Rowdy Lady シリーズ 3 『天使の歌声は聞こえない』

5.

 数瞬の沈黙後、各支部のマザー達が一斉に否定の声を上げ、リンダは目を閉じて罵倒に近い抗議を耐え続けた。
『グラン・マ、どうか落ち着いてください。わたしがサラの意見を支持します』
 画像の映らないモニターから聞き覚えの有る声がして、リンダとα・シリウスが同時に視線を移す。
「クイーン・ビクトリア!?」
 驚いて大声を上げたリンダに、ビクトリアが苦笑で応える。
『そちらの時間では久しぶりになるのかしら。サラ、RSM。本当にタイムラグを恨みたくなるわ。この通信はリリアの超能力を借りているの。時間も空間も跳 び越えられる能力に感謝だわ。長時間は話せないから手短に言うわ。USAマザーから少し前に事件の報告を聞いて、ジュピター・マザーに確認を取ったわ。オ スカーの性格からしてサラの予想は正しいでしょう。USAマザーのログを確認すると良いわ。オスカーが教育した刑事だけがターゲットになっているなら尚更 よ。元チームメイトのわたしに手を出そうとする馬鹿は今のところ居ないわ。出てきたらこの手で捕まえてやるのに残念ね。もっとも「光の矢」号のスピードに 追い付けられる船が有ったらだけど。サラ、RSM、これ以上の支援は今のわたしには出来ないわ。あなた達が居る時間に同期させるまで、そちらの時間で2週 間は掛かるの。リリアが限界に近いわ。これで通信は終わりよ』

 突然の割り込み通信にリンダは完全に固まっていたが、α・シリウスはソファーにもたれると額に手を当てて溜息をついた。
「ビクトリア教官もやってくれる。リリアの能力はこれまでチーム外には完全極秘扱だった。教官がここまで強引な方法を選んだという事は……」
「シリ?」
 特化レディ級のリリアが強力なエンパシー能力者だと知ってはいた。通常有り得ない事態に実際に接したリンダが、何とか立ち直って強張る顔をα・シリウスに向ける。α・シリウスも真っ直ぐにリンダを見返した。
「サラの予想はほぼ正しいと考えるべきだろう。ビクトリア教官はマザーから報告を受けて、サラと同じ予想をして急いで連絡を寄こしてきた。5日も前から尾 行されながら、俺とマザーは全くそれに気付けなかった。俺は太陽系最高の守護天使に護られて、奇跡的に生き延びていたって事だ。サラが側に居てくれなかっ たら、とっくに殺されていただろう」
 それまで沈黙していたグランド・マザーが柔らかい口調に戻る。
『USAマザーに残っているΩ・オスカー・クレメントの通信記録を確認しました。リンダ・コンウェル嬢とクイーン・ビクトリア・ロックフィールズの意見を わたくしも支持します。ターゲットになる可能性が1パーセントでも有る刑事全てのコードを書き換えました。α・シリウスについては当初の作戦に従いロスト 扱いにします。事態が収拾するまでUSA支部に帰れなくなりますが、α・シリウス、異議は有りますか?』
「有りません。元々私を囮にしておびき出す計画でしたし、この事件担当主任を降りる気も有りません。敵側が他のメンバー全員の消息をロストして、コンウェル家に保護されている私をおびき出す事にやっきになるなら捜査を進めやすくなります。グラント・マザー、感謝します」
 くすりと笑ってグランド・マザーはα・シリウスに笑顔を向けた。
『上司を上司とも思わないと、Ω・クレメントからよく愚痴を聞いていましたが、TPOに合わせて態度を使い分けられるのですね。あなたのその演技力はこれからの作戦に役に立つでしょう』
 どういう意味だろうという顔をするα・シリウスとリンダにグラント・マザーが1つの提案を出した。
『USAマザーを捜査から外す事は得策では有りません。一旦、わたくし達とのリンクは外し、外部からの不正アクセスが出来ない様プログラムを書き換えま す。USAマザーの戦略作成機能とヒューマノイドシステム、この事件に関する資料をコンウェルに預けましょう。リンダ・コンウェル嬢、コンウェルのコン ピュータにアクセスする許可をください』
 リンダは数瞬考えて、すぐに端末を操作した。
「独立した専用サーバーを1つ用意しました。アクセスコードを送ります。捜査を進める上でUSAマザーの支援はありがたく思います。ただし、わたしはマスター権限を行使しますが、かまいませんか?」
『了承します。USAマザーを掌握するには、レディ級刑事では権限が低過ぎます。マスターとして絶対にキーを手放さない様に。これ以上、情報を敵に知られ る訳にはいきません。この事件が解決するまで、USAマザーが抱えている他の事件は、職員に気付かれない様にわたくし達が支援します。リンダ・コンウェル 嬢、α・シリウス、よく聞きなさい』
「「はい」」
 姿勢を正して同時に返事をする2人に、相変わらず息が合っていると、グランド・マザーは微笑する。
『現状の各支部諜報機関が同時に捜査を進めても、犯人を特定するまで半年以上は掛かるでしょう。情報統制の為に当面の間、太陽系警察機構はあなた達への金 銭面以外の表立った支援はここまでです。α・シリウス、この事件に限りあなたにΩ級レベルの決定権を与えます。あなたの判断で行動なさい。リンダ・コン ウェル嬢、あなたはすでにUSAマザーのマスターなのですからクイーン級の権限は要らないでしょう。たった2人の独立機関ですが、同時に現行の各支部と同 等の権限を持つ事になります。あなた達にはα・マーズとレディ・ライトニング(雷光)の伝説を覆すだけの成果を期待しています』
 用件は終わったと各支部のマザー達が一斉に姿を消した。


