Rowdy Lady シリーズ 3 『天使の歌声は聞こえない』

25.

 再生槽に入ってから丸1日。火傷が完治したα・シリウスは、医療スタッフに目覚めさせられた。
「お気分はいかがですか? 違和感等ございましたら……」
「ありがとう。何処も問題無い。それよりサラは何処に居る?」
 時間が惜しいと早口で話すα・シリウスに、医療スタッフは曖昧な笑みを浮かべ、サムの命令どおり真実を告げた。
 リンダがまだ再生槽の中で眠り続けていると聞いて、α・シリウスは全身の血が一気に下がるのを感じると同時に、サムに騙された事に怒りがこみ上げた。
 スタッフの制止も聞かず、サムの姿を見付けると白衣の襟首を締め上げて、罵倒混じりに責め立てる。
「何故黙っていた? あの時俺にサラが無事だと言ったのは嘘だったんだな!?」
 サムは不機嫌さを隠そうともせずに睨み返すと、α・シリウスの顎を殴りつけた。
「自分の治療より君の治療を優先して欲しいとリンダが望んだんだ。僕やケインのマスターパスワードを封印してまで抵抗した。外傷はたしかに君の方が酷かったけど、内部はリンダの方がはるかに重傷だったのにだ! そうとう苦しかっただろうに、痛みに耐え続けて君が意識を取り戻すまで粘った。僕こそ君を責めたいよ。何で指示を無視してリンダに触れたんだ? リンダがどういう状態だったか知りもしなかったくせに。初期治療が遅れた為にリンダの身体は……もう良い!」
 サムはα・シリウスを一瞥して背を向けると隣室に入って行った。
 リンダは集中治療室で眠っているはずだ。焦ったα・シリウスがサムを追いかけようとするのを、無言で一部始終を見ていたメアリが鞭をふるって拘束した。
「素人のあなたが行っても邪魔になるだけです。リンダ様の事はサムと医療スタッフ達に任せなさい」
「ですが、メアリ。俺はサラのパートナーです。パートナーは常に……」
 全てを言い終わらない内に、メアリはα・シリウスの頬を打った。
「パートナーは一心同体。常に相手を思いやり、出来る限りサポートする。そうリンダ様に教えたのは他でも無くあなたでしょう。リンダ様はそのとおりに実行なさいました。あなたには別の仕事が有ります。リンダ様が命懸けで守った情報が有るのです。すぐにケイン様の執務室に行きなさい」
 上着を乱暴に放られてα・シリウスは唇を噛んだ。サムやメアリの言う事に嘘や矛盾は見付けられない。全ては自分の不注意だったのだと、α・シリウスは心の中で自分自身を罵倒し続けた。
 着替えたα・シリウスが部屋を出ようとした時、サムが扉を開けて背後から声を掛けた。
「シリウス君、ケインの用が終わったらこの部屋に戻ってきてくれ。リンダが目覚めた時に無事で元気な姿を見せてやってくれ。今のリンダには君の心身の健康が1番の薬になるだろう。リンダは情報の他にもう1つ命懸けで守ったものが有る。それは君だ。決して忘れるな。君が自暴自棄になる事はこの僕が許さない」
 普段の冗談めかした柔らかい口調とはうって変わって、厳しい命令口調で言い切るとサムは再び扉の中に姿を消した。
 言われるまでも無く、α・シリウスには解っていた。
 フライヤーが自爆すると気付いたリンダは、渾身の力を込めて自分を逃がした。あの時の必死の叫び声を忘れてはいない。近寄るなと言われたのも分かっていた。
それでも。
 と、α・シリウスは自分の肩を抱え込む。
 炎に包まれてフライヤーから転がる様に出てきたリンダの惨状を見て、理性など完全に吹き飛んだ。
 横たわったままピクリとも動かなくなったリンダを放置するなど、α・シリウスには到底出来なかった。
 苦悩に満ちた表情をするα・シリウスの肩をメアリが軽く叩く。
「分かってください。過労気味だったリンダ様の回復の遅さに、サムも苛立っているのです。シリウス、どうかケイン様の元に。目覚められた時にパートナーのあなたがその状態では、リンダ様が救われません」
 悲しみを含んだ目で淡々と言われ、α・シリウスは数回頭を振るとメアリに頭を下げた。
「申し訳有りません。すぐに行きます」
 命懸けで自分を守ってれたパートナーの為にも、今自分に出来る限りの事をする。それすら見失う程α・シリウスは愚かでは無かった。


