Rowdy Ladyシリーズ 1 『Lady Salamander』

3.

 ワシントンDC郊外、太陽系警察機構USA支部の一角で、日頃は聞かれない青年の怒号が響いた。
「冗談じゃ無い! 何で俺があんなじゃ…………失礼しました。承伏しかねます。何故私がその様な命令を受けねばならないのですか?」
 初めて見る青年の感情をむき出しにした声と憮然とした態度に、USA支部長官Ω・クレメントはくつろいだ姿でソファーに腰掛け、机上モニターに映し出されている映像を眺めながらこっそりとほくそ笑んだ。
 歳は中年から壮年に近付きつつ有るとはいえ、鍛え上げられた身体とシルバーグレイの豊かな髪、一重で黒灰色の瞳から鋭さは失われていない。
 ところが、ここ数年間は目の前に立つ青年の扱いに対して「規約違反」との多くの苦情が多方面から寄せられ続けており、抜け毛の心配はしなくても良いが、度々酷い胃の痛みを感じてこまめにメディカルチェックを受ける日々が続いている。
「マザーの決定事項だが、それでも承知しないと君は言うのかね?」
「納得ができない不当の命令には、当然の権利として抗議します」
 上司への礼儀はどこへやらの即答である。
 長身で均整が取れた身体、短い黒髪は邪魔にならないよう綺麗に後ろにセットされ、出先では目立たない様に不可視ゴーグルで覆っている彫りが深く整った顔立ちを今は晒している。
 これだけでも充分威圧的なのに印象的な蒼い瞳に見下され、Ω・クレメントは1つ咳をした。

 重厚な机を挟んで睨み合う2人の横に半透明で美しい女性のフォログラムが現れた。
『α・シリウス、あなたはわたくしとの約束を破ったわ。約束は約束。ちゃんと守って貰わないとね』
優しく子供を諭す様に話し掛けてくる太陽系警察機USA支部構戦略コンピュータ・マザーにα・シリウスは更に眉間の縦皺を増やした。
「たしかにあの事件は完全に私の判断ミスで処分も受けました。これまでが特別待遇だったのですから条件さえ折り合えば私も喜んで命令を受けます。しかし、提示されたあの条件では到底無理です」
『あらあら。困った子だこと』
 マザーに笑われα・シリウスの頬に薄く朱が浮かぶ。
 過剰なヒューマノイドシステムなど戦略コンピュータには不要だと、α・シリウスが思うのはこんな時だ。
 Ω・クレメントはマザーの登場で本来の職務を棚上げして第三者のスタンスに立ち、すでに何度も見たα・シリウスが持ち帰った映像をのんびり眺め続けている。
 マザーはしばらくの間2人の様子を眺めていたが、思いついた様に手を叩いた。
『ではこうしましょう。α・シリウス、わたくしと1つ賭けをしませんか?』
「はぁーっ?」
 突然、何を言い出すのかとα・シリウスは間抜けな声を上げ、Ω・クレメントは遂に耐えきれなくなって吹き出すと、腹を抱えて大爆笑した。


 講義が終わり、リンダは溜息をついて授業内容を書き込んだメモリーシートをウエストバッグに収めた。
 2年生になって新に加わった科目は膨大な思考力と記憶力を要し、やりがいは有るものの講義終了チャイムと同時に机に突っ伏す生徒が続出していた。
 一緒に進級したばかりの友人達は別の講義を取っているので、このクラスではまだ特別親しい友人はできていない。
 ニューヨーク郊外に有るリンダが通う学院の大学部は、ハイレベルな授業内容と厳重な警備体制で有名な所だ。
 ワシントンDCからも近いので、国内外から良家の子女が通い、両親、親族からの熱い期待に応えつつ、自分の将来を見据えて真面目に勉学に励んでいる。
 コンウェル財団会長の1人娘であるリンダは、経済学全般はもとより宇宙物理、工学、犯罪学まで取っており、忙しくキャンパス内を動き回っていた。
 父の経営する会社を継ぐだけなら心理学ならともかく犯罪学までは要らないだろうと思われがちだが、リンダ・コンウェルに対して誰もその疑問は挟まない。
 それは公にはなっていないが、リンダが『奇跡の』と呼ばれるきっかけになった事件とその経緯を、この大学に通えるほどの身分や立場の者は誰1人として忘れていないからだった。

