side−B −春休み-(3) 豪と千寿子の場合 豪 高校2年4月初旬


「お嬢さん、今日はこれで帰るから」
「ちょっと待って、豪」
「あ?」
「あ? じゃ無いわよ。あなた本当に自分の立場が解ってる? いつまでわたしの事を『お嬢さん』なんて他人行儀な呼び方をする気なの?」

 春休みに入ると豪は度々本家に顔を出して、千寿子と打ち合わせをしていた。高い能力者の親族達に2人が本当に婚約していると信じさせる為だ。
 豪は元々本家を敬遠しており、天ノ宮家の事も、父親の勤め先であるAMANOグループの事ですら、全くと言って良いほど知識が無かった。
 このままでは親族にすぐにばれてしまうと判断した千寿子が、マン・ツー・マンで豪にレクチャーをしているのだが、周囲には仲の良い婚約者同士の語らいだと思わせていた。
「どれほど知識を詰め込んでも、あなたのその言動ではすぐに嘘と知られてしまうわ」
 額に手を当てて考え込む千寿子に豪も困惑する。
「だが、お嬢さんはお嬢さんだろう? 会長令嬢で俺達家族全員の上司でもある。一体どう呼べば良いんだ?」
「千寿子」
「えっ?」
「今からわたしの事を千寿子と呼びなさい。せめてそれくらいはしないと誰も信じてくれないわ。明日から特訓よ。良いわね」
 きっぱり言い切った千寿子の目は真剣そのもので、その気迫に完全に圧された豪は黙って頷いた。

 高等部の入学式も無事に終わり、皆がお茶と恵手製のクッキーをつまみながらリビングでくつろいでいた。
「最近、豪の姿をあまり見ないわね。生、知らない?」
 お茶のおかわりを用意しながら恵がダイニングから声を掛ける。
「兄ちゃんなら、毎日千寿姉ちゃんとデートしてるよ」
「あれをデートって言うのかな?」
 あっさり答える生に愛が不思議そうな視線を向けた。
「”調教”もデートに入るのならそうだろう」と智。
 そこに和紀が嬉しそうに手を上げて報告する。
「昨日、僕見ちゃったよ。千寿子さんに『他人から見て、仲の良い恋人同士に見える様に歩きましょう』って言われて豪の奴、ガチガチになって右手と右足を同時に出して歩き出したんだよ」
 ぎゃははははっと全員で笑い飛ばす。
 恵は1人、あの不器用な豪に婚約者(仮)の演技が出来るものかどうか心配になっていた。

 その頃、豪と千寿子は公園の遊歩道を散歩していた。天ノ宮家は私有地の一画を自然公園に整備して一般に公開している。
 千寿子の手は豪のたくましい腕に添わされていた。豪が赤面しながら居心地悪そうに肩を何度も小刻みに揺する。
「なあ、千寿子。頼むから手を離してくれないか? 何か周りの視線を感じて恥ずかしいんだが」
「今はまだ駄目。馬鹿正直なあなたが嘘をつきとおすのはとても難しい事よね。あなたの心がこうしてわたしと居ても平静でいられる様になれば、毎日何時間も腕を組んで歩くだけなんて事に付き合わせないわ。本当はもう1歩進んで、あなたの方からわたしの肩に手を掛けるぐらいになって欲しいのだけど」
 千寿子の期待に満ちた視線を受けて、豪の頬は更に赤く染まる。
「これ以上は勘弁してくれ」
「早く慣れてくれないとわたしも困るのよね」
 小さく溜息をつく千寿子に、豪も申し訳無さそうに小声で答えた。
「努力はしている……つもりだ」
 そのまま2人はお互い黙ったまま歩き続けた。

 池のほとりまで来た所で漸く千寿子が豪を解放する。
「少し疲れたわね。そこのベンチで休みましょう」
 豪も少しでも緊張状態から抜け出したい気持ちで一杯だったので、頷いてベンチに腰掛ける。
 その際、千寿子が座る部分を軽く手で払った。服が汚れない様にと無意識の動作である。
 千寿子は豪のこういう自然で細かい気配りが本人には全く自覚が無くても、同性、異性を問わず好感を抱かれる理由の1つなのだとすでに理解していた。
 千寿子が豪に預けていた(正確には持たせていた)バスケットを開く。中には紅茶入りのポットと千寿子の手作りのケーキが詰められていた。
「どうぞ」
 にっこり笑って豪に紅茶を入れたカップとケーキを差し出す。
 ここで豪がにっこり笑い返してそれを受け取れば絵に描いたようなカップルなのだが、顔が引きつった上に手を差し出しかけたまま全身が硬直しているので違和感この上無しであった。
 肩を震わせた千寿子が絞り出すように声を出した。
「豪、やっぱり春休み中特訓決定ね」
「うっ」
 二人は同時に大きな溜息をついた。

 豪の特訓(調教)はまだまだ続く。

つづく



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