Rowdy Lady シリーズ 3 『天使の歌声は聞こえない』

12.

 それから数日間。
 リンダは学校と訓練と情報分析に、α・シリウスは様々な訓練と、事件への関わりがわずかでも有ると思われる人物の面通しに目まぐるしい日々を送り続けた。
 宣言以降、ジェイムズはお茶に誘う以外はリンダに声を掛けずアン達を安心させ、独自に動くと言われたリンダはあえて無関心を装った。下手に話題に出して、ジェイムズに事件への介入口実を作るべきではないと慎重にならざるをえない。
 毎晩2人きりで過ごしているにも拘わらず、全く進展の無い状況に、サムから毎日「ヘタレ」連呼を喰らっているα・シリウスは、心の中で「このロリコンオ ヤジ。誰のせいだと思ってるんだ!」と罵倒しながら沈黙を守った。リンダの何を言っても無駄な性格は、明かにサムの悪影響だと解ったからだ。

 軽快なリズムに乗り優雅に踊り続けるリンダとα・シリウスを見つめていたメアリは、拍手をして「お2人共よく頑張りましたね。合格です」と言った。
 待ち続けた言葉を聞いたリンダはα・シリウスの首にしがみついて歓声を上げ、α・シリウスも笑顔でリンダを抱き上げる。
「先生、これでわたしもお父様達の世界に仲間入り出来るのですね」
「そうですね。私も喜んでリンダ様をエスコートさせていただきます」
『マイ・ハニー、シリ。マジで歯が浮くわ』
『マイ・ハニー、サラ。同感だ。だが、絶対に舌を噛むなよ。これからは些細な怪我も出来ない』
 メアリの連絡を受けたケインが会議室兼リビングに招集をかけ、5分も経たない内に全員が席に着いた。
 ケインから合図をされてマザーがテーブル上にモニターを表示させる。
 療養中のΩ・クレメントの補佐を一時的に解かれたマザーは、周囲の環境に素早く馴染み、訓練で忙殺されている捜査主任のα・シリウスより、この事件での捜査フィールド事情に明るいケインを仮上司に決めた。
 穏やかなΩ・クレメントとはかなりタイプが違うが、大企業の最高責任者だけあって、ケインの出す指示や投げかける質問は的を射ており、これも良い訓練になるとマザーも積極的にケインに仕えている。
「今後の活動予定表だ。疑問や意見が有れば言って欲しい」
 ケインの言葉を受けて、α・シリウスはモニターに視線を向けると内心冷や汗をかいた。いくらクリスマスが近いとはいえ、会場をワシントン、ニューヨーク 近辺に範囲を限っているのに、ほぼ毎晩行われるパーティーの数に驚きを隠せない。リンダ達が声を揃えて「あの世界は独特だ(普通じゃ無い)から」と何度も 言ったのが、このリストを見るだけで納得が出来てうんざりする。
「パパ。印が付けられているのがわたし達が出ても良いパーティーなのね」
 膨大なリストに素早く目を通しながらリンダが問い掛け、「そのとおりだ」とケインも返す。
「1番早いのは貿易商のマッケンジー氏邸、新規貿易ルート開設のお祝いね。これはパス。その翌日に有る長期研修に出ていた息子さんの帰還祝いをする市長邸。ここを始めに狙うわ」
 リンダの大胆な作戦にサムが口笛を吹く。
「なるほど。市長とはちょっとした因縁が出来ちゃったからデビューには恰好のパーティーだね。コンウェルがシリウス君を匿って1週間。こちらが表立った動 きを一切見せないから、敵は手をこまねいているだろう。シリウス君はΩ・クレメントの秘蔵っ子でアキレスの踵だ。この地区に偵察衛星を出した連中はさぞ肝 を冷やすだろう」
「そのとおりよ。シリ、せいぜいその顔をアピールして頂戴。会場にはα・シリウスの素顔も、CSS社員シルベルド・リジョーニの顔を知っている人もほとんど居ないはずよ。それを知っているのは、以下略」
「了解だ」とα・シリウスがリンダに短く答える。
「サム、わたし達が持ち帰ったデータから、不審者を洗い出して貰えるでしょう」
「おやすいご用だよ。リンダ。一瞬の表情の変化から相手の心理を探る。とても楽しそうだ」
 意地の悪い顔でサムがにやりと笑う。
「ではわたしは紳士淑女に相応しくない者を捜しましょう。訓練を受けて資質の有るシルベルドでも、刑事独特の気配を完全に消させるのに丸1週間を要しました。付け焼き刃の演技など、わたしの目は誤魔化せません」
 メアリの満面の笑顔を見てリンダは沈黙し、ケインは背中に冷たいものが伝ったが「任せる」とだけ言った。だれしも苦手な(恐怖する)相手は居るものだ。
「マイケル、わたし達を会場に案内してくれるメンバーは決まっているの?」
 気持ちを切り替えたリンダに顔を向けられ、マイケルは恭しく頭を下げた。
「運転手を含めて車内に2人、他に前後に8人を常に待機させる準備が整っております。コンウェルの名に恥じないエスコートをお約束いたします」
 マイケルに笑顔で約束され、リンダも笑顔を返す。
「それなら安心だわ。シリ、強力な武器を携帯していない行き帰りに襲われる危険は無いわよ」
「どうしてそう言い切れる?」
 α・シリウスに問い掛けらたリンダは、にっこりと不敵な笑みを浮かべた。
「完璧に護衛された招待客が襲撃されたら、まず主催者が疑われるわ。内密に招待客名簿を手に入れたとしても、やはり主催者は顔に泥を塗られたのも同然。面 子を潰されたと絶対に黙っていないでしょう。わたし達に手を出せば、要らぬ敵を増やすという事よ。自分で自分の首を絞める程度の馬鹿なら、とっくにこの家 を直接襲撃しているわ」
「納得した」
 頷いたα・シリウスにリンダが畳み掛ける。
「おそらく実行犯は命令で動きたくても動けないのよ。その命令を出した相手を、わたし達が囮になってあぶり出そうって訳。どんなリアクションを仕掛けてくるのかとても楽しみだわ」

