Rowdy Lady シリーズ 3 『天使の歌声は聞こえない』

18.

「シリは……」
「何だ?」
 言葉を詰まらせたリンダに、α・シリウスがもどかしげに問い掛ける。
 数回瞬きをしてリンダは意を決すると、真っ直ぐにα・シリウスの顔を見た。
「シリは誰かを本気で好きになった事は有るの?」
「……」
それはお前だ! この檄ニブ娘。
 と、怒鳴りたいのをα・シリウスは我慢した。
 α・シリウスの無言の怒気を感じたリンダは、やはり失敗だったと慌てて立ち上がる。
「ごめんなさい。シリはわたしよりずっと大人なのに、とても失礼な事を聞いてしまったわ。忠告本当にありがとう。部屋に戻るわね。おやすみなさい」
 足早に部屋を出て行こうとしたリンダの手を、α・シリウスは咄嗟に掴んで座らせる。
「え、何?」
「サラ、あのクソガキに負けない道化男の話をしたい。聞いてくれるか?」
 α・シリウスの真剣な目を見て、リンダは断ってはいけないと判断し、黙って頷いた。
 リンダが大人しく座り直すと、α・シリウスはリンダの手を離して、自分の膝を軽く抱えた。
「その男はそこそこモテる男だった。性格はともかく顔と頭だけは並より良かったからだ。ローティーンの頃から同世代や年上の女達に声を掛けられては、適当に遊びで付き合っていた。だが、男には子供の頃からある目標の為にどうしても欲しい資格が有った。歳を重ねていく内に「わたしと勉強のどっちが大切なの?」と聞いてくる女達を煩わしく思う様になっていった。当時の男は1つの事に夢中になりすぎて、他人を思いやるだけの余裕が無かったんだな」
 「少しだけ解る気がするわ」と、リンダが相づちを打つ。
 恋愛経験が皆無でも、時折、仕事と学業に忙殺されて全く余裕が無くなる自分を、リンダ自身も解っているからだ。
「その男は欲しかった資格を取り、トップの成績を修めて希望通りの職業に就いた。しかし、世間は男が思う程甘くなかった。新人が仕事を選べないのは当然だが、命令で好きでも無い女と付き合わされるなんて事も多々有った。女受けが良い外見が利用出来たからだ。元々人付き合いの下手な男は、人と深く関わるのが嫌いになっていった」
 α・シリウスは一旦言葉を切り、リンダの頬に手を添えた。
「ところがだ。価値観を180度変える女が男の目の前に現れた。とにかく気性が真っ直ぐで正義感が強く、優しく脆い一面も持っていた。男はその女に興味を持ち好感も持ったが、所詮そこまでだろうと高をくくっていた。気が付いた時には男はその女から目を離せなくなり、本気で好きになっていた。しかし、過去まともに人と向き合ってこなかった事が災いしてか、男は自分の気持ちを言葉にするのが苦手になっていた。不器用な男は女を何度も泣かせて誤解も生まれた。自業自得の道化だ。今もその男は惚れた女に自分の気持ちを解って貰えずにいる」

