Rowdy Lady シリーズ 2 『木星より愛をこめて』

1.

 星空の中を黒い影が何度も旋回し、静かに地上に降り立った。
 軽い身のこなしで足音も立てずに、コンテナの間に隠れていた仲間達の元に駆け寄る。
「巡回しているのはガードロボットだけだったよ。門の鍵は内側から簡単に開けられる構造だね」
 別の細い影が聞き耳を立て、数回鼻を鳴らす。
「屋内に人間の気配は感じられないわ」
「データどおりだ。初デモンストレーションとしては広過ぎず、狭過ぎずってところか。丁度良い物件だと思うが行けるか?」
 1番大きな影が問い掛けると小柄な影が「行くわ」と頷いた。
 小柄な影が1蹴りで5メートルの高さは有る塀を軽々と飛び越える。
 1分も経たない内にロックが解除され、通用門が開けられた。
「よし。良くやった。ガードロボットの始末は俺に任せろ。後は計画以外各自で自由行動だ」
「必要物資だけだとつまらないし印象が弱いわね。何か印になる物は無いかしら。盗られた側がどうしても無視出来ない。そういう物が良いわ」
「そういうのならおいらに任してよ。あっという物を見つけて盗ってくるからさ」
「皆、早くして。ガードロボット達が気付いてこちらに集まりだしているわ」
 門の内側から小声だが怯えた声が響く。
「待たせて悪い。行くぞ」
 大きな影が手を挙げて駆け出すと、他の2つの影も「分かった」と言って走りだした。


 コンウェル財団。
 宇宙開発事業を主軸とする太陽系5指に入る大企業で、特に宇宙船製造技術では他社の追従を許さない。
 その第3開発プラント司令センターに待機している会長のケイン・コンウェルは、職員から手渡されたメモリーシートを読んで複雑な表情を浮かべた。
「これがリンダの出した答えか?」
「その様です」
 事前に内容を知っている職員達は、肩を震わせてケインと顔を合わせない様に無言で笑っている。
 数年間多くの技術者達が慎重に慎重を重ね、総力を挙げて完成させた最新型宇宙船用エンジンの最終テストも、『奇跡のリンダ』ことリンダ・コンウェルの手に掛かると、気楽なレクリェーションとしか思えない。


 さてテストを始めましょうか。
 全ての計器、装置と試験器機は正常稼働中。
 メイン・エンジンスタート。
 加速順調、フィールドも調子が良いわ。
 1時間経過、これくらいなら楽勝でしょ。
 3時間経過、エンジンの調子は良好、何も異常が見られないわ。
 5時間経過、ねえ、ちょっと。コーヒーも飲めないってどういう事?
 Gは慣れているから良いのよ。
 無理な方向転換をしない限り、コントロールルーム内はフィールドに守られるわ。
 平均すると3、4Gくらいね。
 問題はね、食料パックが長時間Gで完全に潰れて全滅って事。
 まさかと思うけどこのままテスト終了まで何も食べずにいろって言うんじゃないでしょうね?
 8時間経過、マジで喉渇いた。
 9時間経過、お腹空いた。
 これって本当に絶食耐久テストじゃ無くて耐Gテスト?
 10時間経過、あーマジで腹が立ってきた。
 わたしはダイエットはしない主義なの。
 せめて水くらい飲ませろっての。
 燃料用の水をこっちに回そうとしたら、ケーブルがコントロールルームに届く前に潰れたわよ。
 12時間経過、第1次テスト無事終了。
 ここからは我慢大会ね。
 何がって?
 わたしがどれだけ空腹に耐えられるかに決まってるでしょ!
 テスト終了までに何か良い対策を考えておいてよ。
 こんな物お客様に出せ無いわよ……というかわたしが客だったら絶対怒る!
 13時間経過、……お願いだから何か食べさせて。
 14時間経過、ブラックのホットコーヒーとレタスとベーコンのサンドウィッチ、用意宜しく。
 15時間経過、我慢の限界。
 (自動送信)被験者意識消失につきテスト終了。


