Rowdy Lady シリーズ 3 『天使の歌声は聞こえない』

2.

 リンダが一般市民に混じってUSA支部の公共ゲートを通ると、マザーから直に通信が入った。
『お待ちしていました。レディ・サラ。地図を送りますので、矢印に従って進んでください』
「こんにちは。マザー、ありがとう。長官室でも本部ビルでも無いのね。初めて見る場所だわ」
 コンタクトレンズに投写された画像を見て、リンダが僅かに首を傾げる。
『α・シリウスが待機しています。詳しい話はそこでしましょう』
「分かったわ」
 マザーの誘導されて、リンダは初めて通る地下通路を迷い無く進んで行く。
 アンテナを兼ねた髪飾りが常に現在位置を表示し、15分以上歩いてもまだUSA支部敷地内だとリンダに教えていた。
 1つの扉が視界内で点滅し、目的場所を知ったリンダは「シリ」とパートナーの名を呼びながら部屋に入っていった。

「うわっ!? サラ。いきなり俺の部屋に入って来るな!」
「はい?」
 突然、α・シリウスから怒鳴られたリンダは何事かと足を止め、部屋を見渡すと脱力してその場にへたり込んだ。
 USA支部の何処だろうと思っていたら、どうやら此処はα・シリウスが借りている宿舎らしく、様々な資料や装備系の小物、汚れた衣服や食器が部屋中に散乱し、辛うじてベッドだと判る場所も服やメモリーシートで埋もれていた。
 リンダが直接此処に来ると知らされていなかったα・シリウスは下着すれすれの姿で、慌てて家事ロボットと共に部屋中を走り回っている。
 1度だけ行った無機質で私物がほとんど無いアパートとの激しいギャップに、リンダはこっちがα・シリウスの本性だと確信した。
 仕事第1主義のα・シリウスにとって、宿舎の部屋など着替え置き場と寝る場所以上の意味は無いのだろう。
 仕事上仕方が無いとはいえ、2度もα・シリウスの無精で不衛生で情け無いプライベートの実態を見たリンダは頭を抱えた。
 α・シリウスがSIスペシャルの防護服をベッドの上から掘り出してリンダに「着ろ」と差し出す。状況から嫌な予感がしたリンダはα・シリウスに不審の目を向けた。
「これってちゃんと洗濯済みなの?」
「そのはずだが、俺が昨日まで着ていた服の下に有ったから……」
 そこまで聞いたリンダは、渡された服をα・シリウスに投げ返す。
「シリ、背を向けているから早く着替えて。それが終わったらその服も含めて、部屋中に散乱した洗濯物は全てクリーニングに出して頂戴。今まで何も知らずにシリに渡された服を着ていたのかと思ったら背筋が寒くなったわ」
「そうか? これはよほどの事が無いと汚れないし、機能は変わらないぞ」
「そういう問題じゃないーっ!」

 爆笑しながら壁を叩くマザーの立体映像が部屋に現れると、α・シリウスとリンダは同時に怒号を上げた。
「マザー、サラを俺のプライベートルームに入れるなら先に言え!」
「だまし討ちでゴミ溜めに呼び出すなんて酷いじゃないの! マザー、せめて先に教えてよ。知っていたら覚悟が出来たのに」
 「ゴミ溜め?」とα・シリウスが不快げに言い、「ここを見て他に何と言えば良いのよ?」とリンダが反論する。
『α・シリウス。人に見られて恥ずかしいなら、日頃から不在時間に家事ロボットに掃除させれば良いのよ。それを面倒だと掃除をさぼっていたのはあなた自身 だわ。わたくしが何度言っても直らないので、良い機会だからレディ・サラにあなたの実態を知って貰う事にしました。レディ・サラ、女性をお招きするにはゴ ミ箱同然の場所で本当に申し訳有りません』
「ゴミと言うな。食器以外は全て仕事に必要な物ばかりだ。一見散らかっているが、俺には何が何処に有るか分かっているから困らない。自動ロボットに任せたら何処に片付けられるか判らないじゃないか」
 α・シリウスの抗議を無視して、優雅な動作でマザーが悪い事をしたとリンダに頭を下げた。
「マザー、うちのズボラ男2人の予備軍が此処にも居ると早くに知れて良かったわ。わたしの防護服も預けてあるのに、2度と部屋をこんな状態にはしないでしょう? シリ、お願いだから早く着替えてよ。いくらパートナーでも目のやり場に困るじゃない」
 壁を見つめていたリンダから再び怒られ、α・シリウスは拾い集めた服を全てランドリーに放り込むと肩を竦める。
「部屋については今後は出来るだけ善処する。どれが洗濯済みなのか判らなくなった。探すから少し待ってくれ」
 1人暮らしの男部屋の実態はこんなものだと、5歳の時から男子寮で育ったα・シリウスは信じている。
 とはいえ、お嬢様育ちのリンダにだけは知られたく無いと思っていただけに、厳しい教育的制裁を受け、α・シリウスは心の中でマザーを罵倒し続けた。

