Rowdy Lady シリーズ 3 『天使の歌声は聞こえない』

13.

 ジェイムズに誘われるまま屋外テラスに出たリンダは、素早く周囲に人が居ないのを確認して声を上げた。
「ジェイムズ、いくら何でも強引過ぎるわ」
「しっ。声が大きいよ。リンダ、君らしくもない。予定を狂わされて腹を立てているんだろうけど、どうか落ち着いて欲しい」
 耳元で囁かれたリンダは一瞬だけ眉をひそめ、すぐにはにかんだ表情を作って頷く。
「ごめんなさい。ジェイムズ、初めての場所でとても緊張しているの」
 リンダの素早い切り替えにジェイムズも満足げに頷いた。
「そうだろうね。僕も姫君の気持ちを考えずに強引な真似をして済まなかったよ」
「姫君は止めてと何度も言っているでしょう。誰かに聞かれたら恥ずかしいわ」
「いい加減に慣れて欲しいんだけどなぁ」
 お互いにクラスメイトの顔に戻ったリンダとジェイムズは同時に笑った。
 ジェイムズはリンダの肩を引き寄せると、もう1度耳元で囁いた。
「大切な話が有るんだ。まずは君と常に連絡状態だろう彼と一旦回線を切って欲しい。君を通して彼に話すのはフェアじゃないからね」
 リンダが何故それを? という顔をすると、ジェイムズは笑って軽くリンダの額をつついた。
「狙われている君達が何の防衛策も無しで此処に来るとは考えられないよ。当然、通信手段も有るだろう」
『サラ、切るな!』
 α・シリウスの必死な声をイヤリングを通して聞きながら、ジェイムズの言い分は正しいと判断したリンダは『マイ・ダーリン』と吐息だけで囁き、回線を一方的に切った。これでα・シリウスの声が自分に届いても、自分達の会話はα・シリウスには聞こえない。
『この馬鹿娘! 覚えてろよ』
 うるさいと思いながらリンダは正面からジェイムズの顔を見つめた。
「切ったわ。彼に対してフェアじゃ無いと言ったからには、内容は例の要請なのね」
「ビンゴ。相変わらず君は聡明で話が早いから助かるよ」
 嬉しそうに言うジェイムズを、リンダは無言のまま上目遣いで睨み付けた。
 ジェイムズはリンダ視線は無視して身体を引き寄せると、唇が耳に触れんばかりの距離で囁き続ける。
「3度目の要請だ。君達の捜査に僕も加えて欲しい。太陽系防衛機構「J」として、ロイド家のジェイムズとして、この事件はもう傍観できない。君達が今日此処に来たのは僕と同じ結論を出したからじゃないのかい」
「同じ結論って?」
 絶対に逃がさないと背中に回された手を振りほどくのも忘れて、リンダはジェイムズの言葉に耳を傾ける。
「共同捜査の事じゃないよ。あの晩、太陽系防衛機構の低高度偵察衛星が1機本来の軌道を外れて、24時間体勢で宇宙から護られているはずの、君が住む地区上空軌道に4時間も留まった。ケイン氏の報告を受けて、市長は太陽系防衛機構に正式に抗議をして衛星は元の軌道に戻った。君達が無事にコンウェル家に保護されて160分後の事だ」
 リンダは少しだけ目を大きく見開き、すぐに囁き返した。
「そこまで知っていたの。アレが動き出したのは、パパが市長に報告を入れてから1時間足らずだったわ。彼がコンウェル家から出てくるのか、そのまま留まるのか、様子を見ていたのだとわたし達は判断したわ。パパがかなり強く抗議をしたから、コンウェルを正面から敵に回すべきでは無いと判断したんでしょう」
 素早く思考を巡らせるリンダに、ジェイムズは感嘆の息を漏らした。
「僕も同じ結論を出した。あの衛星の使用目的は対個人用では無い。詳しくは君にも言えない。あの衛星は本来、北米軌道上をランダムに動くはずなんだ。だれかが軌道プロブラムに介入した。それも市長と面識が有り、問い詰められてもそれをかわせるだけの大物だ。……と僕はふんだ。君達もだろろう。だからこの世界に乗り込みを掛けて来たんじゃないのかい」
「否定しないわ」
 α・シリウスの同意無しに下手な事は言えないリンダは、慎重に言葉を選んで答える。
「もう1度言うよ。捜査に僕も加えてくれ。リンダ、どうか断らないで欲しい。このままでは君達2人共確実に命を落とす事になる」
「ジェイムズ、それはわたしの……」
 否定の言葉を言おうとしたリンダを、ジェイムズは強く抱きしめて耳に口付けた。
「きゃっ」
 ジェイムズは反射的に仰け反り掛けたリンダの身体を意地でも離さない。
「彼には僕が直接話すよ。それならかまわないだろう。お願いだ。リンダ、僕はこんな事で君を失うなんて到底耐えられないんだ」
 ジェイムズの本気にリンダは抵抗しきれない。心臓を鷲掴みにされた様な痛みが走り抜け、動揺で頭が真っ白になっていく。

