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雑記(ざっき)2




















2007年6日17日 日曜日午前12時45分。




ども、鈴木憲ことたかさきはやとです。
うーんと。
ブルー色のPSPを買いました。
初に買った気分ですが、最初はブラックだったそうな。
それから収入が入って、年金生活から出た時には、ゴールドを買ったそう。
その他にもDSが原価割れだったとか。
ドリキャス復活とか。
いろいろそれは記憶が戻ったというよりも、なにか情報で仕入れて来たような感じで、あまり実感はありません。
仲間内の人は私に説明しても、なにか今回はかなりの早さで消しゴムアタクされるので、とりあえず様子見ているそうだ。
番組まで戻してるのは、そこまではしなくてもいいような気はするが、なにか理由があるのだろう。
うーん。
三年程度かな。
現場に入って、半年先までスケジュールいっぱいで仕事していたようだ。
ゲームからフィギュアから参加していたようだ。
ふーむ。
まあいまは掃除のバイトに逆戻りなので、現場に入りたいなあという気持ちもあるが、ここで無理しないで、休暇だと思うくらいで、小説でも書くかなあ。

今日は林監督、通称はやしくんとこに行ってアニメ見て来た。
ハルヒの最終回。
次はなのはストライカーズの初回だ。
やっとそこかいていう話だが。
忘れているので、やっぱり新鮮だなあ。
あーすっかり時代遅れな人になってしまったのではないか。
どきどきしてる。
て、そこかい。
家族や仲間やみんなはどういうふうなのかな。
日共にメール送っても、アニラジにメール送ってもなんの音沙汰もない。
友人知人もその話をしょうとしない。
なにか知らないうちに私はどこか違う場所に来てしまったのだろうか。
不安が募る。
アタクについてもみんな話をしてくれない。
いまがどういう状況なのか分からない。
頭痛されて、このままなんかくたばるのかなあと思ったりする。
天下無敵と言っても、こうなると私も弱いなあ。
まいったなあ。
まあゆっくりと行こう。
どの道時間を地味にかけて作品作るいがいに生きる道はないしなあ。
ずいぶん器用なように見られているが。
人生を器用に生きることは出来ないからなあ。
まあいまはとりあえずゆっくりとしています。
そこそこね。
んでは、また。





バランスを感じることは最高のエンタメであり、勉強であり、本質であること。

余裕とは時間が過ぎて行く悠久の流れをとらえること、本質を感じること、聞くこと。


いつでもどこでもいまでもいいものはいい。

なんとかなるさ。そうなるさ。

ゆっくりとお互いのペースで歩いて行きましょう。

楽しいことはいいことだ。


それはだから時間があればだいじょうぶである。




古き分岐を得て、古き枝から新しき枝へ。
この関係をひるがえらせる関係性。
千の言葉よりもひとつのひるがえり。
















2007年6日15日 金曜日午前12時24分。




ども、鈴木憲ことたかさきはやとです。
うーん。
各メディアがデータを戻してしまって、また鈴鷹さん関係のことを伝えなくなっている。
これは鈴鷹さんがそうするように言ったというのだが(?)。
個人的にはマスメディアが論じることをしなかったこと、鈴鷹さんに直に助けに入れなかったことなどの膠着状態がそこまで来てしまった一因と感じなくもない。
ので、鈴鷹さん関係の話をオープン(?)にして地味に地道に話して行くことが大切だと思うのだ。
マスメディアがすべきことは、常に伝えるべきことを伝えて行く姿勢だと思う。
鈴鷹さんがどう言ったとか、状況の再現がどうとかはそれはまた別に論じればいい。
こういうことがあったということは、常に提示していく必要があるのではないだろうか。
なんてことばかり考えているとたいへんなので、いやまあ、たまには息抜きも必要ですね。
まあそこそこ行きましょう。
とかね。





バランスを感じることは最高のエンタメであり、勉強であり、本質であること。


いつでもどこでもいまでもいいものはいい。

なんとかなるさ。そうなるさ。

ゆっくりとお互いのペースで歩いて行きましょう。

楽しいことはいいことだ。


それはだから時間があればだいじょうぶである。




古き分岐を得て、古き枝から新しき枝へ。
この関係をひるがえらせる関係性。
千の言葉よりもひとつのひるがえり。
















2007年6日13日 水曜日午後10時59分。




ども、鈴木憲ことたかさきはやとです。
うーん。
なんかデータがないなあ。
この年月のとこまでしかパソコンにない。
記憶もない。
うーん。
消しゴムアタクというものがあって、これは医療用に作られたものね。
酷い精神状態の時に、一定忘れさせて、余裕(?)が出来てから戻して行くというもの。
だから忘れたというよりも、ちょいと記憶を隠しておくというのが近いかな。
これは壊れていた時に前に言ったことらしい。
これって二回目(?)なのかな。
時計もすべて上記の年月を示している。
友人知人家族もなにも言わないなあ。
不思議だ。
いやまあ鈴鷹さん関係ならばなにがあってもびっくり……するなあ。
毎度ながらね。
データが変えられてから、アタクされている。
かなり手加減されてるとはいえ、痛いなあ。
ちょとくたくただ。
アタクする人はまだ保護されないのかなあ。
私をほうっておくのでもいいけどね。
いまは私は掃除のバイトに月〜金まで行って、掃除の後に精神障害者作業所に行っている。
さらに家に帰って来てからホンを書いてるような感じだ。
収入は障害者年金と掃除のバイト代で月10万円程度かな。
まあ実家にいるからそこそこなんとかなってる感じ。
いやまあ特に困っているものはないなあ。
まあねえ。
世の中分からないことだらけ。
本質つかむことなど滅多になくて。
まあ難しいことは難しいこと考える人に任せて、いまはだらだらしています。
まあそこそこ行こう。
んでは。






バランスを感じることは最高のエンタメであり、勉強であり、本質であること。


いつでもどこでもいまでもいいものはいい。

なんとかなるさ。そうなるさ。

ゆっくりとお互いのペースで歩いて行きましょう。

楽しいことはいいことだ。


それはだから時間があればだいじょうぶである。




古き分岐を得て、古き枝から新しき枝へ。
この関係をひるがえらせる関係性。
千の言葉よりもひとつのひるがえり。
















2007年3日25日 日曜日午後8時45分。




ども、鈴木憲ことたかさきはやと。
春はそこそこ近づいているような日。




最近の参加。
バーディ5巻各コンセプト参加。
ケロロ軍曹14巻各コンセプト参加。
ワきゅーレ10巻ちょいとだけ参加。
ボクを包む月の光4巻ちょいと参加。
映画虫師(漢字が出ないー)企画。
漫画のほうもちょい参加かな。
でかい映画を三本くらい抱えていて、ちょっと圧倒されている毎日です。
















2007年2日23日 金曜日午前3時14分。




ども、鈴木憲ことたかさきはやと。
今日はちょいとひんやりないい風を感じた。




最近の参加作品〜。
のだめに一歩の最新刊に構築参加。
他にはガンダム短編集3の最初のと最後のの話の構築、あいだ二本の企画。
庭先案内2巻幾つかの話の構築。


うちのネコは。
トイレに水洗用の青い固形石けん入れてるので、臭いはしないけども、足のとこが青くなっている。
とほほ。
いま黒白毛のクロと三毛猫のミケが本棚の下から二段目に作った寝床を取り合っている。
猫はいー感じの場所を見つけるというから、いい感じなのだろう。
こういった寝床を五ヶ所作ってやった。
おかんが買ってきた丸い寝床をふたつ設置。
残り三つはイスの上に座布団。
本棚の一角に座布団。
箪笥(たんす)を開いてそこに一カ所。
これは親父に見つかると閉められてしまう。
窓際の一カ所などはかなり時間かけて作ったのだが、寒いのかあまり好評ではないあいでぃあ模様。
猫にも住宅問題があるようだ。
















2007年2日21日 水曜日午後11時6分。




ども、鈴木憲ことたかさきはやと。
今日もそこそこ頑張ってこー。




掃除のバイトそこそこ頑張っています。
あ〜、猫も元気にあばれてやがる。
寒いので良く丸まってます。
そして猫は猫の里へ。
て、どこだい。
うへー、猫が缶をひっくり返した。
フキンフキン。
さて。
なんかアニメはクライマックスです。
つまりは時期的に新番組に変わる時期です。
まだルルーシュラスあわわ。
まだですかとアニラジで。
あわわ。
こーなったらすべて再編集で。
えー。
カノンは上がったー。
と。
そこそこ頑張っています。
んでは。
















2007年2日21日 水曜日午前3時3分。




ども、鈴木憲ことたかさきはやと、略して鈴鷹(すずたか)さん。ベルホーク。




ドラゴンクエストモンスターズは企画で参加。
ストーリーには参加してません。
ドラクエ8と7はストーリーコンセプトを担当していたので、堀井さんのひさしぶりの新作なのかな。
いえいえ、細かくはそんなに構築してないので、ひとつひとつの台詞などはおまかせしています。
RPGでのストーリーやゲームコンセプト参加の初期はFF6とかクロノトリガー(三大集結)とかかな。
私はFF7とかオンラインのスタイルの構築で有名ですが、初期参加はこの時期かな。
いやまー、その前もゲーム考察がかなり参考にはされていた模様。
最近だとどうぶつの森とか脳トレ系とか。
ポケモンは企画と初期構築もしていた模様。
いやさ、データベースがないもんで詳しくは良く分からないがもにょもにゅ。
新作カノンでは、ストーリーの流れを担当。
真琴編と舞編のラスなどはコンセプト通りになってまんがな。
ルルーシュも。
ストーリーコンセプトに台詞も少しだけ、印象的なとこは私ですね。
そういうふうに役割というか参加してきたので。
仮面ライダーカブトは未来の世界で旅に出た一団が地球に帰って来ると過去のいまの地球に来てしまった。
そして、その時間の違いから、未来の人たちはネガティブになっていた。
未来へと帰る扉をその剣で作るカブト。
また会うことを誓う二人。
そして幾年月ののちに会うというラストと今回のラストのふたつのアイディアを出していたのですが、もうひとつのほうが採用された模様。
多くの場合、ストーリーコンセプトというとこんな感じに言っています。
台詞も参加することがありますが、ほとんどは脚本の人にまかせています。
ほとんどの話のホンまで参加したのはエヴァンゲリオンのみ。
他には映画で幾つか。
それも数は少ないですね。
FF13(アギト含む)ではカブトのような高速バトルが展開されます。
FF13はストーリーも出していますが、ストーリーコンセプトを文章で送っているので、難色気味。
プリキュア5や電王も企画参加。
FF8(一部の伽羅(?))とアニメのロックマンたちのデザインは手塚先生に頼んでいます。
バイオメガ、新吠えろペンの6巻各話とかまなびストレートにもストーリーコンセプト参加。
2007−1−1 月曜日午後6時34分カキコ。
かみちゅ! はヨコハマ買い出し紀行のような作品を作ろうと。
ゆったりした時間が流れる作品をと。
ヨコハマ買い出し紀行は これはもっと雰囲気重視でーという企画、構築のもので、これは出来て来た漫画に参加して行きました。
この流れのゆったりした時間の作品はよつばと! やあずまんが大王、ふたつのスピカ、フルバなどに派生して行きます。
ふたつのスピカは幽霊三部作のひとつで、アニメ化としては、ヒカルの碁と銀盤カイレドスコープのうちのひとつになります。
この他にも美少女路線にもkanonやAirやToHeart(トゥハート)といったゆったり路線はあります。
アリアとかは佐藤監督にお願いして、マリア様が見ているはセラムンのような伽羅で百合を目指したりして。
ヒカルの碁にはデスノートという派生がありますが、デスノでは幽霊ではなく死神になっています。
おじゃる丸などはまだ続いてるなー。
これらは初期設定と最初のほうのストーリーコンセプトに参加。
たまーにホンに参加することもあります。
よつばと! 6巻各話にもひさしぶりに参加。
まず絵とかには参加したことはないので、絵とかコンテは漫画家やアニメーターの人におまかせ。
文字コンテのような形の参加の場合はあります。
小説も書いてはいません。
書いてるのはこの言葉工房にあるもの。
ほとんど例外的に天地無用の劇場版は文章で通ったもので、後にも先にもいまんとこホンが丸々通ったのはこれのみですね。
んであまたあ。
















2007年1日3日 水曜日午前2時58分〜1月8日 月曜日午前7時21分。




ども、鈴木憲ことたかさきはやと、略して鈴鷹(すずたか)さん。ベルホーク。
愚痴ってないで書くのだおれ。ネクストスタイル。作品を作っている時がいー鈴鷹さんで書かねー時がだめな鈴鷹さん。
時間をかけてゆっくりと行こう。
さ〜て、今日のひるがえりはー(?)。本質をひるがえらせる。なにが出来るでもないけども。ソウルドライブ全開(!)。




ブリーチの劇場版の感想をブログで読む。
て、見に行けよ自分。
だって見に行く友達いないもの。
ブリーチ好きな友達いないから(悲)。
う〜んうんうんうん。
ブログ読んだ限りでは口で言ったほうのアイディアは通っているなあ。
文章のほうはかなり通りにくいので。
これは活動休止前からそう。
口で言ったほうでも、たとえばエンジェる〜んは通ったアイディアは半々くらいなのよね。
ブリーチ劇場版では文章のほうには入れ忘れていたヒロインのシーンラスまで言っておいた。
ちょいとだけども。
その他色々多彩パラグラム。
最初に企画立てた時にあったヒロインの設定だけれども、まだ最かぶ初の段階のもので、決まっていたとはホムペ読むまで知らなかったのだ。
後は経験から文章のほうは通らない可能性は高いと思ったので、通らなくてもスタフ頑張れ〜とか言ってました。
無責任な。
だって現場に入れないんだもん。
うん、そんなもんかな。
いやまー、通る時は作品のタイトルだけでも企画通りますが。
アニメの30分一話に制作費が千五百万円(深夜で一千万円程度)とかかかるとかいうから、たいへんなことなのよ。
いまは私が参加する作品はかなり数としては抑えているほうなので、こんなもんかなあ。
エンジェる〜んのラス話はものほんに河森監督だと思う。
エンジェる〜んのラス2話はほとんど私の企画が通っていた。
私が参加してもそれでも全体として見れば、かなり丁寧な低調なようになってしまった。
すま〜ん。
精進しますよそのうちにね。
京アニの新作カノンにもアイディア通ったー。
ラスまでアイディア出したので、どこまで通るかな〜と(ゆちゅぶで見ています。
て、そんな見方かい。
作画はいいと思いますよ。
うんうん。
余は満足じゃ〜てなもんか(みのもんた。
銀色のオリンシスでは、ラスの展開と伏線付けて〜てなとこかな。
それとデートしてる時にバトル中という話のコンセプト。
ラス話はエル狩り漫画のラスの展開を持ってきました。
FF8
元気装填ガンバルガー。
違う。
元気爆発ガンバルガー
FF8では、モンスターから魔法の取得、ドローがポケモン要素というか、コレクション要素を入れている。
これはFF12ではドローはアイテムの取得という形になっている。
ディスク四枚組だが、いちいち一枚目を入れなくていい作りになっている。
すごい意欲的だな当時の私よ。
て、他人ごとではないよ〜それを越えるのだ〜ておい。
出来るかな〜。
さて、ムービーの中を伽羅操作して歩けるなど。
FFをぶっこわすという意気込みが鬼気迫って来る。
う〜ん。
凄い、が。
やっかいな人だな鈴鷹さん。
越えるには凄すぎる人だ。
いやさ、おいおい自分だけどもさ。
その過去の業績を越えるのは至難の業だ。
ど〜しょうかな。
やっぱり、逃げる(?)。
FF8は、これがFF史上最大の売り上げだそうだ(ウィキ参照)。
ビジュアルも良くなり、予算も倍額。
その他色々。
頑張ったもんだな、うんうん。
正確には、FF11(もちろんエバクエにも構築参加)のほうが売り上げていると思うが、こちらはずっと続けているものなので、単体としてはFF8かな。

