Rowdy Lady シリーズ 3 『天使の歌声は聞こえない』

1.

 髪飾りのセンサーが強い攻撃信号を捉え、緑色のピアスは激しい警笛を鳴らした。
 特殊機能付有機コンタクトレンズを着けたリンダは、瞬時に正確に敵の位置を捕らえて視線だけで相手を射抜く。
 ほぼ同時に消える気配と攻撃信号。
またなの? いい加減にしつこいわね。何度目だと思ってるのよ!
 クリスマスイルミネーションできらびやかに飾られ大勢の人々で賑わう通りを、リンダは歩きながら無言で憤っていた。


 照明が落とされた質素な部屋の一角に立体映像の女性が現れる。
『α・シリウス、疲れて眠っているところをすみません。起きてください』
 太陽系警察機構USA支部戦略コンピュータ・マザーに名を呼ばれ、α・シリウスはすぐに覚醒して宿舎のベッドサイドの照明を点けた。
「マザー、何が有った?」
『β・アルビレオが殺されました。今すぐにΩ・クレメントの元に出頭してください』
 α・シリウスは驚いてベッドから飛び起きる。
「何だって!? あいつまで。……すぐに行くと長官に伝えてくれ」
『分かったわ』
 マザーが姿を消すとα・シリウスはアンダーシャツの上に防護スーツを羽織り、枕元の装備一式を手にして靴を履くと部屋を走って出て行った。
 不可視ゴークルを掛けて通信待機状態のマザーに話し掛ける。
「マザー、詳細を知りたい。アルビレオは何時、何処で殺された?」
『β・アルビレオは昨日非番でした。今から丁度1時間前、就寝中にアパートの彼の部屋だけが爆発炎上しました。他の部屋に被害は一切有りません。原因は現在調査中です』
 エレベータに乗り込み、装備をセットしながらα・シリウスは思わず呻る。
「非番を狙って……またなのか。あいつもアレの犠牲になったという事か」
『決めつけは危険です。真実はまだ判らないのですよ』
「マザー、偶然の予想確率を答えろ」
 α・シリウスに睨み付けられ、マザーは目を閉じて小さな溜息をついた。
『1パーセントです』
「戦略コンピュータ・マザー。役目を忘れて本当の事を言うのを躊躇うくらいなら、ヒューマノイドシステムなんか切ってしまえ」
 冷たい口調で言い切られ、マザーはα・シリウスの怒りの深さを知って微かに震える。
『ですがα・シリウス。あなたとΩ・クレメントの予想どおりなら、次に狙われる可能性が1番高いのは……』
 エレベータがUSA支部最上階に着き、α・シリウスが廊下を小走りに進みマザーの言葉を遮る。
「話の続きは長官室に行ってからだ。俺より長官の胃を心配してやれ。アルビレオも俺と同様に長官が育てた1人だ」
 ゲートガードに個別認識をさせたα・シリウスは、太陽系警察機構USA支部長官Ω・オスカー・クレメントの部屋に入る。
 部屋には掻きむしってボサボサになった豊かなシルバーグレイの髪を放置しているΩ・クレメントが、渋面で10枚ほどのモニターを見つめていた。
「α・シリウス、緊急呼び出しにより出頭いたしました」
 敬礼をするα・シリウスの厳しい声を聞いて、Ω・クレメントは不機嫌さを隠そうともせずに立ち上がる。
「深夜に呼び出して悪かった。α・シリウス、そこのソファーに座ってくれ。マザー、コーヒーを2つ頼む」
『はい』
 メモリーシートを数枚持って半円のソファーに移動しようとしたΩ・クレメントは、急に胃を押さえて前屈みになりその場に崩れ落ちた。
『オスカー!』
「長官!?」
 マザーとα・シリウスが同時に叫ぶ。
 α・シリウスが駆け寄って、Ω・クレメントを助け起こす。
「マザー、ドクターを呼べ」
『すでに呼び出しています。α・シリウス、Ω・クレメントをソファーに寝かせてください。わたくしのメディカル・チェック機能は常にΩ・クレメントにセッ トされていますから。過労と心労が続いている上に、β・アルビレオの死を知って、大変ショックを受けていました。脳波は正常域に有ります。α・シリウス、 ドクターからの指示です。鎮静剤をΩ・クレメントに投与してください』
 マザーが中央テーブルに出したアンプルをα・シリウスは鷲づかみにし、寝かされたΩ・クレメントの右腕に刺した。
 襟元を緩めて念の為とメディカルチェッカーを胸に当てて、濡れたタオルを額に乗せる。
 直にΩ・クレメントの脈と体温を確認したα・シリウスは僅かに安堵の息をつく。
「マザー、正直に答えろ。長官が教育した刑事はあと何人生き残っている?」
「私が直にと限るなら、……君も含めて後9人だ」
 マザーが答えるより先に、Ω・クレメントが痛みを堪えながら自分の頬に当てられていたα・シリウスの手を握り返して答える。
「長官?」
 表向き隠されているが自分の身元引受人で有り、研修中は恩師で現在は直属の上官でも有るΩ・クレメントの憔悴した様態を見て、動揺を隠せないα・シリウスの手に、Ω・クレメントは小さなメモリー・シートを握らせた。
「α・シリウス、最優先の命令書だ。どんな手段を使っても事件解決まで絶対に生き延びろ」
「私の事など良いです。長官、あなたこそ……」

