Rowdy Lady シリーズ 3 『天使の歌声は聞こえない』

29.

 日付が変わり公園中央に有る教会の鐘が鳴り響く。集まった熱心な信徒達がキリストの誕生を祝っているのだろう。
「12時を回ってしまったわね。無断だからまたパパに怒られるかしら。ハードな1日だったから夕食抜きの刑だけは勘弁して欲しいわ」
 ぺろりと舌を出すリンダにα・シリウスも苦笑する。
「そうだな。しかし、今日くらいは……」
 珍しく話し掛けてα・シリウスは視線を泳がせると小さな溜息を漏らした。
「今日だからこそ絶対に無理か」
 α・シリウスの意味深な言い回しには気付かず、リンダはやってしまった事は仕方がないと笑う。
「わたしの居場所を探査したパパから呼び出されたあげく怒鳴られる前に帰らなきゃね。ありがとう。身体は温まったわ。シリも疲れているでしょう。せめて家でご飯を食べて行って」

 リンダが離れようとするのをα・シリウスの力強い腕が制止した。どうしたのだろうとリンダはα・シリウスを見上げる。
「シリ?」
「リンダに言いたい事が有る」
「何?」
 真剣な顔で自分を見つめるα・シリウスの視線をリンダは正面から受け止める。
 α・シリウスは緊張で喉に渇きを覚え、両手の平には汗が出ていた。たった一言を言うのにこれ程緊張するものかと、自分でも意気地の無さに嫌になる。
 リンダは密着したα・シリウスの心音が早まっている事に気付いて、大人しくα・シリウスの言葉を待った。
「リンダ」
「はい」
「誕生日おめでとう」
 思いもしなかった事を言われて、リンダは大きく目を開き息を飲んだ。かすかに震え出す手を押さえて俯き掛けた顔を上げる。
「知って……いたの?」
 緊張が解けたα・シリウスは何を今更という顔をして笑う。
「当然だ。リンダのデータは一般公開された物や、太陽系警察機構が持っている全てを頭に入れている。ただ……」
「何?」
 α・シリウスが困った顔になって視線を逸らすので、リンダは背伸びをしてα・シリウスの顔を覗き込む。
「ここ数週間忙しくてプレゼントを買いそびれた。それに……リンダの家を見たら俺の給料じゃ何を贈っても見劣りしそうな気がして、何ならリンダに喜んで貰えるのか判らない。希望が有れば言って欲しい」
 日頃は口が悪い不器用な男の精一杯の言葉に、リンダは満面の笑みを浮かべてα・シリウスの胸に顔を預けた。
「ありがとう。その気持ちだけで充分よ。パパとサム以外から誕生日当日におめでとうと言われたのは何年ぶりかしら。十年は聞いていない気がするわ」
「あれだけ友達が居るのに他の誰も言わなかったのか?」
 α・シリウスが驚きの声を上げるとリンダは曖昧な笑みに変わった。
「昨日はママ達の命日で、今日がわたしの誕生日。わたしは記憶を無くしてしまったけど瓦礫の中から救出された日でも有るわ。きっと皆はわたし達親子をそっとしておく事が1番だと思ってくれているのよ。わたしの誕生日は誰も連絡を寄こさないもの」
 完全に無人になったコンウェル家を思い出し、α・シリウスは自分の不注意さを恥じた。
「あ、……ああ。気が回らなくて済まない。リンダ」
「気にしないで。あっ」
「どうした?」
 何かを思い付いたという顔をするリンダの顔を、今度はα・シリウスが覗き込む。
「リクエストをしても良いなら、シリの本当の名前を教えて欲しいの。スモール級は本名を名乗れないルールは分かっているけど、さっきからシリはわたしを「サラ」じゃなくて「リンダ」と呼んでくれているでしょう。わたしもオフの時はシリを本当の名前で呼びたいわ。誕生日プレゼントはこれじゃ駄目かしら?」
 無邪気な願いにα・シリウスは泣きたい気持ちを堪えてリンダを強く抱きしめた。
「リンダ。教えたいのは山々だが、太陽系警察機構のルール以前に、俺は太陽系で最も権限の強い法律で誰にも名前を言えない。生きている事も公に出来ない立場に有る。許してくれ」

