Rowdy Lady シリーズ 3 『天使の歌声は聞こえない』

9.

 テーブル上の不透明な板にα・シリウスは意識を集中させる。
「コップだ」
「色と材質は?」
「透明、カラーは……青。材質は樹脂だと思う」
「悪くないね」
 サムがにっこりと笑って板を取り除き、テーブルの上には濃紺で樹脂製コップが置かれていた。
 両目を硬く閉じ、眉間に手を当てるα・シリウスを見て「使わない時は常にノーマルにするんだよ」とサムが優しく指示を出す。
 数回瞬きをして頭を振るとα・シリウスは顔を上げた。
「何時も、リ……ンダ様はこういう物を見て……いらっしゃるのですか?」
 ぎこちない敬語にサムは苦笑しつつα・シリウスの隣の椅子に腰掛けた。
「シリウス君、僕の前では呼びやすい名前で良いよ。敬語も要らない。メアリからきつく言われているだろうけど、何時もそれじゃあ君の息が詰まってしまうよ。シリウス君は心の中でリンダを本当はどう呼んでいるのかな」
 一気に紅潮したα・シリウスの顔を見て「いやぁ。若いって良いなぁ」とサムは爆笑した。
 すぐに渋面に戻って「殴ってやりたい」オーラを出しているα・シリウスに「さて、さっきの君の質問だけど」とサムが切り返す。
「君ももう気付いているだろうけど、リンダが普段見ているのは君がさっき見た情報の数十倍だ。使い慣れているから画像はもっとクリアだし、欲しいと思えばネットを通じてこのコップの商品名、製造メーカー、工場、シリアルナンバーまで文字情報で得られる」
 α・シリウスが口を開きかけたのを指先だけでサムは封じた。
「シリウス君のコンタクトレンズにリンダと同じ機能を付けなかったのは、ケインの言った通り君の精神衛生の為だよ。今の視覚レベルでも太陽系警察機構の ゴーグルの数倍だ。リンダは幼い頃から訓練して使い慣れているし、コンタクトレンズも年々機能が上がっている。今のリンダが見ているもの全てを、いきなり シリウス君が見たら精神が保たないよ」
「俺はサラのパートナーです。特に今回の事件では全て俺達2人だけで動かなければなりません。サラだけに大きな負担を掛けられない」
 暗にリンダと同じ機能を寄こせと言うα・シリウスに、サムは小さく溜息をついて用意しておいたコーヒーを勧めた。
「適材適所だよ。シリウス君はリンダには絶対出来ない色々な事が出来る。自分を卑下する事は無い。午前中の訓練の快挙は聞いたよ。素晴らしいコンビネー ションだったそうだね。破壊力も相当だったらしいけど。君達なら納得だ。あの部屋は力場制御機能以外、当分使えないそうだよ」
 渡されたカップを握りしめて、α・シリウスは悔しそうに顔を歪める。
「あの部屋でサラはスーツの機能を全く使わなかったのに凄まじいパワーだった。武装無しの接近戦で俺はサラのスピードに追いつけない。俺が甘ちゃんで人が殺せないサラより勝るとしたら、銃器類とナイフの腕だけだろう。それもサラが本気で全力を出せば到底勝てない」
 真剣に焦りを訴えるα・シリウスの姿に、サムは1口コーヒーを飲むとカップをテーブルに置いた。
「僕が言っているのはそういう意味じゃないよ。危険に巻き込みたく無いからと誰にも頼りたがらなかったリンダが、君には安心して背中を預けている。君の腕を信用しているからだけじゃない。精神面でも君は充分リンダの支えになっているんだ」
 常に笑顔を絶やさず落ち着いて話すサムに、α・シリウスは厳しい視線を向けた。
「サラに1番あ……信頼されているのは、ケイン氏を除けばあなたでしょう? 俺はサラにとって仕事上のパートナーで、数多い友人の1人に過ぎません」
 敵意すら感じる口調に「参ったなぁ」とサムは微笑した。


 「続きは別室にしよう」と言われ、α・シリウスはサムの研修室に入った。
「好きな場所に座って良いよ。と、言ってもこの部屋は狭いから適当にね。コーヒーでも入れよう」