 リンダとα・シリウスは緊張の糸が途切れて同時にソファーにもたれ掛かった。
 リンダが重い頭を少しだけ上げてα・シリウスに視線を向ける。
「特化α級を飛び越して一気にΩ級クラスですって。シリ、偉くなったわね」
「長官が倒れて自由に動ける刑事が足りないからだろう。この事件捜査に限り一々報告と許可を取る義務が無くなっただけだ。サラこそ各支部長官クラスの権限 を持っていた事を俺に黙っていたな。マザーのマスターキーが複数の人間だと噂では聞いていたが、まさかサラがその1人だとは思わなかった」
 拗ねた声を出されて、リンダはポリポリとこめかみを掻く。
「マスターキーにΩ、クイーン級の人事権や捜査権は無いわよ。何らかの重大トラブルが発生した時の保険だもの。マスターキーの存在は親兄弟にも秘密が絶対 条件なのよ。知ればその人の身が危ないわ。シリを同席させた事をグランド・マザーは怒っていたでしょう。あれはそういう理由でなの。パパやサムもわたしの 立場を知らないわ」
 リンダはふっと息を付いて、両手の上に顎を乗せると記憶の海に思いを馳せた。
「わたしがグランド・マザーから呼び出されたのはまだ12歳の時だったわ。「奇跡のリンダ」の名前が太陽系中に浸透してきた頃だったかしら。学院図書館の個室端末に、いきなりグランド・マザーが現れて、有無も言わさずにマスターキーを渡されたの。グランド・マザーに直接会ったのはその時だけよ。今回だけは違反行為だけど、マスターキーを使って呼び出させて貰ったの。シリ、ずっと隠し事をしていたわたしを呆れてる?」
「呆れはしない。子供にそんな重責を負わせるグランド・マザーの強引さに驚いただけだ。その当時からサラはグランド・マザーに目を付けられていたんだな。……ちょっと待て。5年前か?」
 α・シリウスがソファーから身体を起こして、寝そべっているリンダを見つめる。
「そうなるわね。……あら?」
 リンダも気付いて身体を起こす。
「俺は20歳で太陽系警察機構に入って1年間で研修を終えた。ビクトリア教官の強い推薦を受けて、Ω・クレメント長官直属で異例の単独捜査官になったのも5年前だ。俺を育て上げられるだけのチームが居ないとマザー達から言われたからだ」
 α・シリウスが腕を組んで渋面になり、リンダも口元に手を当てて親指を噛んだ。
「ひょっとしてわたし達、5年も前からグランド・マザーに目を付けられていたのかしら」
「あまり考えたくは無いが、……そうかもしれない」
 リンダがどういう事だろうと眉をひそめてα・シリウスに問い掛ける。
「何故わたし達なのかしら? グランド・マザーの意図が判らないわ。それに伝説を作ったα・マーズとレディ・ライトニングって誰なの? 過去の記録で見た覚えが無いわ」
「α・マーズはΩ・クレメント長官のスモール級時代のコード名で、レディ・ライトニング(雷光)はビクトリア教官のレディ級刑事時代のあだ名だ。こっちは コード名じゃなくて、教官を見た誰もがそう呼んだからと聞いている。サラが「竜」と呼ばれるのと一緒だ。その当時からよほど……怖くて口に出せないな。ア レだったんだろう。今の太陽系警察機構のシステムは、長官と教官の2人が作り上げたとマザーから聞いている」
 お手上げとリンダが再びソファーに横になった。
「各国首脳と対等に話が出来る長官と、太陽系最高高速船を所有して宇宙を飛び回る唯一のクイーン以上の成果? 無理無理無理。わたしなんか到底足元にも及ばないわ」
「俺も想像しただけで嫌になってきた。化け物レベルを期待されたら迷惑だ」

