Rowdy Lady シリーズ 3 『天使の歌声は聞こえない』

7.

 コンウェルが昨夜から集め続けているデータをマザーと共に見つめながら、リンダは口元に当てた指先を悔しそうに噛む。
「この辺りで必ずぷつりと流れが切れるわね。絶対に尻尾を出さない気だわ。全く腹が立つわ」
『わたくしもこれほどの屈辱は初めてです。大切な刑事達の命を次々と奪い、ドクターストップになるほどΩ・クレメントを精神的に追いつめておきながら、自分は直接犯罪に手を染めず、のうのうと日の当たる場所に居るのでしょう』
 普段は濃紺のマザーの髪が虹色に輝く。本気で怒っている証拠だ。リンダは端末をいくつか操作して、更に詳しい情報を引き出していき、1つのモニターの前で手を止めた。
「……この事件、やっぱり本体は太陽系防衛機構の仕業じゃ無いわ。一部に裏切り者が居るか、装備や機能を勝手に利用されているのよ」
「サラ、どのデータを見て言っている?」
 いきなり耳元でα・シリウスの声がしても、慣れているリンダは表情1つ変えず真っ直ぐにモニターを指さす。
「シリ、レクチャーは終わったのね。このラインを見て。低高度の200キロメートルから250キロメートル以内に有る各衛星の軌道よ。赤い印はこの24時間以内に軌道を変えた衛星なの」
「随分多いな」
 リンダとα・シリウスの乱暴な口調にメアリが鞭を手にするが、サムが2人の思考の邪魔は駄目だと素早くそれを止める。
「リンダ、全体画面に切り替えろ」
 リストを作り終わったケインに言われ、「了解」と完全にレディ・サラモードになっているリンダが端末を操作して、テーブル全面にいくつかのモニターを表示させる。
「使途不明扱いならともかく、撮影を兼ねた通信配信衛星が随分多い。こんな動きは大量のエネルギーを消費させるからどの会社も余程の事が無い限りやらない。ニアミスぎりぎりのも有る。通常なら有り得ない数だ」
 ケインが眉をひそめて呟き、リンダが別のモニターを点滅させる。
「ここに注目して。わたしとシリがニューヨークシティに居た時が特に目立つわ。あの時間帯はニュースサイトが各企業や家庭に情報を流し始めている頃よ。3 大ニュースサイトを筆頭にマスコミが競ってこの時間帯に流していたのは、大統領のお忍び外交のスクープだったわ。衛星を使って大統領を追いかけ回していた んでしょう。お忍びは外部に漏れないからお忍びなのよ。誰が情報をマスコミに流したの?」
 リンダが言わんとする事を察したマイケルは、部屋のセキュリティを最高ランクに上げ、ガードを兼ねたカーテンが閉められ、照明も落とされる。
 リンダが苦笑して扉前に控えていたマイケルを見つめる。
「マイケル、早合点しないで。わたしが気付いたのはここまでなの。情報の正確さを誇る3大ニュースサイトをこれ程大きく動かせるのなら、機密にうるさくて信用度の低い太陽系防衛機構がソース元じゃ無いって事だけ。それに、もしそうなら「J」がとっくに気付いているはずよ」
 1番聞きたくない名前を言われて、α・シリウスの眉が吊り上がり、強い口調で問い掛ける。
「サラ、何を隠している?」
 しまったという顔をして、リンダは無言で隣に座っているα・シリウスを見返す。さっさと吐けというケイン達の視線も背中に感じ、諦めるとぼそりと洩らした。
「「J」は1ヶ月以上も前から太陽系防衛機構の除隊者を探していたわ。そのリストの中に大が居たの。こう言えばシリには意味が解るでしょう」
 あっと気付いて、α・シリウスとマザーが黙って頷く。
「それと。つい最近の事だけど、多分この事件に関連した話で「J」から個人的に共同調査を申し込まれたわ。でも、わたしはすぐに断ったの。パートナーのシリ抜きでこんな大切な事を勝手に決められないでしょう」
 自分が理由で断ったと聞いて、α・シリウスが小さく安堵の息を漏らす。泣きながら「2度としない」と言った約束をリンダはちゃんと守っているのだ。