 α・シリウスは自分の宿舎と大して変わらない乱雑な部屋を見渡して、リンダの「うちのズボラ中年予備軍」という言葉を思い出した。その言葉どおりサム専用以外の椅子は何処ですか? の状態だ。
 脱ぎ捨てられた服の下から椅子を掘り出してα・シリウスが席を確保すると、「ああ、そんな所に有ったのか」と、のんびりした口調でサムが笑う。
 新しく入れたれたコーヒーを渡され、α・シリウスもさっきは大人げが無かったと反省の態度を見せ、サムも使い慣れた椅子に腰掛けてα・シリウスを正面から見返す。
「昨夜リンダから何を聞いたんだい? 朝からシリウス君の視線がどうにも痛くてね。訓練を兼ねて聞こうと思ってたんだ」
 ずばりと核心に触れられ、α・シリウスの手が小刻みに震える。
「サラは……初恋の人があなただと言いました。今……いえ、何でも有りません」
 サムは2年前にメアリと結婚している。それでも今も想っている事をサムに知られるなど、リンダは望んでいないとα・シリウスは俯いた。
 サムはコーヒーカップの端に指先を滑らせながらゆっくり瞬きをした。
「僕がリンダに初めて会ったのは、リンダが7歳になったばかりで、僕は27歳のまだ駆け出しだった。事件前後の状況は詳しく聞いているし、救出時の映像も観てもいる。正直、リンダが完全に正気を取り戻すのは難しいと思ったよ」
 α・シリウスはどう答えて良いのか判らず、黙ってサムの顔を見つめ続ける。
「だけど、リンダは僕が想像していたよりずっと強い子だった。母親や家族の様に思っているシークレット・サービス達、声も記憶も無くして小さな身体を震わ せながら、懸命に周囲にジェスチャーだけで気持ちを伝えようとする姿がとても健気で可愛くてね。大きな手書きのメモリーシートを渡した時、泣きながら「あ りがとう」と僕に伝えてきた。その時、僕はリンダに恋をした」
 ガチャンと大きな音を立てて、α・シリウスがカップをソーサーに落とす。
「たった6……いや7歳の少女に?」
「恋に歳は関係無いよ。ただリンダが愛しくてたまらなかった。何とかリンダを少しでも正常な状態に近付けようと知恵を絞った。シリウス君、リンダの記憶喪失は正常な人間なら充分有りうる事なんだ。解るかい?」
 精神科医のサムから問われてα・シリウスも真面目に答える。
「成人でも恐ろしい体験をした後、その前後の記憶を無くすのはよく有る話です。正気を保つ為の自然な自衛手段だ」
 冷静さを取り戻したα・シリウスにサムも頷いた。
「そう。あれは当時のリンダの心を正常に保つ為に忘れなければならない記憶だった。けれど、何をきっかけに記憶が戻るか判らない。あの残酷な光景は幼いリンダには到底耐えられないと僕は考えた」
 ふっと息を付いてサムはコーヒーをもう1口飲むと、初めてα・シリウスに自嘲気味の笑顔を見せた。
「そこで僕はリンダにあるとても強い意識誘導をしたんだよ」
「意識誘導?」
 α・シリウスが問い掛けると、サムははっきりと「そう。まだ幼いリンダの心を一定方向に誘導した」と言い直した。

「シリウス君、気付いていないかい? リンダは好意や友情には敏感なのに、異性から自分に寄せられる深い愛情には信じられないくらい鈍感になる」
 まるで現在の自分達の関係を言い当てる様なサムの言葉に、α・シリウスは口元を歪めながら「気付いています」と答えた。
 はっきり愛していると意思表示していた獅子の気持ちに、リンダは別れ際まで気付かなかった。何かとリンダをかまうジェイムズも、リンダに少なからず好意を抱いているとしか思えない。そして、漸く気付いた自分の気持ちにもリンダは全く気付いていない。
 どれだけ好きだと態度で伝えても、リンダの中では「友情」と変換されてしまう。