 α・シリウスがΩ・クレメントに反論しようとした時、扉が開いて支部医師団が移送ベッドと一緒に長官室に入ってきた。
「α・シリウス、仕事の話はそこまでです。Ω・クレメントはわたしの権限で業務停止にします。データを読む限り、ここ数週間はまともに食事も睡眠も摂っていません。通常業務に戻れるまで最低でも2週間は掛かるでしょう」
 Ω・クレメントの健康状態を記録したメモリー・シートを見ながら、主任医師が眉をひそめる。
「マザー、なぜ今まで報告をしなかったの? あなたがずっと側に付いていながらどうしてここまで長官を放置したの?」
 主任医師とα・シリウスの強い視線を受け、マザーが俯き涙を流す。
『ドクター、申し訳有りません。Ω・クレメントから「強い命令」を受けていました。何が有ってもドクターには知らせるなと。一時的とはいえ、Ω・クレメントが意識を無くされたので、わたくしも漸く自由に動けたのです』
 メディカルチェックが済み、移送ベッドに移されたΩ・クレメントをα・シリウスが怒鳴りつける。
「慢性胃痛持ちのおっさんが無茶をするからだ。歳を考えろ。この頑固ジジイ!」
 聞き捨てならない悪口に、Ω・クレメントの眉がピクリと上がる。
 α・シリウスの口の悪さには慣れているが、49歳の自分を相手に「おっさん」はともかく「ジジイ」だけは許せんとΩ・クレメントは唇を噛む。
「マザー、α・シリウスを1週間10パーセントの減俸にしろ」
『承知しました』
「マザー、ちょっと待て。ドクター・ストップで仕事は出来ないんだろう? 今の長官には人事権も無いはずだ」
 振り返ったα・シリウスに、マザーが冷たく言い放つ。
『上官侮辱罪を適用します。α・シリウス、長官付戦略コンピュータの権限を軽く見てはいけないわ。自分にもしもの事が有ればと、わたくしはこの事件に関し てのみ、グランド・マザーと共に全権をΩ・クレメントから任命されています。先程のΩ・オスカー・クレメントの要望を受付ました。あなたを減俸処分にしま す』
 激務で身体を壊していても、相変わらず狸親父は抜け目が無いとα・シリウスが小さく舌打ちをした。

