Rowdy Lady シリーズ 2 『木星より愛をこめて』

12.

 かすかに東の空が色付き始めた頃、鹿乃子は目を覚ました。
 ゆっくりと身体を起こし、自分が生きている事を心から喜んだ。
 すぐ側に皆が眠っている気配を感じたので、息を殺して後ずさりをしながら立ち上がる。
 猫の枕元に有るリンダのホットラインナンバーを手に取ると、足音を立てずに部屋を出た。
 わずかな音でも猫が目を覚ますのでメモは残せない。
 獅子は自分が夜明けまで生きていれば烏に薬を使うと約束してくれた。
 昨日よりずっと身体が軽いという事は、昨夜打ったアンプルが自分達にも効果が有る証拠だ。
 もっと欲しいと願えばリンダならきっと叶えてくれる。
 鹿乃子はそう信じてまだ暗い道を公共通信端末を捜しに駆け出した。


 α・シリウスは意識を取り戻すと同時に顎と後頭部に激しい痛みを覚えてかすかに呻いた。
 目にも止まらぬスピードと勢いで蹴られて、よく舌を噛まなかったものだと自分の悪運の良さに感謝する。
 直情型のリンダが珍しく我慢をして笑顔を作り、内心では激怒している事に気付いていたが、生きている実感が欲しくてリンダの体温に触れていたいという欲求の方が強かった。
 泣かれるより殴られる方がましだと少しだけ茶化してみたら、案の定いつものブチ切れモードに変わって怒りを爆発させた。
 あれだけ怒らせたのに部屋から追い出されもせず、ちゃんとベッドに寝かされ毛布も掛けられていた。
 薄暗い部屋の隣のベッドにはリンダが安心した顔で静かな寝息を立てて眠っている。
 これが今のリンダと自分の距離なのだとα・シリウスは思った。
 リンダは自分に「何も言わなくても解ってくれている」と言ったが、それは自分の台詞だと思う。
 不器用で感情表現が下手な自分の気持ちを、いつもわずかな言葉だけで全てを察して受けとめてくれる。
 「好きじゃ無い」とはっきり言った相手に、17歳の少女がどうしてこうも優しくなれるのだろうか。
 狭い部屋なのでベッドの端に身体を寄せて手を伸ばせば簡単にリンダの頬に手が届く。
 自分が今触れたいという衝動に駆られて行動すればリンダの信頼を裏切る事になる。
 もう2度と自分の馬鹿な言動でリンダを悲しませたり泣かしたくない。
 ビクトリアは自分に「大人の対応をしろ」と言った。
 パートナーを心から信頼し、大切に想うのなら感情だけで動くなという意味だろうと、鈍い自分でも理解出来た。
 時折沸き上がる形にならない衝動は今は完全に抑えられる。
 しかし、昨日の様に感情が爆発した時はどうしたら良いのだろうかとα・シリウスは真剣に悩んだ。

 α・シリウスが寝顔を見つめ続けていると、リンダが厳しい顔をして目を開いた。
「シリ、おはよう。起きて」と言ってベッドから飛び起きる。
「おはよう。ちょうど起きたところだ。連絡が来たのか?」
 上着を手にα・シリウスもベッドから立ち上がる。
「ええ」
 リンダとα・シリウスが部屋から出ると、同時に大とリリアが部屋から飛び出して来た。リリアのエンパシー能力がリンダの強い意志を感じ取ったのだ。
 10秒もしない内にビクトリアとアトルも部屋から出てくる。
「皆、おはよう。サラ、連絡が有ったの?」とビクトリア。
「短く一方的ですが来ました。わたしを呼んでいますからすぐに会いに行きます」
 報告だけを済ませるとリンダがエレベータに向かって走りだした。
 俊足のアトルが追い越してリンダの前に「待てよ!」と両手を広げて立つ。
「サラ、行くなら全員でだぞ。RSMじゃねーけど危なっかしくてとてもサラを1人に出来ねえっての。USA支部でも単独捜査は禁止だろ」
「じゃあ、一緒に行きましょう」
 リンダは少しだけ目を大きく開き、言い争っている時間が惜しいと笑顔になってアトルの手を取る。
「相手が違う。サラのパートナーは俺だ」
 α・シリウスがリンダの手をアトルから外して強引に自分の手を握らせる。
 大とリリアがどうしようかと横目で見ると「好きにやらせておきなさい」とビクトリアが視線だけで返した。

