シューマン : 交響曲第4番ニ短調 CDレビュー II



U.  1974-1987年録音
         ♪ムーティ♪レヴァイン♪クーベリック♪ロジェストヴェンスキー♪
         ♪テンシュテット♪ハイティンク♪バーンスタイン♪マリナー♪
         ♪チェリビダッケ♪カラヤン♪チェッカート♪


◆ムーティ/ニューフィルハーモニア管弦楽団(1976年 EMI) ★★★★☆
 この曲と若き熱血漢ムーティの組み合わせとなれば、血湧き肉踊るどんな活劇が展開されるか聴く前から大いに期待をしていたのですが、結果はなんと大ハズレでした。そこにはもう大人のムーティがいたのでした。冒頭の一撃を渋い音で開始させたムーティは、序奏では低弦をよく響かせつつ一音一音踏みしめるように音楽を進めていきます。この曲のもつ影の部分を暗示しているようです。主部になだれ込むところも丹念に積み上げていくといった落ち着きを見せています。溌剌としたテンポと豊かな響きで頂点を築くあたりはムーティらしさを感じさせます。続く第2主題ではテンポにやや迷いがあるものの総じて安定した音楽をつくっています。展開部でのトロンボーンのコラールを譜面通りp(ピアノ)で奏させ、その前のホルンにこれまた譜面通りにフォルテで吹かせるのも、通例とは違うやり方(譜面通りが異例というのも変な話しですが。なお、後のウィーンフィルとの演奏では逆にホルンをピアノ、トロンボーンを強めに吹かせています。)を取っていますが、それまでせっかく効果を上げていたのにその後の盛り上がりが不発なのがなんとも惜しい。ムーティが最も得意とするはずの個所なんですがね。コーダも然り、最初は荒々しくエンジンがかったと思った直後にあれよあれよと落ち着いてしまいました。
 
 第2楽章。オーボエとチェロのソロは音の切れ目のないなだらかな演奏で、ヴァイオリンの独奏とその伴奏部は幅の広いたっぷりとした音楽が聴けます。第3楽章。これまた優等生的でおとなしい表現に徹していますが、隙のない水準の極めて高い演奏です。とりわけ最後のクラリネットはいい感じを出しています。この辺の緻密さは後にウィーンフィルと再録する際、見事に花開くことになります。第4楽章は心地よいテンポで始まります。第2主題に入っても音楽の勢いは失われません。ヴァイオリンと木管のメロディーの裏で吹かれるホルンによるシンコペーションの軽やかさは特筆すべきものがあります。提示部の終結部(弦と木管がスケールを繰返すところ)における金管の響きは見事です。オーソドックスなスタイルによるバランス感に優れた演奏です。


◆レヴァイン/フィラデルフィア管弦楽団(1978年 RCA) ★★★☆☆
 この録音の前後にレヴァインはフィラデルフィア管を振ってマーラーの5番と9番の録音を行なっていて、売り出したばかりの指揮者としてはかなり意欲的ともいえる曲を取り上げています。マーラーの2曲とも筆者の愛聴版でとりわけ5番はトランペットの主席フランク・キャデラベックにサインを貰った思い出のCDです。速めのテンポで時折オーケストラのコントロールを失いがちですが、シューマンの言いたいことがよくわかる演奏です。けっしていい録音ではないのですが、音の分離はよく、低弦から1stヴァイオリンまで順番に弾いていくところなど、左から右へ音がうねるように回ってくるのが手にとるようにわかります。荒削りの音ながら勢いが感じられ、とりわけコーダのアッチェランドはなかなか聴き応えがあります。

 第2楽章は一転してゆったりとしたテンポで演奏され、ヴァイオリンのソロの音には艶があってとても魅力的です。第3楽章は今ひとつ力がはいっていないのと、トリオがそっけなく、色っぽさが足らないが残念です。第4楽章、序奏での音楽づくりはもう少しで、なんだかわからないうちに主部になだれ込んでいます。主部はえらいスピードで開始されるのですが、すぐにブレーキがかかるのは何故でしょう。リピートした時は安定したテンポで進みます。しかし、第2主題でルバートを多用するのはいただけません。木管にデリカシーが欠けるせいかアンサンブルの問題が出てきて、せかっくのルバートがうっとうしく感じます。コーダは立派な演奏です。


