『封印の魂』


−第3章−

 ダイニングでは萌絽羽と仁旺がコーヒーを片手におやつをつまんでいる。
 仁旺の受験勉強の息抜きに付き合って、萌絽羽が軽い話し相手をするのは毎日の事で、萌絽羽の勉強を仁旺が見る事もしばしばだった。
「えーっ。本当に?」
「ああ、破王が1度萌絽羽と話がしたいって言ってた」
 思いもよらぬ朗報に、萌絽羽は部屋中を飛び回って喜んだ。
 明らかに避けられていると、もしかしたら自分は破王に嫌われているのかもしれないとずっと萌絽羽は寂しく思っていた。
 それを「会いたい」と言われて嬉しくないはずが無い。
「嬉しいなー。わたしも破王さんと1度お話したかったんだ」
 うふふと頬を染めてにやける萌絽羽に、仁旺は心底からむっとした。

俺がいつも側から離れない意味をこいつは絶対解って無い。
たしかに生まれた時から一緒に暮らしているから、萌絽羽にしてみれば俺は家族同然なんだろうけど、俺の方は違うんだぞ。
いくら何でも鈍過ぎだ。
 やきもちがみっとも無いという事は理性で判っていても、そうそう感情が納得出来るものでは無い。
 背が飛び抜けて高いという以外は平凡な自分の外見に比べ、破王は400年経った今も変わらず若く、人間も妖の女も思わず見とれるほど美しい。
 萌絽羽が自分が置かれている立場も知らず、破王の外見に惹かれるのを見て、仁旺が冷静で居られるはずが無い。
 良くない事だとは知りつつ、うっかり毒舌が口に乗せられる。
「この超面食い女」
「またそういう失礼な事を言う!」
 怒った萌絽羽が立ち上がり仁旺に詰め寄った。
「わたしが破王さんに会いたいのは破王さんが良い男だからじゃ無くって、仁旺の大事なお友達だからだよ」
「えっ?」
 萌絽羽の言葉に仁旺の胸は高鳴った。
 自分の為だと言われ、仁旺はもしかしたら萌絽羽も自分の事をと、萌絽羽の次の言葉を待った。
「破王さんは仁旺が受験勉強中だって知ってからはあまり長居しないよう気を使ってくれてるし、遠くから日参しては受験前でかりかりしてる仁旺の気を紛らわしてくれてるし、わたしが出した物をいつも残さず全部食べてくれるし、とにかく良い人……違った。妖さんなんだもん」
「……」
 何かが違うと仁旺は思わず頭を抱えたい気分になった。
 萌絽羽はこういう奴だと判っていたのに、判っていたのに少しでも期待した俺が馬鹿なんだ。
 その破王が毎日俺に何て言ってるかを知ったら萌絽羽はどう思うだろう?
 仁旺は何も知らずに純粋に破王に会える事を喜んでいる萌絽羽を見て胸を痛めた。
 本音を表情には出さず、曖昧な笑顔を浮かべる仁旺に萌絽羽が更に笑顔を向ける。
「その証拠に仁旺、破王さんが来てから成績上がってるじゃない。とにかく『家族代表』として破王さんには1度ちゃんとお礼を言っておかないとね」
 胸を張って言い切る萌絽羽に仁旺はがくーっと項垂れた。

父兄懇談会じゃ無いだろーっ。
つか、お前は俺の何のつもりなんだよ。
萌絽羽、お前は俺の事を男として好きになってはくれないのか?

 一目会った瞬間、絶対に一生護ると誓った少女は、その身に何を宿しているのか全く気付いていなかった。
 何の力も持たない人から気付かれる事は決して無い。
 しかし、妖からは一目見た瞬間に、目を逸らす事すら罪の意識に駆られるほどの輝ける強い封印の魂。
 鬼王の力を全てその身の内に宿しながら、萌絽羽は人の枠から外れる事は決して無い。
 普通の人間であれば鬼王の力の強さに内側から身も心も引き裂かれ、生まれ出でた瞬間にその命を失っていただろう。
 萌絽羽は人の身でありながら全ての妖を惹き付け、同時に畏怖の対象でもあった。
 誰もが萌絽羽に近付き、手に入れたいと願いつつも、その身に宿す鬼王の力への恐れの思いが妖達から萌絽羽の身を護ってきた。
 ただ1人、鬼王に匹敵する力を持つ破王を除いて。

今までは前世の俺の力が牽制になって萌絽羽は無事で居られた。
だけど今回だけは相手は悪過ぎる。
俺を恐れない唯一の存在、破王が相手なんだ。
ただの人間でしかない今の俺に、あいつから萌絽羽を護りきれるか?
心配なんだ。
本当は萌絽羽と破王を会わしたくなんかない。
やきもちだけじゃない。
萌絽羽を失うのが怖いんだ。

