シューマン : 交響曲第4番ニ短調 CDレビュー I



T. 1940-1973年録音
   ♪ワルター♪フルトヴェングラー♪ボールト♪クナッパーツブッシュ♪カラヤン♪セル♪
   ♪コンヴィチュニー♪クレンペラー♪クナッパーツブッシュ♪クーベリック♪ショルティ♪
   ♪インバル♪カラヤン♪バーンスタイン♪マズア♪


◆ワルター/NBC交響楽団(1940年 M&A) ★★★★☆
 トスカニーニが振っていたNBC交響楽団をめずらしくワルターが振ったライブ録音(1939年3月2日)です。ワルターといえば温厚、柔和という形容詞が必ずついてまわりますが、第1楽章の序奏での力強い音楽の進め方、主部での凄まじい気迫のこもった演奏を聴くと、いかに演奏家に張られたレッテルがいいかげんなのもであるかがわかります。第1楽章を8分37秒という記録はセル(9分49秒)をもはるかに凌ぐ堂々の1位です(共に提示部のリピートは省略しています。)。しかし、このとんでもないスピードにもNBC交響曲はさすがトスカニーニに鍛えられているだけに見事についてきます。この荒々しい表現があってこそ、ヴァイオリンによるドルチェの主題(展開部)やバロック風のパッセージ(コーダの前)での美しいカンタービレが絶大な効果を上げているように感じられます。

 第2楽章では一転して落ち着いたテンポで奏され、フレーズひとつひとつが丹念に歌われます。録音が良ければ、と思いたくなる程その歌い回しには惚れ惚れしてしまいます。第3楽章。再び荒々しい演奏となります。フレーズ毎にテンポの色づけがされているのがとてもユニークです。トリオはかなり速いテンポなのですが、ヴァイオリンの正確さには舌を巻きます。第4楽章。序章ではこれまた凄まじい表現が展開され、最初からテンポも速めでぐいぐいと進行します。主部に入っても勢いは衰えず、指揮者のテンションもピンと張り詰めています(ホルンの咆哮と同時に聞えるワルターの唸り声には驚かされます。)。第2主題でのルバートもほんのわずかに行なうだけで驚くほどの色合いの変化を出しています。また、各フレーズにおける表現とテンポにはこれしかないという揺るぎない確信の強さを感じさせ、曲想が変わる毎につける鮮やかなコントラストは、ともすると平板な音楽になりがちなシューマンの音楽を大いに救っているようです。なお、提示部のリピートは省略されています。この時代にすでにこのような見事なスタイルで演奏されていることと、NBC交響楽団の素晴らしいアンサンブルに驚かされる1枚でした。


◆フルトヴェングラー/ベルリンフィルハーモニー管弦楽団(1953年 GRAMMOPHON) ★★★★☆
 長年にわたって名演と評され続けてきた演奏ですが、古いモノラル録音ということもあって最近はあまり取り沙汰されることは少ないようです。それどころかオーセンティックと称する演奏が市民権を得つつある現在、「大時代的」とか「ロマン主義的な勝手な解釈」というレッテルを貼られて攻撃の標的にされることの方が多いかもしれません。筆者がこの曲の洗礼を受けたのはバーンスタインのテレビでの演奏でしたが(後述)、LPで繰返し聴いてきたのはまさにこのフルトヴェングラーの演奏でした。この曲の持つ深淵さ、情熱のほとばしりに身を委ねて青春を過ごしてきたと言ってはオーバーですが、それ程この演奏を特別なものとして愛聴していました。豊かな生活と両手に余る娯楽、ハイテクを駆使したコミュニケーション手段を享受する現代の若者と違って、すべてが観念的な世界に留まっていた筆者の青春時代において、この曲(演奏)が自分の考えや情念をストレートに余すところなく体現してくれると感じていたのです。私事はこの辺にして演奏評に移ろうと思いますが、さすがに冷静に聴くことができるかどうかいささか不安ではあります。

