Rowdy Lady シリーズ 1 『Lady Salamander』

20.

 ハインリッヒ・ベックの身柄はα・シリウスの手からアンブレラI号内に潜入していた太陽系警察機構の別チームに預けたられた。
 他のチームのメンバー達がα・シリウスに「よくやった」「お疲れ。後は任せろ」と声を掛ける。
 その間、リンダはリンダ・コンウェルとしてCSS本部に留まっていた。
 Ω・クレメントとマザーからの命令で、レディ・サラの姿を極力見られない様にときつく言い渡されているからだ。
 数時間後にはこの事件で逮捕された全員が取り調べの為に、太陽系防衛機構第1区画艦隊の護衛付きで地球本部に強制送還される事になっている。

 太陽系防衛機構本部に直撃コースを取っていたプラントナンバー114は、軌道を知った太陽系防衛機構が急いで艦隊を出動させ、「無傷」で第2区画艦隊に回収された。
 その際に「誰がわざわざこんなコースを選定したのか?」と大騒ぎになったが、調べれば調べる程オレンジ掛かった黄色い髪を持つ少女の姿が見え隠れして、太陽系防衛機構の上層部は完全に沈黙せざるを得なかった。
 本気で怒ったリンダ1人でも何をするのか予想が出来ず充分恐ろしいのに、ケイン・コンウェルまで怒らせてコンウェル財団を完全に敵に回すのは何が有っても避けたいと判断したからだ。

 細やかな気配りの上手いマーガレットが乗務するスペースプレーンに乗って快適に地球に帰還したリンダは、ネットニュースを読みながらほくそ笑み、「ザマミロ」と舌を出してα・シリウスを思い切り脱力させた。
 これだけ太陽系中を騒がせていても、リンダの本質は負けず嫌いでいたずら好きで優しい普通の少女だ。
 α・シリウスはリンダの凄まじい竜のパワーを見、深い愛情や何気ない優しさ、少女らしい脆さにも触れ続けた。
 出会ってから1ヶ月半、たった数日間リンダと行動を共にしただけなのに、リンダ以外のパートナーは到底考えられそうも無いと思った。

 フロリダ宙港に着いた2人は一般入国審査ゲートは通らず、太陽系警察機構専用のリニアシャトルを使ってワシントンDCのUSA支部に直接に向かった。
 「あのリンダ・コンウェルが帰ってくる」という情報を掴んだマスコミの記者達が宙港ロビーを占拠し、2人が正面ゲートを通ろうものならパニックになりかねない状態だったからだ。
「参ったわね」と呆れた様に呟くリンダに「全くだ」とα・シリウスも頷いた。
 アンブレラI号でもそうだったが、帰還時間も使う宙港も極秘にしておいたはずなのに、一体どこから彼らは嗅ぎつけてきたのだろう。
 改めて2人は記者達のプロ根性に頭を抱えた。


 リンダはワシントンDCに向かう専用シャトルの中でうんざりした顔でアンに連絡を取った。
『まあ、誰かと思ったら人には釘を刺しておいて、太陽系中を1人で騒がしたお馬鹿さんじゃないの』
 そう簡単には許さないという顔をしたアンに、リンダは両手を合わせて頭を下げた。
「ごめんなさい。あの時はこれ程凄い事件になるとは思わなかったの。ああアン、怒っているわよね? 本当にごめんなさい。どうか許して。ダグラス刑事の事を調べてくれて感謝しているわ。そして更に我が儘なお願いをして悪いのだけどわたしを助けて欲しいの」
 心底から反省していますという顔をするリンダにアンは「仕方が無いわね」と軽く肩を竦める。
『わたしが連絡を取れる記者達は手を回して引かせるわ。だけどその代わりそれなりの情報と引き替えよ。これで食べているプロの彼らを納得させなきゃいけないんだから』
 リンダはもっともだと頷いて、予めマザーに公表許可を貰っておいた数名のリストをアンに流した。
「詳しくは知らないけどわたしが2度も襲われた事件で背後で関わった人物のリストらしいわ。捜査協力という事で貰ったまだ極秘の情報よ。これでどうかしら?」
 アンはリンダから送られたリストを見て目を輝かせた。
『これ、凄い名簿よ。彼らが何をしたかは記者達が調べるでしょう。ついでにリンダ、うちに独占インタビューを貰っても良い?』
 親友にこれ以上の秘密は無しよと、いたずらっぽく笑うアンにリンダも笑みを返す。
「あなた自らの取材ならいつでも受けるわよ」
『じゃあ、当分騒ぎが収まらないだろうけど学院で会いましょう。リンダ、キャッシーとジェニファーにも連絡を取ってあげるのよ』
「愛しいアン、そのつもりよ。いつも感謝しているわ」

「ありがとう、キャッシー。ダグラス刑事のご家族を守ってくれたのね。感謝の気持ちで一杯でどう言ったら良いのか判らないくらいよ」
 リンダから連絡を貰ったキャサリンは目に涙を浮かべながら笑って言った。
『馬鹿ね。可愛いリンダ、あなたの元気な顔がわたしには1番のご褒美なのよ。でも、リンダがもし感謝の気持ちを形にしたいって言うのなら……』
「学院から50メートル先に有るデザートショップで食べ放題。もちろんわたしの奢りよ」
 2人の少女達は同時に大声で笑った。

 ジェニファーはリンダの顔を見た瞬間に大粒の涙をポロポロと流しだしたので、リンダはどうして良いのか判らずに何度も謝り続けた。
 気持ちが高ぶっているジャニファーは言葉が上手く言えず、何とかこれだけ言った。
『リンダ……。お父様があなたにお話が有るそうよ』
「良いわ。替わって」
 画面が切り替わり、見事なブロンドの紳士が現れるとリンダは緊張して両手を握りしめた。
『久しぶりだね。リンダ』
「はい。大統領主席補佐官。お元気そうで何よりです」
『私が何故君に直接話をしたいと望んだか解っているね?』
「あの名簿の事ですね」
『相変わらず君は聡明だ。話が早くて助かる』
「あれはわたし個人ごときの手に負える物では有りません。太陽系警察機構にデータをお渡ししたらあの名簿からは一切手を引くつもりです」
『大統領もそれを望まれている。リンダ、親馬鹿と笑ってくれ。あまり娘を泣かしてくれるな。あれの涙を見ると私も辛い』
「はい。ご心配をお掛けして申し訳有りませんでした。失礼いたします」