 機嫌が悪そうに両腕を組み、家事ロボットの動きを目で追っているリンダを見て、α・シリウスは小さな溜息をついた。
 α・シリウスは漸く気付いた自分の本当の気持ちを、自分より先に察していた友人の山崎大以外には打ち明けていない。
 リンダとパートナーになってすぐに自分の思慮不足の言動から振られたも同然の事を言われ、今更どうして「愛している」などと言えるだろう。
 たんぽぽの綿毛を思わせるオレンジがかったイエローヘア、明るいエメラルドグリーンの瞳は常に強い意志で輝き、化粧の必要の無いきめ細やかで綺麗な肌に映えている。
 鍛えられた細身の身体は抱きしめると想像よりずっと柔らかく、まだ幼さが残るとはいえ、黙ってじっとしていれば充分美人の範疇に入る。
 しかし、淡くピンクに色づいた唇は、耳に心地良い綺麗な声で「どこが上流階級のお嬢様だ」とツッコミたくなる罵詈雑言を発し、形の良い足は遠慮無く自分に蹴りを入れてくる。
 何で9歳も年下のこんなじゃじゃ馬に惚れたんだ? と、α・シリウスはこの1ヶ月間、自問自答を続けてきた。
 以前マザー達から「一目でリンダを信頼した」と指摘されたが、それは違うと自分は思う。
 始めはリンダの常に努力を怠らない姿勢に好感を覚えた。自分自身よりも誰かを護る為に火竜と化して戦う姿は見ている方が胸が苦しくなるほど美しい。
 日頃は短気で怒りっぽい性格なのに、馬鹿な言動を繰り返す自分を見捨ずに、全てを受け入れてくれる深い優しさも持っている。
 出会って以来ずっとそんなリンダと接してきたからだろうという事くらいしか、α・シリウスは思いつけなかった。
 時としてリンダの優しさは弱さとなり、どれ程自分が傷付いて泣いても、決して前に進む事を諦めない。
 この手でリンダを守りたいと思うのは自然な流れかもしれないと、今ではα・シリウスも自分を納得させている。
 たとえ、いざ戦闘となると実際に守られているのは自分の方でも、先陣を切って戦うリンダを背後から支えるのが、今の自分の役割だと思えるほどになった。
 いずれは心身共に守れるだけの強さを自分が身に着ければ良いと、リンダとの訓練はいつも真剣に取り組んでいる。
 α・シリウスは洗面所で身支度を調えると黒髪を後ろに流し、蒼い瞳を不可視ゴーグルで覆って、綺麗に片づいた部屋で待っているリンダとマザーに向き直った。