「そうなる様にリンダの心に封印を掛けたのは僕だ。幼いリンダがあの記憶を取り戻せば、精神崩壊する事が目に見えていた。そしてリンダが正気を保つ為に、リンダの心を操作せざるをえなかったのは、ジェシカのリンダへの強い愛情が主な原因だったんだよ」
「どういう意味です?」
 眉間に皺を寄せて今にも詰め寄らんとするα・シリウスを、サムは強い視線で封じた。
「シリウス君、事件被害者保護規約を忘れていないだろうね。君がどれだけリンダを想っていても、それを君に僕が話す権限は無い」
 自分自身がその規約に守られている立場であり、刑事なら絶対に忘れてはならない事実にα・シリウスは唇を噛みしめた。
「僕はリンダを心から愛している。僕も普通の男だ。辛かった。もう耐えられないと、何度もリンダの封印を解いてしまおうと誘惑に駆られた。苦しかった。小さな女の子だったリンダが、年々目の前で綺麗になっていく。それを僕はずっと見つめ続けていた」
 「だったら……」と言い掛けたα・シリウスを、「お願いだから最後まで聞いてくれよ」とサムが珍しく強い口調で止めた。
「リンダの気持ちには気付いていたさ。どうして僕がリンダの想いに応えられる? 他に方法が無かったとはいえ、リンダの心を封印したのは他でも無い僕だぞ。万が1の可能性でも僕のリンダが狂ってしまうなんて、到底耐えられなかった!」
 サムの心底からの叫びに、α・シリウスは同じ相手を想う男として、掛ける言葉が見付けられなかった。
「僕が自分の正気と狂気の戦いに疲れ切っていた時、メアリがこう言ってくれた。「わたしは可愛いリンダを愛しています。そしてリンダを愛するあなたも愛しています。サム、わたしと結婚してください。これからは2人でリンダを見守っていきませんか?」と」
 突然の展開にα・シリウスは思考が付いていけずに硬直する。サムはα・シリウスの反応を見て苦笑した。
「ようするに僕はメアリの愛情も利用して、素直で真っ直ぐで愛しいリンダから逃げ出したのさ。最低の男だと自分でも思う。僕はメアリの強さと優しさに救われた。今ではリンダと同じくらいメアリも愛している」
 サムを卑怯者だとα・シリウスには言えなかった。
 しかし、同時に自分の気持ちをリンダに伝える事も出来なくなったのだと宣言されたようなものだ。リンダの正気を保つ為には、リンダの封印を解いてはいけないのだから。
 暗い表情のα・シリウスの肩にサムは両手を乗せた。
「今年だ。やっとリンダは12月になっても心から笑ったり怒ったり出来る様になった。原因は君だと僕は見ている。リンダはもうすぐ18歳になる。そろそろ辛い現実に正面から目を向けても良い時期だ。シリウス君、僕は君にならリンダを預けられると思っているよ」
 真剣な声で言われ、α・シリウスの声は震えた。
「俺は以前、無神経な行動でサラを泣かしてしまい、「好きじゃない」と言われました。最近漸く俺を友人として認めてくれているみたいです。こんな状態でも俺にと言ってくれますか?」
 日頃は不敵なα・シリウスの蒼い目が揺れるのを見て、サムは「違うよ」と頭を振った。
「僕の見立てではリンダは自分の気持ちに気付いていないだけで、君に少なからず好意を抱いている。君を男として意識しているとまでは言えないけどね」
 1番自覚したく無い事をはっきり言われて、α・シリウスはこめかみを掻いた。
「シリウス君、もう少し自分に自信を持って欲しい。ケインも君を認めている。どうしようも無い親馬鹿だけど、ケインはリンダに甘い。君にはコンウェルが持 つ権力や金に対する欲は無い。と言うか、君はリンダが欲しいだけで、コンウェル家は露骨に避けているだろう。偶然とはいえ、せっかく今はコンウェル家に居 るんだ。君次第でもっとケインの評価が上がるだろう。リンダを望むのなら父親のケインとも仲良く出来なきゃ駄目だ」
 α・シリウスの目が大きく見開かれ、サムの顔を真っ直ぐに見返した。