 リンダはふっと息を吐いてシート端末を操作すると、犯罪心理学IIを取っている全員にメールを送った。
『我、無事ニ帰還セリ。次回講義時レポヲ待テ』
 色気も素っ気も無い文面だが、冗談好きの学生達にはこの方が話が早い。
 要は「無事に地球に帰還した事」と「レポート作成の為の重要な情報を手に入れた事」が伝われば良いのだ。
 アンと彼らに委せておけば今日中に学院生徒全員にリンダの消息が伝わるだろう。

 端末をポケットに入れると2座席離れた場所に座っていたα・シリウスが隣に移ってきた。
「この事件から手を引くのか?」
 真面目な顔で問われ、リンダは小さく笑った。
「この事件に関してリンダ・コンウェルはこれで退場。レポート完成と最高得点を目指して普通の学生に戻るわ」
 α・シリウスが「そうか」とだけ呟く。
「これからはレディ級刑事サラとして動くわ。そうでしょう? パートナー・α・シリウス」
 リンダの意図に気付いたα・シリウスは一瞬硬直し、すぐに満面の笑顔でそれに答えた。
 ずっと1番欲しかった返事をリンダから受け取ったからだ。


 太陽系警察機構USA支部に戻った2人は、胃痛から立ち直ったΩ・クレメントとマザーから無事生還を喜ばれ、心のこもった多くのねぎらいの言葉を掛けられた。
 α・シリウスは左腕の怪我を理由に有無を言わさず、即刻メディカル・ルームに強制送還された。
 残ったリンダと向かい合わせでソファーに腰掛け、Ω・クレメントは漸く落ち着けたという風情で入れたてのコーヒーの臭いを嗅ぎながらリンダに問い掛ける。
「初仕事はどうだったかね?」
 リンダも1口コーヒーを含み、感慨深げな笑みを浮かべる。
「今でも生きているのが不思議なくらいです。わたし1人では到底生きて帰れませんでした。これほど大勢の方達に助けていただけるなんてわたしは本当に幸せ者だと思います。皆さんへの感謝の気持ちは決して忘れないつもりです」
リンダの正直な感想にΩ・クレメントは切れ長の目を点にし、マザーは微笑を浮かべた。
「あの?」
 困惑するリンダにΩ・クレメントは苦笑しながら「私の聞き方が悪かった」と、軽く頭を振った。
「α・シリウスとは上手くやっていけそうかね? レディ・サラ」
 リンダは数回瞬きをしてΩ・クレメントのα・シリウスに対する愛情の深さを知ると破顔して立ち上がった。
「α・シリウスはこれからもずっとわたしの大切なパートナーです。長官、これで返答は合っておりますか?」
 敬礼と共に笑顔で告げられ、Ω・クレメントは瞳に優しい光りを宿した。
 子供の頃から見守り続けずっと孤独だった青年に、本当に心から信頼できるパートナーを見つける事が出来たと心底から安堵したからだった。


 治療が終わり、メディカル・ルームから帰ってきたα・シリウスは別室で100以上ものモニター画面とにらめっこをしていたリンダから泣き付かれた。
「こんなに一杯情報が有って報告書なんて何処から手を付けたら良いの?」
「どうして俺が帰って来るまで待たなかったんだ?」
「マザーから「教育は受けているはずだからやってみなさい」って言われたの。でもあれは基礎の基礎だし、こんな凄いのはお手上げよ」
 α・シリウスはマザーの恐怖の新人教育(いびり)が始まったかと溜息をつく。
 未熟な自分が悔しいと床の上で半べそをかくリンダの隣に座り、ゆっくりと説明した。
「落ち着け。学校のレポートと同じだ。まずは時系列で大きな事件を並べていく。それが出来たら関連記事や事件を木の枝が広がる要領で繋いでいけば良い。やり方は知っているな? サラの場合、事の発端は1ヶ月半前の襲撃事件からだろう。全てはそこから始まった。冷静になってゆっくりやればサラなら出来る。俺も一緒にやるから安心しろ」
「……ええ」
 α・シリウスがポインタで画面を1つずつ移動させていく様をリンダはじっと見つめていた。

 リンダの胸ポケットの端末が大きな音を立て、緊急メールが入った事を知らせる。
 α・シリウスに「ごめんなさい」と言ってメールを開いたリンダは、一気に顔をしかめて端末を放り投げた。
 どうしたのだろうかとα・シリウスが端末を拾い上げると、画面一杯に『無事帰還おめでとう! 約束だからね。週末のデートを今から楽しみにしているよ』と匿名で書かれていた。
 α・シリウスが「何だ? これは」という顔をしていると、リンダが渋面で端末を受け取り、電源を切って高校時代からのクラスメイトからだと言った。
「意外ともてるんだな」
 と真面目に感心して言うα・シリウスに「彼は特別変わっているのよ」とだけ答えた。
「意外にとはどういう意味だ!?」という怒鳴り声が飛んで来るとばかり思っていたα・シリウスは、今度こそ本当に意外だという顔をしてリンダを見つめる。
 視線に気付いたリンダは軽く笑うだけに留めた。