誰か……。誰かって誰なの? ……わたしは何を?

 目眩を起こしかけてジェイムズに身体を預ける形になったリンダの顎を、ジェイムズの手が捉えて上を向かせる。
「子供のお遊びはそこまでだ。私のリンダから離れろ」


『マイ・ダーリン』
 一方的に通信を切られたα・シリウスは、すぐにでもリンダ達を追いかけたい衝動を懸命に堪えた。
「シルベルドさん。ジェイムズはいつも笑っていますけど、ここ1ヶ月間何度も壁に突き当たって憤っていました」
「壁?」
 囁きだけでリンダを罵倒したα・シリウスは、何の事かとニーナを振り返る。
「彼1人だけでは決して崩せない大きな壁。そしてそれはあなた方にとっても……」
 そこまで言い掛けてニーナは小さく頭を振った。
「失礼しました。この話をするのはわたしの役目ではありません。わたしはジェイムズの婚約者であり、リンダの友人に戻ります。それにこの話題は場に相応しくありませんね。シルベルドさん、あなたとリンダは普段どういう話をされているんですか? わたしは学院で勉強虫のリンダしか知らないんです」
 いきなり身を包む雰囲気が変わり、普通の20歳の女性に戻ったニーナに、これはかなり手強い相手だとα・シリウスは認識を改める。
 リンダと普段どういう話を。
 1番聞かれて困るのがこれだとα・シリウスは思う。リンダと行動を共にする時の話題はたとえ食事中でも事件に関する事が多く、それ以外ではと聞かれたら、思い出せないというのが事実だ。
 α・シリウスとリンダの間に言葉はそれ程必要ではない。自分が何かに憤ったり、疲れたり、寂しいと感じていると、リンダはそれを察して黙って側に居てくれる。逆もまた同じだ。気性が真っ直ぐなリンダは一見強い様で脆い。何度自分の服をリンダの涙(とおまけに鼻水)でびしょ濡れにされたか判らない。黙って抱きしめるだけでリンダには通じる。この世で唯一のパートナーなのだから。
 好奇心一杯というニーナの視線を受けて、α・シリウスは優しく微笑んだ。
「ここ数日コンウェル邸にお世話になっているのですが」
「はい」
「訓練の内容以外では食べ物の話題しかしていませんね。好みがほぼ同じなので、リンダと料理を取り合って喧嘩をしてしまうんですよ」
 照れくさそうに顎に手を当てて笑うα・シリウスの顔を見て、ニーナは数回瞬きをするとぷっと吹き出した。
「結構、あなたも子供なんですね。あら?」
 瞬時にニーナの目が険しくなり、両手を握りしめてある1点を見つめ続ける。
「……ジェイムズ、何て事を。やり過ぎだわ」
 眉をひそめるニーナの視線を追ってα・シリウスが顔を巡らせると、リンダがジェイムズに抱きかかえられているのが視界に入った。
「あのクソガキ。失礼。レディ」
 α・シリウスがニーナに一礼して早足で人混みをすり抜けて行き、ニーナもそれを追う。
「わたしも行きます」


