Rowdy Lady シリーズ 1 『Lady Salamander』

19.

 リンダの泣き声が止み、しゃくり上げに変わるとα・シリウスは優しくリンダの髪を撫でた。
 α・シリウスの肩に頭を預け、温かい手の感触に先程までの激情がゆっくりと溶けていく。
 ここまま眠ってしまいたいという誘惑に駆られたが、まだ自分1人だけが休む訳にはいかないとリンダは深呼吸をして『マイ・ハニー、シリ。ありがとう。もう大丈夫』と小さな声で告げた。
 自分を抱きしめていてくれた腕がゆるまると、リンダは袖で涙まみれの両頬を乱暴に拭い、強く頭を振って顔を上げるときっぱりと言った。
「パンプキンに戻りましょう。まだまだやる事が沢山有るわ」
 床を蹴って通路を進もうとするリンダの手をα・シリウスが握りしめる。
「シリ?」
 リンダが振り返るとα・シリウスは少しだけ躊躇う様に言った。
「まだ辛いだろう? 強がらなくて良い。刑事の仕事も…………嫌だと思ったら俺の事は気にせずに辞めて良いんだぞ」
 パートナーを失う事がどういう事態になるのか解っているのに、自分の気持ちを思いやる真摯な言葉にリンダは笑顔に変わる。
「とても辛いと、何度も泣くと、あなたに言われたわ。それでもわたしは自分の意志でこの仕事に就くことを選んだわ」
 α・シリウスの頬に手を伸ばして軽く突ついた。
「わたしはあなたのパートナーになった事を後悔していないわ。むしろ誇りに思っているの。あなたは素晴らしい刑事よ。シリ」


 α・シリウスの手をすり抜けて、リンダは再び通路を進んでいく。
「まずはホイスカーを全部回収しないとね。生命維持装置は無事だし、強化スーツは機能停止にしてあるし、開放してもAIを凍結された船を動かす事は無理だろうし、宇宙軍に見つかった時にやばそうな証拠は全部粒子砲でぶっ飛ばしちゃって良いかしら」
「……おい」
 α・シリウスはつい先程まで自分の腕の中で泣いていた「はず」のリンダの物騒な独り言に思わずツッコミを入れる。
「だって表向き民間人のわたしがここで暴れたってばれたら困らない?」
「今更だ。こんな芸当をリンダ・コンウェル以外の誰が出来る? あの物騒な糸だけ回収したら撤収するぞ」
「はーい」
 つまらなそうに返事をするリンダに「この人の形をした火竜め」と、α・シリウスは小声でボソリと言った。
 その直後、進行方向から壊れた強化スーツの部品が顔面に飛んで来る。
「聞こえたわ。今度言ったら顔をマジ蹴りするわよ」
 α・シリウスはリンダのピアスの1つが集音装置の機能を持つ事を思い出し、今度からは通信ピアスを切った上で声には出すまいと心に決めた。


