Rowdy Ladyシリーズ 1 『Lady Salamander』

6.

 マザーの爆弾発言から立ち直ったα・シリウスが長官室に戻ると、ドアのすぐ前でリンダが腕を組んで待ちかまえていた。
 何かを言わなければと焦るα・シリウスより、リンダの行動の方が数倍早かった。
 声を掛ける間も与えずにα・シリウスの腕を掴んでリンダは部屋を出ようとする。
「お、おい?」
「ちょっと顔貸しなさいよ。マザー、さっきの部屋を借りるわよ。ホットコーヒーを2つお願い」
『承知しました。どうぞお好きに』
 にっこり笑って手を振るマザーにα・シリウスの方が焦って声を上げた。
「俺の意志を完全に無視するな」
 リンダの手を振り払おうとするが、有無を言わせない強い視線で睨まれ一瞬たじろいだ隙に、しっかりと上体を両腕で拘束されて廊下を引きずられていく。
 この小さな身体のどこからこんな馬鹿力が? とα・シリウスは思ったが、相手が相手だけに1つ溜息をついて呟いた。
「頼む。逃げないからこの手を離してくれ。この場所での行動は全て記録される。こんな姿を残されたら俺が恥ずかしいんだ」
 リンダはちらりとα・シリウスの顔に視線を向け、あっさり手を離すと曲がって皺がよってしまったα・シリウスの服を軽く叩いて整えて、そのまま黙って踵を返して目指す部屋に進む。
 全く可愛げの欠片も無いが、あれでも自分の言葉を信用するという意思表示なのだろうと、α・シリウスも黙ってリンダの後に続いた。

 その様子をモニターを通して見つめていたΩ・クレメントが不安気に「大丈夫だろうか?」と問い掛けると、マザーは微笑して答える。
『リンダ・コンウェル嬢はα・シリウスに興味を持たれたご様子です』
希望はまだ有る。
 暗にそう告げられてΩ・クレメントはほっと息を付いた。
 唯一、マザー達がα・シリウスのパートナーとして認めた奇跡の強運を持つ少女。
 酷似した境遇が2人が出会う運命を引き寄せたのか、はたまた神の気紛れか、単なる偶然かもしれない。
 Ω・クレメントは藁をもすがる思いでリンダ・コンウェルに全てを賭けて祈り続ける。
 パートナーになる事で更に過酷な運命が少女を待ち受けるのだとしても、Ω・クレメントはα・シリウスを守りたいと思っている。
「マザー、私は1つの罪を償おうとして、新たな罪を犯す救い様の無い愚か者だろうか?」
 自嘲気味に言うΩ・クレメントにマザーはゆっくりと頭を振った。
『あなたの思惑がどうあれ、リンダ・コンウェル嬢はご自身の運命をご自分で選び切り開いていくでしょう。『奇跡のリンダ』伝説はたとえあなたでもそうそう覆す事などできませんよ。また……』
 マザーはΩ・クレメントの肩に手を乗せ静かに告げた。
『それほどの強運を持つ方だからこそ、わたくし達はリンダ・コンウェル嬢を選んだのです』
「マザー、感謝する」
 漸く心から微笑んだΩ・クレメントにマザーは意地の悪い笑みを浮かべる。
『とはいえ、あの頑固者同士のα・シリウスとリンダ・コンウェル嬢が素直に和解できるのは、晴天の空に突然巨大ハリケーンが現れて吹き荒れるほどの確率ですけどね。もちろん竜巻やダウンバーストは含まれませんよ』
「……果てしなく低い確率じゃ無いのか?」
 漸く上向きになった気持ちを一気に叩き落とされて、Ω・クレメントは拗ねた声を上げた。
『地球人類が銀河系内で知的生命体とランデブーする確率に比べたら、ずいぶんと高い確率ですわ』
「んなモンと比べるなーっ!」
 わざとらしくホホホと笑うマザーのフォログラムに向かって、怒ったΩ・クレメントは無駄と知りつつ机の上に有る物を次々と投げつけた。


