Rowdy Lady シリーズ 1 『Lady Salamander』

10.

 α・シリウスは美しい柱の1つにもたれてぼんやりと空を見上げていた。
 軟禁に近い状態でどんな些細な嘘も許さないと、何時間もケインとサムの2人から厳しく詰問され続けて疲れ切っていた。
 拷問や誘導質問への厳しい訓練を受けている身でも、精神科医サムの質問からは逃げ切れなかった。
 理由は簡単だ。
 質問の内容が法律に一切触れず、未成年の保護者が申請を出せば警察から正式回答を入手出来るものばかりだったからだ。
 直接自分を詰問したのは、その方が正確で手っ取り早いと判断したからだろう。
 屈辱だと最後まで思えなかったのは、質問の1つ1つにケインとサムのリンダに対する深い愛情が感じられたからだった。
 ケインとサムの質問内容は、α・シリウスの目から見たリンダの昨夜の心理状態や置かれている状況に終始していた。


 話が終わり、契約書のコピーを見たケインとサムは同時に大きな溜息をついた。
「仕方無いなぁ」
「あの馬鹿娘は何を言っても無駄だろう」
 2人の諦めきった顔に自分も同感だとα・シリウスも小さく溜息をついて頷く。
「私も彼女を何回も止めました」
 昨夜の経緯を聞いたケインが同情の目をα・シリウスに一瞬だけ向けて真面目な顔に戻った。
「α・シリウス、君の最初の質問に答えよう。君も知ってのとおり私は立場上敵が多く、脅迫を受けたり命を狙われる事がしばしば有る。妻をあんな形で亡くし、その上娘まで失ってしまったら私は到底生きていられない。先程までの君がそうだった様に人からどれほど誤解されて悪魔と呼ばれようと、私は私の出来る限りの力で娘を護りたいのだ。君なら私の気持ちは解って貰えるだろう?」
 α・シリウスが警察に就職した主な理由も、両親の死に因る部分が大半を占める。
 誰しも家族を大切に想い、失う辛さは同じなのだとα・シリウスは自分の失言を詫びると、ケインは立ち上がってα・シリウスに頭を下げた。
「娘を宜しく頼む」
 これにはα・シリウスは心底から驚いた。
 本当ならこれ以上愛する娘を危険な目に遭わしたく無いだろうに、身元不明の若造相手に決して低くは無い矜持を抑えて、頭を下げてでも娘の自由意志を尊重できるものなのか。
 父親の愛情とはここまで深く広いものなのか。
 親の愛情をあまり知らないα・シリウスはケインに掛ける言葉を見つけられず、無言で頷いてコンウェル家を後にした。

 この際だからと思ってサム・リードに大病院を蹴ってリンダの主治医を選んだ理由も聞いてみたが、返ってきた答えにα・シリウスは呆そのれるしかなかった。
「だって考えてもみなよ。母親を亡くし記憶まで無くした幼い女の子が、政治やマスコミや宗教団体の餌食にされるなんて君なら黙って見過せるかい? あの頃のリンダはとにかく健気で可愛いくて仕方が無かったんだ。君もその頃のリンダを見たいかな? でもあれは僕の宝物だから見せてあげないよ」
だった。
 他家の娘相手に父親以上の超親馬鹿ぶりを発揮してくれた男に、聞くんじゃ無かったと思ったが正に「後悔先に立たず」だ。


「リンダー!」
 講義が終わり、校舎を出てきたリンダの元にキャサリンが必死の形相で駆け寄ってくる。
「キャッシー、どうしたの?」
「とにかく正門まで来て」
 有無を言わさぬ迫力にリンダは「ええ」とだけ答えて一緒に正門に駈けていく。
 この時間帯はあまりにも迎えの車で混雑が激しいので、面倒臭がりで無駄が嫌いなキャサリンは図書館で時間を潰す事が多い。
 珍しい事も有るものだとリンダは不思議に思った。