『お帰りなさい。シンデレラ達、アンブレラI号に戻ります』
「宜しく。クリスタル」
 リンダとα・シリウスが座席に着くとパンプキンは静かに出航した。
『リンダ・コンウェル嬢宛てのメッセージがα・シリウス付けに届いていますがどうされますか?』
 α・シリウスは人差し指を口元に当ててリンダに視線を向けるとクリスタルに問い掛けた。
「差し出し人は誰だ?」
『USA支部戦略コンピュータ・マザーです』
 ほっと息を付き「リンダ・コンウェル嬢へのメッセージは俺が伝える。繋いでくれ」とα・シリウスが答えた。
 2人の前にマザーのフォログラムが現れる。
『きっとさぞかし「すっきりした」顔をしているのでしょうね? α・シリウス、そしてリンダ・コンウェル嬢。Ω・クレメントが酷い胃痛でメディカル・ルームに行きましたわ。こちらに送られた情報は種別毎に各機関に転送しました。わたくしの手に余る内容が多過ぎたのです。もしもリンダ・コンウェル嬢が更に勉学を望まれるのなら「取材先」を1つ紹介いたしますわ。α・シリウスに頼んで彼専用のメールフォルダを見せて貰ってください』
 モニターが消え、リンダとα・シリウスはお互いに顔を見合わせた。
『マイ・ハニー、サラ。どう思う?』
『マイ・ハニー、シリ。そうね。「ストレス解消に堂々と思いっきり殴って良い相手を教えてくれる」って事じゃないの?』
 α・シリウスはリンダの即答に軽く額を押さえて小さく溜息をついた。
『サラにはそう聞こえるのか。表情には出すな。クリスタルに気付かれる。クリスタルにはまだリンダ・コンウェルとレディ・サラが同一人物と教えていない』
『違うの?』
 リンダはコーヒーのチューブを口に含み、休んでいるというポーズを取る。
『あれはマザーからの暗号命令だ。アンブレラI号に俺達に逮捕させたい相手が居る。仲間が逮捕出来なかったという事は、証拠が不十分で警察が正面から手を出せない大物だ。しかし、民間人で学生のリンダ・コンウェルなら話が出来る相手という事だ』
『ふうん。面白そうね』
『少し時間をくれ。これから俺専用のアクセスコードを入れる』

 α・シリウスは通信端末モードになった不可視ゴーグルに映し出されたアルファベットと数字の羅列を、視点を動かしながら認定していく。
 ゴーグルのフレームに組み込まれているアンテナがマザーからのメールを受信した。
『確認した。このデータをサラに転送できると早いんだが』
『待って』
 リンダも素早く2度瞬きをしてコンタクトレンズを『ボイジャー(探査モード)』に変える。
 何気ない動作でスーツにパスワードを打ち込み、通信回線を開いた。
『シリ、1度きりの回線コードを渡すわ。「mistyumbrella」で送って』
『了解。同時に開くぞ』
 リンダとα・シリウスは同時に目を見開き、しばらくしてやはり同時ににやりと笑った。
『なるほど』
『相手にとって不足無し。リンダ・コンウェルの名前を、とことん使ってやろうじゃないの』
 2人が同時に笑ったのでクリスタルはどうしたのかと思ったが、きっと仕事が上手くいって一段落付いた上にマザーとも連絡が取れたので気が抜けたのだろうと好意的に解釈した。
 目の前にいる少女の本性と思惑と正体を知ったら、クリスタルは震え上がったに違いない。


 パンプキンがアンブレラI号のドックに接舷するとリンダ達は大勢の記者達に囲まれた。
『マザーの奴……サラ、俺はしばらく離れる。連絡は絶つな。CSS本部前で待つ』
『自分だけ逃げる気ね。ずるいわ』
 リンダが止める間も無くα・シリウスは人混みに紛れて姿を消した。
「リンダ・コンウェルさんですね? 今回の事件についてコメントをお願いします」
「どちらに行かれていたんですか? アンブレラI号からの出航記録にはお名前が無かったので散々此処で探し回ったんです」
「リンダ・コンウェルさん。あの放送の意図は? あなたが流した情報で太陽系中が大騒ぎですよ。情報源は何処なんですか?」

マスコミ連中がどうしてメンテナンスドックに居るのよ?
 リンダは憤慨したが公式の場限定巨大猫を被って表面上はにこやかにマスコミに応対する。
「レポートを作成するのに必要な取材に行っていました」
「取材ですか? それは一体どういう内容で?」
 しつこく追いすがるマスコミを器用にかわしながらリンダは中央区画に進んでいく。
「わたしは現在犯罪心理学を学んでいます。そこで、捜査の邪魔をしないという条件で太陽系警察機構の方にお願いして同行させていただきました」
『おい、サラ!』
『面倒だからそういう事にしときなさいよ』
 どこかに隠れているだろうα・シリウスの抗議をリンダは一蹴する。
「もっと詳しく話を聞かせて貰えませんか? 今、ネットでもニュースでも太陽系中があなたに注目しているんです」
「それよりお聞きしたい。これだけ大きな事件を起こした責任はどう取られるおつもりで? アンブレラI号には常に千人以上の職員と乗客が居るんです。あなたの不注意な行動でその方達を危険に巻き込んだ自覚は有りますか? 未成年だからと言って許されませんよ」
 これにはリンダの眉がピクリと動いた。
「巻き込んだ」ですって? わたしが「巻き込まれた」のよ。こいつ何処の回し者よ。