「……で、気が付いたら俺1人で報告書を書いてるんだが」
 横目で睨むα・シリウスにリンダは両手を合わせた。
「だって学校のレポートと同時進行でやっているのよ。情報規制のせいでどこまで書いて良いのか項目毎にマザーの許可が要るから時間が倍は掛かるの。データの区分けだけで精一杯だわ」
「宿題を同時にやって報告書の纏めは俺1人に押し付ける気か? レポートは後回しにしておけ」
 α・シリウスがしかめっ面で言うとリンダも必死だと訴える。
「締め切り前の提出に単位が掛かっているのよ。報告書も半分はわたしが書くから残しておいて。お願いだからこっちを優先させてよ」
「仕事をする気が無いのなら家に帰れ」
 プロ意識が低いと言われ、リンダは怒られて当然と頭を下げて謝った。
 「あっ」と、α・シリウスは自分の口元を押さえて視線を逸らした。
「言葉の使い方を間違った。サラが刑事として居るのなら気が済むまで此処に居て良い。リンダ・コンウェルとして此処に居るのなら順番が間違っている。レポートより何より家に帰って家族に無事な姿を見せるのが筋じゃないのかと言おうとしたんだ。きつい言い方になって悪かった」
「仕事が全然終わっていないのに家に帰っても良かったの?」
 リンダが驚いて小さく震えながらα・シリウスを見上げる。
 α・シリウスは何を今更という顔をして少しだけ笑うと軽くリンダの頭を叩いた。
「サラは仕事中は俺のパートナーだが、仕事を離れればまだ未成年の学生だ。心配して帰りを待っている家族の元に返す事が、地球に帰ったら1番始めにしなければならない俺の仕事だと思っている。宙港でごたついたから俺もうっかり忘れていた。家まで送るからすぐに帰ってやれ。きっと親父さん達が家で待っているだろう」
 リンダは漸く安心したという笑顔を見せ「ありがとう」と言ってα・シリウスの首に抱きつくと、すぐに離れてデータを保存しつつ後片付けを始めた。
 抱き返そうとして空を掴んだα・シリウスは、リンダの嬉しそうな横顔を見て口には出さずに「まだまだ子供だ」と笑った。

 家に送り届ける道中、α・シリウスはリンダにしつこいくらい言い聞かせた。
「マスコミは全て無視しろ。サラは何も言わなくて良い。規制が入っているから質問は全て太陽系警察機構を通してからとでも言っておけ。あまりうるさい様なら直接俺に回しても良い。あの凄い面子の友人達には臨機応変に対応しろ。その辺りの判断は任せる。それと……」
「それと、何?」
 α・シリウスが言葉を濁すのでリンダが聞き返す。
「サラの怪我だが痛み止めと服で隠しているだけで本当は全く治っていないだろう。俺を誤魔化せると思うな。せめて痛みが完全に収まるまでは刑事の仕事はお預けだ。痣の1つや2つじゃ済んでいないだろうから親父さんとサムから思いっきり絞られろ。絶対にあの2人の苦情だけは俺に回すな」
 きっぱりと「自己責任だから自分で対処しろ」と言い切られたリンダはトホホと力無く笑った。
 α・シリウスは父ケインとサムのコンビに懲りており、自分の胴体部には粒子砲の暴発を抑えた時の痣がくっきりと残っている。
 無理をさせたスーツのメンテナンスとエネルギーパックの改造依頼を出さなければならないし、当然この痣についても厳しく追及されるはずだ。
 リンダががっくりと肩を落とす横顔を見ながらα・シリウスは口元に笑みを浮かべる。
 コンウェル家の玄関からケインとサム、マイケル達が飛び出して来る姿が見えたからだ。
 落ち込むリンダを早々に追い出し、α・シリウスは車を走らせる。
 背後モニターには帰宅を喜んだ家人達から抱きしめられるリンダの姿が映し出されていた。


「これはまた凄い状態だね」
 コンウェル家の地下診察室でリンダの全身スキャニングをしたサムはモニターを眺めて苦笑した。
「内臓や骨、神経に異常は見られないけど皮下組織の損傷が酷い。軽度の火傷も見られるし、これ以上の外科治療は逆に皮膚に負担を掛けるからしばらく経口薬以外の治療はしない方が良いね。当分は消炎剤と痛み止めだけで我慢する事」
「はーい」
 診察台から降りてつまらなそうに返事をするリンダの頭をサムが軽く叩く。
「服で隠せる範囲だから良いけどせっかくの美人が台無しだ。これで顔にかすり傷でも作ろうものならケインと僕は泣くよ。被害を最小限に抑える為とはいえ、フィールドとスーツで防ぎきれない物をわざわざ自分の身体で覆うなんてね。耐熱服を着ていなかったらこんなものじゃ済まなかったんだよ。解ってるのかな。ん?」
 「めっ!」という顔をされてリンダは両手を合わせながら素直にサムに「ごめんなさい」と謝った。
「良い子だ」
 優しく抱きしめられて頭を撫でられたリンダは、ほっと息をついてサムの肩に頭を預けた。
「パパはまだ帰って来られないのかしら」
 サムはリンダを膝の上に抱えたまま「うーん」と呻った。
「スーツの損傷は40パーセントを越えていたそうだよ。メモリーは無事だったしデータも取れたけどあれ以上の強度と柔軟性を持ったスーツを作るとなるとね。ははっ。残念ながらそっちは僕の専門外だ」
 お手上げというポーズを取るサムにリンダは淡々と告げる。
「新しく開発中の力場発生装置が有るの。あれをスーツに組み込めば20パーセントはフィールドの強度を上げられるわ。その分エネルギー消費量も上がるけど、エネルギーパックの改造も頼んで有るからやれると思うの」
 サムは少しだけ困ったという顔をしてリンダの額にキスをする。
「君の希望は聞いてるけどね。ケインが全てを了承するとは思えないよ。あれは危険過ぎる」
「それをやらなければ次は確実に死ぬわ。今回助かったのはシリが側に居てサポートし続けてくれたのと、救助がぎりぎり間に合ったからよ。わたしの実力じゃ無いわ」
 リンダの真剣な視線を受けたサムは「仕方無いなぁ」と苦笑して頭を掻くとケインにホットラインを繋いだ。