「それと、僕は君を全面的に応援するけど、ライバルが近くに居るだろう。そっちは君が頑張って退けて欲しい。何処の誰だかまでは知らないけど、その男に僕 はこの話をする気は無い。君だから話した。リンダの心は女性としてまだ子供のままだ。君の不器用な愛情表現に全く気付いていないくらいにね」
 暗に「J」の事だと言われ、α・シリウスは額に手を当てた。リンダの高校時代からの同級生で、婚約者が居るジェイムズのリンダへの好意は、アン達の様子 から学院内でも有名らしい。何度もリンダに有効なアドバイスや情報を提供し、「アンブレラI号事件」では実際に軍を動かしてリンダの命も救った。
 リンダの言い分からすると、ジェイムズもリンダにとって良い友人の1人らしい。
 時に強引な手段を使ってでもリンダにはっきりと好意を伝える男。ジェイムズを相手にするのかと思うとα・シリウスは気が重くなった。しかし、ここで躊躇したらジェイムズにリンダを取られかねない。
「努力します」
 これが今のα・シリウスに言える精一杯だったが、サムはいたく気に入ったらしく「ヘタレ返上で頑張るんだよー」と暢気な声で言った。
 当のα・シリウスは「ヘタレ」とはどういう意味だろうと真剣に考え込み始めた。
 サムは数枚のメモリーシートをα・シリウスに手渡して笑った。
「コンタクトレンズを使う上で、要領や注意点が細かく書いてある。それを数年前まで実際に使っていたリンダが作った物で、僕もチェックしたから信用して良いよ。まだ君の身体はコンタクトレンズに慣れていない。今日の実技はここまでにしよう」
 実技とは名ばかりで恋愛相談だったじゃないかという言葉をα・シリウスを飲み込んだ。サムの慟哭に近い話は、いずれ自分も経験するかもしれない苦しみ だ。「そろそろ良いだろう」と「自分ならかまわない」と11年間リンダを愛し見つめ続けてきたサムが保証してくれた。今はそれに感謝しようとα・シリウス は思った。

 インターフォンが鳴り、メアリの声が室内に響いた。
『サム、シルベルドと一緒に隠れ家で遊ぶのは止めて頂戴。あなたの担当時間はとっくに過ぎているわ。時間が無いのよ。どうせまたゴミ溜めみたいになっているんでしょうから、シルベルドだけを出してあなたは自分の部屋を掃除して。それが終わったらケイン様達と打ち合わせよ』
 妻から見てもいない研究室をゴミ溜めと言われてサムが苦笑し、同じ事をリンダから言われたα・シリウスも苦笑する。
「女ってどうしてこう細かい事で口うるさいかなぁ。使う僕自身が困ってないのにね」
 珍しいサムの愚痴にα・シリウスが大きく目を見開くと、サムはすぐに笑って小声で囁いた。
「リンダの綺麗好きは自分の教育の賜とメアリは言っている。ケインも仕事に夢中の時は、僕に負けじ劣らぬズボラ性になるからね。シリウス君、将来君は絶対苦労するぞぉ」
 すでにリンダの厳しい洗礼は2度も受けています。と、α・シリウスは珍しく懸命にも自分の損になる事は言わなかった。


 サムに見送られ(正確にはサムは部屋を見渡して怒ったメアリに部屋に押し戻された)、日当たりの良いテラスに案内されたα・シリウスは、メアリに紅茶を手渡されて席に着いた。
「特訓の時間では無いのですか?」
 サムの部屋では強引だったメアリが、いかにも休憩だと落ち着いた雰囲気に変わったので、α・シリウスはこれはどういう事だろうかと首を傾げる。
「極端な心身の酷使は逆に効率を下げます。午前中に激しい運動をして、午後からずっとサムの相手ではあなたも気が休まらなかったでしょう。職業柄、サムは人より物が見えすぎて、先走ってしまう時が有るのです」
 まるで自分達の会話を聞いていたかの様なメアリの言葉に、α・シリウスは返答に困って沈黙した。
「今は紅茶を飲みながら姿勢や立ち振る舞いだけを気をつけましょう」
「はい」
