Rowdy Lady シリーズ 3 『天使の歌声は聞こえない』

8.

 散々揉めたが、結局α・シリウスに押し切られてベッドに放り投げられたリンダは、翌朝夜明けと共に飛び起きて、足の腫れが完全にひいた事をまず確認した。
 着慣れた動きやすいミニスカートでは無く、簡素だがフォーマルなワンピースに身を包み、ブーツとほぼ同じ機能を持つ特別製の高いヒールを履いた。装備を丹念に確認し、1つ1つ身に着けていく。
 今日にもα・シリウスにCSS製の武器を選んで貰わなければならない。多機能を持つコンタクトレンズと特殊装備をα・シリウスが使いこなせる様になるには最低でも3、4日は掛かるだろう。
 高価なだけで動きにくく華美な衣装は好みでは無いが、どんな状況になっても戦える様に自分も慣れておかなければならない。
 とはいえ、リンダは遊べる時は遊ぶ精神を忘れていない。厳しい状況だからこそ笑顔だけは忘れない。苦しい顔をすれば敵につけ込まれるだけだ。まずは挨拶代わりと昨夜自分を手荷物扱いした「仮想敵」を撃破に向かった。
 コンタクトレンズはノーマルのままに、廊下を挟んで正面の部屋のドアノブを音も無く回す。1センチ程開いたドアの隙間からは僅かにベッドが見えて、膨らみからα・シリウスがまだ寝ているのだと知れる。
隙だらけだわ。
 リンダがドアを開けてベッドに駆け寄ろうとした瞬間、背後から強い力で押さえ込まれた。
「隙が多い。自分の家だと思って油断しているだろう。装備に頼り過ぎるな。常に気配を読め。俺が本当の敵なら死んでいるぞ」
 耳元からα・シリウスの厳しい声が聞こえ、リンダはわざと小さく舌打ちをした。
「あれはフェイクだったの」
「俺がコンウェル家に匿われた事は敵に知られている。この家の防御能力を疑いはしないが、最悪のパターンを考えての行動だ。考え直して提案したサラとの同室は、昨夜断られてしまったからな」
 リンダを拘束する腕を緩めて、α・シリウスは部屋に置かれていたナイフを懐にしまった。
「添い寝ってそういう意味だったの」
 意外だとリンダが問い掛けると、α・シリウスは少しだけ頷いた。
「両方だ。普段なら疲れると爆睡するが、昨夜は情緒不安定になっていたサラが充分眠れるか心配だった。それと、絶対こういう「馬鹿」をやるだろうから見張っておこうと思った」
「人の行動パターンを全部読まないでよ」
 拗ねた声をだしつつ、リンダはα・シリウスの不器用な気配りに感謝した。自分の命が狙われているのに、α・シリウスは普段どおりで度胸が据わっている。これなら手加減は要らないと、戦闘モードに突入した。
「本当に馬鹿をやる方が悪い。というか、これから体力勝負なんだぞ。少しは俺も安心して休ませてくれ」
 呆れ気味に言うα・シリウスに、リンダは合わせて食ってかかる。
「わたし達を信じてくれていないの?」
「人の寝込みを襲おうとした奴がそれを言うかー!?」
 我慢の限界だとα・シリウスがブチ切れモードで怒鳴り声を上げた。


 朝食の席でマイケルが1つ咳払いをして、わずかに痣を残すリンダ達に告げた。
「お嬢様方、仮想戦闘は出来れば別室でやっていただけないでしょうか。実戦主義は私も勧めるところですが、シルベルドの部屋の家具半数が修理不可能なまで になっております。特にお嬢様、手当たり次第に物を振り回したり投げるのはお止めください。お嬢様の体術は家具を壊す為に有るのではないでしょう」
 ケインは朝っぱらから何をやっているのかと渋面になり、サムは大声で笑い、メアリは静かに怒りつつ微笑した。
 リンダが投げた家具を必死で避け続けたα・シリウスは無言で大量の朝食を平らげている。
 初めてリンダのフォーマルな姿を見た時、α・シリウスは一瞬だけ見惚れて反応が遅れた。それでも対応出来たのは、リンダが故意か無意識か気配を全く隠さなかったからだった。