◆クーベリック/バイエルン放送管弦楽団(1978年 CBS)
 1963年のベルリンフィルに続くクーベリック2回目の録音です。前回のレガート奏法はもうやっていませんが、一風変わった演奏をここで披露しています。第1楽章の序奏では最初のテーマを奏する2ndヴァイオリンとヴィオラがよく聴き取れず、木管と1stヴァイオリンの引き伸ばす音が前面に出ています。主部に入っても楽器のバランスは変わっていて、どちらかというと弦より木管が主体になっているように聴こえます。しかし、金管が加わる全奏でのフォルテでは全体のバランスが崩れて妙な音になっています。単に弦の厚みが足らないからなのでしょうか。展開部に入ってからの弦の16分音符が軽やかというか軽すぎるのもそのせいかもしれません。細かい表情をつけて丁寧に弾いているのですが、今ひとつ緊張感に欠けていて決め所での力不足を感じざるを得ません。

 第2楽章。オーボエとチェロのソロはかなり自由なフレージングで奏されていますが、両者の音色がしっくりこないのが気になります。ヴァイオリンのソロは録音のせいか音色の魅力があまり感じられません。珍しく譜面通りのフレージングで弾かれています。第3楽章。ここはまともなバランスで奏され、弦の厚みもやや改善されています。フルートが高らかに高音を響かせるのが印象的です。トリオの表現は非常に丁寧で、コーダは室内楽的にまとめています。第4楽章。1stヴァイオリンの乾いた音が気になりますが、金管は立派です。主部に入っても旋律を弾くヴァイオリンの薄い響きに物足りなさを感じます。ただ、逆に軽快さがほしいところではいい効果を出しています。全体的に熱気は感じられず、コーダに入っても乗りきらないうちにあっさり終わってしまうのは残念です。なお、提示部のリピートは省略されています。


◆ロジェストヴェンスキー/エストニア交響楽団(1978年 Merodiya)
 旧ソビエト圏のオーケストラによるこの曲の演奏は筆者の知る限りではエストニア交響楽団しかありません。今後ロシアのオーケストラがこの曲をどう演奏するか楽しみです。第1楽章。ゆっくりめのテンポで始まり、録音のバランスが悪いのか弦が薄く金管がやたら大きく聴こえます。全くこの曲にはそぐわないのですがトランペットの響きがユニークです。時折細かい表情をつけているのがロジェストヴェンスキーらしいところですが、曲が進むにつれてテンポが落ち着いていくのが気になります。コーダに向けてもう少しテンポを上げて熱くなってもいいかと思います。

 第2楽章。あまり起伏をつけず淡々と進行していて、ヴァイオリンのソロはほぼ譜面どおりの弾き方をしています。第3楽章。薄い響きのせいか室内楽的な雰囲気が出ています。第4楽章。いろいろと期待していたわりには何も起きない序奏です。主部は相変わらずのんびりムードでテンポの変化も少ない演奏で、フォルテも控えめでそのせいか音符の細かいところがよく聴こえます。第2主題で2ndヴァイオリンとヴィオラがシンコペーションで伴奏をしているのですが、ここがよく聴こえるのはめずらしいことです。コーダに入ってもちっともテンポは上がらず、最後のプレストになって申し訳程度テンポを上げます。終わり方もあっさりしています。なお、提示部のリピートは省略されています。


◆テンシュテット/ベルリンフィルハーモニー管弦楽団(1980年 EMI)  ★★★☆☆
 第1楽章。弦楽器の粘るような動きに始まる序奏はこれから始まるドラマで何かが起こることを予感させます。ヴァイオリンのポジション移動の時に音程をずらすところなど、本来やるべきではないのですが何故かこの場面では艶めかしく感じられます。主部に入ると外面をかなぐり捨てた激しさを呈します。低弦の分厚い響きに支えられていますが、今ひとつ細部がはっきりしないのが残念です。展開部でも、ティンパニがモヤモヤしていて歯切れの悪さが耳につきます。オーケストラ全パートが弾きすぎ吹きすぎのせいかお互い消しあっているようで、肝心の旋律が浮き上がってこないといった感じです。コーダに入っても盛り上がる割には迫るものがないようです。ちょうど10年後にレヴァインがこのベルリンフィルで録音しますが似たような印象を受けます。ただレヴァインの場合は録音が鮮明である分得をしているようです。

