Rowdy Lady シリーズ 3 『天使の歌声は聞こえない』

3.

 どこまでも脱線する2人の会話に呆れたマザーは、続きは外でやれとリンダとα・シリウスをUSA支部から追い出した。
『マイ・ハニー、シリ。わたしまでマザーから馬鹿認定されちゃったじゃないの』
『マイ・ハニー、サラ。俺の方がサラの馬鹿発言に巻き込まれたんだ』
 リニアシャトルに乗ったリンダとα・シリウスは、しぶしぶ蒼色のペア通信ピアスを通して吐息だけで会話を続けている。
『サラ』
『何?』
『何故ニューヨークに向かうシャトルを選んだ? 家に帰りたいんじゃ無いだろう』
 USA支部を出る前に腫れが引いたと顔に貼られた薬を剥がし、車内に流れるニュースを聴くふりをしているα・シリウスに、どれ程疲れていても思考力は落ちていないとリンダは微笑した。
『シリも反対しなかったわ。わたしの勘が正しければ、ワシントンDC近辺で事件は起こっていないんじゃないの? 長官はそれを再確認する為にわたし達に USA支部周辺を歩かせたんでしょう。学院近くを歩かせたのは、本当にわたしがターゲットになっていないか確認する為ね。シリのプライベート中を狙うな ら、わたしならニューヨークに近いシリのアパートで待ち伏せるわ』
 どう? 自慢げに笑うリンダに、α・シリウスもにやりと笑い返す。
『良い勘だ。だが、正確じゃ無い。あのアパートは架空名義で借りているし、あそこではUSA支部と連絡を一切取らない。借り主が俺だと知っているのはマ ザーと長官、それとサラだけだ。この情報は盗まれていないと確認出来ている。俺がプライベートで狙われるとしたら、中央と西USAで借りているアパートだ ろうが、サラとパートナーになってからは1度も帰っていない』
 リンダは「部屋が腐ってるんじゃないの?」とツッコミたくなったが、あえて無視する事にした。
 α・シリウスにパートナーが居る事は公表されているので、正式ルートを通して許可が出れば簡単に情報を手に入れられる。犯人達はα・シリウスが異例の単独捜査官から移動し、イーストUSAを拠点に活動している事もおそらく知っているだろう。
 それに、と思いながらリンダはピアスに手を当て、まだα・シリウスに知らせるのは早いと判断して、もう1つの可能性を話す事にした。
『アンブレラI号事件で、わたしリンダ・コンウェルと太陽系警察機構のα・シリウスが、事件を通して知り合った事を多くの人が知っているわ。学院のアン達 はシリをわたしの師匠だと思ってくれているけど、わたしが刑事だと知らない敵は、事件解決後も「プライベート」でわたしとシリがコンタクトを取り続けてい ると考えて、そこが狙い目だと思うでしょう。セキュリティが高く、登下校時にシークレットサービスだらけになる学院前や、侵入者を常に監視しているわたし の家の前で待ち伏せする程馬鹿じゃないでしょうけど、「奇跡のリンダ」が単独行動を好むのは誰でも知っている事よ。ワシントン周辺で事件を起こさないつも りなら、やっぱりニューヨーク周辺になると思うの。……敵がわたしの素顔を知っていたらと限定した上での予想だけど』
 度々命を狙われる未成年のリンダの素顔はマスコミや一般には伏せられている。身内以外でリンダの素顔を知っているのは公的機関の上層部か、学院関係者だけだ。α・シリウスもΩ・クレメントに知らされるまでリンダの正体を知らなかった。
 リンダが自分の部屋を訪れてからほんの1、2時間しか経っていない。
 あれだけ激怒して話す内容も散々脱線し続けていたのに、しっかり事件の概要を完全に理解し、その上で理路整然と自分の考えを伝えてくるリンダの聡明さにα・シリウスは舌を巻いた。
 たったこれだけの時間と情報で、俺とマザーが出した分析分析結果と同じ内容を? と思い、α・シリウスは不可視ゴーグルの下で少しだけ眉を寄せた。
『俺に何を隠している?』
 リンダは少しだけ息を飲んでα・シリウスを見上げると、『まだ確信が持てないから内緒』と笑って誤魔化した。
「おい、サラ」
「あ、着いたわ。降りましょう」
 問い質そうとα・シリウスが肩を掴む前に、リンダは素早くシャトルの扉に向かって行った。