 どこのお嬢様が清楚なワンピースとハイヒール姿で、ソファーだのテーブルだのを持ち上げて、人に投げつけてくるだろうか。太陽系中を探してもリンダしか居ないと断言出来る。一瞬でも綺麗だと思った自分が馬鹿だったとα・シリウスは自然と渋面になる。
 当のリンダは「良い訓練と運動になったわ」としれっとした顔で答えた。
 慣れない特訓で疲れて筋肉痛にでもなっているかと思いきや、α・シリウスの動体視力と反射神経は健在で、何を投げても応戦してきた。リンダにとってα・シリウスの体調を知るのは、今日の特訓内容を決めるのに多少の損害を出しても必要だったのだ。
「マイケル、後でシ……ルベルド先生を訓練室に案内して欲しいの。彼の得意とするのは銃とナイフだけど、あの世界に持ち込める武器は限られるわ」
「承知しております。すでに昨日中に準備してあります」とマイケル。
「シリウス君、コンタクトレンズはまだノーマルのままだろうね。それの訓練は僕が担当する。許可無しで使わないで欲しいよ」とサム。
「リンダ様のそのお姿からして、あの特訓を始めるおつもりですね」とメアリ。
「ええ」とリンダ。
「昨夜の内に新しい情報が集まっている。私とマザーは分析に当たろう」とケイン。
「実戦訓練もさせて貰えるのですか?」とα・シリウスが問い掛けるとリンダが「分かって無いわね」と軽くツッコミを入れる。
「もう昨日から24時間体勢で訓練は始まっているでしょう」
 リンダの不敵な笑顔を見て、そういう事かとα・シリウスは黙って頷いた。


 マイケルにコンウェル家の地下トレーニング室に案内されたα・シリウスは、その広さと設備に驚いた。USA支部に見劣りしない規模は、一個人の家庭とは到底思えない。
「あなた方もここでトレーニングをされているんですか?」
 ストレートな質問にマイケルは頷き、壁面パネルを操作して装備を取りだしていく。
「使用人として働いていても、Sランクレベルの戦闘スキルは維持させなければなりません。それは警察も私達シークレットサービスも同じです。お嬢様も時々早朝に此処でトレーニングをされています。USA支部で設備を壊すと給料を引かれるからとか」
 リンダの装備をフルで使えば、USA支部のトレーニング室など簡単に破壊されると、以前マザーやΩ・クレメントがはっきり駄目出しをしている。体術訓練で手加減をしなくなったが、本気のリンダには自分はまだまだ遠いらしい。
「サ……リンダ様の馬鹿力は長年の鍛錬からですか? 力場発生装置を使った気配が無いのに、最低10キロは有るソファーが飛んで来た時はさすがに度肝を抜かれました」
 α・シリウスは並べられた武器を1つ1つ手に取りながら小さく溜息をついた。
「お嬢様の体術はたしかに長年の訓練の賜ですが、特別馬鹿力では有りません。筋力なら男性のシルベルドの方が上でしょう。お嬢様は力の受け流しがとてもお 上手なのです。物の重心や相手の力をそのまま利用して、ご自分の力になされるのです。それは毎日一緒に訓練をされているシルベルドも気付いているでしょ う」
 マイケルに指摘されて「ああ」とα・シリウスも頷いた。リンダの最大の武器は軽い体重を活かしたスピードだ。気が付いた時には目の前にリンダの顔や足が 有るので全く気が抜けない。リンダの身体のどこかを掴まえても、その直後に柔らかい身体がしなり、逆に関節をねじ曲げられる。ソファーやテーブルも一旦傾 けてから回転させる要領で持ち上げていた。
「お嬢様は幼少の頃から自分の倍は身長が高い男性を訓練相手にされていましたから」
 自分の事ですがとマイケルは笑いながら、少しだけ寂しげな目をα・シリウスに向け、α・シリウスもマイケルの心情を察して視線を落としながら言った。
