Rowdy Lady シリーズ 3 『天使の歌声は聞こえない』

10.

「特訓希望と言ったが、誰が寝込みを襲えと言ったか? 昨夜の言葉は嘘か。少しは安心させろと言っただろうが。この馬鹿娘!」
 出掛けにα・シリウスから思いきり耳を引っ張られた上に大声で怒鳴られ、リンダは今も痛む耳を軽くさすりながら教室に入った。
 ビジネスコースB。長年父ケインの仕事を手伝っているリンダにとって少々物足りない内容だが、実務ばかりでは忘れがちな基礎をしっかり学べるので、リンダは進んでこの講義を取っている。
 数枚のメモリーシートと端末を出して席につくと、背後から大きな声が聞こえた。
「リンダ!」
 聞き慣れた耳に心地よい声に、出来れば振り返りたくないとリンダは無視を決め込んだが、相手はそれを許してくれず、正面に立つといきなりリンダの両手を握りしめた。
「ああ。僕の姫君、解ってはいても実際に君の元気な姿を見るとほっとするよ」
いきなり何を言い出すのよ!? 恥ずかしいからその呼び方は止めって言ってるでしょ!
 大声で怒鳴りたいのを必死で堪えて、リンダは引きつった笑顔を見せた。
「おはよう。ジェイムズ、どうかしたの? 何かファンタジーな夢を見て寝ぼけているのかしら。わたしは見てのとおり普段と変わらないわ」
 軽い口調とは裏腹に金曜日の事は一切口に出すなと、ジェイムズにきつい視線を向ける。
 ジェイムズはふっと息を吐いて肩から力を抜くと、いつもの笑顔に戻った。
「ああ、そうだね。僕とした事がうっかりしていたよ。本当に悪かったね。おはよう。リンダ」
「謝らなくても良いわ。お願いだからこの手を離して貰えないかしら。講義の準備をしたいのよ」
 「目立つ事は止めてよ。周囲の視線が痛いでしょ。さっさと手を離せ」と、言いたいのをリンダは笑顔に変換させる。
「もうすぐ講義が始まるし、君がそう言うのはもっともだけど……」
 ジェイムズが極上の笑みを浮かべ、逆にリンダは「これはやばい」と内心で焦る。
 リンダが出したメモリーシートと端末を勝手に手に取ると、ジェイムズは大きな声で言った。
「時間が無い。姫君に今すぐどうしても聞いて欲しい事が有るんだ。僕の為に講義をサボってくれないかい」
 教室に居た全員がどよめき、リンダは真っ赤な顔になって「ふざけんのもいい加減にしろ。この馬鹿!」と、喉元まで出掛かった言葉を必死で飲み込んだ。
 返事が無いのは同意と受け取ったジェイムズは「じゃあ、カフェにでも行こう」と、強引にリンダの手を引いて教室を出て行き、教室中がジェイムズの大胆な行動に騒然となった。