 リンダは真っ直ぐにα・シリウスの顔を見つめたまま小声で呟いた。
「それは、シリの事なの?」
「否定はしない」
 鈍いくせに勘だけは良いと、α・シリウスはやるせない気持ちで笑い、リンダは逆に解らないと頭を振る。
「シリはわたしには思ってる事をはっきり言うでしょう。どうしてその人には正直になれないの? ストレートに一言「好きだ」と言えば済む事じゃないの」
出たな。天然。
 と、α・シリウスは心の中で天を仰いだ。だが、今更引く訳にもいかない。
「好きだと言ってはいないが、はっきり態度には出している……つもりだ。でも、余程過去のいきさつが悪かったのか、全然向こうは気付かないんだ」
「本当にその女性に解って貰える努力はしているの? 話からしてとても親しい人なんでしょう。わたしはシリの本質を知っても、嫌える人が居るとは思えないわ」
 真面目に言ってるらしいリンダの頬を、α・シリウスは半ばヤケになって両手で押さえた。
「その女は今も俺の目の前に居るんだがな。おい、サラ。本当に解らずに言っているんだろうな。ここまで言ってもすっとぼけられたら俺は泣くぞ」
 リンダはこれ以上は無いというくらい大きく目を見開いて息を飲むと、α・シリウスの顔を見返した。
「う……うそぉ」
「こんなクソ恥ずかしい台詞を冗談や嘘で言えるか。あのクソガキに横からサラを取られるなんて到底我慢が出来ない。だから打ち明けた。俺が好きなのはサラだ。解ったか」
 至近距離。しかも大声で告白されて、リンダは頬を真っ赤に染めた。
 α・シリウスも珍しく頬を赤く染めている。頬に触れている指先がかすかに震えているのはリンダの気のせいでは無いらしい。
「シリ」
「何だ?」
「タイム。あ、違うわ。その……お願いだから返事は待って欲しいの。今はとても考えられなくて。本当にごめんなさい」
 視線を泳がせ途方に暮れているという顔をされて、α・シリウスは笑ってリンダの頭を撫でた。
「安心しろ。俺はサラを知っている。あのクソガキの横槍が無かったら、サラがもう少し大人になるまで、気持ちを打ち明けるのは待つつもりだった。サラがこれまでどおりパートナーとして俺の側に居てくれるのなら、待つ事は全く苦痛じゃ無い」
 吸い込まれそうな印象的な蒼い瞳が優しい笑みを浮かべ、リンダはますます赤面して、居たたまれずに立ち上がった。
「もう寝るわね。おやすみなさい」
「おやすみ。身体を冷やすなよ」
 あっさりα・シリウスに引き下がられてほっとする反面、どうして良いのか判らずにリンダはベッドに飛び込んだ。
「シリって時々何を考えているのか全く判らなくなるわ」
 α・シリウスが聞いたら号泣しそうな事を呟いて、リンダは思考を手放した。
 たった1日の間に起こった多くの出来事は、元気が取り得のリンダを心底から疲労させていた。


 朝食兼会議に出席しようとα・シリウスが自室のドアを開けると、丁度リンダも部屋を出てきたところだった。
「おはよう。シリ」
 元気なリンダの笑顔を見て、α・シリウスは内心ほっと息をついた。
「おはよう」
 一緒に階段を降りながらリンダが苦笑しつつ胃を押さえる。
「今朝はお腹が空いて目が覚めたわ。昨日は完全オーバーワークだったから、ブドウ糖不足になったのね。マイケルに頼んで夜食を用意して貰えば良かったわ。シリは?」
「俺は平気だ。空腹のまま連続労働をするのにも慣れている」
 ああ。とリンダは口元に手を当てた。
「今後は空腹に対する訓練も必要かしら。サムにきつく成長期は食べなさいと言われてたから、何かに夢中になっていて忘れた時以外、食事を我慢をした事が無いのよ」
「たしかにサ……リンダ様は、よくお食べになりますね。好き嫌いも無いですし、作る方達もさぞ喜ばれている事でしょう」
 ダイニングの扉近くにメアリの姿を見付けてα・シリウスが口調を直す。リンダもすぐに姿勢と歩き方を改めた。2人共、朝からメアリの鞭を受けたくないと思ったからだ。
 「どうぞ」とα・シリウスが扉を開けると、「ありがとうございます」と言ってリンダが部屋に入っていく。
 すでに椅子に腰掛けているケイン達に挨拶をするリンダを見て、α・シリウスは半ば拍子抜けをしていた。
 昨夜の事は夢だったのか? いや現実だったと思い直す。
 ジェイムズ達と交換したデータを元に、真剣にケイン達と検証を始めるリンダの横顔を見て、α・シリウスは自分が言った台詞を思い出した。

『サラがこれまでどおりパートナーとして俺の側に居てくれるのなら』

 これまでどおり。
 これまでどおり。

 その言葉どおりにリンダは振る舞っている。リンダは相手が真剣に言った言葉は「額面通り」に受け取るタイプだという事をα・シリウスはうっかり忘れていた。一瞬、α・シリウスの思考は真っ白になった。