 ニューヨークシティ駅に着いて地上に出ると、リンダはα・シリウスの腕を取った。
 これまでリンダから自分に甘える事など1度も無かっただけに、α・シリウスは高鳴る心音が高性能のリンダの耳に入ってしまったら困ると、わざと冷たく突き放す様に腕を引く。
『この手はどういうつもりだ? 非常時に動きづらいだろう』
『お願いよ。照れ隠しの毒舌なら止めて。わたしも恥ずかしいのよ。ねえ、シリ。周りをよく見て。普段みたいにずかすか歩いていたら完全に浮いてしまうわ』
 僅かに頬を染めたリンダから早口で指摘されて、α・シリウスは周囲の違いに気付いた。
 同じ人通りの多い大通りでも、昨日まで歩いていた官庁の多いワシントンDCとも、静かな環境を求めつつ学生向けに造られた学院近くとも、明らかに違う雰囲気が漂っている。
 時刻はまだ午後7時過ぎだというのに、仕事帰りだと思われる親しい友人連れやカップルで通りが埋め尽くされ、飲食店の多い通りだからか、アフターファイブの酒の香りが僅かに漂っていた。
 ひいき目に見ても保護者とその同伴者にしか見えない自分達は、たしかに周囲から浮いている。
『なるほど。サラにほんの少しでも女の色気が有れば、それほど違和感は無かったな。おい、痛いぞ』
 腕を組んでいるふりをしながら思いっきりつねられて、α・シリウスが嫌そうな声を上げる。
『わざと老けて見せているくせにわたしだけのせいにしないで。前髪を下ろして素顔を隠すゴーグルを取ってみなさいよ。26歳のシリもわたしと同じ大学生で充分通るから、此処では子供扱いされるわよ』
 見事に責任転嫁したなと思ったが、子供らしく拗ねてぶすっと頬を膨らますリンダを見て、α・シリウスは吹き出すのを必死で堪えて微笑した。
「では、お嬢様。どちらをお望みですか? お好きな場所にお連れしましょう」
「わたしはこの辺りに不案内です。先生お薦めの店に連れて行ってください」
 α・シリウスがシルベルド・リジョーニの顔を纏うと、リンダも即座に応じて上流階級の娘の顔になった。
『上手く化けたな』
『お互い様でしょ。たしかにこれがわたし達にとって1番違和感の無い設定だわ。パパに感謝しなくちゃね』
『同感だ』
 リンダとα・シリウスは笑いながら雑踏の中に紛れ込んで行った。