 第2楽章。オーボエとチェロのソロのところで伴奏のピチカートがずれているのがどうも気になります。2回目に出てくるところでは改善されています。ただ、オーボエの音色は相変わらずいい雰囲気を出しています。ヴァイオリンのソロはスラーを全くつけずに弾いているようで、あまりなめらかには聴こえません。第3楽章は重心の低いどっしりした演奏で、しかもトリオを含めて全体の構成美を見事に表現しており、それぞれの局面で柔軟に反応するベルリンフィルのいい面がよく出ています。

 第4楽章。pp(ピアニッシモ)で始まるこの序奏の冒頭でこれほどまでに透徹した演奏は他に例はありません。ヴァイオリンのヴィブラートを抑えたソットヴォーチェを聴くと背筋がゾクゾクします。ここの部分だけでも十分聴く価値のある演奏と言えます。その後の音楽づくりも見事でダイナミクスの変化のさせ方、一気にクライマックスに達するところは世界に冠たるベルリンフィルの面目躍如たるところがあります。主部は歯切れの良いリズムで進みますが、第2主題がやや遅めで音色の変化、ニュアンス付けに乏しいせいか少し手持ちぶたさを感じます。提示部のリピートは省略されています。コーダでは何故か広がりすぎといった響きでなんとなくまとまりの欠く演奏に聴こえます。客演指揮者ですから、いくつかある決めたい個所のうち優先順位の上からほんの少しだけしかリハーサルできなかったといったところでしょうか。


◆ハイティンク/ロイヤル・コンセルトヘボウ管弦楽団(1984年 PHILIPS) ★★★★☆
 失礼ながら大きく期待を上回る秀演です。そういえば、ハイティンクがウィーンフィルとブルックナーの交響曲の録音を開始するのはこのシューマンが収録された1984年12月の直後の翌年2月からですから、そろそろハイティンクの芸に磨きがかかっていた頃なのかもしれません。かつてこの指揮者には冷たかった筆者ですが、ウィーンフィルと最初に録音したブルックナーの4番を聴いて以来ハイティンクを見直しまして、続いてリリースされた5,3,8番と愛聴しています(その後の業界不況で契約が中断されたのはなんとも惜しい限りです。)。

 どっしりとした響きで始まる序奏でヴィオラとチェロの対旋律を丹念に鳴らすところは大いに先を期待させます。主部に入ってからテンポはやや速めにもかかわらず、コンセルトヘボウは音の勢いを維持しつつ決めどころを押さえた見事な演奏を披露します。楽章の後ろへ行くほどそのテンポへのノリは一層よくなり、クライマックスに向けてのエネルギーの集中と発散は見事なバランスでもって表現されています。とりわけ、盛り上がりの頂点におけるティンパニの響きはやや広がりのある音ではありますが全体に良く溶け込んだ実にユニークなものです。コンセルトヘボウのホールなればこその響きなのかもしれません。ティンパニの活躍ぶりはドホナーニ/クリーヴランド、アーノンクール/ベルリンフィルに匹敵すると言えましょう。

 このことは第2楽章のオーボエのソロにおいても同じで、やや明るめの音色で奥行きのある響きを楽しませてくれます。ヴァイオリンのソロは速めのテンポですがこれも幅の広い豊かな響きで弾かれています。第3楽章の雰囲気は今ひとつかもしれません。厳しくもなく、流れるでもなく、どこか自信なさそうに聴こえます。ヴァイオリンの四分音符が連続するところでのちょっと引きずり気味の弾き方は興味をそそりますがあまりこなれていない感じもします。トリオでのバランスがヴァイオリンより木管にウエイトがあるのがユニークです。バランスはこれでいいとして、もう少しヴァイオリンにクリアさがあってもいいかと思います。これはたぶん主要主題部における音楽的厚みがそのままトリオにも反映されているせいかもしれません。スケルツォ楽章ではこのへんのコントラストは大事だと思うのですが…。

 第4楽章。序奏での息の長いクレッシェンド、ティンパニの工夫を凝らした演出は見事です。とりわけ最後における3つの和音の勢いが次の主部でのテンポを予感させつつ、長めのパウゼ(間)を巧みに利用して聴き手に肩透かしを食らわすところなどは「やられた!」と思いました。主部はティンパニの心地よい音に乗った幸福感に満ち溢れた演奏です。第2主題直前のブレーキは好みの別れるところですが、ここ以外は作為のないテンポで進みます。ティンパニは最初から最後まで自分の主張を続けていますが、コーダの少し前でスコアの指定(A−D)とは違う音程を2発叩いているのは何に基づいているのでしょうか。