 ゴーグルから取りだした情報を手に、ケインとα・シリウスは同時に溜息をついた。
「やはりこういう結果になりましたか」
 諦めた口調のα・シリウスに、ケインも不機嫌な顔で頷く。
「こんなあからさまな証拠を残すとは、よほど高をくくっていたか焦っていたんだろう」
「それでも。この情報だけでは太陽系警察機構は犯人を特定し、逮捕は出来ません。通信の出所しか解らないのですから」
 冷静に分析結果を言うα・シリウスを、1人で調査を続けていたケインは睨み付けた。
「また手詰まりか。これからどうする気だ?」
「その答えは俺では無くサラが知っています」
 半眼を閉じて答えるα・シリウスにケインが不審の目を向ける。
「サラはこの事件にホワイトハウスが絡んでいると気付いた時から、どこに行けば正しい答えが得られるのかを知っていました。しかし、たしかな証拠が無いからとずっと迷い躊躇っていました。でも、こうなってはサラも動かざるをえないでしょう」
 α・シリウスはジェニファーの名を告げて泣きながら眠りについたリンダを思いだし、ケインはずいぶん嫌な言い回しをすると眉間に皺を寄せた。
「サラは優しい。しかし、それは弱さや甘さにもなります。きっとまた泣くでしょう。この世界でたった1人のパートナーです。俺は出来るだけメンタル面でもサラをフォローするつもりでいます」
 悟った微笑を浮かべるα・シリウスの顔を見て、決心したケインが席から立ち上がった。
「君にどうしても頼みたい事が有る。一緒に来て欲しい」
 頷いてα・シリウスが立ち上がると、ケインは別室に案内した。


 意識を取り戻したリンダが目を開けると、見慣れた自分の部屋の天井が目に入った。
 ジェイムズの行動に激怒した隙を、上手くサムにつかれて意識を失った。
「してやられたわ。シリはもう大丈夫かしら?」
 自室のベッドに寝かされているという事は、すでに自分は完治したと思っても良いのだろう。僅かでも不安が有れば、サムは絶対に自分を再生漕から出さなかったはずだ。
 ゆっくりと視線を動かしたリンダは、視界一杯に大きな純白のリボンが有るのに気付き、ぎょっとして慌てて身体を起こした。
『祝! 全快』
 艶やかなリボンに深紅のペンで手書きされたサムの字を見て、リンダは片手で口元を押さえて苦笑する。
 α・シリウスは全身をフリル付のリボンで綺麗にラッピングされた状態で、椅子に腰掛けたまま自分のベッドに頭を乗せて眠っている。どう見てもギャグとしか思えない巨大なリボンは、α・シリウスの頭にしっかり留められていた。
 この手の冗談にα・シリウスが自分から乗るとは思えない。
 おそらく自分を心配して付き添っていてそのまま眠ってしまい、そこをサムに見つかって遊ばれだのだろう。
 熟睡しているα・シリウスを見つめながら、リンダはこみ上げてくる笑いを堪えて口を噤んだ。
 α・シリウスがいつ再生漕から出られたのか判らないが、あの外傷では再生でかなり疲労しているはずだ。出来ればしばらくの間このまま眠らせておきたい。
 というのは立て前で、自分はまだ皮膚に負担の掛からない薄い夜着しか身に着けていない。労働を終えてシャワーを浴びた後でも、こんな姿をα・シリウスに見せた事は無かった。

 窓から差し込む光と影を見ると、今は丁度昼前らしい。
 自爆したフライヤーはあの後どうなったのか?
 残された犯人達は?
 自分が持ち帰った情報がどうなったのか?
 やらなければならない事が山積している。
 α・シリウスが眠っている反対側のサイドテーブルには、装備一式が入ったケースが置かれている。
 リンダはそっとケースを持って洗面所に向かった。いくらパートナーでも物音で目覚めたα・シリウスに着替えまで見られたくなかった。
 素肌に直接特製スーツを身に着け、起動させて状態を確認する。薄地の私服を着るとその上にSIスペシャルの防護服を羽織った。
 α・シリウスが漆黒のSIスペシャルを着ており、自分の枕元にもダークグレー色のこれが置かれていたという事は、これからはリンダ・コンウェルでは無く、レディ・サラとして動かなければならない事態も起こるのだとリンダは判断した。ケインに預けたゴーグルの行方も気に掛かる。
 リンダはコンタクトレンズを装着すると、現在日時を表示させてしばらくの間硬直し、深い溜息をついた。