 地下駐車場に着くとマザーが車の前で待っていた。
『軽食を車中に用意してあります。目的地に着くまでに食べてください。空腹では良い仕事は出来ないだろうと頼まれました。Ω・クレメントから伝言です。「全員の無事を祈る」との事でした。お気を付けて』
「ありがとう、USAマザー。オスカーによく礼を言っておいてね」
 ビクトリアが「急いで」と全員を車に乗り込ませた。
「クレメントって顔に似合わず細かいトコまで気が利くよなぁ」
 アトルが嬉しそうにコーヒーを手にし、サンドウィッチを頬張る。
「若い頃からオスカーはとても優しくて信頼出来る人よ。何年経ってもそういうところは全然変わっていないわ」
 ビクトリアの手放しの賞賛に「「ほーっ」」と大とアトルが興味深げな声を上げる。
「オスカーとわたしは同期で同じチームで一緒に研修を受けたの。変な勘ぐりをしないで。時間が惜しいわ。行きましょう」
 少しだけ赤面したビクトリアの指示と同時に2台の車が発進した。
「サラ。場所は何処だ?」とα・シリウス。
「まだ夜明け前だというのにどんどん移動しているわ。このスピードだとリニアシャトルに乗っているわね。路線からしてわたしの自宅が目的地だわ。わたしに直接会いに来てくれるつもりだとしたらすぐに保護しないと危険よ」
『サラ、その端末のデータをこちらにも渡して貰えないかしら? 同時に2方向から動けるわ』とビクトリア。
「わたしのDNAコードが無いと使えない様に設定されています。申し訳有りませんがそちらは何とかわたしを追いかけてください」とリンダが正直に謝った。

『マイ・ハニー、サラ。車で追いかけられない場所に行かれたら、俺達全員がサラを見失う可能性が高い』
『マイ・ハニー、シリ。分かっているわ。だからこれを受け取って』
 リンダがウエストバッグから小さな端末を出してα・シリウスに手渡す。
『それが有ればいつでも衛星がわたしの現在位置座標を教えてくれるわ。うちで使っている物の小型版よ。シリにだけ渡しておくから、わたしとはぐれたらチーム・ビクトリアを一緒に連れて来て』
 α・シリウスが意外だという顔をしてリンダに向き直る。
『俺にこんな大事な物を渡して良いのか? コンウェルの企業機密扱いなんだろう』
『パートナーのシリを信頼すればこそよ。もっと早く渡そうと思ったのだけど昨夜は……ね』
 軽くウインクをして笑うリンダに、α・シリウスは苦笑しながら自分の顎と後頭部を指さして「今でも痛い」と動作だけで伝えた。
『わたしが素手でも手加減をしなかったらそういう事になるのよ』
 訓練時にそれが怖くて本気が出せなかったのだとリンダが謝る。
『気絶するまで格闘戦をするのはアトルで慣れている。接近戦の腕を上げる良い機会だ。俺も今後は本気でサラの相手をする。太陽系警察機構特化α級候補の本当の実力を教えてやる。サラと違ってかなり汚い手も使うぞ』
 リンダがα・シリウスもずっと手加減をしていたのだと知って小さく息を飲む。
 それと同時にまだ26歳のα・シリウスが特化候補だと聞かされ、あの正確な銃とナイフの腕に納得がいく。
 特化α級のアトルと大から教育を受けたα・シリウスは体術でも銃器を扱ってもかなりの腕前だ。
『これからは実践以上の訓練を受けられるという事ね。とても楽しみにしているわ』
 期待で目を輝かせてにやりと笑うリンダに、α・シリウスは竜の闘争本能を刺激してしまったと少しだけ後悔した。
 今後はメディカル・キット無しの訓練は望めないだろう。
「クイーン・ビクトリア。ご存じでしょうがわたしの家の周囲は監視衛星で24時間見張られています。3ブロック手前で車を降りますがかまいませんか?」
『こちらには体力馬鹿が2人揃っているから好きに動いて良いわ。リリアがあなたの動きをトレースするわ』
『2人じゃなくて3……げっ!』
 リンダとα・シリウスはアトルが余計な事を言おうとしてビクトリアに殴られたのだと察して同時に笑った。


