side−B −編入-2 豪 高校2年4月前半 通常授業が始まって2週間ほど経った頃、偶然教室移動中に豪は智を見かけた。生徒数に対して広いこの学園では珍しい事だ。 クラスメイトらしき数人と階段の踊り場から降りてくる智の視線は焦点の定まらない様子で、顔色が真っ青に変わっていた。 (予知から来る貧血を起こしてるんだ) よろけて階段から落ちそうになる智を見た瞬間、豪は持っていた教科書やノートを放り出して一気に跳躍した。 崩れ落ちる寸前に智の身体を抱き止める。 階段に腰を下ろしほっと息をついた豪は、智の頬を軽く叩きながら呼び掛けた。 何度か呼んでも返事が無いので軽く舌打ちをして、片手で智を支えたまま、ポケットから携帯を取り出し電話を掛ける。 「千寿子か? 俺だ。智が倒れた。今から医務室へ運ぶからすぐに来てくれ」 それだけ一気に言うと素早く携帯をポケットにしまい、智を抱え上げながら階段の下で呆然とした顔で見つめていたクラスメイトに声を掛けた。 「梨本、悪い。医務室まで案内してくれないか。それと吉村、俺と梨本の荷物を持って先に教室に戻ってほしい。先生に授業に遅れると伝言も頼みたいんだが良いか?」 2人はしばらく呆けていたが、はっと気付いた様に頷いた。 豪は智に同行していた少年達にも声を掛ける。 「すまないが智の荷物を持って次の授業に出てくれないか。先生にはこいつが貧血を起こして倒れた事を伝えてほしい」 「……は、はい」 智の教科書などを拾い集めていた少年が少しだけ頬を染めて頷く。 「じゃ、頼む」 にっこり笑うと豪は階段を駆け下りた。 その間に吉村は豪の放り出した物を素早く集め、梨本からも受け取る。 「吉村、悪いが後を頼む。梨本、案内してくれ」 「わかった」と吉村。 「こっちだ。天野」 梨本が早足で豪を誘導する。 豪が人1人を抱えているにも関わらず走るので、つられて梨本も走りだしていた。 医務室に着いた豪は、梨本に礼を言って先に授業に戻って貰った。 豪が室に入ると、校医がすぐに事情を理解してベッドに案内する。 どうやら智の貧血をある程度承知していてくれる様子で、説明が省けた豪は少し安堵した。 智を静かにベッドに寝かせると、程無く千寿子と愛がやって来た。 愛が智の額に手を当てて状態を探る。 「いつもの。でも、今日のはまだ軽いから1時間ぐらいで目を覚ますと思うよ」 「そうか」 ほっと息を吐くと豪は智の眠っているベッドの端に腰掛けた。 千寿子はその様子をずっと無言見ていたが、思い直した様に声を掛ける。 「愛。智の事を頼めるわね? 豪はわたしと一緒に来て」 返事も待たずに千寿子が踵を返して早足で医務室から出て行くので、慌てて豪は後を追いかける。 「千寿子。智の状態が大した事無いなら俺はすぐに授業に戻りたいんだが」 『いいから黙って付いて来て。話が有るから。1時間くらい授業を抜けても大丈夫でしょ』 いきなりのテレパシーに豪は面食らったが、よほど他人に聞かれたく無い話なのだと納得して黙って付いて行った。 そこは千寿子の執務室で、豪は入るのは初めてだった。 会議用テーブルやFAXはもちろん、パソコンに簡易キッチンまで付いている。 豪を先に部屋に入れて席に座るように言うと、千寿子は後ろ手で鍵を掛けた。 「豪、さっき人前で超能力を使ったでしょ」 「えっ?」 「やっぱり無意識に使ったのね。普通の人間が階段10段以上を跳躍出来ると思ってる?」 溜息を吐いて千寿子も豪の正面の席に付いた。 豪は真剣にマズイと思ったが、すでにクラスメイト達に見られてしまっているのだ。 今更だがあの時のクラスメイト達の唖然とした顔の理由を知った。 どうみんなに説明しようかと考え込んでいる豪を千寿子はしばらく見つめていたが、ふっと笑みを浮かべた。 「超能力については多分大丈夫だと思うわ。今頃はきっと別の話題で盛り上がってるはずよ」 「別の話題?」 首を傾げる豪に千寿子は小さく笑って返答を避けた。 「今は教えないでおくわ。教室に戻ればすぐに知る事になるから。その為に今は此処で休んで精神状態を良くしておいて。きっと後で忍耐が必要になるはずよ」 千寿子はインスタントコーヒーを豪に手渡し自分もコーヒーを飲む。 しばらくの間、2人は無言でコーヒーを飲んでいた。 コーヒーから立ち上る湯気を見つめながら、不意に千寿子が独り言をもらす。 