side−B −G・W特訓中1− 豪 高校2年5月前半


 ぐしゃっ!!
 25メートル上空から落とされた人形が、豪の目の前に墜落した。

 ゴールデンウィークの休みを利用して、豪は超能力の制御能力を上げる特訓を受けている。
 今日もずっと早朝から、スタッフ全員が実験に参加している。
「またやってしまった」
 豪はがっくりと肩を落として、盛大な溜息を吐いた。

 前日、豪は千寿子から翌日行われる訓練のレクチャーを受けていた。
「パニックを起こして自由落下している人を空中で受け止めるだって?」
「ええ、そうよ。豪もニュースで観た事が有るでしょう。ビル火災で炎と煙に追われた人達が、止むに止まれず何十メートルもの高さから飛び降りる姿を」
 豪は過去に何度か観た映像を思い出し、苦い顔で頷いた。
 2人しか居ない実験室。2人の緊張を現すように千寿子のヒールの音が高く響き渡る。
「救助が来なくてその場に留まっていれば、確実に死が待っている。飛び降りれば運が良くても重傷。僅かでも生き延びる可能性の有る道を選んで飛び降りる人達の恐怖は、どれほどのものでしょうね」
 腕を組み千寿子は辛そうに天井を見つめた。
(そうだった。千寿子も俺と同じ超能力を持っている。俺達なら2、30メートルの高さから飛び降りてもそうそう怪我をする事は無い。だけど、普通の人達は……)
 豪の思考を千寿子の声が遮った。
「死の運命を変える事は無理よ。でも、助かる命なら出来るだけ彼らを救いたい。無傷でとは言わないわ。重体を重傷に抑えられるものならそうしたいの。あなたにはかなり辛い訓練になるけどお願いできる?」
 自分の顔を真剣に見つめる千寿子に、豪は笑顔で応えた。

 実験室全体が見渡せる最上階のモニタールームでは、正規、智、愛がディスプレイを見ながら様々な計器を操作していた。
「No.53大破。……いえ、軽から中破です。ボディー外・内部損傷15%、CCDカメラ損害無し、センサー系60%損壊。全体への負荷を出します」
 智が複数のディスプレイから目を離さないまま素早くキーを打ち込む。
「出ました。人体に置き換えた場合、最低でも鎖骨と肋骨が3本折れています。内蔵の損傷は一部出血が考えられます。頭部、腕部、脚部への損傷は軽度打撲程度で済んでいます」
「53体も使ってこの様か。あの馬鹿、1体1000万円はする精密ダミー人形をあっという間に全部壊してくれたな。予めダミーの価格を言っておくべきだったか」
 正規が顎に手を当て、算出した今回の損害額を見ながら唸る。
「千寿子さんと俺の予知では、それを豪に言った場合、貧乏性で小心者の奴は、確実に昨夜家出していますが、それでは実験にならないでしょう」
「全く情けない話だ」
「今回の実験用予算の10億にはまだ充分余裕が有ります。開発したダミー人形と実験損傷データーを付ければ、医療ロボット開発部、介護機器開発部、保安部、広報課が合計で3億は出すでしょう。多少の変更は必要ですが、販売までこぎ着ければ5年以内に黒字も見込めます」
 正規の出したデーターに冷静に智が見込み修正を加える。
「ふむ。たしかロボット開発部は基礎研究データーが不足しているという話だったな。更に5000万、上乗せしても出すだろう。よし、これならそれほど酷い赤字にならない」
 各部門のデーターを呼び出して、正規が数値を更に修正する。
 豪達が所属する正式名AMANO基礎研究部門は、グループ内の別部門に研究データーを買い取って貰う形で売り上げを計上していた。
 2人に背後から泣きそうな声で愛が訴えた。
「この5時間の実験で、豪のストレスがMAX状態を超えています。途中で休憩を挟んでいますが、彼の精神疲労は限界に来ています。ですが、それ以上に……」

