Rowdy Lady シリーズ 3 『天使の歌声は聞こえない』

28.

 不機嫌な顔をしたフェイから真新しいヘッドセットを差し出され、漸くジェイムズは壊れた武装のまま間抜けな独り言を言い続けている事に気付いた。
 ジェイムズとフェイはケイシー邸を出るとすぐにシールド車に乗り、直に専用シャトルに乗り付けた。人と顔を会わす機会が無かったので、途中で脱ぎ着は面倒だとジェイムズは放置していたのだった。
「ああ、ありがとう。フェイ。すっかり忘れていたよ。この姿でクイーンに会う訳にはいかないね。リンダ達が関わっている以上、「闇使徒」を相手に苦労したと同情を買えそうも無いし、ハッタリが通用する相手でもない。そういう点ではお人好しのΩ・クレメントを交渉相手にしたかったかな。クイーン・ビクトリアは怖い意味でリンダに似ているそうだから」
 苦笑しながらヘッドセットを被り直し、セッティングをするジェイムズを横目に、フェイは破壊されたゴーグル部分の破断面を指先でなどる。
「半透明とはいえゴーグルの防御レベルは4です。これを素手で叩き壊せるなんて、リンダ嬢はどういう馬鹿力の持ち主なんでしょうね」
「フェイの位置からだと素手に見えたのかな。リンダはかなり薄手の不可視手袋をしていたよ。防御レベルは6を越えるだろう。公式に出回っている物じゃ無いから正確な数値は想像も付かないね。ヘッドセット本体は壊れていないし、僕自身も痛みはほとんど無かった。リンダは手加減や寸止めが上手い。直接打撃以上の衝撃を感じなかったから、これくらい怒っていると自己主張したかったんだろう。一目でこのゴーグルの弱点を見付け、正確にその場所をピンポイントで叩く。決して怒りに駆られた力任せの攻撃じゃ無かった。本気のリンダならお手の物だろうね。開発部に改良申請をしなければならない。粒子砲やレーザーは拡散出来るけど、銃弾は簡単にそのポイントを貫通出来るなんて冗談じゃ無いからね。そこまで考えてリンダは実践で教えてくれたんじゃないかな」
 淡々と事実を告げるジェイムズに、フェイは空恐ろしさすら感じて身震いをした。
「コンウェル財団もリンダ嬢も、絶対に敵に回したく無い相手ですね」
 含みを持たせた言い回しをするフェイをジェイムズが横目で見る。
「敵対する必要など何処にもないだろう。コンウェルは設立当時から技術力だけじゃ無く理念も高い。うちの上層部があの状態だから、コンウェル財団に振られっぱなしになっているのは仕方無い。そっぽを向かれれたく無ければこちらが変われば良い。結果を出せば公平な優良企業だから話くらいは聞いてくれるよ」
 ジェイムズはいつも笑いながら軽い口調で厳しい事を平然と言う。もう慣れてしまったとフェイは苦笑しつつ肩を揺すった。