『これからどうする気だ?』
『シリの好きな所に連れて行ってと言ったでしょ』
『ちょっと待て。さっきの台詞は芝居じゃ無かったのか』
 α・シリウスの足が止まりそうになるのを、リンダが肩でぐいぐいと押し続ける。
『本当に知らないわ。ずっと学校と会社と家を往復する毎日だったのよ。この辺りは昼食会やパーティディナーが行われるホテルや会場は知っているけど、夜が賑やかな繁華街通りの情報なんて全く持っていないわ。シリならこういう場所にも詳しいと思って頼りきってたのよ』
 当然だという顔をするリンダに、凶暴な本性はともかく、本当に生粋のお嬢様なのだとα・シリウスは改めて思い知らされる。
 年齢差はもとより身分の差まで感じて、少しだけリンダを遠くに感じたが、生まれ育ちの違いは仕方無いと思い直す。
「父君に私が怒られますから、お酒を飲む場所には連れていけませんよ」
「そうなんですか。父やドクターは厳しいので、先生なら連れて行ってくださるとこっそり期待していました。とても残念です」
「困った子だ。ああ、口調がトレーニング用に戻ってしまった。君から先生と呼ばれるとついうっかり立場を忘れそうになる」
 やんわりと口調を砕けさせるα・シリウスに、リンダが食って掛かる。
『ちょっと、シリ。1人だけ抜け駆けするなんてずるいわ』
『芝居がばれる。サラはお嬢様を続けてろ』
 軽くウインクをしてα・シリウスはリンダの肩に手を回した。
「では、リンダ嬢。今日は社会勉強にしよう。とは言え、未成年者を酒場に連れてはいけない。美味しいレストランを紹介するから、食前酒のワイン1杯で我慢しなさい」
「……はい。マスター(先生)」
『ケチ。少しくらい羽目を外しても良いじゃない』
 表面上はしおらしいふりをしてリンダが文句を言うと、α・シリウスが呆れて叱咤する。
『飲酒慣れしていない未成年が仕事中に寝言を言うな』
『……そうね。厳しい状況だもの。仕事に集中しなくちゃ。変な事を言ってごめんなさい』
 リンダの手が微かに震えるのを感じて、α・シリウスはここ数日リンダの言動がおかしいのに気付いた。
無理をして笑っているのか? 宿舎での悪趣味な冗談もこの一環なのか?
 自分に隠し事をしている事はリンダ自身も認めている。しかし、これは違うとα・シリウスは思った。
『サラ、何が有った?』
『何も無いわ。ただ、どうしてもクリスマスツリーを見ると……いいえ。本当に何でもないの。シリのお勧めがどんな店か楽しみにしているわ。普段はUSA支部の食堂や、手軽なファーストフード店が多いでしょう』
 リンダの作り笑顔を見て、α・シリウスは自分の思慮不足が本気で嫌になった。
 記憶は無くてもリンダがクリスマスイルミネーションを見て平気でいられるはずが無い。元気な顔をしていても、内心は苛立ちや悲しみの入り交じった状態で、ギリギリ冷静さを保っているんだろうと。
 α・シリウスが手を上げてタクシーを停めると、リンダと一緒に乗り込んで店の名前を運転手に告げた。
「先生?」
「2ブロック先に社会勉強に相応しい店が有る。この通りを歩いて行くのは君にはまだ早い」
 いかにも教育的指導という態度を取られて、リンダがプライドが傷付けられたと更に頬を膨らます。
『シリ、あまりわたしを子供扱いをしないで。それなりに目立たないと囮捜査にならないわ』
『アンドロイド売り専門のホテル街の前を通りたかったのか? サラが無意識で選んだコースはそういう方向だった。カップルならまず行かない。いくら社会勉強でもサラには早過ぎだ。ばれたら俺がケイン氏に殺される』
 真っ赤になったリンダの顔を見て、α・シリウスは耐えきれなくなってタクシーの中で爆笑した。


 柔らかい照明で落ち着いた雰囲気のイタリアンレストランでリンダとα・シリウスは夕食を摂った。
 デザートとコーヒーを前にα・シリウスが無口になったリンダに問い掛ける。
「結局、ワインは飲まなかったね」
 チョコレートケーキをフォークでつつきながらリンダがにっこり笑い返す。
「初めての場所に緊張して余裕が無かったんです。でも料理はとても美味しかったです。また連れてきていただけますか?」
「父君の許可が下りればそうしよう。此処も君の歳では1人で入れない店だ」
「ありがとうございます」
 リンダはコーヒーカップを手に取ると、ゆっくり瞬きをしながら吐息だけで呟いた。
『シリ、店に入ってから2時間よ。ここは地元警察が強くてUSA支部の手の届きにくい地区。あなたの行動が完全にマークされているのなら狙い時だわ』
 α・シリウスもカップを手にして、ゆっくりとコーヒーの香りを嗅ぐ。
『分かっている。俺の身に何かが有ったらどんな手段を使っても良い。サラは絶対に逃げきれ』
『また殴られたいの?』
 リンダのきつい視線を受けて、α・シリウスは小さく頭を振った。
『それは遠慮する。炎症こそ気絶している間に治まったみたいだが、まだ顎がガクガクいっているぞ』
『自業自得よ。2度と言わないでと言ったでしょ。何が有ってもシリを守るわ。でなければ囮捜査に同意しなかったわ』
 厳しい現実がさせる覚悟の問題だと言っただろうと言い掛けて、ふっと息を付いたα・シリウスはテーブルの自動会計を操作させると立ち上がった。
 最後の晩餐だから懐かしい料理で贅沢をしたなどと本音を言おうものなら、リンダが演技を忘れて暴れだすのが目に見えていた。
「そろそろ行こう」
「はい、先生」
 リンダもあえてツッコミを入れずに素直に頷いた。