 23世紀の現在、最も権限の強いルールは太陽系憲章だ。太陽系開発機構、太陽系警察機構、太陽系防衛機構はこの憲章によって設立された。事件被害者保護法もこれに含まれている。
 リンダは数日前の父ケインの失言で、α・シリウスは事故で肉親を亡くし身寄りが無い事を知った。「鮮血のクリスマス事件」被害者のリンダはマスコミには名前を伏せられたが、立場は守られ普通に暮らしている。
存在している事すら証せないなんて、シリは一体どんな事故の被害者なの? 余程の事故のはずだわ。
 リンダは必死で記憶を辿ったが思い当たる事故が無い。
 一方、α・シリウスは幼い頃から自分を縛り、リンダのささやかな願いすら叶えられない法律へのもどかしさに怒りを感じながら、リンダにとって特別な存在で居たい願望を叶えられる名を探し続ける。
 懐かしい名がα・シリウスの脳裏に浮かび、α・シリウスは喜びと悲しみと寂しさを覚え、自分がどれほど愛情に餓えているのかを改めて知った。
「リンダ」
「何?」
「本名は言え無いがリンダに呼んで欲しい名が有る。死んだ両親が俺に付けたニックネームで、今は誰もこの名を使わない。リンダが呼んでくれるのなら俺はとても嬉しい」
 耳元で囁かれてリンダは何度も「ええ」と頷く。亡くなった両親が付けた愛称なら、α・シリウスにとって1番大切な名前だと確信出来る。
「エーレ。と、呼んでくれ」
「エーレなの?」
 問い掛ける様に呼ぶリンダにα・シリウスは「そうだ」と力強い抱擁で応える。
「エーレ?」
「ああ」
「エーレ」
「リンダ、お願いだ。もっと俺を呼んでくれ」
 何十年ぶりに名を呼ばれて喜びで心が満たされていくα・シリウスにリンダの感情も同調して高まっていく。
「エーレ、エーレ、エーレ!」
「リンダ!」

 降り積もる雪など溶けてしまいそうな程に心は温もりで一杯になっている。愛する人から記号では無い名で呼ばれる事の幸せをα・シリウスは噛みしめる。
「リンダ」
「何?」
 真っ直ぐに見返され、α・シリウスは頬を赤く染めると小さな声で呟いた。
「キスしても良いか? その……出来れば口にしたいんだが」
 リンダは少しだけ「はい?」という顔になり、α・シリウスが言った言葉を正確に理解すると微笑んだ。α・シリウスにどれ程感謝しているか、とても言葉だけでは言い表せない。
「良いわ」
 目を閉じたリンダの頬に手を添えると、α・シリウスは微笑みゆっくりと口付ける。
 始めは優しく徐々に強く激しく深くなっていく口付けにリンダの思考は真っ白になり、体重を支えきれずにα・シリウスに預ける形になる。
 リンダの素直な反応に満足したα・シリウスは、リンダの唇を開放すると強く抱き締め直した。