「ではリンダ嬢は? 味方にしたら本当に心強い女性です。あなたのパートナーに彼女より相応しい相手は居ないでしょう。太陽系防衛機構は今回の事件も含めて彼女に多大な恩が有ります。ですが、「アンブレラI号事件」の時は「物騒なモンを放置するな」と言わんばかりに、中型宇宙船をうちの本部にぶつけようとしました。第2艦隊がメインコンピュータを破壊されたプラントを、デブリを一切出さすに駐めるのにどれだけ苦労した事か。今回の事といい、つくづく本気で怒らせちゃいけない相手だと痛感しましたよ。リンダ嬢は守護天使と呼ばれていますが、罪人には断罪の天使になるんでしょう」
 リンダが敵じゃ無くて良かったと胸元で十字を切るフェイに、ジェイムズは軽く人差し指を横に振って否定した。
「断罪の天使ねぇ。リンダが聞いたら嫌がるよ。リンダは自分の理念や感情に素直なだけだから。プラントナンバー114は完全にこちらの落ち度だ。あんな物が第1支部と第2支部管轄の丁度中間に有るんだもんなぁ。完全に盲点だったよ。あの宇宙船は犯罪組織に違法改造で過剰武装されていたし、内部には廃棄処分にされたはずのレベル5スーツが何体も有った。レベル6を大量に盗用された上にあれじゃ「何をやっているんだ」とリンダに怒られても仕方無いよ。嬉しい事にリンダは太陽系防衛機構に対して差別意識や嫌悪感は無い。α・シリウス共々命を狙われ続けて極限状態だったのに、騙した僕を理解して許してくれただろう。クラスメイトじゃ無く友達だとも言ってくれた。リンダの「友達」は信頼の証で特別なんだ」
 あまりにジェイムズが嬉しそうに言うので、フェイも釣られて笑う。
「ゴキブリ発言は聞かなかったふりですか? リンダ嬢らしい見事な皮肉だと思いましたけどね」
 「J」の姿を纏っている時の禁句を口にしたフェイに、ジェイムズは手元に有った樹脂製カップを投げつける。
「だからコンウェル財団と仲良くしようって言ってるんだって。君もα・シリウスの装備を見ただろう。「アンブレラI号事件」の時よりかなりランクアップしている。デザインも機能も太陽系警察機構防護服の中で今までに無かった最高レベルの出来だよ。羨ましいったらありゃしない」
 ジェイムズが本気で嫌そうな声を出すので、フェイは思わず吹き出した。
「そのスーツのデザイン、そうとう気にしてたんですね」
「フェイ。イジメかい? くどいよ!」
 ジェイムズはしつこく突っ込みを入れてくるフェイに何か投げつけようとしたが、カップを放ってしまったので何も無い事に気付いて、「2度とこのスーツのデザインの事は言わないでくれ」と釘を刺すだけに留めた。


 時間は5時間程遡る。
 チーム・ビクトリアは何の妨害も無く無事にアンブレラI号に到着した。安全を期すため予定通り大とリリアは「光の矢」号に留まり、ビクトリアとアトルは、太陽系警察機構クイーン級権限で新アンブレラI号司令長官ミシュ・クルトネに申請を出して、一時的にアンブレラI号の一部機能を1日だけ占拠した。
 VIPラウンジ全体を含む1ブロックから職員全員を退去させて、監視カメラやマイクの機能をダウンさせると、ビクトリアは自分専用端末を出してUSA支部に連絡を取った。
『クイーン・ビクトリア。遠方からようこそ。先日はお騒がせいたしました。更にご助力を賜り感謝しています』
 丁寧に礼を取るUSAマザーに、ビクトリアは礼の必要は無いと頭を振る。
「硬っくるしい挨拶は良いわ。あなたが何故あの大切な時にオスカーの元を離れていたのか。コンウェル私邸に何故グラン・マが居たのか。あれでRSMやサラに関する全てのからくりが理解出来たわ。ずいぶん時間を掛けて手の込んだ真似をしたものね。その件については後日グラン・マとしっかり話すとして、オスカーは今何処に居るの? これはオスカー専用のホットラインのはずでしょう」
『グラント・マザーと喧嘩をする気なんですね。オスカー・クレメントと良い、あなた方は本当に……』
 という言葉は飲み込んでUSAマザーはやや俯いた。今は急いでいるビクトリアの機嫌を損ねるべきでない。現在のΩ・クレメントの健康状態についてデータ提示をしながらビクトリアに詳しく説明する。
 マザーの話を聞いてビクトリアの眉が吊り上がった。
「未だに過労と胃痛でドクター・ストップが掛かってるですって? この忙しい時に何をやってるのよ。あのすっとこどっこいは。マザー、オスカーに伝えて。「どんな手段を使っても10分以内に長官室に戻ってらっしゃい。15分以上わたしを待たしたら、地球に降りて「往復ビンタ」をお見舞いするわよ」って」
 やっぱりとマザーは項垂れて頷いた。
『承知いたしました。すぐオスカー・クレメントに連絡を取ります』
 その6分後、ガウン姿でボサボサの頭をしたΩ・クレメントが、止めようする医師達全員を振り切って長官室に飛び込んで来た。