 サムが少しだけ面白くないという顔をして問い掛ける。
「また「J」かい? どうしてこうも細かくリンダの行動を把握できるのかな?」
 ビクリと肩を震わせて、リンダがサムの顔色を窺いながらしどろもどろに言葉を探す。リンダにとって此処に居る全員が心から信頼しているメンバーだ。出来れば嘘はつきたくない。しかも相手がサムでは簡単に自分の嘘など見抜いてしまう。
「その……「J」にはアンブレラI号事件以来、シリと行動を共にするわたしが目立つらしいわ。……どういう関係かとよく聞かれるの。その度にシリは友人だと説明しているわ」
 見え見えの嘘にケインが苦虫を噛み潰した様な顔になる。
「リンダ、嘘はもう少し上手くつけ。お前のそれはすでに美徳じゃ無くて欠点だ」
 事件そのものの話題には入れない為、黙って事の成り行きを見ていたメアリが、そんな事を言われてもという顔をしているリンダに助け船を出した。
「リンダ様、この様な時は「その方の真意はわたくしには測りかねます」とお答えすれば良いのです。リンダ様の性格をよく知るケイン様や、家族同然に思う親しい方達にはそれで充分通じるでしょう。嘘ですと顔に書いての言い訳は、とてもはしたない行為ですよ」
 ふっと息を付いて「はい。メアリ先生」とリンダは笑顔で返事をした。厳しい言葉の中にも優しさが含まれるメアリの思いやりがリンダの緊張をほぐさせる。
 「そういえば」とマイケルがポケットに入れていたメモリーシートをテーブル端末上に置いた。
「どういう手段を使ってか、宛名、発信者不明のメールが有りました。詳しい調査の上でご報告をと思っていましたが、先程から話題になっている「J」と関連が有るのかもしれません」

『昨夜は派手にやったみたいだね。君の活躍をこの目で見たかったよ。無事生還おめでとう。何か手伝える事はないかい?』

 モニターに表示された文字を読んだリンダは、「台無し」と頭を抱えてテーブルに突っ伏し、ケインは複雑な顔をして、マザーは『この文面はたしかに「J」ですね』と断言し、α・シリウスは眉間に皺を寄せて「あの野郎、どこまでもふざけた真似を」と小声で呟いた。
 無意識で口に出てしまったα・シリウスの独り言をサムは聞き漏らさない。
リンダもシリウスも「J」を直接知っている? 会ったとしたら何時だ?
 「J」の話題になると、ぎこちなくなる2人の様子からして「J」と出会ったのはバラバラらしい。何時どういう事態が起こるか判らないリンダの行動は、 24時間プライベートに踏み込みすぎない程度にコンウェル家は把握している。根っからコンウェル気質のリンダが太陽系防衛機構幹部と裏で取引するとは思え ない。
 サムは赤面して僅かに揺れるリンダの視線や、立ち上がってメモリーシートを破壊したい衝動を抑えているα・シリウスの表情を見直した。
 「あの野郎」とα・シリウスはたしかに言った。苛立つ声音に少しだけ含まれていたのはやきもちの感情。「J」は「若い男」だとサムは結論づけた。
 リンダの封印に悪い影響を与える程の相手だろうか。しばらく観察する必要が有る。
 そこまで考えてサムはまずは緊張した空気を和らげる事にした。
「これが「J」なら随分お茶目さんだねぇ。僕と気が合いそうだ」
 サムがのんびりした口調で言うと、周囲から同時にツッコミが入る。
「こんなのと合うな」とケイン。
「全然似ていないわ」とリンダ。
「こんな奴は1人で充分だ。勘弁してくれ」とα・シリウス。
「変態」とメアリ。
 妻のツッコミに「えっ。僕がどうして?」と本気で驚いたサムが問い掛ける。
「この文面は何処かストーカーっぽいわ。「J」はどんな手段を使って昨夜リンダ様とシルベルドの身に起こった事を知ったの? 24時間監視していないと出 来ない事でしょう。サム、ストーカーと気が合うってどういう事よ? わたしと結婚した時にロリコン疑惑を払拭したんじゃ無かったの」