 くすりと笑うリンダの横顔を見て、両腕を組んでいたα・シリウスは、ある事に気付いてリンダの頭を両腕で抱え込んだ。
「まさか登下校中の襲撃を誘うつもりか? 冗談じゃないぞ。サラ1人にあの連中と戦わせられるか。俺がサラの護衛をする」
 ミシミシと嫌な音がするくらい頭を締め付けられても、リンダは負けずに言い返す。
「シリがこの家を出たら意味が無いでしょう。あくまでこちらは通常を装うの。それくらい分かってよ」
 背後に控え沈黙していたマイケルが「ケイン様」と短く声を掛け、「許可する」とケインは頷いた。
 マイケルはテーブル横に進み出るとリンダとα・シリウスに顔を向けた。
「今後は事件解決まで、お嬢様の登下校時にはCSSの護衛を極秘で付けます。表立って送り迎えはいたしませんが、路上、シャトル内を問わず、民間人に混 じって常に誰かが居ると思ってください。シルベルド、極秘護衛の訓練はマスターさせたはずだ。決してお嬢様には近寄らず、姿も見せない。出来るな?」
 リンダの頭から手を離したα・シリウスがニードル銃を仕込んだ腕を撫でながら「出来ます」と言い、リンダは「えーっ?」と声を上げた。
『リンダ・コンウェル嬢。いいえ、レディ・サラ。あなたもα・シリウス同様、敵に狙われる立場で有る事をお忘れ無き様に。あなたとα・シリウス、どちらを 欠いてもこの作戦は成り立たないのです。敵の正体が見えない以上、こちらも万全策をとります。いつものスタンドプレイは一切認めません。……出過ぎた事を 言いました。皆様にお詫び申し上げます』
 マザーが深々と頭を下げると「かまわない」とケインが制した。マザーが一喝しなければ、ケインがリンダを「状況を見極めろ」と怒鳴りつけていただろう。
 この1週間でケインもマザーの性格に慣れた。必要と判断すれば進んで憎まれ役もやる。周囲はマザーをコンピュータだから仕方がないと思うだろう。まれにそれが通じない相手、リンダやα・シリウスの事だ。も居るのだが。
「マザー、それはパパの命令? それともあなた自身の判断なの?」
 挑む様な視線を受けて、マザーは冷静にリンダに向き直る。
『全てわたくしの判断です。レディ・サラ』
 リンダは口元に手を当てると、小さく数回頷き「レディ・サラ。拝命します」と敬礼をしてみせた。
 リンダ自身がグランド・マザーに手を回してUSAマザーの権限を制限してあるとはいえ、組織の体制は維持されなくてはならない。マスター・リンダならともかく、レディ・サラはΩ・クレメントから捜査の全権を任されているマザーとα・シリウスの命令には逆らえない。
「いつもこう聞き分けが良かったらケインも楽なのにねぇ」
 サムが茶化す様に言うと、「過去のわたしにもその権限が欲しかったですわ」とメアリが溜息混じりに同意した。
 α・シリウスだけはリンダの顔を厳しい目で睨み付ける。
「何を企んでいる?」
「企めるものならとっくに行動しているわ。このメンバー全員を出し抜けるなんてわたしにはとても無理。相手が動かない限りは大人しくしているわよ」
 一見、引き下がった様に見えて、リンダの「相手が動かない限り」という台詞を誰も聞き逃さなかった。
 敵はたしかに恐ろしい相手だが、本気で怒ったリンダが暴れた時の方が恐ろしい。敵に自分が可愛かったら竜の逆鱗にわざわざ触れに来るなと、この場に居る全員が心から願った。