 夜明けと同時に猫が飛び起きて異変に気付き、必死で獅子の肩を揺する。
「獅子、起きて! 鹿乃子が居ないの」
「まさか!?」
 獅子も抱いていた烏をそっと置いて立ち上がる。
「やられたわ。ごめんなさい」
 猫が自分が持っていた包みからリンダのホットラインナンバーが抜き取られている事に気付いて悔しそうに呟いた。
「時間が経ちすぎている。とても臭いでは到底追えないな。猫」
「何?」
「お前は此処に待機してアンプルを烏に投入しながら様子を見て治療を続けてくれ。それが鹿乃子の望みだ。俺はリンダ・コンウェルと連絡を取りながら鹿乃子を追う」
 慌てた猫が危険だと獅子の腕を握りしめる。
「適材適所だ。攻撃力は俺が1番強く、足は鹿乃子が1番速い。猫はわずかな変化から烏の様態が判るだろう。猫もアンプルを打っておけ。リンダ・コンウェルが全員に効くと言っていた」
「獅子はどうするの?」
 尚も食い下がろうとする猫に、時間が無いと獅子がインカムを取って手を離させる。
「俺の分も烏に回してやってくれ。俺は直接リンダ・コンウェルに頼んで貰う。猫、あの日の約束を俺も忘れていないから安心しろ。烏を頼んだぞ」
 金色に輝く強い瞳で言われ、猫は他に方法が無いのだから仕方がないと思い、「気を付けて」と頷いた。


『お願い。わたし達を助けて』
 早朝でしかもたった一言の一方的なメッセージにリンダ・コンウェルは気付いてくれただろうか?
 初めてたった独りでリニアシャトルに乗った鹿乃子の内心は不安で一杯だった。
 人間とは違う黒目の大きい目を少しでも隠そうとシャトル端の座席に腰掛けて俯き続ける。
 あまり人が乗っていない事が鹿乃子にとって幸いしたが、全身の震えと冷や汗は止まらない。
 獅子も猫も危険を犯してリンダに会いに行き、薬を貰って来てくれた。
 今度は自分が頑張って皆を助ける番だという強い思いと、獅子から聞いたリンダへの好印象が、気の小さい鹿乃子を動かした。
 ネットで調べたコンウェル家の私邸はニューヨーク近郊とは思えない程、広く落ち着いた地区に有るらしい。
 街そのものが精密に計算され、数機の低高度衛星から守られた要塞で有る事を鹿乃子は知らない。
 コンウェル家の番地から1番近い駅で降りた鹿乃子は、震える足を奮い立たせてゲートを通過した。


