Rowdy Lady シリーズ 3 『天使の歌声は聞こえない』

16.

「あれだけの人数を導入して、リンダ・コンウェルに逃げられただと?」
 コンウェル邸最寄りの駅から2番目に近い駅に待機していたジェイクは、マイクに向かって声を荒げた。同行していたアンドリューも舌打ちをする。
『ジェイク。あの小娘は噂以上だ。駅に入ってほんの数秒の間に俺達の位置を完全に掌握し、切り離しに動いて、3、3の体勢をすぐに崩された。先回りして同じシャトルに乗ってもすぐに逃げられた。まるで他の乗客など誰もいなかったみたいに俺達を見て動いていたんだ』
 そんな人間が居るはずがないと言い掛けて、ジェイクは「奇跡のリンダ」伝説を思い出した。味方に付ければ守護天使だが、敵に回したら化け物を相手にする事になる。
「今、何処にいる?」
『さっきターゲットが使う駅を通り過ぎたところだ。ニューヨークシティに向かっている』
「後は付けられていないな? そのまま分散して1人ずつ帰れ。我々も撤収する。敵のホームグラウンドで戦うのは分が悪い。不意打ちが出来なかったのは痛いが、作戦を立て直して後日実行しよう。生死を問わないなら出来るはずだ」
『了解』
 ジェイク達がシャトルに乗り込むと、先に乗車していたマットとフィリップが近寄ってきた。お互いに目配せをして、耳に取り付けた小型通信用ゴーグルをオンさせる。
『ジェイク。俺達が最後だった。済まない』
 マットが謝るとジェイクは首を振った。
『あの小娘が手強すぎただけだ。かなり実戦慣れしてるな。こちらが人質に取ったはずの乗客達を、逆に目くらましに利用して完全に裏をかいてきた。次回に失敗をしなければ良い』
 それまで黙って俯いていたフィリップが怯えた目で顔を上げた。
『ジェイク。あの女は本当に化け物だ。とても俺達の敵う相手じゃない』
『今更何を言い出すんだ。2度もしてやられて怖じ気づいたのか?』
『違う』
 フィリップは何度も頭を振って、アンドリューに向き直った。
『あの女はシャトルから降りると見せ掛けて、わざと人にぶつかってまんまと俺達を振り切ってシャトルで逃げて行った』
『今更だが、あれは本当に横に立っていた背の高い男にぶつかって、降りそびれたっぽかったぞ』
 とマットが記憶を辿りながら首を傾げる。
『あの女は俺達の、俺の顔を見てにやりと笑いやがった。あの晩、暗闇の中で特殊ゴーグルをしていた俺の顔を覚えていたんだ。今日も俺は別の顔に変装していたのにばれた。あの女は悪魔だ』
 震えるフィリップの腕をジェイクは握りしめた。
『先週顔を見られていただと? そんな報告は受けていない』
『俺もまさか見られていたなんて思っていなかった。だけど、あの女は俺の顔を見て笑った。そういう事じゃないのか?』
 必死に訴えるフィリップの肩をジェイクは「もう良い。判った」と2度叩いた。
 アンドリューとマットはジェイクの合図を見逃さなかった。今夜にもフィリップは肉片すら残らない姿にされるだろう。
 フィリップは自分自身の死刑執行書にサインをしてしまったのだ。