 身支度を調えたα・シリウスがレストルームから出てくると、待機していたマイケルが「良いでしょう。言葉使いに気をつければ、充分お目付役で通じます」と言った。
 α・シリウスの立場はCSS社員シルベルド・リジョーニのままだ。1人娘で年齢の近い男性の親類も居らず、ケインの代理としてパーティーに出席するリンダのエスコート役として、護身術講師のシルベルドが選ばれたという設定だ。
 というのはあくまで表向きで、実際のところは親馬鹿ケインが娘リンダに若い男が近寄るのを決して許さず、リンダ自身も恋愛不感症という事実が上流階級層 で噂されている。という事は、リンダとケイン本人には内緒にされている。……という回りくどい話を、α・シリウスはサムから聞いた時に苦笑した。
 そのリンダがいきなり若い男を連れてパーティーに出席したら、周囲にどの様な憶測を呼ぶか判らない。α・シリウスの気質からも「お目付役」というのが丁度良いだろうと判断された。
 リンダに関するジェイムズの噂が学院外に流れないのは、学生の誰もがそれを外部で口にするのは下世話だと思っているからだ。
 将来を属望されて学院に通う生徒達はほぼ全員学生とは別の顔も持つ。コンウェル財団とロイド家、更にマンチェスター家までを敵に回す愚者は1人も居ない。
「リンダ様は準備を終えられたのですか?」
 メアリの特訓の成果で、今のα・シリウスはシルベルドを名乗ってる時にリンダをサラと呼ばない。マイケルは満足げに頷くと「女性は何かと時間が掛かるものだよ」と笑った。

 α・シリウスがエントランスに降りると、サムとメアリが揃って待ちかまえていた。
「シリウス君、よく似合ってるよ。「馬子にも衣装」だね」
「は?」
 日本語を知らないα・シリウスは、サムから不思議な言葉を言われて首を傾げると、メアリがサムの後頭部を叩いた。
「失礼でしょう。シルベルドは素地「は」良いのです。性格が問題なだけです」
 サムよりもっと酷い事をメアリに言われた気がするとα・シリウスは思ったが、この夫婦に逆らっても無駄だと知りつくしているのであえて反論は避けた。
「リンダ様は?」
 α・シリウスに聞かれてメアリが溜息混じりに頷いた。
「お手伝いしようと思っていたのですが、リンダ様から断られました。あのドレスに暗器を仕込んで無ければ良いのですが。せっかくのデザインが崩れてしまいます」
 何時いかなる時でも全く武装していないリンダなど想像も付かない。生身でも充分兵器並なのに、何処から何が出るのか判らないのがリンダなのだ。
 2人共命を狙われている現状では尚更だと、α・シリウスはタキシードの内ポケットに仕込んだカーボンナイフと、腕に巻いたニードル銃に軽く手を添えながら思った。
「あ」
 サムが声を上げ、α・シリウスとメアリは振り返った。
 ケインにエスコートされてゆっくりと階段を降りてくるリンダが目に入る。