「子供のお遊びはそこまでだ。私のリンダから離れろ」
 耳に馴染んだ声が聞こえて朦朧としていたリンダの意識が徐々に戻っていく。ジェイムズが小さく舌打ちをして、リンダの身体から手を離した。
「シ……リ……」
 真っ青な顔をして、おぼつかない足取りで必死に自分に向かって歩いてくるリンダを、α・シリウスは駆け寄って優しく抱き寄せた。
『何故もっと早く俺を呼ばなかった? 違う。俺が悪かった。サラ、目を離してすまない。怖かっただろう。もう大丈夫だ』
これもサムの意識誘導の影響か?
 明らかに怯えているリンダに吐息だけで優しく声を掛け、α・シリウスは何度もリンダの髪を撫でるとジェイムズを睨み付けた。
「友人とは思えない行き過ぎた行動ですね。貴方を信頼した私の生徒と、レディ・ニーナ双方への裏切りとは思わないのですか?」
 静かな口調とは裏腹に絶対に許さないという目で、α・シリウスはジェイムズを問い詰める。
『マイ・ハニー、シリ。……お願いよ。今は……ジェイムズと喧嘩しないで。今後の計画に障るわ』
 立っているのがやっとだろうに、あくまで仕事を優先させるリンダにα・シリウスの胸が痛む。
「リンダ、薄着でその場所は凍えてしまうわ。話はいつでも出来るでしょう。奥の席で一緒に温かい物を飲みましょう。ジェイムズ、リンダの不調は明かにあなたのミスよ。保護者のシルベルドさんに説明をなさい」
 暗に大切な姫君は保護するから2人だけで決着を付けろと促すニーナに、α・シリウスは『歩けるか?』とリンダに問い掛けた。
『ありがとう。シリのおかげで大分落ち着いて来たわ。もう大丈夫よ』
 顔を上げて笑顔を見せるリンダの頭をもう1度撫でて、α・シリウスは「レディ。お願いします」とリンダをニーナに預けた。
「リンダ、気が利かなくて無粋な男共は放っておいて女同士で楽しく話ましょうよ」
 親しげにリンダの肩を抱いて支えながらニーナが会場奥に入っていくのを確認して、『マイ・ダーリン』と囁くと、α・シリウスはテラスに手を掛けているジェイムズを振り返って押し殺した声で告げた。
「どういうつもりだ? 「J」」