「ごぉぉーーうぅぅぅーーーーっ!」

 怒鳴り声を上げた和紀が、壊れたダミー人形を抱えてメンテナンスルームに向かっていた豪に駆け寄って行く。
 一般的に普段温厚な人間が切れると怖いと言われているが、和紀もそのタイプだ。
 つなぎの作業服、髪が邪魔にならない様に頭にバンダナを巻き、手袋をはめた右手にはしっかりドライバーが握りしめられている。
 怒り心頭といった和紀の形相に、落ち込み気味の豪は思わず足を止めた。
「どれだけ壊せば気が済むんだよ!? ベースが有ったとはいえ開発に1年。製作もここ2ヶ月、スタッフ全員が不休で50体ものダミーを用意したんだよ」
「それはその……」
「その上、君の壊したダミーを使える部品を何とかかき集めて、予備部品も使って漸く3体修理したのをあっさり壊しちゃって。ゴールデンウィーク休暇も返上して頑張ってくれてる皆に悪いと思わない訳?」
 一気に言い切ると和紀は肩で息をしている。
 目の前にドライバーを突きつけられ怒鳴られた豪は更に項垂れた。
「本当にすまない」
「それ、こっちに渡して。チェックと修理するから」
「和紀も詰めっぱなしで疲れてるだろう。運ぶのは俺がやる。それぐらいはやらせて貰えないと申し訳無さすぎる」
 両手を差し出した和紀に頭を振って、豪は自分で隣接するメンテナンスルームにダミー人形を運んで行った。
 人形を近くのスタッフに手渡すと、作業中の20人程1人1人に頭を下げて回る。

(あれだけ素直に謝られると、怒鳴ったこっちが罪悪感を感じちゃうんだよね。豪は愛想や嘘が苦手だから、本当に悪い事をしたって思ってるのがストレートに伝わるから)
 和紀はふっと肩の力を抜いて声を掛けた。
「豪。ここからは僕達専門家の仕事。君の仕事は違うよね。何とか修理するから、実験が再開できるまで休んでてよ」
「何か俺でも手伝える事無いか?」
 瞳で訴える豪の肩を軽く叩いた。
「休める時はちゃんと休んで次のダミーを壊さないでくれる方が、僕らとしては嬉しいんだけど」
 頭をぽりぽりと掻きながら、豪は「じゃあ」と言い出した。
「邪魔にならない様に隅で休んでいるから、何か力仕事が有ったら言ってくれ」
「うん。その時はお願いするよ」
 くすりと笑って和紀は壊れたダミー人形の前に座り込んだ。
「あっ」
「何? どうかした」
 パイプ椅子に座ってタオルで汗を拭いていた豪が背後で妙な声を上げたので、何事かと和紀がふり返る。
「和紀。お前、その瞳は?」
 初めは光の加減か見間違いだと豪は思っていた。
 しかし、振り返った和紀の瞳はいつもはくすんだ茶色なのに、今はまぶしいほど鮮やかなスカイブルーに染まっている。
「ああ、これ? 豪は見るの初めてだっけ。ちょっとした透視や遠視ならあまり変化しないけど、フルで超能力を使ってる時は色が変わるんだ」
 瞼に片手を当てて和紀は何でも無い事のように笑って答えた。
「髪の色も染めてる訳じゃ無いのか」
「思ってたよりずっと勘が良いね。髪は超能力が使える様になってから色素が減っちゃったんだ。生まれた時は黒髪だった。でも、茶髪なんて今時珍しくも無いから不自由していないよ。白髪だったらさすがに嫌だけどね」
 謝ろうとした豪を制して和紀は話し続ける。
「瞳だってサングラスを掛ければ他人には見られないから平気。それより豪の方が大変だよね」
「俺が?」
 びっくりして立ち上がった豪の全身を、円で囲む様に和紀は指を動かした。
「豪が超能力を使う時に全身がこんな感じで青く光ってるんだよね。まぁ、普通の人には見えないと思うけど。うちの学園は能力者が多いからね。豪は迂闊だから本当に気を付けた方が良いよ」
「……」
 思いもよらない事を言われ、豪は返事も出来ず佇んでいるとスピーカーから正規の声が響いた。
『豪。別モデルでデーターを取るから早く実験室に戻って来い』
「鬼かあの親父は。ああ、作業の邪魔して悪かった。宜しく頼む」
「豪もあまり無理しないでね」
 再びスタッフ全員に頭を下げて、豪はメンテナンスルームを出て行った。