『現在、長官補佐の1人で特化α・ウラノスがこちらに向かっています。Ω・クレメントが復帰できるまでの間、この事件以外の権限は彼と同格の刑事達に分散させます』
 Ω・クレメントが医師達に付き添われて長官室から移送されるのを見送って、マザーは厳しい顔をα・シリウスに向けた。
『α・シリウス、Ω・クレメントの命令を遂行しなさい。何が有っても生きるのです』
「俺も死ぬ気は毛頭無い。これまでの状況を考えたら、最後まで生き延びる自信も無いが……」
 頭を振るα・シリウスに、マザーが更に厳しい声で言った。
『あなたは何が有っても生きなければなりません。この上あなたの身にまで何か有れば、Ω・クレメントはもう2度と立ち直れないわ。わたくしが言っている事の意味を、他の誰よりあなた自身が分かっているでしょう?』
 暗に21年前の事件の話を出され、頬を引きつらせたα・シリウスがぐっと歯を食いしばって敬礼する。
「α・シリウス、拝命します。……マザー、1つだけ条件が有る」
『何です?』
「事件解決までの期間が不明確だ。このままでは一生ともなりかねん。長官不在の今、この事件の主任担当刑事を俺にしろ」
 絶対にこれだけは引けないという顔を見て、マザーが素早く計算を巡らせる。
『α・シリウス、チームになら捜査担当リーダーの許可を出しましょう。USA支部外に出る時は、レディ・サラと常に行動を共になさい。これから事件解決まで、プライベートでもあなたには一切の単独行動を認めません』
 リンダの名前を出され、α・シリウスが渋面になる。
「あれほど長官から止められていたのに、今になってサラをこの事件に関わらせる気か?」
『あなた達はパートナーでしょう。あなたがΩ・クレメントの指揮を離れてこの事件を直接担当するのなら、当然レディ・サラもだわ。何を今更の事を言うの?』
 それが嫌ならリンダには内緒で発覚当初から捜査に加わっていも、今後は事件担当から完全に外し、USA支部内で厳重に保護をするとまで言われてα・シリウスは押し黙った。

 α・シリウスのパートナーのレディ級刑事サラマンダー。通称レディ・サラことリンダ・コンウェルはまだ大学生2年生で17歳の少女だ。
 いくらリンダが太陽系中から「奇跡の」と呼ばれ、脅威の戦闘能力と分析能力を持ち、支部マザー達の上位コンピュータ、グランド・マザーから選ばれた自分の唯一のパートナーでも、この事件に直に関わらせるにはあまりにも危険過ぎる。
 しかし、このまま手をこまねいていては被害者が増えるだけで何の解決にもならない。
 α・シリウスは目を閉じて思案し、これまでの事件の特徴から死ぬとしたら自分1人という事実に気付いて頷いた。
「了解だ」
『レディ・サラに連絡を入れます。事件解決まであなたの送迎は無しです。手間でも彼女にこちらまで来て貰いましょう』
「了解だ。ところでサラはまだ未成年だ。父親のケイン・コンウェル氏への許可はマザーが取ってくれるんだろうな」
 珍しく異論を唱えないα・シリウスにマザーは横目で視線を送り、これは裏が有ると読んだ。
『承知しました。ケイン氏にはわたくしが連絡しましょう。暗号メールでこれまでの事件概要もレディ・サラに送ります』
「待った。うちの最高レベルの暗号通信を使っても、コンウェル家が相手では情報が洩れてケイン氏が激怒する。サラには明日俺から直接話そう」
 リンダの父、ケイン・コンウェルが会長を務めるコンウェル財団は、宇宙開発事業を中心に太陽系5指に入る巨大企業で、その高い技術力と情報収集能力の全容は未だに謎のままだ。
 コンウェル邸はニューヨーク郊外の静かな住宅街に有り、国内外の要人が多く暮らし、街そのものが精密に不法侵入者に対抗できる様に計算された造りで、常に宇宙から監視衛星に守られている。
 更にコンウェル邸が独自に軍事要塞並の機能を持つ事を、α・シリウスは身をもって知っている。
 マザーは嘘つきと思ったが、言葉には出さない。
 メールを受け取った勘の鋭いリンダが、USA支部の異変に気付かないとは考えられない。
 ここ数日間、Ω・クレメントが何かと口実を付けては、α・シリウスと共にUSA支部が有るワシントンDC周辺や、リンダが通う学院に近いニューヨーク郊外の市街を巡回させていた。
 報告こそ無いが、軍や警察を遙かにしのぐ高機能の情報収集能力を持つリンダがすでに何らかのヒントを掴んでいる可能性は高い。
 9歳の歳の差ゆえか、保護欲丸出しでリンダを守る事に執着するα・シリウスに、自分の予想を知らせるのは得策では無いとマザーは判断した。
『厳しい状況が続きますが、必ず規約と命令は守りなさい。レディ・サラが来るまであなたは宿舎に待機です。わたくしはこれから特化α・ウラノスと別室で打 ち合わせをします。Ω・クレメントが戻られるまで、この部屋に何人たりとも入る事をわたくしが認めません。α・シリウス、あなたも部屋に戻ってください。 事件詳細は分かり次第宿舎に届けます』
「了解」