 12月24日、午前10時18分。

よりにもよって何て日なの。
 負傷した自分が丸2日間以上眠り続けていた事よりも、母達の命日がリンダの心を重くする。
 毎年なら……と、リンダは思い掛けて数回頭を振ると表情を引き締める。
 時間が経ちすぎた。眠っている間に事件はどうなったのか。一刻も早く情報を集めなければならない。

「シリ、お願い。起きて」

 ずっと待っていた声が聞こえてα・シリウスは飛び起きる。視界に防護服に身を包んだリンダが腹を抱えて笑っているのが入った。
「サラ」
 α・シリウスが安堵の息を付いて椅子から立ち上がり、リンダは一旦α・シリウスに視線を戻すが、耐えきれないとベッドの上で笑い転げ続けている。
「サラ?」
 衝撃で頭を強く打ったのだろうかとα・シリウスは不安になっていく。
 リンダの治療中は集中治療室とケインの執務室を慌ただしく往復していた。昨夜遅くにサムからリンダはもう大丈夫だと教えられ、付き添う様にと部屋に案内されたのだ。
 しかし、リンダのこの爆笑状態は一体何事だろうか?
 自分が入れられていた物よりずっと厳重な再生漕の中に居たリンダの姿は一切見られなかった。
 再生漕から出され、傷跡1つ残さずベッドで安らかな寝息を立てているリンダを見た時、α・シリウスは緊張から解放され、全身の力が抜けるのを感じてベッドサイドの椅子に腰掛けた。それ以降の記憶は無い。
「サラ、大丈夫か? どこか痛むとか……というか、何をそんなに笑っている?」
 リンダは顔を上げてα・シリウスを見返すが、やはりすぐに顔を背けて笑い続ける。
「きゃはははは。シリ……シリ、シリ。ああ、駄目。とても言葉にならないわ」
 ぎりぎりの選択だと、リンダは洗面台を指さした。α・シリウスは首を傾げながら洗面所に行き、「何だ。これはーーーーっ!?」と、叫び声を上げた。
 α・シリウスの頭は大きなフリル付き純白のリボンだけでばなく、ご丁寧に半透明のベールや造花まで付いていて、まるで花嫁の様に飾られていた。

 α・シリウスは怒気で頬を赤く染めてリボンを外すと洗面台から出てきた。よほどしっかり留められていたらしく髪は微妙に変な形の癖が付いている。
「サぁラぁっ! お前もこれを見たのならすぐに俺を起こすか外せ」
「シリが起きる前にどうしても着替えたかったのよ。夜着だけじゃ恥ずかしいでしょう」
 ベッドから起きあがったリンダに言われて、α・シリウスは別の意味で頬を染めて視線を逸らした。
「あ、……ああ」
 α・シリウスの不自然な様子から、勘の良いリンダが顔を真っ赤にして大声を上げる。
「見たの!?」
「見たんじゃ無くて見せられたんだ。恨むなら寝相が悪い自分を恨め。俺はサラが寝ながら蹴飛ばしていた毛布を掛け直しただけだ」
「やっぱり見たんじゃないの!」
 よほど恥ずかしかったのか食って掛かるリンダに、α・シリウスは「違う」と言ってリンダの頭にリボンを乗せると強引に抱きしめた。
「こんな事を。俺はこんな事を言いたかったんじゃない」
 α・シリウスの声と腕が震えているのに気付いて、リンダも抵抗を止める。
「シリ?」
「待った。……たった2日の事なのにとても長かった。いつもと変わらない減らず口が叩けるくらい、サラが元気になってくれて俺は嬉しい」
 ああ、とリンダはα・シリウスの胸に顔を埋める。
 自分がα・シリウスの酷い火傷を見てショックを受け、怒るサムやケインを無視してパスワードをロックしてしまった様に、先に回復したα・シリウスも、自分が目覚めるまで辛い時間を過ごしたのだろう。
 パートナーの絆はそれ程深い。と、リンダは信じている。
 リンダがゆっくり顔を上げるとα・シリウスはぶはっと吹き出した。
「何?」
「いや……その」
 α・シリウスは珍しく心の底から可笑しいという顔をして笑い続ける。
「サラならリボンやベールや花が似合うかと思っていたんだが……サムの書き文字で全部ギャグになっている」
 そう言ってα・シリウスも爆笑しだした。
 意趣返しでは無く、リンダにならと思ってリボンとベールを頭に乗せたものの、たんぽぽ頭の天辺で揺れる脳天気な書き文字は、リンダを綺麗に見せるどころか完全に道化に仕立てていた。
「そう思うのなら始めからやらないでよ!」
 完全復活したリンダは健康証明書代わりだと、遠慮無くα・シリウスの顔を殴りつけた。


