Rowdy Lady シリーズ 3 『天使の歌声は聞こえない』

6.

 全員の硬く重い表情を見ていたサムが明るく声を掛ける。
「太陽系防衛機構にここの市長ねぇ。どういう繋がりだろう。どうも長くなりそうだな。マイケル、立ちっぱなしじゃ疲れるだろう。君も座らないかい?」
 ワゴンで全員のコーヒーを入れ直していたマイケルは笑顔で頭を振った。
「サム様。ありがたいお言葉ですが、この家の安全が完全に保証されるまで、第2級警戒態勢のままです。こう申し上げては失礼ですが、この部屋で真っ先に護 衛が必要になるのはご自身だと忘れないでください。ケイン様とお嬢様にこの家で護衛は要りません。シルベルドもよほど油断しない限り、お嬢様の蹴りを避け られると聞いております」
 やぶへびだったかとサムが舌を出すと、全員の緊張がほぐれ、声を立てて笑った。
「あの市長が犯罪に手を染めるとは到底思えない。私の要請を受けて正式に太陽系防衛機構に抗議をしたんだろう」
 ケインが真面目な顔に戻って言うとリンダも頷いた。
「わたしもそう思うわ。シリ、あなたはどう思う?」
 カップから手を離して、αシリウスは両腕を組んだ。
「衛星が移動したタイミングからそう考えるのが自然だ。だが、市長は知らない内に敵に手を貸していた可能性は有る。サラを太陽系警察機構にスカウトする前 に、Ω・クレメントが市長に要請を出して、偵察衛星をしばらくの間この上空に置かして貰った。つまり、それなりの立場の人間が公式に要請すれば、それがた とえステルス攻撃衛星でもこの街上空に置く事は可能だ」
 リンダとケインとサムが同時に眉をひそめる。
「USAマザーがした事は覚えている。冗談でも笑えないな」とケイン。
「嫌だねえ。上空からこっそりのぞき見した上に、危害を加えるなんてストーカーよりタチが悪いよ」とサム。
「シリの指摘は正しいわ。背後関係や敵の最終目的が読めないから、今は消極的防衛以外の手を打てないわね」
 先手必勝防衛型のリンダがもどかしいと呻る。
『マスター・リンダ、お話は聞かせていただきました。わたくしに発言許可を頂けますか?』
『良いわ。ただし、絶対に人前でわたしをマスターと呼ばないのが最低条件よ。少し待って』
 ピアスを通して地下に居るマザーの声を聞き、リンダは手元の端末を操作して何も映っていないモニターを表示させた。
「マザーがわたし達に話が有るそうよ」
「おや、太陽系警察機構の虎の子、戦略コンピュータをこの目で拝めるのかい? これは楽しみだ」
 マザーのヒューマノイドシステム開発に加わったサムが嬉しそうに言う。
「どうりで重いはずだ。リンダ、サーバー1つと言いながら、うちのシステムの10パーセントを回したな。まあ良い。彼女はこういう時の為に存在する」
 ケインが不満を打ち消して言い直す。
「今のままでは手詰まりだ。マザーの支援はありがたい。どんな話でも聞こう」とα・シリウス。
 全員の了承を得て、リンダがマザーを呼び出した。

