Rowdy Lady シリーズ 2 『木星より愛をこめて』

13.

 リンダの頭の中で鹿乃子の声が何度も木霊する。

「破壊の竜」

 パートナーのα・シリウスも何度も自分の事を「人の形をした竜」と呼んでいなかったか。
 マザーもΩ・クレメントも正式な場では自分をサラマンダー(火竜)と呼ぶ。
 どうしてそんなコード名になったのかと聞いた時に、マザーが「イメージに最も似合うコード名を選んだ」と言っていた。
 出会ったばかりのアトル達も自分を見て「竜」だと言った。

『自分で自分を守れる力が欲しい!』

 母ジェシカと仲の良いシークレット・サービス達を1度に亡くしたと知った時以来、父ケインに懇願して厳しい戦闘訓練を受け続けてきた。
 自分は知らない間に人の心を失ってしまったのだろうか?
 姿は人のままで人間では無いモノに変化してしまったのだろうか?
 記憶と同時に人間の魂も無くしてしまったのか?
 父や友人達はごく普通の人間だから、自分の本質に気付いていないだけなのかもしれない。
 鹿乃子の動物の本能は自分も知らなかった本質を見抜いてしまったのだろう。
 だからこそ鹿乃子は目が合った瞬間に自分から必死に逃げて「怪物」、「破壊の竜」と呼ぶのだろう。
 膝を付いたリンダの両目から透明の滴が溢れ出す。

 通信ピアスを通してリンダと鹿乃子の会話を聞いていたα・シリウスは、怒りで鹿乃子に殺意を覚えた。
 耳には押し殺したリンダの嗚咽が聞こえ続けている。
 自分も含めてリンダを「竜」と呼ぶ者は、その生命力と圧倒的なパワー、何より気高い精神に対する敬意を込めて「竜」と呼ぶ。
 それを鹿乃子は明らかに侮蔑と拒否の意志でリンダを罵倒した。
 うずくまるリンダを置いて逃げだそうとした鹿乃子の肩を、端末を使ってリンダの居る座標から先回りしていたα・シリウスが両手で掴まえた。
 突然目の前に現れて殺意を隠そうともしない長身の青年に、鹿乃子は一瞬だけ怯んだが「これは人間」だと安堵の息を吐く。
「鹿乃子だな」
 低く脅す様な口調にも開き直った鹿乃子は平然と答える。
「そうよ。あなたは猫が言っていた乱暴な人でしょう。たしかに強いし怖いけど、「アレ」に比べたらただの人間ね。あの「竜」と仲間なの?」
「お前ごときがリンダ・コンウェルを「アレ」だの「竜」と呼ぶな。その口が2度と開けられない様にこの場で殺してやりたいくらいだが、リンダ・コンウェルが獅子に「命を懸けてもお前を保護して守る」と約束した。俺はそれに従う」
「はっ」
 と、鹿乃子は吐き出す様にα・シリウスを嘲笑した。
「あなたもあの竜の従者なの? 獅子は生まれながらの戦士よ。本能があの竜には勝てないと知って従ったんだわ。獅子はあの竜にとても敬意と好意を持っているわ。わたしは獅子の言葉を信じてアンプルを打ったのよ。それなのに薬をくれた相手がわたし達以上に人間じゃ無いなんてとんだ茶番だわ!」