「うちの生徒は授業中は勉強熱心で真面目な子ばかりなのに、今日ばかりは一部は勉強に頭がいっていないみたいね。仕方無いわ。大きな波紋を呼び起こす様な事が有ったばかりなんだから」 「え?」 千寿子は時計を見て時間を確認すると、何の話か解らないという顔をした豪を見つめ返す。 「もうすぐ4限目が終わるからお昼休みになるわね。豪、そろそろ教室に戻ったら。お弁当を食べる時間が残るかどうかは、あなたの器量次第ってところかしらね」 「おい、それってどういう……」 「ストップ。質問は受け付け無いわよ。自分の言動はきちんと自分で責任を持ってね」 困惑する豪の口元に人差し指を当ててきっぱり言い切ると千寿子は扉を開けた。 「わたしも教室に戻るからあなたも……ね」 これ以上の議論は無用とばかりに退室を促す。 豪は何度も首を傾げながら教室へ戻って行った。 豪の後ろ姿を見送るとすぐに千寿子は急いで執務室へ戻り電話を掛ける。 「室長。先程の豪の行動ビジョンを送ります。数値化して纏めてください」 『承知しました。いつでも送信してください。今日中に報告書を作成して自宅の方へ送ります』 「素早い対応にいつも感謝してますわ」 『こちらこそ。愚息が又、ご迷惑を掛けてしまった様で、申し訳なく思っています』 「天野正規室長。彼の能力も性格も全て承知した上で発足したプロジェクトです。謝罪には及びません。では、宜しくお願いします」 電話を切ると千寿子は自分が視た光景をそのまま正紀へテレパシー送信する。 まだイメージでしかない豪の使った超能力を力学的に数値化して、今後の行動計画の参考に使える様にデーター化する為である。 一息つくと千寿子も昼食を摂る為に教室へ戻って行った。 豪が教室に戻ったのは昼休みに入って5分程経った時だった。 「梨本、吉村、ありがとう」 扉を開けながら迷惑を掛けたクラスメイトに頭を下げる豪に一斉にクラス中から声が掛かる。 「天野。お前って何者?」 「何で天ノ宮さんの携帯番号を知ってるんだよ?」 「天野君って天ノ宮さんとどういう関係なの?」 「説明してくれよー。気になってしょうが無いんだからさー」 次々と飛び出して来る質問に豪は思わず後ずさった。 取り合えず千寿子の言う通り、超能力の方は気付かれ無かったようだが、これはもっと嫌だと豪は焦る。 その内の1人が逃げようとする豪の腕を掴んで問い正す。 「なあ、はっきり説明してくれよ。俺達初めて聞いたんだぜ。あの天ノ宮さんを呼び捨てにする奴」 「ああ、それは千寿子がそう呼べって言ったから。一応親戚だし、俺の方が年上だからだろ」 それを聞いた女子数名が悲鳴を上げる。 「だって先生も彼女を”さん”付けしてるじゃない。従兄弟の智君だって呼び捨てにしていないよ。他の年上の親戚の人達だって。やっぱり特別な関係じゃないの?」 「もしかして天野と天ノ宮さんって付き合ってるのか?」 ぎくっと豪が表情を強張らせる。 その顔を見て今度はクラス中から大声が上がった。 「やっぱりそうなのねー!」 「こんな時期に編入なんておかしいと思ってたんだよ」 「いったいどういう経緯でそうなったんだよ」 あまりの騒ぎにいつの間にか他のクラスの生徒まで集まって来ている。 豪は焦ったが本当の事を話す訳にはいかない。と言うより、絶対に何が有っても嘘とはいえ婚約者(仮)だという事だけは知られたくないという気持ちで一杯だった。 深呼吸すると豪は開き直って、集まっている全員に聞こえるように大声を上げた。 「違う! ちゃんと説明するから頼むからみんな聞いてくれ」 瞬間、教室が静まりかえる。 豪の言葉を一言も聞き漏らさない為か、それとも豪の気迫に圧されたのかもしれない。 「俺はこの春から千寿子の個人スタッフとしてバイトを始めたんだ。内容は企業秘密だとかで話せないが高等部1年の智、和紀、愛と一緒の職場だ。だからお互いの携帯番号も知ってるし、話す機会が自然に多くなるから親しくなって当然だろう」 教室に集まっている全員の顔を見ながら豪は話し続ける。 「本当にそれだけの事なんだが……納得して貰えたか?」 1つ大きく息をするとすぐに笑顔でみんなの顔を見つめる。 豪の取った行動はそれだけだったが、しかし教室に居た全員が理解してくれたようだった。 沈黙の後に、一斉に歓声が上がる。 「良かったー!」 「天野君を天ノ宮さんが独り占めなんてやっぱり許せないもんね」 「天野ー。いきなり質問攻めにして悪かったな。