赤旗批評
1999年2月16日(火曜日)【経済】(8)上段右の対談にて、一橋大学元学長・都留重人はマルクスの引用「直接的形態での労働が富の偉大な源泉であることをやめてしまえば、労働時間は富の尺度であることをやめ、またやめざるをえないのであって、したがってまた交換価値は使用価値の[尺度]であることをやめ、またやめざるをえないのである。大衆の剰余労働はすでに一般的富の発展にとっての条件ではなくなっており…」(『経済学批判要領』、大月書店 第三分冊六五三〜六五四ページ)をあげてから、「これは、非常に重要な文章です。マルクスは、オートメーションのことは知らなかったと思いますが、技術の進歩がこういう状態を招く。したがって、交換経済そのものが、このことによって崩れるということを(マルクスが)予想しているんですよ。」とのべている。しかし、マルクスがのべているのは技術の進歩によって価値の(否定の否定的)転化が起こるということをのべているのであって、交換経済がこのことによって崩れることを予想しているわけではない。経済の廃止は労働者および労働者(運動および運動)の実践、革命によってなされるのであって、技術の進歩によってでは断じてない。また、交換は経済の根幹をなす発祥的観念的基礎事実であり、交換経済とは交換交換と言っているのと同じである。生産現場の自動化を押し進めれば資本主義社会が社会主義社会へ革命されるわけではない。生産現場の自動化(つまりここではオートメーションとも言える)による合理化(リストラ、資本家による労働者の権利弱体化、資本家による労働者の労働力搾取)は、資本家が押し進めている反動策(はんどうさく)に他ならない。それでいて資本家の策謀に賛同する対談相手の経済学者工藤晃が、「労働者のゆとりとか、人間らしい労働」を論じているのは矛盾している。まずは労働者の側に足場を置き、マルクスをはじめとするエンゲルス、レーニンの命題的著作(めいだいてきちょさく)を読みなおすことを私は都留、工藤両氏に進める(記憶は記憶のためにある)。
1999年2月16日(火曜日)(3)【総合】上段左の公的資金をとりあつかった主張の文章のしめにて、「税金の使い方を正せばすぐにできることです。」という。全国民から税金として日本政府が徴収した人の疑似活動固定物(ぎじかつどうこていぶつ)、金(かね)を政府与党が一方的権力の行使によって銀行にあげてしまう。これによって税金は税金という姿を消し、税金の搾取、つまり労働者から資本家への一方的権力の行使(搾取)化する。これをふまえず、税金の使い方という言葉で現状を包む者になんら解決策、打開策を打ち出す意志をみいだすことはできない。いま、労働者と資本家の両者に足場をもつならば、赤旗を名乗る必要はない(自戒の十字架)。
(5)1999年2月17日(水曜日)公的資金をとりあつかった対談にて、共産党委員長・不破哲三は「六百億円の税金が全部パーになるんです。」とのべている。税金が搾取となる資本家側の策謀にはふれず、もっぱら公的資金(特別な搾取)のその後のあり方を論じているのでは、税金の搾取化(公的資金)の問題の根本が見えてこない。問題は金(かね)のかたちではない。金(かね)のかたちを日本の労働者の代表たる日本共産党が決めようが、日本の資本家の代表たる自民党が決めようが大差ない。不況だといわれるこの日本で、いま必要なのは搾取で
はない税金である(ほぼろげに)。
1999年3月28日(日)日刊しんぶん赤旗10面「カルト」にかかわる二冊・の記事の六段めにあるカルトの手法を記事が[『魔法のテクニック』]と批判する部分について一言。
『魔法のテクニック』も物質である。
1999年3月28日(日)日刊しんぶん赤旗16面テレビらんに4月からのアニメ新番組・の記事の二段めに原案とあるのは原作のまちがいである。また、原作者名がすべて記載されていない点や、小説が原作である場合はイラストレーターも原作者であることも軽視してはならない。これは原作者権(げんさくしゃけん)、著作権(ちょさくけん)、人格権(じんかくけん)にかかわる重要な権利点であることを軽視してはならない。記者として赤旗として人間として。必ず。
つっぱれつっぱれあかはた
がんばれがんばれあかはた
ゆめみてゆめみてあかはた
さっぱりさっぱりあかはた
あきらめるなあきらめるなあかはた
おそいということはないおそいということはないあかはた
すすめすすめあかはた
ごーごーあかはた
いけいけあかはた
ぞんがいぞんがいあかはた
ふぁいとだ(!)ふぁいとだ(!)あかはた
たたかえ(!)たたかえ(!)あかはた
じんみんじんみんあかはた
ふれーっふれーっあかはた
さらなるさらなるあかはた
やっぱりやっぱりあかはた
いまこそいまこそあかはた
そーれそーれあかはた
まいるどまいるどあかはた
ざれいるざれいるあかはた
よっそれよっそれあかはた