『お初に目に掛かります。ケイン・コンウェル氏、サム・リード氏、マイケル・カーン氏。太陽系警察機構USA支部所属のマザーです。宜しくお見知りおきを』
「美人だ。Ω・クレメントは果報者だね」
 モニターの中で優雅に礼を取るマザーにサムが正直に感想を言った。
『ありがとうございます。リンダ嬢を通して皆様のお話を聞かせていただいていました。α・シリウスとリンダ嬢の言うとおり、この事件の犯人達は太陽系警察 機構組織全体への敵です。現時点で敵の総数は知れず、背後関係も判りません。わたくしは少ない情報からある可能性を見出しました。聞いていただけます か?』
 部屋に居た全員が頷くと、少しだけほっとした顔でマザーは言葉を続ける。
『敵は本来ならΩ・クレメントを標的にしたかったはずです。ですが、基本的に24時間USA支部に詰めているΩ・クレメントには直接手が出せなかったの で、彼が教育した刑事達にターゲットを替えたのでしょう。皆様のご意見と情報から、わたくしは太陽系防衛機構の誰かが、太陽系警察機構組織を壊滅させよう としている可能性が1番高いと思います』
「その根拠は何?」
 ジェイムズがあれほど調べていても未だに見付けられないのに、とは言えないリンダから厳しい声が上がり、マザーが答える前にα・シリウスが答えた。
「長官が現在の太陽系警察機構の要の1人だとケイン氏も言っただろう。長官が活動出来なくなれば、漸く安定してきている現組織はガタガタになる。太陽系防衛機構にとって太陽系警察機構は邪魔で仕方無いらしい。お互いに発足当初から度々衝突している」
「あの衛星を動かせるのは太陽系防衛機構だけだ。全く無関係じゃ無いだろう」とケインも同意する。
「アンブレラI号事件で強化スーツを大量に流用されたと、管理の甘さを指摘されて最近特に風当たりが厳しいからねぇ。焦ったお馬鹿さんが出たかなぁ」とサムが暢気な口調で言う。
「1番協力出来る立場でもあるのに……」
 リンダは「馬鹿だわ」と呟いて口元に当てていた指先を噛んだ。

 人類が新天地と資源を求めて宇宙開発に乗り出した当初から、犯罪や闘争も宇宙へと広がっていき、開発した資源や設備を狙った犯罪、開発者間のトラブルは後を絶たなかった。
 無用のトラブルを避けたいと考えた多くの企業や団体が共同の組織を求め、コンウェル財団も多くの人材と資金を出している太陽系開発機構が出来た。
 それとほぼ同時に広域犯罪を取り締まる為に太陽系警察機構が、犯罪集団から船団の護衛や、各国間の戦争を最小限に押さえる為に太陽系防衛機構が出来た。
 この3組織はお互いが綿密に協力し合い、太陽系全体を上手く纏めながら運営されるのが理想だが、未だ地球でも各国間や民族間で争いが起こる様に、発足当時からお互いの権利を主張しあって引かず、上手くいっていないのが現実だ。
 1世紀以上の時が過ぎ、多くの犯罪に悩まされる太陽系開発機構と太陽系警察機構は、お互いに監視しあいながらもそれなりに協力を続け、各国、組織防衛軍 と衝突しがちの太陽系防衛機構は、逆に孤立しつつ有る。「宇宙軍は口を出すな。戦争しか能が無いなら護衛だけやっていろ」という耳に痛い悪口は子供でも 知っている。