 ケインが新しいスーツを持ってコンウェル家に帰って来たのはそれから30時間後だった。
「パパ!」
 リンダが笑顔で思いきり飛びつき、その勢いに押されて疲労が溜まっていたケインは尻もちを付く。
 何度も自分の頬にキスをする愛娘の髪を優しく撫でて「大丈夫だ」と安心させる。
 リンダが帰宅してすぐにケインはサムにリンダを預け、ボロボロになったスーツを持ってコンウェル財団の研究所に行っていたのだ。
 誰よりも会いたかった父の顔を漸くゆっくりと見る事が出来たリンダは、ケインの側から離れようとしない。
 大型犬にのし掛かられた様な姿のケインにマイケルが微笑んで助け船を出す。
「旦那様、お疲れでしょう。お食事の用意が出来ております」
 マイケルの声を聞いてリンダがケインから慌てて離れようとする。
 おそらく食事をまともに摂る暇も無く、徹夜続きで疲れ切っているだろうケインにしがみついていては負担増やすだけだと漸くリンダも気付いた。
 ケインは笑顔で「かまわない」と言ってリンダを抱き上げると、そのままリビングへと向かう。
 ケインにしてもせっかく再会出来たリンダを手元から離したく無かったのだ。
 「超親馬鹿ー」と茶々を入れるサムにケインは「黙れ。ロリコン」と手酷く切り返した。


 翌日の午後、お見舞いと称してアンとキャサリン、ジャニファーがコンウェル家を訪れた。
 ニュースは連日アンブレラI、II号で行われていた数々の不正とそれに関係していた新たな逮捕者を流し続け、それを初めに解明して公表したリンダの事も脅威と感嘆をもって『奇跡の少女』と報道している。
 その為、リンダは学院から「静かな学習環境を守る為」と当面自宅でのオンライン学習を命じられていた。
 漸く再会を果たした4人はケーキとお茶を前に溜息をついていた。
「マスコミ関連で押さえられるところは全て押さえたのだけどね」
 リンダとの約束を守りきれ無かったと渋い顔のアン。
「犯罪組織が自分達の装備を使っていた事は身内の恥だからと、宇宙軍は意地でも情報を出さないのだけど、何処から情報が流れているのかしら」
 残念だが自分の手は届かないとキャサリン。
「お父様は何も言ってくれないの。だけど、お祖父様が言うにはどこかの政府がわざと情報を流している気配が有るって言っていたわ。お金の流れを追っていくとどうしてもそこに行き着くって」
 ここ数日乱高下する株価や各国債券のデータをジャニファーが表示させる。
「スポンサーはあれで満足してくれたみたいだから多少の情報漏洩は良いわ。但し、マスコミが未だにうちの周囲をうろついているのだけは迷惑ね。自宅学習で日々宿題が溜まっていくわたしの身にもなってよ」
 と通学禁止令に怒っているリンダが呻る様に言う。
「「「あなたの頭の中には勉強の事「だけ」しか無いの!?」」」
 と他の3人が同時にツッコミを入れる。
「だって、レポートの資料欲しさに日帰り旅行のはずが3日に伸びるし、帰って来てからもずっと自宅軟禁状態よ。予定が狂うなんてものじゃ無いわ。学院側が自宅モニター学習でも単位をくれるという保証をしてくれなかったら、うるさいマスコミ連中全員をぶっ飛ばしてでも通学しているわよ」
 本気で機嫌が悪いリンダにキャサリンが苦笑して「まあまあ」と肩を叩く。
「これだけの騒ぎの渦中の人なのにこの子ときたら相変わらず全然自覚無しなのね」とアンが笑う。
「そこがリンダの良いところでも有るのだけど」とジェニファーもつられて笑った。

 端末がコール音を鳴らし、リンダがメールをチェックして「またなの」と更に不機嫌な顔になる。
 勘の良いキャサリンが少しきつい声で問い質す。
「リンダ、正直におっしゃい。あなたが機嫌が悪い本当の原因はこの騒ぎじゃ無いわね」
 ぎくりと肩を竦ませるリンダをアンとジェニファーも見逃さない。
「誤魔化さないで。リンダ、わたし達にも言えない悩みなの?」と悲しそうな顔をするジェニファー。
「リンダ?」きつい視線だけでさっさと吐けと脅しを掛けるアン。
 視線が集中したリンダはしばらくの間俯いて呻っていたが、ふと閃いたという顔をして3人の顔を見た。
「実はどうしたら良いか判らなくて本当に困っているの。助けてくれる?」
「「「当然でしょ!」」」と同時に3人は即答した。


 ジェイムズは鼻歌を歌いながらリンダの到着を待っていた。
 場所はニューヨークでも夜景の美しさを誇るホテルのフレンチレストランで、リンダの現状を思いやり金に糸目を付けず貸し切りにした。
 深紅の薔薇を飾ったテーブルは淡い光りを浴びて輝いている。
 リンダの健康的な肌、独特の髪や瞳の色にさぞかし映えるだろうとほくそ笑む。
 店員が来客を告げるとジェイムズは視線を入り口に向け「わっ!」と声を上げた。

「婚約者を放りだしてリンダにまで手を出そうなんて良い度胸じゃないの」とキャサリン。
「やっぱりこういう事はいけないと思うわ。いくらニーナが寛大な人でもきっと悲しむと思うの」とジェニファー。
「どんな手段を使ってリンダに「うん」と言わせたの? 情報提供を餌にしたのだとしたらこのわたしが黙っていないわよ」とアン。
 デートの約束をしたはずのリンダは3人の陰で苦笑しながら小さく手を振っていた。