 リンダが眠っている間にケイン達と纏めた情報や分析結果を、α・シリウスはリンダに手渡した。
 その全てにリンダは素早く目を通して一旦目を閉じると、瞳を戦意で輝かせてソファーから立ち上がった。
「シリ、ありがとう。状況は完全に把握出来たわ」
 竜になったリンダにα・シリウスは頭を振る。
「俺は俺の仕事をしただけだ。今更だろうが、長官からサラに伝言が有る。「もう迷うな。信じる道を行け」だと」
 リンダは少しだけ自嘲気味に笑うとα・シリウスを見上げた。
「今回の事で痛感したわ。迷ったあげくに新たな犠牲者を出して、手遅れになるところだったわ。もう迷わない。というか、迷ってる時間は無いわね。わたしが2日も眠っている間に、あの馬鹿が暴走してなければ良いのだけど」
 ウエストバッグからから簡易端末を出して、素早くリンダはメッセージを打ち込んでいく。
 リンダが打ったメールの文面を、後ろから読んでいたα・シリウスは複雑な顔になった。
「凄い書き様だな」
 リンダは端末を戻すと怒りを顕わにして言い切った。
「ジェイムズの馬鹿はわたし達が負傷して、敵の名がユダだと知ったら「完全に手を引け」と言ってきたわ。気の短いシリとプライドが高いジェイムズがあれだけ我慢して、警察機構と防衛機構の過去の経緯や遺恨を棚上げしたでしょう。頑張って共闘してきたのに、土壇場になって自分1人だけでユダと戦う気よ。そんな気配りなんか迷惑なだけだわ」
 リンダの言葉を受けて、α・シリウスも眉間に皺を寄せる。
「……。つまり、憎まれ役を買って出てでもサラを命懸けで守る気か。何処までもむかつくガキだな」
それだけ本気だという事か。
 小声で呟いたα・シリウスの独り言は、運良く集中しているリンダの耳に届かなかったらしい。データシートと端末を収めるとリンダは席を立った。
「シリ。時間が無いわ。行きましょう」


 リンダの私室を出ると普段は賑やかなコンウェル家は閑散としていた。
 これはどういう事だろうかとα・シリウスが首を傾げる。
 リンダがα・シリウスの表情に気付いて、α・シリウスの腕に手を添えた。
「毎年3日間だけマイケル達全員に完全休暇を出すの。クリーニングは機械がやってくれるし、休み前に沢山作り置きを用意してくれているから、食事も不自由は無いわ。パパは今日は朝から忙しいから帰ってくるのは遅くになってからね」
 簡易キッチンのテーブル席に案内され、サンドウィッチとコーヒーを頬張りながら、α・シリウスはマイケル達の不器用な思いやりに胸が痛くなった。

ケインとリンダが誰にも遠慮せずに思い切り泣ける様に。

 「鮮血のクリスマス事件」で妻を、母を亡くした親子を2人きりにさせようというサムやマイケル達の配慮だろう。襲撃の危険より、2人の気持ちを大事にしたいという事らしい。たとえ今リンダが大きな事件に関わって、危険な状況に有ってもコンウェルは方針を変えない。
 コンウェル邸の要塞並みの装備は、この日の為だけに有るのでは無いかとα・シリウスは思った。
「シリ」
「何だ?」
 先に食べ終えたリンダから声を掛けられ、α・シリウスも視線を戻す。
「その顔からして何か誤解してるみたいだけど、公共機関や接客サービス業はともかく、人材不足の昨今、USAでクリスマスくらい完全休みにしないと、優秀なスタッフは誰も住み込みで働いてくれないわ。パパとわたしは経営者として当然の事をしているだけよ」
 気を使うなと言いたいのだとα・シリウスは気付いたが黙って頷いた。主治医のサムすら居ないのだからコンウェル家にとって絶対のルールなのだろう。
 あの悪趣味なリボンもリンダの気を紛らわす為のジョークだと判り、α・シリウスはゆっくりコーヒーを飲み干した。