 リンダの表情を読んだサムが「んー」と小さな声で呻る。幼い頃から何度も犯罪者に狙われながら大人達に混じって仕事をこなし、大人の汚い世界を充分知っている割りに、リンダ自身の言動は理想主義者のそれに近い。
 今回の事件の大元が裏政治に有る事は簡単に予想出来る。常に正面から犯罪者達に立ち向かっていたリンダに妥協や駆け引きが出来るだろうか。元諜報部に居たα・シリウスなら何が出てきても動揺しないだろうがと、サムはケインの方をちらりと見た。
 ケインが同感だと頷き、α・シリウスに視線を向けると、分かっているとα・シリウスも頷いた。
「そこのズボラ男3人組。自分達だけで勝手に話を進めて決めつけてないで。今回の事件の裏は洒落にならない相手だろうし、わたしのスタンドプレイは通用しないって事くらい分かっているわ」
 怒ったリンダから強い口調で言い切られ、プライベートで不精者の男3人組は、お互いに視線を交わすと軽く肩をすくめた。
 「そうなら」と、α・シリウスが隣に座っているリンダに向き直った。
「この手詰まり状態でサラは今後どう動くつもりでいる? まさか「J」に頼み込んで協力して貰うなんて言い出さないだろうな」
「そんな事は出来ないわ。ジェ……「J」の身まで危険になるもの。わたしがα・シリウスを匿った事で、この家中が戦闘待機状態になったわ。とても今あの人を巻き込めないわ」
 リンダが頭を振ると、一旦話しを区切るべきだと判断したマザーが全員に声を掛けた。
『太陽系防衛機構の「J」がかなりの発言権を持っているのは事実です。ですが、その正体は太陽系防衛機構内部でも極秘。絶対に表に出てこない相手に期待するのは得策では無いでしょう。太陽系警察機構は現時点で太陽系防衛機構と共闘する気は有りません』
 マザーが立場表明するとケインもはっきり告げる。
「コンウェル財団は普通の民間企業だ。私も太陽系開発機構役員の立場が有る。今の太陽系防衛機構とは一線を引きたい」
 「俺は」と言い掛けてα・シリウスはリンダの顔をもう1度見た。
「俺はこの事件の全権を任されている。が、残念ながら長官みたいに強力なつてや政治力は無い。どうやら当分は此処に缶詰らしいから、地道にデータを調べて証拠固めをしていくしか無い」
「Ω・クレメント並の政治力ねぇ。シリウス君の場合、まず多くの信用のおけるそれなりの地位の人達と知り合わないとね。名前すら公表出来ないスモール級はこういう時に辛いよね」
 α・シリウスとサムの言葉を受けて、リンダは幾分不愉快そうにカップの端を指先で弾いた。
「シリ。「あの」世界と知り合いになるなら、時期が時期だから全く方法が無い訳じゃ無いわよ」
 唐突なリンダの発言にα・シリウスもケインもサムも、常に冷静なマイケルやマザーですら「はあっ!?」と同時に声を上げた。


『また失敗したのは分かっている。これで6度目だ。それを今朝になって報告か。随分とごゆっくりだったな。貴様達が遊んでいる間に、私がどれだけ働いてい たと思う? まさかの時の保険にと使っていた衛星の存在がばれた。あのケイン・コンウェルが証拠を持った上で、正面から抗議をしてきたぞ。昨夜、難攻不落 と言われているあの街で派手な騒ぎが起こったと、多くの著名住人達から市長に何事かと問い合わせが殺到している。試験運転のプログラムミスだと誤魔化すの にどれだけの労力と金を使ったと思う? 貴様ら全員の年俸を合わせても足りないくらいだ』
 暗いモニターから音も細工された声の怒号を聞かされ、ジェイクは不快気に小さく舌打ちをした。
 α・シリウス以外にこれまで失敗は1度も無かった。Ω・クレメントの秘蔵っ子と言われたα・シリウスも隙だらけだった。ただいつも行動を共にしていた若い女が、毎回自分達の前に立ち塞がった。
 特に今回は狙撃係のフィリップが女から直接攻撃を受け、ニューヨークシティ駅に待機していたメンバー全員が後わずかという所でα・シリウスの所在をロストした。
 痛みにのたうち回っていたフィリップを装備ごと回収したが、モニターは破壊されていた。顔面にこびり付いた赤い粉を全て取り除き、まともに話せるまで数時間が必要だった。
「黄色い髪の若い女にやられた」
 何とかそれだけ言えたフィリップが痛みを訴え続けるので、今は鎮静剤で眠らせている。
 これまで尾行しながらチャンスを伺っていたアンドリューやトマスも、「いきなり黄色い頭の女に睨み付けられた。危険だと判断して撤退した」と報告していた。ジェイクは1枚のメモリーシートを端末に乗せると低い声で問い掛けた。
「これまではジャミングでまともに撮れませんでしたが、昨夜やっと映像が撮れました。この女が全ての原因です。貴方ならこれが誰だか判るんじゃないですか?」
 モニターに表示された顔写真を見て、モニター越しの男は一瞬絶句して、悲鳴に近い大声を上げた。
『リンダ・コンウェルか! 画像が荒いがこの独特の髪と目の色には覚えが有る。そうならお前達の失敗も、昨夜あの地区で起こった騒動も、ケイン・コンウェルが動いた理由も納得出来る。やはりあの情報は正しかった。お前達はとんでも無い相手を敵に回してしまったぞ!』
「あの「奇跡のリンダ」ですか!? あんな化け物を相手にするなんて我々は聞いていません!」
 モニターの男は苛立ちを含んだ声で『又連絡する。当分お前達は姿を隠せ』とだけ言って通信を切った。
 ジェイクはまさかという思いで切れたモニターを見つめ続けた。アンブレラI号事件で生身のままたった1人で、太陽系防衛機構レベル6強化スーツ26体を壊滅させた「奇跡のリンダ」伝説はまだ数ヶ月前の話だ。
 噂のどこまでが真実でどこまでが眉唾なのか誰にも判らない。
 その時同行したという刑事がターゲットのα・シリウスだったとしたら? 2人が知己の関係で、毎日顔を合わせる程の仲だとしたら?
「怖れて逃れば確実に殺される。我々はあの化け物と正面から戦うのか」
 ジェイクは無意識に腰から吊るしている使い慣れた銃を撫でた。