 レストランを出る時に普段のα・シリウスからは考えられない程優しくエスコートされ、はにかむ様な笑顔を見せながらリンダは内心で舌打ちをした。
今日は早いわ。店に入るまで尾行は一切無かったのに、どうやってシリの居場所を突き止めているの?
 ピアスが鳴らす微弱な警告を聞いて、リンダは吐息だけでスーツに指示を出して全方位に捜索範囲を広げる。
300メートル内、200メートル内、150メートル内、100メートル内、駅に向かう道沿いで4人も待ち伏せているわ。
 一気に強まる警告音に、リンダは真っ直ぐに視線を犯人に向ける。
50メートル以内!? わたしの視線に気付いたのに攻撃信号が消えない。今夜こそやる気だわ。
「シリ。伏せてっ!」
 リンダはブーツの踵を3回鳴らし、『大いなる一歩(対6Gモード)』と囁いて、α・シリウスをクリスマスオブジェの陰に蹴り倒す。
 ジャケットのポケットから赤く小さな球体を2つ取りだして、素早く大きなモーションで振りかぶった。
「オールト雲(冥王星軌道外側に有る彗星の集合体)の外まで飛んで行けーーーーーーーーーーっ!!」
 全身のバネを使ってリンダが投げた2つの球体は、通りの向かい側のビル屋上まで届いた。
 リンダの高性能のピアスには破壊音と叫び声が聞こえ、コンタクトレンズにはライフルの照準レンズを破壊され、顔にも真っ赤な粉がこびり付き、痛みで仰け反る男の姿が映る。
「よしっ!」
「サラぁ!?」
 にやりと笑ってガッツポーズをとるリンダを、いきなり6Gキックで地面に転がされたα・シリウスが怒鳴りながら飛び起きる。
 リンダは「逃げるわよ!」と短く叫んで、α・シリウスの手を握って待ち伏せの逆方向に走り出した。

 自分が狙われたのだと気付いたα・シリウスが、ポケットから銃を取りだそうとするのをリンダが厳しい声で制止した。
「こんな場所で銃撃戦をやる気なの? 無関係な被害者が出るし、そんな暇は無いわ。シリ、1メートル以上わたしから離れないで。敵の攻撃をわたしのシールドでも防御しきれない」
 チッっと舌打ちをしてα・シリウスもリンダと並んで走る。
「レストランから斜向かいのビルだったな。あそこで店から俺達が出てくるのを待っていたのか」
「ええ」
 短く答えてリンダは走りながら銀色の髪飾りにキーワードを打ち込んでいく。
「サラ、こっちだ」
 地理に疎いリンダの手を逆に強く引いて、α・シリウスが細い路地に入り込む。
「シリ、駅に向かう最短で十字路以上の道を選んで。敵はまだ居るわ。400メートル以内に6人。移動し続けているわ。囲まれたら終わりよ」
 冷静に状況を説明するリンダを、α・シリウスが横目で睨み付ける。
「俺が前から狙われていたのを知っていたな」
「5日も前からね。昨日までは狙撃手は1人だったし、わたしが気付いたらすぐに引いていたの。今日は本気でシリを殺す気よ」
「サラもだ。こちらから先に攻撃した以上、顔を見られているからターゲットとして完全にロックオンされた。何故もっと早く俺に言わなかった?」
「わたしは承知の上よ。それに少しだけどジャミングもセットしておいたわ。パートナーは運命共同体でしょう。シリ1人だけが逝くなんて許さないし、シリを傷付けるヤツはわたしが許さない」
「この馬鹿娘!」
「馬鹿とわたしの方が言いたいわよ。シリが隠していたから、敵の目的が今日まで判らなかったわ。止まって」
 人1人が漸く歩ける道に入った所でリンダが足を止めた。
「サラ?」
 α・シリウスがこんな逃げ場が無い場所でと振り返る。
「黙ってて」
 リンダが目を大きく開き、スーツと髪飾りの全能力を使って探査網を展開させる。
「まさか!?」
 糸口を見付けてリンダが小さく叫んで顔を上げる。
「シリ、今すぐゴーグルの機能を電源ごと全部オフにして」
「この状況ではとても無理だ。目視だけでは到底全員を捉えて倒す事が出来ない」
 冗談では無いと呻るα・シリウスの胸に、リンダが必死の形相でしがみつく。
「全員を倒すことなんてとても無理よ。今はわたし達が生き残るのが大事でしょう。わたしがシリの目と耳になるわ。わたしを信じて。お願いよ」
 リンダの真剣な目を見たα・シリウスは、頷いてゴーグルの電源を落とすと胸ポケットに入れた。
「頼んだぞ」
「ありがとう。任せて。シリ、全速で走って。時間が無いの」
「分かった」
 再びリンダの手を握ると、α・シリウスはなるべく暗い道を選んで駅に向かって走り出した。