◆バーンスタイン/ウィーンフィルハーモニー管弦楽団(1985年 GRAMMOPHON) ★★★★☆
 筆者が初めてこの曲に接したのは1972年8月17日NHK総合テレビで放映されたバーンスタイン指揮ウィーンフィルのロンドン・ロイヤルアルバートホールでの演奏会でした。1971年3月15日に行なわれたこのコンビのヨーロッパ・ツアーでの演奏会の模様で、エリザベス皇太后が臨席したことで両国の国歌が演奏されたことが筆者の当時の日記に記されています。もちろんバーンスタインという指揮者を見るのも初めてで、日記には「少しよたった感じの独特のポーズ」なんて書いています。また、ウィーンフィルのとりわけ木管がすばらしいことなどが書かれ、どうしてこんないい曲を今まで知らなかったのだろうと残念がっていました。時に筆者は中学生でした。このときの演奏がどうだったかはさすがに記憶はありませんが、同じ年のツアーでローマでの演奏会の録音がCD化されていますので、ある程度参考にはなるでしょう(前述)。

 さて、この演奏はそのヨーロッパ・ツアーの14年後にウィーンのムジークフェラインホールで録音され、ほぼ同時期に映像にも収録されています。これを見ますと、バーンスタインはウィーンフィルに対して木管を倍に増やし、部分的に音を補強しています。これは映像だからこそわかるのですが、オーケストラの編成という問題は演奏解釈に関わる重要なことですのでCD録音の時もきちんと説明があってもいいのにといつも思っています。

 きわめて遅いテンポではじまる第1楽章の序奏ではヴィオラ・チェロの対旋律が強調されているのが特徴的で、その美しい音色に思わず引き込まれそうになります。主部に入っても遅いままで進みます。シューマンへの熱い思いを抱くバーンスタインの指揮のもと、ウィーンフィルの艶のある音色のせいかそのテンポの遅さに違和感は不思議と感じられません。金管に対するfp(フォルテピアノ)での指示や、チェロ・バスへの特別な指示(譜面にない軽いアクセント)などを映像で観ると、指揮者とオーケストラの間に綿密なリハーサルの跡が伺えます。

 第2楽章もオーボエ・チェロのソロ、ヴァイオリンのソロ共に遅いのですが、その音楽に全く弛緩が見られないのはさすがと言うべきでしょう。ここのテンポ感はバーンスタインのロマンツェに対する思い入れを感じさせます。第3楽章トリオでは遅いテンポに加えてヴァイオリンの上降半音階では大幅なリタルダントをかけ、最後のスタカート付きの半音階は名残惜しそうに一音一音かみしめるように弾かれているのですが、バーンスタインだから、ウィーンフィルだから許されることなのでしょう。チェロ・バスの伴奏が実に効果的に響いていて、ヴァイオリンとしっかり会話をしている様が手に取るようにわかります。小節の1拍目をこのようにきちんと低弦が弾いてくれると3拍目で入るヴァイオリンにはとても助かります。

 第4楽章の序奏におけるクライマックスの創り方はさすがで、繰り広げられるシーンに思わず引きこまれずにいられません。主部に入ると、踊り、飛びはね、爪先立つバーンスタインの真骨頂が発揮されます。テンポの変化がきわめて自然でときおり見せるルバートも絶妙に決まっています。コーダの手前の再現部で早くもテンポを上げることで繰返しの多いシューマンの構成上の弱点を見事にカバーしています(こうした工夫は14年前のバーンスタインの演奏にはまだ見ることはできません。)。バーンスタインの指揮を感情に溺れすぎると批判する人がいますが、バーンスタインはむしろ全曲の各場面でのテンポや表情について綿密な準備を行ない、最大の演奏効果を上げるべく緻密な計算に基づいた演奏シナリオを腹の中にもって指揮台に上っているように思えてなりません。コーダの後半でプレストの直前にあるff(フォルテシモ)による全奏にヴァイオリンのアウフタクトがあるのですが、その効果は絶大でまるで奈落の底が目の前に口開くような感じがします。