「……だと良いのだけど。シルベルド先生はどう思われますか」
「は?」
 思考が飛んでいた時にリンダから仮の名で呼ばれ、α・シリウスは間の抜けた声を上げた。
『マイ・ハニー、シリ。寝ぼけているの? しっかりしてよ』
「ですから、遅くても今日の昼か午後の休憩時間には、ジェイムズ達から昨夜渡した顔写真のもっと詳細なデータが貰えると手筈なんです。今夜はジャーナリークラブ主催パーティーの予定が入っているので、何とか早くパパ達にそのデータを渡せないものかと」
 口調は丁寧だが馬鹿と言いたげなリンダの視線を受けて、α・シリウスは頷いた。
『マイ・ハニー、サラ。悪かった』
「そうですね。重要機密ですし、ネットを介さず直接手渡しの方が安全でしょう。リンダ様、多少授業を抜け出す事は可能ですか? マイケル、私が受け取りに行っても構わないでしょうか?」
「わたしは3時過ぎなら大丈夫ですけど……」
 α・シリウスの提案にリンダが何かを言いたげな顔をする。
「シルベルドが表立って動くという事は、最低でもCSS社員10人単位が学園周辺に集まる事になります。学院周辺は常に監視されていると思った方が良いでしょう。到底許可出来ません」
 マイケルが厳しい顔で言い、やはりとリンダは溜息をついた。
「それなら僕とメアリが行こう」とサムが手を挙げた。
「立っているだけでも目立つシリウス君が学院前の通りに行くのは僕もお勧めできないよ。ハンサムはこういう時に損だねぇ。僕とメアリなら何とでも出来る。リンダ、僕達を見間違うなんて失敗はしないだろう?」
 笑顔のサムに聞かれ、リンダも自信たっぷりに答える。
「サムなら着ぐるみ姿でも見付けられるわ。コンタクトレンズの機能無しでね。サム、何か有ったらメアリに守って貰って。最前線では逃げ足しか取り得が無いだから」
「あははっ。強い奥さんが居てくれると心強いよねぇ」
 おどけた口調で話し続けるリンダとサムの気配りで、自分の重大なミスを誤魔化して貰えたのだとα・シリウスは気付いた。
 重要な会議中に余所事に意識を取られていた。漸く外出が認められたとはいえ、24時間護衛付きの立場もわきまえずに学院に行くと言い出すなど、いつもの自分なら考えられない単純ミスだ。
 ケインやマザー達から不審がられたかもしれないと、α・シリウスは小さく頭を振った。