 α・シリウスは我慢の限界だと、絶対に怪我をさせないというリンダとの約束も忘れて、鹿乃子の頬を平手で打った。
 よろめく鹿乃子の両肩を掴んで振り返らせると、頭を押さえつけてリンダの方に視線を固定させる。
「よく見ろ。あれが竜か? その曇りきった大きな目でもう1度リンダ・コンウェルを見てみろ。お前の言う竜はあんな姿をしているのか!」
 苦痛で顔をあげた鹿乃子は、驚いて思わず言葉にならない声を上げる。
 ほんの数メートル先でリンダが幼い子供の様に両手で顔を覆い、地面に膝を付いて泣いている。
 さっきまでの恐ろしいほどのパワーはどこに消えてしまったのかと鹿乃子は小さな声で呟いた。
「あの人がさっきまでの破壊の竜なの? どうしても普通の人間にしか見えないわ」
「あれが本当のリンダ・コンウェルの姿だ。誰かの為に命懸けで必死に戦い、何が有っても護ろうする強い意志が「竜」に見せる。だが、その本性は脆くとても優しい。お前もリンダ・コンウェルの優しさに触れたはずだ。お前の体調をそこまで良くした物は何処から来たものだ? 大切な仲間の信頼すら疑うほど、お前の動物の本能は人間の意識を凌駕しているのか。獅子はリンダ・コンウェルを「全面的に信じる」と言ったぞ」
 淡々と真実を告げるα・シリウスの言葉を聞いて、鹿乃子は自分の言動が急に恥ずかしくなった。
「……本当にあの獅子が「服従」では無くて、リンダ・コンウェルを「全面的に信じる」と言ったの?」
 困惑の表情を浮かべて鹿乃子がα・シリウスを振り返る。
「そうだ。俺はその会話を聞いていた。リンダ・コンウェルも獅子やお前達を100パーセント信じると言った。そういう娘だ」

 鹿乃子の足から力が抜け、α・シリウスにもたれ掛かる。
「知らなかったわ。でも、謝ったくらいで到底許されない事を、とても残酷な事を言ってしまったわ……。どうやって彼女に償えば良いの?」
 普通の人間と違う辛さは、他の誰よりもDNA融合体の自分達が知っているはずではないか。
 自分が普通の人間と違う事を誰かに知られるのが恐ろしくて、幼い頃からずっと小さな家の庭から外へ出ようとしなかった。
 法律で存在する事すら許されないDNA融合体の自分達でもそうなのに、普通の人間の身で有りながら常に犯罪者達から「化け物」と呼ばれ続けているリンダはどれほど辛かっただろうと、鹿乃子は罪悪感で震えた。
 α・シリウスはもう大丈夫だろうと小声で鹿乃子に囁いた。
「謝らなくて良い。手を差し伸べて笑ってやってくれ。それだけでリンダ・コンウェルには通じる」
 背中を軽く押されて鹿乃子はリンダの方にゆっくりと歩き出した。
 自分と同年代にしか見えない少女は、今も泣き続けて地面を濡らしている。それだけ酷い事を自分はした。
 どれほど感謝しても足りないくらい程恩を受けた相手を、本能の恐怖に負けて罵声を浴びせて深く傷付けた。
 鹿ノ子は罪悪感から何度か躊躇って、小さく震える手をα・シリウスに言われたとおり、そっとリンダの肩に乗せる。
 少しだけ顔を上げたリンダの目は真っ赤に腫れていた。
「リンダ、あなたに会いたくて此処まで来たの。お願いよ。わたし達を助けて」
 真っ黒な大きな瞳と、今は弱々しい明るいエメラルドグリーンの瞳が交差する。
 鹿乃子の言葉を受けて、リンダは1度頭を下げて涙を乱暴に袖で拭うとすぐに立ち上がった。
「もちろんよ。わたしが出来る限りの事はするわ。獅子さんがとてもあなたの事を心配していたわ。彼にあなたの無事を知らせなきゃね」
 顔を上げたリンダはもう泣いていなかった。
 それどころか暴言を言い放った自分に微笑みかけ、手を差し出してくる。

 護る為の強さ。

 これがリンダの「竜」なのだと鹿乃子は全身で感じ取り、笑顔でリンダの手を握り返した。
「ありがとう」
「礼を言うのはまだ早いわ。わたしはまだ何もしていないもの。全てはこれからよ。シリ!」
 強い意志がリンダの瞳を輝かせ、それを見て安心したα・シリウスが笑顔で手を振る。
「自動追尾で車をすぐ近くに回してある。行くぞ」
「ありがとう。さあ、鹿乃子さん。一緒に行きましょう」
 鹿乃子はリンダの手から優しさと強さを感じながら、α・シリウスとの強い信頼関係に自分達兄弟とは違うものを感じていた。