 リンダはすぐに自分が持ち帰ったデータをケイン達に渡してより詳しい分析を始め、護衛に失敗したCSS社員達は全員がマイケルとミーティングを行っていた。
「はっはっはっはっはっ。これはまた、見事な痣だねぇ。シリウス君、胃液を吐かなかっただけでも凄いよ」
「この大きさからして膝ですね。全くリンダ様の足癖の悪さには困ったものです。せめてレディらしくつま先で向こうずねを蹴る程度にしていただきたかったですわ」
 家に入ると同時に、自分を医務室に引きずり込んだ脳天気夫婦の力が抜ける感想に、α・シリウスの眉間の皺が益々深くなる。
「良いからさっさと治療してください。こうしている間にも分析結果が出て、いつ会議が始まるか判らないんです。夜には客人も来るのに困ります」
 センサーを走らせ、モニターをチェックしながらサムは苦笑した。
「シリウス君はリンダと違って可愛くないなぁ。治療のしがいがない」
 α・シリウスがリンダの名前を聞いてピクリと肩を震わせると、サムとメアリは同時に横を向いてぶっと吹き出した。
「何です?」
 益々機嫌が悪くなったα・シリウスの顔を見て、サムが爆笑したいのを堪えて軽く肩を叩いた。
「いや、訂正しよう。シリウス君も充分可愛いよ」
「止めてください」
 本気で嫌そうに顔をしかめるα・シリウスにメアリが端末を操作してモニターを見せる。
「とても綺麗だわ」
 メアリが感嘆の溜息をつく。
「うん。そうだね」
  サムが同感だと頷く。
「は?」
 と、α・シリウスが首を傾げる。
「ああ、ごめん」
 サムがモニターを指さした。
「これはさっき撮った君の腹の断面図だよ。痣が残っている表皮を除いて、その下部組織や内臓に全く損傷が残っていないだろう。本気のリンダならCSS製プロテクターを膝で叩き割って、君の内蔵は今頃ボロボロだ。プロテクターも君の内蔵も無事なのは、リンダが手加減をしてそう力を込めたからだよ。痣を残したのもわざとだね。つまり……」
 サムはにっこり笑ってモニターを消した。
「それはリンダの君へのメッセージだから僕としては消せないよ。経口の痛み止めだけ出しておくから、我慢が出来なくなったら飲むと良いよ」
 一瞬だけ複雑な顔になったα・シリウスは、すぐに無表情に戻ってベッドから起きあがると服を着始めた。
「シリウス君」
「はい」
 上着を羽織り振り返ったα・シリウスにサムは薬を投げた。
「何気に君は愛されてるなぁ」
「は?」
 薬を受け取り、「誰に?」と聞こうとしたα・シリウスを、メアリが「時間が無いのでしょう」と部屋から追い出す。
「野暮な人ね。夫婦の邪魔をしないで」
 にっこり笑ってメアリはα・シリウスの目の前でドアを閉めた。

「サム。今後はどうするの?」
 メアリに聞かれてサムは頭の後ろで手を組むと「うーん」と呻った。
「出逢い方が悪かったからか、リンダのシリウス君に対する「嬉し恥ずかし照れ隠しぶん殴り」は相当根が深そうだからねぇ。僕に対しては純粋に子供の愛情全力タックルだったし、あの頃のリンダはまだ小さかったから、受け止めれば済んでいた。けど、シリウス君の場合はわざわざ自分からあのリンダに殴られるネタを提供しているみたいなんだ。まあ、放っておこう。大丈夫だよ。シリウス君は丈夫なのが取り得だそうだから」
 サムが軽く伸びをして立ち上がると、腕を組んでいたメアリも頷いた。
「そうね。長身が災いして至近距離で下からの攻撃に弱いシルベルドの動体視力をもっと鍛えるのに良いかもしれないわ。リンダ様の蹴りを全てかわせる様になったら、わたしもα・シリウスを一人前と認めましょう」
 手厳しいと笑うサムに当然とメアリも返す。
「わたしは2人の教師よ」
「ごもっとも。さて僕らも夕食に行こうか。今日のメニューは何だっけ?」
「たしか日本食だったと。箸という変わったフォークを使って食べる料理ね」
 あちゃっとサムが舌を出す。
「あれは持つと指がつりそうになるんだよねぇ。料理はとても美味しいんだけど。マイケルも普通にフォークとスプーンを使わせてくれたら良いのに」
 ドアを開けてサムとメアリはダイニングへと歩き始める。
「慣れたわたし達はともかく、シルベルドのテーブル周囲がどうなるか。わたしはそれを考えると頭が痛くなるわ」
 メアリの予想通り、生まれて初めて箸を持ったα・シリウスは、あらゆる料理を取り落として真っ白なテーブルクロスを盛大に汚してマイケル達に溜息をつかせた。木製の箸を数本折り、右手をつらして悲鳴に近いうなり声を上げる。
 見るに見かねたリンダが器用に箸で料理を取り分け、「はい。あーんして」とα・シリウスの口元にもっていくのを見たケインは、即座にマイケルに命じてα・シリウスにフォークとナイフを使わせた。