その一方で、きわもの扱いされるのも確か。
システムの画期的さは分かるが、その使い勝手にはかなりクセがある。
また、だらだらマジックドローを続けるのは上長ではある。
この点はいまのFF12はモンスターはアイテム一個程度持っているのを盗むというスタイルに変わっている(FF9と10と10−2は未プレイ)。
FF8は動きづらいというか、どこが進めるのか分からない一面も指摘されていた。
ここは光る点線を付けたり、歩ける場所を分かり易くビジュアルで表現することで対処した。
けれども、FF7ドラクエ7前後の作品以降、かなりビジュアルが上がっている。
いやさ、初期のプレステドリキャス路線で一番伸びたのは大作RPGだったのかも知れない。
そこだけみれば凄い。
けれども、慣れてしまえば、その方向性はなにを意味していたのかと考える。
意欲的にシステムも変えている。
けれども、意欲的なスタイルの変更、それはそれで分かっていることだ。
それだけでもたいへんなことだが、他のRPGゲームでも、たとえばいまはドットハックなどでもそこいらへんは出来る。
パソコンのオンラインRPGでも、そこいらへんは珍しくないことで。
これからFFとドラクエは、そしてそれを追いかけるかのようなRPGゲーム。
これからの方向はどこへ行くぺきなのか。
カラカラカラと。
いまは風見鶏が指す方向を見ている。


93年から2004年(前後)のアニメのほぼすべてに企画参加、設定とか脚本とかも出来る限り。
漫画とかゲームに歌に実写ドラマにテレビ番組も有名どころはすべて参加。
もう萌え尽きますた。
ネタも無い。
もーこーなったら明度になって明度服と機関銃企画参加しましたよ。
いまは生活も楽になったので、少し振り返ってみたいなと思っています。
これからもほどほどよろしゅうに。
2007−1−6 土曜日午後9時34分カキコ。
ヒット作の後にはヒット作は続かないと言われる。
それはダークスタイルがひとつにはある。
こんだけいいもの組んで、入れてわやわやわやと。
これ以上にはない一品。
であるならば、次の作品は比較して劣って見えてしまうもの。
あたしが一番だって言ったのは嘘だったのね。
いや、違う、そうじゃない、いまでもきみが一番さ。
もちろん、次の作品でもいままでに無いサンデュをする場合もある。
けれども、かなり難しい。
特にたとえば同じ剣と魔法のファンタジーだったりすると。
この点、私は作品のジャンルどころか、作品作りから機器開発に行ったりとかしていて、全く違う分野で活動していました。
ずるいと言うなかれ。
遊撃としてはあっちゃこっちゃの場の面取りだったのだ。
鈴鷹さんクラスになると、アニメなどでも監督になっているのがふつーだ。
その点、私は日々遊んでいて、ひるがえりを見つけたらそれを入れて行くというスタイル。
けれども、それがかなり大きいので大戦力なので、結局遊撃ではなく本陣になってしまうのだ。
もー馬力も出ないけどね。
まー30代ならば無理すれば20代の時のとかね。
いやいやいや、無理はあまり長く続かないよきみい。
現実に対してバランスを取ること、取り続けること、そんなに甘くないのだよきみい。
わかってるかねきみい。
これからは先生と呼びなさい。
いやー、ほんとに呼ばれても困りそうだが。
さん付けくらいがちょうどいいかなーとかね。
2007−1−7 日曜日午前12時23分カキコ。
エンタメとは。
人を楽しくさせようとする気持ちであること。
その情熱というソウルエンジン。
それが場と質と量たり得る、かな。
















2007年1日1日 月曜日午後11時9分




ども、鈴木憲ことたかさきはやと、略して鈴鷹(すずたか)さん。ベルホーク。
愚痴ってないで書くのだおれ。ネクストスタイル。作品を作っている時がいー鈴鷹さんで書かねー時がだめな鈴鷹さん。
さ〜て、今日のひるがえりはー(?)。本質をひるがえらせる。なにが出来るでもないけども。ソウルドライブ全開(!)。


新年明けましておめでとうございます。
今年もよろしゅうに〜。




涼宮ハルヒの憂鬱。
それが今年の一番のヒットクラスだと言う。
参加した作品の中ではずいぶん小粒だなあと思ったりする。
エヴァとかセラムンとかカドキャプさくらとかポケモンとかガンダムシードまで言わないが、もっとでかいヒット作品が出ないかなあと思う。
けれども大ヒット作品というものは、いきなり出て来るものではない。
佳作の積み重ねがあって初めて大ヒット作品になるのだ。
そういう意味では単独で大ヒット作品というものはひとつとてない。
それを支える佳作のヒットがあって初めて大ヒットとなるのだ。
それだけの量に支えられた質というものなのだ。
だから大ヒット作品が出ない時は、佳作ヒットもほとんどないと言って良い。
ポケモンが大ヒットした年には、それだけの作品が大きく花開くだけの佳作ヒットがたくさんあったのだ。






歌。
しるしでも1フレーズ程度参加。
いやもうこれは少ないな。
はずいな。。。






29日は仕事納め。
おとといの30日にコミケに行こうとして、午後3時に家を出るが乗り換え間違えて蘇我のほうまで行ってしまう。
帰ってくると真っ暗。
31日は午後2時に家を出て、無事二時間弱滞在。
アキバに帰りに寄って帰る。
別にめぼしいものはなかったが、まーこれは行事みたいなもんだ。
年越しの紅白とアニラジをだらだら聞いてから眠る。
1日は起きると午後4時ちょい前。
いまはFF8をプレイ中。
発売の時は兄弟の召還獣を手に入れたとこまでで止まっていたので。
FF10と10−2も中古で3000円で買う。
まだ未プレイなのだ。
FF9もそう。
FF7も途中なんだよなあ。
ドラクエはすべてコンプリート。
ドラクエの4だけは未プレイだったのだが、昨年だかプレステ用のをクリア。
ドラクエ9はFF11のような感じをイメージしたもの。
けれどもウィフィだと簡単にネットゲームが出来るので、そこはまた違ったものになるのかな。
アニメではエンジェる〜んとか新作カノンとかルルーシュなどに参加中。




ま〜そこそこ、頑張っていこー。
さて、FF8でもするかな。
















2006年11月22日 水曜日 午前12時 〜〜〜 2006年11日30日 木曜日午前2時




ども、鈴木憲ことたかさきはやと、略して鈴鷹(すずたか)さん。ベルホーク。
愚痴ってないで書くのだおれ。ネクストスタイル。作品を作っている時がいー鈴鷹さんで書かねー時がだめな鈴鷹さん。
さ〜て、今日のひるがえりはー(?)。本質をひるがえらせる。なにが出来るでもないけども。






歌は一小節を一言をそのメロディラインが動画に匹敵します。
これの提示。
ひるがえりも含めて表現の一通りの技術を習得したら、気持ちで行け。



kizasi




前にきつねうどんさんと話していて。
放射能は分解出来るかどうかで。
私は可能性はあると言い、きつねうどんさんはそれは不可能だと言う。
なんでやってみねーのにそんなの分かるのよ。
出来ないとはやってみて出来なかった時に言うことだろう。
それは歌でも作品でもそうなんじゃないかな。
いいもの作ってすごい売れて金銀財宝〜。
それぐらい夢だの妄想だのりそーだの言ってくれる奴とじゃないと一緒にやりたくないのよね。
こっちだってさ、そんなにひまじゃーないじゃない。
いーもの作ろうよという話なのよ。
いま。
ちぇんじんぐなうよ。
現在進行形よ私たちゃあ。
三人いれば文殊の知恵だの派閥が出来るだの、そんだけスタフがいてひるがえらせることのひとつも出来ないものかね。
たまには出せよ金字塔と世界変わっちゃいましたのここんとう。かな。





エヴァ2。
劇場新作。
一作目は前のスペシャルの話で作画に既に入っているとのこと。
アニラジでの大月さん発言。
まだ話には演出とゆーか、指定入れて行くので、書き足すので、どーなるかなあ。
うむうむ。
二作目からはエヴァ2行きます。
いやまー予定は未定だが。
声優さんとしては、新規の三人で新人とゆーか、名前に馴染みのない人を起用すると考えている。
まーどーなるか分からないけども。
その他にはほっちゃんを起用すると思う。
他にはまだ決まって無いかな。
まあーそこそこ。





2006−11−28 火曜日午前2時3分カキコ。
午後12時過ぎに歌を熱唱していたらおかんに怒られる。
いやまーおやじに怒られることもある。
しょーがないので、なるべく歌の活動は早い時間にしないといけない。
私は夜型のため、これはたいへん。
うちって鉄筋外面コンクリートで中にはコンクリート入ってない。
ので家の中の防音はふつーなのだ。
歌の活動にも理解が欲しいとこだなあ。





2006−11−29 水曜日午後10時56分カキコ。
最近のこと〜。
アオイイロとジャスティスビリーブがカウントダウンティービーの総合順位5位(へいへいへいでは4位)になったよ。
宙船とかモーニングの歩いてる〜とかスマップのありがとう〜とか最後のロックとかが2フレーズ程度なのに対して、ジャス〜は2フレーズ程度、アオイイロはフレーズというか、メロディラインほぼすべて。
歌詞はサビのとこかな。
プロモの構成もちょい参加。
これは活動再開してからは一番かかわってる曲だなあ。
最近ではFFのコンセプトに取りかかっています。
そんでは、これからもよろー。
















2006年11月22日 水曜日 午前12時 〜〜〜 2006年11日23日 木曜日午前2時




ども、鈴木憲ことたかさきはやと、略して鈴鷹(すずたか)さん。ベルホーク。
愚痴ってないで書くのだおれ。ネクストスタイル。作品を作っている時がいー鈴鷹さんで書かねー時がだめな鈴鷹さん。
さ〜て、今日のひるがえりはー(?)。



星騎(ルーンライダー)。



ブリーチ。
最近のブリーチはアニメオリジナルだったので、話がその分時間が取られていたようだ。
逆に言えばそれだけのクオリティを発揮する人が先にイメージイラストやコンテを上げておくと、それだけいいものが出来るということだ。
いやまー言うは易しだけども。
私がなにかアイディアを出しても、スケジュール的に無理ならばおぶいえいとか次の機会に入れていい。
えー、ボツしたって怒るだろうって。
それが伝わるかどうかはまたアニラジとかさ、別の話。
そうかなゑー(?)。



私の部屋でヒーター入れる。
うーん。
まだ200ワットのヒーターは早いかな。
なので、温度調節の付いてるほうを小設定で付けている。
いやまー、なるべくならば調節機能付いてるほうが安全性とかでも高いものだが。



アニラジで。
うさみみ聞いてるとなにか似た内容のこと話してる。
これはこういう話をしたーというデータベースが必要。
そういうソフトがなければ、なにかファンサイト込みでブログに書くとか、パソコンにホムペ形式で書いておくとか。
いやまあふつーに文章ソフトでいいけども。
これはひるがえりの分岐を見ることにも役立ちます。
地味にね。
作品ならばある程度のあらすじとかコンテでおっけぃ。
でもめんどいから直感で行けやごら。



ひるがえるイメージ。
ひるがえり作りの基本基礎。
イメージイラストやイメージ文章。
このイメージのひるがえり具合でそれはいい作品にもどうにもなりうること。
たとえば歌やラジオのコンセプトにイメージイラストを使うこと。
歌詞の前にイラストを描くというのは変ですが、それがひるがえりとなり、ゆらめくさまを見ること。
別にへたでもいいので。
私などは描かないですけども、たとえば好きな漫画とか何度も読み返してイメージをふくらまします。
もちろん歌を聞くとか言うのもベター。
映像でもゲームしててもいいんですけどもね。
ここで大事なことは風景や情景や伽羅のひるがえりをイメージするのであって、世界観の輪郭とか説明をイメージするのではないこと。 一般的に面白かったつまんねー良い悪いとかいう話はこのひるがえりのことを言っているのであって、技術の巧さではありません。
逆に技術では未熟でも、このひるがえりを高く評価されて上手いと言われることもあります。
イメージというものは、どれだけそれまでの分岐の組み合わせを提示するかにあります。
それがひるがえりであり、直に出来を左右します。
ひるがえりによる伽羅造形にひるがえりで見せる世界観と風景等々。
基本的には、まずはひるがえりで表現すること。
なにせ作るのも人ならば、それを感じ取るのも人の五感であり、それ以外には無いこと。
ひるがえりとは、まさに感覚を響かせること。
単なる表現の技術だけではそれはたとえば文字や数字の羅列にしか見えないものです。
ひるがえりがそれを感覚させること。
これは逆に意味不明な羅列による構成も可能とします。
そのコントラスト、そして。
話が平行線を辿ったり、咬み合わない時はみっつのテーマがサウンドデュアルされてないことがひとつにはあります。
世界観の輪郭をうまく浮き出すことは別の技術なので、ひるがえりとにかく伽羅の楽しさや風景のきらびやかさひるがえる本質をイメージします。








量から場における質への転化。


空間表出力。
普遍、共通、一般。場の変化。場。

本質共鳴。
特殊、集合、新性。柔軟性の確立。質。

ひるがえり。
個別、蓄積、唯一。積み重ねによる固定化。量。



個別のひるがえりから積み重ね、一定量が土台となったら、共通となる場から特殊の質へと繋(つな)げます。
これはサウンドデュアルのひとつとなります。







野菜あまって国が億払って断裁っていうのテレビで見た〜。
なんかね、慈善団体にあげるとか、家畜の餌とか肥料にするとかなにか対策ないもんかねー。








●●●2006−11−22 水曜日午後11時47分●●●カキコ。
性質の方向性。
いま、現在というものはすべてその本質は現在進行形であること(進行形、否定の否定、相対方向)。
過去は絶対の方向性であること(過去形、否定、肯定、絶対方向)。
未来は全対の方向であること(未来形、すべての定型、全対方向)。
これはどれが良い悪いではなくて、そういう性質がありどれもサウンドデュアルのひとつです。