 リンダは走りながら髪飾りを変形させると小声で話し始めた。当然ペア通信ピアスを着けているα・シリウスにも聞こえている。
『シリ、お願いだからしばらくの間黙っていて』
「リンダよりCSSへ。Sランク緊急支援要請よ。現在位置はニューヨークシティ駅から北東600メートル付近。被警護者は太陽系警察機構USA支部α級刑 事シリウス。敵レベルS。暗殺のプロ達よ。駅周辺に6人、全武装は不明。武装集団の総数も不明。駅まではわたし達だけで逃げ切るわ。リニアシャトルでコン ウェル家に向かうから、10分以内に最寄りの駅周辺から家までの道を全て押さえてちょうだい。コンウェル家にも知らせて。逃げ込むわ」
 リンダの声を聞いたオペレーターが素早く応対する。
『要請を受け付けました。コンウェル家にも同時連絡済みです。お嬢様、ご武運を祈ります』
 通信を聞いたα・シリウスが何かを言い掛けて振り返ろうとしたが、リンダは「シリ「まで」急いでる時に足を止めないでよ。口よりもっと早く足動かして走って!」と、α・シリウスには意味不明の事を言って、背中に体当たりを喰らわした。


「シリ、左200メートルに攻撃信号。駅東口で待ち伏せしているわ。別の道を選んで」
「了解。サラ、こっちだ」
 リンダのスーツとコンタクトレンズが正確に敵の位置を捉え、α・シリウスが即座にコースを変えて駅へと走り続けている。
「南口も押さえられてるわ。2人よ。西口にも1人向かっているわ」
「どのコースを通っても駅に向かう気だと知られたな。奴らは全員表通りか?」
「ええ。あなた1人だけを確実に狙うならわたしもそうするわ。絶好の機会に失敗したのよ。裏道も人が多いわ。入り組んだ場所では狙撃しにくいでしょう。どの入り口も待ち伏せされていると考えるべきね。引き返して別の駅まで走った方が安全だわ」
 α・シリウスは走る速度を緩めてリンダの腰に手を当てた。
「データどおりか。サラ、コースを変える。しっかり敵の居場所を捉えつつ周囲は見るなよ」
「どういう意味?」
「いや……。まあ良い。行けば解る」
 α・シリウスは自分が着ていたコートの前を開いて、半ば覆い被さる様にリンダの頭に被せる。強くリンダを抱き寄せて100メートル程歩くと1軒の店に入った。