 スタイルの良い身体をピッタリと包む飾り気の無い深紅のドレス、襟元と肩は生身のままで豪華なダイヤモンドのネックレスが白い肌を飾る。たんぽぽの綿毛 を思わせる髪はやはりダイヤだと判る髪飾りで綺麗に纏められ、僅かに降りた襟足の髪が細い首を引き立てている。普段は小さなピアスで飾っている耳には精巧 なデザインのダイヤのイヤリングが着けられ、二の腕まで有る深紅の手袋で包まれた腕はやはりダイヤのアームレットで飾られていた。
 ドレスの正面に開いた深いスリットからは形の良い足が見え、薄く化粧を施した美しい顔と共にリンダをより艶めかしく、同時にリンダ自身を宝石に見せた。
 階段を降りてケインの腕から手を離したリンダは、はにかむ様な笑顔でα・シリウスの前に立つ。
「先生、お待たせしてすみません」
 淡い紅を引いた唇から心地の良い綺麗な声を聞き、リンダの美しさに見惚れていたα・シリウスは、「これは誰だ?」という最悪な台詞でリンダを出迎えた。
 瞬時、リンダの明るいエメラルドグリーンの瞳が輝き、20センチの身長差をものともせず、深紅のハイヒールの踵がα・シリウスの顔面5センチ前で寸止めされた。
 深いスリットは足をより美しく長く見せる為に有るのでは無く、ドレスがリンダの動きを制限しない様にと精密に計算されたものだった。
 ケイン、マイケル、サムとメアリ他、エントランスに集まっていた全員が、α・シリウスの間抜けな台詞と、せっかくのドレスアップを台無しにしたリンダの本性に、がっくりと肩を落として深い溜息をつく。
 ほんの少し身体の向きを変えれば顔面蹴りが繰り出せる状態で停止しているリンダを見たα・シリウスは、正気に返ってリンダの足を軽く叩き落とす。
「ああ、やっぱりサラだったのか。……もとい。リンダ様、大変失礼いたしました」
『マイ・ハニー、シリ。今度そんな寝言を言ったら本当に蹴るわよ』
 リンダのきつい視線を受けて、α・シリウスも苦笑する。
『マイ・ハニー、サラ。悪かった。雰囲気が違うから頭がついていけなかったらしい。中身はサラのままだな。そのイヤリングもピアスと同じ機能を持つのか。助かる』
 何を今更な事を言うα・シリウスに、リンダが両手を腰に当てて呆れたと溜息をつく。
『当然でしょ。わたし達は仕事に行くのよ。偵察行動に極秘連絡手段が無いなんて本末転倒だわ』
 と、いう事は身体を飾る色々なアクセサリーも装備が仕込んであるなとα・シリウスは思ったが、あえて言及は避けた。
『ああ、サラ。言い忘れていた』
『何?』
『見違える程とても綺麗だ』
 リンダは一気に赤面して「寝言を言ったと思えば、今度は何を言い出すのよ!?」と大声を肉声で上げた。
 周囲に居たメンバーはこのリンダの正直な反応で、周囲には聞こえない会話の中でα・シリウスがさっきの失言を上手くフォローしたのだと気付いて微笑した。


 CSSの精鋭達に先導され、リンダ達の乗った車が市長邸に入る。玄関先で車が停まるとまずα・シリウスが降り、リンダの手を取った。
『戦場に入るわよ。当たりか外れか。いずれにせよ顔を広めるチャンスだわ。運が良ければ他のパーティーにも誘われて黒幕に近付けるでしょう』
 笑顔を見せながらα・シリウスの腕に手を掛け、リンダが吐息だけで囁く。
『どのみち一般庶民の俺はここに招待される面子の眼中には無い。せいぜいサラが目立って俺を引っ張り回してくれ』
『了解』
 複雑な顔になったα・シリウスは立ち止まると、リンダの顔を見つめた。
『その姿で「了解」と言うな。せっかくの美人が台無しだ』
 リンダは初めてα・シリウスに面と向かって美人と言われ、少しだけ赤面して「はい。先生」と言った。
「リンダ様、私の事はどうぞシルベルドとお呼びください。今は訓練中では無いのですから」
 芝居がかったα・シリウスの丁寧な応対にリンダも乗る。
「ではシルベルド。わたしの事も気楽にリンダと呼び捨てにしてください。様をつけらると逆に恥ずかしいんです」
「お望とあれば喜んで」
『くっさーっ』
『サラが言うな。俺もさっきから背中がむず痒くなるのを我慢しているんだ』
 リンダとα・シリウスはゆっくりと階段を登りながら、自分達の姿を他の招待客に見せつける。長身で均整の取れた体格に印象的な黒髪と蒼の瞳をしたα・シ リウスと、柔らかくオレンジがかった独特のイエローヘアをし、スタイルの良い身体をシンプルな深紅のドレスに身を包んだリンダは、周囲の目を引くのに充分 だった。