 返答次第では殺すといわんばかりの冷たい視線を受けて、ジェイムズも真顔でα・シリウスの顔を見返し、真っ直ぐにα・シリウスに向かって歩いて1歩分の距離を空けて声を潜めた。
「リンダが急に体調を崩した原因は僕にも判らない。あのままリンダをと思ったのは否定しないよ。α・シリウス。だが、僕が本当に呼び出したかったのは君だ」
 α・シリウスは一気に頭に血が上り、胸ポケットのナイフを抜き出すのを必死で堪える。
「俺を呼び出す為にサラを利用し、あんな真似をしたのか?」
「それは違う。僕がリンダにした事は僕自身の欲求からだ。リンダには僕の気持ちは伝えてある。あれだけ魅力的なリンダを見て欲しいと思うのは男として当然だろう」
「ガキが。図々しいのもいい加減にしろ。婚約者の前でよくもあんな真似が出来るな。恥を知れ」
 リンダが止めなければとっくにジェイムズを殴っていただろうと、α・シリウスは両手の拳を震わせた。
「ニーナは僕の気持ちを承知している」
 そう言ってジェイムズは、はっと気付いた様に数回瞬きをして、何度も頭を振った。
「ああ、こんな話をする為に君を強引に呼び出したんじゃない。α・シリウス、仕事の話だ。すでにリンダには3度要請を出した。その度にリンダは君の意志を尊重したいからと断り続けている」
 α・シリウスはゆっくり息を吸うとジェイムズに向き直る。
「パートナーは運命共同体だ。サラは正しい選択をした」
「パートナーとの信頼関係は大切だからね。だけど、それは間違った選択だ。君とリンダの命を守り、尚かつこの事件の真相に迫るつもりなら、リンダは僕の気持ちを利用してでも情報を手にするべきだった」
 再びわき起こるこのクソガキを殴ってやりたいという衝動を、α・シリウスは気力でねじ伏せた。
「サラは俺に貴様「なんか」を大切な友達だと何度も言った。友人を自分の目的だけに利用し、その上、パートナーの俺を裏切る事など、あのサラに出来るはずが無い。それが分からない程度の友人なら俺のサラに2度と近づくな」
 あくまでリンダの所有権を当然の様に言うα・シリウスの態度に、ジェイムズも殴ってやりたい衝動を抑えて、ゆっくりと深呼吸をした。
「リンダとは5年の付き合いだ。君「なんか」よりずっとリンダの事は解っているさ。リンダがああいう性格だから君を直接此処に呼び出したと言ったよね」
 このガキ、まだ言うか。思いっきり罵倒して、にやけた顔の形が変わるくらい殴ってやりたいと思いつつ、リンダの悲しむ顔を見たくないとα・シリウスは瞬時に頭を切り換えた。
「太陽系防衛機構が俺に何の用だ?」
「違う。これは僕個人から君個人への要請だと思って欲しい。組織が絡むとお互いに動きが取れなくなる。そうだろう?」
「否定はしない。太陽系警察機構は太陽系防衛機構との連携を頭に入れていない」
「それじゃ駄目なんだよ」
 珍しくジェイムズが強い口調で言った。
「この事件は君達だけで追うには無理が有りすぎる。このままでは敵の黒幕に逃げられ、いつか君とリンダは命を落とすだろう。僕はそれを防ぎたいんだよ。α・シリウス、「J」として正式に要請する。この捜査に僕も加えて欲しい。僕の情報は必ず君達の役に立つはずだ。僕は君達と同じ目的で今夜この場所に来たんだからね」
 α・シリウスは何故それを? と思い、リンダが話すはずが無い。ならば「J」は独自の捜査でこここまで来たのかと、改めて「J」の情報収集能力に驚愕を覚えた。
「詳しい経緯はリンダに聞くと良い。僕が君に直接接触を持った事で、リンダを縛っていた枷が1つ解けた。君が望めば誠実なリンダは全てを話すだろう。α・シリウス、イエスかノーか。この場で答えてくれ」
「ずいぶん性急だな」
 試す様な口調にジェイムズは横目でα・シリウスを睨み付けた。
「時間が無い。君達がこうして表に姿を見せた以上、今みたいに動きが鈍いままでは、敵に防衛策と攻撃の手段を練る時間を与える。それは君が1番分かっているだろう。僕を出来るだけ利用したまえ。奴らから狙われている君にはその権利が有る。僕が欲しいのは結果だけだ。事件解決まで太陽系防衛機構はどこにも圧力を掛けないと約束しよう」
 ジェイムズの顔を睨み続けていたα・シリウスがにやりと口の端だけで笑う。
「俺はサラの様にお人好しじゃ無い。裏切れば「J」とそのサポーターの正体を公表するぞ」
 脅迫まがいの事を言うα・シリウスに、ジェイムズは軽く肩を竦める。
「どうとでも。僕がリンダを裏切る可能性は皆無だからね」
 ジェイムズは極上の笑みを浮かべると、胸に手を当てて「ほっとしたよ」と言った。
「返事はオッケーだと思って良いんだね。嬉しいなぁ。僕はリンダを失う事もリンダが悲しむのも耐えられない。恋は盲目とはよく言ったものだね。ライバルに握手を求めてしまう程に。自覚の無い僕の姫君はどこまでも罪深い。ああ、そうじゃないね。気高さや美しさを罪と言ってはリンダを貶める事になる。リンダは素晴らしく可愛い女性だ」
 手を差し出されたα・シリウスは、心底から嫌そうにジェイムズの手を握り返してすぐに離した。
「サラがお前と話していると背中にじんましんが出ると言った理由がよく解った。その装飾過剰な口をせめて半分に減らせ。くさ過ぎて洗面所に走りたくなった」
「惚れた相手に甘い言葉1つ言えない恰好付けのおじさんに言われたくないね」
「おじさんだと?」
 眉間に縦皺を寄せたα・シリウスに、ジェイムズが反撃だとばかりに畳み掛ける。
「僕から見て7歳、リンダからは9歳の歳の差だ。10代の僕達には20代後半は充分おじさんだよ」
 やっぱり1発……と思い、α・シリウスはすぐに頭を振った。
「サラに感謝するんだな。止められていなければ、とっくにお前をテラスから突き落としている」
「それは僕の台詞だよ。リンダが悲しむ顔を見たく無いから、君を虐めるのは最小限に留めているんだ。君が当分立ち直れないくらいくらいのネタを2桁は仕入れている」
 頬を引きつらせたα・シリウスはジェイムズに背を向ける。
「クソガキめ。お前とは一生仲良く出来そうもないな」
「僕は初対面の時からそう思っているよ。リンダが居なければ、誰が君みたいに我が儘で協調性の無い男と共闘しようなんて思うもんか。おじさん」
 お互いにむかつきを覚えた2人は、まるで今まで仲良く話していた様な顔で、足早にパーティー会場に戻って行った。