 リンダとα・シリウスが部屋に入ると、テーブルの上には煎れたてのホットコーヒーが置かれていた。
 ソファーが1組しか無い為にα・シリウスが身の置き場に困っていると、リンダがソファーからクッションを床に下ろして、ミニスカートを物ともせずに胡座を組んでクッションの上に座る。
「そこに座ってよ」
 あっさりと言うリンダにα・シリウスは普通は立場が逆だと額を押さえたが、このリンダに何を言っても無駄と諦めてソファーに腰掛け、手に持っていたジャケットをリンダに放った。
「お嬢様とは到底信じられない行儀の悪さは今は言及しない。しないが、せめて足を隠せ。と言うか少しは人目を気にしろ。お前さん、俺が男だって完全に忘れているだろう?」
 少しだけ頬を赤く染めて顔を背けるα・シリウスを見て、リンダは全く意図していなかった事への意外な反応に、大きく目を見開いて小さく笑った。
「どうしたらあなたが男以外に見えるの? でも、言われてみれば少々はしたないかもね。ごめんなさい。それと服をありがとう」
 ジャケットを膝に掛けると、リンダはテーブルに手を伸ばしてカップを取った。
「じっくり考え事をしたい時は、ソファーよりベッドや床の方が落ち着くのよ」
 そう言ってリンダが1口コーヒーを口に含んだ。
 α・シリウスもコーヒーを1口飲んでカップをテーブルに置くと、リンダが真っ直ぐにα・シリウスを見上げていた。
「これで「あの」時と同じかしらね」
 α・シリウスは数度瞬きをして、リンダが何を言っているかを察すると、右手を差し出した。
「太陽系警察機構USA支部のα級刑事シリウスだ」
「わたしはリンダ・コンウェル。お嬢様どころか貧乏勤労大学生よ」
「ケイン・コンウェル氏の公人としての噂は色々聞いているが、プライベートでもそうとう厳しい人みたいだな」
「まぁね。甘やかすだけの人じゃ無い事はたしかだわ」
 笑って頷くとリンダはα・シリウスの手を握り返した。

 離した右手の甲を見つめながらリンダはぽつりと呟く。
「あの時は完全にしてやられたわ。悔しいけれど1流のプロの仕事だったわ」
「いや。それは違う」
「どうして? 自惚れ無しでわたしは小さな頃からプロから厳しい訓練を受けてきたわ。身体に何かを仕掛けられて全く気付け無かったなんて初めてよ」
 屈辱だったと言うリンダにα・シリウスは何度も頭を振った。
「俺が本当に1流のプロなら、決してお前さんを事件に関わらしてはならなかった。いかなる手段を使っても、自力で奴らから逃げ切って情報を持ち帰る。それが俺の仕事だからだ」
「わたしを利用するのも「いかなる手段」の内に入らないかしら?」
「無関係の民間人を巻き込むのは手段の内に入らない。焦った俺が誤った判断をした結果、お前さんを危険な目に遭わせてしまった。本当にすまなかった」
 テーブルに額を付けんばかりに頭を下げるα・シリウスに、リンダは何でも無いと頭を振った。
「謝る必要は無いわ。わたしが命を狙われるのは子供の頃から慣れているもの。危険への対処方は身に付けているし……」
 そこまで言ったところで、カップが浮き上がるほどの力で、α・シリウスはテーブルを叩いた。
「慣れているとか簡単に言うな! たった1つの命だろう。他人の勝手な都合で自分の命を狙われる羽目になったんだぞ。お前さんは地球に帰ってすぐに俺を訴えても良かったんだ。なぜそうしなかった?」
 どんな処罰を受けるのも覚悟をしていたのだと告げられて、リンダはα・シリウスに対する評価を変えた。

この人は見た目よりずっと優しくて温かい。
 リンダは自分の直感を信じて切り出した。
「あなたがわたしに悪いと思う気持ちが有るのなら、本当の事を教えて」
「本当の事?」
 α・シリウスが少しだけ首を傾げると、リンダはゆっくり言い直した。
「あの事件の真相を教えて欲しいの」
「さっきマザーが話したとおりだぞ」
「そうじゃ無くて、諜報機関の属するα級のあなたがどうしてあんな暴漢達に追われる事になったのかとか、事件の全てを知りたいの」
 α・シリウスは驚いて声を詰まらせる。
「それを知ってどうする気だ? 民間人のお前さんに話せる事はあれが全てだ」
「だから!」
 今度はリンダがテーブルを轟音と共に強く叩いた。
「あなたのパートナーになるんだったらわたしは民間人じゃ無くなるでしょう。人を見下げるのはいい加減に止めて」
「俺がソファーに座っていて、お前さんは床に座ってるんだからこの視線は仕方無いだろう」
「言葉通りに取らないでよ。この馬鹿! 下手な冗談を聞く為にあなたを此処まで引っ張って来たんじゃ無いわよ。と言うか、誤魔化すな! 逃げるな! 吐け! 正直に! わたしが切れてテーブルを叩き壊す前にさっさと全部話せ!!」