 余程辛かったのか、右腕をマッサージしているα・シリウスを見たリンダは、小さく溜息をついてウエストバッグから出した薬をα・シリウスの腕に塗った。
「パパも始めからシリにフォークを使う許可を出してくれたら良かったのに。わたしも箸に慣れるまでかなり時間が掛かったのよ」
 ほんの僅かな間に痛みが引いていき、α・シリウスもほっと息をつく。
「ありがとう」
「筋の痙攣を抑えただけだから無理はしないで。癖になるわよ。シリも素直に無理と言えば良かったのよ。無駄なところで意地になるんだから。まるでパパみたいだわ」
「昨日は俺をサムみたいだと言わなかったか?」
 少しだけ機嫌が悪そうなα・シリウスに指摘されて、リンダは「あら?」と口元に手を当てる。
 しばらくα・シリウスの顔を見つめ続けたリンダはポンと手をうった。
「解ったわ。シリを見ていて時々懐かしいと感じるのは、パパとサムの意地っ張りでズボラで馬鹿な所にそっくりだからだわ。それでシリの側に居る安心するのね。納得したら笑えてきちゃったわ」
 声を立てて笑うリンダに、絶対に納得出来ないぞとα・シリウスは無言で憤った。誰が父親とその代理兼初恋の相手に似ていると言われて嬉しいものか。
 誰かの面影を重ねるのでは無く、自分自身を見て貰いたいのに。しかも「馬鹿」とは何だと言い返したい。
 しかし、今のα・シリウスにはリンダの無邪気さに対抗出来る術が無い。恋愛は先に惚れてしまった方の負けと言うが、自分達もそうなのだろうと思う。
 何度もどうしたらリンダに男として愛されるのだろうかと考えたが、愛にはパターンも法則も無い。一言、リンダに「好きだ」と言えば済む事なのかもしれないが、すでに獅子がそれをやって見事にスルーされているのを目の前で見ているだけに、同じ轍は踏みたくない。

 血行を良くする為にα・シリウスの右腕を優しく撫でていたリンダの手が不意に止まり、明るいエメラルドグリーンの瞳が強く光る。
「シリ、ジェイムズ達が来たわ。時間どおりね」
 リンダの言葉を受けて、α・シリウスもコンタクトレンズを透視モードに切り替える。コンウェル邸門前に黒の大型車が停まっているのが見えた。
 α・シリウスは立ち上がると腕にニードル銃をセットして上着を羽織る。
「ちょっと。シリ、家でも武装をする気なの? 相手はジェイムズ達よ」
 ドアノブに手を掛けてα・シリウスは振り返った。
「サラもほぼ24時間、何らかの武装はしているだろう。何時何処で何が起こるか判らないのが現状だ。此処が要塞並の装備を持つコンウェル邸で、相手の正体はともかく、サラが信用している友人でも、俺は自分で出来る限りの自衛策をとるだけだ」
 無言で頷くとリンダはα・シリウスの横に並んだ。
 たしかに事件を知って以降、自分も家に帰っても、メンテナンス時間以外はほとんどの装備を身に着けたままだ。眠る時も全ての装備を身に着けているか枕元に置いている。
 リンダが下校中に襲われた事で、コンウェル邸のセキュリティレベルは1ランク上げられた。マイケル達CSS社員達も準非常警戒状態に切り替えている。もはや戦争状態に有るのだとリンダは唇を噛み、無意識にα・シリウスの腕を掴んだ。
 軽く肩に重みを感じてα・シリウスが振り返って足を止める。
「どうした?」
「ちょっと嫌だなんて思ってしまったの。わたしは本当に甘ちゃんの上に我が儘だわ。ごめんなさい」
 リンダが言いたい事の意味に気付いたα・シリウスは、リンダの顎に手を掛けて上を向かせた。
「サラはそれで良い。殺したり傷付ける事を全く躊躇わなくなったら人として終わりだ。迷うならいくらでも迷え。それがサラをもっと強くする。但し」
 α・シリウスはリンダの頬に手を添えて、顔を真っ直ぐに見て告げた。
「自分の命を守る事は絶対に躊躇うな。それが結果的に周囲も護る事になる。自分が何者か忘れるな。サラの為なら自分の命を投げ出す覚悟が出来ている連中が、此処にはゴロゴロと居るんだからな。もちろん俺もだぞ」
 くさい台詞を言ってしまったと少しだけ赤面するα・シリウスに、リンダは頬の添えられた手に自分の手を添えて笑顔を向けた。
「わたしもシリを、皆を護るわ。「奇跡のリンダ」の名に恥じる行為はしないつもりよ」
 α・シリウスの手がリンダの背に回りかけた時、リンダが玄関に向けて走り出した。
「さあ、わたし達のお客様よ。お出迎えしなくちゃ」
「……了解」
 虚しく宙をかいた手を納めてα・シリウスも走り出す。
 地下室で廊下でのやりとり一部始終を見ていたサムとメアリは、α・シリウスの間抜けでヘタレっぷりに腹を抱えて笑い転げていた。