 2人が大きな溜息をつくとほぼ同時に、モニターにUSAマザーの姿が現れた。
『マスター・リンダ、この様な形で再会するとは思いませんでした』
「再会?」
 α・シリウスが何の事だという顔をすると、リンダは身体を起こしてばつが悪そうにこめかみを掻いた。
「初めてUSA支部に行った時よ。数十秒間マザーの調子が悪かったでしょう。あれはわたしがやったの」
 ああ、とα・シリウスが思い出したと言う。
「あの瞬停か。サラがやったとはどういう意味だ?」
 少しだけ不本意だという顔をしてマザーが答える。
『α・シリウス、マスター・リンダはわたくしの生命与奪権をお持ちです。それがマスター権限です。わたくしの不注意でマスター・リンダの逆鱗に触れてしまいました』
「マザー、あれはわたしの未熟さが招いた結果だわ。あれくらいの事で動揺してマスターキーを使うなんて本来なら有ってはならない事よ」
 リンダが自嘲気味に笑うと、マザーは『いいえ』とはっきり否定した。
『わたくしのヒューマノイドシステムと戦略システムを使いながら、マスター・リンダの心情を思い測れなかったのは、わたくしのミスです。α・シリウス、何がとは聞かない様に。あなたにはその質問をする権限は無いわ』
 日頃からかなり態度が違うのに、ここまであからさまに変えられると、さすがにα・シリウスも機嫌が悪くなる。しかし、マザーは一切関知せずという風だ。これがΩ・クレメントも持つマスター権限の強みかと小さく舌打ちする。
『マスター・リンダ、お願いが有ります』
「何?」
 リンダから真っ直ぐに強い視線を向けられて、マザーは心底から震えた。
 何故、自分がコンウェル邸に居るのかグランド・マザーから全く説明が無かった。外部への連絡も取れない。リンダやα・シリウスの雰囲気からして、この質問には答えて貰えそうも無い。せめてこれだけはと気力を振り絞ってリンダに告げる。
『Ω・クレメントにα・シリウスの無事を知らせてください。3時間前にわたくしはα・シリウスをロストしました。入院静養中とはいえ、Ω・クレメントはこれだけは知りたいはずです』
 マザーのもっともな意見に、リンダは頷いてすぐに端末を操作するとメールを送った。
「CSS経由で『シルベルド・リジョーニは当分社長宅に滞在する』と伝言を頼んだわ。これで良いかしら」
 α・シリウスの名前が出せない故の配慮に『感謝します』とマザーはリンダに礼をとった。
「マザー、外部に連絡が取れず、自力で情報が集められなくて不自由でしょうけど我慢して。情報はコンウェルが集められるだけ渡すわ。用が有る時はわたしの名を呼んで。今は慣れない環境にシステムが混乱し気味でしょう。休んで新しい身体に慣れて」
『承知いたしました』
 頷いてマザーが姿を消すと、先程までの喧噪が納まり、部屋の中はリンダとα・シリウスだけが残された。