「……」
 ケイン・コンウェルは新型エンジンの最終テストが無事に終了した事を会長として喜ぶべきか、それとも17歳にもなって年頃の娘らしい言葉を全く覚えようとしない愛する1人娘の教育の失敗を、父親として深く反省するべきか真剣に悩んだ。
 リンダが搭乗している実験用宇宙船は、24時間連続7G加(減)速に100回耐えた同型のエンジンが取り付けられている。
 人間の最終耐久テストとして高Gに慣れている生身のリンダを乗せて実験した。
 どんどん離れていく時間軸の中、船内時間で1時間毎にキー入力による双方向質疑応答を繰り返したリンダの回答がこれだ。
 間違いなくリンダは高Gによる疲労からでは無く、単なる空腹でダウンしているだろうとケインは思った。
 顧客の希望は連続12時間の7G加(減)速の機動力を持ったエンジン。
 ハード面での条件は充分に満たしているが、実際に乗ったリンダの感覚ではNGだ。
 言葉使いは最悪だがリンダの正直な感想は開発部にとってかなり有益で、どれほどエンジンの性能が良くてもクルーの居住環境が悪いのでは話にならない。
 顧客の要求を完全に満たす為には、最低でもコントロールルームに隣接する食料備蓄庫と非常用燃料分岐ケーブルをもっと強力な耐G仕様にしなければならない。
 ケインは素早くメモリーカードにサインをして、開発スタッフ達に次々に指示を出していった。
 テスト機は船内時間で12時間経過した時点で逆方向に加速を続け、24時間を過ぎた今はこの第3開発プラントに向けて慣性航行中だ。

 精神科医のサムからリンダがテスト中にオーダーした食料と検査機器を持って、プラントの軌道に同期したテスト機に乗り込むという連絡が入る。
「サム、いつも悪いな」
 ケインは意識を取り戻したリンダの癇癪の真っ先に矛先になるだろうサム・リードに軽く頭を下げる。
『僕はリンダの主治医だから当然だよ。これも仕事の内。気にしなくて良いよ。ケイン。じゃあ、行ってくるよ』
 いつのどおりの明るいサムの声を聞き、空腹で文句ばかりを言ってはいても、テスト中のリンダの精神状態は良好だったという事が解り、ケインはほっと息を付いた。


『マイ・ハニー。シリ、ごめんなさい。当分本業でそちらに行けなくなったの。その間は一切連絡不能になるわ。4日後には職場復帰出来ると思うの。地球に戻ったらすぐに連絡を入れるわ。わたしが居ないからって独りで勝手に暴走しないでよ。時間が無いから切るわね。マイ・ダーリン』

 一方的にパートナーのレディ級刑事サラマンダー、通称サラこと、リンダから通信用ピアスを通じて連絡を受け取ったα級刑事シリウスは途方に暮れていた。
 手元には上司の太陽系警察機構USA支部長官Ω・クレメントからの緊急の命令書が有る。
 よほどの特例措置以外で、刑事の外部単独捜査が厳しく禁止されている為、リンダの不在はα・シリウスにとってかなり痛い。
 USA支部内で1人データを揃えて解析と検証を続け、これ以上の捜査は直接現場に出なければ不可能な段階まで進めた。
 データを勘の良いリンダに読ませれば、かなり犯人像が絞り込めるだろう。
 未だに連絡が無い以上は無駄かもしれないと思いつつ、約束の4日目に学院に足を運ぶ。
 リンダが通う学院の大学部はワシントンDCからも近いニューヨーク郊外に有り、国内外から良家の前途を嘱望される多くの学生達が学び、ハイレベルな授業内容とセキュリティの高さで有名な学校だ。
 天才クラスに在籍しないリンダが小等部時代とはいえ、2年休学した後に4年連続で飛び級を果たした事は学院内外で未だに語り種になっていた。
 学院の方針で職員と学生以外はいかなる理由が有っても構内立入禁止の為、毎朝毎夕には学生を送迎に来るシークレット・サービス達の車で正門前はごった返している。