「リンダ様は素晴らしい才能の持ち主です。戦闘能力は特化α級刑事からも高い評価を得ています。それに……」
 α・シリウスはタイプが違う3種類の銃を選んで、マイケルに渡しながら言葉を続ける。
「すみません。ここからは俺の言葉で言わせてください。サラが11年前の事件以降、シークレットサービスを側に置かなかったのは、自分の命を守る為にこれ 以上の犠牲を出すのをサラ自身が耐えられなかったからだろうし、その上で自分が生き延びる為にはプロレベルの戦闘能力は必須だった。犯罪者は相手が子供で も容赦はしない。まだ未成年のサラが自分で決めた事を必ずやり遂げる姿勢は賞賛に値する。たとえそれが時に端から見てどれ程痛々しく感じてもだ」
 真摯な目で答えられ、マイケルはかすかに目に涙を浮かべながら笑うと、α・シリウスに頭を下げた。
「あなたも大変なお立場ですが、お嬢様の事を宜しくお願いします。お嬢様は私達の希望なのです」
 コンウェル家の娘というだけで狙われる立場なのに、その上何時命を落とすか判らない警察官になどなって欲しく無かったのだろう。それでもリンダ自身が決めた事だからとケインとサムは同意し、マイケル達も黙って従っているのだ。α・シリウスもそれは充分承知している。
「パートナーになった時から俺はサラを絶対に守ると決めている。戦闘能力が飛び抜けて高く、頭が良くても、サラの心はまだ傷付きやすい子供だ。少なくともサラのメンタル面で俺は常に支えになるつもりだ。問題は……」
 マイケルが言葉の続きを待っていると、α・シリウスはにやりと口の端で笑った。
「あの馬鹿娘は自分が大人だと勘違いしている事だ。どれだけ自分が周囲から守られ、支えられているか分かっているくせに、いつも上ばかりを見て背伸びをしたがる。たまには大人しく守られていろと言いたくならないか?」
 普段は見せないα・シリウスのくだけた姿勢にマイケルも釣られて笑う。
「お嬢様の負けん気の強さはケイン様譲りですから。ご苦労お察しして余りあります。……さて、シルベルド」
 表情を引き締めてマイケルが残った銃を全て壁面に納めた。
「君が選んだ銃はうちの製品でも全てS級の物だ。良い目をしている。早く試し撃ちをしたいだろうが先にこれを渡しておく。お嬢様がおそらく君の為にと1ヶ月前に発注した物だ。あの世界に銃は持ち込めない。これが公式の場に出た時の君とお嬢様を守るだろう」
 淡い銀色のアームレットを渡され、α・シリウスは「あっ」と声を上げる。
 木星支部の山崎大がリンダと試合をした時に使った盾にも変形する炭素系ニードル銃。ニードルは細いナイフ形状をしており、1本ずつ取り外せる仕様で、α・シリウスが普段使っているセラミックナイフに形状も長さもよく似ている。
「サ……リンダ様が設計された物ですか?」
「どこでご覧になられたのか、お嬢様が開発スタッフを集めて作らせた。これは機能が特殊過ぎて使いこなせる者は少ない。銃と投げナイフの両方を得意とする 君なら扱えるだろう。儲けにならないので太陽系警察機構に納入出来ないが、SIスペシャルの1つなら納得がいくと、開発チームのリーダーが言っていた」
 オーダーメイドされたかの様に自分の腕にしっくりと馴染む新しい武器に、α・シリウスの頬が緩む。リンダが山崎大と試合をしたのは1度だけで、この武器 を使用したのもその時だけだ。リンダならニードルを全て退けられると判断した大が、リンダに向けて全弾を発射した。結果、USA支部のトレーニングルーム は無惨にも天井、壁、床が穴だらけになって、当分の間使用不能になった。
 BLMSに記録しておいたのかもしれないが、たった1度見た特製装備を再現出来るリンダの才能を感心せずにはいられない。しかも自分が使いやすい様にと 改良までされている。自分ならこれを使えると信じてリンダが極秘に作らせた装備。絶対に使いこなしてみせるとα・シリウスは微笑んだ。