 ゆったりとした2人掛けのソファーに腰掛けたリンダにニーナは温かいレモネードを手渡した。
「身体が冷え切っているわ。シールドはされていたはずだから外気だけのせいと思えないわね。ごめんなさい。リンダ。ジェイムズがあなたに強いストレスを与えてしまったのね」
「いいえ。ニーナ、わたしこそお詫びしなくては。婚約者のあなたの顔を潰してしまうところだったわ。シミュレーション外時の対処方を学んでいながら、実行出来なかったのはわたしのミスよ。ジェイムズはチャンスだと思ったら遠慮はしないと言っていたわ。わたしを餌に彼を呼び出したかったのね」
 リンダの横に腰掛けながらニーナはどう話しを進めようかと思案を巡らした。
「そればかりだとは言えないけれど……」
 リンダは親友達からまで天然と言われる程恋愛に疎い。これで嘘だけはしっかり見破るのだから始末が悪い。ニーナはリンダの手を握ると微笑した。
「今日は止めておくわ。これからの行動計画にひびくでしょう。リンダ、今は心身共に休む事だけを考えて。セクハラまがいの真似をしたジェイムズは後でわたしが殴っておくから。あなた程じゃなくてもわたしは肩に自信が有るのよ」
 悪戯っぽく笑うニーナに、体調が戻ってきたリンダが苦笑の表情を浮かべる。
「ジェイムズは顔が取り得なので、痣が残らない程度に……」
 暗に代わりに殴って欲しいと告げるリンダにニーナはウインクで返す。
「当然よ。今夜がこれで明日ジェイムズの顔が腫れていたら、わたしの評判が悪くなるわ。せっかく「浮気性で馬鹿な婚約者を笑って受け止められるとは、とても我慢強くて寛大だ」と噂されているのに、学院内でそのカードを手放す気は無いの」
「……」
 どう言おうと迷ったリンダは正直に自分の感想を洩らした。
「今、少しだけジェイムズに同情してしまったわ。ジェイムズが馬鹿というのは同意だけど」
「伊達に……以下略よ。あなたも彼には苦労させられているみたいね。馬鹿な男が側に居ると女は色々と大変よね。リンダは彼を殴れるの?」
 何を今更の事を聞かれたリンダはにっこり笑った。
「そりゃあもう。遠慮の欠片も無しで顔面狙いよ」
 爽快な顔で答えるリンダに自然とニーナも笑顔になる。
「あのハンサムな顔に痣が付くなんて勿体無い気がするわね」
「打たれ強いのが取り得なの。思い切り蹴っても翌日には痣が消えてるから、よほど面の皮が厚いのね」
「あら、ジェイムズと同じだわ。あの2人は同族嫌悪なのかもしれないわね」
 きゃははと笑い声をあげる女性陣2人に、背後に立っていたα・シリウスとジェイムズはとても怖くて声が掛けられず、リンダとニーナが気付いて振り返るまでその場で硬直していた。


