小川に向かうと膝を付き、頭を川の中に沈めた。
 ずっと付いてきていた和紀が慌てて走り寄ると、気配を察した豪が頭を上げた。
 和紀に背を向けたまま小さな声で話し掛ける。
「心配掛けてすまない」
「謝らないでよ。僕が好きで付いて来たんだから」
 タオルを差し出すと、豪は「要らない」と頭を振る。今は豪の気持ちが静まるまで待とうと、和紀も隣に腰を下ろした。

 しばらくの間、和紀は小川のせせらぎに耳を傾けていた。
「結局」
「ん?」
「結局、俺は本気のつもりで本気じゃ無かったんだ。和紀やスタッフの人達が苦労して造ってくれたダミー人形を全て駄目にしたのは、俺の心の中のどこかでダミーだからと気を抜いていたからだ」
 ふっと自嘲気味に豪は笑みを浮かべる。
「あれだけの人に迷惑掛けて、それでも1度も成功しなくて、命懸けで俺の訓練につき合ってくれた生と千寿子をぶってしまった。……俺、マジで最低だな」
 同情を求める訳でも無く、自分を責める言葉を告げる豪に、和紀は無性に苛立ちを覚えた。
「そんな事無いよ!」
「か……和紀?」
 和紀は立ち上がると、タオルで豪の濡れた頭を乱暴に拭き始めた。
「豪がどれだけ真剣に頑張っていたのかは僕が1番良く知ってる。最後のダミーはセンサーさえ予備部品と交換すれば、すぐに実験が再開出来るほど破損が無かったんだよ」
 豪が呆然と見上げているのに構わず、和紀は言葉を続ける。
「初めてこんなに難しい訓練を受けて、その日の内に人体に一切被害が出ないほど君は成長したんだよ。生と千寿子さんが無傷だったのが何よりの証拠じゃない!」
「しかし、和紀。俺は……」
「ああもう! 自分がどれだけ凄い事をやってのけたのか全然解ってない。自覚が無いのは豪が本当に鈍いからだけど、プロの僕の言う事が信じられないくらい卑屈になっちゃったの?」
 自分の胸ぐらを力一杯掴んで真剣に訴える和紀に、思わず豪も笑みが浮かんだ。
「すまなかった。和紀、お前の言う事を信じる。……その、色々ありがとう」
「解れば良いよ。戻ろう。皆が心配してるよ」
 にっこり笑って差し出された和紀の手を握り替えして、豪はゆっくり立ち上がった。

 豪達が実験室に戻ると、平服に着替えた千寿子と涙の跡を頬に残した生が駆け寄って2人同時に謝ってきた。
 メンテナンススタッフ達も部屋を出て、豪の帰還を心から喜んで盛大な拍手で出迎える。
 豪は皆の顔を見渡すと少しためらって和紀の顔を見た。和紀が無言で豪の背中を軽く小突く。
 その意味を察して豪は1つ息を吐き出すと、「途中で仕事を放棄してすみませんでした」と謝った。
 和紀は一度豪の肩を軽く叩いて、スタッフと一緒にメンテナンスルームに戻って行った。
 自分を伺うように見つめる生と千寿子に、豪は「もう謝らなくて良い」と告げる。
 豪は笑顔に戻ってはいたが、最後に千寿子に2度とはしたない格好をしないようにきつく言い聞かせる事だけは忘れなかった。

 モニタールームでは先程の膨大なデーターの解析を正規と智が行っていた。
「0.1秒で生の身体を完全に保持しているな」
「豪は生を受け止める直前に、生の周囲の空気の密度を上げて衝撃を抑えています。これはダミー人形の時には有りませんでした」
「自分が跳躍したのも、生に出来るだけ近づいた方が、超能力をコントロールしやすかったからだろう」
「千寿子さんの場合は、光が強すぎてカメラが役に立っていません。熱感知カメラは二人の状況を捉えています」
 智がデーターを正規に提示する。
「千寿子さんは1歩踏み出した地点で完全に空中に停止しています。おそらく、豪が生の時よりも強力な空気の層を、千寿子さんの足元に造ったのだと思われます」
 光で何も写さなかったカメラの画像を見て智は首を傾げた。
「この発光の意味は解りかねますが、豪は千寿子さんを空中まで迎えに行き、そのままゆっくりと地上に下ろしたようです」
 生を救出した時の画像と、千寿子を救出した時のデーターを見比べながら、正規も考え込みだした。
「2人への豪の行動の違いはどこから来たんだろうか?」
 それまで沈黙を守っていた愛が、笑いながら「簡単な事です」と答え、正規と智は画面から目を離し愛を振り返った。
「生の場合、豪は何が有っても無事に助けるという気持ちで一杯でした。姉さんの場合はそれにちょっと別の感情が加わったんです」
「別? こんな無茶な計画を立てやがって馬鹿野郎とか」
 智の問い掛けに愛は思わず吹き出した。
「違うよ。豪は恥ずかしかったんだ。姉さんのあられもない姿を見て。あのまま落下させたらタンクトップは脱げてセミヌードになってしまっただろうし、スカートもめくり上がって下着も皆から丸見えになってたはずだよね」
「はぁ? じゃあの発光も」
「そうだよ。テスト中はカメラで撮影している事は豪も知っていたからね。姉さんのあの姿を残さない為に実験室全体を強い光で包んだんだよ」
 正規と智は同時に頭を抱えた。
「つまり、あの超純情男の我が儘で貴重なデーターを撮りそびれたって事か?」
 「いや」と正規が智に異論を唱えた。
「熱感知カメラは正確に動きを捉えてている。リアル画像では見られないがデーターとしては充分使える」
 馬鹿馬鹿しいと智は頭を振った。
「今度、奴にはAVでも見せてあれぐらいの事で狼狽えない様にしておきますか」
「それは良いかもね。豪って1度もその手のビデオを観た事が無いはずだから」
 愛が可笑しくて苦しいと腹を抱えて震えている。
「あの歳で?」
 智が呆れた声を上げると、正規も笑って答えた。
「確かにうちでは生が居るから、その手の本もビデオも持ち込み禁止になっていたからな。豪には友達の家で隠れて見るほどの度胸も無い」
 智は豪に落とし前を付けさせる方法を思い付いて、にやりと笑った。
 正規が智の顔を見て、すぐに釘を差す。
「一応言っておくが、禁止令を出したのは母さんだから、母さんにばれた時は私もフォロー出来ないぞ」
 ぎくりと肩を震わせて智は引きつった笑顔を正規に向けた。
「俺がそんなへまをする様に見えますか?」
 正規が智の耳元に口を寄せて囁いた。
「母さんを侮ると痛い目をみるぞ」
 それだけ言うと正規はデーター解析作業に戻った。
 愛も何も聞かなかったと、素知らぬふりをしてキー入力をしている。
 智は予知能力を使えば恵を出し抜ける自信が有ったのだが、何やら背中に悪寒を感じて自分も解析作業に専念する事にした。

つづく



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