 α・シリウスが退室した後、マザーは散らかった長官室を片付け、独断でΩ・クレメントが最も信頼する元チームメイトで、現木星支部長官クイーン級刑事ビクトリアに緊急メールを送った。
 ビクトリアが所有する太陽系最高速宇宙船「光の矢」号に連絡を取るのは困難だが、これだけ大きな事件ならば保険は多ければ多い程良い。
『Ω・クレメント、機密の多いこの部屋はあなたのご命令どおりに必ずわたくしが守ります。ですが、どうか早くお戻りください。わたくしの計算では次に狙わ れるのは、99パーセントの確率でα・シリウスです。レディ・サラの実力を疑いませんが、正規職員で無く、まだ学生の彼女に24時間勤務は不可能です。身 体を持たないわたくしではあの子を守りきれません。あなたの力が必要なのです』
 21年前の事件で家族全員を亡くした5歳のα・シリウスを保護してから、ずっと影から見守り育ててきたΩ・クレメントの心情を想い、ヒューマノイドシステムはマザーに涙を流させた。


 翌日、リンダはいつもの様に2歳年で親友のアン、キャサリン、ジェニファーと共に学院内のレストランで昼食を摂っていた。
 ニューヨーク郊外に設立された小等部から大学院まで有る学院は、地球でもトップレベルの教育内容とセキュリティの高さを誇り、国内外から優秀で名家の子供達が多く通う。リンダも小等部からこの学院に通っていた。
「キャッシー、それは違うでしょ。カレンと今付き合ってるのは、えーっとたしか……アン?」
 リンダから「お願い」という視線を向けられ、太陽系3大ネットニュースサイトオーナーの娘で、あらゆる情報に聡いアンが微笑する。
「今はトールよ。キャッシー、カレンは月ごとに彼を変えるから常にアンテナを張ってなければ追いつけないわよ」
「カレンは外交官志望で、学院に通う学生の母国語全てをマスターするといつも張り切っているものね」
 USAバンク頭取を祖父に、大統領主席補佐官の父を持つジェニファーは、恋愛面での多情を嫌うタイプだが、しっかりとした理由があれば笑って許容出来る。
「どうせ、わたしの情報は遅いわよ」
 USA国防省作戦総合本部長官を父に持つキャサリンがぶくっと頬を膨らますと、リンダが笑って指先でつついた。
「気にしない。気にしないっと。些細な事だわ。キャッシーは必要な知識はいつも真っ先に調べてるじゃないの。人の恋愛事情はテストやレポートに関係無いわ」
 相変わらず「恋愛って何ですか?」なリンダの軽い口調に、3人から同時にツッコミが入る。
「「「この勉強虫。あなたは少しくらい気にしなさいよ」」」
「これ以上はとても無理よ。頭に余裕が全く無いもの」
 あっさりと言い返すリンダにアンが文句を言おうとした時、リンダがトレイを持って立ち上がった。
「ごめんなさい。昼休み中に調べたい事が有るの。先に行くわね」
 ハイテンションで話しながら早食いをしたリンダに、ジェニファーが小声で話し掛ける。
「リンダ、あなたがいつも忙しいのは解っているけど、あまり根を詰めないでね」
「ありがとう。頑張りすぎて身体を壊しては意味が無いものね。じゃあ、また後で」
 軽く手を振るリンダにアンとキャサリンも笑って手を振り返した。