 校門の外柱にもたれてぼんやりしているα・シリウスを見つけたジェイムズは思わず苦笑した。
 ジェイムズはリンダと高校時代からの同級生で、未成年の身で有りながら太陽系防衛機構(通称、宇宙軍)作戦統合本部の幹部として席を置いている。
 この事実はアンブレラI号事件を追っていて偶然知ったリンダと、一部の軍関係者しか知らない。
 一方、ジェイムズも同じ講義を取っているよしみでレポート作成用に情報提供協力をした際に、リンダが極秘扱いの太陽系警察機構レディ級刑事で、以前は異例の単独捜査官として諜報部門に居たα・シリウスとパートナー関係に有る事を知った。
 秘密を共有する仲間として、事件解決以降も差し障りが無い程度の情報をやりとりしている。
たった4日で我慢が出来なくなったな。
 と、踏んだジェイムズはにやりと笑うとα・シリウスの前で足を止めた。

「α・シリウス。パートナーが居なくて寂しいのは解るけど、こんな所で立っているととても怖いレディ達に掴まるよ」
 初対面の相手から突然正体を言い当てられ、α・シリウスは「人違いでは?」と答えながら不可視ゴーグルの下で眉間に皺を寄せた。
 長身の自分よりわずかに背が低い均整の取れた体躯の青年、硬めのダークブラウンの癖毛で、少しくすんだ青い目はいたずら好きそうに微笑んでいる。
 いかにも女性受けしそうな顔立ちは、不可視ゴーグルで素顔を隠しているα・シリウスの現在の顔とどこか通じるものが有る。
「君が捜しているかの可愛いレディはまだ学院に来ていない。僕が君の立場なら彼女を信じて待つけどね。あまり真面目な彼女を困らせないで欲しいね。よほど緊急の仕事が入ったのか、君の性格の問題なのかまでは知らないけど、少しは痛い目を見るのも君には良い学習になるかもしれないな」
 α・シリウスだけに聞こえる小声で遠慮無く言いたい事を言ったジェイムズは、笑顔で軽く手を振ると足早に校門を通り過ぎた。

 唖然としてジェイムズの後ろ姿を見つめるα・シリウスの背後から「「「シルベルドさん!」」」と複数の高い声が響いた。
 聞き覚えの有る声に嫌な予感を覚えながらα・シリウスが振り返ると、すぐ後ろにリンダの親友のアンとキャサリンとジェニファーが立っていた。
 「今すぐ逃げたい」という気持ちが真っ先に浮かんだが、相手が相手だけに遁走する訳にもいかない。
 完全に表情を隠す不可視ゴーグルにα・シリウスは心底から感謝する。
「初めまして。直接お話するのはこれが初めてですね。お噂はかねがねリンダから聞いています。此処でお会い出来てとても嬉しいです」とアン。
 太陽系3大ニュースサイト「ニュースジャーナル」のオーナーの娘で、アン自身も強力な独自の情報網を持っている。
「ずっとわたし達もシルベルドさんとはゆっくりお話したいと思っていたんですよ。あ、わたし達に敬語は使わないでくださいね。リンダと同じ様に普通に話してください。その方がずっと親しくなれた気がしますから」とキャサリン。
 一見ごく普通の少女だが、父親が国防省作戦統合本部長官で、キャサリンの素早い決断力と指揮能力は一介の学生の手腕では無い。
「わたし達もシルベルドさんと気楽にお呼びしてもかまいませんよね。リンダの親しい方ならわたし達にとっても親しい方です。リンダは今日も休んでいるんです。仕事とはいえとても寂しいですね」とジェニファー。
 おっとりとした外見をしているが、USAバンク頭取の孫にして現大統領首席補佐官の娘のジェニファーも腹を括った時の行動は早い。
 α・シリウスは「何時親しくなったんだ?」というツッコミを入れる事だけは我慢した。
 なにせこのメンバーは上流階級のお嬢様とは名ばかりで、リンダの同類かそれ以上にタフでパワフルな少女達なのだ。