 まずは主催者に挨拶をとリンダとα・シリウスは市長の前に進む。初老で細身の市長は穏やかな笑顔でリンダ達を出迎えた。
「リンダ・コンウェル嬢、久しぶりだね。すっかりレディらしくなったね。来ていただけて光栄だ」
「こちらこそご招待ありがとうございます。父の代理など初めての事ですので、粗相が有りましたら先にお詫びいたします。と言いますか、きっと何か失敗をしてしまうんじゃないかと、今から緊張しているんです」
 少女らしいはみかむ様な笑顔を向けられ、市長は優しく「今のままで充分大丈夫ですよ」とリンダに言い、α・シリウスに視線を向けた。
「こちらは?」
 視線を受けてα・シリウスが「初めまして。シルベルド・リジョーニと申します」と少しだけ頭を下げる。
「わたしの家庭教師でシルベルド先生です。わたしが羽目を外さない様にとお目付役として父が頼んでくれたんです。それに……わたしもエスコートしてくださる男性に心当たりが無かったので」
 恥ずかしそうに笑うリンダに、市長も「ケイン氏に会ったらそろそろ子離れしなければと、私から注意しておこう」と笑顔で応じた。
 それだけケインの親馬鹿ぶりは上流階級の人々の間で有名だった。いくらリンダが奥手でも、娘の社交界デビューに教師を付けるとは、大人げ無いのもはなはだしいと市長は受け取った。
 市長や帰って来た子息と一通り当たり障りのない雑談をすると、リンダとα・シリウスは一礼してその場を他の招待客に譲った。
『なるほど。彼はどう見ても白だ』
『当然よ。この地区の名士達から信頼されて選出された人物よ。犯罪に関わるなんて考えられないわ。問題は市長を取り巻く人全てがクリーンじゃ無い事だわ。あの真面目で人の良い市長の目を盗んで軍事偵察衛星をこの地区上空に配置するなんてね』
 ウエイターからノンアルコールの飲み物を受け取ったα・シリウスが、リンダにグラスを差し出す。
『それを探すのが俺達の仕事だ』
『そうね』
 グラスを受け取ったリンダがある1点を見つめて、少しだけ顔を引きつらせると小声で舌打ちをする。
「あ。やばっ」
 リンダの異変に気付いたα・シリウスも慌てて同じ方向を見る。
「やあ、リンダ。こんな所で会えるとは思わなかったよ。いつもは可愛いけれど、今夜の君はとても綺麗だ。やっぱり君には赤が良く似合う。僕はとても果報者だね。この偶然を神に感謝しよう」
 エスコートしている婚約者のニーナを差し置いて、満面の笑顔でリンダを褒めちぎるジェイムズの登場に、リンダは小さく溜息をつき、α・シリウスはジェイムズを睨み付けた。

