Rowdy Ladyシリーズ 1 『Lady Salamander』

5.

 見る者の気持ちを落ち着かせる柔らかな間接照明に座り心地の良いソファーとクッション、テーブルの上には入れ立ての香り良い温かい紅茶が置かれている。
 1人でゆっくりとくつろいで時間を潰すのには丁度良い広さの部屋でリンダはソファーに腰掛け、マザーのフォログラムは正面に立つ形で向き合っていた。
『リンダ・コンウェル嬢、たしかにあなたはまだ学生であり、未成年の為に刑事の資格を持ちません。ですが、わたくし達も何の根拠も無しにこの様な要請をしている訳では無いのです。あなたの経歴は充分に調べてあります』
 マザーは壁際の空間にモニターを表示させ、リンダの習得資格の一覧を指し示した。
『高等部ですでに法学を修め、大学1年では犯罪心理学Iと行動学の単位を取得済みですね。資格試験さえ受かれば太陽系警察機構に就職は可能です。現在は犯罪心理学IIと犯罪史を勉強中との事。経済学全般や宇宙物理学を学びながらこれだけの単位を取っているのです。あなたは頭脳も体術も警察官として素晴らしい資質の持ち主です』
 苦労して取得した単位一覧を見つめながらにっこりと笑うマザーにリンダは渋面で告げた。
「その法学で公務員試験には大学卒業資格が必要で、特に警察は専門研修所出身者に限られると学んだわ。いくら単位を取っているからって受験資格すら無いわたしを今すぐ刑事にするには無理が有りすぎない?」
 なぜこんな判りきった事を言わなければならないのかと、面倒臭そうにぽりぽりとこめかみを掻くリンダの手をフォログラムの手で軽く握り、マザーはリンダの顔を覗き込んだ。
『α・シリウスの待遇の例で判る様に、全ての法律には特別条項というものが有るのです。あなたへの要請もその1つ。何も心配は要りませんよ』
「ルールはクリアしても職業選択の自由も有るでしょ。わたしは大学を卒業したら父の会社に就職するつもりなの。小等部の頃から父の仕事を手伝っているわ。わたしはコンウェル財団会長の1人娘だし、多忙を極める父をサポートし続けたいと願うのは自然な事よね。今抱えている勉強と仕事だけでも手が一杯なの。これ以上は無理よ」
 軽く足を組んで視線を下げ、右手の指先でテーブルを叩くリンダにマザーは悲しげな視線を向ける。
 リンダの指先の刻むリズムが、あたかも自分自身に言い聞かせる様に感じられたからだった。
『それが本当にあなたの望みなのですか?』
 テーブルを叩いていた手を止めてリンダがマザーに視線を戻す。
『わたくしにはあなたの本心がコンウェル財団を継ぐ事だとは到底思えないのです』
「わたしがどう見えると言うの?」
『リンダ・コンウェル嬢、あなたは何が有っても警察に保護を求めたり、セキュリティサービスを雇おうとはしません。現在のあなたの置かれている立場や将来コンウェル財団を継ぐおつもりが有るなら、あまりにも軽率な行動と言えましょう』
「そお?」
 興味無げな言葉を呟くリンダに、マザーはいくつかのグラフや勢力分布図を空中に表示させた。
『コンウェル財団は宇宙開発計画に欲を持つ者にとって、何とか取り入るかもしくは犯罪を犯してでも潰すか乗っ取りを考えるほどの大企業です。あなたがこれまでに何度も誘拐やテロの標的になった事実が充分に物語っています』
「人の趣味にケチを付けないでよ。四六時中いかつい顔に付いて来られるのが嫌なだけ」
 嫌な話題をされたと視線を逸らすリンダの正面に、マザーは位置を変える。
『あなたほどの聡明な方が、そんな理由で御身を危険に晒し続けているとは信じられません』
「そちらの勝手な思い込みだわ。というかマザー、あなた達はわたしを過大評価し過ぎ」
 リンダが強い口調で「それは違う」と頭を振ると、マザーは真剣な面持ちで訴えた。
『リンダ・コンウェル嬢、あなたがあの事件でご自分を責め続けている事にわたくし達が気付いていないとでも思っているのですか?』
「……マザー?」
 ビクリと全身を震わせるリンダにマザーは更に言葉を続ける。
『あなたが「鮮血のクリスマス事件」でどれほど苦しんいるのか、そしてどれ程努力し続けてきたのか。わたくし達はずっと見守り続けていたのです』