「あ。キャッシー、リンダ。こっちよ」
 長身のアンが2人の姿を見つけて手を振る。
 人混みに埋もれて見えないがこの分だとジャニファーも側にいるらしい。
 リンダ達が到着すると、アンが何とも言えない顔で両腕を組んだ。
「まさか昼間の冗談が本当になるなんて思わなかったわ」
「え?」
 間抜けな声を上げるリンダの袖を軽く引っ張っり、ジェニファーも不満げな顔で正門を指さす。
「彼の事よ。さっきからあなたを捜しているのですって」
 指された方向に顔を向けると、リンダは思わず「げっ!」と声を上げた。
 セキュリティ防壁でも有る正門柱の横に立っていた青年が、自分に気付いて軽く手を上げてみせたのだ。
 周囲のシークレットサービス達に負けない長身と均整の取れた体躯、短い黒髪は綺麗に纏められ、今は茶色に見える瞳、その上いかにも若い女性にもてそうな容姿に好感度の高い微笑みを浮かべていた。
 あのとても綺麗だが1歩間違えれば鋭いナイフの様な瞳を持つ素顔はどうしたと? ツッコミを入れたい気持ちを必死でリンダは抑えた。

 リンダはジェニファーの手を振り払って混雑を避けながら正門に行き、青年の腕を掴むとそのまま全速力で走り出した。
「あ、逃げた。リンダ、こら待て。卑怯者ーっ!」
 良く響くキャサリンの声がリンダの耳に届くが、何と言われようが今立ち止まる訳にはいかない。
「これは明日が楽しみね」
 アンが含み笑いをするのがピアスを通して聞こえてくる。
「凄く素敵な人だったわね」とジェニファー。
「「あの子が見た目に騙されてるのかもしれないでしょう」」
 キャサリンとアンが同時にツッコミを入れるのまで聞こえてきてリンダは泣きたくなった。
「サラ、何か有ったのか?」
 腕を引かれたまま一緒に走っていたα・シリウスが背後から声を掛ける。
「何か有ったじゃないわよ。シリ、あなたわたしに何か恨みでも有るの!?」
 頬を真っ赤に染めて振り返ったリンダに怒鳴られ、α・シリウスは数度瞬きをすると真面目な顔で言った。
「色々思い当たる節が多過ぎるんだが、どれが1番大きいだろう?」
「下手な冗談で誤魔化すな!」
 α・シリウスは正直に答えたつもりだったのだが、激怒しているリンダには通用しなかった。

 混雑を避けて1ブロック離れた場所に車を停めていたα・シリウスは、助手席に座ったリンダから昼間の友人達とのやりとりを聞かされて大爆笑した。
「……1発殴って良い?」
 自動操縦になっているのを確認したリンダはα・シリウスの馬鹿笑いぶりを見て拳を震わせた。
「サラ、悪かった。怒るな。今日は俺も疲れていてちょっとばかり笑いが欲しかったんだ」
「わたしも寝不足で朝からかなり不機嫌なんだけど」
 不満げな顔を見せるリンダにα・シリウスは苦笑して封筒を投げた。
「これを貰いに行って酷い目に遭ったんだ。こっちの事情はそれで納得してくれ」
 リンダは封筒に入れられた紙を見て、複雑な顔になった。
『承諾書』と書かれた書面に父ケインのサインが書かれており、その後にはご丁寧に主治医のサムの手によるリンダの健康診断書と、どういう意味かと問い質したくなる「取り扱い注意書き」まで付けられている。
 酷い目ね、とリンダは小さな溜息をついた。
 頑固親父のケインと敏腕サムのコンビに掛かったら、いくらα級刑事でもあっという間に陥落させられるだろう。
 自分を怒れなかった分のストレスが全てα・シリウスに向いたのだという事まで容易に想像がついた。
 リンダは「ご愁傷様」と言ってα・シリウスに封筒を返す。
「でもそれとこれは話が別よ」
 と言って、自分の友人達がどれほどの強者達なのかを、α・シリウス相手に思いっきりぶちまけた。
 USA支部が見えてきた頃には漸くリンダの見幕が落ち着き、今日は厄日だと思いつつ辛抱強く待っていたα・シリウスがゆっくり告げた。
「今後、俺とサラは様々な場所や時間に行動を共にする事になる。不信に思われない為にもできるだけ多くの目撃者を作っておく必要が有った。サラを直に知る人が多い学院は俺の姿をあえて見せる絶好の場所だと判断した。忘れられても困るのでこれからも時々は姿を見せるつもりだ」
「……もっともだわ。そういう事なら始めに言っておいてよ」
 こちらが悪いと言い切るリンダに、ずっと忍耐の文字を顔に貼り付けていたα・シリウスもさすがに堪忍袋の緒が切れた。
「サラが俺の話を全然聞かなかったんだろうが! あの超マイペースな2人に会った時に、サラの性格形成段階が走馬灯の様に見えたぞ」
「あんな化け物レベルと一緒にしないでよ」
「似ている自覚は一応有るんだな」
「……」
 α・シリウスの鋭い指摘にさすがのリンダも沈黙した。


