Rowdy Ladyシリーズ 1 『Lady Salamander』

4.

 車は郊外の広い敷地に入り、白亜の巨大なビルの地下駐車場に入って行く。
 α・シリウスは待機していた医療班に後部座席の青年達を車ごと預けると、リンダを連れてエレベータに乗り込んだ。
 リンダはα・シリウスが何も言わないので自分も沈黙しているが、衛星回線を通して自分が今太陽系警察機構USA支部に居る事に気付いている。
 リンダほどの身分になると常にテロや誘拐の標的になる可能性が高い為、定期的に監視衛星とアクセスし、自分の居場所を双方向で察知できるシステムになっていた。
 これから起こると思われる様々な可能性を考えて、リンダは髪飾りに偽装しているアンテナに指示を出し、自分の所在を知られない様に衛星とのアクセスを切る。同時にこの敷地周辺に自分のダミー情報を10個ばかり作って全くバラバラの方角に分散させた。
 所在不明が長く続くと自動的に自宅から警察に通報が行くが、警察の中でも最も信用の高い場所に居る以上は問題は無いと考えたのと、「何をやっているのか!?」と厳しい父からこれ以上怒号が飛ぶのは勘弁して欲しいと思ったからだった。
 監視衛星がランダムに自分の居場所を感知し続けていれば、早々コンウェル家の探索網に引っかかる事は無い。
 裏技を使って衛星を誤魔化した事で嫌みの1つや2つは覚悟をしているが、怒鳴られた上にこれ以上ただ働き期間を伸ばされたくないと、身分に似合わず勤労少女のリンダが財布の中身を切実に心配するのは当然の事だった。

 エレベータは最上階で止まり、α・シリウスに促されてリンダは広い廊下に出る。
 テロや襲撃から防御する為と一目で判る重厚な造り、淡いアイボリーの壁を飾る落ち着いた絵画パネルが見る人の不安感を和らげる……というのは一般人の話で、リンダの特殊なコンタクトレンズを入れた目には、何気なく置かれたオブジェでさえ監視・防衛機能の1つだと判る。
 全方位から自分の全身をスキャンしようとする監視システムの動きが読み取れる。
 どれほどここのシステムが頑張ろうと、リンダの身体から危険な武器を見つける事はできない。
 通信・防御・攻撃・ステルス機能の全てにおいて、太陽系警察機構が持つ最新システムの最低でも2レベルは上の有機ナノマシンと特殊装備をリンダは身に着けていた。
 コンウェル財団は太陽系防衛機構や各国の軍に自社製品を納入していないが、太陽系警察機構は宇宙運輸も手がける財団にとって、護るべき大切な顧客の1つである。
 納入している装備のいくつかは、度々危険と遭遇するリンダがその身に着けることで実践テストを繰り返し、機能と安全性を充分に確認された物だという事は、コンウェル財団の技術開発部でも一部の者しか知らない。
 防御フィールドを最低レベルに抑えている為に、リンダの全身を薄い膜の様に包み込んでいる人の平均体温とほぼ同じレベルのエネルギー以外が外部から感知される事は無い。
 今頃はここの自立コンピュータのいくつかが、矛盾の無い矛盾に過負荷とパニックで機能不全を起こしているかもしれないとリンダはこっそり笑った。
 α・シリウスはリンダに背を向けると、不可視ゴーグルをわずかに上げて最奥部ドアの前に立って「私です」と言い、光彩、声紋、指紋をドアパネルに認識させた。
 エレベータを降りた直後からスキャニングされ、全身の個別認識は済ませてある。
 隣に入室許可認証をされていないリンダが居る為か、2秒ほどの間を空けて2重のドアが開けられた。


 2人が部屋に入ると正面の席に座っていたUSA支部長官Ω・クレメントは立ち上がって、にこやかにリンダに自己紹介をすると握手を求めた。
 笑って握り返した手の感触からリンダが不可視の手袋をはめている事を知り、少しだけ怪訝そうな顔をする。
「ここがどこであなたが何者かは正確に理解しています。ですが、わたしにも事情があります。わたしを何の説明も無しにここに連れてきたノーマン・エネミだかクレイシーとか名乗る男を完全に信用できないのです。ご不快でしょうがこちらの納得がいくまでしばらく時間をください」
 リンダが真っ直ぐな視線で暗に太陽系警察機構の不手際を責めると、Ω・クレメントは顔をしかめてα・シリウスの顔を見た。
「彼女をここに連れてくるようにと命令されましたが、名乗れとまでは言われませんでした」
 自分の仕事は終わったと両手を後ろで組んで真顔で答えるα・シリウスに、Ω・クレメントは小さく舌打ちをする。
「細心の礼儀を持って彼女を招待するようにと言ったはずだ」
「卒業テストを兼ねた適正テストの事はよく覚えていますが、そんな命令を受けた記憶は有りません。当時の会話ログと照合しますか?」
 しれっとした顔で答えるα・シリウスにΩ・クレメントは額に血管を浮かせつつ、リンダには何とか笑顔を向けてソファーを勧めた。