 玄関先で出迎えたマイケルにコートを預けたジェイムズは、テラス階段上にリンダの姿を見付けると笑顔で手を振った。
「やあ、リンダ。招待ありがとう。さっそく来たよ」
「こんばんは。リンダ、夜遅くにごめんなさいね」
 ニーナも顔を上げて小さく手を振る。
 α・シリウスはテラス上に留まり、リンダは軽やかな足取りで階段を降りると2人を出迎えた。
「ジェイムズ。ニーナ。来てくれてありがとう。寒かったでしょう。飲み物を用意するわ。お茶とコーヒーのどちらが良い? それともホットミルクやココアの方が良いかしら? 何でも好きな物を言って」
「僕達は君と同じで良いよ。あまり気を使わないで欲しい」
 ジェイムズの言葉を受けてリンダがマイケルに顔を向けた。
「コーヒーをお願いできる? 甘いお菓子も欲しいのだけど頼めるかしら。部屋は……そうね。1階のプライベートルームが良いわ。出来るだけ気楽に話したいの」
「承知いたしました。少しお待ちください」
 マイケルが一礼して下がると、ケインが階段を降りてきた。
「初めまして。ジェイムズ・ロイドさん、ニーナ・マンチェスター嬢、コンウェルを代表してお2人を歓迎します」
 右手を差し出されてジェイムズがケインの手を固く握り返す。
「初めまして。ケイン・コンウェルさん、初対面の方に図々しいお願いですが、今夜僕達はリンダの友人として遊びに来た。……そういう事にしていただきだいのです」
 少しだけ拍子抜けしたという顔でケインはジェイムズの顔を見つめた。
「していただきたいとは、どういう意味ですか?」
「今回の事件、いやすでにテロと言った方が良いでしょう。を、苦々しく思っているのはコンウェル財団だけでは有りません。太陽系開発機構に属する企業は、一連の出来事を到底傍観は出来ない。事態はそこまで進んでいます。違いますか?」
 ジェイムズの真摯な視線を受けてケインも頷いた。
「たしかにこの事件が未解決のままになれば、あなた方ロイド&マンチェスター商会も無関係ではいられないでしょう。このままでは太陽系全体のパワーバランスが壊れてしまいます。だからわざわざこちらに来られた。そうでしょう」
 ジェイムズは少しだけ頭を下げてすぐに顔を上げた。
「僕達の父が貴方に直接コンタクトを取らなかったのは、偶然リンダと同行していたα・シリウスを無事に保護し、事件の重大性ににいち早く気付いて独自に調査を始めたあなた方への敬意の表れです。しかし、僕達は父の代理では有りません。リンダの友人として出来る限りの事をしたい。そう心から願っています」
 ケインはジェイムズの言葉を頭の中で反芻すると、気さくな笑顔に変わった。
「昨夜は世間知らずの娘が2人にとてもお世話になったそうだね。心から感謝する。ゆっくりしていって欲しい。とは言え君達はまだ学生で明日も学校が有る。勉強の妨げにならない程度にしたまえ。でないと私が君達のご両親に怒られてしまう」
「「はい」」
 同時に笑顔で返事をしたジェイムズとニーナに、ケインはもう1度笑顔を向けて場所を空けた。これからは子供達の世界で大人は介入するべきでは無い。
 太陽系5指に入るコンウェル財団とロイド&マンチェスター商会が密かに手を組んだと知られたら、太陽系開発機構の現組織まで崩れかねない。それをどうしても避けたいとジェイムズは言ったのだ。
 ロイド&マンチェスターの情報収集能力は、コンウェルのそれを遥かに凌駕する。ジェイムズがあくまでもリンダの1友人の立場を通したのは、企業間取引では無いという印象を強める為だ。
若いのに大した度胸と判断力だ。なかなかやる。
 ケインはジェイムズを高く評価した。但し、人間として好意を持ったかと言うと、評価を保留せずにはいられない。
 α・シリウスに初めて会った時、真っ直ぐで激しく、傷付きやすい繊細な心を覆う強い意志に好感を覚えた。ジェイムズに直接会って始めに感じたのは「ふてぶてしさ」だ。本音を絶対に見せない隙の無さは子供らしさの欠片も無い。それだけ常に厳しい世界に身を置いているのだろうが、α・シリウスが馬鹿が付くくらい不器用なのに比べて、ジェイムズは器用過ぎる。現時点でジェイムズの人間性を評価するのは、ケインでも難しい。
 つくづく娘のリンダは、とんでも無い性格と立場の男ばかりを惹き寄せると、ケインは少し頭が痛くなった。