 リンダは素早く気を取り直して、にこにこと笑顔を振りまくジェイムズに笑顔を返した。
「ごきげんよう。ジェイムズ、ニーナ。学院の外でもこうして会えるなんて本当に嬉しいわ」
 余計な事を言ったら明日殴ると視線だけで訴えるリンダに、ジェイムズは余裕の笑みを絶やさない。
「多忙な君がこの世界に顔を出すとは思って無かったからね。嬉しい誤算だよ。君もそう思わないかい? ニーナ」
「そうね。リンダとはつい最近友達になったばかりだし、出来ればもっと親しくなりたいわ」
 ジェイムズに話を振られたニーナも軽くウインクをして、リンダに「ね?」と楽しそうに微笑む。
『サラ、これはどういう事だ?』
『わたしにも判らないわ。周囲にどんな耳が有るか知れないし、ここは彼らに話を合わせるしか無いわね』
 視線だけで会話をしている様に見えるリンダとα・シリウスの姿を見て、ジェイムズは待ちわびたチャンス到来だと、偶然の出会いに心底から感謝してα・シリウスに向き直った。
「失礼。ミスター、僕の記憶違いで無ければ1度だけ学院の校門でお会いしましたよね」
 このガキ、すっとぼけやがって。と思いつつ、α・シリウスもジェイムズに負けない笑顔で軽く頭を下げた。
「はい。急な仕事でリンダ様をお迎えにあがった時にお会いしました。慣れない場所に緊張していたとはいえ、その節は大変失礼をいたしました」
「先生。……あ、シルベルド。敬語と「様」はやめてくださいとあれほどお願いしたでしょう」
 リンダが恥ずかしそうな演技をしてみせるので、α・シリウスも「すみません。リンダ」と微笑で返す。
 正体を知らなければ完璧な2人の演技に、ならばとジェイムズも芝居に参加する事にした。
「冷たいね。リンダ、彼を僕達に紹介してくれないのかい?」
 ふざけんなと思いつつ、リンダは「ごめんなさい」とα・シリウスの腕を取った。
「紹介するわ。彼はシルベルド・リジョーニ。わたしの護身術の師匠よ。シルベルド、こちらはわたしのクラスメイトでジェイムズ・ロイド。ジェイムズの婚約者でわたし達の1学年先輩でもあるニーナ・マンチェスターさん。お2人にはいつもとてもお世話になっているんです」
 α・シリウスは頭の中でリンダの言葉を反芻し、「あっ」と小さな声を上げた。
「いつもリンダがお世話になっています。ミスター・ジェイムズ。初めまして。レディ・ニーナ。失礼でなければ、お2人はロイド&マンチェスター商会のご子息とご令嬢ですか?」
 「そうです」とジェイムズが簡潔に返す。
「ですが、どうか僕達の事はリンダの親しい友人として覚えてください。僕達の友情に親の仕事は関係無い。そうだろう? リンダ」
 「そうね」とリンダも頷いた。
『どうして俺にこんな重要情報を隠していた?』
 α・シリウスのきつい口調に、リンダも思わず言い返す。
『今ジェイムズが言ったままの理由よ。わたしもコンウェル財団会長の娘と言われたく無いもの。それが同じ学生同士なら尚更だわ。わたし達はあの学院に通う事で誰からも特別扱いされず、普通の学生気分を味わえるのよ』
 リンダ達が通う学院は太陽系内でトップクラスの良家の子女が通う事で有名だから、リンダの気持ちは理解出来るとα・シリウスは思った。しかし、ジェイムズがロイド&マンチェスター商会の息子とは相手が悪過ぎる。

 ロイド&マンチェスター商会は、コンウェル財団と並ぶ太陽系でも有数の企業で、主に流通を主業務とし、法律に触れなければ何でも売ると言われている。特にどこから手に入れるのか判らない正確な情報は、この商社が扱う商品の中で最も高価な物の1つだ。
 絶対に敵に回したくない企業として、やはり宇宙開発部門で最先端技術を誇るコンウェル財団と肩を並べている。