「無礼者! リンダ様から離れなさーいっ!!」
 広い通路に高い声が響き渡ると同時に、リンダにしつこく付きまとっていた男の顔面に巨大な吸引用エアノズルが飛んできた。
 男は慣性で他の記者を巻き込んで飛んでいく。
「ベス」
 リンダが軽く額を押さえて苦笑するとエリザベスが喜んで飛びついて来た。
「リンダ様、よくご無事で! 映像を見て、もう心配で心配で。リンダ様の元に行こうにもCSSに邪魔されちゃって凄く悔しかったですぅ」
「ごめんなさいね。どんな事態になるかわたしにも予想が出来なかったから、あなた達の護衛を頼んでおいたのよ」
 ふるふると頭を横に振ってエリザベスが笑顔を向ける。
「リンダ様のお元気な顔がまた見られただけで充分です。ねえ、マギー」
 エリザベスが振り返った先にリンダが視線を向けるとマーガレットが両手に濡れたモップを握りしめていた。
「ご無事でなによりです。お嬢様」
 常に礼儀を忘れないマーガレットにリンダは笑いながら問い掛けた。
「まさかと思うけど、それも投げる気だったの?」
 マーガレットは顔を真っ赤に染めてモップを背中に回した。
「……その、あの記者があまりに失礼な事を言ったものですから頭を冷やしてやろうと……氷が有れば良かったのですが、すぐには見つからなかったので……」
 リンダは小さく笑ってマーガレットとエリザベスを抱きしめた。
「心配掛けてごめんなさいね。あなた達が無事でいてくれてわたしも嬉しいわ。とても心配だったの」
「勿体ないお言葉です。お嬢様」
「リンダ様ぁ」

 リンダの視線を受けて2人を護衛していたCSSの職員達が敬礼した。
 隊長と思われる中年女性がリンダに近付いて小声で話し掛ける。
「状況報告いたします。あの後、警備部警察と太陽系防衛機構、太陽系警察機構の連携でアンブレラI号に潜んでいた組織員は全員制圧されました。私共は会長のご命令どおりパニックを警戒し、民間人への被害が無い様、要所要所を今も固めています」
「ありがとう。お疲れ様。大変だろうけどしばらくの間は何が起こるか判らないわ。宜しくね」
「はい」
 そこに体勢を直したマスコミ達が「話を聞かせろ」とリンダに向かって来る。
 マスコミ達の横暴さにリンダを神聖視し、職場を荒らされたドックのメンテナンススタッフ達が怒りの表情も顕わに手にスパナやドライバーを持って集まって来た。
 一触即発の雰囲気にCSS職員達がリンダ達を囲んで武器を構える。