 部隊をフロリダに戻したジェイムズは、家に居ながらハッキングの証拠を随時消しつつ太陽系防衛機構内部とホワイトハウス内部に侵入し続けていた。
 リンダ同様ユダがホワイトハウス内部に居るところまでは掴んだが、その正体を突き止めるだけの証拠が出てこない。
 学院生徒全員からリンダの在学希望届けが学院側に出して、無事受理された事が唯一の朗報だった。
 さてどうしたものかとジェイムズは両腕を頭の後ろに組んで考え込んだ。またも大きな壁にぶち当たったかと頭を振る。
 その時、ジェイムズのホットラインが悲鳴に近い大きな音を立てた。
 慌ててジェイムズがメールを確認してその場で硬直し、数分後大爆笑した。

『このどスケベタコ男。覚えてろ! 絶対にそのにやけ面をぶん殴る。平手で済ましてやらないから、骨の2、3本は覚悟してろ!』

 ジェイムズは爆笑し続け、そして両手で顔を覆うと安堵の涙を流した。
 重傷を負ったリンダの必死の問い掛けを無視し、自分から手を離した。
 2度と許して貰えないと、完全に嫌われたとばかり思っていた。そのリンダから罵声とはいえメールが届いた。
 リンダが殴る事で自分を許してくれる事と、同時にメールを送れるくらい回復した事を知らせてくれたのだとジェイムズは解釈した。気性が真っ直ぐなリンダは本気で憎んでいる相手に連絡など寄こさない。
 浮かれて踊るジェイムズの背後から、ニーナが冷静にツッコミを入れた。
「これからリンダにもっと嫌われる仕事が待っているのに、よくそこまで浮上出来るわね。骨の2、3本で済むなら御の字でしょうよ。リンダが「竜」と言われているのを知っているでしょう。ジェイムズが逆鱗に触れて、全身骨折で再生槽に数週間入りっぱなしになっても不思議じゃ無いわよ」
 諸手を挙げて喜んでいたジェイムズは、恨みがましい目でニーナを振り返った。
「……ニーナお姉様。少しは僕にも夢を見させて欲しいんだけど」
「夢は決して現実にならないから夢と言うのよ。ホホホホホ」
 ここ数日睡眠時間を削って、どん底まで落ち込み続けているジェイムズの背中を蹴り飛ばし続けていたニーナの言葉に容赦は無い。溜まったストレスと過労の分もジェイムズを虐めてウサを張らさなければ気が済まないのだ。
「リンダが動ける様になったのなら次は何をすべきなのか、あなたには判っているでしょう?」
 ニーナは指摘するだけするとさっさと部屋を出て行った。あくまでジェイムズの本業に対しては、サポートの立場を越える気持ちは無い。ここからはジェイムズの仕事だ。
 1人になったジェイムズはフェイ少佐への通信回線を開いた。
「ニューヨークに単独で潜入し、リンダ・コンウェルを見張れ。竜は本能が強い。絶対に気付かれるな。そして全てを報告しろ」


 食事を終えたリンダとα・シリウスは、地下室で3D画像を多方面から検討していた。
「まるで泥棒になった気分だわ」
 リンダが厳しいセキュリティブロックに舌打ちする。
「正面から堂々と入りたく無いと言ったのはサラだぞ」
 何とかセキュリティを緩められないものかと、α・シリウスは極秘で取り寄せた配線図に視線を向ける。
「シリが。と言うか、太陽系警察機構が表立って動けば、口封じの犠牲者を増やすだけだもの。どうして警察に違法ギリギリでスパイまがいの諜報部門が有るのか、ずっと疑問だったけど分かってきたわ。情報提供者の安全を守る為なのね」
「半分は正解だ。犯人側に警察の動きを一切知られたく無いなら情報屋(素人)は使えない。自分達でやるしか無い」
「そうね」
 溜息混じりにリンダがルートをチェックしていく。場所が場所だけに侵入するのはあくまでリンダ・コンウェルとその友人α・シリウスの独断でなければならない。太陽系警察機構が堂々と一般家庭に不法侵入などしたらΩ・クレメントの顔を潰す事になる。リンダが着ているSIスペシャルはα・シリウスから借りている事にした。
「当然だけど絶対安全なルートなんて無いのよね。臨機応変しか無いかしら」
 ボソリとリンダが呟くと、α・シリウスが眉間に皺を寄せて顔を上げた。
「正直に行き当たりばったりと言え。サラが寝ている間に、長官に頼んで俺の車を此処に搬送して貰ってある。行くぞ」
「……りょーかい」
 全てのデータを頭に入れた2人は同時に立ち上がった。