 珍しく本来の口調に戻ったメアリに、ケインが笑って「今も充分現役だ」と煽る。
「ケイン、人の家庭をややこしくするのは止めてくれよ。僕の関心は可愛いリンダだけだし仕事だろう」
 道化役を演じ続けるサムにマイケルも乗る事にした。
「サム様は仕事が趣味ですから」
「21歳差か。たしかにロリコンだな」
 9歳年の差の自分の事は綺麗に棚の上に上げたα・シリウスが、真面目な顔で両腕を組んで頷いた。
「皆してわたしを子供扱いしないで。もうすぐ18歳になるのよ」
 自分をネタに完全に遊ばれていると気付いて、機嫌を損ねたリンダが大声を上げる。
『「「「「「自覚が無いのか。充分ガキだ」」」」」」』
「……」
 一斉に上がった怒号の中に、「2つ」ばかり高い声が混じっていた気がしたが、リンダは精神衛生上無視をする事にした。


 マイケルがお茶を入れ直し、全員がひと息付いたところで別室に移ったリンダとα・シリウスの特訓が始まった。
「もっと背筋を伸ばしなさい。特にシルベルド、長身がそうさせるのでしょうが、視線は真っ直ぐに。視線だけを落とすと見下されたと誤解されますよ」
 骨董品としか思えない紙で作られた重厚な本を数冊頭の上に乗せられ、リンダは10センチ、α・シリウスは20センチメートル幅の線の上を何度も往復させられる。こんな方法は歴史でしか知らないと言いたいのを堪えつつ、α・シリウスは背筋を伸ばす。
 リンダは普段履いている動きやすい銀色のショートブーツではなく、7センチは有るヒールで歩いている。よくもあんな物を履いて転ばないものだとα・シリウスは素直に感心した。
「この歳になってまでこれをやらされるとは思わなかったわ」
 愚痴をこぼすリンダの視線ギリギリにメアリの鞭が伸ばされる。
「リンダ様はこれまでサボっていたツケが回ってきただけです。マイケルが甘いのを良い事に戦闘訓練ばかりに夢中になって。女性らしい立ち振る舞いが出来る まで続けさせますよ。いつでも剣が抜ける様に僅かに猫背の癖が付いていますね。武器を用いた鍛錬は鞭だけにしておきなさいとあれほど言っておいたでしょ う」
 真っ直ぐに背筋を伸ばし、双手の鞭を自在に操るメアリの姿を横目で見て、なるほどとα・シリウスは納得した。
 以前からリンダの戦闘は無駄が無く美しいと思っていたが、直立して自在に鞭を操るメアリは舞っている様にしか見えない。リンダもメアリも「武は舞に通じる」を地でいっているのだろう。
 そう思ってα・シリウスがメアリに話しを振ってみたら「ウォーキングが終わったら、ダンス特訓です」と返ってきた。
「は?」
 聞き間違いかと思い、α・シリウスは振り返ってラインを踏み外し本を落とす。
 「見苦しい」と打とうしたメアリの鞭を、即時に髪飾りから引き抜いたリンダの鞭が呻って制する。
「メアリ、シリはあの世界の事を全く知らないのよ。教えられてもいない事を知らないからと、鞭打たれるのは不条理だわ」
 リンダの頭から本は落ちず、ラインも全く踏み外していない。日頃はとてつもなく足癖が悪いが、本気になったリンダにとってこれくらいはやれて当然なのだ。
「そうでした。シルベルド。無礼を許してください。一旦休憩にしましょう。リンダ様、シルベルト、どうぞテーブルにおこしください」
 メアリが指をさした方には甘い菓子と紅茶が用意されていた。何時の間に? と、α・シリウスは思ったが、生徒から目を離さずお茶の準備も同時に出来るスキルが無ければ、到底暴走型リンダの教育係は務まらないのだろうと気が付いた。

 椅子に座ったリンダとα・シリウスに優雅な手つきでカップを渡しながら「足を休めつつ、テーブルマナーと姿勢、言葉使いの練習をしましょう」とメアリはにっこりと笑う。
 出来ればコーヒーが欲しいところだがと思いつつ、α・シリウスはミルクティを口に含む。