「見つけた」
 目を閉じたリリアの高く小さな声が車の中に響く。
「何処だ?」とアトル。
「右、もうすぐアトルには見える」とリリア。
「くそっ。此処からだとすぐには高速から降りられない」と大。
 かえって邪魔だとアトルは不可視ゴーグル外し、窓に顔を押し付けて目をこらす。
「あれか。まだ点だけどこっちからなら何とか見える。すぐに通り過ぎちまうぞ! ビクトリア」
「行きなさい。アトル」とビクトリアが短く指示を出す。
「今時速550キロだ。大丈夫だな?」
 大がルーフパネルを開きながら、後部座席のアトルに問い掛ける。
「任せろ。時間がねぇ。行く!」
 アトルは車の上に身体を出すと思い切り天井を蹴って高く宙を飛び、木の葉の様に舞ながら高速で走る車から遠ざかった。

 獅子はリンダとの交信の後、全速で高速道路沿いを走り続けていた。
 元々自分の身体は長距離走には向かない上に、ここ数週間まともに薬を摂っていないので、全身の筋肉と内臓が悲鳴を上げている。
あれからどれくらい時間が経っただろう。鹿乃子、無事でいるのか?
リンダ・コンウェル、お願いだ。俺達を助けてくれ。
 獅子の視界の端に黒い人影が映った。
烏? まさか、そんなはずは無い。
 黒い影は一旦全身を広げて薄い空気の層を作り、腰から長い紐を繰り出してビルボードに引っ掛けると、振り子の様に猛スピードで自分に向かって飛んでくる。
「獅子ぃっ! もう走んなくて良い。止まれぇっ!!」
 風を切る様に声が自分の上空を通り過ぎ、何事かと振り返った獅子の前に少年が頭を抱えて回転しながら地面に落ちると転がってきた。
「いてぇっ。くそっ。地球の重力忘れてた」
 擦り傷だらけになってボサボサの髪をしたアトルが、顔をしかめて身体をさすりながら立ち上がる。
 獅子は初対面なのに自分の名前を呼ぶ、空から降ってきた少年に戸惑いを覚えて立ち止まった。
「獅子だろ? サラの使いだ。迎えに来た」
「サラ、誰だ?」
 胸を押さえて息を切らしながら聞く獅子に、ぽんとアトルが手を打って笑って舌を出した。
「悪い。間違えた。リンダ・コンウェルの使いだ。お前を保護してくれって頼まれたんだ。俺の名はテオ・アトル」
「リンダ・コンウェルなら別の男を寄こしたはずだ。お前じゃない」
 アトルの強さに気付いた獅子が少しだけ重心を移して後ずさる。
一目で判る。こいつはあのリンダ・コンウェルよりも強い。
こんな人間が本当にこの世に居るのか?
 獅子の強い闘争本能と警戒心に気付いたアトルが少しだけ顔をしかめて面倒臭いと頭を掻く。
「俺はお前と喧嘩する気なんか全然ねえっての。お前が会いたがってる大なら今頃俺より無茶やってると思うぞ。後5分だけで良いから待てって。そしたらお前にも解るから」

 ルートを確認した大は舌打ちして、非常措置を取る事を選んだ。
 約束した相手では無いアトル1人では、獅子を警戒させるだけだからだ。
「ビクトリア、リリア、口を閉じて何かに掴まってろ!」
 大が大声で叫んでブレーキを踏むと同時にハンドルを左に切った。
 球形のタイヤが火花を散らしながら悲鳴を上げ、車は激しくスピンして逆方向を向く。
 ハーフパイプ形状の壁に車が乗り上げて横転する前に大はアクセルを強く踏んで壁を逆走させる。
 ハンドルを再び左に切ると車は高速道路を飛び出して宙に浮かび上がった。
「あのヤロ。やっぱりやりがった。獅子、逃げるぞ! 頭を保護しろよ」
 アトルと獅子の上に黒いワゴンが落ちてくる。
 アトルが腰紐を取り出し、数メートル先の街路樹に巻き付けると、有無も言わせず獅子の腰を抱えて飛ぶ。
 十数メートル程離れた場所に落ちたアトルと獅子が頭を抱えて地面に伏せる。
 ほぼ同時に大が車の外部エアバッグを手動で開き、バルーンに全周を包まれた車は何度もバウンドと横転を繰り返して真っ直ぐに道路上に停まった。
 全方向6G加速に慣れているビクトリアが、衝撃の大きさに目眩を覚えて額を押さえる。
「大、0.5G以上の所では2度とやらないで。早朝で周囲に車が居なくて良かったわ」
 リリアも目を回して後部座席でダウンしかけていた。
 バルーンが回収された車の窓を立ち上がったアトルが何度も叩く。
「大の馬鹿ったれ! 俺らを殺す気か? 音に気付いて避けなきゃ潰されてたぞ」
 大が運転席から降りて怒鳴り返す。
「お前がこれくらいで死ぬか! ちゃんと避けたじゃないか」