こいつってもしかしていい歳して万年反抗期のガキ?
 と、リンダは思ったがここはΩ・クレメントの顔を立てるべきだろうと思い直し、座り心地の良い半円形のソファーに腰掛ける。
 1つ席を空けてリンダの隣にα・シリウスが座り、Ω・クレメントは2人の正面に腰掛け、テーブルのマイクに向かってホットコーヒーを3つ注文した。
「安物の官給品ですがここのコーヒーは割と美味しいんですよ。リンダ・コンウェル嬢、あなたの口に合えば良いんですが」
 何とか30歳は年下のリンダのご機嫌を取ろうとするΩ・クレメントの姿に、リンダは管理職の悲哀を感じて笑顔で答えた。
「有機合成のファーストフードを食べ慣れていますからお気になさらないでください。前置きが長いのは好みません。手っ取り早く本題に入りましょう」
 部屋に入って来た当初の良家の女子大生から、瞬時に職業人の顔に変えてリンダはいきなり切り込んだ。
「先ずこちらから質問を2つ。今日わたしをここに呼びつけた理由を教えてください。それと……隣に座ってふんぞり返っている失礼な男は誰ですか?」
 怒っていますという意思表示をはっきり出されてΩ・クレメントは片手で頭を抱えた。
 α・シリウスはゴーグルで表情を隠したまま沈黙している。
 どう説明しようかとΩ・クレメントが思考を巡らせるより早く、3人の間に美しい女性のフォログラムが現れて助け船を出した。
『ここから先はわたくしから説明しましょう。初めまして、リンダ・コンウェル嬢』
「初めまして。ヒューマノイド戦略コンピュータ・マザーね」
 当然の事の様にあっさりと自分の正体を言い当てるリンダにマザーは微笑する。
『紹介します。あなたの隣に座っているのはα級刑事シリウスです』
「α級?」
 リンダが思わず声を上げると、マザーは驚くのも無理は無いと頷いた。
『α・シリウスは太陽系警察機構でも突起した優秀な刑事なのです。彼があなたに自分の身分と名を教えなかったのはあなたの安全をより確かな物にする為と判断したのでしょう』
「わたしの安全? そんな心配をする必要が有るの? 偶然とはいえ太陽系警察機構の諜報機関に所属する相手と接触したのだから、多少の危険は予想の範囲内だわ」
 不快を顕わにしたリンダにマザーは諭す様に話した。
『遺憾にもあなたを巻き込んでしまった……そうですね。仮に「アンブレラI号事件」としましょう。あの事件はあなたが考えているよりずっと根が深いのです』


 話は1ヶ月半ほど前に遡る。
 中継ステーションアンブレラI号で起こった騒動をあらゆる特権を駆使して現地警備部の警察を沈黙させて内々に処理し、リンダより1便遅いシャトルでUSA支部に戻ったα・シリウスはΩ・クレメントの怒号で迎えられた。
「馬鹿者! いくら緊急事態だったとはいえ、極秘任務に民間人を巻き込むとはどういうつもりだ!?」
 Ω・クレメントの反応が予想通りだったのでα・シリウスは報告も早々に切り上げて長官室中央部の戦略コンピュータへのアクセスステージに足を運ぶ。
「あの時はそれしか方法が見つけられませんでした。好きで彼女を巻き込んだのでは有りません。しかし、本来なら決して有ってはならない失態だったと深く反省しています。後でどの様な処分でも受けますから、早急に私が持ち帰った情報から組織編成と救済措置を願います」
 α・シリウスは背後に立つΩ・クレメントに答えながらBLMSを腕から引き剥がし、戦略コンピュータ・マザーに認識させる。