「あの世界では食後以外でコーヒーはあまり出されないのです。少しでも早くあの世界に馴染んでください。シルベルド、リンダ様もコーヒーを好まれますが、 コーヒーに含まれるカフェインに頼るより、紅茶と糖分で脳に栄養と休息を与える事も必要です。初めての事ばかりで緊張しているでしょう。リラックスすれば 疲れが早く取れます」
 厳しいだけではないメアリの気配りにα・シリウスが微笑で返し、リンダもほっと息をついてミルクティを口に含んだ。
「サラ、あの世界とは何だ?」
「あそこは面倒く……」
 リンダが返事をする前に、メアリの制止が入る。
「お2人共、言葉の使い方がなっていませんね。基本は敬語でお話しなさい。シルベルド、リンダ様とお呼びする様に。あなたはCSSの社員でリンダ様は上司 に当たります。この家に居る以上、「サラ」は禁止にさせていただきます。リンダ様もご自分の師匠を略称で呼ぶのは失礼ですよ。名前でお呼びください」
 一瞬だけα・シリウスは眉をひそめたがすぐに顔を元に戻した。馬鹿力のリンダ程では無いが、鋭いメアリの鞭をそうそう受けたくない。
「リンダ様。これで宜しいですか? メアリ」
「わたしは先生や師匠では駄目でしょうか。その方がコンウェルで用意した設定に近いと思います」
 9歳も年上なのだしと続けるリンダに、α・シリウスが無理をするなと心の中でツッコミをいれつつ笑顔を向ける。
「リンダ様、どうぞ私の事はシルベルドとお呼びください。訓練中は先生でも差し支えは有りませんが、それ以外の場所では他の社員に示しがつかないでしょう」
「では、これからはシルベルドとお呼びしますね。先生」
 テーブルの下で「よしっ」とガッツポーズをとりつつ、リンダが少しだけ甘えを含んだ極上の笑みを浮かべる。
「お2人共、誰が幼稚園児並の「棒読み」をしなさいと言いましたか。口先だけで全く心が入っていませんよ」
 メアリが呆れた様な顔でツッコミを入れて、ばつが悪そうに笑うリンダとα・シリウスの顔を見て微笑する。
「努力は認めますが付け焼き刃ではすぐにボロが出ます。常に敬語を使い続けて慣れれば自然と言葉が出てくるでしょう。とは言え甘やかしたりしませんよ。スケジュールを確認しました。本当に時間が無いのですから」
「「はい。メアリ先生」」
 同時に返事をしたリンダとα・シリウスは、お互いの顔を見てメアリに視線を移すと3人共爆笑した。


 夕食もマナーレッスンを行い、メアリの教育は延々と続く。
 軽やかな音楽が流れ、リンダとα・シリウスはお互いに視線を合わせてステップを踏み続ける。
「先生、ダンスはどちらで習われたんですか?」
「訓練時代です。私の教官が「アトルに少しでも近付けたければダンスを覚えなさい」と言われたので、よく大と2人で特訓しました」
 リンダは長身のα・シリウスと山崎大が男2人でワルツを踊る姿を想像し、すぐに思考の外に追い出した。気持ち悪い物は忘れるに限る。
「「アトルの舞」ですね。彼の独特のリズムにわたしも追いつけませんでした」
「そうでしたね」
 思い出し笑いをしたα・シリウスがターンの方向を間違えて、リンダの足首を勢いよく蹴り飛ばした。
「痛っ!」
「ストップ。リンダ様、お怪我は?」
 素早くメアリが音楽を止めて足首を押さえるリンダの側に駆け寄り、α・シリウスも膝を床に着けて、しゃがんでいるリンダの身体を支えながら謝る。
「すみません。リンダ様」
「大丈夫です。前に踏まれた所を蹴られて少し痛かっただけです。大声を出してわたしの方こそすみません」
 メアリは痣だらけになっているリンダの足先を見て立ち上がると、「今日はここまでにしましょう」と言った。
「シルベルド、基本はマスターしている様ですが、曲調が変わる度にリンダ様を踏んだり蹴る様では話になりません。あなたには特別レッスンが必要ですね」
 本当に悪い事をしたと、リンダを抱き抱えて椅子に座らしたα・シリウスが深く頭を下げる。
「今時、ダンスパーティーなんてものが存在する世界が異常なのよ。時代錯誤も良いところだわ。仕事の役に立ちそうも無いならこれだけはパスしているわね」