「残念だけどあなたでは問題外だわ」とジェニファー。
「わたし達の可愛いリンダに変な真似をしたら絶対に許さないわよ」とアン。
「リンダの記念すべき初デートの相手がよりにもよってジェイムズなんて最低!」とキャサリン。
 3人はしっかりジェイムズに釘を刺してリンダの肩を軽く叩くとレストランの隅に陣取った。

「どういう事情なのか説明してくれるね?」
 3人の剣幕に苦笑するジェイムズに、深緑色のイブニングドレスを着たリンダも軽く笑って肩を竦めた。
「前々から約束していたのよ。わたしの初デートには絶対に皆が付き添うって」
 ジェイムズは視線をアン達に向けて少しだけ呆れたという顔をするとリンダに視線を戻した。
「彼女達も過保護だなぁ。気持ちは解らないでも無いけど、こんな事が続いたらますます君の男運が悪くなるよ」
「別に男運が悪い訳じゃ無いわ」
 ノンアルコールの飲み物を片手に渋い顔をするリンダに、ジェイムズは穏やかな笑顔を向けた。
「君は多忙を理由にずっと恋愛を故意に遠ざけているからね。もちろん学業と仕事を完全に両立させるのがとても大変だ思うよ。君の口癖の「時間が無い」というのもたしかに本音なんだろうね」
 ジェイムズはグラスを置いて少しだけリンダの方に身体を近付ける。
「だけどその裏で度々危険な目に遭う君が、相手の安全を思いやって絶対に男を側に寄せ付けないのだと僕はとっくに気付いているよ。とても君らしい思いやりだけど、あの学院にそんな事で怯む様な男は居ない。もっと気楽に考えたら良いよ。婚約者の居る僕が身持ちの堅い君をデートに誘うのを成功させたんだ。これから君に声を掛けたがる男は増えると思うね」
 ジェイムズの真意を理解したリンダは少しだけ頬を赤く染める。
「そういう理由でわたしをデートに誘ったの?」
「他にどんな理由が有ると思っていたんだい? まぁ、今回の事で元々興味を持っていた君に求愛したい気持ちが出来たのはたしかだね。だけど僕はニーナを到底裏切れない。かといってこれほど魅力的な君を、今まで指をくわえて見ていた他の男に渡すのもやっぱり嫌だな。君一筋になれなくて申し訳無いけど、君が望むならいくらでも本気の愛を捧げよう」
「そんな愛情いらないわよ」
 くさい台詞に堪えきれなくなって笑い出したリンダに、ジェイムズは「それは残念」と両手を上げた。

 メインディナーが終わり食後のコーヒーに移った頃、ジェイムズが少しだけ真面目な顔になって口を開いた。
「君の表情は予定外の彼女達に見られている。出来るだけ普通に振る舞って欲しい。アンが居るから唇の動きにも気を付けて」
「……良いわ。どうぞ」
 にっこりと微笑まれジェイムズも安心したと声を1段と低くした。
「アンブレラI号で君を襲ったレベル6強化スーツの出所が解ったそうだ。何処かまでは君にも言えない。太陽系防衛機構はこれから小規模戦闘状態に入ると連絡を受けた。ここから先、君は一切手を出さずにニュースで情報を追って欲しいと伝言を頼まれたんだよ」
「やっぱり戦争になるのね」
 表情は変えないままリンダの声も低く沈む。
「太陽系警察機構からとんでも無い情報が入って来たらしいからね。僕の友人達も大忙しだ。当分は連絡を取れないと言ってきた」
「そうでしょうね」
 避けられないのなら仕方が無いと呟くリンダに、ジェイムズは完全に笑顔を消して真っ直ぐにリンダの顔を見つめる。
「そのリストを初めに手に入れたのは、別の事件を追っていた太陽系警察機構最年少のチームだそうだよ。出来たばかりでたった2人の編成、その内の1人はオレンジ掛かった黄色い髪で意志の強そうな明るいエメラルド・グリーンの瞳を持ち、まだ少女にしか見えないとか」
 ジェイムズの探る様な視線を、リンダは全く怯まずに極上の笑みで押し返した。
「わたしもこの事件を追っている内に面白い情報を見つけたわ。太陽系防衛機構作戦統合本部には決して姿を見せない幹部が居るんですって。「彼」はまだ未成年で本来なら正式には宇宙軍に入れ無いらしいの。独創的で的確な作戦作成能力と、驚異的な情報収集能力で幹部クラスの席を手に入れたそうよ」
 ジェイムズは参ったという顔をして笑顔に戻るとリンダにウインクをした。
「イーブンだね」
「そうね。だけどわたしはあなたに命を助けられたし、本当に心から感謝しているのよ。ちゃんとお礼をしたいわ」
「今夜は君を帰したくない。此処のホテルのスイートを予約してあると言ったら?」
 いたずらっ子の様に笑うジェイムズにリンダも負けずに応酬する。
「遠慮無くその綺麗な顔を殴らせて貰うわ。それ以前にあの3人があなたを無事に済まさない気がするけど」
「うん。彼女達は最強の盾だね。とても恐ろしくて君に手を出せそうも無い」
「賢明だわ。それでわたしからあなたへのお礼だけどこういうのはどう?」
 リンダはテーブルに置いてあった手袋から小さなメモリーシートを抜き出してジェイムズの手元に滑らせる。
 ぶっと吹き出したジェイムズは「やっぱり君は最高だ」と言って素早くメモリーシートを胸ポケットにしまった。
 マザーに相談したリンダは太陽系防衛機構本部司令官の秘密の趣味を知っていて、それをソース付でジェイムズに回したのである。