 無言で抱き合う2人に無粋な現実が襲い掛かる。
 雰囲気を一気にぶち壊しにしたのは、α・シリウスの巨大な腹の虫の音だった。
 コンウェル家を出る前に軽食を摂ってからかなりの時間が経っている。そういえば自分も空腹だと堪えきれなくなったリンダが笑い出す。α・シリウスも自分の間抜けぶりに笑うしか無かった。
 ひとしきり笑ったリンダが涙を拭きながら顔を上げる。
「エーレ。今日、明日に予定は有る?」
 問われてα・シリウスはゆっくり頭を振った。
「これ程早く事件担当を外されるとは思わなかったから何も考えていない。そうそう長官から呼び出しも無いだろう。USA支部に帰るのは癪だから、リンダを送ったらニューヨーク郊外のアパートに帰って寝る」
 溜息混じりのα・シリウスに対し、リンダは嬉しそうに微笑んだ。
「そうならもう1つお願いしても良いかしら?」
「何だ?」
「一緒にうちに帰って欲しいの。毎年わたしの誕生日は家族だけで過ごすの。エーレも一緒ならきっとにぎやかになって嬉しいわ」
そんな事をしたらケイン氏に殺される。
 というα・シリウスの切実は考えは、アトルも一瞬で懐柔された初めて見るリンダの「お願い聞いて」上目遣いにあっさり破棄された。
 故意にやっているのなら無視も出来るが、リンダの視線には嘘が無い。こんな素直な顔でお願いされたらどんな願いでも叶えたくなる。
 つくづく男という生き物は惚れた女に勝てないらしいとα・シリウスは苦笑した。
「今日1日はリンダが望むとおりにしよう。ささやかだがもう1つの誕生日プレゼントだ」
「ありがとう!」
 至近距離から飛び掛かってきたリンダをα・シリウスは受け止めきれなかった。
「うわっ!」
「きゃーっ!」
 2人はそのまま公園の急な坂道を転がり落ち続け、雪まみれになって車の前で止まる。
 むくりと起きあがってリンダは全身を覆った雪を払い落とす。α・シリウスも俯せになった体勢を直し、顔を振って雪を払った。
「エーレ、まるで巨大な雪だるまだわ」
「リンダこそ溶けかけた雪だるまだ。全身に泥まで付いてせっかくの美人が台無しだ」
 リンダとα・シリウスは互いに声を立てて笑うと再び抱き合った。


 α・シリウスの予想通り、雪で泥だらけでずぶ濡れになって帰ってきた2人の姿を見たケインは複雑な表情を浮かべた。
「ただいま、パパ。今年はエーレが一緒に居てくれるのよ」
 満面の笑みでリンダが言うのでケインは少しだけ眉をひそめる。
「エーレ?」
 すぐにリンダはやってしまったと思い、申し訳無さそうにα・シリウスを振り返る。
 リンダがケインに嘘を言えるはずが無い。α・シリウスは笑ってリンダの頭を撫でた。
「その名で呼ぶのは2人きりの時だけにして欲しかったが、言ってしまったものは仕方がない。それにケイン氏は信頼出来るから大丈夫だ」
 これまでとは違う雰囲気にケインは心の中で溜息をつくと、2人にすぐにシャワーを浴びてくる様に言って料理を温め直す為にキッチンに向かった。
 家族だけで過ごす日にリンダはα・シリウスを連れて帰ってきた。つまりはそういう事なのだろう。それでもケインにはある確信が有ったので、これから起こるだろう様々な事を予想してほくそ笑んだ。

 全員がラフな服に着替え、数枚の布団を敷き詰めた暖房の効いた部屋で、リンダとα・シリウスとケインは、久しぶりに仕事を完全に忘れて会話を楽しみながら食事を摂った。
 一家団欒という雰囲気に、バースディパジャマパーティーかとα・シリウスは納得する。
 食後の口直しにとケインとα・シリウスが本物のワインを飲むのを見て、リンダが恨めしそうな顔をする。
 未成年が何を寝言をと普段ならケインもα・シリウスも一喝しているところだが、事件を知ってからのリンダの素晴らしい努力とその結果、プラス誕生日だからというひいき目が2人の判断を鈍らせた。
 それにこのまま放置して飲み続けると、コーヒーとノンアルコールのシャンパンしか口にしていないリンダに呪われそうで、せっかくの酒が不味くなるというのも有った。
「バースディプレゼントに1杯だけだ」
 ケインは念を押してリンダにもお裾分けをした。
 初めて持つワイングラス。濃い赤紫色の向側から僅かに光の欠片が見える。芳醇な甘酸っぱい香りを堪能してリンダはワインを口に含んだ。
「美味しい。料理に使われたりデザートに掛けられているのを食べた事なら有るけど、こんな美味しい物を全く子供に与えない大人は凄く横暴だと思うわ。ワインやお酒はすごく種類が有るんでしょう。子供は舌が敏感なのに、大人になってからじゃ味を覚えられないじゃないの。それって教育に悪いと思わない? わたしは思うわよ」
 初めてアルコールを口にしたリンダはハイテンショントークで抗議をし始めた。
 ケインとα・シリウスは同時に指で両耳に栓をして「リンダはアルコールに強くて弱い」と気付いたが後の祭りだった。
 残り少ないとはいえ、ワインの瓶をケインからひったくったリンダは、「お前は何処のおっさんだ?」とツッコミたくなる立て膝姿で、直に瓶に口を付けてちびちびワインを飲んでいる。
 さすがの親馬鹿ケインも娘のあられも無い姿に頭を抱え、α・シリウスは乾いた笑顔でリンダから視線を外した。
母親似の見た目を完全に裏切るその中身が問題なんだっ!
 これではとても外でリンダにアルコールを飲ませられないと、ケインとα・シリウスは同時に大きな溜息をついて頭を振った。