 簡易メディカルキッドで手当をしながらリンダが嫌そうに顔をしかめる。
『マイ・ハニー、サラ。ダンスが仕事の役に立つとはどういう意味だ?』
『マイ・ハニー、シリ。会食や懇談だけでは知り合える人は限られるわ。ダンスなら動きながら様々な人の顔を見られるし、その後会話にも入りやすいわ。わた しもダンスパーティーは嫌いだけど、目立つには恰好の場だわ。お願いだから周囲の人をあっと言わせるくらいに上手くなって。シリならやれるわ』
『動きが大きくターンが多い派手なステップばかり練習しているのはその為か』
『そうよ。コンタクトレンズに映った映像と音声をBLMSに記録できるわ。どんな些細なデータでも欲しいでしょう。敵がわたしとシリの顔を知っているなら、なんらかのリアクションが有るわ』
『了解』
 手当を手伝うふりをしながらα・シリウスは小さく頷いた。

「治療するふりをしてセクハラとは、ヘタレのシリウス君もやるねぇ」
 扉が開き、今日の特訓が終わったと連絡を受けたサムが息子のアレクサンダーを抱いて部屋に入ってきた。
「「セクハラぁ?」」
 内緒話に思考を取られていたリンダとα・シリウスが同時に声を上げた。
「おや、違っていたのかい? やたらとリンダの足を撫で回しているからてっきりそうかと思っちゃったよ」
「冗談じゃない。こいつにそんな気にさせる色気が少しでも有れば……以下略」
 メアリの鞭に気付いたα・シリウスが慌ててリンダから離れる。
「サム、変な誤解をしないで。あ、アレク。まだ起きていたの? 抱きたーい」
 リンダがまだ1歳のアレクサンダーを見ると立ち上がって手を伸ばすと、サムがゆっくりと頭を振った。
「だーめ。リンダは足首を痛めてるんだろう。無理は禁物だよ。治ったらうちの王子様をいくらでも抱かしてあげるから」
「えー。けちー」
 頬を膨らませるリンダに「明日になれば腫れは引きますよ」とメアリが笑顔で答えて、サムとアレクサンダーの側に駆け寄る。
「サム、アレクはどうしたの?」
「ははっ。しばらくは大人しくしてたけど、君の顔をずっと見られなくて心細さで泣き続けたらしくてね。交替して僕が見ていたよ」
 サムがアレクを差し出すとメアリは「アレク、パパのお仕事の邪魔をしちゃ駄目でしょ」と言葉では叱りつつ優しく抱きしめてあやし始める。
 リンダはしばらくの間黙ってサム達を見つめていたが、α・シリウスの腕を引いてテラスに向かう。
『サラ?』
『サムは度々仕事で家を空けるの。せっかく家族が一緒に居るんだもの。親子の団らんの邪魔をしちゃ駄目でしょう。こういう時は気を利かせるものよ』
『ああ、そういう事か。足は痛まないのか?』
『立っているだけだし、痛み止めが効いてるから平気よ』

 テラスの手摺りにもたれながらリンダとα・シリウスはサム達を振り返る。
『わたしは少しでも早く強くなりたくて、行儀作法の授業はサボってばかりいたの。それでもメアリは投げ出さすに根気強くわたしを教えてくれたわ。あの鞭は わたしのサボリ防止用にとメアリがパパに頼んで作って貰ったのよ。始めは普通のロープだったのだけど、それもわたしが切って逃げ出すから、メアリは方針を 変えてどんどん腕を上げて強くなっていったの。鞭のスピードと正確さならわたしと良い勝負が出来るわよ』
 ぺろりと舌を出して笑うリンダにα・シリウスが呆れたと肩を竦める。
『一応お嬢様なんだからマナーの授業は真面目に受けろ。酷い話だな。どっちが何の先生なんだか。教官は別格だが、サラの同類が何人も居るなんて想像もしなかった。あの鞭は本当に怖いぞ』
 何度もメアリに鞭で叩かれたα・シリウスが痛かったと腕をさする。
『たしかにね。でも、メアリは授業中は厳しいけれど、芯が強くてとても優しいでしょう。わたしのあこがれの人よ』
『それに知的美人だ』