 リンダ達が店に入るとフロントに居た店員が慌てて走り寄ってきた。
「お客様、当店ではお持ち込みは一切お断りさせていただいております。それにそれは女性型ではないですか。困ります。お帰りください」
『はいーっ?』
『黙ってろ』
 身動き出来ない様にリンダの頭をしっかり押さえて、α・シリウスは胸ポケットからバンク名義の数枚のクレジットシートを出した。
「通常レートの5倍を払う。「下」を使わせて貰いたい。通るだけだ。他の客に一切迷惑は掛けない」
 シートに表示された金額を見た店員はにっこり笑い、「そういう事でしたらどうぞこちらへ」と、α・シリウス達を店の奥に通して壁の中に誘導した。
 薄暗く狭い階段を店員の後を付いてリンダ達は降りていく。
 リンダはアンテナを通して現在位置のポイントは解るが、身体の半分はα・シリウスのコートで隠された状態で、何がどうなっているのか判らずに困惑しながら足を進める。

 店員がドアを開けるとそこは地下配線配管通路だった。
「お客様。道はご存じですね。お気をつけてお帰りください。次回からはどうかお1人でおこしください。心からお待ちしております」
「ありがとう」
 丁寧に頭を下げる店員に短く答えて、α・シリウスはリンダと一緒に通路へと出て行った。
「サラ、走るぞ」
 視界を塞がれていたコートを除けられ、手を引かれたリンダは走りながら数回頭を振ると、現在位置を再び確認した。
「駅南西300メートル? 完全に駅を通り越しているわ。どういうコースよ。シリ、さっきの店は何だったの?」
 訳が判らないという顔をするリンダに、α・シリウスは苦笑しながら答える。
「奴らの正体は判らないが、ここを待ち伏せする可能性は低い。ニューヨークの裏社会全部を敵に回す勇気が有れば別だが」
「はあ?」
 リンダが更に判らないという声を上げると、α・シリウスは「説明は後だ」と言って、1つの扉を開けてリンダを押し込んで階段を登り始めた。

 再びα・シリウスが扉を開けると、そこはニューヨークシティ中央駅の電力室だった。
「ほえ?」
 リアルタイムで位置情報を得ているリンダが立ち止まって間の抜けた声を上げると、頭を軽く叩いてα・シリウスがリンダの肩を抱きながら押す。
「このドアが通路から開けられると自動的に監視カメラが2分間だけ止められる。警備システムが動き出す前に一般通路に出るぞ」
 キャットウォークを小走りで通り広い通路に出て、α・シリウスが頑丈な扉を開けるとそこはもう駅構内だった。
「サラはパスを持っているな?」
「ええ」
 リンダが頷くとα・シリウスも胸ポケットを押さえた。
「俺もフリーパスを持っている。入口ゲートを通らなくても堂々とシャトルに乗れて、正規ゲートから出られる便利なシロモノだ。これまでの手口の特徴やサラの話から、敵は機動力は有るが頭の固い奴らだと判断した。あの通路まで押さえられていたら2人共死んでいたな」
 リンダの家に1番近い駅に向かうシャトルのホームに進みながら、α・シリウスがさすがに疲れたと軽く肩を回した。


