ふたり-リベンジ−

 前途を祝した様な晴天の元旦の昼下がり。1組のカップルが休業中の喫茶店の前に立っていた。
「ここが翼の家か」
 直人はやや緊張した面もちで呟いた。結婚(を決めた)相手の両親に初めて会うのだから多少の緊張は当然の事だろう。鏡は無くてもどこかおかしい所は無いかと全身に視線を巡らせる。
「直人、こっち。裏に家の玄関があるんだ」
 何時の間に側から離れたのか翼がビル横の路地から手招きする。
「あ、ああ」
 ぼんやりと返事をしながら直人は翼の後に続いた。
 3階建てのビルの1階が喫茶店のテナント、2階と3階がマンションの様な造りになっている。事前に建物自体が持ち家だと翼から聞かされていたのだが、想像していた物より立派なビルに直人はやや戸惑っていた。
翼って実はお嬢様系だったんだな。……アレで。
 本人に聞かれたらアザ1つで済みそうもない事を考えながら、直人は表情を引き締めた。
今時身分違いは無いよな。……多分。
 翼は不安で武者震いをする直人の様子には全く気付かず、早足に階段を上がっていく。
 直人が心の準備も待てと制止する間も与えず、翼は2階の部屋の玄関を開けて大声を上げた。
「今帰ったぜ。明けましておめでとさん!」
 直人は焦ったが時すでに遅し、すぐに中から2人分の足音が聞こえてきた。
 割と長身の直人に勝るとも劣らない体格の中年の男性が翼の顔を見るなりいきなり怒鳴り付けた。
「何が明けましておめでとうだぁ? 4ヶ月も連絡1つ入れずにこの親不孝者の大馬鹿娘が!」
 翼が身構えて言い返す。
「何ぃ? てめーが言うかよ、このくそ馬鹿親父が! 誰のせいで俺が家出したと思ってやがんだ!」
 睨み合う親子を前に何も言えずに直人は只、呆然と立っていた。
「あなた、せっかく帰って来てくれたんだから止めてくださいな。翼、お帰りなさい。明けましておめでとう。そちらの方も初めまして、どうぞ中へお入りください」
 翼によく似た中年の女性がにっこり笑って2人を出迎える。
「あ、初めまして。明けましておめでとうございます。……えっと、その……」
 急展開に付いていけず、間の抜けた様な挨拶をする直人に翼の母がふと笑みを浮かべる。
「寒かったでしょう続きは中でゆっくり話しましょう。さ、どうぞ」
 客用スリッパを出され中へ促される。
 直人は第1印象でつまずいてしまった事に気落ちしながら、案内されるまま応接間のソファーに腰掛けた。

 立派なおせち料理を前に4人が向かい合った。
 翼がお茶を飲みながら両親に隣に座ってる直人を紹介する。
「昨日電話でも話したけど、この人が俺の今の雇い主の直人」
 直人も深く頭を垂れる。
「岡田直人です。初めまして。この度は急に押しかける事になって本当に申し訳有りません」
 そっと様子を窺う様に直人が顔を上げると翼の父親が値踏みするような目でこちらを見つめていて直人は内心ギクリと緊張する。母親の方はずっとにこにこと笑っている。
 直人はここできっちり決めなければと意を決っして言い切った。
「お義父さん、お義母さん、娘さんと僕の結婚を認めてください」
 再び深々と頭を垂れると、父親の不機嫌な声が耳に入る。
「初対面の男にお義父さんなどど呼ばれる覚えは無い」
 あまりに予想どおり過ぎて直人は頭がフリーズした。
 以前、翼が父親は自分の気に入った男達と何度も見合いさせようとしていたと言っていた事を思い出して思わず身体が強ばっていく。
 どう上手く説得しようと直人が考えを巡らしていると、いきなり翼がソファーから立ち上がった。
「親父ぃ! 直人に向かってそういう言い方は無いだろ。俺は本当に困ってた時に直人に助けられたんだぜ。原因作った親なら先に礼くらい言えっての。それに、ありがたい事に直人は俺と結婚してこの家に婿養子に来ても良いとまで言ってくれてるんだぜ。さっさと結婚しろって嫌がる俺に大量の見合い話を持って来てたのは親父じゃねぇか。直人に何の文句が有るって言うんだ!?」
「俺が選んだ男じゃない!」
 きっぱりと父親が言い返し、反論のしようが無い言葉に直人は更に固まってしまった。
 しかし先にキレたのは翼の方だった。
「立て! 親父、4ヶ月前の決着を今付けてやる!」
「望むところだ、この鼻たれ娘が、俺に勝とうなんぞ100年早いわ!」
 父親もソファーから立ち上がり広い場所に移動する。
「今日は手加減無しでやるぜ。後悔すんなよ、クソジジイ!!」
「笑止だ。来い!!」
 その直後、派手な殴り合いの親子喧嘩(バトル)が始まった。
「うわぁ。翼ぁーーーーーっ!!」
 直人は慌てて翼を止めようとしたが、2人の動きが早過ぎて翼を捕まえる事が出来ない。
喧嘩をしに来たんじゃないのにと直人は心の中で泣いた。
 父親の拳を腕で受け流しながら翼は空いた手で直人の背を押して叫ぶ。
「直人、安全なトコまで下がってろ。俺は直人を庇いながら親父とやり合うだけの余裕は無ぇ!」
 翼がフェンとを掛けつつ蹴りを入れるが父親はそれを素早く避ける。