「大変お待たせいたしました。お客様方、お嬢様、部屋の用意が整いました。どうぞこちらへ」
 マイケルが歩み寄ってジェイムズ達に礼をとる。
「ジェイムズ、ニーナ。待たせてごめんなさい。あ、先生もご一緒にいかかですか? お仕事はもう終わられたんでしょう」
 リンダがテラスに居たα・シリウスに声を掛け、「喜んで」とα・シリウスも笑顔で階段を降りてきた。
 4人がマイケルの後について廊下を歩いていると、ポンとジェイムズの肩を叩く手が有った。
 ジェイムズが何事かと振り返ると、サムが口元に人差し指を当てていた。
「水くさいなぁ。リンダ、ちょっと席を外してる間に、僕には新しい友人の紹介は無しかい?」
 サムがわざとらしく溜息混じりに愚痴をこぼす。
「サム。ごめんなさい。忙しいと思っていたのよ。紹介するわ。わたしのクラスメイトでジェイムズ・ロイド、それと婚約者で1学年上のニーナ・マンチェスターさん。昨夜、とてもお世話になったからそのお礼をと思ったのよ。ジェイムズ、ニーナ、こちらはサム・リード。うちの専属医師よ」
 ああとジェイムズとニーナが頷いてサムに「宜しく」と笑顔を向ける。
「へえ、昨夜ねぇ。宜しく。ジェイムズ君、ニーナ嬢、美男美女でとてもお似合いだよ」
「ありがとうございます」とニーナ。
「どうも」とサムに肩を掴まれたままのジェイムズも笑顔を作る。