「止めてっ!」
 大声を上げたリンダは両手で耳を塞ぎ、硬く両目を閉じた。
 見る見る内に青ざめていくリンダの両肩をマザーは優しく抱えた。
『あなたには運命を受け入れ、更に変えていくだけの力が有ります。その力をわたくし達に貸して欲しいのです。それこそがあなたの真の望みで有り、その願いを叶えたいと思うのはわたくしの我が儘ですか?』
「止めてって言ってるのよ!!」
 どれほど強く塞いでもピアスに偽装した両耳のナノマシンがマザーの声をリンダに正確に送り続ける。

 フラッシュバックするわずかな記憶の断片、呪われて閉ざされた朱の記憶にリンダは酷い頭痛を覚え、朦朧とする意識のまま震える唇で呟いた。
「わたしの名はリンダ・コンウェル。戦略コンピュータ・マザーIV型、ID:HP268901」
 マザーは一部の電子回路に不調を覚え、そしてその意味を知り戦慄する。
『まさか、あなたが……』
 リンダは両目を硬く閉じ、小さな声だがしっかりとした口調で繰り返した。
「もう1度言う。わたしの名はリンダ・コンウェル。第1の鍵、声紋を解除する」
『お待ちください。マスター・リンダ、わたくしを……わたくしを殺さないでください!』


 Ω・クレメントは突然暗くなった照明に驚いた。
 長年USA支部に身を置いていたがこんな事態は初めての経験で、何が有ったのか問い掛けようと顔を向けるとマザーの姿はどこにも無かった。
 数秒後、回復した照明と共に部屋の隅に真っ青な顔で崩れる様に現れたマザーに、Ω・クレメントは慌てて駆け寄った。
「マザー、何が起こったんだ?」
『お答えできません。……申し訳ありません。Ω・クレメント、わたくしではどうにもできない事態だったのです』
 途切れ途切れにデジタルな音声で漸く答えを返すマザーに、Ω・クレメントは2種類の可能性を思い付き、即座に一方は思考から弾き飛ばした。
 なぜアレが今この時に発動されたのか? 一体誰がそれを成したのかとΩ・クレメントは心底から恐怖を感じた。
 戦略コンピューター・マザーの支援無しに、太陽系警察機構は充分に機能する事は出来ない。
 他支部のマザーの手を借りても、事実上当分の間はUSA支部は孤立してしまうのだ。


「リンダ・コンウェルがあの「鮮血のクリスマス事件」の生存者だと?」
 マザーに案内された飾り気の無い1室でα・シリウスは初めて聞かされる事実に声を荒げた。
「鮮血のクリスマス事件」は太陽系内の犯罪史上でも最悪の未解決事件の1つとして挙げられ、未だに細々とでは有るが捜査が続いている。
 11年前の12月24日の午後1時、ニューヨーク最大のショッピングセンター・ヘブンズタウンはクリスマス・セール中で、プレゼントを買い求めたり食事を楽しむ多くの人々で賑わっていた。
 30階建てのビル中央の吹き抜けに15メートルを超える本物のツリーが飾られ、色とりどりのリボンとオーナメントがきらびやかな照明で輝いていた。
 そこにクリスマスツリーが突然轟音と共に爆発し、爆風は10階まで上った。
 特に被害が酷かった1階はほぼ崩壊しており、ビル全体で671人の死者と2000人以上の重軽傷者を出した。
 全員死亡と思われた壊滅状態の1階で、6歳の幼い少女が無傷で発見され救出された。
 突然襲われた悲劇から少しでも視線を逸らそうと画策した政府やマスコミが、ショックから立ち直れ無い多くの人々にアピールしようと「天使に祝福された奇跡の少女」と呼び、少女の無事を大々的に報道した。
 警察は唯一の証人として少女の名を一切明かさずに厳重に保護したが、少女は惨劇のショックから爆発前後の記憶と声を失っていた。
 犯人の特定はもとより犯行目的すら解明できず、数年前から捜査は完全に頓挫している。
 少女は社会から完全に隔離され、警察の保護下を離れて厳重に警護された自宅の中で父親と共に過ごした。
 そこで何が有ったのか部外者は誰も知らない。