 緊急を要するにも拘わらずあまりにも秘匿性が高い為に、α・シリウスが手に入れた情報のほとんどは現地警察の星間暗号通信すら使えなかった。
 漏洩を怖れた組織から執拗に命を狙われ続けていたα・シリウスは、全く面識の無い民間人のリンダを巻き込こむという非常手段を使ってまで情報をUSA支部に持ち帰った。
 数ヶ月の捜査の経て、太陽系警察機構が数年来追っていた事件を解決する手掛かりになる唯一の証拠を見つけたからだった。
「君が最初に送ってきた緊急暗号通信を受け取ってすぐにUSA支部だけで3班を編制した。いつでも出られる様に別室に待機させてある」
 少しだけ安堵の溜息をつくとα・シリウスはΩ・クレメントを振り返った。
「木星支部はすでに動いてくれていますか?」
「もちろんとっくに動いている。彼らの機動力が無ければ到底被害者の救出は間に合わない」
『α・シリウス、あなたらしくもない。少し落ち着きなさい。わたくし達はあなたが帰ってくるまで、ただ無為の時を過ごした訳では有りませんよ。現在シェアリンクを使ってわたくしの仲間全てに同じ情報が渡っています。ほどなく待機していた各支部が一斉に動き出すでしょう』
 フォログラムで現れたマザーを見て、α・シリウスは眉間に皺を寄せる。
「マザー、それでは間に合わない可能性が高い。先に送った情報で各支部を動かす事はできなかったのか?」
『冷静になりなさい。α・シリウス、わずかな情報しか無かった状態ではチームを動かす事は危険が大き過ぎます。これ以上のスピードアップは物理的に不可能です。あなたはたった独りでできる限りの事をしたわ。わたくし達も最大限の努力をします』
 マザーとのやりとりで滅多な事では感情を顕わにしないα・シリウスの狼狽えた姿に、Ω・クレメントは落ち着けと軽くα・シリウスの後頭部を叩く。
「その前に君はいかなる理由が有ってもこの事件で単独暴走した事と、故意に民間人を巻き込んだ責任を負わなければならない」
 そんな事は分かっていると舌打ちするα・シリウスにΩ・クレメントは非情な言葉を告げる。
「α・シリウス、本日より30日間後方勤務と謹慎を命ずる。どんな理由が有ろうとUSA支部から1歩たりとも出る事は認めん」
「な……この大切な時に冗談でしょう!?」
 詰め寄るα・シリウスにΩ・クレメントは渋面で答えた。
「この大切な時だからこそだ。BLMSから採取したデータはDNA鍵所持者の許可無しにマザー以外の他者のアクセスは不可能だ。このデータの重要性を本当に理解しているのなら君は本部から動くべきでは無い。証拠隠滅の為に君自身の命が何度も組織から狙われているのだぞ」
「しかし事は急を要します。内部事情を1番よく知る私が後方勤務とは納得ができません。DNA鍵はマザーと長官に預けます。問題責任を取れと言うのなら私を1番危険な最前線に出してください」
 しつこく追いすがるα・シリウスにΩ・クレメントも怒号を上げた。
「かのリンダ・コンウェル嬢を事件に巻き込んだ事で、君の更迭を要請している機関がどれだけ出ているか知っているのかね!? 30日の謹慎を受け入れなければ、残念だが私は君の身柄を拘束しなければならない」
 本気だと告げられα・シリウスは唇を噛んで肩を落とし、片手で両目を覆いながら「……承知しました。30日間支部内で後方支援に当たり、全力で全チームのバックアップを勤めます」と小声で答えた。
 Ω・クレメントは憔悴しきったα・シリウスの肩を無言で軽く叩き退室を促した。

 太陽系内でも広く知られる『奇跡のリンダ』の名はα・シリウスも当然知っており、リンダの実力のほどはきっちり背中に付けられたブーツ形の痣と共に充分思い知らされた。
 類に洩れずα・シリウスも極秘扱いになっているリンダの顔までは知らなかったのだ。
 中継ステーションアンブレラI号のシャトル発着場からVIP用ラウンジまで後を付け、のんびりとした雰囲気から充分な警護を付けた安全な上流階級の民間人と判断したからこそ、最悪自分の身に何か有った場合を考えてBLMSをリンダに託した。
 偶然、リンダもBLMSを所持していた為に逆に組織から誤解され、本格的に太陽系警察機構が捜査に乗り出せるまで自分を追わせておく予定だった犯人達は、リンダ1人にあっという間に蹂躙されて全員が現地警察に逮捕された。
 仲間が逮捕されたと知った主犯格が全ての証拠を隠滅させる前にα・シリウスは準備を終わらせたかったのだが、リンダの動きがあまりにも派手で目立ち過ぎた為に時間が足りなかった。
 木星支部からα・シリウスが脱出させた被害者達を無事保護したとの連絡は受けて捜査本部に安堵の空気が僅かに流れたが、犯行組織は太陽系中に分散しており、太陽系警察機構が全力をもって事件解決に当たっても、地下に潜った犯行組織全体を抑える事ができなかった。
 事件は未だに解決していない。