「双方、ストップ!」

 リンダが軽く隔壁を蹴って姿勢を変え、通路中央で仁王立ちをする。
「そこのあなた達、わたしの話が聞きたいというのね。マイクは持っていて?」
 リンダの強い視線に圧された記者の1人が5ミリサイズのマイクをリンダに向けて飛ばした。
 リンダはマイクを受け取ると「ありがとう」と言った。
「メンテナンススタッフの皆様、お騒がせして済みません。ご迷惑をお掛けしている上に申し訳無いのだけど、どなたか此処での音声をアンブレラI号内に全館放送出来ないしょうか? 映像はカットでお願いします」
 スタッフの1人が壁面のパネルを操作し、リンダに向けて親指を立てる。
「ありがとうございます」
 リンダはゆっくりと深呼吸をしてマイクを口元に持っていった。
『アンブレラI号にいらっしゃる皆様、初めまして。リンダ・コンウェルです。先刻は回線をジャックして申し訳有りませんでした。現在このアンブレラI号で何が起こっていて、わたくしが1ヶ月と少し前に突然暴漢に襲われた様に、どなたにどの様な危害が及ぶのか、全てを完全に予想する事が出来ませんでした。その為、わたくし自らこちらに赴き事情を調べ、出来るだけ多くの方々に事件の真相をリアルタイムで知っていただこうと思った次第です。皆様におかれましては、本当に突然の出来事で大変ご不安な思いさせてしまった事を心からお詫びいたします』
 1度言葉を切り、リンダは様々な思惑と表情で自分を見つめる周囲に笑顔を向け、明るい声に切り替えた。
『ですがご安心ください。事件は収束に向かっています。この放送をお聞きの皆様、お仕事中の方々は安心してお仕事をお続けください。観光で滞在の方々はゆっくりとおつくろぎください。リンダ・コンウェルの名に掛けて、このわたくしが此処に居る限り、アンブレラI号と皆様の安全を保証いたします。では、またいつかどこかでお会いしましょう』

 パネルを操作していたスタッフにリンダは手を振って放送終了の合図をし、マイクは記者に向けて軽く指先で弾いた。
「リンダ様ーっ! 最高です!!」
 エリザベスの声と共にメンテナンス・ドックスタッフ達からリンダコールが起こる。
 リンダが声援に応えて満面の笑顔で右手を高々と上げた。
 コントロールセンターでも、ロビーでも、アンブレラI号内の様々な会社の職場でも同時に歓喜の声が上がっていた。
「奇跡のリンダの声を聞いたか? 俺達は宇宙で1番の幸運を手に入れたぞ」
 ドックに接舷していた輸送船の乗組員も手放しで喜んだ。

 ロビーに居た人々も一様に安堵の声を上げる。
「ねえ、ママ。今の声のお姉ちゃんって誰?」
 小さな子供が母親の袖を引っ張り、母親は優しく子供の頭を撫でた。
「この宇宙で沢山の奇跡を起こすお姉さんよ。あなたは凄い祝福を受けたわ。『奇跡のリンダ』、この名前を忘れては駄目よ。この名前がきっとあなたを守ってくれるわ」
 子供は頬を真っ赤に染めて声を上げた。
「天使みたいなお姉ちゃんなんだね!」
「そうね。ママも顔は知らないけどきっと天使の様に美しいと思うわ」

 α・シリウスは中央ロビーの隅で「お前達、全員あの竜に騙されてるぞ」と心の中で呟いていた。
 此処の様子を見ていればメンテナンス・ドックがどういう状態なのか想像するのはたやすい。
『またいつかどこかでお会いしましょう』
 リンダの警告に奴は気付いているだろうかと、α・シリウスはマザーから指示された名前に思いを走らせた。
 ふと何かを忘れている気がして、首を傾げたが「まぁ、良いか」とCSS本部に向かった。
 α・シリウスが何を忘れているのかを思い出したのは『よくも1人で逃げたわね!』とリンダから後頭部に蹴りを喰らわされた時だった。