 α・シリウスはUSA支部最上階に向かうエレベータの中でリンダに1枚のシートを渡した。
「名刺?」
「明日、俺の事で友人達から質問攻めに有った時に出してくれ。ケイン氏が特急で手配してくれたものだ」
「へぇ、パパが……ってこれうちの社の名刺じゃない。CSS(コンウェル・シークレット・サービス)主任、シルベルド・リジョー二?」
「サラが俺に変なあだ名を付たからその名前にされた。どこで「シリ」と呼んでも不信に思われない様にだそうだ」
「ごもっとも」
 頷いたリンダがシートをポケットに入れる。
「それとケイン氏からサラに2つ伝言が有る」
 あの父が自分に直接言わずにわざわざ間に人を立てるなんて滅多に無い事だとリンダが目を見張り緊張する。
「何?」
「これから10日間、コンウェル社には出社せず、外でボロを出さない様に太陽系警察機構のシステムを完全に暗記してこいと言っていた」
 聞かされた内容にリンダは緊張を解いてほっと息を付いた。
「助かるわ。当分身体がいくつ有っても足りないんじゃないかと困っていたの」
「それと、これまでサラの護身術を指南してきた人が現役を引退するそうだな。そこで若くて活きが良いの……ってどういう意味だ? 優秀な人材を捜していた時に都合良く俺が現れたそうで、今後は俺がサラの教官になる。俺の名刺もそれに合わせて作ったらしい」
「えーっ」
 いかにも自分の実力では不満という顔をするリンダの頭を、α・シリウスは軽く叩いた。
「あまりプロを見くびるな。凶悪犯を極力殺さずに捕らえる技なら、依頼者を守る事を第1に考えるシークレット・サービスより俺の方がはるかに上手く教えられるぞ」
「あっ」

 リンダはα・シリウスが研修生達から「先輩」と呼ばれていたのを思い出した。
 後方勤務を余儀なくされたα・シリウスが、捜査の合間をぬって後輩指導に当たっていたのは当然かもしれない。
 文句を言いつつも後輩達はα・シリウスをとても慕っているのには気付いていた。
 よほど信頼できる教官だったのだろう。
「失礼な事を言ってごめんなさい」
 素直に謝るリンダにα・シリウスは笑顔で応じる。
 いつもこんな笑顔を見せてくれたら良いのにとリンダが思っていると、「サラマンダー(火竜)相手に手加減したら、人間の俺が持ちそうも無いから実戦のつもりでやるぞ」とまで言われ、当分口がきけないくらいに顔面を殴ってやろうかという不遜な事をリンダは考えた。
 どうしてこの男は「俺達の仕事は常に命の危険が伴う。できるだけ早く刑事としての実戦慣れをする為に、厳しい訓練を受けさせる」とは言ってくれないのだろう。
 ゴーグルを外した蒼い瞳はとても優しくそう語りかけているのにだ。
 リンダは口が悪い上に素直じゃ無いパートナーの裏膝を軽く蹴って、廊下の真ん中に転がした。


 長官室扉の正面でど突き合いを始めた2人の姿をモニター越しにじっと見ていたΩ・クレメントはテーブルに頬杖を付き大きな溜息をついた。
「……そろそろ私自ら止めに行くべきだろうか?」
 マザーは笑いで肩を震わせながら涙ながらに答える。
『彼らの直接の上司はあなたしか居ないのですから仕方無いでしょう。Ω級支部長官の仕事ではありませんけどね。あなたとα・シリウスとレディ・サラの名誉の為にもこの記録は残しませんわ』
「本当に記録に残らないのか?」
『ええ。何が起こっても残しません』
 Ω・クレメントがにやりと笑って手元の端末を操作すると同時に、2重扉の向こうでは2人の叫び声と激しい水音が響く。
 ウォーターカッターにもなるスプリンクラーを手動で操作して、ピンポイントでα・シリウスとリンダの頭上からパルスジェットの水を降らせたのだ。