 カフェと言いつつ足早に学院内秘密隠れ家その2に移動しようとするジェイムズにリンダは声を掛ける。
「ジェイムズ、待って頂戴。大切な話なら後でゆっくり聞くわ」
「君には悪いけど午後までとても待てないよ。君も時間が無い事は分かっているだろう。「彼」の命が懸かっているなら尚更だ。違うかい?」
 振り返りもせず歩き続けるジェイムズに、リンダはやはりと確信して顔をしかめた。
「やっぱり。USA支部の通信網にハッキングを仕掛けていた内の1人はジェイムズだったのね」
 滅多に使われない資料書庫のドアを開けて、ジェイムズは漸くリンダを振り返った。
「そのとおりだよ。内の1人という事は僕以外にもあの回線にハッキングをしていた奴が居て、君はそれを掴んでいたんだね」
 リンダも部屋に入り、後ろ手に扉を閉める。
「彼が狙われた時に気付いたわ。ジェイムズ、どうしてなの? 太陽系警察機構の通信ネットワークに部外者が入り込むなんて重大な犯罪だわ。わたしはあなたを逮捕しなくちゃいけないのよ」
 そんな事はしたくないのにと訴えるリンダに、ジェイムズは愛想の良い表の顔を外して真面目な顔になった。
「僕が不正行為をしていた証拠は無いだろう。有ればとっくに逮捕されているはずだ。事件後の「J」の行動に不審が有ると言うのなら、君は僕が「J」だと公 式に証明しなけれなばならない。太陽系警察機構を通して正式要請を出しても、太陽系防衛機構は拒否するよ。状況証拠と君の証言だけでは逮捕は不可能だ。大 体、君がUSA支部ネットワークへの外部ハッキングに気付いたという事自体、君自身が不正アクセスをしていたと言っている様なものだよ」
「わたしは正規じゃ無くても刑事だわ。あなたがした不正行為はとても見逃せないのよ」
 食って掛かるリンダの額を、ジェイムズは苦笑しながら軽くつついた。
「スモールやレディ級にΩ、クイーン級刑事の個人専用回線にアクセスする権限は無いはずだよ。リンダ、語るに落ちているよ。僕を正式に訴えるなら、君は業務規定違反で罰せられる」
 冷静に正論を言われてリンダは唇を噛む。自分がグランド・マザーに直接アクセス権を持つマスターで有る事は、ジェイムズには絶対に言えないからだ。

 言葉に詰まって自分を見上げてくるリンダを見つめ、ジェイムズはゆっくり瞬きをすると、窓際の暖かい席をリンダに勧めた。
「僕がΩ・クレメントの回線を覗き始めたのは、君が太陽系警察機構のスカウトを受け、α・シリウスのパートナーになったと知った時からだ」
 ゆったりとした口調で話すジェイムズの顔を見ながら、リンダは判らないと首を傾げる。
「たしかに「アンブレラI号事件」で、太陽系防衛機構の装備を犯罪組織に盗用されたから、あなたの立場上見逃せなかったのだろうし、わたしもあなたに命を助けられたからとても感謝しているわ。けれど、わたしがシリのパートナーになったのは、あなたには関係無いでしょう」
 ジェイムズは少しだけ大きく目を見開き、数回瞬きをしてリンダの顔をまじまじと見つめ、リンダが本気で言っていると気付いて小さな溜息をついた。
 正義感と責任感が強い事は出会う前から知っていた。太陽系に轟く異名を持つとはいえ、あの当時は背後関係すら判らなかった「アンブレラI号」事件の矢面に立ち、たった1人で小国家規模の犯罪組織に正面から喧嘩を売った姿勢に惚れ込んだ。
 次はどんな事をするのかと全く目が離せなくなり、気が付けば常にリンダの動向に注意を向ける様になっていた。
 口実を作ってデートを申し込み、何かと理由をつけてはお茶に誘い、口には出さないものの、はっきり好きだと態度に出しているつもりでいた。心配性の親友達はとっくに気付いているのに、当のリンダには全く通じていなかったとは、もう笑うしか無いではないか。
 ニーナとの約束は絶対だから真相をリンダに話せない。さて、どうしたものかとジェイムズは顎に手を掛けた。
「僕がΩ・クレメントの個人回線に接触したのはα・シリウス相手限定だよ。他の回線は興味が無いからノータッチだ。君が……」
「わたしが何?」
 真っ直ぐな視線を向けられて、ジェイムズは今すぐリンダを抱きしめたいという衝動をぐっと奥にしまって微笑する。
「α・シリウスの動向が判れば、君が学院を離れた時にどこで何をしているのかも解ると思ったんだ。そんな事の為に馬鹿な事をすると笑うかい? リンダ、君には僕にそうさせるだけの理由が有る」
「理由? 何なの。それは」
 間近に有る明るい輝くエメラルドグリーンの瞳に吸い寄せられる気分を感じながら、ジェイムズはリンダの薄紅色の頬に手を伸ばし掛けて、慌てて腕を組み直した。
「君はとても魅力的だ。「奇跡のリンダ」や「レディ・サラマンダー」の名もコンウェル財団も関係無い。君自身の輝きが僕を惹き付ける」
 リンダは少しだけ口を開けるとしばらくの間硬直し、嫌そうに眉をひそめた。
「くっさーーーーーーっ!」
 ジェイムズが頑張って心の中で作り上げた夢の世界が、正直なリンダのたった一言でガラガラと音を立てて崩れ落ちていく。
「ジェイムズ、全身に鳥肌が立ったわ。それで無くても寒いのにもっと寒くなるギャグは止めて。そういう台詞はニーナに言ってあげなさいよ。わたし相手に言っても仕方無いでしょう」
 じんましんまで出てきたのか、リンダは顔をしかめながら背中をボリボリと掻き、ジェイムズは額に片手を当てて大きな溜息をついた。