 リンダはコーヒーを飲みながらマザーからの説明を黙って聞いていた。
 その間α・シリウスは視線を遠くに飛ばし、Ω・クレメントは意識を集中させてリンダの一挙一動を固唾を飲んで見つめていた。
 リンダは軽く肩を竦めるとマザーを見返した。
「腑に落ちない事がいくつも有るけど、マスコミに一切流れなかったあの事件の大まかな表向き事情は分かったわ。守秘義務で事件の真相部分は民間人のわたしには話せないのでしょう」
 一呼吸置いて、リンダはマザーとΩ・クレメントを交互に見た。
「あの事件については良いわ。それで、未だに全く説明がされていないおそらく本題であろう、わたしがここに呼ばれた理由は何なのですか?」
 聡明にも無駄な言葉を一切使わず鋭く切り込んでくるリンダにマザーは微笑し、Ω・クレメントとα・シリウスのに視線を移し、リンダに向き直った。
『太陽系警察機構から正式に要請します。リンダ・コンウェル嬢、α・シリウスのパートナーになっていただけませんか?』

「はい?」

 それまでの自信に満ちた姿勢がうって変わり、リンダが大きく目を見開いて間の抜けた声を上げると、マザーは少しだけ困った顔をしてゆっくりと言った。
『あなたにならとわたくし達マザーは判断しました。実は、α・シリウスは研修終了後、ずっと単独で捜査に当たっていたのです』
「ちょっと待って。太陽系警察機構は捜査官の単独任務は絶対に認めて無いでしょ? せっかく手に入れた情報をころ……不慮の事態で無くしたり、犯人を取り逃がしてしまうから。様々な意味で危険過ぎる。どんな単純な事件でも2人以上のチームでというのが最低条件のはずよ。それを破れば規約違反として他の警察機構や政府からつるし上げを喰らうわ。こんな事はテレビドラマで小さな子供でも知っているわ」
 リンダは信じられないと手にしていたコーヒーカップをテーブルの上に音を立てて置いた。

 Ω・クレメントはジャケットを脱いでソファーに腰掛けた以降は軽く腕を組んで視線を外し、我関知せずを徹底しているα・シリウスに1度視線を向け、マザーと視線を合わせて頷くと「これは機密に関わる問題だが」と前置きをして言った。
「α・シリウスが研修期間を終えた時、各支部のマザー達がどれほど調べても彼と適合するチームや個人が見つけられなかった。長い歴史の中でも前例が無い事態で、私達は当分の間彼の後方勤務を検討していた。しかし、α・シリウスの担当教官が「貴重な人材資源の無駄遣い」と彼の前線配置を強く推した。要請を受けて検討に検討を重ねた各支部のマザー達が「絶対に暴走して問題を起こさない」という条件を付けてα・シリウスの単独捜査を特例措置として認めたのだよ」
 リンダは口元に手を当てて数度瞬きをするとぼそりとツッコミを入れた。
「つまり、この男は超マイペースで社会協調性の欠片も無く、太陽系中で引き取り手が全く無かったって事?」

 リンダの嫌み全開の言葉にα・シリウスは肘掛けから顎を乗せていた腕を落として、ソファーから転がり落ちかけたのを誤魔化しながら座り直し、Ω・クレメントはしばらく黙ってリンダを見つめていたが、耐えきれなくなって大爆笑し、マザーも笑いを隠せないと肩を震わせた。
 α・シリウスからの厳しい視線を受けてΩ・クレメントは慌てて笑いを収めると、1つ咳払いをしてゆっくり頭を振った。
「リンダ・コンウェル嬢、こちらの説明が悪かったのか大きな誤解をさせてしまった様だ。常に命に関わる危険を伴う任務の為、チーム内での相性は1番大切だが、α・シリウスが優秀であるが故に、彼の能力全てを生かし切るだけのチームが居なかったというのが真相だ。唯一、彼の能力に相応しく強く欲しがるチームは有ったが、α・シリウスが近地球圏勤務を希望していたので、特例中の特例として単独任務が認められたのだよ」
 Ω・クレメントの言葉を受けてマザーが続ける。
『この若さでα級刑事を名乗れるのは彼を含めてもほんの数人です。彼らしくも無い失態であなたを巻き込んでしまったアンブレラI号事件以外ではα・シリウスの業績は素晴らしい物ばかりでした』