 くしゃみと共に「「長官! どういうつもりですか?」」と見事なユニゾンで頭部がずぶ濡れになったα・シリウスとリンダが長官室に飛び込んで来る。
「それはこっちの台詞だ。このダブル馬鹿が。誰が通るか判らない廊下の真ん中、しかも私の部屋を目前にしてバトルを始めるな。体力が余っているならトレーニング・ルームに行け」
 マザーが笑いながら2人にタオルを渡して温風を当てる。
『一部始終をこちらでモニターしていました。仲が良過ぎるのも考え物ですね』
「「誰が?」」
 同時に言い返し、リンダとα・シリウスはバツが悪そうに背を向け合い黙ってタオルで髪を乾かす。
 元々癖の有る柔らかいリンダの髪はマザーの操作するブローを受けて元に戻ったがα・シリウスの髪は整髪料が流れてしまったらしく元には戻らない。
 前髪が下りたα・シリウスの顔を見て、リンダは思わず「若い」と呟いた。
 Ω・クレメントとマザーが同時に「おや?」という顔を見せる。
 マザーがα・シリウスの肩に手を掛けリンダに笑い掛けた。
『まだこの子は自分からは何も話していないのですね。事実、α・シリウスはとても若いのですよ。つい2ヶ月前に26歳になったばかりなのですから』
「26!?」
 最年少クラスとは聞いていたが、そこまで若いとリンダは思わなかった。

……防衛大学か警察大学で4年、更に2年間の研修を受けて26歳?
「ちょっと待って。という事はシリって実務経験が2年しかないの?」
 いくらα級とはいえ、それではあまりにも心許ないとリンダは思った。
 犯罪者に度々狙われる自分と関わる事で、逆にα・シリウスに危険が及ぶ可能性も高いのだ。
「研修は実地のみで1年間、それを合わせれば6年のキャリアだ」
 面白く無さそうに髪をかき上げて答えるα・シリウスに、リンダは口を大きく開けた。
「最低でも2年はスキップしているの? 研修1年間でα級認定なんて……シリって本当に優秀なのね」
「今まで何だと思ってたんだ?」
「口が悪い上に馬鹿だとばかり……」
 α・シリウスは濡れたタオルでリンダの後頭部を叩くと、リンダが反撃する前に腕を掴んだ。
「これから最低10日間は俺の事は教官と呼べ。ケイン氏との約束も有る。その間にサラを1人前のレディ級刑事に仕立ててやる。今すぐトレーニング・ルームに行くぞ」

 怒って退室しようとしたα・シリウスをマザーが止めた。
『お待ちなさい。α・シリウス、あなたは何の為に此処に来たのか忘れてはいませんか? リンダ・コンウェル嬢に気を取られ過ぎて本来の目的を忘れては駄目よ。パートナーが漸く見つかって浮かれる気持ちは解りますが、物事には順序が有るでしょう?』
 α・シリウスは「あっ」と小さく声を上げて、ジャケットの内ポケットから出した封筒をΩ・クレメントに提出して敬礼した。
「報告します。ケイン・コンウェル氏の承諾書を頂いてきました。それと、リンダ・コンウェル嬢の主治医の診断書も預かっています」
 封筒の中身を確認したΩ・クレメントが笑顔で立ち上がる。
「宜しい。これで正式な手続きに入れる」