 背後から背中に突き刺さる視線に気付いた大が振り返って苦笑すると、警戒しつつも半ば呆然としている獅子に手を差し出す。
「山崎大だ。昨日はいきなり攻撃して悪かった。あのままでは彼女が危ないと思ったんだ。サラ……じゃない。リンダ・コンウェルから頼まれて迎えに来た」
 獅子は見覚えの有る顔を見て本物の迎えだと理解し、深い溜息をつく。
 この無茶苦茶さと何処かずれてぶっ飛んだ性格は、たしかに全員リンダ・コンウェルの類友だと確信した。
 大と会って安心したからか、疲労がピークに達したからなのか、獅子の全身から力が抜けていく。
 倒れかかる獅子を驚いた大が受け止め、リリアが慌てて車から飛び出してきた。
 リリアが横たわった獅子の身体にそっと触れる。
 獅子の全身が異常な熱を帯びていて、痙攣が始まった。
 指1本すら獅子自身の意志で動かす事も出来ず、意識が混濁していく。
「何? リリア。死にそうってどういう事だ? 薬をずっと使ってないって? まさか、こいつが1番年上なんだろう」
 大が問い掛けるとリリアは泣きそうな顔で何度も頭を振った。
『お願い。今すぐにリンダに連絡して! 獅子がリンダを必死で呼んでいるの』


 リンダ達が車に乗り込むとほぼ同時にビクトリアの強い声が聞こえてきた。
『RSM、サラ。聞こえているの? 返事をしなさい』
「聞こえています。クイーン・ビクトリア。遅くなりました。鹿乃子さんと無事に会えました」
『良かったわ。こちらも獅子と会えたわ。でも彼の様子が変なの。座標は解るわね。今すぐこちらへ来て』
「了解」と言ってα・シリウスが車を発進させる。
 「あっ」と後部座席の鹿乃子が声を上げた。
 「どうしたの?」とリンダが振り返る。
「獅子はどうやってこんなに遠くまで来たの? わたしはシャトルに乗ったわ。獅子は?」
 リンダが不安げな鹿乃子の顔をみつめながら説明した。
「獅子さんと連絡が取れた時、彼はセントラルパーク北部に居たわ。わたし達はすでにこの近くまで来ていたの。それで2手に分かれてわたし達があなたの保護に、今スピーカーから声が聞こえた人達が獅子さんを迎えに行ったわ。下手にシャトルに乗るとすれ違いそうだったから獅子さんには合流出来るまで走って貰ったの」
「獅子を走らせたの? どれくらい? 3分? 5分?」
 鹿乃子の必死の問い掛けにリンダも真剣に答える。
「多分……20分くらいだと思うわ」
「そんなに!? 酷いわ。獅子が死んじゃう!」
「どういう事なの?」
 泣き出した鹿乃子の肩を驚いたリンダが強い力で掴む。
「獅子はお母さんが死んでから薬を自分の分もわたし達に回して、自分はライオンDNA対応の半分だけしか使わなかったの。出来るだけ長く皆で生き続けたいからと言って」
「そんな。まさか……嘘でしょう!?」
「本当は獅子が1番身体が弱いのに、わたし達が何を言ってもお兄さんだからって引かなかったの。たしかに獅子は強いけど、長時間全速で走ったりしたら高い身体能力に弱った心臓が耐えられないわ」

「シリ!」
 リンダの悲鳴に近い叫び声にα・シリウスが応じる。
「解ってるから冷静になれ。泣いてる暇は無いぞ。後10分もせずに合流出来る。サラは今やれる事をやれ!」
リンダは頷いてサムから受け取ったケースからアンプルを数本抜き取るとポケットに収めた。
「クイーン・ビクトリア。アンプルの追加が間に合いました。今すぐ持って行きます!」
『分かったわ。とにかく急いで。時間が無いの』
 スピーカからビクトリアの強い声が響き渡った。


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