……。
それは普通立場が逆だろう。
 直人は一昨日翼にプロポーズしてからずっと、どうすれば彼女の両親に自分が気に入って貰えるか、2ヶ月も一緒に暮らしていて1度も連絡を入れなかった事を上手く説明出来るか、結婚を認めて貰う為に一生懸命考え続けていたのだ。
 ところが、目の前で繰り広げられる光景は直人の想像からは完全にかけ離れた世界だった。
 翼の身体は特別鍛え上げられたものでは無い。しかし、とにかく喧嘩慣れしているのだ。
 親子喧嘩であるにも関わらず、2人の動きはカンフー映画でも観ているように素早く1種の美しさまで持っていた。
 翼の動きを見ていて直人は自分が以前彼女から受けた3発の拳が実はあれでも手加減されたものだったという事に気付いた。
これは……本気で喧嘩をしたら負けるかもしれないな。
 立ち竦む直人に横から母親が声を掛ける。
「直人さん、いつもの事ですから気にしないでくださいな。座って一緒にお茶でも飲みませんか?」
「あ……はい」
 直人はどうして良いのか判らず呼ばれるままにソファーに腰掛けた。
あれがいつもの事だって?
 額に手を当てる直人に新しくお茶を入れながら母親が問い掛ける。
「直人さん、夫が後ろでうるさくて昨日の翼からの電話では詳しい事は聞けなかったの。色々お話を聞かせていただけるかしら?」
 その言葉にこれはチャンスとげんきんにも気を取り直した直人は、これまでのいきさつを話し始めた。
「僕が翼と初めて出会ったのは2ヶ月前でした。……」

 時に相づちを打ち、時に声を立てて笑いながら母親は直人の話をずっと聞いていた。直人の話が終わるとふっと笑って直人の目を見つめて頭を下げた。
「直人さん、翼を助けてくださって本当にありがとうございました。そして、あの少しも女らしく無い娘でも結婚したいと言ってくださって心から感謝していますわ」
「とんでもない。色々助けられたのは僕の方だし、それに翼はすごく可愛いですよ」
 きっぱり断言してから、直人はさすがに恥ずかしくなって赤面する。
「貴方になら安心して翼を任せられますね」
 にっこり笑う母親の顔を見て、直人は思わずほっと胸をなで下ろした。
とりあえずお義母さんの方は僕を認めてくれた。後は『あの』お義父さんだな。
 第1関門をクリアした直人が次の算段を始めた時、母親がすっと立ち上がった。
 話に夢中になってうっかり忘れていたのだが親子喧嘩はまだ続いていたのだ。さすがに疲れが出たのか2人はファイティングポーズを取ったまま肩で息をしている。
「これで終わりだ、クソ親父ーー!!」
「そっちこそいい加減諦めろーー!!」
 2人が同時に拳を出そうとした瞬間、母親がどこから出したのか巨大なハリセンで2人の横っ面を張り飛ばした。

ゲコゴンッ!!