 第1楽章。分厚い響きに乗って2ndヴァイオリンとヴィオラの旋律がフォルテで奏されます(譜面の指定はピアニッシモ)。ヴィオラとチェロがヴァイオリンの対旋律を受け持つところにくると、これから大絵巻物が紐解かれるといった緊張感と興奮が伝わってきます。序奏の後半で、うねるようなクレッシェンドに乗ってヴァイオリンが主部の主題の変形をゆっくり繰返しながら次第にテンポを上げ、管楽器が急かすようにして盛り上がっていくところはまさにこの曲を聴き手に印象づける最初のポイントと言っていいと思いますが、この演奏程エネルギーの集中と開放とを劇的に表現した演奏はありません。クレシェンドしつつ下降する弦のきざみ(32分音符を2回ずつ弾く序奏の最後の小節)と続く16分音符(第1主題)のタイミングといい音の勢いといい、これしかないという確信に満ち溢れた弾き方に耳を奪われます。主部のテンポはやや遅めながら毅然としていて、もたれず急かさず落ち着いた感じで進行します。フレーズ毎に微妙なテンポの変化が見られ、とりわけフレーズの移り変わり方がとても自然で生理的に心地よく感じられます。展開部での盛り上がりは半端ではなく、その頂点に向けてのクレッシェンドに割って入るトランペット(その音量、音質、タイミングといい奇跡とも言える完璧さで鳴り響きます。)は嵐の空に差し込む一条の光の如くドラマのクライマックスを築くのに十分な役割を演じています。何箇所か聴こえるヴァイオリンのポルタメントは演奏の古さを感じさせます。

 第2楽章。超スローテンポによる重々しい演奏で、第1楽章序奏の旋律を繰返すところも重厚な響きで奏されます。ヴァイオリンのソロも古色蒼然とした響きに驚かされまが、一音一音確かめるような弾き方に自国の作品を演奏する当時のドイツのオーケストラの姿勢を窺わせます。フルトヴェングラーの演奏でこの楽章を聴いていつも連想するのがメンデルスゾーンの交響曲第3番「スコットランド」の第3楽章でして、その中世的というか懐古的なところに両者相通じるところがあるように感じてなりません(メンデルスゾーンの3番の交響曲において楽章間がアタッカでつなげられていることから、シューマンはその影響を受けてこの曲も同じように切れ目をつけなかったという説もあります。)。

 第3楽章。これまた引きずるように重い演奏で、弦楽器の分厚い響きに絶えず支配されています。トリオでも落ち着いたテンポですべての音符がしっかり弾かれています。楽章の最後で、譜面ではピアニッシモとなっているヴィオラとチェロの和音を、大きめにたっぷり時間をかけて弾かせているのに驚かされます。わずか7,8小節の単純な音形にこれ程の深淵な世界を描き出すところはまさにフルトヴェングラーの真骨頂というべきで、この曲を「交響的幻想曲」と呼んだシューマンがスケルツォ楽章にこうした場面を用意した理由を考えさせてくれます。

 第4楽章。序奏でのクライマックスでトランペットが炸裂するあたり、大音響がマイクに入りきっていないのがなんとも残念です。それに、指揮者が考えていることが十分に描かれないまま主部になだれ込んでいるような気がします。かつてこの部分を繰返し何度も聴いては興奮していた頃の記憶が美化されすぎいるのかもしれません。主部では遅めのテンポでじっくり聴かせます。言いたいことがたくさんあって、「ま、そこにお座り」とでも言っているようです。シューマンは主題を展開するというより繰返すケースが多いのですが、2回目に演奏するときはテンポを変えたりしてニュアンスを変えているように聴こえます。第2主題ではテンポ・ルバートをかけていますが、セル、カラヤン、レヴァイン等ほどではありません。コーダにかけて次第に興奮度を高めていくところはフルトヴェングラーならではの大きな音楽のうねりを感じさせてくれます。力強いクレッシェンド、ドラマチックなアッチェランドと、もしかしたらシューマンはこれ程までのスケールの音楽を描こうとは思わなかったかもしれませんが、すべてに有無を言わせない確信に満ちたものに感じられます。なお、提示部のリピートは省略されています。

 録音が古いこともあり、音の分離やバランスが悪く、弦主体に音楽がつくられているようで万人に勧められる演奏であるとは言えません。しかも、数あるフルトヴェングラーのライブ録音で感じられるこの指揮者特有の熱気がこの演奏では十全に伝わってこない(この演奏がライブではないからとは必ずしも言えないと思いますが)ことも確かです。しかし、それでもこの曲の本質に迫る素晴らしい演奏であることと、後世に与えた影響は計り知れないものがあることは否定できないでしょう。