 シルベルド・リジョー二という偽名は、ケイン・コンウェルがα・シリウスの為に用意した。
 CSS(コンウェル・シークレット・サービス)の社員でリンダの護身術の師範という肩書きになっている。
 度々行動を共にするリンダとα・シリウスのパートナー関係を未だに周囲に悟られずに済んでいるのは、信用の高いコンウェル財団の身元保証が有るからだ。
 これまで仕事柄任務が変わる度に新しい偽名を使っていたα・シリウスにとっても、コンウェルの身元保証書はとても便利で有り難く使わせて貰っている。
「初めまして。レディ達。貴女方の話は弟子からよく伺って……いや、敬語は無しでというご希望だったな。今日から授業に戻ると聞いていたんだが、予定が狂ったらしい。新しい技を教える約束だったが後日に回そう」
 α・シリウスが「じゃあ」と足早に踵を返して帰ろうとすると、後ろからキャサリンに腕を掴まれた。
「という事は今日はお時間が有るんですね」
「そちらのカフェでお話しでもしませんか? ご相談も含めてリンダの事を色々お話したいんです」
 アンもにっこり笑ってα・シリウスの反対側の腕を掴む。
「ご迷惑で無ければお付き合いいただけますか?」
 1番小柄なジェニファーがα・シリウスの正面に立って、大きな瞳を潤ませてすがる様に見上げる。
 以前、リンダから友人達が連合を組んだ時が何より恐ろしいと聞かされていたが、これでは逃げたくても逃げられない。というか逃げるのすら恐ろしい。
「夜間に別件の仕事が入っているので1時間くらいなら……」
 ジェイムズ命名「怖いレディ達」こと、AJC連合を前にしてα・シリウスは完全降伏した。

 学院近くに有るカフェテリアのオープン席は避け、奥の静かな席に4人は腰掛ける。
「ホットコーヒーをブラックで」
 それぞれ好みの飲み物を注文したアン達は、α・シリウスの注文を聞いて同時に笑う。
「リンダと好みが同じなんですね」
 キャサリンからサムと同じ指摘をされてα・シリウスは曖昧な笑みを浮かべた。
「そうらしい」
「シルベルドさんから見てリンダはどう見えます?」
「そうだな。身体能力と反射神経は素晴らしい。本格的にやればプロスポーツ選手として充分にやっていけるレベルだろう。呑み込みが早いから私も教え甲斐が有る」
 ジェニファーの意図から少々ずれた返事をするα・シリウスに、じれったさを感じたアンはストレートに切り出した。
「シルベルドさんはリンダを美人だと思います?」
「黙ってじっとしていれば、という絶対条件付でなら同意する」
 あっさり即答で返されて、キャサリンとジェニファーが「やっぱり」と溜息をつく。
「リンダの性格をどう思いますか?」
 アンの問い掛けにα・シリウスはカップをソーサーに置いて軽く足を組んだ。
「弟子が信頼している君達になら話して良いだろう。意志が強くて我慢強いし根性も有る。しかし、その内面はとても優しく脆い。表面上破天荒な性格でいられるのも、君達という理解有る友人達や、ケイン氏やサムの様なしっかりした大人が常に側に居るからだと見ている。……と私が言っていたという事は、あの意地っ張りには拗ねるから内緒にしておいて欲しい」
 わざと茶化す様に言うα・シリウスに、ジェニファーがにっこり笑って「ありがとうございます」と言った。
 キャサリンも照れくさそうに「リンダの事をしっかり見てくれているんですね」と笑顔を見せる。