 α・シリウスが正直な感想を言うと、リンダは大きな溜息をついた。
『やっぱり、シリもそう思うのね。わたしじゃ勝負にもならないわよね』
『は?』
 いきなり何を言い出すのかとα・シリウスはリンダの顔を見返す。
『早く大人になれる様に一所懸命勉強して、4年も飛び級をしたのに待って貰えなかったわ。……というより、あれ程素晴らしい女性が側に居たんだもの。きっとわたしなんか始めから眼中に無かったわ』
『何の話だ?』
 ああ、とリンダは少しだけ引きつった頬で笑顔を作る。
『サムはわたしの初恋の人なの。今でも大好きよ。大人になったらサムのお嫁さんになりたかったの。でも、サムにとってわたしは歳の離れた小さな妹みたいな存在でしかなかったわ』
『はあ!?』
 突然の告白にα・シリウスは動揺を隠せない。
 リンダがサムにとても懐いているのは判っていた。幼い頃から専属医師として側に居続けたのだから、兄の様に慕っているのだとばかり思っていた。
 リンダと出会った時のサムは27歳で、父親と言ってもおかしくない歳だ。お互いに恋愛対象になり得ないと勝手に都合良く考えていた。
 しかし、リンダの瞳に嘘は無く、本気なのだと雄弁に訴え続けている。15歳のリンダはどんな思いでサムとメアリの結婚を祝ったのだろうとα・シリウスは胸が痛くなった。
『せめてあと5年。わたしが早く生まれていたらと何度も思ったわ。でも、もしそうなら児童心理に長けていたサムとの出会いも無かったわ。過去や時間は変えられないわ。メアリは同性のわたしの目から見ても本当に素敵な女性だわ。サムが惹かれて当然よ』
 自分に言い聞かせる様に話すリンダの瞳が僅かに揺れる。耐えきれなくなってα・シリウスはリンダを抱きしめた。
『ちょ、ちょっとシリ?』
 驚いたリンダがα・シリウスの腕から逃れようと身体をよじる。
「我慢するな。泣きたかったら泣け。俺はサラのパートナーだと何度も言っている」
 耳元で優しい肉声で囁かれて、リンダの腕から力が抜ける。
「仕事絡みじゃ無いのよ。それでも良いの?」
「気にするな。意地っ張りのサラの事だ。今まで誰にも愚痴を言えなかったんだろう? 泣いて楽になれるなら泣いてしまえ。俺の胸で良かったらいくらでも貸す。それにこうしていれば誰にもサラの顔は見えない」
 じわりと涙が溢れてきて、リンダがα・シリウスの胸に顔を押し付ける。
「ありがとう。シリ、大好きよ」
 言葉に出さなくても「友人として」というリンダの気持ちがα・シリウスには伝わった。仕事のパートナーとしてだけでは無く、1人の人間として認められている。今はそれでも良いと思った。
 自分が男として認められるには、サムへの憧憬を忘れられないリンダの心はまだ幼い。他の男に横取りされるのは到底我慢出来ないが、リンダが大人になるのを待つのは苦にならないと、α・シリウスは何度もリンダの髪を撫で続けた。
 抱き合う2人の姿を見たサムとメアリは「おやおや」と笑い、自分達は邪魔だとそっと部屋を出て行った。

 2年前に散々1人で泣いて、とっくに気持ちの整理がついたとリンダは思っていた。しかし、こうしてα・シリウスに誰にも言えなかった気持ちを打ち明けると、せんを切った様に涙が止まらない。
 リンダはひとしきり泣いて気持ちが落ち着くと、顔を上げようとしてα・シリウスに頭を押さえられた。
「シリ?」
「このままベッドで添い寝してやろうか? 昨夜も俺の膝の上で爆睡しただろう。俺も幼い頃に経験が有る。その方がサラが熟睡出来るなら俺はかまわない」
 遠回しに子守りだと言われ、リンダの頬が怒りと恥ずかしさで紅潮する。強引に顔を上げてα・シリウスを真っ直ぐに見返した。
「いつまでも子供扱いをしないで。わたしはシリが思っている程幼く無いわ」
「俺に大人の女として扱って欲しいのか? 困るのはサラだぞ」
 抱きしめた腕はそのままで意味深に笑うα・シリウスに、リンダが判らないと首を傾げる。
「どういう意味?」