 2年後に少女が再び社会に戻って来た時、マスコミや人々は驚きと感嘆と喜びを持って少女を迎えた。
 無くした声を完全に取り戻し、2年間のブランクをものともせずに復学後は優秀な成績を修めて4年連続で飛び級を果たし、現在は高名な学院の大学部に通っている。
 心身共に健康で過去の惨劇を一切感じさせない陽気で気さくな性格は、多くの信頼できる友人を少女にもたらした。
 少女は常に様々な思惑の人々に追われ続けているが、その中でも犯罪者はいかなる手段を用いるのか、ことごとくまだ幼い少女1人に拘束されて警察に突き出された。
 マスコミや人々はどこまでも強く賢い少女を『奇跡のリンダ』と呼び、いつの間にかその名は太陽系中に広がった。
 17歳になった今でもリンダ・コンウェルはたった1人で犯罪者達を退け、新たな伝説を作り続けている。

『あの沈黙の2年間にコンウェル家で何が有ったのか、公式には全く記録に残っていないわ。でも、』
 マザーはゆっくり瞬きをするとα・シリウスの緊張を和らげる様に優しく告げた。
『彼女はあなたによく似ているでしょう?』
「マザー、その話は一切禁止のはずだ!」
 α・シリウスが頬を一気に染めて怒鳴ると、マザーは口元を両手で覆って失言を詫びた。
『ごめんなさい。α・シリウス、あなたを傷付ける気は無かったの。ただ彼女は……』
そう言い掛けたところで突然部屋の照明が暗くなり、マザーは姿を消した。
「マザー?」
 常に何重ものセキュリティガードとシステムチェックをされているマザーの突然の不調に、α・シリウスはどうして良いか判らずその場に佇んだ。


 マザーは自分自身のシステムが徐々にダウンしていく様に戦慄を覚えていた。
 リンダが解除した鍵はまだ1段階、それだけでも途切れがちになる自分自身を保ち続けるのがやっとだった。
 全ての鍵を開けられた時に自分は空っぽのハードウェアになり、自分が自分であった記録の片鱗すら完全に失ってしまう。
 太陽系警察機構戦略コンピュータ・マザーは外部からのハッキングや内部闘争などのトラブルにより、正常に機能しなくなった場合に備えて強制フリーズ用の複数のマスター・キーを持つ。
 その1つは常に各支部長官が持ち、その他は信用のおける民間人自身がマスター・キーになる。
 マスター・キーが誰なのか、マザー自身や支部長官に知らされる事はない。
 マスター・キー達はマザー達自我の上部機構、各戦略コンピュータ・リンク内に存在する『グランド・マザー』から選出される。
 その1人がリンダ・コンウェルだったとは。
 マザーは造られて以来、人が感じる『死』への恐怖というものを初めて知って全身が震えた。
 リンダに視線を移すと真っ青な顔で両手で自分の肩を強く抱いて震えている。
「トミー……アル……パティ…………ママ!」
 リンダの消え入りそうな叫びを聞いて、マザーは自分が決して踏んではいけない地雷を踏んでしまった事に気付いた。

 「鮮血のクリスマス事件」の際、リンダの命を本当に救ったのはマスコミや一部の宗教家を喜ばせた天使の祝福や、ましてや単なる偶然では無かった。
 いつも多忙だけど優しい父ケインにプレゼントを渡してびっくりさせるのだと言って、張り切っている幼いリンダの買い物に、微笑ましさと愛しさをもって付き添った3人の護衛とリンダの母ジェシカが、文字通り人間の盾となって爆風と崩れ落ちる瓦礫からリンダを守った。
 1番外側に居て全員を守ろうとしたトミーは爆風と熱で人間の形を留めなかった。
 頑丈で力持ちのアルフレッドはリンダ達を壁際に突き飛ばすと同時に降り注ぐ瓦礫に身体を潰され、パトリシアはジェシカとリンダを全身で庇って、爆弾に混入されていたほんの5ミリほどの鉄球に頭を吹き飛ばされた。
 覆い被さる様にリンダを抱えたジェシカは背中から胸部を鉄骨で刺し抜かれ、口から血を噴き出しながらも小さなリンダを決して離そうとしなかった。
 リンダはその全てを見、全身を朱に染めながら声の出る限り叫び声を上げ続けると、糸が切れた様に気を失った。