 にっこりと柔らかい笑みで見つめられて、α・シリウスは昨夜リンダが手放しでメアリを褒め称えていた事を思い出す。サム程ではないが、リンダの教育係だったメアリも相手の状態をよく見て、常に柔軟に対応できるのだろうと思った。
「その顔から察するにサムから過去話でもされたのかしら」
 ぶっと紅茶を噴いたα・シリウスに「減点1」と、メアリがナプキンを差し出した。
「ずいぶん正直だこと。若いって羨ましいわね」
 面白そうに笑うメアリにこっちが本性だと気付いたα・シリウスは、伊達や酔狂であのサムと結婚していないとメアリへの評価を変えた。リンダにはこの食えない性質を微塵も気付かせていないのだろう。
「俺をからかうのがそれ程面白いですか? ご夫婦共、あまり良い趣味とは思えませんね」
 反撃してきたα・シリウスに、メアリも不敵な笑みを浮かべる。
 どうしてこうもリンダの周囲は怖いメンバーばかりなんだと、α・シリウスはツッコミたくなったが、わが身を危険に晒すだけなので口を閉じる事にした。
「シルベルド。いいえ、今はシリウスと呼ぶべきなのかしらね。きっとサムは自分を悪魔のごとく言ったのでしょうけど、彼を責めないであげて」
 真面目な顔に戻って夫を庇うメアリに、α・シリウスは頭を振って視線を落とす。
「サムの行動は医師として理にかなっていると思います。フラッシュバック現象がどれ程子供の心を傷付けるか判らないのですから。男としてどうかは俺には判 断が出来ません。……サムがサラの気持ちに応えなかったから、俺にもチャンスが回ってきたのだと。勝手に都合の良い事まで考えました」
 α・シリウスが少しだけ頬を染めて正直に自分の気持ちを打ち明け、メアリはやはりα・シリウスは良いと頷いた。
「リンダ様もサムも人が良すぎるわ。本当は全然違うのに、まるでわたしを女神の様にたとえて。わたしこそが「悪女」なのかもしれないわよ。わたしはリンダ 様とサムの気持ちにずっと前から気付いていたわ。苦しみ続けていたサムの心につけこんで、リンダ様からサムを奪ったのよ」
 微笑しながら淡々と語るメアリに、α・シリウスは困惑する。
 リンダはメアリを心から尊敬し、サムはメアリに救われたと言った。α・シリウスの目にはサムとメアリは、お互いを思いやる大変仲の良い夫婦にしか見えない。
「俺は昨日あなたに初めて会いました。あなたがどういう方なのか判断する情報が足りません。ですが、俺はサラをよく知っています。サラはあなたなら良い と、あなたがサムの相手なら納得出来ると言った。サラはサムの封印で自分に寄せられる好意には鈍くても、人の気持ちには敏感です。上辺だけの物か、本心か らかを正確に見抜く。俺はサラの判断を信じます。あなたは悪女なんかじゃ有りません」
 真摯に答えるα・シリウスの顔を見て、メアリは一瞬だけ泣きそうな顔になってすぐに笑顔を見せた。
「サムやマイケルが「あなたなら」と言うはずだわ。シリウス、あなたのその不器用な正直さは、常に訓練された大人達に囲まれて育ったリンダ様に、とても良い影響を与えるでしょう」
 リンダを想う気持ちは純粋に自分の気持ちで有り、コンウェル家とは一切関係無い。それなのにどうしてコンウェル家は、孤児で身元すら判らない自分をここまで高く評価しているのか。何故、自分を選んだのかと、たまらずα・シリウスは訴える。
「何故俺なんですか? コンウェル財団がどういうものか俺でも知っています。そこらの馬の骨が近付ける企業じゃ無い。俺が太陽系警察機構の刑事で無ければ、サラと出会う事も無かったでしょう」
 真面目に問い掛けるα・シリウスに、メアリは数回瞬きをするとするりと毒舌を吐いた。
「一言で言えばあなたは「救いようが無い馬鹿だから」かしら。何気に天然のリンダ様と良い勝負だと思うのよ」