 α・シリウスが疲れた顔でソファーに頭を預けると、リンダはにじり寄ってα・シリウスの膝に自分の頭を乗せた。
「おい」
 α・シリウスは足を退けようとしたが、リンダの手はしっかりとα・シリウスのスラックスを握りしめている。
「安心したら一気に力が抜けちゃったの。シリ、お願いだから今夜だけ足を貸して。シリが無事で本当に良かったわ。時間切れ。おやすみなさい」
「サラ。まさかこのままマジ寝する気か?」
 冗談は無いとリンダの身体を揺すろうとして、α・シリウスは手を止めると大きな溜息をついた。
「……遅かったか」
 よほど気持ちを張りつめ続けていたらしく、リンダはスイッチが切れた様に熟睡していて、こうなったらどれだけ大声で呼んでも叩いても起きない事をα・シリウスも知っている。
 惚れた相手から全く男として意識されていない事を嘆くべきか、それとも信頼されている証拠で役得と思うべきか、迷ったα・シリウスは精神衛生の為にも後者を選んだ。
 無防備なリンダの寝顔を間近で見放題と期待していたのに、心身共に疲れが溜まっていたからか、5分も経たない内にα・シリウスも熟睡していた。
 翌朝、元気一杯のリンダに対し、感覚が無くなりしびれた両足を必死でひきずりながら階段を登る羽目になったα・シリウスは、リビングに顔を出すと同時に「このヘタレ」と待ちかまえていたサムに爆笑された。


 朝食前に身支度を調えなさいとマイケルからたしなめられて、α・シリウスは「何処で? どうやって?」と素朴な疑問を投げかけた。
 コンウェル邸に身を寄せる事になると思ってもいなかったので、装備以外は着替えも何も持ってきていない。
「シリには24時間警護が必要だわ。うちに泊まるならわたしの部屋でも良いわよ」
 あくびをしながら自分が護衛をやると手を上げるリンダに、サムとマイケル、α・シリウスからも「「「却下」」」と声が上がった。
「以前使って貰った部屋が良いだろう。リンダの部屋の正面だから両方の警護が楽だ。マイケル、用意は終わっているかな?」
 サムが問い掛けるとマイケルは笑顔で返す。
「シルベルドの身体データは有りますので着替えは用意しておきました。必要だと思われる消耗品や備品も用意させてありますので、すぐに部屋に置きましょ う。彼専用のSIスペシャルも3着有りますが、レベル4のゴーグルも含めて一切の装備使用は控えていただきます。CSS社員が太陽系警察機構でバイトをし ているなどと噂が立てば信用問題になります」
 驚いたα・シリウスが扉近くに控えているマイケルを振り返る。
「ちょっと待ってくれ。装備も武器も無しで敵と一戦交えろというのか? 敵は手強い。1歩外に出たら死ぬぞ」
 リンダがメモリーシートを数枚ポケットから出して、不満を訴えるα・シリウスとマイケルに手渡した。
「それについてはわたしに考えが有るわ。ゴーグルの代わりにシリにはわたしと同じコンタクトレンズを渡して欲しいの。他の装備はCSSの物を支給して。う ちが開発している装備全てを試して貰うわ。シリ、好きな物を選んで。使い慣れるまで時間が掛かるから当分シリは家で待機ね。命が幾つ有っても足りない仕事 だもの。パパ、これくらいは良いでしょう? 出てくるタイミングを逃したからってこっそりカーテンの裏に隠れるのは止めてよ。逆に恥ずかしいわよ」

 リンダが窓際のカーテンに厳しい視線を向けると、諦めの溜息と同時にケインがテラスから部屋に入ってきた。
「徹夜で用意したシークレットサプライを先に言われたら、誰でも出づらくもなるだろう。それに昨夜、CSSの特殊部隊全員が「脱帽した」と報告をした今のリンダが、どれだけの指揮を発揮出来るのかをこの目で見てみたかった」
 α・シリウスに視線を移し、お互いにいかにもくたびれて疲れたという姿をしているのを見て、ケインは苦笑した。
「たしかに着替えは必要らしい。マイケルに怒鳴られるのは私も怖い。それと、安全の為にメアリとアレクをうちに滞在させる事にしたぞ」
「きゃーっ!」
 天敵の名前を聞いてリンダが思わず叫び声を上げる。
「本当にメアリが来るの? マジ? 冗談じゃなくて? ああ、でも事件解決までどれ時間が掛かるか判らないし、サムがここに詰めるなら当然かも。わずか1キロメートルしか離れていなくても、マンションより此処の方がはるかに安全だわ」
 助けを求めてリンダがサムに駆け寄った。
「サム、あくまでメアリとアレクの保護が目的よね。メアリはうちで何もしないわよね。アレクはまだ1歳だわ。そちらで手が一杯でしょう?」
 両手を握りしめて必死に訴えるリンダに、サムがにっこり笑って答えた。
「メアリは引退した身だし、分もわきまえている。「必要が無ければ」そうそうアレを使わないさ」
 「ああーっ」と情け無い声を上げて、リンダが爪を立ててテーブルクロスをガリガリと掻いた。
「メアリが怖いなら、常に礼儀正しく振る舞えば良いだけだろう。リンダには良い復習になる」
 ケインにも言い切られてリンダはがっくりと項垂れ、何の事だか判らないという顔ですっかり無口になっているα・シリウスに、サムがそっと耳打ちをした。
「メアリは僕の妻で、子供の頃からリンダの行儀作法の教師だった。リンダの鞭の腕と反射神経は、メアリが育て上げたと言っても良いかもしれないね」
 軽く笑ってウインクをされて、α・シリウスは至極納得した。
 太陽系5指に入る巨大企業会長の1人娘にしては、日頃のリンダの言動は正直見るに耐えない。
 半分ぐらいは目を瞑って愛情フィルターを掛けようにも、言うより先に手や足が出る性格を身をもって思い知らされ続けている為、「無理」としか言えない。
 そのリンダがあれほど怯えているところを見ると、授業嫌さに逃げ出してはメアリから教育的制裁を受けてきたのだろうとα・シリウスは思った。