 ビクトリアと同じチームで研修時代を過ごしたオスカー・クレメントは、凶悪犯罪者にビクトリアが切れる度に止めようとして往復ビンタを喰らい、口の中をズタズタに裂くか、歯を数本折って最低半日は再生槽送りになっていた。
 ビクトリアが往復ビンタと「言い張る」攻撃は、普通の平手打ちとは全く異なる。
 一瞬でターゲットの懐に飛び込むと同時に両手のスナップを利かし、コンマ数秒差で両頬を拳で力任せに横殴りする、正に雷光のスピードとパワーだ。
 これを避けられるのは、体術で特化α級のアトルか、そのお墨付きを貰っているリンダ、アトルやリンダのスピードに慣れているα・シリウスと山崎大、散々ビクトリアに殴られ続けてきたΩ・クレメントくらいのものだろう。
 しかし、そろそろ年齢と体力的に厳しいと感じているΩ・クレメントにとって、ビクトリアの往復ビンタへの恐怖に比べたら、休養を求めている胃痛などものの数に入らない。
 肩で息を切らしながら自分に向けてモニター越しに手を振って見せたΩ・クレメントの笑顔を見て、ビクトリアは微笑しながら、想像よりΩ・クレメントの病状が悪くなかった事に安堵し、心から医療スタッフ達に感謝した。
 その後、アトルに沈黙令を出したビクトリアとΩ・クレメントは情報交換をして協議を続け、その途中で太陽系防衛機構「J」からのメッセージを受け取った。
 「J」からの交渉要請文を読んで、ビクトリアはわずかに眉をひそめ、後ろから覗き込んでいたアトルは露骨に嫌そうな顔をした。Ω・クレメントは内心はさておき、こんなものだろうと肩を竦めるに留めた。

『太陽系の平和の為に協力を願う』
 饒舌な「J」にしては珍しく簡潔な文章だが、事が事だけに暗号コードでもこれが精一杯だったのだろう。太陽系防衛機構内で「闇使徒」の名を出すのはそれ程危険なのだ。
「闇使徒から直接ターゲットになっていたオスカーが表に出るのは危険ね。わたしが此処で「J」と会いましょう。オスカーはモニター通信で参加をお願いするわ」
 反論は許さないと言わんばかりのビクトリアの真剣な表情を見て、Ω・クレメントは一旦目を伏せると頷いた。
『直接交渉は君に委せよう。別回線を使って「J」は私達の安全を保証すると言っているが、太陽系防衛機構も1枚岩じゃない。残念だが今の私の体力では突然の襲撃に対応出来ない。見くびられ無い様威厳を保ちつつ「J」と長時間対峙するの事も困難だ』
 小声でもう僕は君と違って若くないしとΩ・クレメントが愚痴をこぼすので、ビクトリアの額に青筋が走る。
「オスカー、わざとらしく年寄りぶるなといつも言っているでしょう。正直に「健康面に自信がないからハッタリが続かない」と言いなさい。USAマザー、見苦しく無い程度にオスカーの身支度と簡易ベッドの用意をお願い。対談ではオスカーの胸から上だけしか映さない様にカメラをセットして。長時間になるだろうから、出来るだけ楽な姿勢にしてあげて欲しいの。極力わたしが頑張るから、オスカーが話す必要のない場面では事前に録画しておいた画像でも良いわ」
 呼び出し方は強引だったが、惚れた弱みでビクトリアはΩ・クレメントに甘い。マザーはにっこり微笑むとΩ・クレメントの支度に取りかかった。

 Ω・クレメントと打ち合わせを済ませたビクトリアは、護衛役のアトルを伴いソファーに腰掛けて、噂に聞いていた太陽系防衛機構姿無き幹部「J」を待ちかまえていた。
 ビクトリアが座っている横にはUSA支部長官室に居るΩ・クレメントの姿を映した端末が置かれている。
『ビクトリア、あまり言うと君はしつこいと思うかもしれないが』
 顔色を伺いながら声を掛けるΩ・クレメントに、ビクトリアは横目で視線を送る。
「何なの?」
『どんな状況になっても絶対に罵詈雑言を吐くな。物を壊すな。暴れるな。人を殴るな。蹴るな。君の本性を晒して「雷光(ライトニング)」の名前を復活させるのだけは止めてくれ。対談中は大人しくクイーン級を演じてくれ。君をフォローする僕の胃が持たない』
 真剣に訴えるΩ・クレメントの顔を見て、アトルとマザーは腹を抱えて爆笑し、ビクトリアは耳まで真っ赤になった。
「オスカー、それはどういう意味?」
『君の電光石火のパンチと蹴りを何度も喰らった男の体験談だ。この交渉は何が有っても失敗出来ないだろう。君が最後まで頭に血を上らさずにいれば、太陽系警察機構に好意的な「J」は難しい相手じゃない』
 あまりの評価にビクトリアの額に青筋が浮く。
「分かってるわよ。クイーンの演技をやり通すわよ。でもね、オスカー」
『何だ?』
「地球時間で27年も前の事をくどくどと。あなたが本当に根深くしつこいのがよーく解ったわ。……覚えてらっしゃい」
 一旦途切れた通信モニターを見つめ、Ω・クレメントは心底恐怖した。愛情は有っても1度身体が覚えてしまった恐怖は消えないものである。