 案の定、α・シリウスは今朝のリンダの護衛メンバーから外された。
 不満を言っても仕方がない。大人しくコンウェル邸内でジェイムズ達が置いていったデータの再検討をしようと部屋に戻ろうとした矢先にサムに捕まり、研究室に引きずりこまれた。
「さて、シリウス君。昨夜リンダと何が有ったのかな?」
 α・シリウスにコーヒーを手渡しながら、サムがにこにこ笑いながら聞いてきた。
その笑顔は怖いから止めてくれ。
 とはとても言えない。昨日はあれだけ色々な事が有ったのに、ピンポイントでリンダの名前を出してくるからサムは恐ろしい。α・シリウスは諦めてリンダに自分の気持ちを打ち明けた事を話した。
「なるほど。それでリンダは朝からセーブ状態になってたのか」
「は? セーブ状態?」
 自分から見た今朝のリンダは普段どおりだった。思いもしなかった事を言われて、α・シリウスは思わず聞き返す。
「今のリンダはどう見ても、僕が過去仕掛けた意識誘導の支配下だ。君とロイド家のくそ生意気なガキ……もとい、ジェイムズ君から同時に打ち明けられて、リンダは本当に困ったんだろう。リンダはとても真面目だからね。君達の想いに真剣に答えを出そうとして、動けなくなったら命取りだからストッパーが働いたんだよ。君の努力は認めるけどタイミングが悪すぎたね」
「サラが動けなくなるとはどういう意味ですか? それにストッパーとは何ですか?」
 ジェイムズへの評価はお互いに共通するらしいと気付いたが、α・シリウスはそれを完全に無視した。リンダの問題に比べたら、ジェイムズの事なの塵ほどの価値も無い。
 もっともな質問にサムも頷く。
「シリウス君。君なら何度か見た事が有るんじゃないかな。リンダが男を強く意識させる存在を目の前にして全く動けなくなる姿を」
 あっと気付いてα・シリウスは顔を上げた。
 愛していると言われて、獅子にキスをされたリンダは完全に固まっていなかったか。一昨日もジェイムズに抱きしめられて貧血を起こしていた。
 あれは後遺症では無く、今も続いている意識誘導の成せる技だったのかと、α・シリウスは顎に手を当てる。
「思い当たる節が有るみたいだね。君の報告を受けて、一昨日のリンダの脳波を細かくチェックしたよ。パーティーの途中でリンダの脳の一部がスリープモードになっていた。身体が目覚めている状態で、脳だけ睡眠状態になったら動けなくもなるだろう。敵と対峙した時にそれが起こったら困ると、リンダの危機意識が感情にストップを掛けているんだ。あのガキ……ああ、僕も本当に大人気無いな。リンダが絡むと理性が保てない。ジェイムズ君にはちょっとばかり警告を出しておいたから、もうリンダに対して強引な真似はしないと思うよ」
 サムの説明を聞いたα・シリウスは、昨夜のジェイムズの言葉は嘘では無いと理解した上で、眉間に皺を寄せてボソリと呟いた。
「俺がキスした時は2回も拳で殴ったくせに。やっぱりサラは俺を男としてカウントして無かったな。あっ」
 しまったとα・シリウスは自分の口を押さえたが後の祭りだ。サムが「ほう?」と目を据わらせて自分を見ている。
「それは昨夜かい? それともリンダにDNAデータを渡した時かな?」
 ぶっとα・シリウスは吹き出したが、相手がサムでは隠し事は出来ない。
「DNAデータを渡した時です。あれ以降は本人の許可無しでは……。あー。とりあえず、何もしない事にしています。サラがあなたに話したんですか?」
「微妙な間と「とりあえず」他諸々気になるけど、君の失言全てにツッコミを入れていたらちがあかないから先に話そう。リンダのスーツのマスターパスワードを持っているのは、リンダ自身とケインと僕だけだ。当然、スーツの登録条件も知っている。何の設備も無い場所であの難しい条件を完璧にクリアする方法は1つだけだからね。それとリンダが君を登録したと報告してきた時に、すごーく嫌な顔をしていたから、すぐに僕とケインには君がリンダに何をしたか判ったよ」
 時折見るケインの厳しい視線を思い出し、α・シリウスは背筋が寒くなった。何かとサムが自分をからかう理由も納得出来た。
 大事な可愛い1人娘に、大事過ぎて想いを打ち明けられなかった愛する少女に、仕事の都合だけで手を出した男をそうそう許せるはずは無い。
 リンダを泣かせてしまった事以外は後悔をしていないが、周囲の心象はさぞかし悪いだろうとα・シリウスは口を噤んだ。
「やれやれ。何を1人で勝手に自己完結してるんだか。言ったはずだよ。ケインは君を高く評価していると、僕も君にならリンダを委せられるとね。封印されていてもリンダは聡い。誰が心から信頼に値する相手なのかよく分かっているよ」
 安心する反面、α・シリウスは嫌な事も思いだした。
「サラは俺があなたとケイン氏の「意地っ張りでズボラで馬鹿なところにそっくり」だから懐かしいと言っていました。俺は喜んで良いのか泣いた方が良いのか判りませんでした」
 ぶすったれて愚痴をこぼすα・シリウスに、サムは腹を抱えて爆笑した。