「疲れたぁ。ねむいのー」
 空になった瓶を放り投げると、完全に酔っぱらったリンダはα・シリウスの膝を枕に眠り始めた。ケインの突き刺さる様な視線に、α・シリウスの心臓は一気に縮み上がる。
 青ざめ怯えているα・シリウスの姿を見て、ケイン苦笑しながらリンダの肩に毛布を掛けた。
「君も疲れているだろうが、足が痺れるまではそのままにしてやってくれ。リンダは1度寝たら数発拳で殴らないと起きない」
「そうですね」
 α・シリウスが諦めてあっさりと肯定するので、ケインも本当の笑顔を向ける。
「起きている間はずっと気を張りつめているからだろう。常に大人に囲まれて育ったからか、本心から甘えるのがとても苦手な子だ。ジェシカが死んだ後も私は仕事ばかりで、ずっとサムやメアリ、マイケル達に委せっぱなしにしていた。可哀相な事をしていると思う」
「リンダはあなたの愛情を疑った事は有りません。……と俺には思えます。リンダは日頃あなたは厳しいと愚痴を言いつつ、心から尊敬し愛しています」
 アルコールが入っているからか、普段は露骨に自分を避けているα・シリウスが珍しく饒舌になっているので、ケインも負けずに言い返す。
「私をおだてても何も出ないぞ」
「分かっています。欲しいものは自分が努力して手に入れます」
 愛おしげにリンダの髪を撫でながら微笑むα・シリウスを見て、ケインはなるほどそっちかと納得する。
 α・シリウスはあっと気付いて、ケインに向き直った。
「リンダの枕元に俺専用の防護服が有ったので、リンダにも使わせて貰いました。制作に時間の掛かる高価な物をありがとうございます」
「今更何を言っている。納入直後からリンダも使っていただろう。まさか気付かれていないと思っていたのか」
 ケインが露骨に馬鹿かという顔をするので、α・シリウスも苦笑する。
「あなたに気付かれていないと本気で思っているのはリンダだけです。SIスペシャルは俺が少々無謀なテストをしたくらいで破れません。追加発注した段階でばれると長官やマザーも思っていました」
 そんなものだろうと思いながらケインは一応と釘を刺す。
「うちの開発部でテストをした時に、リンダが物欲しそうにしていたからやはりと思った。君がリンダに甘いのは解っているが少しは自重してくれ。娘の暴走度が加速する」
 一方的に自分が悪いと言われて、酒の入ったα・シリウスも負けじと反論する。
「俺が申請から1ヶ月も待ったあれを喜んでリンダに渡したと思いますか? 着ていたのをリンダに強奪されたんです」
 α・シリウスの微妙な言い回しに、ケインの眉間に皺が寄った。
「どういう経緯でそうなるんだ?」
「言いたくありません。というか、思い出したくありません」
 油断していたとはいえ、寝起きのリンダにベッドに押し倒されたあげく、無理矢理服を剥ぎ取られたなど、今更親馬鹿に愚痴れるはずがない。どんなツッコミや嫌がらせをされるか判らない。
 コンウェル家の面々やマザー、Ω・クレメントまでが自分を「ヘタレ」と言っている意味を、鈍いα・シリウスも薄々気付いていた。この上恥の上塗りは嫌だと本気で思っている。
 「お前も人の親で同じ男なら察しろよ」と言わんばかりのα・シリウスの表情に、ケインはおおよその想像が付いて、この時だけは心からα・シリウスに同情した。
 幼い頃からサムとじゃれあっていたリンダにとって、α・シリウスも同じ様なものなのだろう。α・シリウスを枕代わりにしているリンダの寝顔がそれを物語っている。
 18歳にもなってとはケインは言えない。リンダの精神を守る為にサムと何度も議論をした上で、意識操作に同意したのは自分だ。