 一方ビクトリアは昔の事を突かれて、怒りと恥ずかしさと同時に、Ω・クレメントが27年の時を経ても全く変わっていない事に喜びを覚えて複雑な表情を浮かべていた。
「ほい。ビクトリア、時間はまだ有るんだろ。飲んで少しは落ち着けって」
 アトルはラウンジから失敬してきたホットコーヒーを2つ持って1つをビクトリアに差し出した。
「ありがとう、アトル」
 何かを言いたげなビクトリアの視線を受けて、アトルはにやりと笑う。
「紅茶はビクトリアが好きな種類が無かったから止めといた。船から持ってくりゃ良かったな。俺が今から取ってきても良いけど、此処じゃビクトリアを1人には出来ねぇ」
「そうね」
 アンブレラI号は太陽系開発機構に所属し、独立した刑事組織を持っている。「アンブレラI号事件」でリンダとα・シリウスの命を狙ったのも、裏組織がらみとはいえ正規資格を持った刑事だった。
 太陽系開発機構と太陽系警察機構がどれ程上手くやっていても、末端までは行き届かない。
 前任者が逮捕され、新指司令長官に選ばれたミシュ・クルトネは太陽系警察機構に好意的でかなりの人格者と聞くが、自分達の管轄を奪われた刑事達は、ビクトリア達の強引な行動を快く思っていないだろう。
 心許なげにビクトリアがコーヒーを飲むのを見て、アトルが少しだけ拗ねた声を出した。
「ビクトリア、クレメントに比べたら俺はガキだ。交渉の役には全く立てねぇし、メンタル面でも頼りになんねぇかもしんねぇ。けどな。俺は絶対にビクトリアを守る。何か事が起こったら、どんな手段を使っても無事に「光の矢」号に連れて帰るから少しは安心しろっての」
 クッキーを口一杯に頬張りながら訴えるアトルに、ビクトリアも自然と笑みが浮かぶ。
「誤解が有るみたいだからはっきり言うわ。そういう意味ではわたしは全く心配してないわ。戦闘スキルならオスカーよりアトルの方が上。このわたしが言うんだから間違い無いわよ。アトルならどんな場所でも安心して背中を預けられるわ。交渉中は口を利くなとは言ったけどあなたも「J」と会うのよ。少しはしゃんとしてなさい。頬にクッキー屑が沢山付いているわ」
 ビクトリアは笑いながらボサボサなまま放置しているアトルの髪を1房掴んで引っ張る。苦笑しながらアトルはビクトリアの手を離させた。
「いてーよ。ビクトリア」
「痛くしなきゃあなたは分からないでしょう。さて、そろそろ時間だわ。オスカーを呼び出してかの「J」の顔を一緒に拝んでやりましょう」
「分かった」
 ビクトリアが座っているソファーの背もたれに座っていたアトルが立ち上がって背後に回る。軽い冗談でビクトリアの緊張をほぐしながら決して役割は忘れない。
 テオ・アトルは地球年齢で20歳を越えるので特化α級の資格を持つ。とはいえ、実年齢ではまだ16歳の少年だ。誇り高き王の成長が楽しみだとビクトリアは正面を見据える。
 予定時間どおりに護衛のフェイ少佐を伴い、VIPラウンジに現れた「J」の愉快な姿を見て、ビクトリアは内心で爆笑しながら氷の笑顔を張り付けた。