 マイケルの厳しい指導の下、新しい装備を実戦訓練込みで使ったα・シリウスは「宜しい」という声を聞いて立ち上がる。
 四方から様々な武器で1時間以上攻撃され続けたにも拘わらず、α・シリウスの射撃の腕は落ちず、息も乱れていない。これならばとマイケルも太鼓判を押した。
「後はサム様からコンタクトレンズのレクチャーを受けて、その上で今以上の動きが出来るかどうかだ。ゴーグルの補助無しでよくやったと誉めたいところだが、お嬢様は別室でもっと厳しい訓練を受けておられる」
「サ……リンダ様が?」
 自分達がこの部屋に行く途中で、リンダとメアリは別の部屋に入って行った。あの姿で一体どんな特訓をと思ったが、リンダは質問には答えず、「頑張ってね」としか言わなかった。
 何かを言いたげなα・シリウスの言葉を遮って、マイケルが苦笑しながら指摘する。
「その「サ……リンダ様」は早く直す様に。人に聞かれたらお嬢様の立場を悪くする。メアリでは無いがこの家では常にリンダ様という癖を付けておいた方が良さそうだ。お嬢様が日頃どんな特訓をされているか知りたいか? 知れば君がレベルの差に落ち込むと保証出来るぞ」
 煽る様なマイケルの口調にα・シリウスも負けていない。
「リンダ様が私より厳しい訓練を受けられているなら、私もそれに参加させてください。同じレベルで戦えなければ意味が有りません」
 α・シリウスのリンダに劣らない気の強さに、マイケルは微笑して「ナイフだけを持ってついて来なさい」とトレーニングルームを後にした。


 制御室に入ってきたマイケルとα・シリウスの姿を見付けたメアリが、端末をオートモードに変えて振り返った。
「マイケル、どうなされたのです? 今日の午前中はシルベルドを慣れさせる予定だったでしょう」
「予想より早くシルベルドが仕上がった。お嬢様の訓練を体験したいと言うので連れてきた。迷惑だろうか?」
 苦笑するマイケルと、やる気充分というα・シリウスの顔を見たメアリは、なるほどと頷き端末を操作する。
「シルベルド、リンダ様の姿が見えますね」
「はい」
 厚さ10センチは有るガラス越し、15メートル四方の部屋のほぼ中央でリンダが銀色に光る昆を持って舞う様に動いている姿がα・シリウスの目に入る。
「いつもの、リ……ンダ様の動きでは有りませんね。動きにくい服装がそうさせるのかかなり動きが鈍い。いや、リンダ様ならあれぐらいのハンディであそこまで動きが鈍るとは思えません」
 α・シリウスが正直な感想を言うと、メアリは微笑して「あなたも入れば解ります」と2重なっている合金製ゲートの手前を開けた。
「後悔して「出してくれ」と言っても、リンダ様の訓練が終わるまで出しませんよ。それでも入りますか?」
 メアリにまで挑む様な口調で言われ、α・シリウスの頬が怒りで紅潮する。
「私はリンダ様のパートナーです。入れてください」
 1メートル四方の中間隔壁内にα・シリウスが入ると「承知しました」とメアリが背後のゲートを閉じた。
 1分ほどして前のゲートが開く。α・シリウスは1歩前に出ると、頭から押さえ込まれる重圧に膝が震えた。軋む首を黙らせて天井を見上げると、ドーム状の天井が見える。
『マイ・ハニー、シリ。何で来たのよ? この部屋はとても危険なのよ』
 自分に気付いたリンダの声がピアスを通して聞こえてくる。
『マイ・ハニー、サラが俺より厳しい訓練を受けていると聞いた。サラがやれて俺は出来ないじゃ話しにならない。天井のアレは力場発声装置か?』
 部屋に入った瞬間、自分の身体が1.5倍は重く感じられた。つまりこの部屋は2G近くに設定されている事になる。これならリンダの動きの悪さも納得がいくとα・シリウスはリンダに向かって歩いて行く。