 筆者が最後のバーンスタインの姿を見たのは、1990年6月、札幌のパンパシフィック音楽祭でのシューマンの交響曲第2番のリハーサルと本番の映像ででした。苦痛に顔を歪めながら指揮するバーンスタインの姿を見るのはつらいものがありましたが、シューマンの交響曲にこれほどまでのドラマを見せてくれた指揮者はバーンスタインをおいて他にはいません。バーンスタインとの出会いはシューマンの4番に始まり2番で終わったことになります。


◆マリナー/シュトゥットガルト放送管弦楽団(1985年 CAPRICCIO)
  あのヴィヴァルディやバッハ、モーツァルトばかりやるアカデミー室内楽団の指揮者がシューマンなんてと意外な感じがしますが(マリナーはすでにブラームスやR.シュトラウスの録音も行なっています。筆者にとっては、アカデミー室内楽団の来日公演でコンサートマスターとしてヴィヴァルディの「四季」を弾いているマリナーの姿が強烈に印象として残っています。)、予想に反して聴き応えのある演奏を披露しています。
 第1楽章では、バランスに細心の注意を払い流れるようなメロディーラインが特徴的です。とりわけヴァイオリンの艶のある音色と、全奏時における引き締まったコンパクトな響きが魅力的です。また、時々聴こえるオーボエの音色に思わず耳をそばだててしまいます。

 第2楽章のオーボエのソロは温かみのある音色に惹かれます。ヴァイオリンのソロはスタカートのないレガート奏法です。第3楽章は実にていねいに弾き込んでいるといった印象を受け、攻撃的・威圧的なところがありません。終楽章は、とてもリズカルで明るい演奏で、深刻ぶらないところが好感を持てます。


◆チェリビダッケ/ミュンヘンフィルハーモニー管弦楽団(1986年 EMI)
 チェリビダッケはレコード録音を拒んできたことで有名ですが、死後遺族の判断でチェリビダッケが遺したいくつかのライヴ録音が正規にCD化されました。この演奏はミュンヘンのガスタイクホールで収録されたもので、ライヴながら極めて完成度の高いものになっています。この演奏会は9月20日に行なわれましたが、その3日後、ベルリンの芸術週間に参加してカラヤンの本拠地フィルハーモニーで同じシューマンの4番を演奏しています(その日のメインはムソルグスキーの『展覧会の絵』でした。ちなみに翌24日はブルックナーの5番でした。また、その6年後に因縁のベルリンフィルを振ってブルックナーの7番を演奏したことは記憶に新しいところです。)。この23日の放送録音のテープを聴きますと、お疲れなのか今ひとつ張りのない演奏に終始しています。チェリビダッケといえどもいつも完璧ではなかったようです。なお、翌月には日本へ演奏旅行に出かけ、10月14日に昭和女子大人見記念でシューマンの4番を演奏しています(メインはR.シュトラウスの『死と変容』)。この時の模様はFMで放送されましたが、やたらテンポが遅く、唸り声を連発していたことを記憶しています。

 さて、ガスタイクでのライブ録音であるこのCDに話しを戻します。第1楽章の序奏は、予想通りの遅いテンポで始まり、息の長い平らな音楽で進行します。主部に入ると、書かれた音符を余裕を持って音にするのに十分なテンポを採っています。シューマンのテンポ指定と一致するかしないかの議論は置くとして、シューマンが意図したある面は忠実に(音を取ることに集中して音楽表現がおろそかにならない)表現できているし、譜面に書かれていないフレーズ毎のダイナミクスの微妙な変化もつけやすくなっています。これによって、この楽章の持つ弱点である起伏の少なさを補っているとも言えるでしょう。なお、提示部のリピートは省略しています。

 第2楽章もひたすら遅いテンポですが、オーボエとチェロのソロが何とも言えない雰囲気を出していて息の合った演奏を聴かせてくれます。ヴァイオリンのソロもそのテンポによく乗っていて、その伴奏部も室内楽的な緻密さを湛えています。第3楽章、抒情的な面を打ち出したユニークなスケルツォになっています。トリオでは遅いテンポを持て余し気味でやや重くひきずる感じがしますが、1拍目のチェロバスの深い音に心が打たれます。コーダでチェリビダッケお得意の哲学が聴けないのが残念です。