 リニアシャトルの中でリンダとα・シリウスは吐息だけで会話を続けていた。
『ホームにもシャトルにも攻撃信号は無いわ。シリが言うとおり完全に裏をかけたわね』
『そうなら良い。サラ、あの暗がりの中で俺のゴーグルをオフにさせた理由を知りたい。いくら俺が特化候補でも、あの人混みの中を何の支援も無しで、民間人に一切被害を出さずに敵だけを撃つなんて芸当は出来なかったぞ』
『まだ確証は持てないから何も言えないわ。家に無事に帰り着いて、もう1度調べたら全てシリにも話すと約束するわ。それよりもあの店と通路は何なの? わたしを見て女性型ってどういう事?』
 不本意だという顔をされて、α・シリウスは小さく溜息をつくと目を瞑った。
『サラには一生縁の無い店だ。行きはタクシーで遠回りして避けた通り沿いに有る。俺なんかが会いたいと言っても門前払いにされる表社会で、ご立派なご身分 の奴らが愛用するゲイ専用高級アンドロイド売春ホテルだ。店員はサラと俺を見て、サラの方をアンドロイドだと勘違いしたんだろう』
 リンダは絶句して大きく目を見開くと、数回口をパクパクさせて漸く吐息だけで呟いた。
『シ……シリってそういう趣味も有るの?』
 人の趣味にあれこれ言う気は無いけどと、わずかに後ずさろうとするリンダの肩を、α・シリウスが慌てて掴まえる。
『ちょっと待て。とんでも無い誤解だ。俺があの店に入ったのは初めてだ。あの手の店は客層から専用の裏通路が有る。サラと組む前にしていた仕事柄、この手の情報には事欠かないだけだ。俺が普段使っていたのはもっと安くてごく普通の店だ。あっ』
 口が滑ったとα・シリウスは慌てて口を押さえたが後の祭りで、リンダはα・シリウスにとって都合の悪い事は何も聞いていないという顔をして視線を外した。
『サラ、さっきのは……』
『シリとわたしが今も行動を共にしている事は向こうも予想済みよね。命を狙われて待ち伏せの可能性が高いUSA支部に戻るとも思わないでしょう。どうして も今夜シリを殺す気なら、コンウェル家の有る街の衛星の警戒範囲外で待ち伏せしている可能性が高いわ。CSSに応援を頼んだけど、駅に着いたら全速で家ま で走るわよ。敵は……』
 リンダは無駄話をしている暇は無いと表情を引き締めて、真っ直ぐにα・シリウスを見上げた。
『敵も衛星を使う可能性が高いわ。レベルはまだ不明。わたしとCSSとでジャミングを掛け続けているけど、駅を出た瞬間に2、300キロメートル上空から攻撃されない保証は出来無いの』
 想像もしていなかった更に厳しい現実に、α・シリウスの顔が強張る。
『もっとも、派手な攻撃衛星を使う程度の馬鹿なら、コンウェルの情報網は背後で実行犯を操っている奴を洗い出せるわ。シリ、さっきは待ち伏せの可能性を話 したけど誤解しないで。攻撃はさっきのだけで、家に帰り着くまで何事も無い方が敵は手強いのよ。こちらが警戒しているのに、わざわざ狙撃してくるお馬鹿さ んなのを祈りましょう。駅から街の警戒範囲までわずか3ブロック。地上の5、6人までならわたしとうちの社員が絶対にシリを守ってみせるわ』
 シャトルのドアが開くと同時に、リンダは「行きましょう」と駆け出した。


 α・シリウスの行方を完全にロストし、衛星を通して手駒達の度重なる失態を見ていた男は、小さく舌打ちをして衛星を別軌道に動かした。
 それだけは無いと思いたい。しかし、こうなると逆に可能性は高くなっている。精鋭部隊の攻撃を何度も未然に退けてきた今のα・シリウスが逃げ込める場所 は2つしか無い。1つは危険を犯してもUSA支部に戻る事。もう1つは同行していた女と一緒に逃げる事。α・シリウスが後者を選んだ場合、女の正体が鍵に なる。
 入手した情報ではここ数ヶ月の間、度々どころかほぼ毎日α・シリウスはあの地区に足を運んでいるらしい。「アンブレラI号事件」をα・シリウスと共に解決した「奇跡の」と呼ばれる少女もそこに住んでいる。
 あの少女は父親共々敵に回したら恐ろしい相手だ。どうか違う相手で有ってくれと、男は手にかいた汗を乱暴に拭うと衛星画面に視線を集中した。
 移動した衛星が送って来る画面を見つめていた男は、使用している衛星の、更に高度位置からのジャミングという恐ろしい現実に直面して思わず声を上げる。
全てばれている? 一刻も早く手を打たなければ。しかし、今監視も外せない。これ以上失敗する訳にもいかない。
 手駒達が始めに失敗しなければ、此処まで手の込んだ事をせずに済んだのにと歯ぎしりをする。
 男はいくつもの公式メール文書を作成すると、いつでも送信出来る様に準備をし、不鮮明なモニターから目を離せないまま、手駒達を口汚く罵倒した。


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