 リンダ達と一緒に部屋に向かおうとしたジェイムズの耳元でサムが小声で囁いた。
「待てよ。「J」」
 僅かに顔色の変わったジェイムズが足を完全に止める。
 先程までの笑顔は綺麗に消えて、サムの目は怒りに燃え、口の端だけで笑っていた。
「僕が本気で君を歓迎するとでも思っていたのか。相当図々しい奴だな。1度目はリンダを助けて貰ったから、僕も君の介入を許した。けど、それ以降の君は目障りなだけだ。散々「J」の名で僕のリンダを振り回して困らせておいて、クラスメイトのジェイムズ・ロイドの名も使うのか。ずいぶん器用な上に可愛くないね。ケインの顔を潰す訳にはいかないから、今日はロイド家の息子をどうこうしようとは思わない。けれど、これ以上僕のリンダを苦しめるなら遠慮はしない。背中に気をつけろなんて馬鹿な事は言わないよ。君を表舞台からも裏舞台からも抹殺する事なんて僕には簡単だ。脅しじゃない。僕はやると言ったらやる」
 低く凄みの有る声で言われて、ジェイムズは全身から汗が噴き出した。敏腕精神科医サム・リードの名はジェイムズもよく知っている。こうして話している今も自分は何かの暗示を掛けられていて、自殺や失踪に追い込まれかねない。
 ジェイムズは落ち着けと何度も自分に言い聞かせ、ゆっくり深呼吸をすると笑ってサムを見返した。
「僕がリンダを苦しめている? とんでも無い。もしそうだったらどれだけ良いか。リンダはそこまで僕を意識してくれていない。それくらい僕にも分かっています。僕は……燃え上がる炎の様に激しく美しく温かい、同時にか弱い少女に恋してしまった愚かな普通の男ですよ。ミスター・サム」
「君の気持ちは理解出来る。僕のリンダはとても可愛いからね。欲しいという気持ちも本気なんだろう。ジェイムズ君、自分が愚かだと気付いているなら決して暴走しない事だ。僕のリンダの信頼を裏切ったら、その時は……分かっているね」
 サムはゆっくりと瞬きをしてジェイムズの肩を再び叩き、にやりと笑うとジェイムズから離れた。
やられた!
 特別訓練されていない細身の身体、柔らかそうな長めの髪と穏やかな表情に油断して完全に嵌められた。
 2度肩に置かれたあの手が合図だ。どんな暗示を掛けられたのか自分には判らない。恐ろしい相手を敵に回してしまったと、ジェイムズは手の平にかいた汗を服でぬぐってリンダ達の後を追った。


 言いたい事を言ってすっきりしたサムが鼻歌混じりに角を曲がると、メアリに首根っこを押さえ込まれた。
「リンダ様のお客様を脅かすなんて、何を遊んでいるの」
「いたたた。メアリ、お願いだから手を離してくれよ。今のところ彼がシリウス君の最大のライバルなんだから多少は虐めても良いだろう」
「ほー。それで?」
 両手に鞭を出したメアリが怒笑しながらサムに詰め寄る。
「だから、脅して少しは大人しくさせておけば、ヘタレのシリウス君でも良い勝負になるかなって思ったんだよ。このままじゃシリウス君に勝ち目が無いからね」
「じゃあ、あの手は何?」
「暗示を掛けたフリ。実際はまだ何もやっていないよ。後始末が面倒臭いからね。僕のリンダに惚れるだけあって、ジェイムズ君の思い込みの激しさだけはシリウス君と良い勝負だねぇ。簡単に騙されてくれたよ」
 メアリは鞭を腕に巻き直すと横目でサムを睨んだ。
「天国に行けないわよ」
「死んだ後の事は考えない主義なんだ。せいぜい今を楽しむさ」
 サムはメアリの肩を抱くと頬をすり寄せた。
「アレクは?」
「もう寝かせたわ。今夜も遅くなるんでしょう」
「いつもまかせっぱなしで悪いね」
 肩に頭を預けられてメアリは何度もサムの髪を撫でる。
「そんな事はあなたと結婚を決めた時から覚悟済みだわ。だから……」
「うん?」
「昨夜からα・シリウスと2人でこそこそとわたしに何を隠しているの? 話を逸らしてしらばっくれるんじゃないわよ。あなたが本性むき出しで人を攻撃するなんて、相当の理由があるはずなんだから。痛い目を見る前にさっさと吐けって言ってるのが分からないの」
 身体を離して双手の鞭を呻らせるメアリの形相を見て、サムが思わず後ずさる。
 怒った時のリンダの口調は、実はメアリ譲りだと知っている者は数少ない。戦闘態勢になったメアリに対抗出来るのは、同じタイプのリンダだけなのだ。
 サムは降参と両手を上げてメアリを別室に誘い、α・シリウスから受けた相談を正直にメアリに打ち明けた。


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