壊す前にって……すでに壊しているじゃないか。
 α・シリウスは木目に沿ってヒビが入ったテーブルを見て、怒ったリンダの馬鹿力で殴られたのが自分では無かった事に胸をなで下ろす。
 アンブレラI号で暴漢達から守ろうと抱えたリンダの身体は細くしなやかだった。
 一見してどこにでも居る普通の少女の、いや、無駄の無い均整の取れた身体、柔らかいオレンジがかったイエローへア、エメラルドグリーンの瞳や薄紅色の肌は美しいと言って良い。
 黙ってじっとして居れば笑顔1つで多くの男達を虜に出来るだろうに、目の前の少女ははち切れんばかりのエネルギーで全身を覆い、戦意で瞳を輝かせている。
勿体無い。
 α・シリウスは正直にそう思った。
 そして、リンダが常に戦いに身を置く事に至った原因を思い出し、自分の過去と重ね合わせて胸を痛めた。
「それを知ればお前さんは自動的に太陽系警察機構に組み込まれる。聞かなければ良かったと後悔しても遅いんだ。今ならまだ引き返せる。マザーの依頼を断って家に帰った方が良い」
 この少女を自分が身を置く世界に関わらせたくないとα・シリウスは切実に願っている。
 そんなα・シリウスの気持ちを素早く察したのか、それともどこまでも鈍感なのかリンダは疑問を投げかける。
「あなたが本気でそう思っているのなら、何故わたしをホテルに呼び出したの? 何故ここまで連れて来たの? 命令されたからなんて言い訳は聞かないわよ」

 嘘は許さないと言わんばかりのリンダの見幕にα・シリウスは小さな溜息をついて正直に話した。
「アンブレラI号事件の後、お前さんの資料を読んだ。わずか8歳の頃からこれまでお前さんに降りかかった数々の犯罪を未然に防いできた全ての記録だ。お前さんは戦闘能力だけならマザーの言うとおりに、いつでも太陽系警察機構の刑事として働けると俺も思う」
 α・シリウスが1度言葉を切り、リンダは黙って頷いた。
「アンブレラI号とホテルでお前さんの戦いぶりを見て、俺はマザーと賭けをした事を後悔した」
「賭け?」
「前線に戻る為に用意された上司命令を俺が頑なに断り続けたので、卒業間近の研修生4人全員をお前さん1人で倒せたら俺はパートナーとして認めるという条件で賭けをした」
「……馬鹿ね。賭けに負けるとは思わなかったの?」
 呆れるリンダにα・シリウスも苦笑した。
「俺は実際にお前さんの戦いぶりを見ているんだぞ。賭けに負けるのは判っていた」
「じゃあ何故?」
 どこまでも真っ直ぐな視線を受けて、α・シリウスは視線を落とした。
「お前さんの弱さをもう1度この目で確かめたかった。データを見て予想は付いていたんだが、今回の事で確信が持てた。お前さんはこの仕事に向いていない」

 自分が「弱い」と言い切られてリンダは一気に頬を染める。
「わたしが弱いですって? このわたしの何処が弱いと言うの? 此処の研修生4人を戦闘不能にするのに2分も掛からなかったはずよ。実力は認めるとあなただって言ったじゃない」
 憤って立ち上がろうとするリンダの両肩を押さえて、α・シリウスははっきりと告げる。
「お前さんはこの仕事をするのには優し過ぎるんだ」
 意味が解らないという顔をするリンダに、α・シリウスはゆっくり頷いた。
「俺達の仕事は綺麗事では出来ない。民間人を人質に取ったり、周囲に被害を広げながら抵抗を続ける犯人を人質ごと撃ち殺す事も有れば、重要な情報の収集の為なら事件被害者を見殺しにする時だって有る。何度も酷い目に遭いながら正当防衛でも人を殺した事の無いお前さんに、躊躇わずに人が殺せるか?」