 Ω・クレメントはテーブルの引き出しから1センチ四方の薄いプレートを出した。
「リンダ・コンウェル嬢、受け取りたまえ。太陽系警察警察機構USA支部局長Ω・クレメントの名において君を正式にレディ級刑事サラマンダーと認証する。今この時から君は私達の同僚だ。今後の活躍を期待している」
 リンダは手の平に乗せられた小さなプレートを襟に付けると、誰に教えられた訳でも無いのに満面の笑顔で最上級の敬礼をして見せた。
「レディ・サラ、謹んで拝命します」
 リンダはマザーも含めた3人が苦笑しているのに不安になった。
「何か間違えたでしょうか?」
 Ω・クレメントが噴き出したいのを必死で堪えながら、リンダにぎりぎりで笑顔を向ける。
「あー、認めたく無いのは充分承知しているが正式の場では君のコード名はレディ・サラマンダーだ。普段は私達も君をサラと呼ぶが、呼んだ相手を怒って殴らない様にだけは気を付けてくれ」
 そこまで言うとΩ・クレメントは我慢の限界だと声を上げて笑い始めた。
 α・シリウスも意地の悪そうな笑いをかみ殺しながら、リンダに向けて来いと手を振る。
 リンダがこっそりとマザーに問い掛ける。
「シリって本当にあれで浮かれてるの?」
『ええ。これ以上は無いというくらい浮かれていますわ。浮かれて過ぎて急いだあげくに簡単な仕事の手順を間違える程にです。レディ・サラ、もっと自信を持ってください。あなたはわたくし達とα・シリウス自身が認めた最高のパートナーなのです』
「シリの感情表現って全然分かんないわ」
 ぽりぽりとこめかみを掻くリンダにマザーが笑みを向ける。
『言葉の選び方がとても不器用なのです。あなたならすぐに慣れますわ』
 2人がこそこそと内緒話を続けているとドアの側で待っていたα・シリウスの怒号が響いた。
「レディ・サラ、呼ばれたらさっさと来い!」
 ちらりとΩ・クレメントとマザーに視線を向けてリンダは軽くウインクする。
「りょーかい。教官」
 リンダは小走りでα・シリウスの後を付いていった。

「教官、お願いが有ります」
 先程までとはうって変わって丁寧な敬語を使うリンダに、α・シリウスはくすぐったそうに振り返った。
「体調管理も重要だと承知していますが、昨日私用で睡眠を取りそびれました。重装備での訓練を受ける事は体力的に無理と思われます。初日から申し訳有りませんが、本日は軽装備訓練か太陽系警察機構のシステムを教えていただけませんか?」
 リンダの真面目な態度に、耐えきれなくなってα・シリウスが噴き出す。
「分かった。俺も色々有って疲れているから講義だけにしておこう。途中で寝るなよ」
「はい」
「それとさっきはああ言ったが俺の事はこれまでどおり「シリ」と呼んでくれ。敬語も使わなくて良い。従順なサラなんて不気味でしょうが無い」
 これにはリンダの営業スマイルも完全に凍り付いた。
「人が一生懸命新米刑事をやってるのに不気味とはどういう言い草だーっ!?」


 リンダの怒号と共に長官室前のバトルが再開した。
 Ω・クレメントは諦めの溜息を盛大に付いたが、モニターを見ている内にだんだん表情が変わり、口元に笑みを浮かべていく。
「レディ・サラ、彼女は『本物』だ」
『今更何を言われるのですか? わたくしが初めから申し上げていたではありませんか。『奇跡のリンダ』の名は決して只の伝説では無いと』
 全力を出していないとはいえ、自分より20センチ近くも長身のα級刑事を相手に、何の武器も持たずに対等に戦い続けるリンダの姿がΩ・クレメントの目を惹き付けた。
 まだ17歳の少女だ。このまま育てて指揮官としての教育を受けさせれば、クイーン候補にまで伸びるかもしれない。
 太陽系警察機構に今はただ1人しか居ないクイーン級刑事、その原石を見つけたかもしれないとΩ・クレメントの手は知らず震えていた。


「目を開けたまま寝るな」
 講義中にα・シリウスからデコピンを喰らい、リンダは「ふぇ?」という間抜けな声を上げて目を覚ました。
 時刻はまだ18時半、α・シリウスは暴れて更に疲れたのか、欠伸を繰り返し隙だらけのリンダを不審に思った。
「昨夜は何時間寝たんだ?」
「ベッドには入ったけど、結局一睡も出来なかったから……」
 そう言いながらまたうとうとし始めたリンダを見て、α・シリウスは1つ溜息をつくと手元の端末を操作した。