 リンダはゲート前で目が合った学友達に軽く手を振り、足早に大学を後にした。
 待っているセキュリティサービスが居ない気楽さから、ゲート前で起こる送り迎えの渋滞を横目に地下鉄の駅に歩いて向かう。
 いつもならパスを使って家に帰るか会社に行くのだが、今日はポケットからチケットを出してリニアシャトルのゲートを通過した。
 シャトルを待ちながら手にしたチケットを見つめてリンダは少しだけ眉をひそめる。

 昨日、いかにして厳重なコンウェル家のチェックをくぐり抜けたのか、日付指定のチケットがリンダの元に届けられた。
 同封されたシートに記されたメッセージは「話がしたい」の一言だけで、チケットの行き先はワシントンDCでも高名なホテルに直通する駅だった。
 どれほど解析しても隠しメッセージや相手の正体が特定できる様なデータは全く出て来なかった。
 メッセージを読んだ瞬間、リンダの勘が強い警笛を鳴らした。
 自分の置かれている立場を理性的に考えれば、このチケットを送りつけた不敵な相手をあらゆる手段を使ってでも捜索するか、知らなかった事にして手紙を捨ててしまった方が良い。
 しかし、ここで安全策を選び人任せにして身を引く事は、自分の名に掛けてプライドが許さない。
 こういう自分の気質を読んだ上での挑戦だと確信したからこそ、リンダはあえて誘いに乗る事にした。
 戦略的撤退ならまだしも危険「かもしれない」というだけで自分が逃げる事は、『奇跡のリンダ』の信用を落とすと同時に、これ以降犯罪者から自分の身を更に危うくさせる可能性が非情に高い。
 身に降りかかる火の粉を払うという諺がアジア圏に有るが、リンダは先手必勝、虎穴に入らずんば虎児を得ずを好み、常に実践してきた。
 常に受け身で居続けるのは何も解決しないという事をリンダは身をもって知っている。
 目的地に向かうリニアシャトルに乗り込み、トンネルに映る光を眺めながらリンダは軽く唇を噛んだ。


 駅のホームに降り立ったが、駅構内に居る誰もがリンダに注意を払わず、シャトルに乗ったり出口へ歩いていく。
 試されているとリンダは思った。
 コンタクトレンズを『ボイジャー(探査モード)』に設定して常に危険物を監視しながら、何事も無いかの様に唇に小さな笑みを浮かべてホテル直通のエレベータに乗り込んだ。
 1階ロビーでエレベータを降り、喫茶ルームに向かう。
 店員にミルクティーを注文するとウエストバッグからメモリーシートを取りだして、この日の授業の復習を始めた。
「わたしに用が有るのなら自分からここに来い」という簡潔な意思表示だ。
 5分も経たない内にリンダのピアスが警告音を出し、同時に背後のシートに若い男が座った。
 視線はテーブルモニターのニュースを見つめながら、リンダにしか聞こえない小さな声で男が話し掛けてくる。
「メッセージは受け取ったな?」
「人に物を聞く時はまず自己紹介からという礼儀すら知らない相手に答える義理は無いわね」
 視線をメモリーシートに落としたまま、さらりと答えるリンダに若い男は舌打ちをした。
「昨日届けたチケットを使ってここに来ただろう?」
「あらぁ。という事はあなたが強引なデートのお誘い相手? 小物ね。わたしも馬鹿にされたものだわ」
 わざとからかう口振りのリンダに男は腰を上げ振り返り掛けて、再び席に座り直した。
「俺1人じゃ無い。仲間達がこのロビーのあちこちに待機している。お前が大人しく言う事を聞かなければ、仲間が無差別に他の客を殺す」
「……」
 リンダはメモリーシートをバッグに収めながら、コンタクトからスーツにも指示を与えて、ロビー全体に探査網を広げた。
 背後の男が持っているのはショックガンと指向性小形クラスター爆弾が2つ、この喫茶ルームくらいなら爆弾1つで吹き飛ばす威力が有る。
 喫茶ルームの3席離れた場所にレーザー銃とハンドバズーカーを所持している男が座っている。
 ロビーの柱横にもう1人、手榴弾と無反動ライフルを持って立っていた。
 全員の特徴としてレベル3の不可視防護ゴーグルで顔を覆って隠している。