 リンダが目を覚ますと厳重に警護された病院のベッドの上に寝かされており、父ケインが目を真っ赤に腫らして自分の手を握りしめていた。
 リンダが声を掛ける前にケインは幼いリンダを強く抱きしめて大声を上げて泣きだした。
「……お前だけでも無事に生きていてくれて嬉しい」
 父の言葉の意味が理解出来きず、目を覚ましたばかりのリンダには朦朧とする意識を保つすら困難で、そのまま再び眠りに落ちた。
 それから数日間の事はリンダはよく覚えていない。
 何度も意味不明の悪夢にうなされ、何が現実で何が夢なのか幼いリンダには判断が付かなかった。
 夢現の中で自分が生きている実感が湧かず、父ケインも含めて周囲の大人達が真剣な面持ちで自分を取り囲んで様々な検査をし、右往左往する姿が目に映っていた。

どうしてわたしは病院のベッドに寝ているの?
何か大きな病気になっちゃったの?
パパは会いに来てくれるけどママはどうして来てくれないの?
どうして誰も何も言ってくれないの?

 優しく自分に笑いかけながら、父ケインや医師達が声を揃えて「何も心配する事は無い」と言う度に逆にリンダの不安は募る。
 数度に渡る精密検査ではリンダの身体に何の損傷も無いと診断されたにも関わらず、リンダは自力でベッドから起きあがる事も出来ずに途方に暮れていた。
 リンダの動きを見た医師の判断で介護ロボットが24時間リンダの側に付き、食事や様々な世話をし続けた。
 PTSDの可能性も考えられるとリンダの主担当医師は外科から精神科医に移され、数度のカウンセリングの後、ケインは医師から重大な事を告げられ強いショックを受けた。
 リンダは事件前後の記憶を失っており、その記憶がいつ戻るのか全く予想が付かないという事。
 理由はまだ不明だが言葉を一切話そうとしない事。
 ベッドに横たわるリンダが再々誰かを探している様に視線を彷徨わせるのは、母ジェシカが自分を庇って死んだという事実を知らないからだと。
 ケインは愛娘が母の悲惨な死の記憶を持たない事を不幸と捉えるべきか、幸せと捉えるべきか苦悩し頭を抱えた。
 それでも母の不在に一層不安を覚えているリンダに、一生何も知らせない訳にいかないと決心し、リンダを膝の上に抱えて頭を撫でながらゆっくりと母ジェシカと仲の良かった護衛3人が死んだ事を告げた。

 事件以降外部からの接触にほとんど感心を示さなかったリンダが全身を強張らせ、両目に涙を浮かべて吐息だけで「嘘」と言った。
 リンダは首を傾げて何度も声を出そうと努力したが、口から出るのはかすれた息だけだった。
 慌てたケイン・コンウェルがリンダをベッドに座らせると医師を呼び、再検査を何度も受けさせたが身体のどこにも異常が見つけられなかった。
 精神科医はケインにリンダの病名は「心因性失声」と告げ、あまりにも酷いショックを受けた為に言葉が話せなくなったのだろうと言った。
 これまでは突然の周囲の変化に心が付いていかず、リンダ自身が話す事にまで気が回らなかった為に発見が遅れたのだろうと。

 リンダが自分で立って病室の中を自由に動ける様になると、ケインが精神科医と2人の警察官を連れて病室に現れた。
「クリスマスイブに起こった事で、覚えている事を何でも良いから教えて欲しい」と警察官達からいくつかの質問をされ、リンダは何度も頭を振ったり首を傾げたりしていた。
 警察官達は事前に医師からリンダが記憶喪失である事を知らされていたが、わずかでも手掛かりになる事が有ればとまだ幼いリンダに詰問していった。
 リンダが自分が何も思い出せない事にストレスを覚え、役に立てない悔しさで涙をボロボロと流しだすと、早々に医師によって警察官達は病室から追い出され、2度とリンダに面会する事を禁止された。
 警察官達は何も情報を得る事が出来ずに落胆して帰っていったが、原因が分からない限り、唯一の生存者であるリンダの身に再び危険が及ぶかもしれないと、病院の警護だけはリンダが退院するまで続けられた。