「ギャグじゃ無いよ。リンダ、僕は本気で君の事が……」
「ストップ! それ以上は聞きたく無いわ」
 マナー違反の人差し指を突き出して、リンダがジェイムズの言葉を遮る。
「わたしは婚約者が甘いのを良い事に浮気ばかりする人は嫌いなの。でも、ジェイムズはその大きな欠点を圧しても本当に良い人だから、友達だと思っているわ。それともわたしと友達を止めたいの?」
 両手を腰に当ててきっぱりと拒絶の言葉を口に乗せるリンダに、ジェイムズは「友達じゃ嫌だ」と言うのを堪えて首を横に振るしか無かった。
「君が僕を友人と思ってくれているならそれで良いよ。そうなら解るだろう。君は危険な穴に飛び込みたがる大切な友人を放っておけるかい? 僕は嫌だよ。 黙って見ていたら君は何を始めるか判らない。2度目の要請だ。レディ・サラでもリンダでも良い。この事件捜査に僕も加えさせて欲しい。この事件は君達だけ で捜査するには奥が深すぎる」
 珍しくジェイムズの厳しい顔を見て、リンダはジェイムズの本気を知り、それでもと何度も頭を振った。
「わたしの一存で決められないと言ったはずよ。捜査においてパートナーは一心同体なの。彼の意志はわたしの意志よ。彼の同意無しでは何も答えられないわ」
「では、僕からα・シリウスに正式に要求する。狙われて今はコンウェル邸に居るんだろう。君に取り次ぎを頼みたい」
 珍しくしつこく食い下がってくるジェイムズに、リンダは「無理よ」とはっきりと告げた。
「コンウェルは今回の事件に対して、全面的に太陽系警察機構に協力をするつもりなの。これまでの経緯を考えて。コンウェルが太陽系防衛機構と手を組むと思 える? パパがイエスと言わなければ、重要人物として保護下にあるα・シリウスへの太陽系防衛機構の接触は拒否するわ。わたしは太陽系開発機構の役員も務 めるパパを説得する自信が無いわ」
 落胆の顔を見せるジェイムズの手をリンダは取った。
「ジェイムズ、あなたを信じていないんじゃ無いの。あなたが大学を卒業して、正式に太陽系防衛機構に入ればきっとあの閉鎖的な組織は変わるとわたしは信じているわ。あなたのお父様がそれを許してくれたらだけど……」
 リンダは両手でジェイムズの手を握りながら視線を落とす。
「「J」は信用出来る相手よ。それは太陽系警察機構も判っているわ。でも、組織として今全面協力するにはどうしても無理が有るの。本当に嫌になるわ。どう してこんなに無駄ないさかいが絶えないのかしら。わたしもあなたとならと思うわ。でも、表の顔でも裏の顔でもわたしの立場がそれを許さないの。お願いよ。 分かって」