 マザーやリンダ、ビクトリアからも聞かされ続けた言葉だが、昨日の今日でここまでストレートに「馬鹿」と言われ、α・シリウスがテーブルに突っ伏したのは仕方がないだろう。


「判らない、という事が解った。て、事なのよね」
 午後中ケイン、マザーと分析調査をしていたリンダは、夕食後にテーブル上に数種類のモニターを表示させた。
「サラの分析能力でも手の打ち様が無いって事か」
 モニターに映し出されるロストの文字の羅列に、自然とα・シリウスも渋面になる。
「そうじゃ無いわ。ここまで綺麗に痕跡を消せるって事は敵はかなりの権限を持つ相手って事だわ。始めに決めた作戦を進めるわよ」
 何かを確信しているかの様な断定口調に、このガキとα・シリウスはリンダの頭を掴んで押さえ込んだ。
「正直に吐け。俺に何を隠している」
「何も隠して無いわよ」
 慌てたメアリがα・シリウスを止めようとするのをサムが押さえる。
『シルベルド、いくらケイン様とリンダ様でも、たったこれだけの情報で判断を下すのは難しい事です。わたくしもいくつもの選択肢からこれだと確定出来ませんでした』
 あっさりと敗北を認めてリンダを庇うマザーに、α・シリウスも反論する。
「この馬鹿娘がこういう言い方をした時は絶対何かを隠している時なんだ。サラは分析能力も優れているが、それ以上に本能の領域が大きい。俺はそれを聞いている」
「いい加減に離してよ。確証が持てない事を口に出せる訳無いでしょ」
 頭を強く押さえられたリンダが何とかα・シリウスの手を外させようともがき、ケインはどうしてこの2人は毎度毎度と小さく溜息をついて言った。
「アル……シルベルド、これ以上馬鹿になると困るから離してやってくれ」
「こいつが本当の事を話すなら俺も手を離します」
 更に力を強められ、リンダがたまらず「ギブアップ」とα・シリウスの肩を叩き、「始めからそうしろ」とα・シリウスもリンダから離れた。
 痛む頭を押さえながら数回振り、リンダは真っ直ぐにα・シリウスの顔を見て厳しい口調で告げた。
「わたしの勘が正しければ、ホワイトハウスはこの事件の真相を知っているわ」
 マイケルとメアリがまさかという顔をし、何が出てきてもおかしくないと思っていたサムは肩を竦め、ケインとマザーは言ってしまったと同時に溜息をついた。
 一方、命を狙われているはずのα・シリウスはにやりと笑うと、リンダの頭を誉める様に軽く撫でた。
「上等だ。太陽系警察機構をここまでコケにした相手だ。USAが黒幕ならおかしくない」
「シリ、それは違うわ。ホワイトハウスと言ってもUSA政府の直接関与は見付けられなかったの。あそこに所属するか、自由に出入り出来る立場って意味よ」
 リンダから勘違いを訂正され、α・シリウスは眉間に皺を寄せた。
「……恐ろしく広い範囲だな」
「だから始めに「判らない事が解った」と言ったでしょ」
 放っておいたらいつまでも続きかねない掛け合いに、ケインは咳払いをすると「今日はこまでにしよう。解散だ。全員ゆっくり休んでくれ」と強引に打ち切 り、毎日この調子ならさぞかし頭が痛い思をしていただろうと心底からΩ・クレメントに同情し、胃痛の本当の原因はこの2人じゃないのかと頭を抱えたくなっ た。

 メアリに言葉遣いと立ち振る舞いで厳重注意をされたα・シリウスが、あてがわれた部屋のドアを開けようとした時、背後からリンダに声を掛けられた。
「シリ、少しだけ時間を貰えない?」
「何だ?」
 α・シリウスが廊下で立ち止まると、リンダは少しだけ視線を動かして笑った。
「ちょっとね。駄目かしら」
『マイ・ハニー、シリ。廊下は侵入者対策に地下から監視されているわ。出来れば部屋に入れて欲しいの』
 軽い口調や表情とは裏腹のピアスを通じた真面目な声を聞いて、α・シリウスもこれは何か有ると芝居に乗った。
「もう家具を投げて壊すなよ」
「しないわよ。これ以上やったら給料1年分くらい差し止めされるわ」