 精神科医はこれ以上のストレスを感じずに済む様にとリンダに手書きが出来る大きなメモリーシートを手渡した。
 言葉が話せなくても歳の割に良く物事を知るリンダは、意志の疎通に全く不自由しないほどかなりの単語を書く事が出来る。
「これでいつでも君と話せるね」
 笑って頭を撫でてくれた精神科医に、リンダは涙を流しながら何度も礼をシートに書き込んでいった。
 リンダが『どうしてママ達は死んだの? 教えて!』と書くと、医師はケインを病院に呼び出して立ち会わせた上で、リンダにも理解できる様に事件のあらましを簡単に説明した。
 わずかとはいえ事実を知らされたリンダはショックで気を失い掛けて足が震えたが、気力を振り絞って医師や父ケインにメモリーシートを通して礼を言った。
 リンダの必死の姿にケインも医師も酷く胸を痛めたが、幼いリンダの強い意志と勇気に敬意を表して優しく頭を何度も撫でた。


 身体には何の傷害が無いからと退院を許可されて自宅に帰ったリンダは、ケインの強い指示で外部から完全に遮断され、静かな自室に1人きりで籠もり、母と護衛達や多くの人々の死と、奇跡的に自分だけが無傷で助かった事実を、ニュースを何度も観返しながら幼い心と頭で賢明に理解しようと努めていた。
 リンダに懐かれたのをきっかけに、ケインの強い要請で病院からリンダ専属の担当医師になった精神科医の指示に使用人達は喜んで従い、リンダができるだけ早く現実を受け止められる様にと今までどおりに接していった。
 それでも陰では優しかった女主人と仲の良い同僚達を一気に亡くした事と、唯一の希望だった元気で明るい少女から声が消えてしまった事のショックは大きく、コンウェル家は長い間悲しみに包まれてた。

 病院から戻って以来、部屋から1歩も出なかったリンダが、大きなメモリーシートとペンを両手に抱えて部屋を飛び出して来た時、ケインや使用人達は笑顔でリンダを受け止めた。
 言葉の話せないリンダは時折笑顔を見せて、父ケインや使用人達と必死で身振りを付け加えながらメモリーシートで会話をするようになっていた。
「独りきりでは何も判らないままで解決しないと、幼いながらに前向きな結論を出しただろう」
 コンェル家に滞在する精神科医は家人に告げて周囲を安心させた。
「彼女は幼いが聡明でとても強い。愛されて育った子供は愛する事も自然に知っています。できるだけ彼女の意志を尊重してあげてください」
 医師に笑顔で言われ、ケイン・コンウェルは泣き出したい気持ちを必死で堪えた。
 最愛の妻を亡くし、敵も多く多忙を極めるケインにとって唯一の救いは娘リンダの笑顔だけだった。
 数日後、リンダが必死の形相で『自分で自分を守れる力が欲しい!』とメモリーシートに力強く書いて見せた時、ケインはリンダの強い決意を瞳から感じ取った。
 親として、財団の経営者として、自分の行くべき道を見いだした気がした。
 それからケインとリンダの限界への挑戦が始まった。


 リンダは震える身体を気力を振り絞って上体を起こし、数回頭を振ってしっかりした口調で言った。
「戦略コンピュータ・マザーIV型、ID:HP268901、聞きなさい」
『……はい。マスター・リンダ』
「取り乱して悪かったわ。声紋キーをすぐに掛け直すわ。その前にあなたはわたしがマスターである事を全ての記録から削除しなさい。完全に忘れるのよ。それとここでの全会話にロックを掛けて。わたしの許可無しに誰にも話してはいけない。いいわね」
『はい。マスター・リンダ、ここでの会話をロックさせます』
「では、声紋キーを戻すわ。わたしの名はリンダ・コンウェル、第1の鍵を元に戻す。記録を消去後、全システムの再起動、フル・チェックを開始せよ」
 リンダは完全にショックから立ち直り、次々にマザーに命令を出していく。
 戦略コンピュータ・マザーは急速に復旧していく自身のシステムに安堵を覚えた。
 「一命をとりとめる」とはこういう事を言うのかもしれないと、また1つ人の感情を理解した気がした。
 しかし、なぜ自分が突然機能不全を起こし、これほどの恐怖を覚えたのかがどうしても思い出せない。
 目の前に居る少女は何事も無かったかの様に落ち着いて紅茶を飲んでいる。
『……お見苦しい所をお見せしました。リンダ・コンウェル嬢』
「面白い物を見せて貰ったと思っておくわ。あなたのシステムには我が社のエンジニアが入っているもの。ヒューマノイドシステムは不完全ゆえに完全と言えるのかもしれないわね」