『危ないわ。シリ、50センチ頭を下げて避けて!』
 言われるままにα・シリウスが頭を下げると、30センチの太さが有る棍棒が頭上を通り過ぎていく。
『はあっ?』
 α・シリウスが驚いて顔を上げると、リンダが真剣な顔で怒鳴りつける。
『だから危険だと言ったのよ。何も説明を受けていないのね。この部屋は高重力の上にどこから出るか判らないギミックだらけよ。銃の類を一切使わずに切り抜けるのがルール。シリはダイヤモンド結晶ナイフしか持っていないんでしょう。メアリに頼んで部屋から出して貰うわ』
 はっきり自分では無理だと言われ、α・シリウスは意地になってリンダの方に向かって走る。
『メアリにサラの訓練が終わるまで出さないと言われた。このまま続けるぞ』
 空中から襲い掛かる剣を昆で受け流したリンダが舌打ちをする。
『本当に意地っ張りで馬鹿なんだから』
『サラにだけは言われたくない』
 同時に飛んできた数本の矢を避けて、リンダとα・シリウスは背中を合わせた。
『シリ、手袋はしているわね。使って』
 リンダは鞭を引き抜くと昆の形を長剣に変えて、背中越しにα・シリウスに向けて放る。
『助かる』
 1メートル程の長さの軽い剣を片手で握り、α・シリウスはアームレットを盾に変えて構える。
『メアリの事だもの。シリが居るからと手加減するどころか、攻撃を増やすに決まっているわ。お互いにカバーし合いましょう』
 リンダは右手に鞭を持つと、左手首のホイスカー(ダイヤモンド単結晶体繊維)を繰り出す。
『了解』

「ほう」
 リンダとα・シリウスが組んだ陣を見てマイケルが声を上げ、メアリも口元に笑みを浮かべる。
「リンダ様は単独のスタンドプレイを得意とする聞いていましたが」
「試してみれば良い。お嬢様とα・シリウスの実力が解るだろう」
 メアリの言葉を受けて、マイケルが端末を操作する。
 斜め前から鎖に繋がれた大型の分銅が向かって来るのを見てα・シリウスが剣を構え直す。
『サラ、左だ。俺が受ける』
『音で判ったわ。それをまともに受けちゃ駄目。腕を折られるから流して。わたしも避けるわ。シリ、こっちは長刀が正面よ。高さ1メートル、胴を狙っているわ。来るわよ』
 軽く舌打ちをしてα・シリウスが1歩下がってぴったりとリンダと背を付ける。
『ほぼ同時か。性格の悪い』
『楽にこなせたら訓練にならないでしょう』
『もっともだ。サラ、飛び移るぞ。出来るな』
『もちろん』
 α・シリウスがリンダの腰を横抱きにして自分の肩の上に乗せると、リンダはα・シリウスの肩を蹴って飛び、分銅の鎖にホイスカーを絡ませる。
『シリ、手を伸ばして』
 リンダが放った鞭の先を握りしめてα・シリウスも飛び、胴を狙っていた長刀を避ける。
「上手い」とマイケル。
「やるわね。ならばこれならどう?」
 メアリが2人が乗っていた分銅を5メートルの高さまで上げて鎖を切った。
『わっ!』
 体勢を崩しつつもα・シリウスはヒールを履いて動きづらいリンダの身体を離さない。
『こういう事をするのはメアリね。シリ、鞭を離さないで。衝撃が来るわよ』
 リンダが鎖に残ったホイスカーを手繰り、分銅が地面に落ちる前にα・シリウスと共に倒れる分銅から飛び逃げた。
『シリ。お願い。剣を返して。わたしをもう1度抱えて投げて』
『了解』
 α・シリウスが投げた剣をリンダが受け取り、ヒールの踵を避けてα・シリウスがリンダの身体を逆走してくる長刀に向かって放り投げた。
 高重力とα・シリウスの力を借りて、リンダがカーボンナノチューブ製の剣で鋼鉄製の長刀を叩き割る。
「サラぁ!」
 長刀を割ったものの、衝撃の大きさに逆に飛ばされて宙を舞うリンダの身体をα・シリウスが抱き留める。