「サラ、舌出せ」
「ほえ?」
 素早く右手を閃かせα・シリウスは「時間の有る時に読め」と言ってリンダの頬に指先を押し付けた。
 ここまでされたらどれだけ眠かろうと誰だって目を覚ます。
「ちょっと待って。今さっきこれをシリも舐めたわよね?」
「マザーからダウンロード許可を取るのにDNA鍵が必要だ。それがどうかしたか?」
 顔に貼られたBLMSに手を当てて、上擦った声で咎めるリンダにα・シリウスは平然と答える。
「しかもいきなり人の口の中に手を突っ込んで……」
「BLMSにサラのDNAを認識させないと情報が読めないだろう」
 何を当たり前の事を聞くのかとα・シリウスは首を傾げた。
「勝手に人の顔に貼って……」
「ゴーグル無しで俺達以外には見えない。仮にもレディ級刑事がこれ程簡単にDNAを盗まれるとはかなり問題が有るぞ」
「……それ以前にあんたにはデリカシーってものが無いのか!?」
 ぶるぶると拳を震わせるリンダにα・シリウスはあっさり言い切った。
「サラに使うようなものは無い」


 怒るリンダを何とか黙らせて家に送り届けたα・シリウスに、2人のやりとりの一部始終を見ていたマザーが呆れたと笑った。
『若い女性が、しかもレディ・サラの様に日頃から厳しい訓練を受けている方が、無防備な姿を人前で晒すはずが無いわ』
「俺も呆れている。いくら徹夜明けだからってあの馬鹿は車の中でもずっと寝ていたぞ」
 コーヒーを飲みながらできれば忘れた事にしたいコンウェル家での出来事を報告書に纏めていたα・シリウスはリンダを「刑事失格」だと不満を洩らした。
『あれはレディ・サラ流のあなたへの信頼の証よ』
「は?」
 何の事か判らないという顔をするα・シリウスにマザーはふっと息を付いた。
『あなたをパートナーとしてこれだけ信用しているのだと身をもって証明したのよ。それをあなたときたら……レディ・サラの言い分では有りませんが、もう少しデリカシーを持ちなさい』


 その頃リンダは自室で服を脱ぎ、受け取ったBLMSのデータを防護スーツの記憶装置に取り込みながら溜息をついていた。
 コンウェル財団が極秘で開発したリンダの装備を使えば、多少の手間は掛かるがマザーのプロテクトを封じて1度までならコピーが出来る。
 しかもそれを読み取れるのはリンダだけという特典付きだ。
「あそこまで行くと天然の領域ね」
 身体能力はコンウェル財団のシークレット・サービスより数段上で、実戦では長年教えを受けた師範よりも強いかもしれない。
 正確な射撃能力とナイフの腕はアンブレラI号で確認済みだ。
 あの時「他に武器は?」と聞いた自分に「この身だけ」と答えたのは決して誇張では無かった。
 あの若さでα級の単独捜査を4年間も続けて、未だに生き延びているだけでも脅威的なのだ。
 ところが性格は良く言えば実務最優先、悪く言えば只の無神経。
「やっぱり馬鹿だわ」
 コンウェル財団の自分にこれほどあっさりとDNAを渡してしまうなど、普通なら到底考えられない無防備さだ。
 コピーが終わったBLMSを指先に乗せ、リンダはしばらくの間考え込んでいたが、ぎゅっとBLMSを握りつぶし、トレーに入れて火を付けた。
「信頼には信頼を、誠実には誠実をもって事に当たるべし。さすれば道は開かれん」
 父ケインとサムがリンダの知らぬ所でα・シリウスの個人情報を消した様に、リンダも誰にも知られない内にα・シリウスのDNA情報を抹消した。

 時刻は20時を少し回ったばかり。
 α・シリウスが高速モードで送ってくれたので、夕食をゆっくり摂ってもまだ寝るには早い時間だ。
「シャワーは明日にして今日は寝よっと」
 素肌を覆う防護スーツをランドリー機に押し込んでリンダはベッドに飛び込んだ。
 妙なところリンダは素直な性格だった。
 帰り際に「今夜は早く寝ろ」とα・シリウスにきつく言い渡されたとおりに行動し、1分と経たない内に寝息を立て始めた。


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