 軽く手を振って豪の後ろ姿を見送る和紀に、スタッフの1人が声を掛けた。
「本当に素晴らしい超能力ですね。AMANOが全社を挙げて彼を保護している理由が良く解ります」
 別のスタッフも賛同の意志を表す。
「No.1から3までの爆散は凄まじいものでした。特にNo.1は粒子状まで破壊されましたからね。回数を重ねる内に原形を留める様になりましたが、彼の存在を知ったらどこの軍も攫ってでも欲しがるでしょう。超小型最終兵器として」
 不注意な発言をしたスタッフに、和紀が鋭い視線を向ける。
「分かってると思うけどここで見た事を誰かに話したら……」
 殺すよと言いかけた和紀にスタッフ全員が爆笑する。
「心配しなくても大丈夫ですって。彼を売ろうなんて考える者はここには居ません」
「私達全員が天野一族ですし、ここに居るのは技術力だけじゃ無く、人間性も考慮して厳選されたメンバーです」
「彼の人柄に触れて、それでも彼に害をなそうと考えられる人間が居たら、会ってみたいものです」
「訓練されたプロでも目が合っただけで難しいと思いますよ。逆に組織を離反する人間が大量発生するでしょう」
「そういう意味でなら本当に最終兵器かもしれない。軍人も政治家も全員戦争をやる気を失う。結果、世界が平和になりましたってね」
 ひとしきり大笑いした後、スタッフリーダーが和紀に真面目な顔で告げた。
「今の行き過ぎた冗談はともかく、彼自身にも言うつもりは全く有りませんから安心してください。彼は自分が人を跡形もなく殺せるなんて思ってもいないでしょう。我々も全力で彼を護りますよ」
「うん、頼むね。豪はああ見えて凄く傷付きやすいから」
 和紀はガラス越しに実験室に戻った豪を肩越しに見つめ、同様にスタッフ全員も豪に好意的な視線を向けていた。
「実に不思議な人です。会社や一族を抜きにしても好意を抱かずにいられない」
 スタッフリーダーは微笑んでそう言うと、作業再開の指示を出した。
(ここに居る全皆、豪の魅了の力に掴まっちゃったんだね)
 和紀も笑って再び作業に戻った。

 実験場の広さは約20メートル四方、高さは1番高い所で40メートル、高さ5メートルおきにキャットウォークと呼ばれる回廊が四方に有り、数ヶ所にカメラが設置されている。
 1番高い階に前面がガラス張りの正規達が居るモニタールームが有る。
 天井には数ヶ所にクレーンが吊り下げられ、そこから実験で使われたダミー人形がリモコンで落とされていた。
 ダミー人形は身長170cm、重量70kg、普通体形の男性をモデルにしてある。
 関節は人間と同等の動きが可能な様に造られ、両目にCCDカメラ、全身に600個の圧力センサーと50個の温度センサーが埋め込まれている。
 骨格や皮膚も人に近い強度の合成樹脂が使用され、一見、柔らかく精巧な人形に見えるように設計されていた。
 頭部には軽量で強力な送信機が有り、センサーやCCDカメラの情報をリアルタイムでモニタールームのコンピューターに送信するシステムになっている。
 衝突実験用のダミーを原型に改良した物だが制作費1体1000万というのは充分頷ける金額であった。

 豪が実験室に戻ると25メートルの高さのキャットウォークが1ヶ所せり出していた。
 それを見上げながら豪は集音マイクに向かって声を上げた。
「親父。今度は何をするんだ? ダミーは全部壊れたって和紀が言っていたぞ」
『その通りだこの馬鹿者が。どうも、お前は機械相手では本気で取り組め無い様だから、別の実験体を用意した』
「機械相手じゃ無いって……、まさか、あそこから動物を落とす気じゃ無いだろうな? いくら相手が親父でも本気で怒るぞ」
『私も今までの実験をずっと見ていて本気で止めたんだが、本人からの強い希望が出たんだ』
「本人?」
 首を傾げる豪の頭上から元気の良い声がした。
「兄ちゃーん!」
 もう1度豪がキャットウォークを見上げると、先端で生が手を振っていた。
「生? 冗談じゃない!」
 豪はまさかという思いで、全速で生の元に駆け上がろうと壁際の階段に向かった。
「兄ちゃん。そっちじゃ無いよ。ちゃんと俺のこと受け止めてね」
 にっこり笑ってバンジージャンプのようにポーズを決めると、生は命綱も付けずに勢い良くキャットウォークから飛び降りた。