父親も翼も死角からのいきなりの攻撃に、かわす事も出来ずに吹っ飛んだ。

ゲコゴン? どうやったらハリセンであんな音と威力が出るんだ?
 直人が全く理解できずに唖然としていると母親が2人を怒鳴り付けた。
「2人とも久しぶりだからってあんまり浮かれてんじゃ無いわよ! いい歳して恥ずかしくないの。正月早々これ以上、せっかく来てくれたお客様や近所迷惑な事を続けるつもりなら、このわたしが相手になりますよ!」
 見事な啖呵を切った母親の顔を見た瞬間、引きつった笑顔を見せて、翼と父親は無言でそそくさとソファーに戻った。
うげぇ。この3人は実は似たもの親子だったのか。
 直人はつい先程まで翼は性格が父親似で顔は母親似だとばかり思っていた。しかしどうやら母親の方もかなりの性格の持ち主だと知り、この家に婿養子に入る決心がわずかに揺らいだ。
 クリスマスに翼に受けた打撃痕が消えるまで数日掛かったのだ。アザをファンデーションで誤魔化し、切れた口で接客するのはなかなか骨が折れた。
 翼は直人が送ったワンピースを着ていてかなり動きにくかったはずなのだがほとんど無傷で済んでいた。父親の方もかすかな痣と服装が乱れている程度だった。
 あれほど激しい喧嘩でもこの程度で済んでいるのはお互いが喧嘩慣れしてるのと、何だかんだと言っても本気で殴り合っていた訳では無かった事と知り、直人はほっとした。

「俺の部屋ってまだ残ってる?」
 仕切り直しをして食事を終えると、翼が母親に問い掛けた。
 何を聞くのかと思えばと笑って母親が答える。
「もちろんそのままにしてありますよ。いつあなたが帰って来ても良いようにと掃除もしてありますからね。今日は特にお客様がみえるという話だったから準備も済ませてありますよ」
「……ったくお前は昔っから翼にあめーんだからな」
 憮然とした顔で父親がボソリともらす。
「また、そんな事を言って。あなただって昨日から『翼がお婿さんを連れて帰って来る』って浮かれまくってたじゃないですか」
「「!」」
 翼と直人が同時に顔を向けると、父親は小さく舌打ちをして視線を逸らした。
「親父、てめぇ……んじゃ、さっきのは何だったんだ? ちくしょー!!」
「彼氏の1人も作らなかったお前がどれくらい本気なのか、ああでもしねえとこっちには判らないだろうが!」
 真っ赤な顔をして怒る翼から照れくさそうに視線を外して父親が答えた。
 その言葉を聞いて直人は全身の力が抜けてソファーにへたり込む。
やられた……。
 陸にうち上げられたクラゲの様にソファーになだれ掛かる直人を見て、翼が慌てて振り返って声を掛ける。
「直人、大丈夫か? 気分でも悪くなったのか?」
 心配そうに自分を見つめる翼の頭を撫でながら直人は笑って答えた。
「いや、今とっても気分が良いよ。良すぎてつい全身から力が抜けてしまったんだ。あはは」
 そんな2人の様子を見て、翼の両親は心から安堵した。

「んじゃ俺達休むな、おやすみ」
 両親に退室の挨拶を済ませると翼は直人を連れて玄関を出て3階の部屋に向かった。
「翼、何処へ行くんだい?」
「ああ、言って無かったっけ。3階全部が俺の部屋なんだ。ここを建てる時に2世帯住宅は玄関から分けた方が良いだろうって母さんが言って、上下で完全に独立してんだ。飯は下で食ってたけど」
 顔は直人に向けたまま翼が玄関の鍵を開ける。
 部屋に入ると2階とはやや面もちが違うが、4LDKという造りは直人が借りているマンションよりずっと広い。直人は翼の両親がいかに彼女を大切に思っているかという事を改めて知った。
「此処が俺の部屋、他は友達が泊まりに来た時以外はほとんど使って無ぇんだ」
 部屋に1歩入ると直人はまるで女の子の部屋みたいだななどと、翼が聞いたら殴られそうな感想を持った。
 明るい色調の洋間にシングルベッドと落ち着いたデザインの家具、所々にぬいぐるみや可愛らしい小物が置いてあった。
 直人は翼の自分との同居生活の中ではほとんど見られなかった少女らしい一面を見て嬉しくなった。
 翼が隣の部屋の襖を開ける。
「あ、さすが母さん。用意が良いや」
 隣の和室には直人の為に用意されたのであろう布団が1組セットされていた。「じゃあ」と、バスルームに翼が向かう。
「こっちもちゃんと掃除してある。直人、今日はシャワーだけじゃ無くて風呂に入れるぜ」
 振り返ってにっこり笑う翼を直人が頬を染めてぎゅっと抱きしめる。
「嬉しいな、やっとその気になってくれたんだね?」
「はぁ?」
「今、『一緒にお風呂入ろう』って意味で言ってくれたんだろ……痛い!」
 平手の分手加減はされているがハイスピードのビンタを受けて、直人は顔を仰け反らした。
「一体どういう耳してたらそう聞こんだ。馬鹿か!」
 怒った翼は直人をおいてさっさと1人で部屋に戻って行った。
又しても翼に殴られた直人はこれから先の事を思って苦笑する。