 目まぐるしく光の渦が流れていき、視界も変わっていく。
 衛星から誘導を受けながらクリスマス渋滞や人を避けるべく公道の、しかも脇道ばかりを選んでα・シリウスが猛スピードで車を走らせるので、リンダの動体視力やコンタクトレンズに連動した衛星の追跡機能を駆使しても、検索出来るのはおおよその現在位置のみで、α・シリウスが何処を目指しているのか方角しか想像が付かない。
 この状態でα・シリウスが使っている衛星にハッキングを仕掛けるのは危険過ぎる。
 α・シリウスは研修時代にチーム・ビクトリアで「光の矢」号に搭乗していた。リンダが知るかぎり、太陽系最高の操船技術を持つメインパイロットの大から、α・シリウスは様々な技術を教えられている。
 高Gの中、コンピュータサポートは情報だけで、α・シリウスはほぼマニュアルで車を運転している。これ程の腕なら「光の矢」号のサブパイロットに望まれても当然だとテストパイロットのリンダは思った。
 車は街中を完全に抜けたらしく、周囲から光りが消えて徐々に闇が広がっていく。舗装状態があまり良くないのか、地面を捉えるタイヤの軋み音が聞こえてくる。
「サラ、舌を噛まない様に歯を食いしばれ!」
 α・シリウスの指示をリンダはすぐに実行に移した。その直後に車は上り坂の道路から横の斜面に乗り上げて角度が更にきつくなる。α・シリウスはスピードを一切落とさずに道路と斜面を5回乗り越え、強引なショートカットをした。

 車の前方が開けるとα・シリウスは急ブレーキを踏んで車を停止させた。ブレまくっていたリンダの視界も正常に戻る。
「あっ」
 コンタクトレンズが正確な現在位置を表示し、リンダはそれを見て口元に手を当てたまま硬直する。
 α・シリウスは自分のシートを倒すと、バックシートの下に保管しておいたケースから中身を取りだして、呆けているリンダの膝の上に乗せた。
「リンダ、今ならまだ間に合う。会いに行って来い」
 突然視界に飛び込んできた純白のバラの花束と、α・シリウスが自分の名を正確に呼んだ事に驚いて正気に返ったリンダは、α・シリウスを見返して微かに震える。
「でもシリ、まだ仕事は全て終わっていないわ。報告書を纏めないと……」
 何度も時間を気にしては泣きそうな顔をしていたくせにまだそれを言うかと、α・シリウスはゴーグルを外してリンダの頭を軽く叩いた。
「俺もこれから完全待機に入る。マザーとの連絡は全て切った。「任務完了」と言われただろう。Ω級でしか対応出来ない事件だ。スモール級の俺達は長官から報告書を出せと言われてからやれば良い。リンダ、もうレディ・サラをやらなくて良い。17歳の普通の女に戻って良いんだ。お母さんと友人達に会いに行け。その花はケイン氏から今日リンダに渡して欲しいと2日前に預かった物だ」
「パパから?」
 まだ迷いが抜けないからか、花束を抱えて今にも泣き出しそうな顔をしているリンダを、α・シリウスは強引に車から追い出した。
 よろけながら振り返ったリンダをα・シリウスは怒鳴りつける。
「行け。リンダ。ここから先は車では行けない。その坂道をまっすぐ上に行った場所にリンダが会いたがっていた人達が居る。時間が無い!」
「ありがとう。シリ」
 α・シリウスの力強い声に推されて、笑顔が戻ったリンダは花束を抱えたまま走り出した。

 ワシントンDCからニューヨークシティ東端まで、α・シリウスはひたすら早いコースを選んで走り続けた。
 ニューヨークシティ再建記念公園は、先の大災害で多大なダメージを受けた海岸線から、やや北西に現在のニューヨークシティが移設された時に造られた。
 此処には11年前の今日に起こった「鮮血のクリスマス事件」犠牲者の共同墓地も有り、今も多くの遺族や知人が死者を悼んで訪れる。
 「鮮血のクリスマス事件」はリンダの母ジェシカや同行していたシークレットサービス3人の命を奪い、当時まだ6歳だったリンダの記憶と声も奪った。
 去年までのリンダは1日中この場所で母や親しくしてくれた友人達に無言で語り掛け、公務を終えたケインと共に祈りを捧げていた。
 純白のバラはジェシカが大好きな花だった。ケインがα・シリウスに花を預けたのは、事件を抱えたリンダは今年は一緒に墓参りが出来ないと判断したからだろう。
 走りながらSIスペシャル防護服を脱ぎ捨てたリンダは、黒いシンプルな薄手のミニワンピース姿に替わっていた。普段は銀色のブーツと髪飾りも艶を失い漆黒に変わる。ユダを追いながらリンダは心の中で1日中喪に服していた。
 リンダは息を切らしながら墓標を見付けると、花ごとジェシカの墓石前に飛び込んだ。
 墓地管理人の手によると思われる花と、ケインからと思われるパトリシアが好きだった淡いピンクのランが5人の墓石の上に置かれている。
 リンダは身体を起こしてトミー、アルフレッド、パトリシアの墓石に花を手向け、最後に母ジェシカの墓石に置いてジェシカの墓石にしがみつく。
パパもちゃんと来られたのね。ママ、皆良かったわね。わたしも間に合って嬉しい。
 リンダはゆっくりと墓石の上に身体を預けた。