パソコンで。
CDを取り込んでいる。
速度が遅くなって来たらパソコンを立ち上げ直すと速度が速くなる。
これはイラストや動画取り込みでもおんなじ。


明日は休みだなー。
バイトも休みなので、どーすっかなあ。
とりあえずだらだらしている予定。







んであ、また。
















2006年11月20日 月曜日 午前12時 〜〜〜 2006−11−22 水曜日午前2時




ども、鈴木憲ことたかさきはやと、略して鈴鷹(すずたか)さん。ベルホーク。愚痴ってないで書くのだおれ。ネクストスタイル。作品を作っている時がいー鈴鷹さん。書かねー時がだめな鈴鷹さん。







2006−11−19 日曜日午前12時59分カキコ。
アニソンについて。
国によってご当地ソングというものがある。
これは日本だと演歌だとか、そしてアニソンである。
紅白歌合戦で演歌が大きな場を取るように、アニソンは実は歌のジャンルとしては、日本独自の地位のひとつを取る。
その歌はバラードやコミックソングや燃えソング、萌えソングというかロリポップといったものが多いが、これが実はとても珍しいものなのだ。
コミックソングで300万枚も固定CD売り上げるなど、世界的に見ても他では類を見ないだろう。
もちろんそれはゲームにアニメに漫画といった、世界一のサブカルチャーという土壌があるから可能なのだ。
これはロックの逆で、日本だけの現象と言える。
その他にも銀河鉄道999のオプニンとか、キャッツアイのオプニンとかちびまる子ちゃんのオプニンとかセラムンのオプニンとかも100万枚越えの金字塔。
ちなみにセラムンのオプニンは私じゃないんです。
およげたいやきくんは300万枚達成して、それはCDではなくレコードでの達成であるので、もうこれを越えるレコードの記録は無いと言われている。
実はこれは童謡でありながらアニソンの流れを受けている。
歌い手もアニソン歌手だ。
そもそもアニソンというものは童謡の流れを汲んでいたと言っていい。
子供向け。
大人向けが比較的にかなり複雑なメロディラインを駆使ひるするのに対して、子供向けは分かりやすいものを単純さとひらめき具合とか楽しさを重視する。
けれどもそれは決して大人だって欲しいものだ。
つまり音楽の原点、いやまあ子供向けというものはなんでもかなり原点というものが単純に含まれている。
だからまあ子供向けの仕事をしてるとかなり原点に帰ることがある。
分かりやすく、単純なひるがえりというものを見ることが出来る。
複雑さと単純さのコントラスト、そして。
たとえば単純さを心がけていても、かなり複雑になってしまっていたりする。
こういった時は場から見直すこと。
それは質と量だけを見ていると場が感じられていない時があるからなのだ。
場は共通であり、そこが土台である。
いやまー分かりきった話ではあるが。
原点回帰というものは初歩を学び直すという一面があるもんだ。
求められることが複雑になればなるほど、枝元や単純な原点は見えない時がある。
ここ、大事、テストに出るくらい大事だから。
アニラジ聞いていたって、昔のアニソンかかったりしないでしょ。
こゆのいまでは湯中部(ゆちゅぶ)で聞くしかないかな。
なんかアニソン全集とかもあるけども。

アメリカが移民たちによって、多彩な音楽を得て、その組み合わせが可能であり、またイギリスは同じ英語圏であることから、すぐに輸入がたやすいという特質がある。
日本は外国に負けないために個性よりも若干、学校制度など、かなり大きな箱を作って場を形成することに長けている。
別に音楽スタジオやライブスタジオが多くあるわけではないが、そういったなにかでかい場を供給して経済を発展させて来た経緯から、箱もの行政とか揶揄されることも多い。
いわゆる日本人のイメージに眼鏡をかけて、カメラを持っていてスーツを着ていていつも集団で寄っているとはここにもひとつ日本の強さとありがちさがある。



ウィキで歌のジャンルを検索。

ポップス
ロックンロール
フォークソング
演歌
アニメソング
童謡
替え歌


メロディ。
歌の上手い下手というものは、これは声優さんやパーソナリティであれば滑舌がいいかどうか。
ゲームであればプログラミングによる操作性というもので、説明がどうかその技術です。
これは歌手であればメロディラインの表現となります。
実際にはプロはひるがえりで歌を聞いたり歌ったりするのであってメロディラインは技術。
まあ最近はファンもひるがえりで聞くご時世ですが。
一小節一小節、一言一言にひるがえりのメロディライン。
それは曲もね。
その組み合わせ方。

メロディ
●●●2006−11−21 火曜日午後10時30分●●●メロディの箇所のみ追加でカキコ。

本来歌というものはオオカミの遠吠えのように人も吠えていた可能性もあると思う。
また自然の葉のさざ鳴く音や川の流れの音や雨の音などを反映して始まったとも考えられる。
そういった意味では、自然の音をメロディラインに直して行ったとも考えられる。
これはある意味ひとつの替え歌かも知れない。
枝元を感じることが、また新しい性質の扉を開くこと。
風が歌の元かも知れない。
そして空気が音を伝え、風が空気の運動であるならば、歌もひとつの風と言えないこともない。





しあわせの方向。
話す場やなになに会議とかは別にして、基本的に人の人生の9割は人の話を聞くほうが多い。
それは感じであって、実際には違うのかも知れない。
けれどもスタイルとしては、確立させて置くことがしあわせの方向となる。
認められねーとゆーのは良くあること。
それは多分自分だけでなく、相手もそうなんだろうな。
それは多分感謝の言葉ではないだろうか。
これは共通だと思う。
ありがとうというありがちから、色んな角度から得た感謝がひるがえりの反射となって認められたという気持ちになる、かなあ。
ひるがえりの量と質と場。
ひるがえりというものは絶対の直進性もあるが、相対の反射もある。
この反射の具合はウィンドウズのスクリーンセーバーで線が踊るものやなにやらがあるが、幾何学的にはこうであろう。
実際にはこのままでは意味不明なので、分かるように説明が入る。
この説明に技術というものは必要であり、また技術だけ上手くても、ひるがえりがなければ下手くそとかつまらないと言われることになる。



星騎。



あるぴじいのこと。
エンカウントとシームレスのコントラスト、そして。
エンカウントしてからターン制というものは、ウィザードリィで定着したじょーしきというものになっていました。
それは別にそういう派生の枝葉のものをずっと業界が作り続けたいたということ。
シームレスというもの自体は前からありましたが、洗練されたあるぴじいに導入されたのはここ最近のことです。



DSWii路線。
ファミコン路線とでも言うものがあれば、それはなんだっただろうか。
当初のゲームソフトの内容は、縦に移動するとか、横に移動するスクロールアクションが大半であった。
大ヒットしたドンキーコングやインベーダーなどは一画面であり、スクロールすらしない。
パソコンゲームではウィザードリィやウルティマが画面の移動に3D移動(元祖はさらに幾つかあるのかな(?))であったりした。
ローグはダンジョンが毎回変化するという斬新さ。
まさにあるぴじいの原点はここに帰依(きえ)すると言っていい。
この亜流をというか、派生した枝先をいま作っていると言っていい。
当初のファミコンはこれらのパソコンゲームやゲーセンにあるアーケードゲームも移植されて来る、すごいものだった。
ファミリーコンピューター
音声入力がツーコンのほうにあって、それに声を出すとゲーム画面に変化があるということにはずいぶんひるがえりを感じたものだ。
ここはスーファミ以降には継承されなかったので、DSにはサウンドデュアルしてあります。
プレステ路線は高機能、他メディアとのサンデュ、ネットへの接続でしたが、これはXbox路線にも、DSWii路線にも多少受け継がれています。



アニラジのこと。
アニラジというものはアニメトピアというものが元祖らしい。
アニメトピア
アニメラジオ
私が既にいた時なのかどうかはわかんねー。
途中から参加して行くのはまあ毎度のこと。



作品のこと。
ギャグとシリアスのコントラスト、そして。
若い人はギャグを、年寄りはシリアスを比較的多く好む傾向にある。
それだけシリアスな作品というものは、奥が深いというか、コーヒーや緑茶のような苦い味わいがあると言える。
2006−11−21 火曜日午前1時50分カキコ。
ダイの大冒険。
天地魔倒の構え。
これはドラクエをやっていて、ボスクラスは1ターンに三回くらい攻撃して来るのにヒントを得た。
左右の手で防御に攻撃にそして口で魔法を唱えている。
それも最大級の。
それだけのことなのだが、ボスクラスはつえーなーおいという話。
カヲルくんの台詞も迷宮に入る前の町の人の意味不明なアドバイスだが、なにか迷宮に入るとヒントになっているらしいという意味不明な台詞をアニメの台詞としてみた。
意味があるんだか、ないんだか。
はてさてな。



ひるがえり。
悩み事は悩む人に任せること。
難しいことは難しいことが出来る人に任せること。
ほっといていいことはほっとくこと。
こういったことがひるがえりのひとつであること。
そのバランス。
人は基本的に悩むことも多い、また考えることも多い。
そういったことに自分なりに距離を取ったり、バランスを取ること。
それによって、自分の出来ることもまた見えて来ること。
人は万能ではないこと。
共通、バランスを三点から取ること。
特殊、距離を三点から取ること。
個別、自分なりに三点を取ること。
もちろんケスバイケスで勢いで行けるならばそれもおっけい。
勢いの先の本質もあれば、バランスを取った先にある本質もあること。
サウンドデュアルで物事の先を読めるのは便利だが、本来は行動しないと見えてこないことをスルーしてしまっていることもある。
悩んで悩んで見えることもある。
楽をすべきとこと苦労すべきことのコントラスト、そして。
問題の緩和にはひるがえる話し合いが共通であること。
それは一方的にこちら側のことを言うのではなく、お互いの話をすること。
こちらの言い分とか立場の提示というものがひるがえりの個別。
そして特殊はひるがえりの結果であること。
悩みというものは考えすぎであり、バランスとしては長い目で見れば不安定であること。
たとえばパーティの逆は悩みを話す会。
これはお互いの言いたいことを順繰りに聞いてもらうこと。
それを定期的に開くだけでもずいぶん楽になること。
向こうの話を聞くことのひるがえりもあれば、こちらの話を聞いてもらうことのひるがえりもあること。
それって仕事帰りに飲み屋でくだを巻くのとどこが違うのって話ですが。
まあそんなこと。
家族とでも友人とでもネットでもおっけい。
サウンドデュアルはかなり圧縮系の考え方も出来ます。
考えがパンクする〜とか、頭がウニる〜とか。
いやまーそれはふつーに悩み過ぎていることかな。
逆にコンパクトに考えることも出来ます。
けれども便利だと不便な時もあります。
たとえばケータイがコンパクトに機能が揃っていて便利ではあるけれども、その反面、無ければ途端に困ること。
文明病とでも言うような一面もあること。
カーナビなどは便利な反面、どちらが北か南かとかの判断が出来るかどうか。
洗練されたものだけでなく、自然を感じる本来の力も必要なこと。
まーあたりまえな話でずが。
そこそこ。
こーゆー真面目な文章ばかり読んでいると鬱になるでよ。
たまにはギャルとあそぼー。とかとか。
眠るのはもったいないと思う人もいるようだが、ひるがえりのひとつではあると思う。
長丁場の時にちょっと昼寝のようなものをちょい眠ったりするとひるがえるかも知れない。
まあ寝過ごしに注意。
目覚ましとか録画機器はしておきませう。
経験(個別)と科学的客観的(共通)な視点プラス、それがひるがえりとなるかの測点(特殊、結果)。
それがひるがえりであるかどうか、自分に他人に本質に問うてみること。
まーどたまでっかちにならない程度にね。
でかでか。
歌とかで言うと、メロディラインでひるがえり、歌う時の声質にビブラートとでも言うかな、さらにひるがえらせる。
これはメロディラインが大きな縦の波というひるがえりであるなら、この声質にビブラートは横の小さな波。
これで螺旋の空間を、風を表現する。
もちろん作詞に曲にもひるがえり。
これでいまだったら固定CDで5万枚は行きますね。
後はまあ宣伝とか、歌い手はとかそゆことかなあ。
もちろん書いてないというか、本質というものは書けないけども、背中の本質もドライブ全開でひるがえらせるのはもちろんのことな。 これは声優さんの声の演技でも声質にビブラートというか、自分なりのひるがえりの細かな波を付けるのはおんなじ。
もちろん付けなくてもいい。
これはラジオのトークでも出来ます。
特にいい声の人はこれはファンには感涙ものになります。
もちろんバラエティだと進行のほうが速くて、それほど付けなくてもいいとは思います。
ふつーに話すのと、このビブラート付きはかなり違います。
ここぞというシーンではしてみてください。
いい演技とはリアクションだけでなく、またリアクションも必要ということ。
曲だと重低音とかにも気を付けるのかな(?)。
もちろん付けなくてもおっけい。
そのコントラスト、かな。
伽羅にも世界観にも風景にもひるがえらすこと。
伽羅は俳優さんとか声優さんの演技がプラスされるが、メインスタフとしてはたとえばアニメーションではどんな動きのひるがえりをする奴なのか、どんなひるがえりのスタイルを持っているのか、どんなひるがえりを感じてそのひるがえりを発展させる存在なのかをひるがえらせていくこと。
その積み重ね。




鈴鷹さんのこと。
鈴鷹さんの存在を認める方向性のひとつ。



作品のこと。
シリアス。
シリアスというものは、伽羅が思い詰めているとか、生き死にとか、恋愛がーとかそれは共通のとこ。
人生の岐路に立たされて悩んだり行動したりスルーしたりといったこと。
もちろん悩むこともある。
笑うこともある。
最近のホラーのスタイルはこの人生の岐路に立つことの生死でリアクションがきゃーというものが多い。
作品とは立体を色んな角度から彫り込むこと。
彫像を彫るように、ひらべったい絵でも立体空間を作り出すこと。
これは話でもおんなじで、ギャグでもシリアスでも立体的な作りをします。
それはこう思っていたのがこうだったというのも、立体的に作品世界をとらえていないと、なかなか出て来ません。
これはまあ漫画でもアニメでもゲームでも映画でもテレビドラマとか、共通のことかな。
色んな角度から面をとらえることで、多彩さやその透明さなど、自在に表現することが出来るようになります。
これは伝えるというか、説明する技法になります。
だから違うと思っていたものが、実は地球を一周したらおんなじ自分の服であったとか、そんな感じかな。
自分の背中が見えないということ。
本質も見えないけれども、その反射や機械の使い方による反射によっては見ることが出来ること。
ギャグは笑った者が勝つこと。
笑わせた者が勝つこと。
ギャグはそうゆーひるがえりであること。
笑顔の花。
シリアスもそうゆーひとつのテーマのひるがえりであること。
リアクションの反射のひとつですが、リアクションみっつが伽羅と伽羅にリレーされた時にひるがえりがひるがえること。
これはシリアスでもギャグでもそうです。
つまらないということなどは慣れのひとつであること。
慣れるとは、その物事の共通が見えて来ること。
これはサウンドデュアルで見つけた理論や理屈の共通ということでなく、やはり感覚としてのものであること。