「やめろぉぉーーーーっ!!」
 叫び声と同時に全身が光り輝き、地面を強く蹴って豪の身体は瞬時に生の元へ跳躍する。
 凄まじい音と地響きに驚いた和紀がメンテナンスルームから飛び出すと、先程まで豪が立っていた床が1メートルほど抉れていた。
「一体、何が有った!?」
 ライトの光に目を細めながら見上げると、空中で豪が生を抱き止めて停止している。
「まさか、生を実験に利用するなんて……」
 和紀の膝は知らず小刻みに震えていた。
「兄ちゃんってやっぱ凄いや!」
 笑って生は豪の首にしがみついた。
「黙ってじっとしてろ」
 恐ろしいほど低く押し殺した豪の声に、生はビクリと震えると黙って豪に寄り添った。
 豪はふわりと羽が舞い落ちるように、ゆっくりと生を抱きかかえたまま床に降り立つ。
 そっと生の身体を床に下ろすと、モニタールームを豪は睨み付ける。
「親父ぃっ!!」
 怒鳴り声と同事に実験室の空気が震え、モニタールームのガラスの全てに亀裂が入った。
「やはり切れたな」
「これも予知済みです」
 厚みが8ミリは有るアクリスガラス全面に入ったヒビを冷静に見つめて、正規と智は微笑む。
「こちら側を透明シートで補強しておいたのは正解だったな。こちらへの被害はともかく、アクリルとはいえ、豪達の頭の上に厚いガラスが降り注がずに済んだ。あそこまで切れた豪は生まれて初めての事じゃないか」
「正常な状態の豪が、生まで危険にさらすなんて考えられません」
 愛は豪の怒りの強さをまともに受けて頭を押さえながら正規に訴えた。
「ご覧の通り今の豪の精神状態は最悪です。これ以上の実験は止めた方が良いと思います」
「ストップはまだ出ていない。あの人は最後まで続ける気だ。愛。テレパスのお前にはきついだろうが、データーの取りこぼしは絶対にするなよ。生が命掛けで取ったデーターだ。何1つ漏らすな」
 智が素早くディスプレイから豪の動きを数値化しながら振り返る。
 正規もこれまでのデーターと先程カメラで収録したものの比較データーを出している。
「分かってる。でも豪の気持ちは……」

「生。駄目じゃないの。パニックを起こしてる人が、それほど綺麗に飛び降りられる訳無いでしょう」
 返事が来ないモニタールームを睨み付けていた豪は、再び頭上から聞こえた声で振り返った。
「千寿子、これはお前の差し金か!?」
「生が自分もやるって聞かなかったのよ。人体実験はわたし1人で良いと何度も止めたのよ。あれだけの数の失敗を見ても、あなたが失敗するなんて絶対考えられないって言い切ったわ」
 逆光で影しか見えない千寿子に豪は殺気を帯びた視線を向ける。慌てた生が豪の袖を生が引っ張った。
「兄ちゃん。父ちゃんも千寿姉ちゃんも皆も必死で止めたよ。でも、俺がやるって言ったんだ。だって、兄ちゃんが俺を見捨てるなんて考えられ無かったんだ」
「生……」
 豪が悲しそうな目で生を見つめたが、生はきっぱりとした口調で言った。
「俺だって兄ちゃんの手助けしたい。この休みの間中、兄ちゃんが必死で頑張ってるのに、俺はずっと見てるだけなんて嫌だったから」
「生。お前の気持ちは解るが、だけどこればかりは……」
「豪。次はわたしが飛び降りるわ。もちろん超能力は一切使わないで」
 千寿子は数歩前に出てキャットウォークの最先端に立った。



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