「レディ達、今年もそろそろ始まったかな」
 あまり聞きたくない声が背後からして、アンとキャサリンとジェニファーは、同時に眉間に皺を寄せた。
「リンダのクリスマス・ブルーね。ここ数日の態度をみると、もう始まっていると思うわ」
 少しだけ振り返ったキャサリンが嫌そうに頷いた。
「リンダがこの時期にハイ状態になるのは毎年の事だけど、わたし達にまで元気な演技をしなくても良いのに」
 ジェニファーが悲しそうに瞳を潤ませる。
「辛いくせに絶対に泣き言を言わないんだから。ジェニファー、使い分けができるほど器用じゃないからリンダなのよ」
 アンがジェニファーの肩を叩いて振り返ると声の主を見上げる。
「ジェイムズ、その思わせぶりの口調からして、あなたには何か策が有るのかしら?」
「策と言える程のものじゃないけどね」
 ジェイムズは笑って頷いた。
「僕なら今のリンダを絶対に1人にしない。君達はリンダの気持ちを大事にし過ぎていると思うよ。小等部から友人の君達がそれじゃ、優しいリンダは父君はもとより、誰にも泣つけないだろう」
 口調は軽いが鋭く図星を指されて、キャサリンが悔しそうに両手を握りしめる。
「あなたはここ数年のリンダしか知らないから、そう簡単に言えるのよ」
「たしかに僕は高等部、13歳以降のリンダしか知らない。だけど、この学院に11年前の惨劇を知らない生徒は居ないよ」
 自信たっぷりに答えるジェイムズに、ジェニファーが不快げな声で問い掛ける。
「選択科目の大半が同じでずっとクラスメイトだから、4年間分はリンダを知っていると言いたいの?」
 日頃は気の小さなジェニファーからも強い視線を向けられて、ジェイムズは軽く肩を竦めた。
「少なくともリンダがどういう性格で、どんな考え方をしているか。くらいは知っているつもりだよ」
「ジェイムズ、そこまで自信たっぷりに言うのなら行って。わたし達はとても怖くて今のリンダを追いかけられないの」
 真顔のアンに言われ、ジェイムズが嬉しそうに答えた。
「おや。これは保護者の許可が出たと思っても良いのかな。じゃあ、今すぐにリンダを追いかけよう」
 踵を返そうとしたジェイムズの後ろ姿にキャサリンも問い掛ける。
「リンダが何処に居るか知っているの?」
「もちろんだよ」
 にっこり笑ってジェイムズは早足にレストランを後にし、キャサリンは「ああ、もう!」と半ば切れてテーブルを叩いた。
「アン、なぜジェイムズを行かせるのよ。リンダのストレスをこれ以上増やしたいの?」
「最初はわたし達も1人にしちゃいけないとリンダを構ったわ。でも、周囲に気を使わせたと逆にリンダが辛そうだったから、そっとしておく事にしたでしょう」
 ジェニファーも僅かに眉間に皺を寄せてアンを見た。
「マジギレ上等。それでリンダがジェイムズを殴って、気持ちの発散が出来るのなら儲けものよ。ジェイムズがリンダを訴えるとは思えないし、学院側も事情を 知っているから、今のリンダの暴力は認めるでしょう。どんな形でもリンダが感情を表に出して、悲しみを隠して引きこもらないのは良い事だわ」
「あれはジェイムズにサンドバッグになれって意味だったの」
 アンの断言口調を聞いて、キャサリンが呆れたと苦笑した。
「そういう事なら……ジェイムズは適任かもしれないわ」
 ボソリとジェニファーもキツイ事を言う。