「ずばり。シルベルドさんにとってリンダとは?」
 アンに手マイクを向けられてα・シリウスは不可視ゴーグルの中で複雑な表情を浮かべた。
 リンダが誰よりも信頼出来る仕事のパートナーである事は、目の前に居る少女達には話せない。
 では仕事を離れればというと、出会ってから3ヶ月間仕事絡みでしか1度も会った事が無いので、どこまでが仕事でどこまでがプライベートなのかの線引きが難しく、α・シリウスにも全く判断が出来ない。
 アンに直接聞かれるまで、自分にとって仕事を離れたリンダがどういう存在なのか1度も考えた事が無かった。
 危険な仕事に引き込んでしまった責任感から、せめてリンダが大学を卒業して成人するまでは保護者として守りたいと思う。
 しかし、現実には立場は逆で、要塞並の防御力を持つリンダに度々危険から守られているのは自分の方で、怒りで暴走した火竜(サラマンダー)を止められた事が無い。
 数分間沈黙した後、α・シリウスはシルベルドの立場に思考を切り替え、「優秀で真面目な生徒」と無難な答えを出した。

 固唾を飲んでα・シリウスの返事を待っていたアンとキャサリンとジェニファーは同時に大きな溜息をついた。
「シルベルドさんが唯一の頼みの綱だと思っていたのに」と渋い顔のアン。
「どうしたら良いのかしら?」と更に溜息をつくジェニファー。
「ああ、もう。全部ジェイムズが悪いのよ」と憤慨するキャサリン。
「ジェイムズ?」
 α・シリウスは初めて聞く名前に首を傾げた。
 慌てたキャサリンが自分の口を手で塞ぎ、アンとジャニファーが両側からキャサリンに軽い肘鉄を喰らわせた。
 3人はこうなったらやっぱりとお互いの顔を見合わせて数回頷くと、同時に「「「シルベルドさん。ご迷惑かもしれませんが、聞いていただけますか?」」」と言った。
 全員テレパスか? とα・シリウスは思ったが、この年頃の仲の良い少女達はある程度なら視線だけで会話が出来るものだ。

 α・シリウスが黙って頷くと、アンが冷静な視点で淡々とリンダの現状を語る。
 ジェイムズとリンダが高校時代からのクラスメイトで、同じ講義では常にトップの成績を競っている事。
 アンブレラI号事件後に自分達立ち会いの下で1度だけホテルのレストランでデートをした事。
 はっきり振られたはずなのに、それ以降も懲りずにジェイムズがリンダに声を掛け続けている事。
 どういう理由からかリンダもジェイムズの誘いを断らず、学院内のカフェで一緒に居る姿を毎日見掛ける様になった事。
 リンダに事情を聞いても親友の自分達にすら適当な言い訳をして正直に話してくれない事。
 α・シリウスはリンダが嫌がっていたあの「デートの約束」メールの差し出し人だと思い出したが顔には出さない。
「ジェイムズに婚約者が居なかったらこれほど心配しないわ。リンダもそういう事は嫌う方だしはっきり断るタイプだから、ジェイムズに付き合い続ける理由が判らなくて」
 心配でたまらないという顔をするジェニファー。
「1度我慢が出来なくてニーナにこっそり聞いてみたのだけど、笑って「リンダなら良いわ」と言われたの。それって公認という事なの? ジェイムズ独特のジョークにリンダが付き合っていて、いつもの様にーナの眼中に無いなら良いわよ。でも、リンダの場合はどう見ても違うわ。ジェイムズの浮気性は学院内でも有名だけど、あれだけしつこく1人を追いかけ続けているジェイムズなんて初めて見たわよ」
 きつい瞳になって両手で握り拳を作るキャサリン。