「この馬鹿娘。案が有るなら始めから言え。この時間が無い時にまた1人で作戦を立てていたな?」
 憤慨するα・シリウスからリンダは曖昧な笑いと共に視線を逸らし、「これこれ」とサムがツッコミを入れる。
「シリウス君、その言葉使いはあまりいただけないね。日頃仕事中に君達がどんな会話をしているのか推して知るべしだ。それで無くてもリンダは口が悪いんだから、これ以上悪化させない様に気を付けて欲しいんだけどなぁ」
 マイケルが溜息をつきながら何度も頷く。
「お嬢様はとても真面目で勉強好きですが、幼少の頃から行儀作法の時間になると……申し訳ございません。話の腰を折ってしまいました」
 ケインからまで嫌みを言われたく無いとリンダが慌てて視線を戻す。
「1人で勝手に決めていたんじゃないわ。その逆よ。この計画を実行するには……パパの許可が要るのよ。だから言いづらかったの」
 次々にCSSから送られてくる情報を整理しようと端末を操作していたケインが、ピクリと眉を動かして顔を上げる。
「リンダ」
 さっさと用件を言えという視線を受けて、リンダは内心ビクビクものでケインを笑顔で見返した。
「パパ、わたしは(忘れたいけど)もうすぐ18歳になるわ。(面倒だけど)そろそろ公式の場に出るべきだと思うの。その、(派手で騒がしくて大嫌いな) パーティーとか、(人間関係が鬱陶しい)レセプションとか。12月はその手の行事が多いでしょう。どうしてもパパが出なくてはならない会以外は(捜査に利 用したいから)わたしが出ようと思って。コンウェルの為にもなるでしょう。……駄目?」
 あまりにも判りやすいリンダの言葉に出さない本音に、マザーも含めた全員が大きな溜息をついた。
 少女らしさを演出したのでは無く、動きやすいからという理由だけで1年中ミニスカート、ショートブーツ姿で大股で歩き、髪と耳と手首を飾るアクセサリー は隠し武器、親しい友人達との交流を除いて仕事と勉強以外は全て面倒臭がり、言動は「どこがお嬢様だ?」としか言われないリンダが、自ら進んで社交界に入 ると言い出すとは。
 逆にリンダが公の場に出たらコンウェルの立場を悪くする「だけ」だろう。とツッコミを入れたいのを全員が我慢していた。
 日頃、サムやα・シリウスから親馬鹿と言われていても、公私混同を嫌うケインは引きつる頬を気力でねじ伏せて愛娘の顔を見返した。
「リンダ、正気か?」
「パパ、「正気」ってどういう意味?」
 リンダが速攻で言い返すと、ケインとリンダ以外は同時に吹き出した。ケインほどの名士でも、想像から遙かにかけ離れた事態に陥るとつい本音が出てしまうらしい。軽く咳払いをしてケインは真面目な顔に戻って言い直した。
「ちょっとした言い間違えだ。本気か?」
「本気よ」
 リンダが強く返事をするとケインはにやりと笑ってサムを見た。
「聞いたな? サム」
「うん」とサムがにっこり笑う。
「マイケル?」
「たしかに聞きました。旦那様」
「シ……ルベルド?」
「サラは起きているはずなのに、はっきり寝言が聞こえました」
「マザー?」
 最後に聞かれたマザーが微笑して答える。
『聞きました。記録も残しておきましたので、ご自由にお使いください。ケイン様』
 満足げに微笑むとケインはマイケルに向かって言った。
「隣室で待っているメアリを呼んでくれ。この馬鹿娘の再教育だ。今のままじゃ恥ずかしくてとても表に出せるか」