「ずいぶんな評価だけど、何事も経験よね」
 またも背後から声を掛けられて、アン達は同時に振り返る。
「ニーナ。毎度の事だけどよく婚約者の浮気を平然と見逃せるわね。あなたには悪いけど、リンダに接する時のジェイムズはいつもの遊びに見えないわよ」
 1つ年上のニーナに、気の強いキャサリンが耳に痛い事を平然と言い切る。
「恋愛の失敗も経験の内。幼なじみなればこそのあなた流の実践教育という事かしら?」
 アンに問われてニーナは笑顔で返す。
「そう思って貰っても良いわ」
 どう言おうかと迷っていたジェニファーは思いきって顔を上げた。
「人受けの良いジェイムズの顔に凄い痣が出来ていたらどうするの? リンダの馬鹿力はニーナも知っているでしょう」
「その時はジェイムズの顔を見て思いっきり笑うに決まっているでしょう。ジェイムズは子供の頃からくじけるという事を知らないの。いじめ……鍛え甲斐の有る男だから本当に毎日が楽しいわ」
 ホホホと本当に楽しそうに笑うニーナの本性を知ったアンとジェニファーとキャサリンは、同時に顔を見合わせて、空いた椅子を指して「「「どうぞ。ニーナお姉様、こちらにお座りになって」」」と椅子を勧めた。
 このニーナが背後から睨みをきかしている限り、ジェイムズがリンダに強引な真似は絶対に出来ないと察したからだ。


 学院内北棟屋根裏に近い出窓に腰掛けるリンダの後ろ姿を見付け、ジェイムズは極力明るい声を掛けた。
「姫君、屋内とはいえここは暖房が無いよ。いくら健康な君でも長く居れば風邪を引いてしまう」
 リンダは少しだけ振り返ると、すぐに顔を戻して窓の外に視線を向けた。
「他に誰も居ない場所なのにその恥ずかしい隠し名で呼ばないでよ。静かな場所でじっくり考えたい事が有るのよ。ジェイムズこそどうして此処に来たの? いつもならニーナとお茶を飲んでいる時間でしょう」
「静かな場所に居たいだけなら、図書館にでも行けば良いだろう。不便だから誰も来たがらないこの秘密の場所を君に教えたのは僕だよ。レストランで君の様子をずっと見ていたよ。これは毎年の事とは別らしいと思ったから追いかけて来たんだ。迷惑だったかい?」
 声のトーンの違いだけで真偽を見抜く特技を披露され、相変わらず嫌になるくらい鋭いと、リンダは諦めてジェイムズの方を向いて座り直した。
 帰れと言われなかったので、ジェイムズもリンダの横に腰掛ける。
「君が悩んでいるのは新しい仕事絡みだね」
 いきなり核心を突かれて、リンダは少しだけ嫌そうな顔をジェイムズに向けた。
「守秘義務が有るから、いくらあなたにでも何も言えないわよ」
「それは分かっているよ。ただ、もしかしたら僕がずっと調べている件と関係が有るんじゃないかと思ったんだ」
 人当たりの良い笑顔の裏にジェイムズの本音を見て、リンダは思わず顔を上げる。
「先月話してくれた「先輩方」の名簿の事かしら?」
 リンダの必死な顔を見て、「今度ばかりは僕の勘は当たって欲しく無かったんだけどね」とジェイムズも苦笑する。
 リンダが極秘で太陽系警察機構USA支部レディ級刑事サラマンダーの裏の顔を持つ様に、ジェイムズもまた、未成年の身で有りながら異例の太陽系防衛機構(通称:宇宙軍)作戦統合本部の極秘幹部「J」という裏の顔を持つ。
 秘密を共有し、似た価値観を持つ仲間として、立場こそ違えどリンダとジェイムズは差し障りが無い程度に情報交換をし、時に協力もする関係だ。
「あの時は太陽系警察機構に移籍した山崎大の事を調べていたわね。宇宙軍除隊者の消息にどんな危険が有るの?」
「君こそどうして今になって、それを知りたいんだい?」
 リンダの問いにジェイムズも問い掛けで答えた。
 どれほど日頃は仲が良く、愛情すら抱いている相手でも、リンダが刑事でもあり、自分自身も厳しい守秘義務を課せられている為、ジェイムズも自分が知る全てを話せない。
 これが原因で1ヶ月前に余計な横槍を仕事中のリンダに入れてしまい、周囲に多大な誤解を招いた。学院のカフェテラスで切れたリンダに怒鳴られた時の衝撃は記憶に新しい。
「どうしても知る必要が出来たから……じゃあ、あなたはイエスと言ってくれないわね」
 俯いて唇を噛むリンダを見て、ジェイムズの胸は酷く痛んだが、「そうだね」とだけしか答えられなかった。
 中継宇宙ステーション「アンブレラI号事件」の時の様に、リンダが表向きだけでも民間人の立場を貫いてくれれば、ジェイムズも護衛を理由に軍を動かせるし、情報の一部を提供する事が出来る。
 今回ばかりはそれを期待出来そうも無いと判断したジェイムズは素直に謝った。
「すまない。リンダ、僕を許して欲しいとはもう言えないね」
「いいえ。わたしもまた聞いてはいけない事を聞いてしまったわ。ごめんなさい。ジェイムズ」
 また甘えが出てしまったと、リンダは自分の浅はかさを恥じた。自分は何も話さないままで、ジェイムズからだけ都合の良い情報を得られるはずは無い。
 それと同時に極秘レディ級の自分では、太陽系防衛機構の幹部と直接交渉するだけの権限は無いのだと改めて思い知らされる。
 何故ビクトリアが全てを捨ててもクイーン級を目指したのか、少しだけ今のリンダにも理解出来た気がした。