 それぞれが身支度を調え朝食後のティータイムになると、ケインがポケットからケースを2つ出した。
「α・シ……ああ、これは使ってはいけないんだったな。シルベルド、君専用のコンタクトレンズと制御ピアスだ。解る範囲で君の目の形状やサイズに合わせたつもりだが、着けて違和感が有ったら言って欲しい。すぐに直させよう」
 薄く透明なレンズと緑色のピアスを渡され、α・シリウスが疑問に思って振り返ると、すぐにリンダは視線を逸らした。何が言いたいのか解ったらしい。
 リンダの耳を飾るエメラルドと、ルビーと、サファイヤ色のピアス。その内、蒼いピアスは自分と常に連絡が取れる様にとケインからペアで渡された物だ。
 エメラルド色のピアスがリンダの特殊な目の操作用だとしたら、残りのルビー色は何の為だ? とどうしても知りたくなる。
「制御をピアスにやらせるという事は、シリのは旧タイプの音声反応式なのね。わたしとの吐息会話に慣れているから丁度良いかもしれないわ」
 コーヒーのお代わりをマイケルに頼みながら、リンダがケインに視線を向ける。
「お前と同じ機能を全て持たせたら、シルベルドはコンタクトレンズに慣れる前にノイローゼになる。これからの戦闘に対処する為に、視覚レベルだけはリンダと同等まで引き上げた。彼が使いこなせればだが」
 「納得」とリンダ。
 リンダのピアスは自分の物とは全く違う機能を持つらしい。コンウェル親子が直接自分にそれを言わないのは、お家の事情という事だろうと、α・シリウスも心の中で「納得」した。
 リンダが持つ驚異的な装備全てを、他人でしかも太陽系警察機構刑事の自分に開発企業側が話すはずが無い。
 本来なら決して社外の者に渡さないだろう装備まで、自分や娘の身を心配して渡してくれるケインに感謝するべきなのだろうとα・シリウスは考えた。