●●●2006−11−22 水曜日午前1時47分カキコ。●●●
サウンドデュアル。
サウンドデュアルのひとつの大事な要素に両立があります。
どちらかではなく、どちらも成立させる。
これは矛盾というものが、こちらを立てるとあちらが立たず、またその逆であること。
機器や技術や作品や歌のジャンルなどの枝先を分岐させること。
これも否定の否定、ひるがえりとなります。
これは比較して古い枝のほうが古く見られますが、技術としては目新しくなくても、組み合わせるには常に大事なことのひとつです。
古いと言われるものにこそ、枝元にこそ枝が分かれるヒントがあります。
そしてその枝はいまも有効なものです。
ひるがえりとは枝が分岐した場面のこと。
それが進化であり、また否定の否定となります。
たとえば最初の単細胞がふたつに分かたれことから性別というかxとyが出来たと言われています。
そういった枝元、枝の分岐が連なっていまに至るわけです。
それは作品でも技術でもなんでもそう。
どれだけの枝の分岐を知っているか。
枝元を知っているか。
その組み合わせ。
それが新しい分岐へとつなげる枝へとなります。
これがいわゆるヒットとかなんとか呼ばれるものになります。
感情であれば恋愛とか感動とかそういった情動。
こういった分岐によって、ひるがえりによって時間は構成されています。
まあ、これだけサウンドデュアルというか、それを使う人が出て来れば比較してそのひるがえりは小さくなってしまうような気もしますが、それもまた大きなひるがえりへとつながって行きます。
技術革新といったようなことはいままでもあったことです。
枝の先へと行けばその枝先は小さくなって行きますが、この枝の分岐によって、その枝はさらに別の中程度の新しい枝へと変わって行きます。
これによって枝先はひるがえります。
固定された枝元を地道に探すことの積み重ねの量(データペース)。
そしてそれの組み合わせによる柔軟性の確立という質(新性)。
それによる場の変化という共通する一般への普及といったこと。
そんな感じでしょうか。
















2006年11月16日 木曜日 午後1時 〜〜〜 11月18日 土曜日午前2時




ども、鈴木憲ことたかさきはやと、略して鈴鷹(すずたか)さん。ベルホーク。愚痴ってないで書くのだおれ。ネクストスタイル。







ロックとか歌の話。
ももーいの最後のロックを聞く。
うーん。
いまいち。
なんでかと言えば、個人的には好きな歌だが、そもそも日本にロックで百万本なんて達成するほどの市場もファン層もないのだ。
ならまー作ればいいじゃないかという話だけんどもね。
女性バンドはヒットしないというジンクスをプリプリがやぶったように。
まーロックの場合は根本的にね。
ロックを歌う日本の歌手で、ロッカーと認められる人なんているだろうか。
筋肉少女隊とか、ラルクアンシエルだろうか。
いやいやそんなものロックではないという一言で終わり。
大抵のファンはアメリカのロッカーの名前を出すのではないか。
ロックファンだけでなく、音楽プロデューサーまでが日本にはロックは無いという。
ロックの元祖というものはプレスリーだとか、ビートルズと言われる。
けれどもその歌はいまのポップスと言われるものに近いもので、別にギターぎゃあぁあんなんてものではなかった。
もちろん枝元のひとつには違いない。
プレスリーはゴスペルからヒントを得たと言われていて、それは教会で歌われているものだ。
童謡やポップスやバラードやオペラいがいでも田舎ではロックの元になったロカビリーロックに都会ではソウルソングとかラップとか教会ではゴスペルが響く国である。
日本では演歌などかな。
国によってご当地ソングというものはあります。
そもそも音楽の土壌が違うのだ。
日本のロッカーをまずは育てるとこから初めないといけない。
それには何百年かかることか。
そーゆー世界だ。
ギタリストではかなりの使い手がいても、ポップス歌手の後ろで演奏してたりする。
そんな世界だ。
そもそも歌でヒットする共通はバラードだ。
固定CDで100万枚の金字塔を確立しているのは静かなメロディの歌ばかり。
これは世界共通のこと。
もちろんノリノリの歌でもありますけども。
たとえばポケモンのオプニンが300万枚行ったのはなかなか珍しいことだったと思います。
伽羅ソンとゆーか、アニソン的なコミックソング的な作りであるのにここまで行くのは実に珍しいことです。
やはり静かなメロディラインのほうが誰でも安定して聞くことが出来る。
ロックがドラマにおいてアクションものであるならば、静かなバラード系は名作ものやファミリードラマといったとこだろう。
プロというものは厳しい世界だ。
そも他人と比較されて否定されるなど、個性潰しに過ぎないことでも何度でも遭遇する。
お金を稼いでなんぼの世界だ。
それがプロ。
綺麗ごとなどなく、差別化するかどうかの世界だ。
この世界も厳しいもんだがそれが商売というものだ。
とーちゃん、おれはやるぜ。
がんばってひゅうま(木の陰からなみだ)てなもんだ。
一曲や二曲で変わる業界ではない。
けれども、ある程度求められるいい歌に答えながら自分なりの歌を模索するのも一策だと思う。



●●●2006−11−16 金曜日午前1時カキコ。●●●
ひるがえり。
歌や音楽を歌うのではなく、歌や音楽のひるがえりを歌うこと演奏すること。
絵を描くのではなく、絵のひるがえりを描くこと。
作品や番組のひるがえりを作る。
作品や番組を作るのではなく、作品や番組のひるがえりを作ること。
作品や番組を作りつつ、作品や番組ひるがえりを作る。
文章を作るのではなく、文章のひるがえりを書くこと。
文章のひるがえりを読む。
文章を読むのではなく、文章のひるがえりを読むこと。
文章を読みつつ、文章のひるがえりを読むこと。
歌や音楽を聴くのではなく、歌や音楽のひるがえりを聞くこと。
絵を見るのではなく、絵のひるがえりを見ること。
作品や番組を受け取るのではなく、作品や番組をひるがえりを受け取ること。
●●●2006−11−17 金曜日午後12時12分カキコ。
演技ではなく、ひるがえりを演技すること。
本質を感じるのではな、本質のひるがえりを感じる。
労働と賃金を交換するのではなく、労働のひるがえりと賃金を交換すること。
プログラミングするのではなく、ひるがえりをプログラミングすること。
踊るのではなく、ひるがえりを踊ること。
●●●2006−11−17 金曜日午後8時33分カキコ。●●●
伽羅を描くのではなく、伽羅のひるがえりを描くこと。
仕事をするのではなく、自分のひるがえりを仕事に活かすこと。
安全を守りつつ、安全のひるがえりを守ること。
アタクのひるがえりをアタクすること。
アタクするのではなく、アタクのひるがえりをアタクすること。
アタクしつつ、アタクのひるがえりをアタクすること。
商品を作るのではなく、商品のひるがえりを作ること。
等々。




●●●2006−11−17 金曜日午後10時39分カキコ。●●●
ひるがえり。


組み合わせによる質量転化。場による変化。これからひるがえるでしょう(未来形、可能性、将来への展望)。
普遍 共通 一般。

柔軟性の確立。質による時間。ひるがえっています(現在進行形、持続性、続く新しさ)。
特殊 集合 新性。

自在固定。量による数。ひるがえりました(過去形、現実性、課程が見えない結果)。
個別、蓄積、唯一。



一例としては。
話をひるがえらせる(ひるがえりの共通、組み合わせによる質量の転化、場による変化、未来形、将来への展望)。
話のひるがえりを続けている(ひるがえり特殊、柔軟性の確立、質による時間、現在進行形、続く新しさ)。
話をひるがえらせた(ひるがえり個別、自在固定、量による数、過去形、課程が見えない結果)。
かな。
過去形のひるがえりは自在に固定観念、自在固定となるが、それをひるがえりの進行形にすることで柔軟性を得る。
その場がひるがえるでしょうというひるがえりの共通である。
質とか柔軟性を取りたい場合は進行形のひるがえりで行きます。
これは続けて描いているなど。
あまり時間をつめていると柔軟性は低いようですが、続けていることで得る柔軟性と質もあります。
もちろん、一般的にというか大抵は柔軟性とか質のひるがえりを取りたいものであり、あまり時間の無い仕事などは取りたくないものです。
ひるがえりの未来形、過去形、現在進行形。
これがひるがえりの三段活用です。
ちなみにひるがえらない時はすべったと言いますが、受験生の近くでは禁句です。





千の言葉よりひとつのひるがえり。




●●●2006−11−18 土曜日午前1時10分カキコ。●●●
性質の方向性というものは、ひるがえりによって方向を自在に変化したりまた、別の点を見つけたりします。






2006−11−18 土曜日午前1時55分カキコ。
最近のわたしゃあこんなこと思ったりとかなんとか。
ここ五日くらい、アタクに殺気だったというか、鬼気迫るものが無い。
平たく言えば、アタクがバランス取れているというか、そんなにどかんどかんこない。
それだけ私も楽。
まあこれだけですぐにアタクする人たちの生活が1から10まで改善されてるとは思わないけども。
いやーまー楽ですな。
うんうん。
それはそうと、最近の若い人はというか、一般的に否定されることに弱い傾向にあると思う。
これは否定するほうもなにか苦手感が漂う。
仕事や生活をする以上どうしても否定することは多くあるもんだ。
まー緩和する言葉も混ぜとくことも出来るとは思うのだが。
それでもやはり否定の言葉に弱い傾向にあると思う。
前はそういうものはとにかく体を鍛えて乗り越えるもんだとか本を読んでとかあったような気がする。
それはいまもそうなのだろうが、なにか、ね、かなり弱くなった部分がある時代だと思う。
そこはかなりリスクを感じた一面である。
いやまー、経済だってなんだってまだ解決されたものばかりではないが。
否定と肯定のコントラスト、そして。
カノンがあがったので、えふえふを書き始める予定。
予定は未定さ、はははーん。
お菓子はやめて、キャベツを買ってぱりぱりしてる。
でも、最近キャベツ飽きる。
私は普段酒も飲まないし、煙草もやらない。
けれどもお菓子はそこそこ食べるので、それでちょい肥満気味。
でもキャベツとか野菜とか稚海藻(ワカメ)などの海草は比較的に量食べても健康にいい。
アニメではエンジェる〜んとかギャグ系を楽しみに見ている。
シリアスでは、ルルーシュというか、ロボットものが好き。
まーありがちではあるけどもさ。
これからもよろしゅうに。







ま、ね。すべてすっきりさわやかに一気に単純明快とは、なにもかもとはいかないけどもね。
なにかが分かったような気がしたらまた霧の中にいることも多いなあ。
それでもまー。
そこそこ。
着いて来いやー。
それではこれからもよろしくー。
んであ、また。
















2006年11月14日 火曜日 午後1時




ども、鈴木憲ことたかさきはやと、略して鈴鷹(すずたか)さん。ベルホーク。愚痴ってないで書くのだおれ。







鈴鷹さんのこと。
鈴鷹さんの視聴等々。
鈴鷹さんの視聴をする場合は良くも悪くも鈴鷹さんに左右されやすいため、安全第一(会社などの場合)、または家族第一の文字を表示させてとく。 アタクする場合は30分以上はさじ加減の集中力が持続しないと考える。
それ以上は一旦休む。
性愛撫はまあ口説いた系の女性ならば好きなだけかな。
男性や鈴鷹さんがいやがるであろう場合はリスクが発生すると考えること。
これは安全性の観点から、話をすること。
鈴鷹さんに難題をふっかけられた場合は、とりあえずスルーしておいて、棚上げしていろいろ調べたり、話を聞いたりして考えてみること。
これはまあ難しい話の時はどれもそうですが。
妥協策も緩和策となることもあること。



否定と肯定。
物事の否定というものはケスバイケスとはいえ大抵絶対の方向性を見ること。
たとえば質を下げないと言えば、それは流動する時流に対して否定となること。
いきおいがあればそれだけのことを維持出来るが、それはかなり長い時間や発展段階を過ぎると息が切れること。
これに対して肯定することも大抵絶対の方向を取ること。
もちろん比較的穏和な感じはあります。
これはどちらかということが、絶対の方向性になりやすい傾向にあります。
そのコントラストが相対的な対比。
または否定の否定、ひるがえりならば、バランススタンダードになります。
ただ、いつも身構えてバランススタンドードするぞーとかやっているとそれはそれでたいへんだよね。
条件付きとか言う場合はツインサウンドデュアル。
ケスバイケスであり、肯定や否定のように、即イエスノーのほうが単純明快という良さがあります。
難しい場面では、こういった場合はこうするという条件付きが多くあります。
ひるがえった場合は、それがバランススタンダードとなります。
大抵はワンとツインのサウンドデュアルで足ります。
サウンドデュアルまで必要となると、世界規模のことになります。
話がずれていてあわねーなーという場合は矛盾しているということ。
それが主観と違うならばワン、客観とならばツイン。
サウンドデュアルします。
否定の方向にひるがえりを感じたことがある人は、まずは否定する傾向にあり、それは肯定もしかり。
どちらの方向からでも別に本質に近づくことは出来ます。



 

鈴鷹さんのこと。
個別で言えば、鈴鷹さんが悪いのは分かりきっている。
共通で言えば経済運動。
特殊は良く分からないこと。
まあ、誰にも相談出来ないで収入ゼロで起きてるあいだはナイフのような痛みに耐え続ける。
ここまで条件がそろえばぶっ壊れるってもんだ。
もうひとつあるのは、鈴鷹さんだけではなく、助ける人たちもぶっ壊れたことだ。
これには鈴鷹さんに信念を置く猛進的な信者だからとか、鈴鷹さんの生活の破綻が転化されたからとか言われる。
鈴鷹さんの視聴自体が悪いわけではない。
けれども、それによって経済が下向いた時の余波にはじかれる人たちがいるということ。
それも確かなこと。
まずは安全第一、家族第一であること。
であれば、鈴鷹さんの作品も本人も見れるってもんだ。

データベースのひとつの作り方としては、この時にどんな悪いことにつながったかがひとつ、もうひとつはその時に作品とか機器はどんなものに参加していたか、さらには、その時鈴鷹さんがどんなことを言っていたか。
言っていたことについては、リンクを押して、全文は読めるようにすること。
その時代背景として、どんなことが起きていたか、どんなことに影響受けていたかの年代も付けて置くと俯瞰(ふかん)して物事をとらえる一助になると考える。
データべースの作成と閲覧。
それと、どう、こういったことを捉えていくかの話し合い等々。かな。



