 端末がコール音を鳴らし、リンダがα・シリウスにスピーカーのオフと沈黙する様にとサインを送り、スイッチを入れる。
『リンダ・コンウェル。そちらに鹿乃子が行っていないか?』
 獅子の声を聞いてリンダはほっとすると同時に、荒い息から走りながら話しているのだと気付いた。
「おはよう。その声は昨日の人ね。30分程前に若い女性の声で連絡が有ったわ。今、わたしは彼女が居る場所に向かっているの。上手くいけば後5、6分もすれば合流出来るはずよ。あなたは焦っているみたいね。何が有ったの?」
『昨夜、鹿乃子はお前を信じると言って1人だけアンプルを打った。俺達は夜明けまで待つ約束だった。俺達が眠っている間に鹿乃子が独断でお前に連絡を入れた。頼むから教えてくれ。鹿乃子は何処に居る?』
 獅子の必死の声にリンダは少しでも真実を伝えようと冷静に応える。
「落ち着いてよく聞いて。カノコ……さんはわたしの家に向かっているわ。あなたの位置からならリニアシャトルに乗るのが1番速いわ。あなたを迎えに行きたいけど鹿乃子さんを優先させたいの。あの地区は未登録者にはとても危険なのよ。下手をすれば上空から攻撃されるわ」
『何だと! それはとういう意味だ?』
 獅子が焦って怒鳴り声を上げる。

『話は聞いたわ。リンダ、わたし達が彼を迎えに行くわ』
 スピーカーを切っている為か、リンダの意識に直接リリアの強い声が響き渡る。
『リリアなの? でも大は昨日彼に武器を使ったわ。敵として認識されている可能性が高いわ。どちらにとっても危険よ』
『最悪の場合に備えてテレパスのわたしが居るのよ。お願い。任せて。大も皆も承知しているわ。リンダは鹿乃子さんをお願い』
『分かったわ。委せるからお願いね』
 リリアとのテレパシー交信を終えたリンダが大声を上げ続ける獅子に意識を戻した。
『リンダ・コンウェル。返事をしろ! 鹿乃子を何処に呼び出したんだ?』
「待たせてごめんなさい。信頼出来る人があなたを迎えに行くと言ってくれたの。昨日、わたし達に向かってきた青年を覚えている? 長身で黒髪の人。彼があなたの元に行くわ。鹿乃子さんはわたしに任せて。必ず安全に保護すると約束するわ。もし彼女を守りきれなかったらあなたの手でわたしを殺して良いわ」
『サラ。冗談でもそんな事を言うな!』とα・シリウス。
『命懸けの彼らに対して当然の事を言っただけよ』とリンダ。
 獅子は戸惑いと怒りと焦りを隠せない声で低く呻る。
『俺を網に掛けようとした男か。自分の命を懸けるから奴を信じろと言うのか?』
「そうよ。彼ならあなたも顔を覚えているでしょう。昨日はわたしを心配してあんな行動に出てしまったけど、本当はとても優しい人なの。お願い。わたしを信じてくれるのなら彼も信じて」
 リンダの声から嘘が全く感じられず、獅子はずっと心の奥底に隠していた気持ちをはっきりと示した。
『リンダ・コンウェル、俺はお前を全面的に信じる。俺の名前は獅子だ。そう呼べ。俺は何処に行けば良い?』
「信じてくれてありがとう。シシさん。先に謝っておくわ。あなたは今インカムで通信しているわね。現在位置がわたしには判るの。そのまま公園を突っ切って走って高速沿いを北に向かって。黒いワゴンが必ずあなたを見つけるわ」
『分かった』と獅子。
『何か困った事が有ったらすぐにわたしに知らせて。どれほど遅くても20分後には迎えが行くはずよ。わたしは鹿乃子さんを捜すから一旦切るわね。獅子さん、連絡をしてくれて本当にありがとう』
 リンダは通信を切ると、α・シリウスにスピーカーをオンにする様に頼んだ。
「ありがとうございます。クイーン・ビクトリア。獅子さんは今セントラルパークを北上中です。保護をお願いします」
『すでにそちらの車を追い越して向かっているわ。大が彼と接触してくれていて良かったわ。近付けばリリアが見つけてくれるでしょう。サラ、命を懸けるという事は簡単な事では無いのよ。本当に覚悟は出来ているの?』
 ビクトリアの厳しい声にリンダは力強く「もちろんです」と答えた。
『RSM、聞いてのとおりよ。絶対にサラを守りなさい』
「教官。言われるまでも有りません。サラは俺が命に代えても必ず守ってみせます。傷1つ負わせはしません」とα・シリウス。