つっぱしつっぱしれあかはた
まけるなまけるなあかはた
いまどきいまどきあかはた
さらにさらにあかはた
とっぷりとっぷりあかはた
さいやるさいやるあかはた
ねばーねばーあかはた
そうだそうだあかはた
まわってまわってあかはた
そこんとこそこんとこあかはた
つらいときこそつらいときこそあかはた
さあいけやれいけあかはたさあいけやれいけあかはた
だっしゅだっしゅあかはた
はしってはしってあかはた
もどってもどってあかはた
ござれもござれもあかはた
らんらんあかはた
干渉集団なんかめじゃないめじゃないあかはた
らんなうぇいらんなうぇいあかはた
すっとばせすっとばせあかはた
まいぺーすまいぺーすあかはた
じぶんのほはばでじぶんのほはばであかはた
にんぽうにんぽうあかはた
あかいあかいゆうひだあかはた
まっさらまっさらあかはた
いけてらいけてらあかはた
まいてまいてあかはた
それゆけそれゆけあかはた
ゆめゆめあかはた
さめざめさめざめあかはた
はんどるはんどるあかはた
ついりょくついりょくあかはた
せまいるせまいるあかはた
わっしょいわっしょいあかはた
やれいけやれいけあかはた
ざんねんざんねんあかはた
げんきだげんきだあかはた
つえいらつえいらあかはた
すすんですすんであかはた
もどりてもどりてあかはた
それでこそそれでこそあかはた
ぴーひょろろちゃんちゃちゃあかはた
たちあがれたちあがれあかはた
そこだそこだあかはた
じだいだじだいだあかはた(じだい)
それそれあかはた
こりゃこりゃあかはた
かっとばせかっとばせあかはた
はばたくはばたくあかはた
けろけろあかはた
せんたるすせんたるすあかはた
おれがついてるぞおれがついてるぞあかはた
せんぷうせんぷうあかはた
そろそろあかはたそろそろあーかーはた
どってんばってんあかはた
すまっしゅすまっしゅあかはた
じかんだじかんだあかはた
じげんじげんあかはた
ぱわーぱわーあかはた
しんこきゅうしんこきゅうあかはた
らぶらぶあかはた
ぴーすぴーすあかはた
らせんらせんあかはた
はねははばたきはねははばたきあかはた
らいんらいんあかはた
ものがたりものがたりあかはた
かがくかがくあかはた
すべてすべてあかはた
こせんこせんあかはた
きょうさんきょうさんあかはた
みんしゅみんしゅあかはた
ふへんふへんあかはた
こべつこべつあかはた
とくしゅとくしゅあかはた
あんどあんどあかはた
くろうくろうあかはた
しゅうきょうしゅうきょうあかはた
かじばのくそじからかじばのくそじからあかはた
だんすだんすあかはた
もりのくまさんもりのくまさんあかはた
しゅみしゅみあかはた
しごとしごとあかはた
きゅうそくきゅうそくあかはた
ぶっしつぶっしつあかはた
せいしんせいしんあかはた
へいめんてきくうかんかげへいめんてきくうかんかげあかはた
ちゃーじちゃーじあかはた
すぴんすぴんあかはた
ぐらんどぐらんどあかはた
きしょうてんけつきしょうてんけつあかはた
おわりよければすべてよしおわりよければすべてよしあかはた
きゃらくたーがだいじきゃらくたーがだいじあかはた
れっどれっどあかはた
ほわいとほわいとあかはた
だーくだーくあかはた
さんげんめさんげんめあかはた
こうしてこうしてあかはた
そうしてそうそうあかはた
おそまつ
現状にあまんじるな
現実をたがやせ。
干渉者(かんしょうしゃ)は目の前ではなく
自分の中にいる(自分の外にいればそれは循環的転化によって自分の中にもいるの)。
度重なること転化なり(量質場<りょうしつば>)。
たたかうがまけにげるがかちたえるは自然なことである。
だめならまわろうきけんなひびにも。
おぼえたら答えにこまるそのことも。
くるしゅうてやがておもしろききのうかな。
正義は底無し沼のごとくにて。
はじまりておわりの時にそめいて。
いけるときにはけるこもごも。
そんな時こそ実力だ。
空がおおきく地はちいさく自分はふつう。
めぐりるらせんの包装紙。
ラッコくるりて目をまわす、目はまわすものではない。
四次元にあっては五次元をめざし、三次元にあっては四次元をめざし、二次元にあっては三次元をめざす。
いまこそそのときのまわりにあるこもごも。
二重に螺旋する三重の字(s)。
損をする者は得をするが得をする者は損をするときにはともにする。
ごきげんようあいさつがへいわをまねきどき。
こうげきのまえ一筆したためる。
歩くことも物質である。
福祉・愛・平和/ともに物質である。
あきらめも物質こうげき物質じぶん物質いきる物質あしたも物質である。
新聞は物質である記者は物質である情報は物質である赤旗は物質である事実は物質である。
いきることはぶっしつである。
真実は物質である読者は物質である期待は物質である。
連関は物質であるそしてかげはぶっしつであるかみはぶっしつであるひとはぶっしつである。
虚報も物質である。