 α・シリウスは痛みのおさまらない頭を撫でながらリンダと一緒にアンブレラI号重力区の司令センターに向かっていた。
 一方、リンダは「パートナーは常に……」と言いながら、ちゃっかり自分だけ逃げたα・シリウスに仕返しが出来て機嫌が良い。
『マスコミは黙らしたけど、これ以上邪魔が入ると嫌だからさくさく行きましょう』
『そうだな。これ以上サラが目立つ事をしてボロが出る前に済ませよう』
『失礼ね。うるさいマスコミを追っ払わないと思う様に動けないでしょ。マザーからの命令を実行出来ないわ。それにあの記者の言い方には腹が立ったけど、大勢の方々に不安を感じさせてしまったはたしかだわ。『奇跡のリンダ』の名前はこういう時こそ使うのが正しいのよ』
 両腕を組んだα・シリウスは『そうか』と納得した。
 何故、リンダ・コンウェルが「鮮血のクリスマス事件」以降、自分の身に降りかかった事件を全て公表してきたのか、幼い身体で犯人をたった1人で捕らえて警察に引き渡し続けてきたのかが理解出来た。
 今では太陽系中に『奇跡のリンダ』の名前は知られている。
 今回の事件でも自分自身で作戦を立て、常に人目の有る場所では自分が矢面に立って戦っている。
 自分が殺しにくい相手だと犯罪者に対する牽制が目的では無く、自分が居れば大丈夫だと周囲の人間を安心させる為か。
 α・シリウスはすでに『奇跡のリンダ』伝説はコンウェル親子が長年を掛けて自ら作りだした物だと知っている。
 大勢の死を乗り越える為とはいえ、ずいぶんと厳しい道を選んだものだと、改めて隣に居る少女の中に自分の過去を重ねた。


 司令センターの受付に着くとリンダは「アポイントは有りませんが、ご挨拶に伺いました」とIDカードを見せた。同行しているα・シリウスもIDカードを提示する。
 面会希望者の名前を告げ、極上の営業スマイルを見せる。
 日頃は「動くな」「話すな」と友人達から言われるリンダだが、完全に仕事と割り切ればいくらでも礼節を重んじた言動をし、笑顔も振りまけるのだ。
 受付から「お会いになるそうです」と部屋番号と道順を教えられ、礼を言って指令センターの中に入って行った。
『ねえ、わくわくしない?』
 リンダから嬉しそうな声を掛けられα・シリウスは眉間に皺を寄せた。
『先に言っておく。暴れるな。壊すな。極力怪我をさせるな』
『そういう事は相手に言って』
 相手が攻撃してきたらそれ相応に対処すると言いたいらしい。
 事実、これまでリンダはプラントナンバー114に潜入した時以外は正当防衛のみでしか戦っていない。
 遠慮も呵責も無くパートナーの自分を殴ってくるのは、リンダにとって一種のコミュニケーションでしか無いのだろう。
 地球の自然保護観察地区で猛獣と家族の様に仲良く暮らしている人達の気分はこういうものなのだろうかと、α・シリウスは本人に聞かれたら絶対殴られるでは済みそうもない事を考えていた。
『シリ、さっきから全部聞こえてるんだけど。ピアスはわずかな振動も拾うって忘れたの?』
 にっこり笑うリンダと対峙してα・シリウスは手の平に汗をかいた。
 リンダはα・シリウスの顔色を見て、溜息をつくと軽く手を振った。
『安心して。「今は」殴らないわよ。周囲の人に何事かと思われちゃうわ。ねえ、シリ。誤解しているみたいだから言っておくけど、わたしは「これでも」人間だから獣と違って言葉で言ってくれたらちゃんと通じるのよ。シリの不自由な口では難しいかもしれないけど、少しはお互いに歩み寄る努力も必要じゃないの?』
 恨めしそうな視線を受けてα・シリウスは軽く頷いた。
『そうだな。じゃあ1つだけ頼む。さっきサラに蹴られた後頭部は未だに痛い。俺は左手を負傷して使えないんだから少しは手加減してくれ』
『手加減したわよ。顔面を狙うと顔が変わってしまうから頭にしたんじゃない。しかも片足で軽く蹴っただけよ。痛点をピンポイントで狙ったのは確かだけど』
 あっさりと言い切られたα・シリウスはもう笑うしか無かった。


 アンブレラI号内座標X,Y,Z=0、司令センター最奥の部屋「アンブレラI号指令長官室」、ようするにこの中継ステーションで1番偉い人が居る場所だ。
 監視カメラに視線を向け、笑顔を見せてからリンダはインターフォンのボタンを押した。
「先程ご連絡させていただいたリンダ・コンウェルです。地球に帰る前に1度ご挨拶をさせていただこうと伺いました」
「どうぞお入りください」という声と同時に3重の扉が開いた。
『Ω・クレメントの部屋より堅牢な造りだな』
 α・シリウスの言葉にリンダが呆れたという顔になる。
『此処は宇宙空間なんだから当然でしょう。しかも防護隔壁のすぐ裏なんだから1番丈夫に作ってあるわよ』