 リンダが出窓から降りて階段を降りようとした時、ジェイムズがリンダの腕を掴んだ。
「リンダ。おそらく君と僕が目指しているものは同じだ。お互いに協力出来ないだろうか。きっと……いや、必ず君と僕なら上手くやれる」
 笑顔の仮面を外したジェイムズの真剣な瞳を間近に見て、リンダは視線を逸らして何度も頭を振った。
「わたしの独断じゃ何も決められないわ。ごめんなさい。許して。ジェイムズ」
 リンダの辛そうな声を聞いて、ジェイムズは掴んでいた手を緩める。
「君の不在を良い事に、勝手に僕が君のパートナーの前に姿を見せたからかい? それともUSA支部に余計なメールを送ったから?」
「いいえ。あなたは何も悪く無いわ。わたしが彼に何も言わなかったのが全ての原因なの。もうあんな思いは嫌。勘違いであなたに酷い事を言ってしまったり、わたしを信頼してくれている彼を裏切って傷付けるのも」
 ああ、とジェイムズは全てを察してリンダの手を離した。
 自分が挑戦状代わりだとα・シリウスの前に姿を見せた事で、パートナー関係にあるリンダとα・シリウスの間に亀裂を生じさせてしまったのだ。
 その上にあの意味深なメールでは、短気なα・シリウスは口の堅いリンダをきつく問い詰めただろう。
 パートナーとの関係が修復するまで、リンダはどれだけ泣いただろうとジェイムズは心を痛めた。
 ジェイムズの表情の変化から、また誤解をさせてしまったとリンダが慌てて言い募る。
「ジェイムズ、違うわ。仕事熱心で真面目なシリを悪く思わないで。お願いよ」
 「あっ」と、気付いてリンダは自分の口を両手で覆い、ジェイムズは正直なリンダに自然と笑みが浮かんでくる。
「君は彼を「シリ」と呼んでいるんだね。だから、表向きはCSS(コンウェル・シークレット・サービス)社員のシルベルド・リジョーニという設定なのか」
 驚いたリンダが大きく目を開いたままでいると、「僕は情報収集のプロだよ。甘く見ないで欲しいね」と笑って軽くリンダの額をつついた。