 これだけの武器を簡単に持ち込めるこのホテルの安全管理はどうなっているのか?
 その上、レベル3のゴーグルは2世代前の太陽系防衛機構(通称:宇宙軍)の備品で、メーカー立ち会いの下に廃棄されたはずの物だとリンダは眉をひそめた。
 廃棄と見せ掛けて裏組織に横流しをしたのだろうか?
 だとすればどれほどの装備が犯罪者の手に渡っている事か。
 リンダは太陽系防衛機構の管理体勢の甘さにも静かな怒りを覚えた。
 どこから入手したのか絶対に吐かせてやると決心し、ゆっくり深呼吸をして小声で囁いた。
「ここには老人や子供も居るわ。言うとおりにするから誰にも手を出さないで。お願いよ」
 一気に弱気になったリンダの声に、男は笑みを浮かべると「立て」と命令した。
 男はリンダの背後に立ち、事細かく指示を出していく。
 リンダが精算を済ませ、言われるままにロビーを突っ切って地下への階段に歩いて行くと、男の仲間達は周囲から怪しまれない様に時間をずらしてリンダの後ろを歩いた。
 人通りがほとんど無い地下駐車場の入り口にはもう1人の男が待っている。
 ポケットにはアーミーナイフと小形のオートライフル、リンダと仲間達の姿を見つけて無言で顎で付いてくる様に示した。

ラッキー!
 と思い心の中でガッツポーズを取ったのは他ならぬリンダだった。
 地下駐車場に連れて行かれたという事は誘拐目的の可能性が高い。
 高名な『奇跡のリンダ』を殺すなら惨殺された死体を晒すより、できるだけ大勢の目に触れる場所でのデモンストレーションをした方が犯罪者にとってより効果的だ。
 人気の無いこの場ですぐに殺される可能性はこれでほとんど無くなった。
 しかもあれほど多くの人が居たホテルで人質も取らずに、自分1人だけをここまで連れてきたのだ。
 誘拐目的でも殺人目的でも、リンダの確保を極秘裏に済ませたいのだとリンダは思った。
 だとしたら、装備を揃えたとはいえ、生身の男たった4人でこの自分を抑えられると信じているとはと、リンダは笑い出したい衝動を必死で堪えた。
 先導していた男が黒の小形ワゴン車の後部ドアを開け、振り返ってリンダに乗る様に促した。
 リンダは少しだけ不安で怯えた様なそぶりを見せて足を竦ませる。
 ホテルに居た3人の男達がリンダの両脇と後ろを固め、今更逃げられないとリンダの肩を押した。

 それが戦いの合図だった。
「コード『太陽がいっぱい』」
 両目を硬く閉じて吐息で囁くとリンダの全身が一瞬光り輝いた。
 レベル3の防護シートでは防ぎきれない強い発光で、男達は全員目がくらみ動けなくなった。
 その隙に目を開けたリンダは、両サイドに居る男達の肩に両手を掛けて勢いよく身体を浮かせると、正面の男に強烈な踵落としを喰らわせ、更に腹を両足で蹴って車の中に押し込んだ。
 その勢いのままリンダは車のドアを蹴って閉め、宙を舞って背後に立っていた男の後ろに降り立つ。
 素早く胸ポケットから手袋を出して両手にはめると、銀色の髪飾りを外して一振りし、2メートルほどの長さの細い昆に作り変える。
 まだよく目が見えない男達が手探りでポケットから武器を出す時間も与えずに、リンダは持っていた棍で3人の延髄を叩き、よろめく男達の胃を突き上げた。
 車の中の男が出られない無い様にとドアノブも鋭く付いて変形させる。
 リンダが倒れる男達から目を離さないまま棍は更にしなやかに唸り、10メートルは離れている背後の支柱の影に向かって一気に延びた。
「そこに隠れている奴、出ておいで! 仲間を見捨ててこのわたしから1人だけ逃げられるなんて甘い事を考えてないでしょうね」
 リンダはショートブーツの踵を3回鳴らして『大いなる一歩(対6Gモード)』に設定し、折り重なって倒れている男達の上に足を置くと、視線を支柱に移して大声を上げた。
「出てこいって言ってるのよ! それとも引きずり出されたいの?」