2006年11月13日 月曜日 午前2時




ども、鈴木憲ことたかさきはやと、略して鈴鷹(すずたか)さん。ベルホーク。愚痴ってないで書くのだおれ。







ふしぎ星のふたご姫。
おかっちゃはもっと駄々こね伽羅でもいい。
「ほしーのほしーのほし〜のおーとってもほしーのお〜」
とかね。
親子でなんだかなあ、みたいな。
もっと魔法を使う時に楽しそうに踊って光ってみてもいい。
これは三人目の魔女っ子について。
リズム取って楽しげに。



ひるがえり。
ひるがえりで伽羅立てすること。
伽羅が立てば、その伽羅の情動がひるがえりとなること。
光りが反射で認識するように、伽羅を認識するのはリアクションであること。
これがじょーしき。
それをずらすと、リアクションのないレイのようになったりすること(無反射)。
それが反射することで、ツンデレのひとつとなること。
光りだけの世界ならば、それはエーテルと同じで認識することは無いこと。
反射やコントラスト。
その個別。
これは経済でもなんでもそう。共通。
音楽なんかでも伽羅を盛り上げるその伽羅ためのテーマとかね。
バラエティにも 場面にもとか。
この反射とコントラスト。
そこにひるがえりは普段は遣(や)り繰りしていること。
反射がないとふつー無視されたーとかなってひるがえりが得られなくて悲しいこと。
食事やカルシウムなどとおんなじくらいこのひるがえりは必要なこと。
またこれに自立した場合は無の境地とか依存しないとか言われたりする場合があること。
そして本質を反射すること。
本末転倒。
苦情歓喜。
罵倒乱舞。
武部須賀。
天機銘々。
アニメのひるがえりだと、風に揺れるカーテンとか。
その揺らめき具合は風という見えないものが見えること。
それはまあ気持ちという見えないものを見せるのとはまた別のひるがえり具合であること。
普段当たり前にあることがひるがえって感じられること。
それが情動による感動とか、いいものであること。
これは新しい機器にどんな新しい機能があるかではなく、それによってどんなひるがえりがあるかにヒットする要素が隠されていること。
普段当たり前にあると思っていること。
または無いと思っていること。
そのコントラストにあること。
石を手に取る伽羅。
−−きっとこの人には見えない景色が見えているのだろう。
とかなんとか。
●●●2006−11−14火曜日午後11時2分カキコ。●●●
たとえば歌では腹から出した空気を喉(のど)とか口の中で反射させること。
メロディラインでも波立たせてひるがえらせたりしますが、さらに細かく口の中でひるがえらせる音程。
これが歌の極意とでも言うもののひとつです。
もうひとつの極意としてはまとめること。
コンパクトさ。
そもそもこんな歌の一曲とか作品のひとつの話に本質なんて収まるはずもなく。
けれどもその一端を響かせるために頑張っていること。
そゆこと。
●●●2006−11−15 水曜日午後10時58分カキコ。●●●
時間からずれること。
四季や雨期乾期、朝に夕方に昼。
自分なりに感じた時間。
時間が螺旋上昇していて、横から平面に見た場合に波線ならば、そこからどうずれるか。
それが大きなひとつのひるがえりであること。
たとえばハウス栽培の野菜は季節外れでも入手出来ることで、その特性を示した。
そんなのはいまでは目新しくなくても、当時はそれはやはり画期的なことだったのだ。



















2006年11月13日 月曜日 午前2時




ども、鈴木憲ことたかさきはやと、略して鈴鷹(すずたか)さん。ベルホーク。愚痴ってないで書くのだおれ。







鈴鷹さんのこと。
鈴鷹さんの活動は他に類を見ない。
一人での活動であること、予算ゼロであること。
ので、コンテとか経済とかのように、レベル10プラスプラスアルファ。
これ以上は無い。
なんのレベルかと言うと。
なんだろうか(?)。

鈴鷹さんが共通して求めて来たことは。
創作の現場に入りたいということ。かなあ。
特殊としては、いるようないないような不安定さかな。
個別には一人での活動であること。

あーだめだ。
現場に入りたいというのは私の希望であって、特殊と個別のほうは状況になっている。
こういったごっちゃになってることも、サウンドデュアルならばそれを明確に認識出来る。
希望には希望の共通と特殊と個別がある。
状況ならぱ状況の共通と特殊と個別がある。





赤ずきん。
わんこうの一言がおもろい。
これが一般視聴者、つまりお子様が正しくひるがえりを感じるとこ。
シリアスなシーンだとやっぱりじじいの真摯な姿勢かな。
あとは変身シーンがやはりいい。
個人的にも好きだし、マニアにも受けるでしょう。
あー予告が一番面白い。
それっていいのかなあ……。
ま、いいか。
これはブリーチとかとは違っていて、凄いアクションが見たいぜーというのがメインでは無いと思う。
まーそれでもいいけども。
これってジュブナイルだよね。
赤ずきんたちは子供というよりも、かなり中性に描かれている。
年齢も性別も。
それはまあ、しょうたとかもそうだけれども。



ひるがえり。
伽羅のリアクションの数量でひるがえりも表せる。
伽羅が十人も出れば30分の中でそれぞれを丹念に描くのは困難。
けれどもひるがえりを見せること。
それをテーマにすることで、ひるがえったことで伽羅の造形もしていくこと。
ひるがえりとは、普段とは違うことの提示によって、ひるがえって普段のことが分かること。かな。
当たり前にある愛情が、それとは違うことを感じてひるがえって普段の家族の愛情を感じるとかかな。



















2006年11月13日 月曜日 午前2時




ども、鈴木憲ことたかさきはやと、略して鈴鷹(すずたか)さん。ベルホーク。愚痴ってないで書くのだおれ。








−バランススタンダード−。
地球の回転を軸が支え、独楽(コマ)が回転するのを大地が助けるように、地球の回転を太陽の重力が支えること。
そして太陽はもっと大きななにかのバランスによって成り立つこと。
海の波のひとつから宇宙の重力まで、それはバランスされて成り立っていること。



−−−
PSPって。



−−−
たいへんだとビジュアルアタクしか見えなくなってまうよね〜。
聞く人の気持ちは見えなくなってまう。
良くある話だなうんうん。



鈴鷹さんのこと。
電子銃は放送局にもあって、それを声優の関さんがビッグバン聞いていたら私の性器を触ってくることを言っている。
やめて〜と言ってもだめだ。
なんだかなあ。
これはなにか前に言ったことで設置されたらしい。
96年くらいからかなあ。
どうしたらいいのか分からなかったな。
もーどーにでもなれみたいなとこもあった。
それがいまだに続いている。
女性の声優さんが触っていれば楽しいでしょうと言われれば、そうかも知れない。
けれども男性の人もたくさん触っているという話でもあり、なんだか微妙です。
女性の声優さんならばいいのか。
いやもーこれはやめたほうがいいのではないか。
そのほうが矛盾はなくなるでしょう。
分からないけども。
いやまー女性だけというのがね、徹底されるならばいいとは思いますうんうん。
これは非合法系のアタクチームが使っているのとはおんなじものだが、かなり時期的には違うかも知れない。
どのテレビ、ラジオ局にも鈴鷹さんの視聴と電子銃はある、のかな。
新聞とか雑誌もそうかな。
撤去してるとこもあるかも知れないが。
タブー視されるにはそれなりに言えない大人の事情があるものである。
それぞれにね。
アタクチームによって桜井智さんの片目がつぶされたり、宮崎監督の片腕が切られたりしている。
これはアタクされてナイフ刺されるような痛みに耐えていた時に私が言ったという。
起きている時ずっとであったな。
正気ではなかったでしょう。
それでも作品は作ってはいたけども。
いやまーそういう時の切羽詰まった時に言った馬鹿なことはしないようにとは言っても実際にはほんとになってくる。
アニラジで聞いた時は三日くらいくらくらしていた。
三日かよ。
どーしたもんだろうか。
これはもーもーしわけない。



鈴鷹さんのこと。
なにか感じること。
共通としては、鈴鷹さんを個別個人的には嫌いとかくたばれーとかはあっても、鈴鷹さんの方向で大まかにはいいという感じを受ける。
まあいいことも悪いこともありますが、いいことのその方向性でいいという大まかなみんなのそれぞれの意志というようなものを感じます。
特殊としてはどうしていいか良く分からないというような暗中模索といった感じでしょうか。
個別は人それぞれてなもんでしょうか。
そんな感じを受けます。
これは私が作品作りとかに出て来た90年代初めからいまに至るまでずっと感じて来たことです。



鈴鷹さんを好きなこと。
共通としては、鈴鷹さんを好きだと言う人はそうであるということ。
それに対して私は共通に好きだと言うこと。
特殊としてはずうっともやもやして行くこと。
個別には、一人だけにしゃがれ〜と言われた場合は声優の林原さんとゆーことかな。
そんな感じでしょうか。
まーこんなことをサウンドデュアルで整理してまとめちゃっていいのかどうか分かりませんが。



鈴鷹さんの馬鹿なとこ。
そんなにも凄い(?)鈴鷹さんが全盛期の90年代特にネット構築とかエヴァとかやっていた時は、やはりサウンドデュアルをひるがえりを一生懸命やっていたと思います。
それなのにかな〜りだめなとこも多いのは、やはり共通としてはライフバランスというか場がありますが、特殊としてはもやもやさせといて、個別には鈴鷹さんはピーだから。
このピーのとこには好きな言葉を個別それぞれにお入れください。
そこに変人でも変態でもエロ仙人でも馬鹿でも天才でも神様でも狂人でもなんでもまーこれはいいので、はい。
共通で言えば、ライフバランスというか、生活が改善されて個別のとこを理解していれば、特殊たる結果はそこそこ大丈夫でしょう。
これはまーライフバランスが良く、その個性を理解していればというのは誰でもそうかも知れませんが。
冒険に旅立つ時はどこへ行ってるのでしょうか。
はてさてな。



鈴鷹さんは路線というか、共通して出していた方向性、その性質というものはなんだったのか。
個別にあれやこれや言っているのはそれぞれ。
特殊は課程が見えない結果。
では共通することはなんだったのか。
私が6歳の時からこの状況が始まったとすると28年間これは続いていることになる。
いまの言葉で言う、固定観念をひるがえらせたと思う。
たとえば悪いのはお金なんじゃないの、とか。
その時は素朴な言葉であっても、いまのサウンドデュアルに通じるようなことを言ったりしていたと思う。
それによってそれまでの固定観念に柔軟性が得られたこと。
それが凄いものだったと思う。
それから私がなにか言ったことに対して、世界の著名人たちが反応し初めて行ったこと。
それだけハクが付いて行ったこと。
それだけの著名人が支持するならばなにか凄いことに違いないというなにか、一種悪く言えば私が物事を左右し初めたこと。
高校生の時から家に籠もってからは、意識的に固定観念をひるがえらせて、柔軟性を得ることに参加して行くこと。
それは圧倒的な支持だったと思う。
それだけでなく、作品などへの自在固定も行っていた。
これが作品群になって行く。



鈴鷹さんの性質による方向性。


普遍、共通、一般。
固定観念の柔軟化。

特殊、集合、新性。
課程が見えない結果。

個別、蓄積、唯一。
性質の自在固定。



これはいまサウンドデュアルと呼ぶ概念の式とでも言うものを感覚的に使っていたということがある。
サウンドデュアルが本質を響かせている一端があること。
ここに私の圧倒的な力となったと思う。
実際の科学にどこまで力となるかはまだ検証の余地があると思う。
けれども、少なくともみんなの中にはすごい感銘というか、感動のようなことを呼び起こしたと思う。
これはひるがえり、否定の否定、進化とかいうものであるとしてもいいと思う。
その行動による結果はともかく、その性質と方向性は非常に支持されたと言えるのではないだろうか。
















2006年11月11日 土曜日 午後7時




ども、鈴木憲ことたかさきはやと、略して鈴鷹(すずたか)さん。ベルホーク。愚痴ってないで書くのだおれ。






ひるがえり。
たとえば無口な伽羅とか。
活発な伽羅。
あるいは熱血伽羅など。
その枝先を見て、面白かったとか、感動した伽羅のその発展系を作ることが、またいい伽羅を作り出すこと。
いい歌だと思ったその発展系を作っていること。
もちろん組み合わせによって、新性も作ることもあり得ます。
まーそれは結果ですけども。
これは作品の系譜とかありますけども、自分の中にも自分が面白いと思った感動した作品のその発展系を作ることで発展段階に入る。
つまりは作品を作り出すこと。
絵でも歌でもそう。
経済や政治などですら、そのありものの発展系であって、一気に誰も知らなかったものを作り出すことは難しいこと。
まったく新しいと、逆になかなか評価されないというか、認識出来ないこと。
少なくとも手堅い商売としては、ある程度の発展系でありながら、それでいてちょと新性とか独自性があるとなおいいということ。
そこそこ評価されても、たとえばこーゆーこの絵の分野では、あまり生計が立たないので別の仕事しながらとかは良くある話。
ひるがえりの組み合わせが出来る場を作る。
それだけで、あとは自然とひるがえること。



んであ、また。



















2006年11月11日 土曜日 午前1時




ども、鈴木憲ことたかさきはやと、略して鈴鷹(すずたか)さん。ベルホーク。愚痴ってないで書く。






状況と自分そして。



ひるがえり。
ワンツースリー、ハイこうなりました。
これがひるがえりとなります。
この場合は4コマということ。
また起承転結であること。
1コマ目で場を表す起。
そこを基本としたずれて行く動きを描く課程が2コマと3コマ。
これは承と転となります。
4コマ目がずれの結果となる結となります。
別段4コマだけでなく、たとえば動作であること。
銃を撃つシーン。
打っている人倒れる人。
そのあいだに薬莢がからんからんと動く様を入れる。
これは漫画の攻殻機動隊のワンシーンだが、こういう一動作もひるがえりであること。
その積み重ね。
そのバランス。
そのバランススタンダードであること。
てなとこかな。
これはあらゆるひるがえりの基本基礎螺旋上昇であり、ここからずらすことも可能。
歌でもなんでもそうね。
まーこれは作品だから見せることが出来る。
経済の場合は商品とお金の交換。
労働と賃金の交換とかは見えないもうひとつがあるので、ここでひるがえっていると言える。
ひるがえりとは三点の上昇螺旋が描くバランス。
三点が回転する螺旋上昇があること。
それがバランスすることが本質であること。
基準基礎からずれることでうまれる面白さ、うまさ、感動とゆーか、ひるがえってその基本が分かったりする。
ひるがえりとは三点がバランスするということ。
エンヤとかだと、バラードというか、静かな歌が秀逸でさらにクラッシック楽器を聞かせてくれる。
これはやはり国策として伝統の楽団などがあったり、比較的安くて聞く機会があること。
最近の音楽って後ろでギターぎゃあぁああんてなもんで、たまにドラムスとかいるとかゆーのが基準基礎になっている。
アニラジであれば、アニスクで、日高さんだのび太さんだーとはゃしばらさんだーとか新しいとこだとハルヒラジオとか田中理恵さんのとかアニスパとか、そういうものを基準基礎にしてずれること。
まーもっと夕方とか昼のラジオのほうが良く聞かれているけども。
伊集院さんだ所さんだーとか高田さんだーとかなにか知らない名前だけども軽妙なトークだなーとか。
長く続いている番組はそれだけの理由があること。
新しくていきおいある番組はノリノリだね〜ということ。
コンビニなどのチェーン展開の弁当は外食の店や家庭の味を基準基礎にしてそこからずれること。
外食の店は弁当や家庭の味を基準基礎にしてそこからずれること。
そして家庭は外食と弁当。