 マザーからΩ・クレメントが過労で倒れたと聞いて、ソファーに腰掛けていたリンダは持っていたコーヒーカップを落とし掛けた。
 この大変な時にどうして? という思いと、もしかしたら自分がここ数日、ずっと感じている危機感と原因は同じなのかもしれないという不安が交差する。
『公にはしていませんが、現在USA支部は非常厳戒令下に有ります。レディ・サラ、それはあなたにも言えます。Ω・クレメントからの命令書です』
 マザーから小さなメモリー・シートを渡され、それを読んだリンダは目を吊り上げてベッドに腰掛けているα・シリウスに視線を向ける。
「「シリと一緒に何が有っても生きろ」ってどういう意味? 何がUSA支部で起こっているの?」
 無言でマザーに黙っていろとプレッシャーを掛けてから、α・シリウスはリンダの顔を真っ直ぐに見返した。
「ここ数週間で太陽系警察機構の刑事が判っているだけでも28人殺されている。状況は様々だが、手口からまず間違いなく暗殺だ。被害者全員が1度はUSA 支部に所属し、長官から直に訓練や教育を受けた者ばかりだ。長年長官直属の部下の俺はターゲットになっている可能性が高い。今のところ存在そのものが極秘 扱いになっているサラが狙われるとは思えないが、俺のパートナーという事でサラがとばっちりを食う可能性が有る。長官はそれを警告しているんだ」
 やはりとリンダの表情は益々厳しくなっていく。
「28人もなんて大事件じゃないの。どうして今までわたしに黙っていたの?」
『Ω・クレメントがわたくしとα・シリウスに、最終段階まで決してレディ・サラには言わない様にと命じていました。どれほど警戒を強め護衛を付けても、刑 事達の命は失われ続けているのです。事件を知れば正義感の強いあなたはどんな手段を使っても、事件解決に動こうとするでしょう。目立つあなたが動けば、犯 人側からターゲットにされる怖れが有りました。それだけは避けたいと言い続けていたΩ・クレメントも、ぎりぎりのところであなたを招集する許可を出したの です』
 冷静な口調でマザーから「自分1人では半人前でしかない」同然の事を言われ、リンダの頬が怒りで紅潮する。
「だったら、長官からシリには何て命令が出ているのよ?」
「俺にも「どんな手段を使っても生きろ」だ。俺は今単独でUSA支部外に出る事を禁止されている。だから今日はサラを迎えに行けなかった。悪かった」
「そんな事は非常事態なんだから良いわよ!」
 自分の命が危ないのに投げやりに言うα・シリウスに、リンダが大声を上げる。

 どうして? とリンダは憤る。
 グランド・マザーからα・シリウスのパートナーに選ばれ、Ω・クレメントからも実力を認められて、資格を持たなくても自分はレディ級刑事になった。
 それなのに大切な同僚達の多くが危険に晒され、すでに多くの人命が失われてる非常事態に、ずっと蚊帳の外に放り出されていたとは。
 いくら長官命令でも信頼しているα・シリウスまで自分を半人前扱いにして、何も言ってくれなかった事が悲しくて悔しかった。
 リンダは怒りのあまりカップを握りしめて割り、冷めたコーヒーとカップの欠片が床に散乱するのをスローモーションの様に見ていた。
「サラ、馬鹿力をこんな形で発揮するな。手を見せろ!」
 驚いたα・シリウスがリンダの右手を開かせようと手を握りしめる。
「触らないで。こんな事で切れるほどやわな手をしていないわよ」
「ガラスカップだぞ。さっさと手を開け。この馬鹿!」
「馬鹿で悪かったわね。手を離して。パートナーは常に運命共同体と言ったくせに。嘘つきのシリなんか大嫌いよ!」
 以前、好きじゃないとは言われていたが、大嫌いとまで言われ、思わずα・シリウスの手が緩む。
 リンダは空いた左手でα・シリウスの頬を打つと、右手に残っていた欠片を床に投げ出して玄関に足を向けた。
 帰ってしまう気だと気付いたα・シリウスが、必死でリンダの肩を背後から抱きしめる。
「待ってくれ」
「うるさい!」
 20センチは違う身長や体重差をものともせず、リンダはα・シリウスを引きずったまま玄関に歩いて行く。
「サラ、頼む。俺が悪かったから今は怒りを静めてくれ。サラが居てくれないと捜査を進められない」
 α・シリウスの必死の訴えを聞いてリンダが足を止める。
「どういう意味? わたしは正式な資格が無いから、捜査から外されていたんでしょう」
 家事ロボットに床を掃除させたマザーが、やれやれという顔をして軽く首を横に振った。
『レディ・サラ、たしかに規定やあなたの年齢は枷になっています。ですが、何よりあなたの気質ゆえにΩ・クレメントは許可を出さなかったのです。現在、こ の事件の最高責任者はわたくしとグランド・マザーです。ターゲット候補のα・シリウスから無謀ですが強い申請を受け、パートナーのレディ・サラと常に行動 を共にする事を条件に、主任捜査官になる許可を出しました』
「主任捜査官?」
 背を向けたままのリンダに聞き直され、マザーはゆっくり話し続けた。
『α・シリウスは事件発覚当時からこの捜査を担当しており、1番の適任者だとわたくしは判断しました。USA支部は常に多くの事件を抱えています。人材不 足の今、レディ・サラが捜査担当を断られるなら、この事件はUSA支部から他の支部に引き継がざるを得ません。Ω・クレメントが育てた人材のほとんどがす でに他支部に移動しています。Ω・クレメントが動かないのならと、失った部下や同僚の弔い合戦をやりたがっている支部やチームは太陽系中に有るのです』
 マザーの言葉をα・シリウスが引き継ぐ。
「昨夜殺されたβ・アルビレオはUSA支部勤務で、俺も直に知っている気の良い人だった。常に凶悪犯罪者と対峙している俺達はいつ死んでもおかしくない。しかし、この事件は違う。あんな死に方では誰も浮かばれない。サラ、頼む。俺を1人にしないでくれ」
「シリ?」
 背中にしがみついたままの姿で必死に訴えてくるα・シリウスを、リンダは肩越しに振り返る。
「暗殺されたのは全員長官の教え子だと言っただろう。直接全員に会った事は無くても、俺にとって大切な先輩達だ。無理をし過ぎて倒れた長官の後を俺が引き継ぎたい。サラ、これまでよりもっと危険な仕事になるが俺に協力してくれ」
 自分を抱きしめる手が震えている。リンダはα・シリウスが本心から自分を排除したのでは無いと知って、安堵と喜びで胸が満たされていく。
 それでも、とリンダは少しだけ唇を尖らせて呟いた。
「協力って何よ。わたしはシリのパートナーじゃないの? パートナーは常に行動を共にするのがルールでしょう。どうしてそんな他人行儀な言い方をするの?」
 リンダの怒りが納まったのだと分かり、α・シリウスは小さく息を付いて、小声で「悪かった。もう2度と言わない。パートナー・レディ・サラ」と答えて手を離した。