 ケインとα・シリウスはアルコールからブラックコーヒーに切り替えて、安らかな顔で眠っているリンダを無言で見つめ続けてた。
 お互いにどんどん不毛な会話になるのを無意識に避けたのだがケインが沈黙を破った。
「一昨年まではリンダが寂しがらない様にとサムが一緒に誕生日を祝ってくれた。しかし、さすがにサムも結婚してからは家族とクリスマスを過ごしている。去年はリンダと2人きりで祝ったんだが、お互いに何を話して良いのか判らず、結局チェスをしていた。何度やっても引き分けになるので意地になって徹夜をしてしまった」
 サムの名を出されてα・シリウスの顔が緊張する。サムは今もリンダを愛している。リンダの気持ちに応えて、自分で封印を解くのが怖くなりメアリを選んだ。
 α・シリウスも自分が原因でリンダが意識崩壊を起こす可能性が有ると言われたら、正直に怖いと答えるだろう。
「あなたとリンダの考え方や構築方法はとてもよく似ています。ノーミスで2人が本気でやり合ったら、千日手になるでしょう」
「たしかに君の言う通りになった。サムも言っているが君はリンダをパートナーとしてもよく理解している。私も君と一緒に仕事が出来て楽しかった」
 一方的に虐められ続けただけの様な気もするがと思いながら、α・シリウスは「光栄です。俺も勉強になりました」と答えた。
 Ω・クレメントとは全く違う切り口のケインの手腕に、太陽系5指に入る大企業を治めるだけの事は有ると思ったのは事実だ。それにうっかり口を滑らしてケインの機嫌を損ね、自分が寂しいアパートで1人きりにならない様にと気を使ってくれたリンダの好意を無にしたくない。
 思っている事が全て顔にでていたからか、ケインはふいにα・シリウスに笑顔を向けた。

「娘を愛しているか? ラファエル」

 瞬間的にα・シリウスの表情が凍り付く。
 リンダを愛しているかと聞かれた事より、Ω・クレメントとチーム・ビクトリア以外は知らない自分の本当の名を呼ばれた事がα・シリウスの思考を奪った。
 以前、自分の個人データが盗まれた時に、どういう意図かコンウェル家にも送られた。ケインは不審な手紙だから読んでいないと言っていたはずだ。
 反応が出来ないα・シリウスに、ケインは順番を間違えたと頭を振った。
「済まない。驚かす気は無かった。私も人の親だ。リンダが君のパートナーに選ばれた時に君の事を調べたと言っただろう。どれだけ調べてもΩ・クレメントが後見人になった5歳以前の君の経歴は全く解らなかったので、Ω・クレメント、当時のα・マーズが手掛けた事件をしらみつぶしに探した。そしてあの表向き事故とされている事件に突き当たった。この作業は全て私1人でやったから安心して欲しい」
 青ざめて沈黙を通しているα・シリウスに、ケインは全てを話すべきだと判断した。
「21年前のあの事件は1万人を越える犠牲者を出した太陽系最悪の大惨事で、その内の70パーセントが10歳以下の子供だ。生死不明者名簿から君の年齢や外見に似た子供をピックアップしても千人単位までが限界だった。チーム・ビクトリアが君を「RSM」と呼んでいるのを聞いて漸く百人未満まで絞れた。リンダが君を「エーレ」と呼んだので確信が持てた」
「……そうですか」
 無表情のα・シリウスの声からトーンが消え、ケインは完全に失敗してしまったと自分の性急さを恥じた。
「君が今置かれている状況は太陽系開発機構にも重い責任が有る。ラファエル、私達を恨んでいるか?」
「いいえ、あなた方を恨んではいません。俺がこの手で殺してやりたいのは犯人だけです」
 両目をきつく閉じてα・シリウスは首を横に振る。思い出すと今でも胸が焼け付く様に痛みだす。