ひるがえり。


組み合わせによる質量転化。場による変化。これからひるがえるでしょう(予測)。 普遍 共通 一般。

柔軟性の確立。質による時間。ひるがえりました(結果)。 特殊 集合 新性。

自在固定。量による数。ひるがえっています(進行形)。 個別、蓄積、唯一。



千の言葉よりひとつのひるがえり。







鈴鷹さんのこと。
まだアタクされてますー。あー。
木曜から金曜にかけて特にアタクされることが多い。
アタクする人たちも休みになるというか、手があくのかな。
まーアタクする人たちの生活は破綻してるだろうと思うので、生活保護受けられたらな。
声優さんもアタクされてもうだめだーと言っている。
アタクで声優さんやスタフが血みどろになって放送するラジオなどもある。
これはここ二年ほどのことである。
私もアニラジで聞いた程度なのでどういった被害が出ているのかは詳しくは知らない。
隠そうとするパソの子もいれば、ある程度話す人もいる。
これは話がオープンになれば、鈴鷹さんや助ける人たちがなんらかの不利益を得ることを懸念しているのかな。
私は情報はいずれオープンにすべきとは思う。
そうとう怒られそうだけどね。
許してやれ。
日本軍が停戦調停することも出来ずにとことん負けて行くのは、やはり情報が出ないことにひとつは起因すると思う。
まーねー。
ケスバイケスというか、どうしたらいいかなんてわかんないけどさ。
話せるようになったら話すとか。
それは状況とか話してもいいかなーと思ったらとかいろいろあるのではないだろうか。
ステレオタイプというか、右から聞いたことを左へというのはまあ気を付けて、事実確認とかね。
ともかくもアタクする人たちに生活保護を〜。
まー私もてけすたーと言っても人が来ない。
手紙を書いてもだめ。
結局2003年頃に病院に行ってやっと生活保護受けられた。
それからは生活がだいぶ楽になった。
比較だけどもさ。
今日はバイトから帰る途中からアタクされる。
一眠りして、午後6時過ぎに起きる。
それからもアタクされる。
今日はずいぶんされる。
今週は少なかったなーと思っていたら、かなりくる。
こういう時は刺激がだめ。ラジオとかテレビとか性愛撫とかとにかく刺激がだめ。
ならばラジオ聞かなければいいじゃんて話だが、それはそれで不安なのかも知れない。
良く分からない。
ラジオの向こうでだいじょうぶですかーみたいなこと。
今日はぱよを聞いている。
前にメールの一通も送ってくれないなら、ネットラジオとかで直通生放送にすれば話が出来るのではと言ったら、ほんとにそうなった。
なので、私がネットラジオとか歌を聴く時、本人が歌うライブになったり、生放送になる。
これには驚いてしまった。
いやまーそんなに無理してすることないよーとは言ってみたりする。
それでも話は出来ないが、まーこれも緩和策として言ったことだったのかなあ。
見るだけでは、鈴鷹さんの生活不安は転化されこそすれ、改善は望めない。
どーしたもんかなー。
良く分かんねーことはさ、昔からいっぱいあってさ、時には神妙なことに求めたりして、疫病が流行っているのは魔女せいだーと言って拷問して魔女ですと言ったら火あぶり。
追いつめられた状況というと、日本軍の特攻とかね。
ふつーに生活出来たら良かったなーというのはみんなおんなじ。
まーねー。百年二百年たったら、のちの人がこれはこういうことなんだと理屈立てて説明してくれるでしょう。
それによって緩和策組んで、解決する、かも知れないよね。







難しいことは難しいこと考える人にまかせよー。



鈴鷹さんはいい人だとは思うが、作品を作っている鈴鷹さんはもっといい人だと思う。









商売とか行政とかその結果とは。


状況(予算と時間と人数)。
普遍、共通、一般。

確率。
特殊、集合、新性。

個人。
個別、蓄積、唯一。


いいものにするには、予算と時間と人数の確保。
必ずしも予算だけあってもだめで、これらの三点のバランスが大事となります。
少額でもそのバランスが取れていること。
たとえば予算取れないならば会社や役所への拘束時間を少なくするとか。
長い時間拘束される時もあれば、早く帰ってもいい時もあるとかね。
締め切り前にアルバイトでもパートでも増員するとか。
その分普段はそこそことか。
まーそこは配分とゆーか、いろいろ話してみてくれー。
これが共通の対策、共通のひるがえりとなります。
個別にはその人だけが持つひるがえりである個性は十人十色のために、これはそれぞれの個人がどうひるがえりを出せるかもあるかな。
特殊の確率は共通対策と個別対策から押して行くことで、いい結果へとなるといいなあ。
まーふたを開けないことにはね。分からんね。

経済も螺旋上昇していて、それを横から見ると波線になる。
お金が作り出す空間というものは上下を繰り返していて、経済が下向きである時は、その余波を受けて戦争や犯罪や自殺などで人がはじかれていく。
ライフバランスなど、生活を守ることで、この動きに一定の安定性を得ることが出来る。







今日はプレステ3発売かー。
あきばあたりでは徹夜で並ぶオタクが寒いよーと言っていそう。






冠弦楽装 イグザリオン







今日はバイトあがってからアニメを見て眠り、いまはアニラジを聞きながら作品について考えている。
個人的には作品を作っていれば幸せだなー。
だからまーねー、私は一貫して作品作ってられてそこはもー幸せですよ。
めーわくばっかかけてすまーん。
いつもありがとう。
ま〜これからもそこそこよろー。
んであ。






















2006年11月9日 木曜日 午後7時




ども、鈴木憲ことたかさきはやと、略して鈴鷹(すずたか)さん。ベルホーク。愚痴ってないで書く。






鈴鷹さんのこと。
鈴鷹さんが生きてるあいだにたとえば女性のことひとつ取っても解決するとは思えず。
この矛盾はほとんどスルーというか棚上げかな。
無限の数式をギリシャ時代の数学者は考えあぐねていたが、一人の数学者が棚上げすることを提案。
実際にニュートンの時代まで行かないと扱うことが出来なかった。
外堀を埋めるというか、実際に解決するまでには数百年かかることも多い。
こういったことから、これは緩和策を組んで行くにしても、すぐにどうなる矛盾かは分からない。



ひるがえり。
作品で伽羅を作る時には自分がひるがえりを感じた名前を伽羅に付けること。
それはミドルネームとか、愛称とかでもいい。
また、有名作品の伽羅と似てしまう場合はたとえばアスカであれば、男であったりと意表をついてもいい。
ひるがえりを作り出すには、歌であれば、歌を聴く必要があります。
自分がひるがえりを感じた歌をアイポッドでもウォークマン他でもとにかく聴いて聞いて聞く。
それによって洗練させたひるがえりを自分なりに発展させて歌を作る。
これは絵でもコンテでもコマ運びでも文章運びでもトークでもカメラワークでもアニメでも演技でもそう。
声の演技やトークなどもアイポッドやウォークマン他での管理も良。
まー映像の扱えるこういった携帯系のメディアルも多い。

ひるがえりを感じない言葉は嫌な気持ちさせたり、理不尽に思えることが多い。
日々の積み重ねがなければ生活が成り立たず、その積み重ねによる固定観念や固定をひるがえりによって柔軟性で解きほぐすことで、常に性質や方向性は変化することが出来る。



ネギま!?
コンテレベル8〜9.5を行ったり来たりしている。
ここでのコンテレベルは10が漫画とアニメの鉄腕アトムとか漫画とアニメの鉄人28号に漫画とアニメのマジンガーZにファーストガンダムとかマクロスとかエヴァとか石ノ森コンテとか庵野コンテとか富野コンテとか鈴鷹文字コンテとか士郎コンテとかである。漫画のコマ運び含む。
まーなにか亡くなったことになったご本人が描いてたりしますが、まー気にすんな。



















2006年11月9日 木曜日 午後12時




ども、鈴木憲ことたかさきはやと、略して鈴鷹(すずたか)さん。ベルホーク。






ひるがえり。


組み合わせによる質量転化。場による変化。これからひるがえるでしょう(予測)。 普遍 共通 一般。

柔軟性の確立。質による時間。ひるがえりました(結果)。 特殊 集合 新性。

自在固定。量による数。ひるがえっています(進行形)。 個別、蓄積、唯一。



ひるがえりを地道に積み重ねて固定や固定観念するというのも変な話ではある。
ひるがえりは柔軟性を出すためにすることが多い。
けれどもひるがえりによる自在固定によって、たとえばそれはどの商品や文章や絵や機器の部品を作るために固定すること。
日々の行動は積み重ねによって固定するものであり、それを選ぶのもひるがえりならば、柔軟性を出すのもひるがえりとなる。
ひるがえりによる場の変化というものは、いま見える枝先の点を幾つか組み合わせることで、まったく新しい変化を場にもたらすこと。
これは場であるため、共通となる。






ひるがえりで鬱をひるがえらせてニュートラルなスタンスにするのも可。
そのバランス。
いやまーうじうじしてるのも好きですけどもさ(笑)。



子供は遊ぶのが仕事です。



音声自力で変換中。



ひるがえり。個別幾つーかーな。
個別を書き出して行き、量数がたまったら共通を出して、特殊を推察する。
これがサウンドデュアルの推量のひとつ。

−−うおおお、鈴鷹さんが追っかけて来る〜とりあえずダッシュで逃げる〜まだ来る〜なんで〜ぜっはっぜっはっもうだめだ〜(しゅがみ……ゆっくりと振り返ると)と、鈴鷹さんはバーゲン終了に地団駄踏んでいる。う〜んなるへそ〜。とか。
ですのーとよろしく「おれはこうとするならば相手はこうくるするとおれはこうする」と勝負に勝ってしまう主人公。「おれの裏の裏の裏の裏の裏を読んだのかー」「いや、なんにも考えて無かった」がび〜んと、さらにもうひとつ、実はそれは必然であったーというオチまで持って行くとかね。
「最強の右手の剣と最強の左手の盾、これこそ最強」両者をうまくぶつけて砕く。
一日20はひるがえり。などなど。
歌なども歌詞を作ってからさらに替え歌をここはこうとかセルフパロディというか、そういうことを作品とかでも作って行く。
その本筋からずれ続けて行くと、そのじょーしきというか本筋からの外れ具合がひるがえりとなる。かなあ。



隣の家に塀が出来たってね、へえー。
さて、この文字を変えて見る。
隣の家に塀が出来たってね、ブロック。
隣の家に塀が出来たってね、くまさんぷー。
隣の家に塀が出来たってね、コングラッチェイション。
隣の家に塀が出来たってね、へいへいほー。
最初の一言がじょーしき、みんなが認める基本基礎であるとすれば、その後のは組み合わせによる変化。
このずれが生み出す力がひるがえりとなり、人の感じる感受性を磨き、時間そのものを進める力。
進化、否定の否定。
それは現実の進化、現実の否定の否定にもなる。
機器類を発展させることも可能。
なにかのシステムを進めることも可能である。



静かなバラードとノリノリのポップス。



















2006年11月8日 水曜日 午後12時




ども、鈴木憲ことたかさきはやと、略して鈴鷹(すずたか)さん。ベルホーク。




アニメについて。
90年代は私のアニメ作品の占有率が高いために、自分の苦手とするジャンルでも作っていました。
ホラーとかね。
けれども自分がホンコンセプトというか、ほとんど脚本を手がけたものには入れなかったものとしては、恋愛もの。
それも少女漫画に出てくるようなべたべたのもの。
「あなたがいないとあたしはだめなの」とか。
「そうだね」きゃ〜みたいな。
それと青春もの。
「先生、あの夕日がぼくたちを応援してくれているようです」
「よしみんな、これからあの夕日に向かってダッシュだ。行くぞ!」
「おー」
夕日に駆け出して、そこで主題歌が流れだす。みたいな。
これはいまだに苦手とするものです。
いやまーいまどきこんなべたなのは本家の少女漫画やトレンディドラマでも滅多に最近は見ないけども。



















2006年11月8日 水曜日 午前3時




ども、鈴木憲ことたかさきはやと、略して鈴鷹(すずたか)さん。ベルホーク。




国民保険等々、国が提供する社会保障は国民の数が多いほどたいへんであり、一筋縄ではいかない。
億を超すようなそんなでかい国は比較的に年金などを整備するのが難しい。
それだけの資金というか、元手が必要になるため。
いかな大国であっても、これをすぐにいますぐやる〜とはいかなねーなおい。
生活保護などがありゃあいーじゃんて話であるが、それがうまく機能するためには、資金だけでなく、いろんな人の助けやボランティア等々がいるため、資金だけの話じゃーないじゃない。

生活保護の共通のひとつ。
悪いことする人やだめな人というのは、生活が破綻していることが多い。
これはまわりのサポートがうまくいってないとか、社会情勢などなど、状況もある。
一見うまく生活してるように見えても、こういう行動に対してだめな場合、特殊を逆算してその人の生活は破綻していると認めて、生活保護を受けるのがいい。
それだけその人には生活する能力というか、甲斐性がない。
かなり生活レベルは低いと言える。
ライフスタイルも相当いまいちと言える。
外に出ることは出来るか、友人はいるか、癒される場所があるか、仕事労力に対してそれなりの対価を得ているかなど、総合的に生活レベルが低いことが共通している。
きわどいこと、というか、かなり嫌なことを言う人も、これはそれだけ生活がほどけていると言える。
若いから無鉄砲というのは別である。
もちろん若い時はそんなに生活レベルがいきなり高いわけではない。
またお金があるから甲斐性があるわけではなく、生活に響く使い方をしてしまったりと、それはまあケスバイケスである。
生活が破綻してる人にだめなことやめなさいと言ってもだめさ加減が良くなるわけではないのは、言ったからと言って総合的な生活レベルが上がるわけではないため。
行き過ぎると権利制限されることがある。
この愛すべきだめな人たちよ。



ひるがえりとは、楽しいと感じたこと、嬉しかったこと。
実はこうだったーとかゆーこととか。
まあいろいろ。
ひるがえりを感じた仕事などが天職となることが多い。
まー慣れてくればどんな仕事でもひるがえらせられるもんです。
まーあたりまえですが、歌を初めてうたったわけではなく、その枝先を発展させることで歌をうたうわけです。
楽しいと感じたこと、なるほどと思ったこと感銘を受けたことの枝先を発展させると発展段階に入ります。
これが原点となるので、なにしてるんだっけと迷った時はここまで戻って来る必要があります。