 コンタクトレンズとピアスにDNA登録をして装着すると、α・シリウスはゆっくり目を開いた。
 その直後、ぶれ続ける視界に身体の平衡感覚を失い、椅子から転がり落ちそうになる。
 異変に気付いたリンダがすぐに椅子から立ち上がるとα・シリウスの頭を支えた。
「シリ、コードのノーマルを選んで。通常の視界に戻るわ」
『コード・ノーマル』
 α・シリウスが吐息で囁くと、全く合わなかった焦点が元通りになってリンダと視線が合う。
「さっきのは何だ?」
「初めて装着した時は起動確認用に全ての機能が巡回するのよ。パパ、コードは「ノーマル」「望遠」「透視」「探査」「暗視」で良いんでしょう?」
 リンダが振り返って聞くとケインが頷いた。
「お前の報告にα・シ……シルベルドがコンウェル独特の言葉遊びを嫌うと書いてあった。ごく標準のコード名を付けてある。しかし、お前達はまだ通信用ピアスのコードは変えてないそうだな」
 逆にケインから問われてリンダとα・シリウスは同時に赤面する。
「「マイ・ハニー」と「マイ・ダーリン」、2人して全くこの言葉に縁が無いとはほとほと呆れるね。ケイン、僕達はどこでリンダを育て間違ったんだろうねぇ」
 サムが茶化す様にツッコミを入れると、リンダが更に真っ赤な顔をして「暇が無いだけよ」と反論した。
「シリウス君はプライベートで困って無いのかな?」
 話を振られてα・シリウスは返答に困った。檄ニブのリンダに「マイ・ハニー、サラ」と自然に言える事を喜んでいるなどと、この場で言えるはずが無い。
 リンダの綺麗な声で「マイ・ハニー、シリ」と呼ばれるだけで胸が高鳴り、通信終了合図の「マイ・ダーリン」ですら愛の囁きと空想してしまうくらいだ。
 そんなα・シリウスの心情を見透かす様にサムはにっこり微笑んだ。
「シリウス君、仕事だけが恋人なのは寂しいよ。それとも実は別の趣味が有るのかな?」
 サムのツッコミを聞いて、「はい。はい。はい」とリンダが元気良く手を上げる。
「昨夜、シリはいくら狙撃犯から逃げる為でも、よりによってゲイ専門の高級アンドロイド売りホテルに逃げ込んだのよ。これまで行った事は無いと言い張ってだけど、本当は分からないわ」
「そういうふざけた事を言うのはこの口かーっ!?」
 天敵のケインとサムを前にして、ずっと猫を被っていたα・シリウスは、完全に素を出して隣に座っていたリンダの両頬を掴んで引っ張った。

 ずきずき痛む頬を押さえてリンダが「軽い冗談だったのに」と涙目になって訴える。
 泣きたいのは俺の方だと思いながら、α・シリウスは何度もコンタクトレンズの機能を変え、その度激変する視界と、表示される膨大な文字情報に目眩を覚えていた。
 これがリンダがいつも見ている世界だと思うとぞっとする。たった17歳の少女が一体幾つの時から訓練をして、このコンタクトレンズを自由自在に使いこなしているのだろう。
 リンダの情報収集能力の高さの秘密の1つが、このコンタクトレンズなのだ。早く慣れなければと、α・シリウスは焦る。
「シリウス君、ドクター・ストップだ。これから最低2時間はノーマルモードでいなさい。徐々に慣らさなければ君の神経が参ってしまう。それに重大な話が有る。訓練は後でも出来るから今は止めなさい」
 立ち上がったサムから肩を強く掴まれ、α・シリウスは額を押さえながら顔を上げた。
「話?」
「そうだろう? ケイン」
 リンダも含めた全員の視線を受けて、ケインはテーブルの上に端末を置くとモニター画面を表示させた。
「これが昨夜マイケルが言っていたパパが見付けた「面白い物」?」
 リンダが興味深げにモニターを見つめる。
「リンダ、何だと思う?」
 ケインが先生の様に問うと、リンダはにっこり笑って答えた。
「どこから見ても人工衛星ね。地球との対比から位置は上空250キロメートルくらいかしら。この型は民間用じゃ無いわね。どこの所属かも明示されてないわ。使用期間が切れた撤去予定のデブリじゃ無いなら、太陽系防衛機構が休眠させている監視衛星かしら」
 「さすが」とサムが口笛を吹いて賞賛し、α・シリウスは逆に眉間に皺を寄せた。
「国籍を表示させない軍事衛星などいくらでも有る。何故太陽系防衛機構だと思った? また情報源は「J」か?」
 α・シリウスが不快感を隠そうともせずに言うと、リンダは「当たらずとも遠からずだわ」と答えた。
「太陽系防衛機構の「J」、実名こそ知られていないが裏の世界では有名人だ。アンブレラI号事件以来、やたらとリンダ絡みで名前を聞く。まだリンダに連絡を取り続けていたのか」
 ケインが不快だと言うと、サムは「リンダはもてもてだからねえ」と気楽な声で言いながらにっこり笑う。
「ソースは言えないわ。でもこの事件に関して「J」は口を貝にしているの。沈黙こそ答えだわ。わたし達に絶対知られたくない事態が、太陽系防衛機構内で起こっているのよ。パパ、この衛星の軌道はどうなっているの?」
 リンダから本筋に戻ろうと促されて、ケインはリンダの指揮能力と切り替えの早さににやりと笑う。
「私が調べた限り昨夜はずっとうちの家と本社、USA支部の上をうろうろしていた。あまり鬱陶しいんで市長にちょっと「こんな物を見付けた」と報告したら、1時間も経たない内に太陽系警察機構の全ての支部を網羅する軌道に変えた。ずいぶん判りやすい相手だな」
「待ってください。それは何時頃ですか?」
 α・シリウスが手を上げるとケインは端末を見て、「軌道が激変したのは今日の午前1時頃だ」と答えた。
「サラ、俺達が「あそこ」と通信したのは?」
「だいたい0時過ぎだったと思うわ」
「全員をロストして慌てて探し始めたんだな。無駄な事を」
「そうね」
 リンダとα・シリウスが同時に頷くのを見て、サムがつまらなそうにテーブルに肘を付いた。
「何の話だい? と、聞いちゃいけないんだろうね。リンダ、僕はまだマスターキーを返して貰っていないよ」
 あっ。と気付いてリンダは「ごめんなさい」と、ポケットに入れていたサムの指輪を放り、サムは手に戻ってきた指輪をすぐにはめた。
「パパ。うちのサーバー1つをわたし専用にしたわ。USAマザーとコンタクトを取るのに必要だったの。事後報告でごめんなさい」
 ばつが悪そうなリンダの顔を見て、ケインも仕方がないと頷く。
「コンウェル独自の情報網で、昨日の朝Ω・クレメントが倒れたというのを掴んだ。うちと同じレベル以上の情報網を持つ所はすでに知っているだろう。Ω・ク レメントは太陽系警察機構の要の1人だ。彼の不在は正直痛い。友人が多ければ敵も多いのも道理だ。α・シリウスが派手な方法で襲撃されたのは、弱っている Ω・クレメントを更に精神的面で追い込むのが目的だったんだろう」
「ケイン」
 サムが駄目だと頭を振り、ケインも失言を認めてα・シリウスに頭を下げた。