 リンダ達が部屋に入ると恰幅の良い中年男性が立ち上がった。
 銀髪に近い金髪を宇宙生活者には珍しく肩まで延ばして流している。
 服装もリンダが一見ラフなミニスカートだが、機能的にはしっかりしたと防寒耐熱服を着ているのに対し、普通の素材のスーツでおおよそ「らしく」ない。
 なるほど、とリンダは心の中で笑った。
「突然お邪魔してすみません。初めまして。リンダ・コンウェルです。本日は色々とお騒がせしたお詫びとご挨拶に伺いました。会っていただけて安心しています」
「ハインリッヒ・ベックです。リンダ・コンウェルさんのお噂はよく耳にしますよ。今回はとんだ災難でしたね。どうぞソファーにお座りください。そちらの男性は?」
 リンダに対しては丁寧な態度を取ったのに、いかにもついでという雰囲気で視線を向けられたα・シリウスはIDカードをベックに見せた。
「太陽系警察機構USA支部α級刑事シリウスだ。1ヶ月半前の事件担当官として今回はリンダ・コンウェル嬢の強い要望で護衛を兼ねて取材に同行している」
「ああ、あの時の報告は聞いています。今回の不幸な事件はリンダさんが勉強の為にと、以前ご自分が被った事件を再調査しようとしたからだとか。ずいぶんと物騒な事態になりましたな」
「そうですね。過去の事件のレポートを作成するのに、これほど大事件なるとは思ってもみませんでしたわ」
 ソファーに腰掛けたリンダが本当に大変だったと肩を落とす。
「世界中から精鋭達が集まっているアンブレラI号内に犯罪組織員が混ざって居た事は私としても大変遺憾です。しかし、ご安心ください。此処の警備部警察もあのダグラスを除けばとても優秀です。太陽系警察機構や防衛機構と連携して全員逮捕しましたよ」
「本当に全員逮捕出来たのか? まだ隠れている奴が居るかもしれないだろう」
 α・シリウスがわざと探る様な視線をベックに向ける。
「いええ。報告ではこの48時間に挙動不審だった者全員が拘束されたとか。パニックを起こして疑いを掛けられただけの者はすぐにでも開放されるでしょう。先程のリンダさんのスピーチでは有りませんが何も心配は要りません」
「そう聞いて安心しました。あんな大見得を切ってしまった手前、どうしようかと思っていたんです。これで安心して地球に帰れます」
 照れくさそうに笑うリンダにベックも「おやおや、とても自信が無かった様には聞こえませんでしたよ」と笑顔を向ける。

『そろそろ仕掛けるわ』
『好きにして良い。フォローはする』
「あまりお仕事のお邪魔をしてはいけませんね。そろそろ失礼します。ベックさんもお元気で」
 リンダとα・シリウスは同時に立ち上がって扉へと足を向け、「あ、そうでした」とリンダが振り返った。
「さっきまでα・シリウス刑事に同行して取材に行っていたんです。「プラントナンバー114」という悪趣味の限りを尽くした場所でしたわ」
 平静を装いながら小さく息を飲むベックに、リンダは氷の様な笑顔を向けた。
「そこで大勢の犯罪組織関係者や協力者の名簿を見つけましたわ。その中にあなたの名前も有りましたよ。ハインリッヒ・ベックさん?」