 楽団が流す曲が華やかなものに変わると、多くの人々は会場の中央を開けた。数人のカップルが曲に合わせて動き始める。
『シリ、見せ場だわ。行くわよ』
『承知した』
 リンダとα・シリウスは会談していたジェイムズ達に一礼すると、笑顔でお互いの腕を取ってホール中央に歩み出て行った。
「ニーナ、頼めるかい?」
 ジェイムズが短く指示を出す。
「絶対に見逃さないわ。あなたは近付く方をお願い。わたしは離れる方を探すわ」
「ここで馬鹿はやらないだろうからね。せいぜい目立って貰わないと難しい」
「泣き言?」
「まさか。楽しくてゾクゾクしているよ」
「それでこそあなただわ」
 軽口をたたき合った2人は同時に沈黙し、会場全体に視線を巡らせた。

「リンダ。始めはスローから始めよう」
「ええ。シルベルド」
 初めての場所に緊張しているという雰囲気を作りながら、α・シリウスとリンダは微笑み合い踊り出す。
『本当にもう大丈夫なのか?』
 リンダはα・シリウスが自分の身を気遣って、テンポを落としてくれたのだと気付いてにっこりと笑った。
『不思議な事に』
『何だ?』
『シリが抱きしめてくれたら震えが止まったの。髪を撫でてくれた時に徐々に頭痛も治まっていったわ。本当にもう大丈夫よ』
 少しだけ頬を染めるリンダの視線を受けて、α・シリウスの胸は高鳴った。
『きっと安心したのね。シリは出会った頃のサムに似ているわ。頼りになる歳の離れた優しいお兄さんみたいなんだもの』
 悪意の無い正直なリンダの言葉に、α・シリウスは天国から地獄に叩き落とされた気分を味わった。誰が惚れた相手から「お兄さん」と呼ばれたいものか。
『俺はサムに似ているか?』
『具体的にと言えば全然似てないわ。だから不思議なのよ。どうしてシリに触れて安心したのかしら』
 少しずつテンポを上げながら、リンダとα・シリウスは軽快にステップを踏み始める。
 早まる心音をリンダに聞かれたくないと、α・シリウスは無難な答えを返した。
『慣れかもしれない。俺とサラはほぼ毎日顔を合わしている。……遠慮の欠片も無いパンチと蹴り付で』
『そうかもしれないわ。……って。立ち聞きなんて趣味が悪いわ。声を掛けてくれたら良かったのに』
 それはリンダとニーナの笑顔がとても怖かったから。
 と、α・シリウスはとても言えるはずが無い。惚れた弱みなのか、心底怖かったのか、すら今のα・シリウスには判断出来ない。
 それはジェイムズも同じだったらしく、ニーナから「あなた達は何をやっているの?」と聞かれるまで身動き1つ出来なかったのだ。
『スピードを上げるぞ。付いてこれるな?』
『誰に言ってるのよ』
『俺の足を踏むなよ』
『それはこっちの台詞よ。何回蹴られたと思っているの』
 体力馬鹿と噂されるリンダとα・シリウスは、プロ並みのステップを踏みながら、派手な動きに変わっていく。
『シリ、コンタクトの記録は?』
『撮っている』
『じゃあ本気でいきましょう』

 リンダとα・シリウスは周囲で踊る人々を器用に避けながらホール内を移動していく。誰もが華麗なダンスに見とれてリンダ達を振り返る。
 あれは誰? 問い掛ける声。
 奇跡のリンダだ。 驚きの声が入り交じる。
 リンダとα・シリウスのコンタクトレンズとピアスは、正確にそれを捉えてBLMSに記録していく。
『サラ』
『わたしも気付いたわ。振り返っちゃ駄目よ。分析は後にして今はシリが健在だとせいぜい見せつけてやりましょう。わたしとコンウェルが本気だと、敵に良いアピールにもなるわ』
 リンダを抱き上げる様に大きくターンしながらα・シリウスが僅かに眉を寄せる。
『待て。何を考えている? 2度とサラだけを囮にしないぞ』
『眉! 笑顔を絶やさないで。こちらが気付いたとばれるでしょう』
 質問には答えず人の顔に注文を付けてくるリンダの身体を、α・シリウスはこの馬鹿娘と押し倒しスレスレのラインでピタリと止める。
『この曲でタンゴステップーっ?』
 唇が触れるぎりぎりまで近づいたα・シリウスの顔を、リンダは真っ直ぐに見返す。
『細かく刻むだけで曲のリズムは変えない。どうせだから目立てるだけ目立とう。他にも釣られる奴が出るかもしれない』
『りょー……分かったわ』
 言い直したリンダをにっこり笑ってα・シリウスは抱き起こす。α・シリウスとリンダはお互いに固く手を握り合って足を絡ませる様に組み換えていく。練習を始めた頃のα・シリウスが何度もリンダの足を踏み、蹴ってしまったステップだが、今はもうその心配は無い。