この手で人を殺す? 被害者を見捨ててまで情報を集める?
 リンダは口元に手を当てて微かに震えると頭を振る。
「それがお前さんの弱さだ。いくら強くても手加減が出来る相手ばかりじゃ無い。死闘中に迷えば死ぬのは確実にお前さんの方だ」
 α・シリウスは少しだけ躊躇いながら本当の気持ちを言った。
「お前さんの命は母親も含めて多くの人が救ったものだ。俺達の仕事に関わって簡単に亡くして良い命じゃない。もし、お前さんの身に何かが有ったら、俺は命掛けでお前さんを守ったお袋さんや、今も多くの装備で守り続けている親父さんに合わせる顔が無い」
 リンダは1番のウィークポイントの両親の話をされて、弾かれた様に頭を上げた。
「問題は身体より心の傷だ。辛いとか悲しいなんてもんじゃ無い。お前さんは何度も泣く事になる。頼むから引いてくれ」
 不可視ゴーグルに隠されているα・シリウスの真実の表情に気付いて、リンダは両膝を立てる。
 α・シリウスの大きな両手を、自分の小さな両手で包み込んで微笑んだ。
 これにはα・シリウスの方が驚いて手を引こうとしたが、リンダの深い笑顔を見て両腕から力が抜けていく。
「あなたはずっと独りきりでそれほど辛い思いをしてきたのね」
 リンダはα・シリウスの両手を自分の胸元まで引き寄せて両目を閉じた。
「これからは1人じゃない。わたしが居るわ」

 リンダが静かに告げるとα・シリウスは慌てて今度こそ両手を振りほどいた。
「お前さんには無理だと言っただろう。甘い考えで出来る仕事じゃ無いんだ。俺の説明の一体何を聞いていた!?」
 怒鳴られたリンダは挑む様に立ち上がり、両手を腰に当ててきっぱりと言い返した。
「このわたしを舐めるんじゃ無いわよ。この万年反抗期男。『奇跡のリンダ』の名を軽く見ないで欲しいわ。人を殺した事が無い。それが何よ? その事実こそがわたしが優秀な刑事の資質を持つ充分な証拠なんでしょう。『奇跡のリンダを殺すには市1つを消すつもりで殺れ』という噂を知らないの? あなたの身体で噂の真相を証明しても良いのよ!」
 リンダが再び強くテーブルを叩いた時、美しいフォルムを持っていたテーブルは真っ二つに割れ、薄い陶磁器のカップとソーサーが高く宙を舞いながらコーヒーを撒き散らし、甲高い音を立てて砕け散った。
「あっ!」
 リンダが真っ青になって部屋中を見渡した。
 長官室で出された物とは最低でもゼロが2つ以上は違う価格のカップ、コーヒー染みの出来た上質のソファーとクッション、木目が極めて美しかった天然木のテーブル。
 全額を弁償するのに定期預金の1つを解約するだけで済むだろうか?
 この先4ヶ月半もただ働きが決まっているのにこれ以上? と、リンダは今にも泣きそうな顔を浮かべた。

 自分に僅かに掛かった温いコーヒーを拭き取ると、目の前で百面相を繰り広げるリンダを見つめて、α・シリウスは1つ溜息をついた。
 あの馬鹿力を『自分の身体で証明』されなくて本当に良かったと安堵する。
 どうしてこの少女に関わると、こうも自分のリズムを狂わせられるのか?
 先程までのシリアスな会話は何処に消えてしまったのか?
 考えるだけ空しくなる一方なのでα・シリウスはリンダに向かって言った。
「ここの損害は全額俺が持つ。危険手当で金は溜まるが使う暇も無いんで懐はかなり温かい。何の補助も受けずに正確にテーブルの木目の同じ所を2度も突いて叩き割るという芸を見せたお前さんへの報酬だ。それと……」
 α・シリウスはソファーから立ち上がって更に大きな溜息をついて、真っ直ぐにリンダを見つめながら言った。
「全てを覚悟した上での本気なんだな?」

 挑み返されたリンダは負けじと速攻で「当然よ!」と、言い切った。


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