アニラジとかさ。
前にも言ったようですが、
最近の話とかしてほしいなー。
いやまーそれはいわゆるブログ的なもので、最近のラジオではその流れをくむようです。
ネット前からもラジオにありましたが、ネットによって非常にそういう日記というものが高く評価されました。
公開日記がなぜ評価されるというか、ひるがえりを感じさせるかというと、そういう日常ということを大事にする姿勢のようなものでしょうか。



作品とかでもさ、おれあこうだぜ〜とかいう作品でもなく、楽しい作品を楽しみたい。
いい作品を楽しみたい。
これあまあ歌でもなんでもそうだけども。
おれさまこうだぞという仕事ではなく、いい仕事がいい。



ネットことごと。
ワールドワイドウェブの名称は……、日本のSF小説ダーティペアから取っていま。
これは問題があるとこに派遣されるコンサルタントのある女性二人組がラブリーエンゼルというコードネームで呼ばれているんですが、その結果、惑星とか破壊して来るとこから付いたふたつ名、あだ名がダーティーペアと呼ばれています。
こんなふたつ名で呼ばれるのはスレイヤーズでも、どらまたリナとかあります。
この二人が所属してるとこがWWWA(すりーだぶりゅえー)というとこなんですね。
でこの略語の呼び方はなんだろうなーとか思っていた。
ワールドワイドななにかなんだろうと。
ネットは雑誌とかで読んだのかなあ。
パソコンがあるのは知っていた。
中学三年の時にパソコン部というのがあって入っていた。
パソコン出来る人がいないので、ファミコン持ち込んでゲームしたりテレビ見たりしていた。
なのでさわり程度。
NECのPC88とか数台、98が一台あった。
88はカセットテープでデータ読み込むので、すげー遅かった。
98はフロピーディスクが付いていたなー。
しばらくはテレビゲーム機でゲームをしていたのですが、きつねうどんさんが高校生の時だかに電話回線を使ったパソコン通信を見せてくれて、それがパソコンというものの可能性を感じた時です。
パソコン通信でフロッピーディスクにダウンロードした文字データをうちのワープロで読んだりしました。
私は高校生の時に買い換えにともなって古くなったワープロを親からもらいうけ使っていました。
フロッピーディスクしか付いてない素朴なものでしたが、それからは書いていたどこに送るでもない作品の設定やら小説やらを書いていました。
だもんで、画面見て打つのはこの時に覚えました。
独学なので、ただ打ち込むだけ。
うちにパソコンが来たのは95年の時で、ウィンドウズ95の入ったブレッツアという東芝のパソコンでしたね。
そのちょい前に古いパソコンをもらったのですが、これはドスのみで動いているようなマシンで、薄い紙のようなフロッピーディスクが動くもので、それはほとんど使いこなせないうちにブレッツアになりました。
つまりネット構築参加はパソコン持っていない状態での参加でした。
きつねうどんさんとこで触らせてもらう程度はしていました。
それも頻繁にではなかったので、かなり限られた情報の中で構成したような。





能力主義と終身雇用制度。
能力主義でやって行くとすごい力といきおいがある。
けれども稼いで来るのは非常にたいへん。
営業とかセールスで歩き回る人とかね。
アニメーターも能力主義。
何枚描けるかの出来高制。
それだけのマンパワーが発揮されますが、発展段階を会社が過ぎるとかなり厳しくなります。
能力主義で運営する弱小の会社などは倒産する確立も高く、それだけ能力主義というものは栄枯盛衰が強い。
一気に業界の覇権を取ることも夢ではないが、負けた時は即倒産。
歴史も馴染みも無い会社なので別会社に拾ってもらったらいいほう。
終身雇用制度は定額制のようなもの。
非常に安定性に優れている。
けれども一気にもうかってもうかって儲かる〜ほどのものかというとそうでもない。
手堅く地味に行く印象がある。
これは働く人も楽。
けれども刺激は少なく、自分の力でこれだけ稼いでそれだけの給料もらったぜーというものはない。
発展段階を過ぎた会社はうまくこれに移行しないと、かなり不安定な営業を続けることになる。
課金制度としても定額制というものは一度定着すればこれほど安定したものは無い。
これはアルバイターであるか社員であるかの違いとでも言うようなものである。



サービス残業は。
これは企業としても役所としても不健康であること。
その体質として、談合や脱税などにつながりやすい。
働く人の健康にも良くない。
締め切り前なのでやむなく了解取ってとかはともかく、日常的に行っていると、それは企業的な腐敗を招く可能性がある。
こうならないためには、時間になったら帰ろうというスタンスをそれぞれが持って、そのために連携して工夫すること。
能力主義で、いきおいで一気に業界に出る場合は有効でも、一定軌道に乗ってからも続けているとそれは肥満に近いものになっていく。



のり弁とか牛丼とか。
最近はバイトから帰って来て昼はこれ。
卵をかけるといい感じ。
甘くなってしまうので、そこは七味唐辛子とかタルタルソースなどをお好みで。



寒くなって来たので、
ヒーター付けてやると猫がぐっすり眠っている。
起きるとふとんに、とゆーか私を枕にしてぐっすりと眠っている。
う、動くにうごけねー。



てな感じで、これからもよろー。



















2006年11月6日 月曜日 午後6時




ども、鈴木憲ことたかさきはやと、略して鈴鷹(すずたか)さん。ベルホーク。




サウンドデュアル。
サウンドデュアルは考え事の整理術でもあります。
考えたことが整理つかない。
そういう時に分類に重宝するのです。
いやまーそういうのは自分なりに弁証法というか、ヘーゲルの考える時のスタイルから編み出したものですが、これがまた大ヒット。
歴史に残るものになってしまいました。
うーん。
なにが当たるか分からない世の中だ。
もちろんあえてもやもやさせとくのもオッケイです。



















2006年11月5日 日曜日 午後10時




ども、鈴木憲ことたかさきはやと、略して鈴鷹(すずたか)さん。ベルホーク。




アタクは……。
アタクチンコじゃなくて、アタクチームの人たちが生活保護受けられれば、まあアタクはほとんどやむでしょう。
もちろんバイトとかもね、ちょいしてもらうとかね。
社会にも参加すると。
これは私に出した緩和策でした。
それでどうとは言えませんが。
アニメ製作会社やゲーム製作会社とかとか声優さん個人とかに鈴鷹さんを養う余裕がなければそれしかないな。
分かったような分からないような話ではあるが。
これは五年前に出した緩和策なんだな。







ひるがえり。
西部劇なんかで、銃ががんと。
一瞬主人公がひざをつくが、あっと思うまに勝ち誇った敵役が倒れるとゆうありがなね。
















2006年11月5日 日曜日 午後10時




ども、鈴木憲ことたかさきはやと、略して鈴鷹(すずたか)さん。ベルホーク。




アニメとかゲームとか漫画とか等々ひるがえり。

動き(転)のひるがえり。
たとえばふつーの顔で振り返ってまた向き直ると嫌な顔して一言言うとか。
これは笑顔でも可。
女学生がすっころんでパンツ来た〜スカート土はらってなにもなかったようにまた歩き出す。
色男殴られて蚊でも止まったかなとなにもなかったように周囲見てばたっと倒れる。
ドア閉まっているなーさっきあけたのにあっそうだ、自動ドアだよこれ。
出会いがいきなり風呂場でマッパであり、服を着てからきゃーと言う起が直に転になる(ナイン)。
酒飲んでいて、怒っているかと思えば泣いていて、さらに眠ってしまっていること。
等々。

色彩のひるがえり。
ロボットの色を塗り替えてしまうとか(ゼータ)。
おんなじ服でも暗い空と明るい空では色が違うとか。
色彩は空の色が違うだけでそれは青空色だったり夕日色だったりするように。
光りには色があり、反射の角度によって色が変わること。
等々。

カメラワークのひるがえり。
カメラ(機)の移動。
ピントボケ。
カメラ(マン)も走る。
縮小と回転。
誰の視点か。
一人称三人称神視点。
それはビデオカメラかデジカメか。
等々。

風景や情景(承)のひるがえり。
風景がゆっくりとその季節や日時を変えて行くのを見ている視点。
その風景に彩られること。
風が伝えるにおひ。
風の温度。
風の動きを花びらや葉などで表現すること。
季節の移り変わりを紅葉などで見ること。

承転(または転承)のひるがえり。
風景や情景が妖怪であること。
春が少女となって舞い踊ること。
花びらや葉の動きを忍法や魔法の表現に取り入れる。
  弾丸がスローになってそれを避けるとか。
等々。




えーとこれはひるがえりの個別なのかな。
こういったことの組み合わせ、等。




翻(ひるがえ)り。性質の方向性のあり方、否定の否定、進化、などなど。


基本基礎からのずれ。場による変化。これからひるがえるでしょう(予測)。
普遍 共通 一般。

柔軟性の確立。質による時間。ひるがえりました(結果)。
特殊 集合 新性。

自在固定。量による数。ひるがえっています(進行形)。
個別、蓄積、唯一。



鬱というものは、ひるがえりを感じることが極端に出来なくなっていることもひとつあるのではないだろうか。
物事に感動したりすること。
季節の風を感じたり、季節を感じたりする気持ちの運動のようなもの。
風が空気の運動であるように、ひるがえりも気持ちの運動であると考える。
まー宇宙のような無風もいいとは思う。
宇宙というか真空に行ったことあないけどもさ。
ストレスというものは一方向性であること。
それは集中力が出る反面、一方向性ばかりで疲れてしまうということ。
双方向性や別の方向性などによる別の動きによって緩和したり、リラックスするということ。
50分くらいが一度の集中の限界と言われているので、ちょい一息つくくらいがいいのではないでしょうか。
デスクワークでもちょい歩いて来るとかね。



ツインサウンドデュアル。
行動と静観のコントラストそして。



ゲーム性のひるがえり。
たとえば対戦格闘ゲーム。
小キックやパンチは出る動きのモーションが速く、けれどもガードの初動で簡単に防御されてしまい、ダメージも小さいこと。
中。
大キックやパンチは出る動きのモーションが大きく遅い、けれどもガードが完璧に閉じないとガード出来ない。
たとえばキックをキックではじくことも出来るとか。
けれどもそれは大には大でないとだめとかね。
そういったことのコントラスト。
そして。







お金はど〜したらもーかるのかなあ。


世の中が儲かる。
普遍、共通、一般。

特定の集団が儲かる。
特殊、集合、新性。

個人が儲かる。
個別、蓄積、唯一。





商売の展開とは。


労働と賃金の交換。
普遍、共通、一般。

新商品、新サービス。
特殊、集合、新性。

修理等、アフターサービス。
個別、蓄積、唯一。




企業が収益第一に市場の動きによって世の中にアプローチしているのに対して、役所などはあまりすぐにお金にならないとこで勝負する傾向にある。
なので、国営が強いと生活基盤はしっかりとするが市場競争力が弱くなる傾向にあり、民営が強いと市場競争力は強くなるが生活基盤は弱くなる傾向にある。
そのコントラスト、かな。
どっちも強くてもいいとは思うけども。



問題が平行線の時は……。
休憩入れるか、別のテーマについて話て、それはとりあえず棚上げしたほうが良い。
よっぽどせっぱつまってなければね。



サブカルチャーはメディアに強い。
本はもちろんのこと、ラジオテレビネットに映画にパソコンに歌。どんな機器やメディアやジャンルにも強い。
そこは最大の強みだろう。
文化としては漫画やゲームやアニメは脇においとくことも多くあったけれども、いまはかなり強いと思う。
DS人気を見るにつけ、これはもうDSはDSというメディアだなと思う。



リアルさと素朴なもの。
ゲームではリアルな描写がプレステで流行った。
それは描写能力が強化されればそれを見せるゲームソフトが作られた。
一時はかなりブームになったリアルな描写のゲーム。
けれどもいまでもヒットするのはFFやドラクエという続編のある作品のみと言っていい状況。
一方でゲーム本来の楽しさがビジュアルに比例して得られないと言う意見が多く聞かれた。
そういう時はファミコンのゲームが素朴だが、とても良かったというものだった。
ミニゲームセットで作られることもあったけれども、あまりうまくはいかなかった。
一方で携帯機にはまだドット絵のような素朴なゲームが残っているように比較的に思えた。
プレステ全盛の時代。
それは描画能力では劣るニンテンドー64とかはだめだという意見も聞いた。
けれどもゲームボーイは依然として大人気だった。
これは携帯機だからというのもあるだろう。
これはパソコンにも似たものを感じた。
機能があがるパソコン。
けれどもいまCPUが倍の速さになりましたと言って、これっぽっちも興味は無い。
ネットにつながった時の熱気。
それ以降、新しい画期的なものは無いように思えた。
まー物理的にネットを越えるのは不可能だろうという話ではあろうけども。
リアルになること。
描画能力があがること。
技術の向上。
これは別にいいことだと思う。
リアルな作品でもゴルゴ13などヒットした作品も多くある。
描画能力あって初めて成立するゲームもある。
CGアニメでも、コミカルで面白いものはある。
リアルなCGアニメでもアップルシードなど良かった。
けれどもリアルであることと、素朴であること、そのコントラスト。
私は魔法陣グルグルもベルセルクも好きだ。
リアルな絵だから、素朴な絵だからと区別はないと思う。
けれども、ひるがえりをなにに感じたか。
それによって趣味趣向は千差万別十人十色。
それに答えるというひるがえりはなにか。
いまはDSによる比較的素朴なゲームがヒットするによって、リアル系がどうよと言われている。
プレステが始まった時はまったく逆であったような気がする。
アメリカなどはXbox360やパソコンオンラインのリアル系が強い。
けれどもたとえばゲームは元をたどればパソコンの素朴だが、何時間でも熱中したものがあった。
漫画もアニメも、もっと素朴な絵だが、その時にはかなりハードな内容で、リアルに思った世界があった。
その派生としてのいまの作品は無数にも思えるほどある。
そんな枝先ばかり見ていると、明日はどっちだと思ったりする。
見渡しても枝先しか見えない。
それはまあ良きにしろ悪しきにしろ。
これからどこに行くのか。
地図があるわけではない。
予測や夢などはあると思う。
いやあ風まかせというのもいいだろう。
これからどこに行くのか、ちょっと見ていたいと思っています。