「きゃーっ!!」
 リンダが大声を上げて立ち上がった瞬間、「シリウス!」とケインが指をさす。つられたα・シリウスは逃げだそうとするリンダの襟首を捕まえた。
「あれ?」
 ケインの有無を言わせない口調で身体が勝手に動いたα・シリウスは「お願いだから離してー」とジタバタ暴れるリンダを捕まえたものの、さてどうしたものかと首を傾げた。
 これではまるで木星支部チームが来ると聞いて、逃げ出そうとした自分と立場が逆になっただけではないか。
 リンダの気持ちが解るだけに手を離そうとしたが、ケインの厳しい視線を受けると到底力を緩められない。

 マイケルが扉を開き、赤みがかったブラウンの瞳と髪を持つ細身の女性が口元に笑みをたたえて入ってくる。
「ケイン様、わたしの力が必要との事。しばらくの間、こちらに滞在させていただきますので、喜んでお手伝いいたします」
「メ、メアリ、おはよう。アレクはどうしたの?」
 どもりながら聞いてくるリンダにメアリはあっさり切り返す。
「おはようございます。リンダ様、賢い子だから信用出来る方に預けてあります。ご心配の必要は有りませんわ」
 昨夜から緊張していただろうにメアリの元気そうな顔を見て、ほっと息を付いたケインはリンダ達を顎だけで指した。
「悪いな。メアリ、時間が無い。この馬鹿を早急に仕上げてくれ」
「承知しました」
 ケインに言われてリンダとα・シリウスに視線を移したメアリは、早足で側に寄ると落ち着いた声で話し掛けた。
「初めまして、シルベルド。メアリ・リードと申します。お噂はかねがねサムから聞いています。宜しくお見知りおきを。ところで、リンダ様をどうなさるおつもりですか?」
 聞かれたα・シリウスは漸く猫を摘み上げる様にリンダを持ち上げている自分に気付いた。
「ああ、初めまして。ケイン氏に言われてサラが逃げ出さない様にしている」
「サラ?」
 僅かにメアリの目がきつくなったので、α・シリウスはすぐに言い直す。
「間違えた。リンダ・コンウェルだ。俺とパートナーになって以来、コード名のサラと呼ぶ癖が付いている」
 正直にα・シリウスが答えると、メアリは僅かに頬を引きつらせて両腕を軽く振った。
「仮とはいえCSSコンウェル家直属の社員が、敬語もまともに使えないとは嘆かわしい。しかもレディの襟首を摘み上げるなど言語道断ですわ。リンダ様共々、あなたにもわたしが教育的指導をいたします」
「痛っ!」
 飾り紐だとばかり思っていたメアリの両腕に巻かれた半透明の紐が緩み、瞬時に鞭に姿を変えてα・シリウスの手の甲を叩き付け、その隙に逃げだそうとしたリンダの足首にもう1本の鞭が絡み付いて拘束する。
「「「さすが」」」
 2年ぶりにメアリの華麗な鞭さばきを見た男3人から感嘆の声と拍手が起こる。
 逃げられないと諦めたリンダは大きな溜息をつき、α・シリウスは真っ赤になった自分の手の甲を見つめて唖然とする。