「1つお願いしても良いかしら?」
「どんな願いでも聞いてあげよう。お姫様」
 軽い口調で答えるジェイムズに声だけは真剣になってリンダは小声で訴えた。
「被害者は最小限に留めて。たしかにやった事は到底許されない事だけど、命令されただけで何も事情を知らない人達も大勢居るはずよ。全く無関係な民間人も大勢居るわ。何度も素晴らしい作戦を立てて、大規模戦争を未然に防いできたあなたになら出来るでしょう? ジェイムズ」
「リンダ、君は……」
 ジェイムズは言い掛けた言葉をぐっと押し留め、複雑な笑顔でリンダを見つめた。
「今夜は楽しかったよ。また誘っても良いかな?」
 暗に秘密の会合は終わりだとジェイムズが告げると、リンダも了承したと頷く。
「学院内のカフェテラスでお茶だけならね」
「手厳しいね。君のドレスアップした姿をもっと見たいと思ったのに」
「いくらニーナがあなたの浮気性に慣れていても、同じ相手と何回も続くと絶対に怒ると思うわよ」

 帰っていく4人を見送ってジェイムズは小さな声で先程飲み込んだ言葉を呟いた。
「リンダ、君はあの仕事を続けるには優し過ぎる。許されるものなら僕が君を全力で守りたいよ」


 学院から復学を認められ、サムからも完治の診断書を貰ったリンダは数日ぶりにUSA支部に顔を出した。
『まあ。レディ・サラ、事前に連絡をいただけたらα・シリウスを迎えに行かせましたのに。お身体の方はもう良いのですか?』
 笑顔のマザーに問い掛けられ、リンダも笑顔を返す。
「大丈夫よ。自分の足で自由に動きたかったの。マスコミは局地戦争に目が行って、わたしの事は忘れたみたいだもの」
 Ω・クレメントの前に立ち敬礼する。
「捜査の途中で長い休暇を取り申し訳ありませんでした。医師の診断書は貰ってあります。本日から職場に復帰致します。パートナー・α・シリウスとすぐに合流したいと思います。彼は何処に居るのですか?」
 地球に帰ってきた当時はどう見てもボロボロで疲れ切っていたリンダの元気な姿に、Ω・クレメントは安心して口元に笑みを浮かべる。
「あの馬鹿はパートナーの君が不在で左腕の再生が終わっていないのにも関わらず、勝手に単独捜査に出ようとしたから此処に監禁してある」
 リンダの呆れたという顔を見てΩ・クレメントは苦笑する。
「頭を冷やせと着替えを差し入れした上で、検査や食事時にすら部屋から出してやらなかったから、今頃はストレスを溜めまくっているだろう。レディ・サラ、会いに行ってやってくれ。というか、奴が切れてうるさく喚き出す前に引き取ってくれ」
 リンダがぶっと吹き出して「了解」と言うとΩ・クレメントもウインクしてにやりと笑った。
『α・シリウスはA−2に居ます。あの子には内緒にしてありますが、あなたの声紋を鍵にしてあります。それと新しいあなた達への命令書です。α・シリウスと一緒に見てください』
「ありがとう。マザー」
 メモリーシートを受け取ったリンダは漸く仕事に戻れると喜々として長官室を出て行った。

 マザーがにっこり笑ってΩ・クレメントを振り返る。
『当分出られない様にロックしておきますか?』
「そうしてくれ。それでなくても忙しいのにダブル馬鹿の怒号は聞きたくない。2人の頭が冷えるまで絶対に出すな」
 Ω・クレメントも軽く手を振ってマザーの案を了承した。

「シリ」
 部屋の前で声を掛けると扉が自動的に開き、リンダの入室と共に再び閉まった。
「え?」
 リンダは何かおかしいと思ったが、それ以上に散乱した部屋に絶句する。
 薄暗い部屋の中は何がどうなっているのか全く判断がつかない。
 まるで研究に没頭している時のサムの部屋の様だとリンダは思った。
 人の気配を察したのか部屋の奥で何かが動く。
 照明が明るくなり、リンダと顔を合わしたα・シリウスが「サラ!」と大声を上げて立ち上がった。
 「もう身体は大丈夫なのか?」と聞いてくるα・シリウスにリンダは思わず目を閉じて溜息をつく。
「治ったから来たのよ。お願い。シリ、今すぐ綺麗な着替えを持って洗面所に行ってきて」
 額を押さえたリンダに指摘されてα・シリウスは自分の姿に気付くと「うわっ!」と叫び声を上げて隣室の洗面所に駆け込んだ。
 日頃は「無駄」に格好を付けているだけに、何日シャワーを浴びていないのかぼさぼさの髪に伸びた無精髭、その上下着同然の姿では、マイケル達のおかげで漸く体裁を保っている不精者の男手2人に育てられ、異性に幻想の欠片も持っていないリンダでもさすがに嫌になって「シリウス、お前もか?」と言いたくなる。
 大量に放置された樹脂製の食器は食堂直通のシュートに入れ、汗臭い服は鼻を摘みながら全部隣室のランドリーに放り込んだ。
 奥のシャワールームからはまだ水音が聞こえてくる。
 お願いだから絶対に今は出てこないでよと思いながらスイッチを入れ、手を洗うと早々に洗面所から退散した。
 簡易ベッドの上に私物が無い事を確認し、テーブルの端末を操作して自動的に撤去させた。
 汚れ物が全て片付いて部屋の見通しが良くなると、ソファーの上に置かれたα・シリウス専用の端末と大量のメモリーシートが目に入る。
 アンブレラI号事件と非合法麻薬精製事件についての詳細な報告書が完成され、これだけは綺麗に纏められている。

 リンダは報告書を読みながらα・シリウスが睡眠を摂る時間も、部屋や身なりを整える時間も全て削ってこれを作成させたのだと理解した。
 おそらく運悪く疲れきって眠っていたところに自分が来てしまったのだろう。
 α・シリウスの文章はとても簡潔で解りやすく読みやすい。
 怪我と自分の不在を理由に此処に監禁されていたα・シリウスは、どれほど待遇に不満を感じても決して時間を無駄にはしない。
 驚異的な精神力と能力で自分と出会うまでは単独で仕事をこなしてきたのだ。
 リンダ・コンウェル宛ての太陽系警察機構正式解答書まで有って、自分がレポートを作成するのに何処までなら情報を公表して良いかも書かれていた。
 草稿はすでに出来上がっているとはいえ、α・シリウスの細かい気遣いにリンダは素直に感謝した。