「止めよう。済まない。ラファエル。君を苦しめる気は無かった。ただ、真実を知りたかった。君はリンダとよく似ている。リンダが一緒に居れば君はどうしてもあの事件を思い出すだろう。リンダを君の側に居させる事が本当に君の為になっているのか。それが不安だった」
 ケインの本音を聞いて、α・シリウスは顔を上げる。
「リンダは君を信頼し慕っている。今のリンダではせいぜい「優しい歳の離れたお兄さん」だろうが、いずれは君の気持ちを理解出来る様になるだろう。サムは君ならと推薦するが、私は君の好意に甘えるべきか悩んでいる。封印が解けたリンダは君を選ばないかもしれない。そうなったらリンダと君が傷付け合うのではないかと私は……」
「待ってください!」
 早口でまくし立てるケインをα・シリウスが厳しい口調で制止する。
「言ったはずです。自分の力で欲しいものは手に入れると。そこから先は俺とリンダの気持ちの問題です。リンダの意識崩壊を防ぐ為にアドバイスを求めるでしょうが、それ以上は無用です。俺はリンダの意志で仕事上のパートナーでも只の友人でも無い俺を見て欲しいんです。その努力は惜しみません」
 茨の道だろうにきっぱりと助力を断るα・シリウスの潔さに、ケインは救われる思いを味わった。
「ラファエル・サクロ・モンテ(Raphael=Sacro=Monte)、まさに君は神の山に住まう癒しの天使だな」
 ケインから1番聞きたく無いフルネームで呼ばれて、α・シリウスはむせながら床に倒れ込んだ。
 両親を愛してはいるが、この仰々しく恥ずかしい名前だけは恨まずにいられない。この名前のせいでどれだけ友人達からからかわれた事か。気の置ける友人達は自分を「ラフィ」と呼んでくれていた。
「すみません。聞かされる方が拷問なので、そろそろ俺の名前を連呼するのは止めてください。シリウスでもシルベルドでもかまいませんから」
 ぜいぜいと息をしながら胸を押さえるα・シリウスに、これは面白い弱点を見付けたとケインは笑う。
「ラファエル・サクロ、両親の思いが込められている良い名じゃないか。君に似合ってると思うが」
「うがががががっ!」
 α・シリウスが両耳を押さえてのたうつ姿にケインはいたく満足をした。
 ジェシカ達への花を預けた時からリンダとα・シリウスの関係が変わるのは分かっていた。それでもα・シリウスにしか頼めなかった。
 信頼するサムも愛するあまりにリンダの元を去り、α・シリウス以外、他の誰もリンダの本音を引き出せない状態が続いている。
 1度犠牲にしたα・シリウスを、再び自分の娘の為に利用するのをケインは躊躇ったが、全てを知ってもα・シリウスの気持ちは変わらなかった。
 託しても良いという思いと、そうそう可愛い娘を「ヘタレ」男にやれるものかという相反する父親の複雑な心境がケインに悪戯心を起こさせたのだが、やり過ぎたかと反省した。
「オスカー・クレメントはコード名を貰う前の君をなんと呼んでいたんだ?」
 話が少しだけ逸れたので、α・シリウスは顔を背けながらボソリと応える。
「表向き俺は偶然α・マーズに拾われた宇宙孤児という事になっています。あながち間違いでは有りませんが。本名を連想される名は一切禁じられていたので、アルファベッドのAから取ってエア(Air)と名付けられました。名字は有りません。「空気」の様に誰からも目立たず、その代わりにどこにでも行ける様にと当時のα・マーズは言っていました。長官が思い付く精一杯だったんでしょう。それでも「ネーミングセンスが悪過ぎる」とビクトリア教官からタコ殴りにされていたのを子供心に覚えています」
「Ω・クレメントは優秀な男だが、本当にセンスは悪いな」
「俺はその名で15年間生きてきましたが不自由は感じませんでした。名乗れない以上、他のどんな名前も所詮は記号に過ぎません」
 α・シリウスから静かな怒気を感じて、これ以上はツッコミを入れるのは控えようとケインも沈黙した。