 リンダがソファーに座り直すと、α・シリウスもベッドに腰掛け少しだけ頭を下げた。
「これ以上の嘘は止めよう。事態が混乱するだけだ。マザー、サラに話しても良いな」
『パートナー間の問題です。どこまで話すかもあなたに任せます』
 マザーが鷹揚に頷き、α・シリウスは顎に手を添えてゆっくりと話し出した。
「まず始めにサラに謝る。長官からサラを捜査から外すと言われた時、俺は心のどこかでほっとしていた」
 怒ったリンダがソファーの手摺りを握り絞めるのを見て、「違う」とα・シリウスは首を横に振った。
「歳や規約は関係無い。俺はサラを信頼している。この事件の発端は、まだサラが正式にレディ級刑事になる前に発覚した。太陽系警察機構刑事の個人情報が一 部外部に流出した。手掛かりはほとんど無く、追跡専門の数チームが情報収集に奔走した。2ヶ月間の捜索で、漸く俺も含めて過去にUSA支部に居た数十人分 の刑事の情報だというところまでは判った。一体誰が何の為にと、チーム編成をし直して捜査を進めようとした矢先に最初の犠牲者が出た。長官に深く関係が有る刑事ばかりが次々に殺されていった。俺も長官もサラだけは何が有っても犠牲にできないと考えた」
 「そんなのって」と言い掛けたリンダを、α・シリウスが手を振って制した。
「サラ、俺の気持ちが解るか? 20歳で刑事になってもう5年以上だ。ビクトリア教官の推薦で、異例の単独捜査が認められていたとはいえ、ずっと探し求め て、漸く得たパートナーを暗殺されるなんて俺に耐えられると思うか? 長官も同じだ。才能を認めて無理を圧してサラをレディ刑事に推薦して直属の部下にし た。サラは資質は充分だが経験が足りない。これから大切に育てていこうとした新人を、いきなりこんな危険に晒せるか?」
 リンダが口を開こうとする前に、α・シリウスがたたみ込む様に話しを続けた。
「「命を狙われる事には子供の頃から慣れている」とまた言ったら、女でも遠慮無く引っぱたくぞ。通常の犯罪者レベルにこんな事件は起こせない。28人もの 犠牲者を出しながら、犯人に繋がる証拠は出てこないし、根が深すぎて事件の全容が見えてこない。たとえサラが「奇跡の」と言われていても、背後関係が全く 判らない太陽系中に広がる暗殺者達全員に1人で立ち向かえるか? サラの得意な個人プレイで解決できるレベルの犯罪じゃない。これはもう事件と言うより、 太陽系警察機構組織全体への敵対行動だ」
 普段はあまり多くを話さないα・シリウスに一気にまくしたてられ、リンダは思考をフル回転させて聞かされた内容を必死で頭に納めていった。
 たしかにこれは異常事態で自分1人でどうこう出来るレベルでは無く、わずかでも判断を誤ればどれだけ犠牲者が増えるか判らない。
 α・シリウスとΩ・クレメントが新人の自分を守ろうとしたのも、自分がベテラン刑事なら同じ事をしただろうから理解できる。どれだけ悔しくても自分がまだ刑事になってわずか3ヶ月しか経たないのは事実だからだ。
 最後の最後とはいえΩ・クレメントとα・シリウスは自分の力がどうしても必要だと言い、マザーもそれを認めてくれた。この信頼に応えなければならない。