 投げやりな拍手と共に見覚えの有る長身で黒髪の男が姿を現す。
「ノーマン!?」
 リンダは瞬時に棍を元の長さに戻して髪に巻き付けると、今度は銀色に輝く極細の鞭を引き抜いて構える。
 もし太陽系警察機構の特殊任務に就くノーマンが自分の敵に回るのであれば、全力で倒すという意志をはっきり行動で見せた。
「お久しぶりというという言葉はこの場では似合わないな。……お嬢様?」
 ノーマンは戦う意志は無いと、両手を上げてリンダに向かって歩き始めた。
「これは一体、どういう事よ?」
 憤慨するリンダにノーマンはばつが悪そうに鼻の頭を掻き、「後で全部説明するから、取り合えずそいつらを放してやってくれないか」と言った。
 リンダはノーマンから敵意を感じ取れず、憮然とした顔のまま鞭を髪留めに戻し、ブーツの設定を切って男達から足を除けた。

「先輩、話が違います!」
「先輩、卒業試験とか言ってこれじゃほとんどリンチじゃないですかぁ! 絶対、あばらが数本いってますよ」
「先輩、この人は試験官じゃ無かったんですか?」
「先輩の鬼!」
 のろのろと立ち上がりながら口々に痛みを堪えて愚痴を飛ばす後輩達に、ノーマンことα・シリウスは額に手を当てて溜息をついた。
「どういう事なの?」
 完全にリンダは戦意をそがれ……と言うか涙ながらにα・シリウスに「先輩、酷い!」と苦情を訴える青年達を見つめる。
 彼らが持っている武器は殺傷能力が高く、暴発でもしたら危険と判断して単純な打撃戦を選んだのだが、相手が誘拐犯だと思っていたとはいえ、やりすぎたかもしれないとリンダは少しだけ罪悪感を感じた。
「うるさい。とにかくお前達は3ヶ月間研修延長決定だ。2年間も訓練を受けた男4人掛かりで女の子1人相手に一方的にやられるとは、俺は情け無さで涙が出そうになったぞ」
 α・シリウスは両耳を塞ぎながら厳しい声で後輩達を叱咤した。
「「「「相手が強すぎるんですっ!!」」」」
 後輩達の同時抗議を完全無視して、α・シリウスはリンダに向き直った。
「聞きたい事や言いたい事が山ほど有るだろうが、今は我慢して車に乗ってくれないか? お前さんに会いたがっている人が待っている」
 そう言ってドアを開けようとして、リンダが叩き壊したドアノブを見て更に深い溜息をつく。
 車の外にしゃがみこんでいた3人の後輩達を助手席から強引に後部座席に押し込むと、リンダを助手席に座らせてα・シリウスは車を発進させた。

 シールドされた特殊ガラスは外部から完全に内部が見えない様に処理されている。
 背後から苦痛を訴える声が聞こえて、リンダはいたたまれない気持ちになった。
 未だにリンダは名前を知らないα・シリウスを「先輩」と呼ぶ以上、彼らは犯罪者では無く警察関係者なのだ。
 凶悪犯罪者なら罪悪感など全く感じないが、彼らの口ぶりからまだ研修期間中のひよっ子で実践経験すら全く無いらしい。
 手加減をしたとはいえ、全員どこかが骨折くらいはしているはずだ。
 リンダがウエストバッグから痛み止めを出そうとすると、気付いたα・シリウスに止められた。
「これくらいの一時的な痛みに耐えられないなら、実践で生き延びられない。連絡を入れてあるから治療は目的地に着けばすぐに出来る。俺は奴らを死なせる為に連れてきた訳じゃない。手加減しているお前さんにあっさりやられる程度の実力しか持たないのなら、3ヶ月どころか半年は研修期間を延ばしてやりたいくらいだ」
「……手加減してたと判ってたの?」
 自動操縦に切り替えたα・シリウスにリンダは後ろの青年達を傷付けない様に小声で耳打ちした。
「ああ、奴らの武装がうっかり暴発して周囲の高級車を壊さない様にと、お前さんらしくも無く細心の注意を払って動いていたとすぐに判ったさ。それとも犯人役の奴らの命を守る為だったのか? だとしたら……」

 そこまで言って、α・シリウスは眉間に皺を寄せて沈黙した。


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