 リンダ達との通信を一旦切って、リリアが大の記憶から獅子の探索に集中する。
「ひゅーっ。あいつ言い切ったぜ」
 アトルが小声で嬉しそうに言う。
「彼らは命懸けでサラを信じたわ。それにサラは真摯に応えたのよ。RSMはパートナーがやるべき事を口にしただけだわ」とビクトリア。
「自分が言った事の自覚が有るなら良いけどな。今頃は……」と大。

「滅茶苦茶恥ずかしい事を大声で宣言するなぁーっ!」
 リンダが顔を真っ赤にして叫ぶ。
「パートナーは常に運命共同体だろう。サラは約束を守る事に命を懸けると言った。俺もそうするだけだ。これまで何度もサラが俺に対してやってきた事だ。今更恥ずかしいも無いだろう」
 α・シリウスが当然の事を言っただけだとあっさり言い返す。
「このままサラの家の前まで行って良いんだな」
「ええ、そうよ。お願いだから2度とあんな事を言わないで。くさい台詞は言う方は平気だったり面白かったりするんでしょうけど、聞かされる方が恥ずかしくてたまらないのよ。ジェイムズと話しているだけでも背中が痒くなるのに、この上シリまでなんて絶対嫌だわ」
 リンダが全身に鳥肌が立ったと袖をめくって両腕を見せる。
「ジェイムズ……誰の事だ?」
 α・シリウスがコンウェル家前に車を横付けしながら問い掛ける。
 しまったという顔をしてリンダが慌てて頭と両手を大きく振った。
「……えっと。今の無し。というか言い間違いだから気にしないで。あ、サムだわ」
 玄関から飛び出して走ってくるサムの姿を見つけたリンダは急いで車を降りる。
 α・シリウスは絶好の機会を逃して軽く舌打ちしたが、これで事件が解決したら堂々と「J」の事を聞けると口の端で笑った。

 サムがコンウェル家の門を出ると持っていたケースをリンダに手渡した。
「おはよう。リンダ、頼まれていた物が出来たよ。もっと詳しいデータが手に入ったら知らせて欲しい。うちのスタッフ達が絶対に作るからね。その顔から察するに時間が無いんだろう。挨拶は良いから早く行っておいで」
 車に駆け戻りながらリンダが振り返る。
「ありがとう。サム」
「気を付けて行くんだよ。吉報を待ってるから。ケインが居なくてごめんよ。昨夜からラボに居るんだ」
「分かったわ。パパにも宜しくね」
 リンダはサムに手を振ると、車に乗り込んでα・シリウスにUターンする様に頼んだ。
「鹿乃子さんはまだ駅周辺に居るわ。慣れていない人にとってこの街は道が複雑で迷ってたどり着くのが難しいもの。良かったわ。まだ警戒範囲外よ。衛星に見つからずに保護出来るわ」
「分かった。そのケースは何だ?」
「アンプルの追加分よ。サムに頼んでおいたのが間に合ったの。人間用でも無いよりはましだから」
 リンダは助手席のシートを倒してバックシートにケースを固定させる。
「それで家に寄る方を優先したのか。すぐに鹿乃子を追いかけるぞ。ナビゲートを頼む」
「ええ。次の角を右に曲がってその2つ先を左よ」
 リンダが端末を見つめながらシートを起こす。
「見つけたわ。停めて。ここから先は車では動きが鈍くなるわ。お願い。シリは此処で待っていて」
「またパートナーの俺を置いて1人で行く気か。必ず守ると言ったはずだ。どんな相手かも判らないのに絶対に離れないぞ」
「シリの足でわたしに追いつけるのなら好きにして」
 停車すると同時にリンダは車から飛び出した。