 リンダの手が小さく震え続けているのを感じて、ジェイムズはリンダが本気で今の状況に憤っているのを知って胸が熱くなった。
 初めて13歳のリンダに会った時に一目で同志だと思った。当時は幼いリンダを恋愛対象として見る事は無かったが、クラスメイトとしてリンダの成長を見守 り続けてきた。「アンブレラI号事件」で確信に変わり、リンダとなら自分と同じ夢に向かって歩いていけると思った。正式に交際を申し込もうと思った矢先 に、太陽系警察機構のグランド・マザーとα・シリウスに、リンダを横からかっさらわれていたと知った。
 意地悪な約束をさせたニーナを心の隅で恨みながら、ジェイムズはリンダに優しく声を掛けた。
「分かったよ。リンダ、無理を言って本当に悪かったね」
 リンダがほっと息を付いて顔を上げるとジェイムズの手を握っていた力が緩み、それをジェイムズは逆に強く握りかえす。
「今は君の意志を尊重してチャンスを待つ事にするよ。それまでは僕も独自に調査を続ける。太陽系警察機構への横槍もこの事件が解決するまでは止めよう。だ けど、リンダ。忘れないで欲しい。攻め時だと判断したら僕はもう我慢しない。この事件を君達よりずっと前から僕は追い続けていたんだからね」
 ぽんと軽くリンダの肩を叩くとジェイムズは扉に向かって歩き始め、ドアノブに手を掛けて、まだ動けないリンダを振り返る。
「僕は絶対に諦めないよ。……色々な意味でね」
 リンダには全く効かないが、学院の女性陣がジェイムズに婚約者が居ると分かっていても惹かれてしまう極上の笑みを見せて、ジェイムズは部屋を出て行った。
 残されたリンダはジェイムズの笑顔には反応せず、「太陽系警察機構と開発機構の壁は厚いわよ」と半分以上的外れな独り言を言った。


 α・シリウスとサムは複雑な顔をしながら、お互いが極力見ない様に顔を背け続けている。たまにどちらともなく溜息が出るのは、普通の感覚を持った男なら当然だろう。
「シルベルド。女性を前にして嫌そうな顔で溜息をつくとは何ですか? エスコート役の立場を解っているのですか」
 鞭こそ発揮されないものの、メアリの叱咤に「女性?」と、α・シリウスが苦笑いになる。
「サム。もっと優雅にかつ大胆に。リンダ様のダンスはもっと美しくテンポが早いわ。亀の様なスピードではシルベルドの練習にならないでしょう」
 さすがのサムも妻の無理な要求に、顔から笑みが剥がれ落ちる。
「リンダと同じ動きが僕に出来るはずが無いだろう。大体女役自体初めてなんだ。何で僕なんだよ? 他に適任者はこの家にはいくらでも居るだろう」
「厳戒態勢の今、戦力ダウンは絶対に避けなければなりません。特訓中のシルベルドの蹴りを受けても構わないのはあなただけです」
「酷いなぁ。たしかに僕は頭以外戦力外だろうけど普通に痛覚は有るんだよ。どうしても腰が引けるのは仕方無いよ」
「そこを何とかするのがあなたの仕事です。情け無い。ずっとリンダ様と一緒に居て、演技の1つも出来ないのですか」
 容赦の無いメアリの言い様に、サムは苦笑しながらα・シリウスに囁く。
「ダンスや演技以前にこれってすでに精神苦行だと思わないかい」
「同感です。同性のアップを何時間も見続けるのは精神衛生に悪い」
 同性の山崎大とダンスの練習した経験が有るとはいえ、性別は当然、身長から体形、運動能力もはるかに違う相手に苦戦しながら、α・シリウスも溜息混じりに頷いた。
「つまり間近で見るならリンダの顔が良いと」
 面白そうに笑うサムにα・シリウスもこの野郎と反撃する。
「当然です。手が付けられない暴れ竜でも一応サラは女だ。黙ってさえいれば見た目も良い」
 やれやれと肩を竦めながら、サムはα・シリウスの目を正面から見返して微笑した。
「シリウス君は素直なんだか意地っ張りなんだか時々判らなくなるねぇ。そうやって毎回自分で自分の首を絞めていると、まだ解っていないのかな」