 クリスマス・イブ深夜の墓地。こんな時間に訪れる者はまず居ない。1人きりで墓石に横たわるリンダの全身を寒さで降り出した雪が濡らす。
 α・シリウスはだんだん雪が強くなる空を見上げて小さく舌打ちをした。
 リンダの気が済むまではそっとしておこうと思っていたが、さすがにあの姿では風邪を引いてしまうと自分のコートを車から取りだした。
 坂の半ばまで上がった所でリンダが脱いだSIスペシャルを拾い上げる。人が譲った物をぞんざいにとはα・シリウスには思えない。
 今朝目覚めてからリンダは何度も何処か判らない所に視線を向けていた。コンタクトレンズに映された現在時刻を見ているのだろうとα・シリウスは黙ってその様子を見つめていた。
 α・シリウスのコンタクトレンズには無いが、太陽系警察機構のゴーグルにはほぼ同じ機能が有る。
 大切な人の命日に目覚め、刻々と時間が経つのを見つめながら犯人を追うのはまだ未成年の少女にとってかなり辛い経験だっただろうとリンダの心情を思いやる。
 何年経とうと大切な家族を犯罪という形で失った遺族の傷は癒えない。それはα・シリウス自身にも言えた。
 どれ程寒く雪と風が強まっても母親の墓石から全く離れ様としないリンダは、まるで自分の本音を映し出す鏡だとα・シリウスには思えた。
 事件被害者保護法で本名こそ伏せられたが、劇的救出時にマスコミから「奇跡の少女」と呼ばれ有名になったリンダとは違い、α・シリウスは両親達に会いに行く権利を持たない。護られているのか縛られているのか、太陽系警察機構に身を置くα・シリウスにも時折判らなくなる。
 しかし、どんな形であれ生き延びた自分やリンダはまだ幸せな方なのだ。不満を言っていては死んでいった者達に申し訳が立たない。

 すぐ側まで行ってもリンダは微動だにしない。頬は血の気を失い青白く、唇も紫になり掛かっているのにリンダは微笑すら浮かべている。
「リンダ、もうすぐ今日が終わる。そろそろ良いだろう。その姿では風邪を引くぞ」
 自分の髪に積もった雪を払うα・シリウスの手に気付いてリンダは目を開ける。
「もうしばらくこうしていたいの。駄目?」
「気持ちは解るが駄目だ。気温が0度を下回ってる場所に30分以上は寝転がっているだろう。リンダが体調を崩すと、どうして止めなかったのかと心配性のケイン氏やサムに俺が怒られる。というか、俺も心配になってきた。頼むから起きてくれ」
 少しだけ突き放した口調で、珍しく優しい言葉を口に乗せるα・シリウスにリンダは笑って上体を起こした。
 α・シリウスはリンダの腰を抱き上げて立たせると、軽く雪を払ってやり肩に防寒機能も付いている防護服を掛けた。
「ありがとう。拾ってくれたのね。急いでいたからそのまま放ってしまったの」
 防護服を両手で引っ張り、胸を合わせようとするリンダの指先は真っ赤で震えている。
 α・シリウスは数瞬考えて、肩に引っ掛けておいたコートの前を開くと、リンダの身体をしっかり抱き込んで包んだ。
 突然視界を塞がれたリンダが、ぷはっと息を吐きながらα・シリウスの腕の中から顔を出す。
「シリ、息が出来なくなっちゃうわ」
「凍えるよりましだろう。車のエンジンは止めてしまったから今戻っても寒いだけだ。体温が戻るまでこうしているから大人しくしてろ」
 余程寒かったのか口だけは文句を言いつつ、しっかり自分の胸にしがみついてくるリンダにα・シリウスは笑顔で答える。
 リンダは芯まで冷え切っていた身体が、α・シリウスの優しい抱擁と体温でゆっくりとほぐされていくのを快く感じていた。


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