「どういう事?」
 意味が判らないと言うリンダに、α・シリウスはこれ以上隠していても仕方がないと打ち明けた。
「俺は5歳の時に事故で両親を亡くした。その時赤の他人の俺を引き取って後見人になってくれたのが長官だ。独身だし仕事が多忙だからと、警察系列学校の男子寮に俺を放り込んで、ほとんど放置状態だったが、長官の好意が無ければ今の俺は無かった」
「え?」
 初めて聞かされる事実にリンダの思考が停止する。α・シリウスが孤児だったという事だけでも驚きなのに、今のα・シリウスにとって、何とか家族と呼べるのはΩ・クレメントだけなのだ。
 たまに見せるΩ・クレメントのα・シリウスへの優しい視線を思い出して、どうりでとリンダは口元に手を当てた。
 自分も同じ歳頃に母ジェシカを亡くしているが、父ケインが居てサムや多くの人達がずっと側にいて支えてくれている。
 そうなら長官にとってもシリは実の息子同然と言いたいのを堪えて、リンダはわざと呆れた様な溜息をついて「男ばかりの世界で育ったのね。どうりでデリカシーは全く無いし、私室がゴミ溜めになるはずだわ」とギャグに逃げた。
 両親の死とΩ・クレメントとの関係を語ったα・シリウスの瞳が微かに揺れて、懐かしさと優しさと諦めを映していたからだ。
 普段は鋭い蒼の瞳が、吸い込まれそうなくらいに綺麗に輝き、深い悲しみを伝えてくる。
 α・シリウスがこれまで自分に過去を語った事は無い。しかし、サムと父ケインはすでに知っていて自分には何も言わなかった。きっと2人の事だから、α・シリウス自身から打ち明けられるまでそっと見守ってくれていたのだろうとリンダは思う。
シリはわたしに同情されたく無かったの? 弱みも見せたく無かったの? だからいつも気を張っていたの?
 ふとリンダはα・シリウスが洩らした弱音に近い言葉を思い出した。

『とても温かい。サラが本当に生きている証だ。サラが無事で生きていてくれる。俺はそれが嬉しい』

 自分が重傷を負ったと勘違いした夜、α・シリウスは自分を強く抱きしめてそう言った。
 普段は何も言ってくれないが、本当はとても優しい人だと知っている。
 そして、少しだけ人と深く接する事に臆病な人でも有るのだと、リンダは胸が切なくなった。
絶対にシリを死なせたりしない。長官の為にも、わたしの為にも。もっと生きて、もっと幸せになって欲しい。
 パートナーの立場を越えて、初めてリンダはα・シリウスを大切な存在として守りたいと思った。


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