 風呂に入った後、直人は翼のアルバムを見せて貰いながら色々な話を聞いていた。
「うん、俺のこの言葉ってモロ親父の影響なんだ。親父があの言葉使いだろ? 喧嘩ばっかりしてたからこっちまで口が悪くなっちまったんだ」
「へえ」と言いつつ、直人はやっぱりあの親父さんが元凶かと内心で毒づく地雷を踏みそうな。話題は変えた方が良いと賢明にも直人は考えた。
「そう言えばお義母さんが言ってたけどいつもお義父さんと喧嘩してるんだってね。動きが派手な割に怪我が無いところを見るとやっぱりコミュニケーション代わりの手加減勝負なのかい?」
 翼は露骨に馬鹿かと言わんばかりの顔になる。
「はあ? 手加減だあ? さっきの喧嘩が。んな事する訳無ぇじゃん。隙なんか見せたら1発で親父に伸されちゃうぜ。いつも喧嘩してたからだと思うんだけど、お互いの間合いとか拳が来るタイミングとか見切っちゃってるんだよな。これ以上続くと危なくなるって辺りで母さんが絶対止めに入るしな」
 どうやら親父さん絡みは失敗だったと直人は母親に話題を移した。
「なんか凄い音がしていたよね」
 本気で怖かったとは言えず、直人は精一杯の笑顔を作る。
「あの『凶悪ハリセン』の事か? あれって母さんの特注でさ、普通のハリセンって音を良くする為に紙を2枚重ねるじゃないか。母さんのはその真ん中に極細のカーボンワイヤーが仕込んで有るんだ。あれで叩かれると当たり所が悪いとマジ涙が出るくらい痛いんだぜ。痣が出来る事だってよく有ったんだ」
「……それであんな変な音がしたのか」
 呆れたように直人が問い質す。
「母さん、ああ見えて結構キツイ性格してるからな。母さんと喧嘩して親父が勝った所なんて見たこと無ぇよ」
 苦笑する翼につられて直人も苦笑する……しか無かった。どんな話題を振ってもろくな結果にならないと直人は学習した。何せ翼が3人居るのと同じだ。凡人の自分が勝てるはずが無い。

 翼が時計を見て自分のベッドに足を向けた。
「あ、もうこんな時間だ。そろそろ寝ようぜ。明日も早いんだったよな」
 逃がさない様に翼の肩を後ろから直人が抱きしめて囁く。
「シングルベッドに2人で寝るのってさすがにキツイよね?」
「へ? 直人には隣に布団が敷いてあるだろ」
「翼も布団で一緒に寝よう」
 にこにこ笑いながら提案してくる直人の腕を、翼は呆れ声で軽く叩いた。
「あのなぁ、せっかく久しぶりに手足を伸ばして寝られるっていうのに何でわざわざ一緒に寝るんだよ?」
「僕の腕が寂しいから」
 真面目に答える直人にすぐに赤面して翼は俯いた。
「……そういう恥ずかしい事、真顔で言うな」
 それを肯定と受け取った直人は笑って翼の手を引いて布団に入った。
結局、いつもこうなっちゃうんだよな。
 直人の腕の中で翼は僅かに身動いだ。
「眠れないのかい?」
耳元で直人が囁く。
「ううん」
 軽く頭を横に振り翼はそのまま眠りに落ちた。
 翼の寝顔を見つめながら直人は軽いため息をもらす。
全く人の気も知らないで良くここまで無防備に熟睡が出来るものだな。
たしかに気長に待つって言ったのは僕の方だけど健康な男としては結構辛いんだけどね。
翼を起こさない様にそっと口付けをして直人も眠りに付いた。

 翌朝、今の仕事の片が付いたら必ず戻って来る事を両親に確約して2人は翼の実家を後にした。
 駅へ歩きながら翼が直人に確認する。
「今日は直人の実家に顔出すんだったよな?」
「その事だけど翼にお願いが有るんだけど」
 困った様な笑顔を見せる直人に翼はにぱっと笑って答える。
「ご両親の前では女言葉を使って欲しいんでしょ? わたしだってそれくらいは分かってる。ご両親をびっくりさせたく無いんでしょ」
 ぶっと吹き出すと直人は翼に向き直った。
「ずっとその言葉使いでいてくれるとすごく嬉しいんだけどね。とても無理な要望かな」
「あったりめーだろ。馬鹿!」
 むっとして歩調を早める翼を慌てて直人が追いかける。
「翼、悪かったってば、機嫌直してくれよ」
「……怒って無ぇよ」
「君がそう言う時は怒ってる時なんだよね」
「うるさいってーの!!」
 まだ人もまばらな静かな街角に2人の元気な声が響き続けた。

おわり

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