『動き出しました。リンダ嬢とα・シリウスの2人だけです。濃紺の車で移動しています。追います』
 コンウェル邸の玄関を見張っていたフェイ少佐から連絡が入る。ジェイムズは軽く肩を竦めて端末を持つと席を立った。
「情報だけ提供して後は大人しくして欲しいと言って、聞くような性格じゃ無いよね」
 コンウェル家が例年どおり使用人達を全員休ませた事は、フェイ少佐の報告から分かっており、メールでリンダの完全復活の裏付けも取れた。
甘い。
 としかジェイムズには言い様が無い。
 少なくともα・シリウスには、今リンダが自分に連絡を取る事の意味は判っているはずだ。
 リンダがα・シリウスに内緒で自分にメールを送るはずが無い。ならば、全てを受け入れる用意が有るという意思表示なのだろうと、ジェイムズは無言のα・シリウスのメッセージを受け取った。
 伊達に諜報部門に5年も居た訳では無いらしい。真実を知り怒ったリンダの暴走はα・シリウスが止めてくれるだろう。
「どう考えても嫌な配役だなぁ。逆なら良かったのに」
 ブツブツと1人で愚痴を言いながら、ジェイムズは「J」の姿を纏った。


 日が沈むのを待ち、2ブロック離れた場所に車を停めて、リンダとα・シリウスは徒歩で屋敷から1ブロック離れた裏手に着いた。良く手入れされた庭園が広がり、その奥に2階建てで落ち着いた色彩の屋敷が目に入る。
『行き慣れた場所だけに、何処がアウトかも判ってるのよね』
『それはセキュリティ面でか? それともサラ……というかリンダ・コンウェルの都合か?』
 1番痛い痛い所を突かれて、無言でリンダがα・シリウスを恨みがましそうに見上げる。
 自分の言葉足らずに気付いたα・シリウスが安心しろとリンダの頭をぽんぽんと撫でた。
『悪かった。言い方を変えよう。1番セキュリティが甘いルートを通ると、リンダ・コンウェルが絶対に会いたくない相手と遭遇する可能性が高い事をサラは知っている。だから侵入を躊躇っている。違うか?』
 リンダは少しだけ唇を尖らせて『……そのとおりだわ』と認めた。
 『だったら……』と、α・シリウスが優しくリンダの髪を撫で続ける。
『多少危険になっても良い。サラがここならと思うルートを選んでくれ。サラが書いてくれた地図は頭に入れてあるし、配線図も覚えている。俺も出来る限りの事をする』
 使い慣れた殺傷能力の高い粒子砲から、α・シリウスは無針の麻酔銃に持ち替える。
『室内に無粋なガードロボットは居ないんだろう?』
 α・シリウスの何気ない気配りに気付いて、リンダはほっと息を付いて微笑んだ。
『ありがとう。シリ、屋内には無粋なロボットは居ないわ。それより手強い自動追尾カメラとシークレットサービスが大勢居るの。庭園内のセンサー位置は覚えているわね? 迂闊に近付けば問答無用とレーザーで撃たれるわ。そして、レーザー射程範囲外はカメラで24時間監視。場所を考えれば当然の警備だわ。アポイント無しで外部から目標地点まで侵入出来るルートは1本しか無いのよ』
 不安は消せない。しかし、義務も忘れないというリンダの姿勢にα・シリウスも微笑する。
『分かった。委せる』
『了解』


 リンダは側面突破を選んだ。正面ゲートも裏ゲートも多くのカメラとレーザーが待ちかまえている。侵入経路が無い屋敷側面の監視が1番甘い事をリンダは知っていた。
 そして、それが侵入者をおびき寄せる罠で有る事も。
 リンダは両目を閉じてα・シリウスの手を握りしめた。ゆっくり深呼吸をすると、目を開けてα・シリウスを見上げる。
『シリ、行くわよ。良い?』
 何度も同じ事を聞いてしまう程危険なのだと、視線だけで訴えるリンダの頭を、α・シリウスは軽く撫でた。
『当然だ。背後は任せろ。サラは前を頼む』
『了解!』
 笑顔でα・シリウスの手を離すと、リンダは全速力で走り出した。


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