 午前中はお互いにコンタクトが取れず、リンダとジェイムズは午後のティータイムにメモリーシートを交換した。
『え? 姫君、それはどういう意味かな』
『恥ずかしい事を何度も言わせないで。シリに好きだと言われたの。それだけよ』
 少しだけ赤面してリンダが早口で言い切る。
『それだけって。リンダ、そんなにあっさりと……』
 リンダはジェイムズの言葉を待たず、飲み終わったカップを持つと席を立った。
『一方にだけ黙っているのはフェアじゃ無いと思ったから、ジェイムズにも話したのよ。このメモリーシートをすぐに分析に回したいからもう行くわね。ありがとう。本当に感謝しているわ』
 リンダは襟から通信機を取るとジェイムズに放って歩き出した。
 ジェイムズはリンダを引き留めようとしたが、思い直して椅子に座る。
 迷いの無いリンダの目が、逆にジェイムズに違和感を覚えさせた。ニーナとの婚約を本当だと信じていた頃に、自分が気持ちを打ち明けた時は明らかにリンダは動揺していた。どういう心境の変化か、ルールに厳しいニーナが自分からリンダに真実を話した時も、リンダはかなり動揺していたらしい。
 あの短気だがリンダには甘いらしいα・シリウスに告白されて、どうしてああも平然としていられるのだろうか。不器用なα・シリウスが上手くリンダに告白できたとは到底思えない。
 ジェイムズは「理由は判らないが、リンダの男性問題に対する思考はかなり特殊」と、ニーナが言っていたのを思い出し、たしかにと額に手を当てた。

 リンダはわずかな休憩時間を利用し、買い出しの振りをして学院の門を出た。それと同時にピアスが警告を発する。
 やはり自分は完全にマークされているとリンダは周囲に意識を研ぎ澄ませた。
「やあ。真面目な学院の生徒さんが途中外出とは珍しいねぇ。ティーラウンジじゃ足りないくらいお腹が減ったのかい?」
 耳に慣れた声が行きつけのデザートショップから聞こえて、リンダはにっこり微笑んだ。
「ええ。勉強のし過ぎでエネルギーが足りないの。ダブルベリータルトが10個欲しいのだけど有るかしら?」
 店員に変装したサムとメアリが手際良くケースにタルトを収めていく。
「お嬢さんはお得意様だからサービスしといたよ」
 ウインクをしながら袋を渡してくるサムに、リンダもこっそりメモリーシートを手渡し、手書きのメモも差し出した。
(複数の相手から見張られているわ。CSSと連携を取って上手く逃げて)
 サムは素早くメモをポケットに入れると、「これもサービスだよ」と数個のキャンディを出した。
「ありがとう。また友達と一緒に食べに来るわね」
「まいどー」
 サムが明るい声でリンダを見送る。
 リンダは背中に突き刺さる様な視線をあえて無視し、早足で学院に戻って行った。
 教室に居たジェイムズに「ニーナにお土産よ」とタルト入りの袋を渡す。ジェイムズは複雑な顔をして袋を開け、中にタルトと数枚のメモリーシートが入っているのを見ると、納得して「ありがとう。ニーナも喜ぶよ」とリンダに礼を言った。
 なりふり構っていられないと完全に覚悟を決めて、戦意で瞳を輝かすリンダがそこに居る。
 これが噂に聞いていたリンダの竜なのかと、ジェイムズは眩しげにリンダを見上げていた。


 授業が終わり、生徒達を迎えるシークレットサービス達と車の間をすり抜けて、リンダはリニアシャトル駅に向かっていた。
『マイ・ハニー、サラ。俺が気が付いただけでも学院門近くに2人居た。今日は走り回るなよ。追いかける身にもなってくれ』
『マイ・ハニー。そういうシリは何処に居るのよ?』
『CSSの規約で教えられない。自力で俺を見付けろ』
 その直後、強い警告信号がピアスを通して鳴り響き、他のシークレットサービス達の間に混じって、リンダの後方50メートルに居たα・シリウスは耳を押さえた。
『サラ、今の音は何だ?』
『わたしへの攻撃信号よ。昨日は誘拐しようとして失敗したから、狙撃する気らしいわ。音のレベルからして撃たれたら死ぬわね』
『おい!』
『一般人ならね。わたしはあの程度の武装では死にはしないわ』