 ロイド家なら自分やリンダの正体を突きとめる事は可能だったろうと、α・シリウスはこれまでの「J」の行動を思い出し、複雑な気持ちになったが、日頃の精神鍛錬で一切表情には出さない。
「お噂は時々リンダから聞いていました。私のリンダの大切なお友達なら、私にとっても大切な方達です。どうぞお見知りおきを」
「私の?」
 ジェイムズが聞き返すとα・シリウスは文句が有るかと満面の笑顔を見せた。
「リンダは「私の」優秀な生徒ですから」
 少しだけ拍子抜けをしたという顔からすぐに笑顔に戻り、ジェイムズが手を差し出した。
「なるほど。リンダが自慢する先生だけの事はある。宜しく。ミスター・リジョーニ」
「どうぞシルベルドとお呼びください」
 負けじとα・シリウスも手を握り返す。
「噂どおりのハンサムさんで嬉しいわ。宜しく。シルベルドさん」
 ニーナが手を差し出すと、その手を恭しく取って「こちらこそ」とα・シリウスは最上の礼をとった。
 型どおりの挨拶は終わりだとジェイムズがいたずらっ子の様な笑顔をリンダに向ける。
「リンダ、どういう風の吹き回しだい? 社交界が苦手な君がパーティーに出席するなんてね。もちろん僕はバラの花より美しい君に会えて嬉しいけれど」
 α・シリウスの口元がジェイムズのくさい台詞にわずかにゆがみ、リンダも苦笑しながら「お世辞は要らないわ」と一蹴した。
「そろそろわたしもこの世界に顔を出さないとと思ったのよ。年齢的にもう避けては通れないでしょう。エスコートしてくれる知り合いも居ないし、心細いからシルベルドに頼んで付き添って貰ったの」
「何だ。そういう事なら僕が喜んで……」
 にこにこ笑って立候補しようとしたジェイムズの後頭部をニーナが、顔を正面からリンダが軽く叩いた。
「「どこまで馬鹿なのよ」」
 同時にハモったリンダとニーナはお互いの顔を見合わしてにっこりと笑う。お茶会ですっかりうち解けた2人は、同志になれるかもしれないと考えていた。
 懸命にもα・シリウスは参戦しなかった。リンダの友人で女は全員怖いと思い知っていたからだ。
「2人共、酷いなぁ」
 痛くもない顔と頭をさすりながらジェイムズが苦笑する。
 リンダとニーナの当然だという顔を見て、ジェイムズは真面目な顔になるとあっさりと言い間違いを直した。
「こう言えば解って貰えるかな。リンダは有名人だけどこの世界に疎い。その点、僕は割と早い内からこの世界に入っていたから顔は広い。リンダとはクラスメイトだし、この世界に馴染むのに丁度良い案内役だと思うんだけどね」
 もっともらしい言い訳にニーナも「そういう意味でなら理解できるわね」と同意する。
「あの……でも……」
 困ったリンダが救いを求める様にα・シリウスを見上げるが、α・シリウスはあくまで分をわきまえた返答しかしない。
「私は付き添いです。リンダ、ご自分でお決めになるのが宜しいでしょう」
『意地悪ね。助けてよ』
『合わせるしかないと言ったのはサラだ。俺はここでは一介の使用人に過ぎない。どうしても危なくなったら助ける。それまでは自力でやれ』
 ジェイムズが勝ったとばかりにリンダの肩に手を掛ける。
「リンダ、ちょっと話が有るんだけど良いかな。ミスター・シルベルド、ニーナをお願いできますか?」
 このガキ、どこまで図々しい真似を。と思いながらもα・シリウスは演技を続けるしかない。
「レディ・ニーナが私で良いと言われるのでしたら」
 出来れば断ってくれと願いながらα・シリウスはニーナに視線を向けた。
「あら、わたしはかまいませんわ。たまにはジェイムズ以外の男性とも親しくお話したいと思っていたんです」
「決まりだね」
 ジェイムズはリンダの背に手を回すと、リンダを屋外テラスに誘った。こうなったらなるようにしかならないと、リンダもα・シリウスに『薄情者』と捨て台詞を残してジェイムズの腕を取った。

 α・シリウスはリンダとジェイムズの後ろ姿が小さくなっていくのを見つめながら、少しだけ唇を噛み、すぐにニーナに笑顔で向き直ってウエイターを手で呼びつけた。
「レディ・ニーナ、何かお飲みになりますか?」
「ノンアルコールのオレンジジュースをお願いします」
「承知しました」
 ウエイターの持つトレイから新しいグラスを2つ取ると、α・シリウスはニーナにグラスを「どうぞ」と差し出した。
 「ありがとうございます」と、ニーナはα・シリウスだけに聞こえる様に声のトーンを落とした。
「リンダにはすでに話してあります。この場ではシルベルドさんとお呼びしますが、わたしは全てを知っているので、どうぞ気を楽になさってください」
 α・シリウスは少しだけ息を飲んだが、相手がジェイムズの婚約者で、ロイドの共同経営者マンチェスターならそれも有るだろうと思い直した。
「まず、ジェイムズのスタンドプレイをお詫びします。リンダに振られ続けで少々焦っているのでしょう。ジェイムズにも立場が有りますから」
 暗に今回の事件は「J」にとってどうしても見過ごせない問題なのだと、ニーナが顔だけは笑顔のままで真面目な声で話す。
「リンダらしい選択だ。パートナーを決して裏切らない。あなたは彼が心配では無いのですか? 今回はあまりにも危険過ぎる」
 リンダの言葉に嘘が無いと知って、少しだけ安堵の息を付きながらα・シリウスも声を落とす。
「リンダにも同じ事を聞かれました。だからわたしも同じ答えを返します。あなたの立場なら解っていただけるでしょう」
 覚悟の問題なのだと言われ、α・シリウスはニーナの潔さに敬意を表した。これでジェイムズの集めた情報分析の数割はニーナが担っていたと知ったらさぞかし肝を潰しただろう。


<<もどる||Rowdy Lady TOP||つづき>>