一緒に弁当食おうぜ」 笑顔でみんなが豪の周りに自分の弁当を持って集まって来る。 何故かそのままクラスメイト全員と弁卓を囲む事になり、みんなから色々な話を聞く。 「智と千寿子がテストで学年トップを毎回競ってるって?」 「理系なら和紀君が毎回トップよ」 「あ、それは何となく解る」 「愛君もベスト10から落ちた事無いよね」 「しっかし良かった。天野まで天上人かと思ったぜ」 箸を止め、豪は不思議な言葉を聞いたと思った。 「天上人? 何だ。それは?」 「1年の天ノ宮さんを筆頭に天野智達の事をみんながそう呼んでるんだ」 「成績はいつもトップクラスで何でも出来て、その上仕事までやってるんだもの。もう人種が違うって感じ」 「みんな人当たりが良いから割と親しみやすいのよね。それぞれにファンが居るし」 「それでもやっぱ天上人としか言い様が無いんだよな」 うんうんと当たり前の事の様に頷く周りの反応に少し豪は不安になった。 「まさか、千寿子には親しい友達とか居ないのか?」 「特別親しい友達が居るって聞いた事無い。……よな」 「うん。いつも誰にでも平等に接してるって感じよね」 「やっぱ大企業の会長令嬢だし、うちの学園の理事権も持ってるから、誰かを特別扱い出来ないんじゃないか」 (立場上特定の友人を作れないって事か。両親は仕事でほとんど家に居ないそうだし、ああ見えて千寿子も寂しい思いをしてるんだな) 無言でもそもそと昼食を摂る豪の表情に、気付いた女子が声を掛ける。 「天野君。それって天ノ宮さんに同情しちゃったって顔?」 「あ、そういう訳じゃ無いんだが、普段の千寿子からは想像も付かない話だったから」 慌てて言い訳をする豪に又、質問が殺到する。 「普段の天ノ宮さんってどんなんだ?」 「学園と職場では全然違うって事か?」 「ちょっと想像出来ない」 「お願い。教えて」 みんなの期待に満ちた眼差しを受けて、豪は少し憮然とした顔になって弁当を食べながら答えた。 「俺の知ってる千寿子は、一言で言えば”くそ意地の悪い根性曲がり”だな。何かって言うと俺をからかって遊ぶし、俺の揚げ足ばかり取るし、無理難題ばかり押し付けて来るからな。たまにあのうるさい口にガムテープを張ってやりたくなる」 (……それって、天ノ宮さんが天野(君)に甘えてるって事じゃないの(か)?) (天野(君)って激ニブ?) クラスメイト全員がすぐに理解出来た事に本人だけが全く気付いていない。 そんな豪にクラスメイト達はやはり好感を抱かずにいられなかった。 昼食を摂る為に校医は愛に智の世話を頼んで外出した。 20分程経った頃、智が漸く目を開ける。 付き添っていた愛を見上げてぼそりともらす。 「あの馬鹿が更に騒ぎを起こしてるようだな。学園中が騒がしいだろう」 愛が少し困った様な笑顔を浮かべる。 「さっき、姉さんとの関係をクラスメイト達から質問攻めにされて墓穴を掘ったところだよ。豪自身は気付いていないけど。それで、今度は何を視たの?」 ベッドから起き上がりながら智はきっぱりとした口調で答えた。 「初仕事が決まった」 「姉さんにすぐ知らせる?」 「頼む」 「わかった」 智の肩に手を掛けてリンクすると、すぐに愛はテレパシーで千寿子に智の予知を知らせる。 「これから忙しくなるぞ」 「みんな覚悟の上だよ。……多分ね」 2人は笑って医務室を後にした。 生は数日の間に本人の知らない所で中等部のアイドルになっていた。 豪も常に多くの友人達に囲まれていた。 しかし、『2年の転入生の天野豪は1年の”あの”天ノ宮千寿子さんにとって特別な存在である』という噂は学園中にしっかり定着してしまっていた。 好奇の目で学園中の注目の的になった豪は更に頭を抱える羽目に陥った。 ある日、豪は遂に溜まりかねて廊下の真ん中で叫んだ。 「頼むから便所くらい自由に1人で行かせてくれ!」 しばらくして、豪はずっと疑問に思っていた事を和紀と智にぶつけてみた。 「何故千寿子さんを”さん”付けして呼ぶかだって? 子供の頃は別の呼び方してたな。なあ和紀」 「うん。ちーちゃん、さとくん、かずくんってお互いに呼んでたよ。たしか小等部の低学年ぐらいまでだったかな」 「え、呼び方を変えた理由? 豪、解らない?」 「豪。お前、今の千寿子さんの事を”ちーちゃん”って呼べるか?」 「……恐ろしくてとても呼べない」 「そういう事だ」 つづく |