『お初にお目に掛かります。メアリ・リード様、USA支部戦略コンピュータ・マザーと申します。α・シリウスのマナーの悪さはUSA支部長官Ω・クレメン トも頭を悩ましている懸案ですので、これを機会に鍛え直していただけますか? Ω・クレメントもさぞかしお喜びになる事でしょう』
 モニター画面に映し出されたマザーの映像を見てメアリも微笑する。
「顔の良さだけで誤魔化した上っ面の演技では、本物の1流の方々には通用しません。わたしが責任を持ってシルベルドとリンダ様の再教育をしましょう。この家ではそう呼ばせていただきます。あなたもご理解ください」
『承知いたしました。今後はわたくしもシルベルドと呼びましょう』
 同時に嫌そうな顔をするリンダとα・シリウスに再びメアリの鞭が呻る。
「まず、お2人共その正直過ぎる顔から直しなさい。特にリンダ様、常にレディらしく振る舞う様あれ程しこく言っておいたのに舌を出すとは何事ですか。シルベルド、あなたも歳に似合わない眉間の皺は止めなさい。上流の方のシークレットサービス失格ですよ」
 CSS所属で無くとも高い戦闘能力を持つメアリのリンダに負けず劣らない鞭さばきに、α・シリウスは正直舌を巻いた。これだけ優秀な人材を大量に集められるも、コンウェルの実力の1つなのだ。たしかにこのスピードに対抗しようと思ったらかなりの動体視力と反射神経が必要だろう。マナー以前に別の意味でも訓練させられそうだとα・シリウスは思い、何故サムが「リンダの反射神経は……」と言ったのかを完全に理解した。

「サムぅ」
 リンダが半べそ状態で振り返ると「だーめ。自分が言い出した事だろう」とサムもメアリの味方をする。
 鞭名手の妻が怖いからは無く、リンダの作戦を実行するには必須条件だと判断したからだ。
 現在の状況を打破するにはまず情報が足り無さ過ぎる。ケインがこれ以上表立って動けば、暗殺集団のターゲットにされかねないし、警察と裏で結託したと要らぬ噂が立ち、コンウェル財団の信用が落ちる。
 分析や情報収集だけならコンウェルが全力で取り組んでも構わない。しかし、あくまでもコンウェルはリンダの友人を滞在させているだけで、実際に捜査で動くのは太陽系警察機構の刑事、α・シリウスとレディ・サラマンダーでなければならない。
 リンダの裏の顔を知られる心配も有るが、正義感の強い「奇跡のリンダ」の名前がそれを覆い隠すだろう。
 このまま見逃せば太陽系警察機構は大打撃を受け、同時に現行の太陽系開発計画を20年は遅らせかねない。α・シリウスを匿ったコンウェル家は爆弾を抱えたも同然だ。
 そこまで計算しているからこそ、ケインはリンダの計画にGOサインを出し、自分やマイケルも同意したのだ。
 この事件がリンダの記憶の封印を解くとは思えない。きっかけになるとすればα・シリウスだろうが、昨夜のヘタレっぷりからして当分その心配は要らないだろう。
「メアリ、2年間続けていた鍛錬が役に立って良かったね。とはいえ、リンダもあれからかなり成長しているし、シリウス君もリンダで慣れている。君がどこまでやれるか楽しみだよ」
 何気なく「相手は手強い。油断するな」と忠告してくる夫にメアリも笑顔で返す。
「サム、わたしはプロよ。ケイン様の期待は裏切らないわ」
 その一言でリンダはメアリの死角でうげっという顔になり、α・シリウスも声に出さない程度に小さな溜息をついた。
 命からがら暗殺者集団から逃げて、少しだけ休んでリベンジをと思った矢先に鬼教師の特訓決定だ。鋭気を養うどころか、鞭で打たれたくなかったら本気で修行しなければならない。
 リンダはふっと息を付いて頭を切り換えると一気にまくし立てた。
「マイケル、現在届いている招待状を全て出して。パパ、どのパーティーならわたし達が出ても良いか決めて。メアリ、リストが出来たらそれに合わせて特訓ス ケジュールを立てて欲しいの。ただし、わたしは夕方と土日だけよ。それを忘れないで。サム、シリにこの家の細かいルールを説明して。きっと戸惑う事ばかり だわ。マイケルはリストを出したらサムを手伝って。マザー、シリがレクチャーを受けている間、わたし達で出来る限り情報を分析しましょう」
 嫌な事に目を背けて無駄な時間を費やすより「決まった以上、実行有るのみ」というリンダらしい決断にα・シリウスも頷き、室内に居た全員が頷いてすぐに作業に取りかかった。


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