 前髪をかき上げながらα・シリウスが洗面所から戻ってきた。
「シリ、髪はそのままで良いの?」
「マザーの嫌がらせでこの部屋には整髪剤が無い」
 無言で肩だけを震わせるリンダに「我慢せずに笑いたければ笑え」と言いながらα・シリウスはリンダの隣に腰掛けた。
「部屋を片付けてくれたんだな。ありがとう」
「臭くて座る所も無かったから仕方無くよ。それよりこの報告書を読んだわ。わたしが来られない間に全部やってくれたのね。こちらこそありがとうと言いたいわ」
「他にやる事が無かったからだ。マスコミの動きはニュースサイトで見ていた。サラも外出が出来ずに相当ストレスが溜まっただろう。怪我が治っても監禁され続けたから報告書だけに集中出来て予想より早く纏められた」
 リンダが気付いて「腕を見せて貰っても良い?」と聞いた。α・シリウスが上着の袖をめくり、リンダによく見える様に左腕を差し出す。
 そっと大きな傷が有った場所に手を添えてリンダはほっと息を付いた。
「良かったわ。元通りに完治したのね」
「初期治療が的確だったと医師にも言われた。サバイバル訓練も受けている様だな。サラは良い腕をしている。筋力までは戻らないからトレーニングは当分続ける。早く謹慎処分が解けると良いんだが」

 手を動かしてみせるα・シリウスに、リンダは笑顔でメモリーシートを見せた。
「マザーからの新しい指令よ。シリも一緒に見て」
 リンダがテーブルにメモリーシートを置き端末を操作する。
 2人はしばらくの間黙ってモニターを見ていたが、ラストを見て同時に「「ふざけるな!!」」と怒鳴り声を上げた。

 α・シリウス、レディ・サラ両名に告ぐ。
 α・シリウス、報告書の完成はご苦労だった。
 レディ・サラ、復帰を歓迎する。
 各国政府や機関から嘆願書が山の様に届いている。
 お前達は目立ち過ぎた。
 たった2人で大きな事件を担当したお前達を妬む声も大きい。
 少しは他のチームにも活躍の場を譲れ。
 この事件は他のチームに割り振って引き継ぐ。
 謹慎処分は解くが当面は何もするな。
 以上。
 Ω・クレメント

 2人は立ち上がって部屋から出ようとしたが、ロックが掛かっていてどうしても出られない。
 マザーとΩ・クレメントにはめられたと知って憤る。
「このドア、叩き壊しちゃって良い?」
 リンダが手袋をはめてフィールドを右手に集中させる。
「遠慮無くやれ」とα・シリウス。
 数日間の監禁の上に「動くな」命令で完全にα・シリウスも切れている。
『それを壊したら実費で2人に弁償させますよ』
 背後に現れたマザーに2人が同時に振り返って詰め寄る。
「いい加減にしろ。いつまで俺をこんな所に閉じこめて置く気だ?」
「マザー、酷いじゃないの。これが久しぶりに出勤した職員にする仕打ち?」
 マザーは2人の剣幕を物ともせず、テーブルにコーヒーを用意するとソファーに座るように言った。
『2人の気持ちは解ります。今すぐに落ち着けとは言いません。Ω・クレメントの指示だけでは納得がいかないでしょうから補足説明に来ました』
 これ以上は無いというくらい不機嫌な顔をした2人が無言でソファーに腰掛ける。

『これからお話する事はどんな形であれ、わたくし以外の外部記録に残せません。2人の記憶だけに留めておいてください』
 とマザーは前置きをした。
 リンダとα・シリウスはこれはただ事では無いと思い、BLMSへの自動書き込みを停止させる。
『現在太陽系防衛機構と第13コロニー間で行われている局地戦争の余波が、あなた達2人の身に及ぶ可能性が有ります。それだけは何が有っても避けようとΩ・クレメントが現在必死で奔走しているのです。Ω・クレメントの心労も察してください』
「「あっ」」っとリンダとα・シリウスは同時に声を上げる。
 あのリストを発見したのは誰か? それを思えばΩ・クレメントが自分達に「動くな」と言った理由が容易に理解出来る。
『太陽系防衛機構も全ての証人であるあなた方の保護を最優先に考えているとの事です。それと極秘扱いで「あの難しい条件をクリアする為にも戦闘終了まで絶対に動かないで欲しい」との伝言を預かっています。「J」と言えばレディ・サラには通じるそうです』
 マザーとα・シリウスの視線を受けて、リンダは思わず額に手を当てて呻った。
「サラ?」
 α・シリウスの問いにリンダは何度も頭を振る。
「ごめんなさい。シリ、あなたにも言えないの。分かったわ。マザー、わたしはこの事件にこれ以上首を突っ込まない。お願い。シリ、あなたも何も聞かずに引いて」
リンダの真剣な顔を見て、α・シリウスはソファーにもたれると「分かった」と言った。


 リンダを送るという口実でα・シリウスはUSA支部から開放された。
 Ω・クレメントに帰宅の挨拶をして以降は、リンダはずっと沈黙したままだった。
「理由は聞かない。「J」の事も追求しない。他に聞かれたら困る事が有ったら先に言ってくれ」
「……本当にごめんなさい」
 俯いて小さな声で言うリンダにα・シリウスはゆっくり言い聞かせる様に言った。
「サラがあんな顔をする時は自分以外の誰かの命が掛かっている時だ。あそこで意地を張って突っぱねたあげくサラに泣かれる方が俺にはきつい。パートナーはお互いが信頼しあわなければ成り立たない。サラを信じた方が精神的に楽だ」
 漸く顔を上げたリンダの頭をα・シリウスは「仕方が無いだろう」と軽く叩く。