 今の自分に何がどこまで出来るのか。そう考えてリンダはα・シリウスに視線を向ける。
「敵対行動と言ったわね。犯人捜査というより戦いだと思った方が良いのかしら。主任捜査官としてシリは今後どうするつもりなの?」
 17歳の少女からレディ・サラの顔になったリンダを見て、α・シリウスは少しだけ身を乗り出すと自分の胸を軽く叩いた。
「サラの指摘どおりだ。俺はこの事件の犯人を敵として認識している。俺の予想とマザーの計算ではかなりの高確率で次のターゲットは俺だ。俺を餌に犯人をお びき出す。サラの情報収集能力は俺の数倍上だ。俺の側に居てどんな手掛かりでも良いから見付けてくれ。俺が死んだらその情報をマザーに渡して欲しい。後は マザーが何とかしてくれるだろう」
「ふざけんな!」
 立ち上がったリンダの拳が、目にも止まらぬ早さで顔面にたたき込まれ、α・シリウスはベッドから転がり落ちた。
「俺が死んだらですってぇ? 冗談じゃ無いわよ。シリ、わたし相手に寝言を言うな。2度と言ったら本当に許さないわ!」
 移動したマザーが床に倒れているα・シリウスの側に座り、大きな溜息をついて苦笑しながらリンダを見た。
『レディ・サラ、先程のあなたの言葉はα・シリウスの耳に届いていませんよ』
「はい?」
 気が付いて慌ててリンダがα・シリウスの元に駆け寄って抱き起こす。
「嘘でしょ。これくらいの事で気絶しないでよ。ちょっと、シリ。起きなさいってば」
 ぶんぶんとα・シリウスの身体を揺するリンダの肩に、マザーがそっと手を添える。
『とどめを刺さないでください。本当に死なれては困ります。あなたの前では平気な顔をしていましたが、Ω・クレメント程では無くても、α・シリウスも極度の過労状態なのです。弱っている時に棍棒で殴られる程の衝撃を顔面に受ければ、いくら訓練を積んだ人間でも気絶します』
 マザーにベッドを指さされ、リンダは「ああ、もう。この根性無し」と言いながらα・シリウスを横抱きにしてベッドに寝かせた。
 壊れたゴーグルを外して、ウエストバッグからサバイバルキットを取り出し、素早くα・シリウスの頬に消炎鎮痛剤を貼り付ける。
「これで外傷は30分も経てば治るわ。マザー、シリの脳に異常は無い?」
『丈夫で打たれ強くなければ、あなたのパートナーは到底務まりません。……冗談はともかく、α・シリウスは外傷以外問題有りません。特化α・アトルから絶 賛されたあなたの格闘技は、トレーニング中と犯人と対峙した時以外で使わない様に。それで無くともα・シリウスはあなたに弱いのですから』
 諭される様に言われ、リンダも両手を腰に当てて仕方無いと小さく頷いた。
「そうね。今後はトレーニングプログラムに、動体視力向上も入れようかしら。シリが装備無しのわたしのスピードに着いてこれない様じゃ困るもの」
『わたくしが言っているのはそういう意味では有りません』
「え?」
 リンダに何の事か解らないという顔をされて、マザーはツッコミを入れたものの、これがリリアとビクトリアが指摘していた「意識操作」だと気付き、失敗したとすぐに修正を加えた。
『α・シリウスはΩ・クレメントから指示を受けてから、あなたを傷付けるのではずっと悩んでいました。事実、あなたは捜査から外されていた事に激怒しました。予想していたとはいえ、α・シリウスはとても動揺していたのです』
 マザーから指摘されてリンダが自分の頭を数回叩く。
「そうよね。本当に自分が嫌になるわ。どうしていつも後になってからしか気付けないのかしら。わたしも前にシリに隠し事をしていた時はとても辛かったもの。シリもきっと同じ気持ちだったんだわ」
 せめて枕かクッションで叩くのだったと、α・シリウスの頬に手を当てるリンダを見て、マザーは上手く誘導出来たと胸を撫で下ろした。