 仁旺は無意識の内に萌絽羽をぎゅっと抱きしめていた。
「仁旺?」
 驚いた萌絽羽が腕の中で仁旺の顔を見上げる。
 身長差が有り過ぎてはっきりと見る事が出来なかったが、仁旺の表情が苦悶に満ちている事を萌絽羽は見取った。

仁旺のそんな顔見たくないよ。
仁旺が何でこんなに悩んでるのか解らない。
だけど、ずっと笑ってて欲しいの。
「仁旺、大丈夫だよ」
 萌絽羽は仁旺の胸に顔を埋めるとそっと抱き返した。

 何が? とは仁旺は聞く事が出来なかった。
 萌絽羽が何者で有るかも、破王のもくろみも、自分との前世の因縁も、萌絽羽がどういう立場に立たされているかも、決して萌絽羽には知らせたく無い事なのだから。
 けれど萌絽羽が自分の不安を察して元気付けようとしてくれている事が仁旺は嬉しかった。
「うん。ありがとう。萌絽羽」
 仁旺は萌絽羽を抱きしめる腕の力を更に強めた。
「ねぇ、仁旺」
「何?」
 幸せをかみしめて夢心地に仁旺が問い返す。
「これ以上顔埋めてたらマジで窒息する。ついでにさっきからすっごく重いんだけど」
 萌絽羽の抗議に一気に現実に引き戻された仁旺は、溜息をつきながら腕の力を少しだけ緩めた。
「これぐらいなら平気か?」
「うん。苦しく無い」
「そうか」
 仁旺は腕の中でもそもそと身動ぎする萌絽羽を見て微笑んだ。
「ところでね。何でさっきからわたしら抱き合い続けてんの?」
「萌絽羽は嫌か?」
 仁旺が顔を覗きこんで問い掛けると萌絽羽はうーんと首を傾げた。
「嫌じゃ無いけど、こうしてる意味が解らないよ。真冬なら温かくなるからまだ解るかな?」

普通なら解るだろぉー。
この激ニブ女め。
 仁旺はいっそキスでもしてやろうかと思いつつ、とは言えとてもそんな行動に出る勇気も持てず、泣きたい気分を必死で抑えながら萌絽羽を解放した。
 一方、自由の身になった萌絽羽は腕を伸ばし、上体を反らして思いっきり伸びをする。
「で、破王さんはいつ会ってくれるの?」
 萌絽羽の問い掛けに仁旺は話の本題を思い出した。
 いつもこうして頭がぶっとんでいる萌絽羽のテンポに狂わされ、仁旺は言いたい事の半分は綺麗に忘れてしまうのだった。
「萌絽羽の都合に合わせるって言ってた」
「んじゃ、いつでもOKって言っておいてくれる?」
「わかった」
 仁旺が生返事をして今後の事を考えていると、萌絽羽はいつの間にかその手に羊羹と緑茶を用意していた。
「はい。破王さんが今遊びに来てくれたみたい。部屋で待っててくれてるよ。楽しみにしてるからって伝えておいてね」
 仁旺に盆を渡して軽く手を振ると萌絽羽は部屋に戻って行った。

「いつでも良いって言ってたぞ」
 いつもの様にお茶と和菓子を頬張りながら仁旺と破王は座布団に座って向き合っていた。
「そうか、では明日会おうと伝えておいてくれ」
 破王の目に鋭い光が走るのを仁旺は見逃さなかった。
「先に言っておくが、萌絽羽に手を出したらいくらお前でも許さないぞ」
 確信を持って自分を牽制しようとする仁旺に破王は笑って答える。
「何も心配する事は無い。ただ、我はあの小娘に頼み事をしたいだけなのだ」
 破王は湯飲みを盆の上に戻すと静かに立ち上がり窓辺に向かう。
 それさえ聞けば、今日の用はもう終わったと無言の背が語っている。
「忠告したからな。絶対忘れるなよ」
 尚も食い下がる仁旺に破王は振り返って、口の端だけで笑うとそのまま姿を消した。

「全く目が笑って無いんだよ。本当に解っているのか?」
 聞こえるはずの無い相手に仁旺は文句を言った。
 破王の事は知り過ぎるほど知っており、毎日説得を続けたくらいで簡単に折れる様な甘い性格では無い。
 破王が狙っているのは鬼王の力を封印している萌絽羽の命なのだ。
 自分の復活を願う破王を相手にどれだけの事が成せるのか? いや、絶対に成さねばならないのだと仁旺は頭を振った。

萌絽羽、俺はどうすれば良い?

 1人、空を見上げる仁旺に誰も応える者はいなかった。



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