 リンダは何度か頭を上下させてしっかり頷くとα・シリウスに視線を向けた。
「ずっとシリに黙っていた事が有るの」
「何だ?」
「わたしのフィールドだけど、本当は身体のサイズデータを毎回計算したり接触無しでも、シリを敵と認識しない方法が有るのよ。シリを仲間だと登録すればスクランブル・モードになった時も攻撃されずに済むの。わたしが戦っている間は5メートル以内に近付けないとか、シリの行動制限が完全に無くなるわ」
 α・シリウスは自動操縦に切り替え、怒ってリンダに向き直った。
「何故そんな大切な事を今まで黙っていた? パートナーになった時点で登録しておけばアンブレラI号でサラ1人が戦わなくて良かったはずだ。俺がホイスカーに阻まれて見ている事しか出来なかった間、どんな気持ちだったか解っているだろう」
 やっぱり言われたとリンダは溜息をつく。
「かなり限定された面倒臭い手順を踏んだ上にシリのDNA情報を貰わないと出来ないのよ。前に貰ったBLMSはとっくに処分したわ」
「かまわない。手順を話せ」
「でも、シリ……」
「俺に2度とあんな思いをさせるなと何回言わせる気だ。良いからさっさと話せ!」
 これ以上は無いという怒った顔で言われ、リンダは渋々打ち明けた。

「悪用されるといけないからかなり厳しい条件になっているわ。DNAは持ち主から離れて30秒以内に登録させなければ無効。登録時に全くタイムラグ無しにわたしのDNAを合わせなければ無効。その上で時間内にわたし自らパスワードを打ち込まないとやっぱり無効。それと機会は1度きりよ。1度無効になったDNAは拒否されるわ」
「……ずいぶんと手の込んだ限定条件だな」
 眉間に皺を寄せるα・シリウスにリンダは頷きながら答えた。
「これくらいしないとわたしの身が危険に晒されるもの。シャーレにでも良いからシリがDNAを渡してくれれば時間内にわたしのDNAを加えて登録するわ」
「30秒以内に失敗したら完全にアウトか……」
 α・シリウスは両腕を組んでしばらく考え込み、「よし」と言ってリンダの顎を掴んだ。

 突然唇を重ねられ、リンダは混乱する。
 逃げようにもしっかり顎を掴まれた上に上体にのしかかれて身動きが出来ない。
 強く吸われて強引に舌を絡め取られる。
 初めての強すぎる刺激にリンダは両目を閉じ、α・シリウスの身体を押しのけようしていた腕から力が抜けていく。
 透明な液体がリンダの口一杯に広がった頃、漸く唇を開放された。
「30秒だ。急げ。サラ」
 α・シリウスの意図を正確に察したリンダは一気に怒りで赤面する。
 震える指を口に入れて舐め、胸元から服の中に手を入れてスーツにDNAを認識させると素早く指を動かしてパスワードを打ち込んだ。
 両手で口を覆い、気力だけで沸き上がる吐き気と嫌悪感をねじ伏せて口内に残るα・シリウスの唾液を全て飲み込む。
「間に合ったな」
 人の気も知らないで時間を気にするα・シリウスの顔にリンダの拳が飛んだ。
「誰が人の口をシャーレ代わりにして良いと言ったか!?」
 赤く腫れた頬を押さえながらα・シリウスも反論する。
「条件を完全に満たす為にはシャーレでは間に合わないと判断した。あれが正しい唯一の登録方法だ。ケイン氏がサラとキスするくらい親しい関係者だけを登録出来る様に設定したんだ」
「ファーストキスがDNAの受け渡しなんて女が我慢出来ると思うの!?」
 涙目になりながら怒鳴るリンダにα・シリウスは「その歳でキス未経験だったのか」と間抜けな声で言う。
 怒ったリンダがもう1度殴ろうとするとα・シリウスはリンダの手を取ってあっさり「悪かった」と謝った。
 「さっきのはノーカウントだ」と言って再びリンダに口付ける。

 前の激しいだけの口付けと違い、優しく包み込む様なキスにリンダは全身がしびれる様な感覚を覚えた。
 舌を絡められても先程の様な嫌悪感は一切感じない。
 ゆっくりと唇が離され、リンダが目を開けるとα・シリウスは頬にも口付けを落とす。
「これで良いか?」という声でリンダは我に返った。
2度も強引に……!
 上手く言葉が出ないリンダはα・シリウスの顎を思いっきり殴ってそれに答えた。
「何をする?」
 仰け反ったα・シリウスが上体を起こすと、リンダは平手でもう1度α・シリウスの顔を叩いた。
「それはこっちの台詞だ。どんな理由が有っても本気で好きでも無い相手とキスしたのが1番ショックだって事くらい解れ。この無神経男!!」
「……悪かった。2度としない」
 ぽろぽろと涙を流しながら怒られれば、いくら鈍いα・シリウスでも自分がどれだけリンダを傷付けたか解る。

 α・シリウスは他に方法が無かったとはいえ、傷付けてしまった事は取り消せないと思い、泣き続けるリンダにタオルを放ると黙って車の運転に戻る。
 タオルで止まらない涙を拭いながらこんな思いやりは逆に残酷だとリンダは思った。
 どうしようも無い程鈍くてデリカシーの無い男だが、その実とても優しく温かい。
 いっそ嫌いになれたら楽なのにとα・シリウスの真面目な横顔を見つめる。
 前途多難という言葉が頭を過ぎったリンダとα・シリウスは同時に大きな溜息をついた。
『マイ・ハニー、シリ。今何を考えていたの?』
『マイ・ハニー、……と俺を呼んでくれるんだな。もう2度とサラに口をきいて貰えないんじゃないかと思っていた』
『馬鹿ね』
『よく言われるからそうかもしれない』

 2人はお互いに視線を合わせ、しばらく黙って見つめ合い続けたが、どちらからとも無く全てのわだかまりを吹き飛ばす様に大爆笑した。

おわり

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