 第4楽章の序奏は絶品です。1stヴァイオリンの持続力とクレッシェンド、金管の叫びに絶妙なタイミングで重なるチェリビダッケの唸り声、たっぷり時間をかけたクライマックスのつくり方は余人の及ばないところです。しかし、主部に入ったとたん力尽きてしまうのがなんとも惜しい。そのせいかテンポも今ひとつ乗りきれない状態がしばらく続きます。息の長いクレッシェンドを使って幾つもの山をつくるのはさすがです。また、弦と木管の音色の協調感が聴いていて実に心地よく響きます。コーダでは何時の間にかテンポが上がっていて違和感のないクライマックスを築いています。最後のプレストの直前にある1stヴァイオリンのアウフタクといっしょに発せられるチェリビダッケの唸り声が止めを刺します。


◆チェッカート/ベルゲンフィルハーモニー管弦楽団(1987年 BIS)
 マーラー改編版のスコアを使用していることで話題になった演奏です。残念ながらそのスコアは見たことがないのでどこがどう違うのか確認できません。この演奏を聴いて判断するしかないのですが、どこまでがマーラーの指定でどこまでが指揮者の解釈なのかわからないのが正直なところです。シューマンの譜面に対してはどの指揮者も程度の差はあるとしても何らかの形で手を加えていることが多いですから、この演奏が「マーラー版」と言われてもあまりピンとこないも事実です。

 マーラーはこのシューマンの4番の交響曲をよくプログラムの先頭に置いたそうで、切れ目なく演奏するために遅れてくるお客さんは曲が終わるまで会場に入れなかったということが当時の記録に残っています(ウィーンでは好評、ニューヨークでは不評だったとか。)。つまりプログラムの最後に置かなかったわけで、マーラーのこの曲の捉え方の一端が窺えます。

 第1楽章。まずビックリしたのは主部に入って11小節目の1stヴァイオリンの高いAの音(最初の盛り上がりの頂点を築く重要な音)が全く弾かれていないということです。同時に木管と2ndヴァイオリン、ヴィオラが奏する第1主題をしっかり聴かせるためだと理解できないわけではないのですが、少々疑問が残ります(初稿である1841年版の演奏を聴くとこうなっていることからすると、マーラーの改編はオーケストレーションにとどまらなかったのか、チェッカートがここだけ初稿を取り入れたのかは不明です。)。また、スラーとスタカートが付いた第1主題のフレージングが一部違うところがあるのと、弦の16分音符のキザミ(32分音符で同じ音を弾く)の指定をなくして16分音符のまま弾かせる個所があります。テンポが速かったり他の楽器の音量が大きい場合、キザミで弾くとそのメロディーラインがぼやけて聴き取れないことがありますので、この変更は理解できるところです(ブルックナーの交響曲で同様の変更を加える演奏が時々ありますね。)。展開部でのトロンボーンのコラールの前で、ホルンを譜面通りフォルテで吹かせています(1stヴァイオリンがホルンに負けじと16分音符を強く弾いているためかなり乱暴に聴こえます。2回目に出てくるところでは落ち着いています。)。これを聴くと、現在ここのホルンを小さめに吹かせる演奏が多い中、マーラーはシューマンの指定を守っていたことがわかります。コーダの前の1stヴァイオリンがバロック調のフレーズを弾くところではかなり大胆なダイナミクスの変化がつけられていてたいへん面白く聴くことが出来ます。なお、提示部のリピートは省略されていますが、マーラーの指定なのか指揮者の判断なのかはわかりません(プログラムの1曲目に置いたことで大曲扱いにしていなかったとするとマーラーは繰返しを省いたかもしれません。)。演奏の方はと言いますと、非常にオーソドックスなテンポを採用していて、弦の厚みに物足りなさを感じますが全体としては豊かな響きを出しています。そのせいか明るい雰囲気が感じられます。

 第2楽章。ヴァイオリンのソロはめずらしく譜面の指定通りのフレージングで弾かれています。第3楽章。落ち着いたテンポで進行しますが、ヴァイオリンとフルート・オーボエがフォルテで四分音符を連続して奏するところでは譜面に指定のないデクレッシェンドをつけているのがユニークです。トリオにおけるヴァイオリンの上降半音階もデクレッシェンドをつけています。第4楽章。ここでも提示部のリピートは省略されています。また、第2主題でたっぷりリタルダントをかけているのがマーラーの指定なのか指揮者の指示なのかはわかりません。展開部での付点音符が連続するところではかなり派手にダイナミクスの差をつけています。ここは楽器が変わるだけで同じパターンが延々続くために正直いって退屈なところですから、マーラーは作曲家としてなんとか手を差し伸べたかったのでしょう。