 鹿乃子は広く整備されているはずなのに迷路の様な道に戸惑っていた。
 この地区の詳しい地図データは一切公表されておらず、番地が判っていてもコンウェル家への道が解らない。理由を聞かれても困るので通りすがりの人に道を聞く訳にもいかない。
 公共通信端末を見つけてもう1度リンダに連絡を取ろうと懸命に周囲を見渡す。
 300メートル程先に濃紺の車が停まり、助手席から出てきた少女が自分に向かって走ってくるのが見えた。
 そのすぐ後ろから長身の青年が運転席から降りるのも目に入る。
「鹿乃子さんでしょう。わたしがリンダ・コンウェルよ。此処まで会いに来てくれてありがとう」
 オレンジ掛かった黄色い髪をした少女が笑顔で手を振りながら大きな声を上げる。

アレは何なの?
怖いっ!

 鹿乃子はリンダの顔を見た瞬間、全速力で逆方向に駆け出した。

 自分に会いに来てくれたはずの少女が真っ青な顔をして逃げ出すのを見て、リンダは何が有ったのか全く理解出来なかった。
「ええっ!? 鹿乃子さん。どうして?」
 理由は解らなくても獅子との約束だけは果たさなければとリンダは速度を上げた。
 警戒地区に鹿乃子が入ってしまう前に保護しなければ恐ろしい事態が待っている。
 踵を3回鳴らし『わたしを月まで連れてって(1/6Gモード)』と吐息だけで囁く。
 人間よりもずっと速く跳ねる様に走る鹿乃子に追いつくにはこの方法しか無い。
 1歩の歩幅を6倍にして足を動かすスピードはそのままにして加速させる。
「サラ、待て!」
 背後からα・シリウスの声が聞こえるが、鹿乃子を見失わない為には待ってはいられない。

 鹿乃子は全速で走っている自分にぴったりと付いてくるリンダに心底から恐怖を覚えた。
 何度も角を曲がり、坂を飛び越えて道を変えてもすぐに追いついてくる。

どうしてわたしの名前を知っているの?
アレは本当に人間なの?
人間にあんな動きが出来る訳が無いわ。
獅子は本当にあんなに怖いモノを信じたの?
掴まれば殺される!

 草食動物の本能でパニックを起こしかけた鹿乃子は、限界を感じてももっと速くと必死に足を動かす。
 リンダはこれでは到底追いつけないと大声を上げた。
「鹿乃子さん! 獅子さんから事情を聞いたわ。わたしを信じてアンプルを使ってくれたんでしょう。どうして逃げるの? 行きたい場所が有るのならわたしが送るわ」
 獅子が自分の事をリンダに話したのだと知っても、鹿乃子は本能から沸き上がる恐怖を抑えられない。
「嫌よっ。来ないで。化け物!」
 リンダは否が応でも聞き慣れてしまったあだ名に、いつもの誤解だと思った。
 普通の人間が鹿のDNAを組み込まれた少女と同じスピードを出せる訳が無いのだから。
「違うわ。わたしは人間よ。ちょっとだけ強化した服を着ているから早く走れるだけ。お願いよ。怖がらないで止まって。あなたの身体に負担が掛かるわ」

 鹿乃子がわずかに視線をリンダに向けて叫ぶ。
「身体の事を言っているんじゃ無いわ。その目を見れば判る。猫の言うとおりだったのね。わたしを騙せないわ!」
「はぁ? どうしてそうなるの?」
「あなたの魂と本性が人間じゃ無いのよ! わたしに近寄らないで。人の姿をした怪物!」
 顔だけ振り返り、鹿乃子は怒鳴り声を上げた。

「え?」

 リンダは混乱して足から徐々に力が抜けていくのを感じた。
「わたしは本当にただの人間よ」
「来ないで。嘘つき! 化け物!」
 鹿乃子が泣きながら叫び続ける。
「全てを焼き尽くす「破壊の竜」のくせに何処が人間よ! ふざけないで!!」

 鹿乃子の厳しい糾弾にリンダは完全に打ちのめされてその場に立ち止まった。
「わたしは……にんげ……」


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