 α・シリウスが反論しようとした時に、部屋の一角にモニター画面が表示され、マザーの顔が映った。
『α・シリウスに「素直」というスキルが有ればとっくに……以下略ですわ。サム様、メアリ様、シルベルド、至急リビングにおいでください。ケイン様がお呼びです』
 マザーの呼び掛けと同時に全員が部屋を飛び出した。「何が有った?」と聞く無駄な事は誰もしない。「至急」とはそういう意味だ。
 若く身体能力の高いα・シリウスが始めに到着してリビングの扉を開けると、ケインとマイケル、マザーが待機しており、テーブル中央上空に全方向モニターが表示されていた。
 「WAIT」の文字にα・シリウスは軽く首を傾げながら空いている席に着き、しばらく間を空けて肩で息をしながらサムとメアリが部屋に飛び込んでくる。
「全員と言わなかったか?」
 2人を置いて1人だけ抜け駆けしようとしたα・シリウスにケインが厳しい目を向ける。どれ程能力が高くても協調性が無ければリーダー失格だ。常に周囲に目を向ける余裕を持ち、冷静な判断を下して行動も伴わなければ、到底Ω級は望めない。
 ケインは研修終了と同時にα級に任命され、若手の中でずば抜けて優秀と言われながら、何故α・シリウスが5年間も特化候補のままなのか。そして、何故愛娘のリンダがα・シリウスのパートナーに選ばれたのかを納得した。
 単独暴走型のα・シリウスより早く動けるとしたら、太陽系中を探してもリンダくらいのものだ。リンダの判断行動スピードは、「雷光の (Lightning)ビクトリア」の再来とまで言われている。同じ暴走型のリンダと組ませれば、α・シリウスは防止側に回らざるを得ない。
 最低でもα・シリウスの精神面がΩ候補に成長するまで、太陽系警察機構は絶対にリンダを手放そうとしないだろう。嫌な事実だと思いながらケインは全員の顔を見渡して端末を操作する。

 モニターにΩ・クレメントの顔が表示されて、α・シリウスは思わず席を立つ。
 極度の過労がたたって自分の目の前で倒れ、数週間のドクター・ストップを言い渡されているはずの人物が目の前に居る。
「大人しく寝ていろとあれほど言っただろうが。おっさん!」
 相変わらず周囲の目をはばからないα・シリウスの罵詈雑言を聞き、無事で元気な顔を見たΩ・クレメントは心底から安堵の息を付いた。
 マザーが金曜日の夜にリンダと一緒に居たα・シリウスをロストして以降、病床に居ながらひたすら無事を願い続けてた。その日の深夜にCSS社を通して 「シルベルドは無事」との連絡を受けたものの、複数の敵に追われる状態からギリギリでコンウェル邸に逃げ込み、慣れない環境に戸惑い、心労を覚えているの ではと心配していた。
 余程周囲の人材が余程優秀なのか、執着するリンダが側に居るからか、α・シリウスは大して変わらず元気で居るらしい。
『マザー、減給1週間は甘かっただろうか?』
 わざとらしく溜息をつくΩ・クレメントにモニターのマザーが頷いて同意する。
『あなたがα・シリウスに甘いのは昔からでしょう。医師から許可が出た時間はわずかです。今日は言葉遊びは禁止ですよ。オスカー』
 小さな子供をあやす様な口調で言われ、Ω・クレメントは咳払いをすると、ケインに視線を向けた。
『ケイン・コンウェル氏。今回は私の部下の命を救っていただいて感謝します。同時に、民間人をこの様な凶悪犯罪に巻き込んでしまい、太陽系警察機構代表の 1人として、私個人からも、コンウェル財団関連の皆様に心からお詫びします。本来ならリンダ嬢に1番感謝と謝罪をしなければならないのですが、外出中との 事ですのでこの通信記録をもって代わりとさせていただきます』
 僅かに上体を起こされたベッド上のΩ・クレメントからモニター越しに頭を下げられ、ケインは当然の事をしただけだと頭を振った。
「謝罪は不要です。Ω・クレメント。極秘扱いでもリンダはレディ級刑事です。それ相応の覚悟は出来ています。今回の事件はコンウェル財団も太陽系開発機構 も傍観できません。リンダの報告と分析結果から、我々は敵の最終目的はあなただと確信しています。この事件であなたが責任を問われて職場復帰が叶わず、太 陽系警察機構の現体制が内部崩壊する事態になれば、民間企業は安心して太陽系内で仕事が出来ません。太陽系防衛機構だけに頼れないのです。今回の処置は我 々の自衛策だと考えてください」
 リンダと同じ嘘の無い明るいエメラルドグリーンの瞳が真っ直ぐにΩ・クレメントを射抜く。リンダの顔はジェシカ似だが、冷静に分析結果や予想を話す真剣な表情は、父ケインにそっくりだとΩ・クレメントは微笑する。
 極秘で捜査を進めていたα・シリウスとマザーが出したものと全く同じ予想を、たった数日でリンダとコンウェル財団も出した。そうなら、敵の最終目的は自分とビクトリア両方の命か権限の剥奪だ。
 多くの部下を持たず、クイーン級になった今も現役で太陽系最高速宇宙船「光の矢」号に搭乗しているビクトリアを狙うのは難しい。しかし、最強と謳われる ビクトリアにも弱点は有る。1つはビクトリアが大切に守り続けている犯罪弱者を匿う箱船。もう1つが自分の存在だとΩ・クレメントにも自覚が有る。
 20年以上前に互いに同じ夢を見て、あえて違う道を選んだ。今自分が倒れたらビクトリアは孤立してしまい、太陽系警察機構の現体制も崩壊する。それだけは何が有っても避けなければならない。
 Ω・クレメントは医師の「時間切れです」という声を無視して、部屋に居る全員の顔を見た。
『ケイン・コンウェル氏、太陽系警察機構は太陽系開発機構の意向に沿うでしょう。いえ、そうなる様に必ず私が説得します。今、しばらくの間お待ちくださ い。α・シリウス、命令変更だ。レディ・サラと共に捜査を続けろ。好きに動いて良い。全責任は私が持つ。絶対に犯人全員を捕らえろ。それが出来るまで支部 に帰って来なくて良い』
 再び立ち上がったα・シリウスが最敬礼をして「了解」と応える。ケイン達も立ち上がって、Ω・クレメントの潔さに敬意を表して頭を下げた。
 Ω・クレメントも少しだけ手を上げて敬礼を返し、『α・シリウス、竜を捉え……』と言い掛けたところで『長官、いい加減になさい。時間切れだとさっきから言ってるでしょう』と、回線が強制終了された。