 さて今後どうしたものかと思ったケインは、いつの間にかα・シリウスがリンダに膝枕をしたままふて寝しているのに気付いた。
 α・シリウスが見た目よりずっと繊細な心の持ち主だと、初対面で喧嘩を売られた時から判っていた。年の差を気にしながら「ヘタレ」なりに努力しているのもコンウェル家の全員が気付いて(半ば苦笑しながら)微笑ましく2人の動向を見守っている。
 周囲の雰囲気をリンダは敏感に嗅ぎ取ったからこそ、α・シリウスは家族の一員としてあっさり受け入れられた。
 α・シリウスに毛布を掛けてケインも横になる。
明日の事は明日考えれば良い。
 ケインはリンダの頭を撫でてから大きな欠伸をすると、ゆっくりと目を閉じた。

 翌朝、ケインが目を覚ますと、すぐ隣ではリンダがα・シリウスの腕を枕に子猫の様に丸まり寄り添って寝ていた。眠り始めは膝枕だったので、熟睡すると寝相が悪くなるリンダが寝ながら器用に匍匐前進して、温かく楽な体勢に移動したらしい。
 2人の穏やかな寝顔にケインも自然と笑みが浮かぶ。
「何も知らないとはある意味幸せな男だな。後悔先に立たずだ。ラファエル、この先は苦労するぞ」
 同じ男としてα・シリウスに同情しつつ、父親としては「出来るだけ長く苦労しやがれ」と思うのは仕方がない。
 音を立てずに身を起こすと散らかった食器やゴミを回収していく。普段ならわずかな物音にも敏感な2人が起きる気配はない。よほど疲れているのだろう。
 ここ数日間、全く気を休める暇は無かっただろうからと、ケインは2人が自然に目覚めるのを待つことにした。
 食器とゴミを持って簡易キッチンに向かう。遅くても26日の午後には帰ってくるマイケルがうるさく怒るので、今日だけはズボラ性格を返上し、ゴミはダストシュートに、汚れた食器は洗浄機に放り込む。
 さすがに音で目を覚ますだろうから洗浄機のスイッチは入れない。
 マイケル達が事前に用意してくれていた料理を冷凍庫から出して自然解凍に任せ、3人の共通の嗜好品のホットコーヒーをセットする。
 初めて酒を呑んだリンダが、酷い2日酔いにならなければ良いがと思いつつ、昨夜の大トラぶりを見た後だけに、これからどうしたものかとケインは悩んだ。
 リンダは18歳になった。これからは嫌でも公式の場に出る機会が増える。レセプションやパーティーで昨夜の様になられたらコンウェルの恥だ。
 またサムとメアリの手を患わす事になりそうだと、ケインは椅子に座ってコポコポと音を立てながらゆっくりとサーバーの中に落ちていくコーヒーを見つめていた。

「ぎゃーっ!? なんでエーレがわたしの前に居るのよ。てっきりパパだとばかり思っていたのに。目覚めっぱなに驚かさないで!」
「ちょっと待て。俺のせいか? リンダが俺を枕にして寝たからだろうが!」
 隣室から響き渡った怒鳴り声を聞いたケインは、予想通りの展開に椅子から転がり落ちて腹筋を押さえながら爆笑し続けた。

おわり

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