 リンダはα・シリウスの左側に立ち、ベックを正面から見据えた。
「宇宙軍と警察が両アンブレラで厳しい情報規制と監視を続けていたから、プラントナンバー114がすでに警察に抑えれたとまだ聞いていない様ね。最高権力者という立場を利用してやりたい放題、人の弱みにつけ込んで命をもて遊び、さぞや楽しかったでしょう? 気の毒なダグラス刑事にわたしを殺す命令を出したのもあんたなんでしょ?」
 リンダの鋭い問い掛けにベックは両肩を竦めた。
「何の話をしているのか私には全く判らないですね。あれだけの目に遭ったのだから疲労で精神的に参っているのでしょう。医療センターに連絡を入れます。鎮静剤でも飲んでゆっくり休まれると良いでしょう」
「わたしに毒を飲ませられないわよ。ダグラス刑事の失敗を忘れたの? これを見てもまだしらを切るつもり?」
 リンダは胸ポケットから端末を出して2つの映像を空中に映し出した。
 1つはプラントナンバー114コントロール・ルームで回収した名簿の一部、もう1つは麻薬漬けにされた胎児が大量に入っているプラントの様子だった。
「このデータを太陽系警察機構に持っていったらどういう事になるか判ってるわね。当然、まだ掴まっていないあんたの仲間全員が逮捕されるわ。こっちは証拠を握っているのよ。いい加減に正体を出しなさいよ」

「小娘がいい気になるな!」
 と、叫んでベックはテーブル下に隠しておいた粒子砲でリンダを撃った。
 リンダのフィールドが青く光り、粒子砲のエネルギーを相殺させる。
「そんな物がわたしに効くわけ無いってとっくに判ってるでしょうに往生際の悪いわね」
 現物を初めて見て唖然とするベックにα・シリウスが1歩前に出て宣言する。
「ハインリッヒ・ベック、殺人未遂の現行犯で逮捕する」
「うるさい。お前が死ね!」
 ベックがα・シリウスに銃を向けると同時にリンダが走り出し、α・シリウスが手首に隠し持っていたセラミックナイフを投げた。
 ナイフはベックの手の甲に突き刺さり銃を落とさせ、リンダの横蹴りが見事にベックの側頭部に炸裂した。

 戦闘慣れしていないベックはリンダの一撃で気を失ってその場に倒れる。
 α・シリウスは思わず溜息をついてこめかみに手を当てた。
「暴れるなとあれほど言ったはずだな」
「だってこいつシリに銃を向けたのよ。わたしにだったら我慢出来るけど絶対許せないわよ」
 全くどっちが護衛なんだかと軽く首を傾げて、α・シリウスはアンブレラI号内の警備部に連絡を入れた。
「太陽系警察機構α級刑事シリウスだ。ハインリッヒ・ベックの身柄を拘束した。この件はこちらで全て片付ける。お前達は手を出すな」
 そう言ってα・シリウスは通信を切る。
 リンダは真っ青になってα・シリウスから通信端末を取り上げた。
「ごめんなさい。リンダ・コンウェルです。今指令センターに居ます。地球に帰る挨拶に来たら突然司令長官から銃を向けられてかなり焦りました。同行してくれていたα・シリウス刑事が助けてくれました。詳しい事は話してはいけないそうですから言えませんけど、多分そちらにはご迷惑を掛けないと思います。お騒がせして済みません」
 そこまで一気に言って息を切らせてリンダは通信を切るとα・シリウスの襟首を掴む。
「シリ、あんたまさか前の時もこんな調子でやったんじゃないでしょうね? 心象悪くて当然じゃないの。少しは言葉を選びなさいよ。そんな態度じゃ助けて貰いたい時に無視されるわよ。この大馬鹿者!」
 マザーとほぼ同様の内容だが、正面切ってここまではっきり怒鳴られるとさすがにα・シリウスでも自分の言葉足らずに気付く。
「……善処する」
「今度やったらその場で叩くわよ」
 リンダはまるで親が子供をしかる様に拳にふっと息を吹き掛けてα・シリウスに脅しをかける。
「了解、教官」
 α・シリウスに笑顔で敬礼され「何でそうなるのよ!?」とリンダが頬を真っ赤に染めて大声を上げた。


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