 11年前にニューヨークシティで起こった「鮮血のクリスマス事件」は、600人以上の犠牲者を出した未解決事件だ。
 1番被害の大きい階の唯一の生存者が当時まだ6歳だったリンダで、名前こそ「事件被害者保護規約」で極秘扱いにされているが、事件当時は「奇跡の少女」とマスコミは騒ぎ立てた。
 母親のジェシカと親しいシークレット・サービス3人を目の前で失い、リンダがショックで事件当時の記憶と声を失ったと判った時に担当医師になったのが、今もコンウェル家専属医師を勤めるサム・リードだ。
 2年後、リンダは記憶は戻らなかったが、声は取り戻して学院の小等部に復学し、シークレット・サービスを一切付けずにどこにでも行った。
 コンウェル財団会長の1人娘という理由で、何度も誘拐やテロの標的になりながら、自ら犯人達を捕らえて警察に突き出すという離れ業をやり続け、今ではその驚異的な強運と戦闘能力とパワーで、太陽系中から「奇跡のリンダ」と呼ばれている。
 Ω・クレメントとマザーが、リンダに「自分に寄せられる強い好意にフィルターが掛かる」という意識操作をされていると知ったのは、木星支部のチーム・ビクトリアと共同捜査をした時だった。
 リンダは一目で犯人グループのリーダーで、犠牲者でもあった獅子の心を捕らえ、パートナーのα・シリウスとは何度もぶつかった。その特異な感情変化の深層部に、テレパスの木星支部特化レディ級刑事リリアが気付いた。
 リリアが居なければ、Ω・クレメント達はリンダを「まだ子供だから」とか、「恋愛不感症」とか、「檄ニブ」と言って笑って済ませていただろう。
 当時から天才精神科医と言われていたサム・リードが、いかなる手段を講じてここまで見事な意識操作をリンダに行ったのか、その真の目的は何か、太陽系警察機構の情報収集能力をもってしても、公表されていないコンウェルの謎を一切掴めていない。
 リンダがレディ級刑事になる事を承認した際に、「取扱説明書」と称して、何かのきっかけで記憶を取り戻したリンダが精神崩壊を起こさない様にと、コンウェル家から厳重注意がUSA支部に提出されている。
 ケインとサムの真意が判らない以上、こちらは慎重にならなければと、マザーはヒューマノイドシステムを最高レベルに設定し直した。


 小さな呻き声を上げてα・シリウスが目を覚ます。
 自分がベッドに寝かされている事と、ベッドの端に腰掛けたリンダの顔が間近に有るのを見て、慌てて身体を起こそうとしたが、リンダに両肩を押さえられて身動きが取れなくなった。
「シリ、すぐに起きちゃ駄目よ。マザー、どう?」
『覚醒と同時に脳波と心音に異常が見られます。しばらくは安静にしておいた方が無難でしょう』
 それはリンダの顔がすぐ目の前に有るからだと、α・シリウスは言い返したかったが、それを言ってしまえば「どうして?」というリンダの天然質問がくるに決まっているからとても言えない。
「顔色が良くなってきたわね。いくら腹が立ったからといって、手加減無しで殴って本当にごめんなさい。上手くシリが力を逃がしてくれると思っていたの。シリが過労だと解っていたら枕で殴る程度にしておいたわ」
良いからさっさと俺の上から退け。理性が持たないだろうが。
 と、言えたらどれだけ楽か。α・シリウスは心の中で「寝ていろ」令を出したマザーを恨んで泣いていた。
「即効性の薬を使ったから口の中や顎の炎症は治まっているはずよ。シリ、話せるかしら? あなたは自分を餌にすると言ったけど、死ぬのは絶対に許さないわよ。何が有ってもわたしがシリを守るわ。それがパートナーなんでしょう。以前、シリがわたしにそう教えてくれたわ」
 リンダの顔が再びレディ・サラに変わり、話題も仕事の内容に移ったのでα・シリウスは、頭を仕事用に切り換える。
「いくらサラでも俺を24時間護衛し続けるのは不可能と判断した。相手は手練れだ。そこらの犯罪組織よりはるかに腕が立つ。殺されたのはβ級が多いが、α級のベテラン刑事も数人居る。おそらく100パーセントの確率で、奴らは刑事を殺し続けている」
「シリ、あなたは特化候補のα級だわ。あなたの銃とナイフの腕をもってしても勝てないと判断したの?」
 両肩を掴まれたままリンダに詰め寄られて、理性を取り戻したはずのα・シリウスは僅かに赤面して呻った。
頼むからこの檄ニブ女をどうにかしてくれ。仕事にならん。
 以前やった時に「2度と男をベッドに押し倒すな」と叱っておけば良かったと、α・シリウスは後悔した。
『脳波は安定しました。レディ・サラ、もう心配は要りません。α・シリウス、ゆっくりと起きても良いわ』
 α・シリウスから必死のSOSを察したマザーが新しい不可視ゴーグルを差し出す。
 気持ちは解ったからせめてその情け無い顔を隠しなさいというマザーの気配りに、α・シリウスは珍しく感謝した。