「見せつけてくれる」
 面白く無さそうにジェイムズが呟く。
「素晴らしいわ。よほど息が合ってなければ出来ない動きね。プロでもあそこまで合わせるには数週間は掛かるのにたった数日でやれるなんて、日頃どういう訓練をしているのか自ずと知れるわ。残念なのは」
 一旦言葉を止めて、ニーナは不機嫌な顔をしているジェイムズの頬を軽くつついた。
「リンダの表情に全然色気が無い事ね。情熱的な愛をダンスで語るタンゴが、普通に健全なスポーツになっているわ」
 ニーナの指摘を受けてジェイムズはリンダ達を見直すと、ぶっと吹き出して「全くだね」と笑った。
 リンダの美しさに見惚れているα・シリウスに対して、リンダの顔は純粋にダンスを楽しんでいるとしか思えない。
「あの信頼関係を壊しては駄目よ。ジェイムズ」
 やんわりと釘を刺すニーナをジェイムズは横目で見返した。
「ただのパートナーなら僕もここまで喧嘩腰にならないよ。僕らが卒業するまでは今のままでも良いさ。でも、この先ずっととなったら話は別だ。リンダの人生はリンダが決める事だけど、目の前に居るライバルを放置する程、僕はお人好しじゃ無い」
 リンダ達から視線を離さないまま、ジェイムズは不審者をリストアップしていく。
「それ以前にコンウェルがあそこに組みするなんて考えられないわ」
 溜息混じりに望み薄だと呟きながらニーナもチェックを続けている。
「コンウェル本体に期待はしていないよ。僕が欲しいのはリンダ自身だから」
「絵空事だわ。完全片思いのくせに将来展望だけは図々しいわね」
 鋭い言葉で一刀両断されたジェイムズは、胸を押さえながら柱にもたれ掛かった。
「ニーナお姉様、もう少し手加減して欲しいんですが」
「出来ない相談ね。可愛いリンダにあなたを「殴る」と約束したわ」
 微笑を浮かべたままの顔で言われて、ジェイムズは軽い目眩を覚えた。
 リンダを護る戦士が増え、それがニーナとくればもう学院以外でもリンダに手が出せない。天然の無邪気さで、怖いレディ達を味方につけていくリンダが時々恨めしく思えてくる。
「いいこと。ジェイムズ、また同じ馬鹿をしたら今度はもっと酷い目に遭わせるわよ。わたしはセクハラまがいの事をする男に人権を認めません」
「ご忠告、肝に銘じておきます」
 意気消沈するジェイムズの肩をニーナが軽く叩いた。
「安心なさい。全面的にリンダの味方をするのは今夜だけ。あなたに倒れられたらわたしも困るのよ。協力は続けるわ。リンダを墜とせるものならやってごらんなさい。ただし、この問題が解決してからよ。リンダにあんな弱点が有るなんて知らなかったわ」
「弱点?」
 ジェイムズが問い掛けるとニーナはふんと鼻で笑った。
「馬鹿には教えません。自分で考えなさい」
「お姉様、冷たい」
 ジェイムズの泣き言を鼻息1つで一蹴して、ニーナは笑顔で踊り続けるリンダに視線を向けた。
 普段のリンダからは考えられない程弱っていたあの姿。真っ青な顔ですがる様にα・シリウスに助けを求めて震えていた。
 どれ程多くの凶悪犯罪者に囲まれても平然と笑って戦い続けるリンダが、ジェイムズに触れられただけで身動きが取れなくなっていた。
 よほど体調を崩したのかと思いきや、α・シリウスからリンダを引き取った時には、体温以外すっかり普段のリンダに戻っていた。
あれは何だったのかしら?
 ニーナは新たに知った事実に困惑を覚え、これは調査の必要が有ると思いながら意識をパーティー会場に戻した。


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