死なないけど怪我はするという意味か?
 平然と歩き続けるリンダの後ろ姿をぎりぎり視界に捉えながら、α・シリウスは慌てて混雑している門前から動き出す。
『マイケルに連絡を取る。護衛に行くから待ってろ』
『駄目よ。それよりマイケル達に警告をお願い。わたしを護衛していると敵に気付かれたら、ターゲットにされかねないわ』
 『了解』と短く言って、α・シリウスは別の通信機で他の護衛メンバー達に連絡を入れた。
『連絡が取れた。個々に作戦を展開させる。サラはどうする気だ』
『こうするのよ』

 リンダは駅入り口前に立って振り返ると左手を腰に当て、右手は伸ばして大声で叫んだ。
「そこと、そこと、そこに居る馬鹿。バレバレの上に鬱陶しいわよ。今日も見逃してあげるから、さっさと退散しなさい。それともこのわたしに直接叩きのめされたいの!?」
 真っ直ぐに自分を指さされたマットは、慌ててライフルを持った手を引いて床に伏せた。
何故此処に居るとリンダ・コンウェルにばれた? 30メートルは離れているビルの上だぞ。
 ジェイク達に殺されたフィリップの言葉が脳裏を横切る。
「笑って俺の顔を見た。あの女は悪魔だ」と。
 仲間に裏切り者が居るとは思えないし思いたくも無い。運悪く敵に回してしまった一見普通にしか見えない少女は、本当に正真正銘の化け物なのか。
『マット。何をしている。撃て』
 ジェイクの命令がゴーグル越しに聞こえてくる。しかし、今もリンダの視線が自分に向けられている状態では動けない。
 昨日は後方部隊に居たシモンが、粒子ライフルを構え直してリンダを撃った。
 リンダの1メートル手前でフィールドとエネルギー粒子がぶつかり合い、激しい爆音と閃光が起こる。
「上等ぉっ!」
 リンダはにやりと笑ってシモンが居るビルに向かって走り出した。

 学院からわずか2、300メートルしか離れていない場所で起こった爆発音と光に、門前に集まっていたシークレットサービス達が一斉に学院に向かって動きだす。
 彼らの仕事はクライアントを護る事で、狙撃者達を捕らえる事では無い。学院内に戻れば力場フィールドがクライアントを護ってくれる。
 群衆がパニックに陥らないのは、全員がその道のプロだからだ。
『サラぁ!』
 周囲の流れに逆行しながら、α・シリウスは必死でリンダの元へ行こうともがいていた。遠巻きに護衛していたマイケル達が、α・シリウスの周辺に集まってきて駅までの道を作る。
「行きなさい。シルベルド。お嬢様を頼む」
 マイケルが「予備だ」と、以前α・シリウスから預かった太陽系警察機構仕様の銃とゴーグルを放り投げる。それをα・シリウスは受け取り「感謝する」と言って走り出した。

 リンダは左腕に装着したホイスカーを数本ビル屋上に打ち込むと、ほぼ垂直に壁を走り登って行く。
 信じられない物を見たシモンは罵声を上げながらリンダを撃ち続けるが、全てリンダのフィールドに弾かれていた。
 向かい側のビルに居たアンドリューも背後からリンダを撃つが、ランダムに右に左にと壁を伝い飛ぶリンダには当たらない。
 α・シリウスは走りながら壁を登るリンダと、狙撃するアンドリューの姿を視界に捕らえた。使い慣れた粒子砲を両手で構えてアンドリューを撃つ。
 正確に両肩を打ち抜かれたアンドリューは悲鳴を上げてその場に崩れ落ちた。
 屋上まで上がったリンダは素早くホイスカーを回収し、エネルギーパックが空になったライフル銃を投げ捨て、短銃を構えたシモンの顎を、対6Gモードのブーツで蹴り上げて気絶させた。
 隣ビルに居たマットは道路越しにリンダと目が合い、恐怖に身を竦めながらも後退していく。
勝てない。こんな化け物に絶対俺は勝てない。
 リンダが3回ブーツの踵を合わせると吐息だけで『わたしを月まで連れてって(1/6Gモード)』と囁き走り出し、地面を蹴ってマットが居るビルに飛び移った。
 リンダが登ったビルに入ろうとしたα・シリウスは、「あいつはサルか」と舌打ちをして隣のビルに向かう。