「さて、姫君。時計を見ているかな? 僕達は午後の授業に完全遅刻だよ。犯罪心理学IIの教授は時間にうるさい。いっその事、このまま僕と一緒にサボるかい?」
 「はあ?」と言ったリンダはコンタクトレンズに現在時間を表示させて、「げっ!」と少女らしくない声を上げた。
「今なら全速で走って行けば5分の遅刻で済むでしょう。平謝りしてでも講義を受けさせて貰うわ。無断遅刻だから減点は覚悟の上よ。後でそれらしい理由を付けた書類を作成して無罪放免より、教授の講義をわたしは選ぶわ」
 言うと同時に走り出したリンダの横を、ジェイムズも並んで走る。
「じゃあ僕もそうしよう。彼の面白い講義は聴かなきゃ損をするだけだからね」
「口より足をもっと早く動かしなさいよ。そろそろ本気で走るわ。悪いけど置いていくわよ」
 スピードを上げたリンダを、慌てたジェイムズが追いかける。
「遅刻を教えた恩人に姫君は意地悪だ」
「それとこれは話が別よ」
「どこがだい?」
「時間に気付いてたのに、遅刻が決定するまで黙ってたあなたが悪いわ」
「酷いなぁ」
「何とでも言って。わたしはこういう性格なの。もう行くわね」
 軽いステップで階段を5段は一気に飛び降りるリンダの後ろ姿を見て、ジェイムズが本気で焦る。
「うわっ。リンダ、お願いだから待ってくれよ」
 常に厳しい戦闘訓練の成果で、息1つ乱れていないリンダと、必死で追い掛けてぜいぜいと肩で息をするジェイムズは、教授から「時間の無駄だからさっさと座れ」と一喝され、講義の間中厳しい質問攻めにされながらも最前列で講義を受けさせて貰った。
 夕方、筋肉痛になったジェイムズは散々醜態を笑ったニーナから「今のままじゃ勝負にもならないわね。頭だけでは将来命がいくつ有っても足らないわよ。今後は身体トレーニング時間を増やしなさい」と一喝された。


 授業が終わったリンダはリニアシャトルでワシントンDC郊外に有る太陽系警察機構USA支部に向かう。
 深夜にマザーから暗号文で届いたメールには一言、『明日は授業が終わり次第、自力で出勤する事』と書かれていた。
 コンウェル財団も参加して仕上げた太陽系警察機構マザー達のヒューマノイドシステムは、通常ならもっと情緒深い文面を作成する。
 リンダも数ヶ月間の付き合いとはいえ、気配りの上手いマザーの性格はよく知っている。
 簡潔過ぎる文章から、太陽系警察機構の暗号通信を使っても話せない自体がUSA支部に起こっていると、マザーが隠しメッセージを入れたのだとリンダは判断した。
 それはここ数日自分が危惧している事に通じるのではないか。だからこそ裏事情を知っているらしいジェイムズも、自身の立場や場所も忘れて自分に直接交渉を持ちかけてきたのではないか。
 リンダは無意識の内に自分の耳に着けられたピアスに指を伸ばす。ここ数日、毎日続いた激しい攻撃信号の音が忘れられない。
 ピアスが発する音の大きさは脅威度に比例する様に設定され、あの信号はS級のものだったとリンダはそっとウエストバッグに手を伸ばす。
 自分に退けられるだろうか? 僅かに気弱になったリンダは、すぐに頭を振って自分の思考を否定した。
 出来るかではない。必ずやるのだと思い直し、リンダは目的の駅でシャトルを降りた。


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