第4話:父と子

甲斐への旅立ち


武田義清・清光父子の甲斐配流によって、新羅三郎義光の常陸國土着の野望は 失敗したかに見えた。しかし、実はこれこそが義光の深謀遠慮の結果であった。

義光が佐竹郷に送り込んだ長男義業は、この間に佐竹郷を拠点として 常陸奥七郡(常陸國北部域のほぼ全域)を掌握し、やがて常陸支配を成し遂げ、 戦国屈指の大名へと成長する基礎を固めていたのである。

かくして義光の政略は功を奏し、佐竹義業は常陸國北部の掌握に成功した。 しかし、かつて朝廷にいいように翻弄された兄義家の姿を見るにつけ、嫡子と三男 という運命に歯がゆさを感じた義光にとって、自分の長男義業と三男義清に このような役割を課すことは、それ自体苦渋の選択であったに違いない。

義光が、自分と同じ立場の三男義清に対し、嫡子義業以上の想いを寄せていたことを 示す物証が残されている。 後に甲斐武田家の家宝となる御旗(わが国最古の日の丸旗といわれる)と 楯無鎧(国宝指定)である。楯無鎧は、後冷泉天皇より下賜された鎧であり、その名は 「この鎧に勝る楯無し」と言われた名鎧であったことに由来している。

本来、これらの家宝は嫡子義業に伝えられるべきものであるはずだが、これが甲斐武田家、 すなわち三男義清に伝えられていたのである。父義光の想いはこれらの家宝とともに 義清・清光父子に伝えられたに違いない。

常陸國における自分の役割を終え、御旗・楯無鎧とともに 甲斐國へと旅立つ義清の胸中には、どのような想いが去来していたのだろうか。


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