私の会った不思議な人たち

「不思議な作家KHさん」

KHさんは日本一背の高い閨秀作家である。なぜ知り合ったかというと、実は私も応募したASAHIネットの「パスカル文学賞」をKHさんが受賞なさったからなのであった。受賞なさっているとどうして知り合いになるかというと、私がくやしまぎれにファンレターを送ったのである。KHさんは図書館のヘビーユーザーだったので、自動車文庫は乳児がいる母親には便利である、とか、ベビーカーを貸し出している図書館があった、などと図書館についてのあれこれを教えていただいたりもした。子供さんが小さい時には図書館入口近くの本しか借りることができなかったので、ま行の作家の小説を沢山読んだとのメールには大笑いしてしまった。KHさんの小説は季刊の中央公論文芸特集に毎号載っていたので、近所の本屋さんに定期購読申込をしたところ、すぐに廃刊になってしまった。KHさんの小説はその後、「文學界」に載るようになった。共通の知人である鯖男君をモデルにした小説がA賞の候補になったりもした。もうじきはじめての単行本が出るとの話を聞いた頃、おっかない小説がA賞の候補になり、A賞を受賞なさった。おお、すごいすごい、こういう時には祝電を打つのだろうなあ、とよくわからぬまま、祝電を打った。「ご受賞、おめでとうございます」と電報のおねえさんに言うと、「失礼ですが何の賞でしょうか」と聞いたので、「実はA賞なのですよ」と言うと、「え、あのA賞ですか。おめでとうございます」と喜んでいたので、「そうなんですよ、あのA賞なのですよ。ありがとうございます」と電報のおねえさんと盛り上がってしまったのであった。

KH氏と初めて会ったのはA賞受賞の三ヶ月前、筒井康隆氏の秘密朗読会の会場であった。秘密朗読会とは、断筆中の筒井氏の新作を筒井氏が朗読なさる秘密の会であった。この会はASAHIネットの有志が秘密に相談し、あれこれしたものであり、私もスタッフの一人に知らぬ間になっていたのであった。おお、あれはKHさんではないか、とKHさんを発見した私は、持ち場をひとにまかせて、KHさんに近づいていったのであった。KHさんは一瞬、「この人誰だろ?」といった表情をなさったのであったが、近くにいた某出版社の国語辞典編集部の人に紹介していただいた。KHさんは、「おおっ、あなたがっ。はじめまして」とにこにこして右手を出してくださったのでした。そこで私も右手を出して握手をしたのでありました。まるで西洋人のような挨拶でありがたかったのでした。しかし、その日は秘密朗読会でばたばただったので、「ではまた」とかなんとかそれくらいの言葉しか交わさないままだったのでした。

A賞をとったとき、俳句の先生であるOさんはKHさんのことを、「おおざけのみの、少女ぶった俳句ばかりつくる変なおばさん(これは失礼だ)だと思っていたのに、たいへんな人とともだちになってしまったなぁ」と書いていらしたのですが、実際そのおおざけのみを目の当たりにしたときにはびっくりしてすわりしょうべんをして馬鹿になってしまいました。KHさんとはO先生の俳句スクールで一緒に学んでいるのですが、そのスクールで96年秋にボルガの会というのがあったのでした。O先生の師匠F先生もいらしていたのですが、KHさんは二次会ではF先生の耳をひっぱっていらっしゃいました。二次会が終わる頃にはF 先生(当時70歳)もKHさんも日本酒を一升くらいは飲んでいらしたのではなかったかと思われます。KHさんは私にも何かをしたのですが、これは書くと命が危険なので書かないことにするのでした。

俳句スクールで、97年秋に青梅吟行会があったとき、KHさんはひどい風邪をひいておられました。

「句会の締切にはなんとか間にあったのだけれども、新聞の締切には間に合わなかったなあ」

と、高熱のためか不思議なことをおっしゃっていたKHさん。どうやらネットの句会の締切には間にあったものの、連載している新聞には間にあわなかったとのこと。どちらも同様に大事になさっているということなのだなあ、としみじみした私でありました。句会のあとに宴会。ご病気なのにそんなに飲んでも大丈夫なのだろうか、と心配になるほどがんがん飲んでいらっしゃるKHさん。ところが二次会になると、鼻声だったのがすっかり治っている。きっと特異体質なのでありましょう。

97年末には俳句スクールで河豚の会がありました。この日もKHさんはひどい風邪をひいていらっしゃいました。這ってでも行きます、と幾度も書いていらしたKHさんは本当に這ってでも来たのでありました。しかし私は知っています。飲んでいるうちに風邪が治る特異体質。そしてやはり本当に飲んでいるうちに治ったのでした。

作家の人はいつもおいしいものを食べていたりするのだろうなあ、と思い、「KHさんは、河豚はよく召し上がっていらっしゃるのでしょうか」と珍しく敬語で丁寧に尋ねたところ、「召し上がってるはずがないじゃないの」と笑いながらおっしゃったのでした。作家も河豚はあまり食べていないのだ、という発見をした私。

98年夏、私を含むスクールの四期生の卒業式と五期生の入学式が行われました。句会のあと宴会。宴会のあと二次会。二次会は車道上に茣蓙を敷いたファンキーな会場。私はKHさんに、「そいえば久世光彦さんが、『蚊帳の外から、KHさんが私より怖い薄笑いを浮かべて、私を見ているのである』と新聞のエッセイに書いていらっしゃいましたが、確かにKHさんが蚊帳の外から見ていたら怖いことでしょうね」と言うとKHさんは、「そりゃあ私だって怖いわよ」と言い、「こんな感じかな。えへっ」と、ちっとも怖くない顔で笑っていらしたのでありました。

書く小説は怖く、懐かしく、とてつもないのに、実際のKHさんはゆったりとした背の高い大酒飲みの人なのでありました。実になんとも不思議な人。