◆カラヤン/ウィーンフィルハーモニー管弦楽団(1987年 GRAMMOPHON) ★★★★★
 ベルリンフィルと2回(1957,1971)正規に録音をしているカラヤンですが、晩年になって3回目の相手に選んだのはウィーンフィルでした。カラヤンはシューマンの中ではこの4番を好んで取り上げていまして、この演奏は1987年5月のムジークフェラインでのライヴ録音ですが、翌1988年8月15日にはザルツブルグ音楽祭でムターをソリストにしたチャイコフスキーのヴァイオリン協奏曲とのプログラムでも演奏をしています。ちなみにこのチャイコフスキーのライヴ録音はCDされています。筆者はこの2曲をFMで放送された際にエアチェックしていますが、シューマンの演奏も素晴らしく、この1987年の演奏とほとんど同じスタイルで極めて高い完成度を誇るものです。
 
 1971年のベルリンフィルとの演奏と一番大きな違いを一言でいうと、カラヤンの年齢からくる「肩の力の抜けた」自在な指揮です。第1楽章の序奏では、深刻ぶらないウィーンフィル特有の美しい弦の響きがまず耳を捉えます。主部に入るときもことさら激しいアッチェランドをかけたり緊張感を高めることはしません。しかし、テンポは速めで溌剌とした生気に溢れた音楽が展開されています。その快速のテンポにピッタリ、キッチリつけているウィーンフィルの弦、とりわけヴァイオリンの完璧さには舌を巻きます。そればかりか持ち前の音色の美しさを全く失わず、あらゆる場面においてこれしかないという表現を放ち続けているのですから驚きです。聴いていると思わず引き込まれていき、まるで妖精が自由に飛び跳ねているのを夢か魔法で見ているような錯覚に陥るほどです。指揮のカヤランは小細工を弄せずに正攻法で取り組んでいて、この楽章の持つ情念、優美、威厳、軽妙、苦悩、歓喜などのあらゆる要素を余すところなく音にしています。筆者が聴いた中で最も理想的な第1楽章の演奏と断言してもいいくらいです。

 第2楽章。オーボエとチェロの一体となった演奏は見事で、特にチェロの深い響きには心を奪われます。ヴァイオリンのソロは遅目のテンポの中、音型に即したフレージングで一音一音ていねいに弾かれています。録音のせいか芯のある深い音質が特徴的です。スタカートはつけていません。このロマンツェをこれほどすべての音を磨いて歌い上げた完成度の高い演奏は稀で、カラヤンの面目躍如たるところがあります。第3楽章は、1971年のベルリンでの演奏と似ていて、重厚で威厳溢れる演奏です。ただ、じっくり時間をかけたロマンツェの後にはもう少し勢いのあるテンポでもよかったかもしれません。トリオでのヴァイオリンの素晴らしさは言うまでもありません。しかも、コーダから第4楽章にかけての透徹とした音楽づくりはカラヤンならではの美学を感じさせ、客席にいたらどれほど感動しただろうかと想像するだけでも息がつまりそうになります。
 
 第4楽章。前楽章のコーダからの緊張感に満ちた静寂からたっぷり時間をかけてクレッシェンドをしていきます。第1楽章の主題を回顧するヴァイオリンの響きには特筆すべき美しさがあります。主部は重厚な響きと落ち着いたテンポで開始され、交響曲としての風格を印象づけています。第2主題に入る直前の大胆な急ブレーキには驚かされ、続く第2主題のさらに遅いテンポ(ほとんど止まりそう!)とルバートは1971年のベルリンでの演奏を凌ぐ自由さがあります。果たしてシューマンが描こうとした世界と言えるのかどうかは意見の分かれるところです。しかし、不思議と説得力があるのも事実です。なお、提示部のリピートは省略されています。コーダではテンポをグイグイ上げて見事な大団円を築きますが、オーケストラはけっして崩れることなく見事に応えています。好みは分かれるとは思いますが、名演として後世に残ることは間違いはないでしょう。
                                 1999年8月12日現在


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