「まぁα・シリウスの能力については信じても良いけど……」
 リンダはちらりと横目でα・シリウスの顔を見つめてから身を乗り出す。
 幼少の頃から厳しい訓練を受けている自分が、いとも簡単にα・シリウスに騙されてBLMSを付けられた屈辱は忘れていない。
「太陽系警察機構規約人事の項、担当刑事は総合犯罪学を修めた大学卒業者又は軍・警察学校を卒業生に限られる。階級は能力別に男性はα、β、γ級、女性がレディ、ウーマン、リトル・レディ級に分けられる。適性や配属部署により1年から2年の研修を終えて各警察機構に配属される。正式に専門教育を受けていない民間人の上に、まだ未成年で学生のわたしにα級刑事シリウスのパートナーになれと言うの?」
 馬鹿馬鹿しいと席を立ってリンダはマザーに視線を向けた。
「今までα・シリウスの単独任務を許容していただけでも各国政府から糾弾されてもおかしく無い話なのに、更に愚行を重ねようとする意図が全く理解出来ないわ。わたしが責任者ならそんな判断を下したマザー達全員システムのフル・チェックをするわね」
 慌てたΩ・クレメントが止める間も無く、リンダは足早に扉へ足を向けて振り返った。
「話がこれだけならわたしは帰ります。見送りは結構。もちろんここで見聞きした事は口外しませんから安心してください。このわたしの名に掛けて、太陽系警察機構の失態は表沙汰にはしません。それとΩ・クレメント、……あなたの立場には心から同情します」
『待ってください。リンダ・コンウェル嬢』
 瞬時にマザーのフォログラムは踵を返したリンダと扉の間に移動して深々と頭を下げた。
「要請は断ったわ。これ以上わたしに何の用?」
 両手を腰に当て不快だという表情を隠さないリンダと、リンダの有無を言わせない即断に困惑するΩ・クレメント、やはり無駄だったと溜息をつくα・シリウスに視線を素早く巡らせてマザーは再びリンダに頭を下げる。
『別室をご用意いたします。わたくしと2人きりでもっと詳しい話を聞いていただけませんか? それを聞いてもと言われるのならわたくし達も諦めます』
 相手はヒューマノイド戦略コンピュータとはいえ、女性が涙を流す姿にリンダは良心の呵責を覚え、額に手を当てて溜息をつくと「聞くだけよ」ときつく念を押した。


 リンダとマザーが部屋を出て行くと、Ω・クレメントは大きな溜息をついて何度も肩を叩く。
 α・シリウスが持ち帰ったアンブレラI号でのリンダの映像を何度も見返していたにも関わらず、実際のリンダを前にして、わずか17歳の少女に自分が完全に圧倒されるとは思ってもいなかった。
 USA支部長官として各国の政府と渡り合った時や、長い経験の中で数々の凶悪犯を前にしても感じなかった言葉にはできない感情が起こり、気が付けば手の平に汗をかいていた。
 α・シリウスが報告書に「上手く言葉にできないが、どうにも抵抗しがたい存在」と書いた理由が理解できたとΩ・クレメントは無表情のままで遠くを見つめているα・シリウスに同情的視線を向ける。

 α・シリウスが視線に気付いて口を開き掛けた時、マザーのフォログラムが2人の前に現れた。
『α・シリウス、あなたにも話が有ります。一緒に来てください』
「マザー、彼女は帰ってしまったのか?」
 Ω・クレメントが不安げに問い掛けるとマザーは笑って『まだわたくしとお話されていますわ』とだけ答えた。
 α・シリウスが素早くジャャケットを手にしてソファーから立ち上がると、マザーは黙ってα・シリウスを別室へと先導していく。
 Ω・クレメントが混乱した頭を整理しようと思い、冷めたコーヒーに手を伸ばすと『新しいコーヒーを用意しましょう』ともう1体のマザーのフォログラムが現れた。
「彼らはどうなるのかね?」
 温かいコーヒーを1口飲んでΩ・クレメントはマザーに問い掛ける。
『わたくしにも判りません。かのリンダ・コンウェル嬢はわたくしの予想範囲外の存在なのです。それでも彼女は今のα・シリウスにとって唯一の希望です。何とか説得を試みています』
「そうか……」
 Ω・クレメントは少し視線を落とすとカップを両手で抱え込んだ。

 Ω・クレメントは長い間α・シリウスの成長を気付かれないように見守り続け、今は直接の上司として頻繁に顔を合わせている。
 能力はずば抜けて高いもののかなりの気むずかし屋に育ってしまい、ここ数年は自分の胃痛の主原因だが、Ω・クレメントは1度たりともα・シリウスを手放そうと考えた事が無い。
 それが罪滅ぼしにすらならないと分かっていても、α・シリウスが真の意味で生きていける道を探すのが自分の役目だと思っている。

 マザーはΩ・クレメントの気持ちを思い測り、そっと肩に手を置いた。


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