 安心したとリンダが退いてくれたので、α・シリウスも上体を起こしてゴーグルをセットして顔を上げた。
「残念だが正直難しい。ゴーグルが捕らえられる範囲に犯人が居れば、俺もそうそう負けない自信は有る。プライベートや就寝中を狙った待ち伏せや、爆弾まで使う相手だ。俺の武装教官だった大なら対抗出来るかもしれない。それでも70パーセントの確率だろう」
「あの大でたった70パーセント?」
 木星支部のチーム・ビクトリアと合同捜査をした際に、リンダは大と条件付で真剣勝負をしている。
 凄腕のα・シリウスが同僚で友人を教官と言うだけあって、特化α級刑事山崎大の銃器類を扱う腕は生半可では無い。
 無条件下で戦っていたら、殺されなくても確実に負けていたと、リンダは身をもって知っている。
 未成年で銃器を持つ資格の無い自分には接近戦しか戦う術が無い。防戦のみで大レベルの複数の相手をすると想像しただけで、リンダの背筋に冷や汗が流れた。
「とても手強いわね」
「始めからそう言っている」
 眉を寄せて口元に当てた指先を噛むリンダに、α・シリウスがあっさり言い返す。
「シリ、まさか犯人の手掛かりが欲しいからなんて理由だけで、死ぬ気じゃ無いでしょうね?」
「死ぬ気は無い。その覚悟は出来ていると言っただけだ。このまま一生逃げ続ける訳にもいかないだろう。俺は「どうぞ殺してください」と言える程マゾじゃ無いぞ」
『まあ。何度も嬉しそうにレディ・サラを煽っては殴られているから、α・シリウスの本質はマゾだとばかり思っていたわ』
 険悪な雰囲気になりそうだと判断したマザーが茶々を入れ、リンダは声を立てて笑い、α・シリウスは「どういう意味だ」と不機嫌な顔になった。

 僅かに向けられた視線から、これ以上リンダを精神的に追いつめるなというマザーの意図に気付いたα・シリウスは、ふっと息を付いて隣に座っているリンダを見た。
「さっきは殴られて俺の計画を全て話せなかった。サラ。ここ数日間、一緒に人通りの多い道を歩き続けていただろう」
「ええ。長官命令でね。シリが間の抜けた顔で歩いていたから、横に居たわたしの方が恥ずかしかったわ」
 いつもの毒舌が復活したリンダに、α・シリウスが内心ほっとしながらと言い返す。
「演技だと気付いていただろう」
「わたしはシリを知っているから気付いていたわ。でも、周囲の人には判らないじゃない。女性用下着専門店の前で立ち止まった時は、任務を放り出して走って逃げようかと思ったわ」
「適度に場所を変えて足を止めていただけだ。たまたまそういう店だったのは後で気付いた。わざとじゃない」
「じゃあ、無自覚変態って事ね」
 不信感一杯という顔でリンダが横目で見ると、α・シリウスは軽くリンダの頭を叩いた。
「せめてスケベと言え。俺も普通に若い男なんだ」
 本当に意味が判らないという顔でリンダがα・シリウスを見上げる。
「わたしはてっきりシリには、あの手の下着を着てみたいと憧れる隠れ趣味が有るのだとばかり思っていたわ」
「どこからそんな発想が出たーっ!? 俺はどれ程リスクが高くてもあれを続けるしか無いと言おうとしたんだ!」
 我慢の限界だとα・シリウスが怒鳴り声を上げた。


<<もどる||Rowdy Lady TOP||つづき>>