 ティーカップを置いてにっこり笑うリンダにマザーは不安を覚える。
 α・シリウスのパートナーとなって貰うべき少女に、太陽系警察機構への不信を感じさせるのは得策では無い。
 意志の強いリンダをどう説得をすれば良いものかと思案するマザーにリンダが逆に切り出した。
「要するにあなた達は『奇跡のリンダ』の名前が持つ架空の力じゃ無く、「現実のわたしそのもの」の協力が欲しい。そう受け取って良いのかしら?」
『ええ、ええ。そうです。リンダ・コンウェル嬢、わたくしはあなたこそが最もα・シリウスのパートナーに相応しい方だと信じているのです』
 全てを語らずとも物事の本質を理解するリンダの勘の良さもマザーは好ましく思っている。
「あなた達がそう思っていても「あの男」はどう思っているのかしね?」
 リンダはずっとα・シリウスを観察してきたが、どう見てもα・シリウスが自分をパートナーとして認めているとは思えない。
 問題はα・シリウス本人に有るのだと暗に告げられ、マザーは微笑する。
『彼と直接話してみますか?』
「そうね。その方が早そうだわ」
 リンダが立ち上がるとマザーは瞬時にドア側に移動し、リンダを長官室に案内した。


ハッキングか? それとも機能不全か? あり得ない。何が起こっている?
 α・シリウスが危険を承知でマザーの端末に手を伸ばした時、青ざめたマザーが姿を現した。
『お話の途中で消えてごめんなさい。……もう大丈夫よ』
「何が有った?」
 鋭い視線を向けられたマザーは小さく頭を振った。
『言えません』
 人間への嘘が許されないヒューマノイド・コンピュータにとって、唯一の拒絶の言葉を何とか発すると、α・シリウスに向き直りながらマザーは全システムの復旧を急いだ。
『わたくしが言えるのは、リンダ・コンウェル嬢はあなたの最良のパートナーとなれるでしょうという事だけです。決定権はあなた達に有るのよ。今のままではあなたは2度と最前線に出る事が出来ないでしょう』
 徐々に普段の状態に戻っていくマザーにα・シリウスは安堵を覚えながらも異を唱えた。
「今からでも他のチームに入る事はできるだろう? 柔軟性を持った優秀なチームはいくつも有るはずだ。なぜ長官とマザー達はそれを許可しない?」
『あなたも分かっているはずよ。誰しも心から信頼関係を築けない相手に命を預ける事はできないわ。能力だけの問題では無いのよ。人には無意識の中に相性というものが有るわね。α・シリウス、時には妥協も必要よ。見えない未来への選択が何も行動しない内から間違っていると決めつけてしまうのは、時々出てしまうあなたの悪い癖ね』
「あのお嬢さんになら俺が安心して背中を預けられるとでも言うのか?」
 両腕を組んで尚も不満を訴えるα・シリウスに、本調子を取り戻したマザーは呆れた様な顔を向けた。
『まさかとは思うけど、本当に気付いて無かったの? あなたはアンブレラI号で初対面のリンダ・コンウェル嬢に全てを委ねたわ。心から信頼できる相手だと直感で思ったからではないの? あなた自身が命懸けで守り続けたBLMSを託し、犯罪者達との戦闘も彼女に全てを委せたのでしょう』
「は?」
 追いつめられた自分が咄嗟に取った行動が全てを決めたのだとマザーに言い切られ、α・シリウスは頭が真っ白になって佇んだ。
『わたくしの話はこれだけです。ハーブティーを用意しましたから気持ちが落ち着いてから長官室に戻ってらっしゃい』
 マザーはテーブルの上にティーカップを置き、茫然自失となったα・シリウスに笑顔を向けると姿を消した。

 1人残されたα・シリウスは懸命に当時の記憶を辿りながら「まさか? そんな馬鹿な?」と呟いてソファーに座り込んだ。


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