 α・シリウスは手に持っていたカップを取り落とし、椅子からも転がり落ちかけた。
 あの気は強いが恋愛には超奥手のリンダがまさかという思いと、語られる状況からジェイムズの正体に心当たりが出来たからだ。
さっきのあの男か?
 学院に通う生徒達は政治家や国際機関に勤める要人の子女が多いとはいえ、ただの学生が自分の正体や顔を知る機会は無い。
 強靱な忍耐力と精神力でショックからすぐに立ち直って椅子に座り直す。
「君達に一応確認しておきたい。そのジェイムズという男は私より少し背が低く、ダークブラウンの髪で青い目か?」
「「「そのとおりです」」」
 同時に言い切られてα・シリウスは即座に席を立つ。
「君達の心配する気持ちはよく解った。大切な弟子が困った立場に居るのなら私も放ってはおけない。それとなく本人に聞いてみよう。そろそろ時間なのでこれで失礼する」
 全員分の会計をテーブルに付いている自動レジで済ませると、そのまま足早に店を出て行った。
 突風の様なα・シリウスの行動にアンが瞳を輝かせる。
「あの動揺からの素早い立ち直り。彼に期待しても良いのかしら?」
「アン、あれはどう見ても保護者の顔」
「残念だけどわたしもそう思うわ」
 ロマンス好きのアンにキャサリンとジェニファーが「「恋愛は無い」」と同時にツッコミを入れた。


 車に乗り込んだα・シリウスはすぐに今日のBLMS(バイオ・ロック・メモリー・シート)の解析を始めた。
 仕事上1度見た顔は忘れないが、もっと詳しい情報を集めるにはデータが有った方が早い。
 リンダの通う学院は生徒の安全を最優先事項としている為、例え相手が太陽系警察機構の刑事でも情報開示には絶対に応じない。
 不可視ゴーグルを通して自分が校門に立った時からの映像と音声が流れる。
『α・シリウス。パートナーが居なくて……』
 嫌みのつもりか音声はクリアに残っているが、映像がジャミングで完全にカットされている。
 リンダに初めて会った時とほぼ同じ現象だとα・シリウスは思った。
 ジェイムズ……自分の勘が正しければ「J」、アンブレラI号事件の時に太陽系防衛機構を動かし、あの責任感の強いリンダに捜査から手を引かせた男。
 車を太陽系警察機構USA支部に走らせながらα・シリウスは戦略コンピュータ・マザーに連絡を取る。
「マザー、今良いか?」
『どうしたのです。α・シリウス、感情がとても高ぶっているわ。運転は自動モードでしょうね?』
 声の波長からα・シリウスの怒りを感じ取ったマザーが落ち着けとたしなめる。
「ハンドルから手は離しているから安心しろ。詳しい報告は後で書くが、その前に知りたい事が有る。アンブレラI号事件でサラが連絡を取った学生の中にジェイムズという男は居るか?」
『居ます』
「何時、何処でだ?」
『レディ・サラがこちらで作戦を立て、多くの学生達と連絡を取っていた時に映話で「ジェイムズ」と呼んでいたのを聞きました。その彼がレディ・サラに有益な情報の大半を提供していたのを見たわ』
「俺は知らないぞ」
『丁度あなたはΩ・クレメントとリンダ・コンウェル嬢の24時間警護の件で言い争っていたわね』
 マザーの返事に激しく舌打ちをし、α・シリウスはサイドパネルを叩く。

 自分が側に居ながら些細な事で目を離した為に、太陽系防衛機構に付け入る隙を与えた。
 リンダがパートナーの自分にも未だに完全沈黙を通しているという事は、「J」に何らかの弱みを握られている可能性が高い。
 コンウェル財団は設立当初から太陽系防衛機構と仲が悪く、どれほど好条件を出されても一切の装備提供を拒否している。
 太陽系防衛機構側はアンブレラI号事件でリンダが身に着けている要塞並の装備に強い興味を持ち、明らかに手に入れたがっていた。
 以前に何も聞かないと約束をしたが、アン達が話したとおりの状況なら話は別だ。
サラ、早く帰ってこい。
 逸る気持ちを抱えながらα・シリウスは夕刻の渋滞に苛立ちを覚えていた。


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