 屋上に降り立ったリンダは、息も乱さずに髪飾りを外して昆に変えるとマットに向かって歩き、数メートル離れた所で立ち止まった。
「そうなの。「マタイ」、あなたにはもう戦う意志が無いのね。そうなら無粋な銃を捨てなさいな。わたしもあなたを攻撃しないわ」
 名前を正確に呼ばれたマット(マタイ)は、太陽系を旅する者の守護天使と呼ばれるリンダを目の前にし、両膝を付いて銃から手を離した。
「化け物でも悪魔でもない。あなたは天使様だ」
「はい?」
 平伏せんばかりに地面に頭を付けるマットの呟きに、リンダは意味が判らないと首を傾げる。
 マットが祈る様に両手を合わせて頭を上げた時、『役立たずめ』という声と共に、側頭部が爆発して脳髄と血が周囲に飛び散った。
 リンダはすぐに防衛態勢に入ったが、コンタクトレンズが捉えられる範囲に動ける敵はどこにも居ない。
リモートで仲間を殺したのね!
 ギリッと音がするくらいリンダは強く歯を食いしばる。

 階段を駆け上がって来たα・シリウスはマットの死体に気付き、「見るな」と憤っているリンダの頭を抱き寄せる。
 頭部の半分以上が無いマットの死体を改めて見直して、α・シリウスが眉間に皺を寄せる。
「なるほど。こういう奴が相手か」
「そうね」
 冷たい声で言い切るリンダの顔をα・シリウスは何事かと覗き込む。
「サラ?」
「庇ってくれてありがとう。どういう理由か知りたくも無いけど、わたしはどんな死体を見ても平気らしいの。子供の頃から医療知識をたたき込まれたからかしら。だから本当に大丈夫よ。シリには聞こえていたでしょう。マタイはわたしと戦う気が無かったのよ。「役立たず」と言う声が聞こえたわ。そして殺されたの」
「分かっている」
 α・シリウスは俯きながら沈んだ声で話すリンダを抱きしめようとして、その手を強く払いのけられた。
「わたしは自己保身の為だけに、人の命を駒扱いする奴が1番許せないのよ。マイケルに聞いてごらんなさい。シリが殺さずにいてくれたのに、きっともう全員死んでいるから」
 リンダに言われて、α・シリウスが急いでマイケルに問い合わせる。
『残念ながらお嬢様の言うとおりだ。2人共頭を吹き飛ばされて顔の判別がつかない状態で死んでいる。あれだけの犯罪を犯している奴だ。生き証人を残してくれる相手じゃ無い』
 ほらね。という顔をしてリンダは苦笑すると、すぐに顔を歪めて涙を流した。
『シリ。助けられた命だったのにわたしの判断ミスで死なせてしまったわ。悔しい! どうしてわたしは2人を完全に武装解除しておかなかったのかしら。わたしのフィールドと装備なら彼らの通信機なんか簡単に壊せたのに!』
 マイケル達には聞かせたく無いのだろう。吐息だけで慟哭するリンダをα・シリウスは強く抱きしめた。リンダもα・シリウスの胸にしがみついて泣き続ける。
『マタイはわたしを「天使様」と呼んだわ。この世に天使なんて居いないわよ。本当に居るならどうしてこの世はこんなに悲しい事ばかりが起こるの!?』
 リンダの叫びを聞いたα・シリウスの肩がビクリと震える。
『シリ?』
『何でもない。サラの言うとおりだ。この世に天使なんて都合の良いものは居ない。絶対に居ないんだ』
 息が苦しくなるくらい強い力で抱きしめられて、リンダの顔がα・シリウスの胸に埋まる。
『シリ……』
 α・シリウスは自分と似た境遇に居る。理由は判らないがリンダはそう感じられた。そうなら気持ちが通じ合えるのも解るとリンダはα・シリウスに体重を預けた。


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