んであ、また。
















2006年11月5日 日曜日 午前2時




ども、鈴木憲ことたかさきはやと、略して鈴鷹(すずたか)さん。ベルホーク。




今日も地道にひるがえり〜。



ひるがえりのひとつ。
作品でかわいい女の子だとかが、自分で一人ノリツッコミをする。
たとえば、
「いやーん、今日はアイスがおいしい〜ん、だけどさーこの棒はずれちゃっちゃったの」
「だからってやめてよ、……ぼくにあたるの」
「うっさいわね」
みたいな。
いやまーこれってアスカじゃんて話。
たとえば魔法少女が変身するのもひるがえり、合体ロボットが合体変形するのもひるがえり。
だな。
歌のサビに入るのもアルピジイで戦闘シーンにエンカウントするのもひるがえり。
毒を食らわば皿までも。
ぬいぐるみがたくさん踊っていて、声優さん来ないかなーと思っていると、そのくまさんがヘッド取って声優さん。
というのがひるがえり。
たとえば話を聞く時、すぐに結論を言うと否定になってしまうことがある。
もちろんそれはケスバイケス臨機応変とはいえ。
相手がなにを言いたいのか、なにをひるがえらせたいのか聞くことが聞くことのひるがえりとなること。
なにかを言うと言うことは、なにかを聞くということは、本質が凝り固まった現実に響く呼び水となること。
それがひるがえりということ。
本のページを開いていくこと。
本質という言葉はやはり本によってもたらされたことという意味も含んでいると思う。
本をめくる時のちょっとわくわく感。
楽しみな感じ。
それはひるがえりだと思う。
ページがめくられるということはひるがえりの基本だと思う。
カメラワークだとカメラを場面を切り替えるとかね。
逆にカメラの長回しというのもあります。
そのさじ加減。
トークだとテーマを変えて行くこと。
話が脱線して行くこと。
いえいえ、ひとつのテーマをじっくり語ることもある。
コントであればボケてツッコミその繰り返し。
ツッコミ続ける(?)ことやノリツッコミもあります。
エンジェる〜んで「あれはどーすんだよ」「だいじょーぶ、これはアニメだもーん」「そっか」続くのでかい文字。
とかで行ってもいい。
いえまあ一例ですが。
さてさてな。



日記は……。
その日に書き出すので、なにか書き出し途中の時もあります。
それに特に意味はありません。
まとめるページではまあまとめときます。
もともとあまり正確に書き出すことをしてませんが。
それはまあ自分でまあケスバイケスでね。



アタクとかさ、声優さんとかさ、あの人この人とかさ。
じょーしきからずれることがひるがえりであるという鈴鷹さん、つまりは私の路線だったと思うのよね。
緩和策はひるがえり。
緩和策が組み合わされば解決策になる。
ひるがえりとは否定の否定で、進化であるということ。
それは90年代初めに構築された路線ではあったと思う。
それは私が自分の現実に悲鳴をあげながらのことではあったと思う。
それは抱えられるだけ現実を抱えた結果でもあったと。
まあ無理しすぎたと。
それに付き合う人たちまでたいへんになっていくというか。
その路線というものは鈴鷹さんの前から伝統としてあったと思う。
奇をてらうのではなく、伝統にのっとった。
それはいまという場は電気が供給されてそれでこうやってテレビとかラジオとか聞いたり見たりしていること。
このパソやタレントさんたちこのテレビとかラジオというものだってじょーしきの枠の中であること。
それはネットですらそうであること。
まあだからと言って無理に奇をてらうのは無理があるということ。
そこまでいくとぶっこわれているということ。
まあ私もそうとうぶっこわれてましたけどもね。
これはじょーしきから外れるかどうか。
そこにばかりなにか意識が行ってしまって、本来それがなんのためにあったのか。
原点というものはなにかあったはずだけども、それはどこかに置いて来たような感じになってしまっていたこと。
それを書き出すこと。
本来のサウンドデュアルというか、出発点としたこと。
初心に帰るではないけども、90年前後に私が圧倒的に支持されたそのこと。
それはずいぶん分かったような分からないようなことだった。
いまもじょーしきから外れているとこはずっと外れてしまっている。
けれども、なんかいま私はここにいる。
アタクの人たちは鈴鷹さんをひるがえらせるためにアタクしていたので、それはまあ鈴鷹さんをつぶしかねない力ではあったが。
ラジオやテレビでも、きつ〜いことを言うのはそれは鈴鷹さんをひるがえらせようとしていたと思う。
一日一善と言う言葉がありますが、これは一日ひとつはいいことしょうぜーという言葉ですが、一日にひとつはひるがえりを感じようという話。
それだけでね、自分の中にある自然の木々はその葉は風に揺れ、ひるがえりの太陽の光りに照らされるという話なのですよ。
だから、ね。
まあそこそこ行きましょうよという話なのかなあ。



きわどい話というのは、自然のその木々を倒してビル建てて無理にひるがえりを強化しょうとする話。
それがいけないとかどうとかはいちがいには言えない。
けれども、それは若さとか幼さゆえのかなり無理に元づいたことなのです。
その自然の景観は変わって見えるかも知れません。
けれどもそれさえもまた新しいひるがえりの風を過ぎて行きます。
その先の自然へと向かって。
ビルの強風にそれはとても強い風になっても、抜けた先には、またゆったりした世界が広がっているに違いないのです。



んであ、また。
















2006年11月3日 金曜日 午後11時




ども、鈴木憲ことたかさきはやと、略して鈴鷹(すずたか)さん。ベルホーク。




ツバサクロニクル。
この企画を立てたのがずいぶん前のことなので、どういったコンセプトなのかひとつひとつじっくりと見ている。
西遊記をモチーフにしているのが一面見て取れる。
三蔵法師がさくら姫。
んで悟空がシャオラン。
くろがねがぶた伽羅でフェイが沙悟浄かな。
西遊記リローデットとかマシュランボーとかこの前の実写特撮西遊記など、多くの西遊記ものを扱って来た。
その中でもクランプ伽羅総出演という企画であった。
ほら、デビルマン対マジンガーゼットとかあるでしょう。
夢の対決がここに実現とか。
なにかそういう企画だったような気がする。
今週の話も構成に参加していますー。
やっぱりいまは書くとボツになることが多い。
だからまあエヴァなどはすぺて口で言ったホンであるわけですが。
たいへんだったな。
書いたものが通れば楽なんだがなあははは。
業界は変わらないかー。
仕方ないねこれは。
ひるがえってそれは私も変わっていないというこった。
この状況の中で頑張らないといけない。
ひるがえってそれは私の力不足でもある。
いやまーそれはスタフのいやもー、人の限界なのかも知れない。
がんばろーかな。
まあそこそこな。


まりあちゃんがなにかきわどいことを言う。
やはりこの状況に対して私に文句言ってるのだろうかと心配になる。
これがポアロの二人やビッグバンの関さんや鈴村さんややまけんさんならば、そういう伽羅立てというと変だが、そういうものだろうと思ってしまう。
うーん。
どうしょう。
あたふたな。
ごめんよー。
私が悪かったよー。
見捨てないでいじー。
これからもよろしくよー。



信じることと疑うことのコントラストそして。



オタクは冷たい(?)か。
アキバを歩けばおらおらみたいなことを言われる。
一方的な言葉だ。
それで一緒にいる友達が喧嘩になることや、気まずい雰囲気になるとこを見てきた。
去年は知らねーやつが殴って来たとか聞いた。
その場にはいないので、どーしたもんかなーと思ったりした。
とりあえず余裕のある時は口の悪いやつにゃあ軽くしっぺていどはしておく話。
これを持っておたくは冷たいとか聞くこともあった。
けれども道を歩けば嫌なことを言われるのはどこにでもあることであった。
逆に応援されることを言われることもある。
アキバは近場にある人混みの場所であり、別におたくだから冷たいということはない思う。
あんだけ人がいればいろんな人がいるってば。
それに若い人が多い。
若いということはかなり現実というか、じょーしきとかいうものに挑みかかる年齢である。
それくらい活きがいいのが頼もしいもんだろう。
いやまー年取ってもいるけどもさ。



柔軟性とは時間。
山に登ったり。
ディズニーランド行ったり。
映画見たり。
本屋に寄るのはふつーか。
運動したり。
鈴鷹さんありがとうと言ったり。
野菜食べたり。
仕事とは違う時間を感じること。
それが自分の中の自然を豊かにするに違いねーなーおいおい。
今日道歩いていて感じた風はどんなものだったか。
心の日記に書いておくのだーなあおい。



労働と賃金の交換。
その組み合わせはどう変わることが出来るか。


ひるがえり。
人は似たようなことを繰り返してしまう。
それは大事なこともあるが、なんだか退屈だとかつまんないとかゆーのはやはり悪い意味でのこと。
それは時間が螺旋上昇してるために、同じことを繰り返して見えるということもあると思う。
ひるがえりというものは時間が進んでいることを感じさせてくれること。
それは逆に繰り返すことで生まれることもある。



んであ、な。
















2006年11月3日 金曜日 午前5時




ども、鈴木憲ことたかさきはやと、略して鈴鷹(すずたか)さん。ベルホーク。




無料(ギブアンドギブ、生活守護等、官僚経済社会主義の基本基礎)。



課金(税金など)。
普遍、共通、一般。サウンドデュアル。

広告。
特殊、集合、新性。ツインサウンドデュアル。

ボランティア。
個別、蓄積、唯一。ワンサウンドデュアル。






有料(ギブアンドテイク、課金等、市場経済資本主義の基本基礎)。



課金。
普遍、共通、一般。サウンドデュアル。

経費(資材などなど)。
特殊、集合、新性。ツインサウンドデュアル。

賃金。
個別、蓄積、唯一。ワンサウンドデュアル。



えーと、課金が共通普遍じゃ全物無料と矛盾するのではないかという話。
まあ全物無料のほうは共産主義だけどさ。
そこいらへんに、なにか経済の組み合わせがあるのかも知れない。





















2006年11月3日 金曜日 午前4時




ども、鈴木憲ことたかさきはやと、略して鈴鷹(すずたか)さん。ベルホーク。




ポケモンのアニメなどは、ポケモンがその回のテーマとなる。
そこから起こるなにがしかにまつわる出来事をすること。
たとえば美少女ものだと、その美少女にまつわるなにがしかのこと。
バトルものだと対決にまつわるなにがしか。
これがひとつの路線ですが、たとえばバトルものでも、戦ってばかりいるわけではないので、日常やギャグの話をまぜときます。

単純さと複雑さのコントラストそして。

コンビットブロッカー。





新谷さんはいいな〜。




今日はバイトあがってから一眠り。



甲殻機動隊。
は高校生の時に読んでいました。
アニメ第一期の歌と各話の流れを担当。
この電脳系という流れは幾つか亜流を作り出しました。
マトリックスは一作目の設定と話の流れ。
二作目以降は二、三言程度話の流れを言う。
アニメのロックマンの設定と話の流れ。
ロックマンには住む世界があり、それがゲーム世界にも見えるように考えていたものです。



ひるがえり。
ひるがえり担当の人がホンにいると良いかも。
いやまあメインスタフの打ち合わせで入れればいいのだが。
時間に追われていると、ひるがえりを入れる余裕がなくなってくるもんだ。
それを入れるのが仕事とはいえね。


ネギま。
おぷにん。
いまいちかなと思っていたが、見慣れて来るとおもろい。
机を吹っ飛ばすとこで、色彩がいろめくとひるがえるかも。
さらにこのシーンに桜舞いも入れるとかね。
月姫の時もそうだったけども、ノリがクセがありすぎてのれないんだよなあ。
ひるがえりはどーすんだべ。



ゲーム機。
私はNECのPC−FXやドリームキャストやプレステやニンテンドウ64の構成の一端に参加したけれども、技術レベルがCGとかグラフィックレベルがあがっても、ファンはなにかしっくりこないと言う。
昔のゲームは良かったという話を良く聞く。
また、仕事をするようになってからゲームする時間が無いと言う。
ゲーム本来の面白さというのは、スーパーマリオから変わっていないんだろうなあと思っていた。
いそがしくてもゲームが出来るのは携帯機がいいだろうと。
それが呼び水となって土日の休みに据え置き型をプレイしてもらえたらいいと。
ゲームボーイは依然売れ続けていたが、ゲームキューブは売り上げ不振を招いていた。
これはなにがいけないのか。
失敗から学べと言うが果たしてそれはなんだろうと考えていた。
Xbox360はパソコンとの連携を考えていたりする。
いやまー楽しく作ってくれればいいじゃないかって話ではある。
DSのコンセプトはパソコンに入れられないかといま考えている。
ダブルスクリーンとかタッチパネルとかね。



スマギャン(アニラジ)を聞く。
先週のさ、水樹さんの歌さ、これ一曲だったら30円からつき56円程度しか払いたくない。
いやいや、いい仕事してると思うが、そもそもメジャーの曲というものは純粋に歌を作るだけでは成立しない。
それがいくらになるかどうか。
これがラジオだから広告付いていて無料だから聞くけども、固定CDだったら私は欲しくない。
たとえばこの曲入って2曲で1200円とか出すのかという話。
アルバムだったらば、12曲とか入るから、それである程度割ることは出来る。
けれどもシングルは2曲が基本なので、それで勝負しないといけない。
いい曲であることと、100万本達成する金字塔とは別。
今日聞いてる曲は、100円くらいなら出してもいい。
メイビー羊さん〜とかなんとか歌詞に入れると、そのじょーしきから外れていい歌になったりする。
このさじ加減。
かな。



ゲームソフトに付いてる年齢制限の表示。
これは私が店屋さんでゲームソフト見てたら、声かけられて、子供にいいソフトを聞かれて即答出来なかったことに起因する。
いやまあそれだけではないけども、子供にゲームソフトをプレゼントする時にいいものは分からない。
それはそうだと思う。
特に年齢に即したものはどれがいいか分からない。
絵本とか児童書だと年齢対象が書いてあるが、ゲームだとそれが無い。
漫画やゲームを全面禁止の家とかもあるくらいで。
けれどもそれはともかく、どういったゲームや漫画が子供にいいのか。
その指標や目安のひとつになればと思っていた。
映画には映倫というものがある。
これはひとつ参考になるのではないかとかなんとか言っていた。
折しもゲームは映画にも匹敵すると言われたグラフィックの多彩さが指摘され、作家性が言われたいた頃だった。



夜は寂しいなー。
これはそういう空間があればいい。
障害者や老人にはその人たちが籠もりきりにならないために外に出ることを目的とした施設などが用意される。
そこでお茶を飲んだり話したりするのだ。
これはまあ社会的弱者であるからだけども。
一般の人だってそんなに強いわけではない。
ラジオをひねれば困ったという電話相談のたぐいが聞く。
明度喫茶などは、アキバにおいてオタクのための空間がないかと考えたからだ。
喫茶店は前からある。
トキワ荘物語などを読めば、夜の喫茶店で話をだらだらするという話がある。
空間を提供出来ること。
それは税金か飲み物注文によるものなのかどうかはまだ見えていないが。
ネットも本来はそんな空間提供であるはず。
まー掲示板もチャットもいまはそれほど盛り上がってないけども。
そこはまた梃子入れかな。
いまはそんなことを考えている。



だらだら書いてるだけなので、かぶったり似たようなことを書いてる場合もあるけれどもまあそこそこ。
書きかけのとこもあるけどもねこねこ。
これからもよろしくね。
んであ。





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