「なら良い」
 相変わらずの貧乏勤労学生リンダの言い様にα・シリウスが笑ってドアを開けると、リンダは迷わず部屋に入って、動きにくいワンピース姿をものともせず中央の敷物の上で胡座をかいた。
 リンダの表情や態度から、これは長丁場になりそうだとα・シリウスは思ったが、それ以上に借り物とは言え、夜間に若い男のプライベートルーム入ってきて その態度は何だ? とツッコミたいのを我慢した。意識が他に行っている時のリンダに何を言っても無駄だと、悲しい事に身体が覚えてしまっている。
「その服装では冷えるだろう。せめてこれに座れ」
 諦めてソファーに有ったクッションをリンダに投げ、コーヒーを2杯用意してトレーを置くと自分も敷物の上に座った。立ったままでは間抜けだし、真面目な話をしたいらしいリンダをソファーに腰掛けて見下ろすのはさすがにはばかられたからだ。
「ありがとう」
 クッションとカップを取って1口コーヒーを飲むと、リンダはいきなり切り出した。
「シリ、わたしがパパ達と情報整理をしている間に何が有ったの?」
 相変わらず勘が良いと感心しつつ、出来れば気付いて欲しくなかったんだがと、α・シリウスは軽く肩を竦めた。
「何と聞かれても、コンタクトレンズの訓練と……あれも一種の精神鍛錬になるだろうか」
 具体的な内容を聞くのは勘弁して欲しいと思いながら、α・シリウスはリンダの質問に真面目に答える。
 リンダは少しだけ頬を膨らませながら眉をひそめ、上目遣いでα・シリウスの顔をじっと見つめた。
「話せない内容ならどうしてもとは言わないわ。でもね。シリが会議と夕食の間中、張り付けていた眉間の皺を見て、わたしが平気でいられると思うの?」
「眉間の皺?」
 何の事だか解らないという顔になって、α・シリウスは自分の眉間に手を添えると、リンダはふっと溜息をついた。
「自覚が無かったのね。シリ、今日のあなたは朝からずっと不機嫌な顔をしていたわ。わたしは少しでもシリに安心して欲しかったからこの家に来て貰ったの よ。ストレスになるのなら逆効果だわ。明日からわたしは学校に行くから、昼間シリはこの家に待機なるでしょう。何か不都合が有るのなら遠慮せずに言って。 出来る限りの事はするわ」
 直接の原因までは判らなくても、自分が機嫌が悪い事にめざとく気付き、何とかしたいというリンダの心遣いをα・シリウスは素直に嬉しいと思った。
 しかし、サムやメアリとの会話をリンダに話す事も出来ず、勘の良いリンダは自分の下手な嘘を簡単に見抜く。だったらとα・シリウスは悪戯心がむくむくと浮かび上がった。
「そうだな。有機合成材料を一切使わない食事は、俺の給料じゃとても毎日食べられない豪華な物ばかりだし、馬鹿丁寧な敬語をずっと使い続けるのは正直疲れる。周囲が俺に気を使ってくれているのは有り難いが、逆にそれがプレッシャーになる事も多い」
 全くの嘘ではないのでα・シリウスもすらすらと言葉が出てくる。リンダも何度か相づちを打ちながら聞く。
「食事内容はうちではあれが普通だし、計画を実行する為にもシリに慣れて欲しいから譲れないわ。となると、メアリのマナー講義よね。シリはわたしが居ない間も捜査を進めたり、戦闘訓練や特訓を続けた方が気が楽かしら」
「そうだな。その方が楽だ」
 笑ってα・シリウスが答えると、リンダも笑って頷いた。
「明日からそうして貰える様に手配しておくわ。他に要望は無い? 顔見知りのマザーが居ても、慣れない環境でシリを疲れさせたくないのよ」
 俺が隠している本音を言ったら、今の言葉を後悔するぞと思いつつ、α・シリウスは口の端でにやりと笑う。
「俺がこの家で一番慣れている相手はマザーを除けばサラだ」
「そうね」
 パートナーになって数ヶ月間、よほどリンダが学業やコンウェルの仕事が多忙にならない限り、訓練も兼ねてα・シリウスと毎日顔を合わしているのでリンダも同意する。