「これくらい平気。なめるなっての! シリ、上!」
「判っている」
 マイケルが天井から降らせた大量の針を、リンダが剣から昆に形を変えて回転させながら叩き落とし、α・シリウスは昆をすり抜けた針を、リンダに降り注ぐ前にニードル銃で正確に破砕していく。
「銃は禁止。わたしもフィールドは一切使っていないのよ」
「これはナイフだ。サラが俺の為に作ってくれた。そうだろう?」
 リンダは一瞬だけ大きく目を見開いて、にやりと笑った。
「その通りよ。シリ、後ろ!」
 2メートル大のハンマーが2人を襲い、リンダとα・シリウスは逆方向に飛び退いた。
「シリ、受け取って」
 リンダが昆を再び剣に変えてα・シリウスに投げ、α・シリウスはニードル銃を再装填して剣を構え直す。
「いい加減に逃げるのに飽きた。ぶっ壊すぞ」
「やれるの? わたし達の体重を合わせてもあっちの方が重いわよ」
 リンダに問い掛けられてα・シリウスは走りながら逆に問い返す。
「高重力下の高速移動で1番脆いのは?」
「部材の接合部又は、重心バランスの悪いハンマー頭部の付け根よ」
「正解だ」
「そういう事ならわたしが道を作るわ」
 リンダがヒールを物ともせずスタートダッシュを掛け、鞭を使って宙を蹴ると、両手で掴んだホイスカーで接合部の表面に深い傷を付けていく。
「わたしのスピードと体重じゃこれが限界。シリ、後はお願い」
「了解」
 リンダの姿が正面から消えると同時にα・シリウスはニードル銃を同時に全弾発射させる。カーボン繊維製のナイフがハンマーの柄のほとんどを砕き、とどめだとばかりにα・シリウスが剣でハンマーの付け根を切り裂いた。
 強い衝撃と圧力に腕が痺れ、α・シリウスの動きが止まる。
「シリぃ!」
 リンダが膝を着いたα・シリウスを抱きかかえて、落下してくるハンマーを転がり避けた。

 ギミックの全てが動きを止め、力場発生装置も止められて1Gの世界が戻ってくる。
「終わったのか?」
 α・シリウスが髪を掻き上げて笑って問い掛けると、リンダも折れたヒールを持って笑顔で答えた。
「そうみたいね。マイケルとメアリも無茶をするわ。途中から殺意を感じたわよ」
『リンダ様、シルベルド、訓練は中止です。これは高重力下でいかに早く無駄なく動く訓練のはずでしょう。誰が部屋を壊せと言いましたか? しかも、その言葉遣い。どの様な場合でも敬語でと言ったはずです』
 トレーニングルームにメアリの怒号が響き渡り、α・シリウスが「そうなのか?」と聞くと、「途中から攻撃が派手になったから完全に忘れてたわ」とリンダは軽くウインクをして舌を出した。
 一部始終を見ていたマイケルは「あー。まあ、良いんじゃないかね。スタンドプレイヤーのお嬢様が連携プレイもでき、シルベルドとの息も合っていると解っ ただけでも」と満足げに言い、「冗談では有りません。あれだけ派手な戦闘をあの世界でやられてはコンウェル家の恥です」とメアリが一喝した。

 リンダが立ち上がって服の埃を払うと、α・シリウスも立ち上がって金属片を払い始めた。
「何時もなのか?」とα・シリウスがリンダに視線を向けると、「何?」とリンダが首を傾げる。
「何時もこんな戦闘訓練をしているのか?」
 怒りを押し殺したα・シリウスの口調に、リンダは軽く肩を竦める。
「この部屋は0.5Gから最大7Gまで設定出来るわ。わたしは宇宙船のテストパイロットでも有るのよ。宇宙で死にたく無かったらあらゆる状況を想定した鍛 錬は必須だわ。まあでも、この部屋に戦闘訓練も取り入れたのはわたしの希望よ。強い負荷内で訓練しておけば1G下での戦闘が楽になるでしょう」
 当然だと言い切るリンダの頭を、α・シリウスは渋面で軽く叩いた。
「無茶ばかりをする。こんな事を続けて、大怪我をしたらケイン氏達が泣くぞ」