 サムが「Ω・クレメントは想像していたよりずっと楽しい人だなぁ」と爆笑しだすと、α・シリウスを除く全員の緊張が一気に解けて笑いの渦が沸き上がる。
 α・シリウスは立ったままΩ・クレメントが言い掛けた言葉の続きに思いをはせる。
 「竜を捉え……」の続きは何だ? 「竜」とはレディ・サラマンダーのコード名を持つリンダの太陽系警察機構での異名だ。その身1つで誰かを護る為に多く の強敵と戦うリンダは、その名のとおり「火竜」と化す。自分も含めてリンダに直接会った誰もが、その気高さと強さ、美しさに敬意を表して「竜」と呼ぶ。
 あれは警告か。激励か。それとも別の意図が有るのか。幼い頃からΩ・クレメントを知るα・シリウスにもその真意は判らない。
 マザーはα・シリウスの複雑な表情を見て、その全てだと思ったが沈黙を通した。Ω・クレメントの命令を確実に実行させる為には、今のα・シリウスに余計 な事を話すべきでは無い。リンダに関する軽い口調で冗談を装った太陽系防衛機構「J」のUSA支部への警告にΩ・クレメントと自分は気付いている。
 救いなのは当のリンダ自身や、リンダの事になると盲目的になるα・シリウスが「J」の意図に全く気付いていない事だ。「知らぬが仏」という不思議な言葉 をマザーは生まれた時から知っていた。マザーに様々な諺を覚えさせた犯人はサムなのだが、人の情緒を知る上で有り難い知識だとマザーは思っている。
 マザーのヒューマノイドシステムは、これ以上リンダとα・シリウスに心理ストレスを与えるべきでは無いと判断し、戦略コンピュータは捜査を進める上で暴 走馬鹿に無用な知識を与えるなと判断を下して整合性がとれている。などど、目の前に居るα・シリウスが知ったらどうなるのか予想の範疇外だ。敬愛するΩ・ クレメントの為にも危険因子は極力遠ざけたいというのがマザーの本音だった。


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