「だから」
「何?」
「サラが家に居る間はずっと俺の側に居てくれないか」
「良いわ。……え? ちょっと待って」
 あっさり同意した直後、リンダは少しだけ目付きがきつくなり、口元に手を当ててα・シリウスの言葉を何度も頭の中で反芻する。
 やっと気付いたかとα・シリウスは爆笑したいのを必死で堪えてとぼけた。
「敬語無しで気楽に話せるサラに側に居て欲しい。この要望はさすがに無理か」
 諦めた様に溜息をつくα・シリウスに、リンダは「そういう意味じゃなくて……」と、必死でこの手の話になると鈍くなる脳をフル回転させる。
 α・シリウスの肩が細かく震えているのに気付いたリンダは「あっ」と声を上げた。
「シリ、わたしをからかってるのね」
「半分は正解だ」
「シリ!」
 耐えきれなくなって大声で笑い出したα・シリウスの頭を、怒ったリンダが軽く叩く。
「真面目に聞いていたのに」
 怒るリンダの肩を軽く引き寄せて頭を撫でると、「どう、どう。落ち着け」と、逆にもっと怒らせかねない事をα・シリウスは言う。
「半分は正解だと言った。残りの半分は本音だ。今みたいにサラと普段どおりの口調で話せると気分が楽になる。他の目が無い所で息抜きをしたい。駄目か?」
 誰が馬よ。と言い返そうとして、リンダはα・シリウスの本音を聞いて全身の力を抜くと、α・シリウスの肩に頭を預けた。
「ごめんなさい。慣れない環境の上に仕事に妥協しないパパ達の前でシリが1日中気を張ってしまうのは当然だわ。……そうね。学校から帰ったらほとんどの時間が特訓と会議に充てられるから。……1日1時間くらいなら仕事抜きでシリと話せると思うの。それで良いかしら?」
 他意の無い真摯な目を向けられ、これがリンダの本質だとα・シリウスは微笑すると、少しだけ本音を舌に乗せた。
「どうせならこの部屋で一緒に寝てくれ。無駄が省ける」
 顔を真っ赤にして瞬時に立ち上がったリンダは、今度こそ手加減無しの拳をα・シリウスの脳天に落とした。
「この考え無しの馬鹿。何の無駄よ? いくら待機中でもここはUSA支部じゃ無いのよ。心細いのは解るけど、そんな事をしたら皆から変に誤解されるでしょ。おやすみなさい」
 べっと舌を出してリンダは足早に部屋を出て行く。誤解じゃ無いんだがというα・シリウスの小さな声は、怒ったリンダには届かなかった。
 コンウェル家の面々が自分を信用し、自分にならリンダをと言ってくれるのは有り難いが、放っておけば何をしだすか判らない相手ばかりなので、α・シリウスは皆の過剰な好意は正直迷惑だと思っている。
 これまで面倒だとおざなりでしか異性と付き合わなかったツケを、今支払うのだとしたら自業自得だ。サムに言われるまでも無く、何かとリンダに構いたがるうるさいジェイムズとは、いずれ決着を付けなければと思っていた。
 リンダの心が女として幼いのは始めから解っている。「嫌い」スレスレから時間を掛けて、漸く「大切な友人」らしいところまで昇格した。本気で愛しいと、欲しいと思うからこそお互いの気持ちを大切にしたい。
 1日1時間とはいえ、初めて仕事を離れてリンダと過ごせる。律儀なリンダは必ず約束を守るだろう。
 α・シリウスは自分の命を狙われている緊張感から完全に解放され、その日はベッドに入ってぐっすりと眠った。
 自分の考えがとてつもなく甘かったと知ったのは、翌日、早朝訓練だと寝ている時にリンダとマイケルの襲撃を受けた時だった。
 ベッドの上にロープで縛り上げらた上に、2人から「「油断大敵」」と同時に言われ、「朝っぱらから人のストレスを上げるなーっ!」と、α・シリウスは怒鳴り声を上げた。


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