 「俺が」と言いたいのをα・シリウスは堪えた。マイケルと冷や汗ものの銃器を使った戦闘訓練を体験し、拷問部屋の間違いじゃないのかと言いたくなるこの部屋の実態を見て、リンダの異常な身体能力の高さがどうやって維持されているのかを理解した。
 事前にマイケルから知れば落ち込むと言われたが、今の自分の心を占めるのは怒りと悲しみだ。たった17歳の少女が、自ら望んで過酷な環境に自分を追い込む理由を知るだけに尚更だ。
「わたしの体調は24時間監視されているの。その日の体調によって訓練内容は変えているから心配しないで。シリが考えている程無茶はしていないわ。今日み たいに凄いのは初めてよ。シリが来てくれたから、わたし達がどこまでやれるのかマイケル達も知りたかったのね。良い訓練になったわ」
 笑顔でリンダに「ありがとう」と言われ、α・シリウスは耐えきれずにリンダを抱きしめた。
「ちょ、ちょっと、シリ?」
 突然の行動にリンダの思考がついて行けず、α・シリウスの腕を外そうとする。
「頼むから俺の気が済むまで大人しくしててくれ」
「はあ?」
 何を言っているのか判らず、リンダも困惑の声を上げる。
「シリ?」
「今の気持ちを上手く言葉に変換出来ない」
 不器用なα・シリウスらしい言い方に、リンダは笑ってα・シリウスの胸に頭を預けた。
「心配性ね。早く老けるわよ」
「そう思うのなら俺の知らない所で無茶をするのはもう止めてくれ」
「その要求は却下よ」
 あっさり言い切られて、α・シリウスはリンダの頭を両腕で強く押さえ込み、たまらずリンダが大声を上げる。
「ぎゃーっ。痛い。止めてよ。馬鹿になるわ」
「元から馬鹿だろうが」
「シリほどじゃ無いわよ。離してよ」
「まだそういう寝言を言うか」
 α・シリウスが腕の力を強め、痛みに耐えかねたリンダの悲鳴が、破壊されたトレーニングルームに響き渡る。

「全く見ていられない酷い姿ですわ。そろそろ止めます?」
 メアリが溜息混じりに聞くと、マイケルは苦笑して首を横に振った。
「旦那様がマザーから受けた報告では、お2人は毎日あの調子だそうだ。猛獣の子供がじゃれ合っている様なものだから、気が済むまで放っておくのが1番らしい」
 ガラス越しに見えるリンダとα・シリウスの姿を見て、メアリは少しだけ眉をひそませて沈黙し、耐えきれなくなって吹き出した。
「わたしの職場に大型犬の子犬達がいつもじゃれ合っている家が有ります。ご主人が言うには群れの中での順列を決める為とか。リンダ様とシルベルドとの関係はまだ決まっていないのですね」
 酷い例えだが否定出来ないとマイケルも頷く。
「実地訓練をしてみて判った。スピードと破壊力はお嬢様が上だが、スタミナと打たれ強さはシルベルドの方が上だ。そうそう勝負は付かないだろう」
「そうですね。ですが……」
 メアリは顎に手を当てて嬉しそうに微笑した。
「リンダ様はとても楽しそうですわ。この時期にあれほど感情が豊かなリンダ様をわたしは初めて見ます」
 「鮮血のクリスマス事件」以降にコンウェル家に雇われたメアリは、クリスマス・ブルーのリンダしか知らない。まだ幼い少女が必死に笑顔を作り、周囲に心配を掛けまいとする姿は、逆に周囲に陰で涙を流させた。
「旦那様やサムがシルベルトにお嬢様の側に居る事を認めているのは、その辺りが大きいと思う。大人に囲まれて周囲に気を使うお嬢様が、あれ程遠慮無く罵倒し、殴る相手は彼が初めてだろう」
 正直なマイケルの感想にメアリは複雑な笑みに変わる。
「良いストレス解消相手という事でしょうか」
「そうで有って欲しい。……と、少なくとも旦那様は思っておられる」
 ケインの親馬鹿ぶりにマイケルとメアリは視線を合わせ、同時に声を立てて笑った。


<<もどる||Rowdy Lady TOP||つづき>>