「それを聞いた段階でまだまだ子供だ。足が痛いだろうから部屋まで送る。サラの怪我は俺の責任だ。良い子はシャワーを浴びて薬を塗り直したらさっさと寝ろ」
 耐えきれなくなって吹き出したα・シリウスが、爆笑しながらリンダを抱き上げて歩き始める。
「馬鹿にしてーっ。このズボラオヤジ!」
 真っ赤になったリンダが怒鳴り声を上げると、α・シリウスが廊下を歩きながら眉をひそめる。
「ズボラオヤジぃ?」
「掃除をさぼってゴミ溜めみたいな部屋に平気で住んでいたじゃない。それに、わたしがガキならシリはオヤジだわ」
 やっと少しは素直になってくれたかと思えば、立ち直った途端にこれかとα・シリウスは渋面になった。
「落とすぞ」
「手を離してくれたら良いわ。これぐらいの怪我でバランスを崩して腰から落ちたりしないもの。自分の足で普通に歩いて部屋まで帰るわよ」
 売り言葉に買い言葉とはいえ、全く可愛げが全く無いリンダの口調にα・シリウスも意地になってリンダを抱き直す。
「前言撤回だ。部屋まで運ぶ」
「要らないって言ってるの。降ろしてよ。馬鹿」
 リンダはすぐ側に有るα・シリウスの顔を下から押し上げた。

 モニターで一部始終を見ていたケインは大きな溜息をついて、横に控えていたマザーを振り返った。
「日頃からこの2人はこうなのか?」
『はい。ほぼ毎日この調子です。リンダ様のお立場上、2人の実態を知るのはわたくしとΩ・クレメントだけです』
「メアリの仕事が増えるな」
 廊下を撮していたモニターを消して、ケインが溜息混じりに額に手を当てる。
『「あの」α・シリウスが常にパートナー・レディ・サラのメンタル面には細心の注意をはらっています。ここ数日のリンダ嬢の不調を知って、あえて子供じみた喧嘩に付き合っているのでしょう』
 常に冷静なマザーの分析にコーヒーカップを手に取り、ケインが僅かに目を大きく開く。
「リンダの「クリスマス・ブルー」に気付いて、彼なりの方法で慰めているのか。随分不器用な男だな」
『α・シリウスが器用なら、組織内で上手く立ち回って、とうに特化α級になっていたでしょう。レディ・サラと組んで以降のα・シリウスは、警察機構内で他に類を見ない程高い評価を受けています。本当に良いパートナーに恵まれました』
 画面内で礼を取るマザーに、ケインが軽く首を振る。
「こちらこそ感謝する。私達は娘に気を使い過ぎていたらしい。この時期にリンダの笑顔以外の顔を見るのはあの事件以来だ。どうやら彼はリンダの本音の感情を引き出すのがサム以上に上手いらしい」
『あの子はただの馬鹿です』
 きっぱりとマザーに言い切られて、さすがにケインもα・シリウスが気の毒になってきた。
「もう少し言い様は無いのか?」
『では「ヘタレ」と言い換えます』
 ぶっとコーヒーを噴き出したケインは容赦の無いマザーの顔を見返した。
「どこでそんな言葉を覚えた? 君の語録設定には無かったはずだぞ」
『今朝、サム・リード氏がα・シリウスをそう呼んでいました』
 やっぱり出所はそこかとケインも軽く肩を竦める。
「……君達の現行のヒューマノイド・システムは、サムの手による所が大きいんだが」
『サム・リード氏は大変お遊び好きの方らしく、わたくし達も毎日楽しく過ごさせていただいています』
「奴の口の悪さまで覚えなくて良い。私がΩ・クレメントに怒られる」
 苦笑しながら言うケインにマザーが微笑して頭を下げた。
『考慮しましょう。今日はこれで失礼いたします。ケイン様も極力早くお休みいただく様、心からお願いいたします』
 直接、自社で制作したマザーの感情に触れるのは良いテストになるが、サム作った設定には少々文句を言わざるを得ない。さぞかしΩ・クレメントもマザーの口の悪さに手を焼いているんだろうと、ケインは心から同情した。


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