◆ボールト/ロンドンフィルハーモニー管弦楽団(1956年 TEICHIKU)
 第1楽章。スケールの大きな序奏で、ヴィオラ、チェロの対旋律をのびのび歌わせています。主部は速めのテンポで開始されますが、数小節でさらに速くなります。弦楽器奏者が音を取りきれないのもお構いなしに前へ前へと進みます。今だったらとてもCD化されない演奏ですが、これがこの指揮者の感じているテンポなわけで、それはそれとして興味深いところです。途中テンポの弛緩は少ないのですが、トロンボーンのコラールのところで突然テンポを動かすのはなかなか余人の思いつかないところです。ヴァイオリン対フルートとでも言えるくらい、フルートがリードしているところが面白く聴けます。

 第2楽章。低音を強調した重々しい雰囲気が漂う楽章です。ヴァイオリンのソロはゆったりしたテンポで譜面に指定されているスタカートをつけて弾いていません。最初は指揮者に合わせようと調整しようとしているせいか、安定しない演奏になっています。今だったら録り直ししているでしょう。第3楽章。スピード感溢れた荒々しい演奏です。ヴァイオリンで四分音符を連続して弾くところは弓を長めに使っているので縦が合っていませんが、このテンポではしかたないところです。トリオでのチェロ・バスの主張はなかなか聴き応えがあります。ヴァイオリンにもう少し鮮明度があるといいですが。

 第4楽章。序奏でクレッシェンドした後、いったんp(ピアノ)に戻るところで一瞬音楽が止まりそうになり、ドキッとさせられます。この楽章はわりとまともなテンポでオーケストラものびのび演奏しています。提示部のリピートは省略されています。コーダでは最後のプレストの直前にある全休符を長めに取っていて、高まる興奮に油を注ぐような絶大な効果を上げています。聴き手を手玉に取る術を心得た巧者といった感じです。


◆クナッパーツブッシュ/ドレスデン・シュターツカペレ(1956年M&A)
 1956年11月4日に行なわれた演奏会のライヴ録音で、その時のプログラムのメインはブラームスの3番の交響曲でした(シューマンはニ短調、ブラームスはヘ長調と共にフラット1つの曲を並べるというなかなか凝ったプログラムです。)。第1楽章の序奏は速めのテンポで開始されるのですが、その後ちっともテンポは上がらずに主部になだれ込むというなんとも珍妙な演奏です。主部では厚みのある弦楽器に支えられてスケールの大きい表現が展開されます。テンポは遅いままですが弛緩はなく音の勢いと力強さを常に維持しているのですが、録音が悪く管楽器が奥まって聴こえるのが残念です。全休符の直後の音の出をほんの少し遅らせるといった芸当をやっていてこれには驚かされます。なお、提示部のリピートは省略されています。

 第2楽章も全体的に遅いテンポで、とりわけ分厚い伴奏に乗ってヴァイオリンのソロが妖艶な節回しで歌うところは面白く聴けます。第3楽章は一転して速めのテンポで爆発します。繰返しの直前でのクレッシェンドは凄まじく、アンサンブルが崩れるのも構わず急き立てます。トリオではテンポを急激に落として表情たっぷりに歌わせます。第4楽章の序奏ではまた何かやってくれるかなと思わせますが、結局何も起こらずに主部に入ります。主部は実に力のこもった和音で開始され、遅めのテンポで全体に骨格がはっきりした演奏と言えます。第2主題におけるアクセントも譜面通りがっちり生真面目につけていて、通常はソフトに表現するところも重量感を減らすことなく演奏しています。展開部ではスケールの大きな表現に徹していてそれが曲の最後まで維持されます。提示部のリピートは省略されています。


◆カラヤン/ベルリンフィルハーモニー管弦楽団(1957年 EMI) ★★★★☆
 この演奏はカラヤンがベルリンフィルの常任指揮者に就任して2年後の録音、あのフルトヴェングラーの歴史的録音の4年後ということになります。第1楽章。序奏の冒頭におけるティンパニのトレモロが驚くほど大きめに打ち鳴らされ、最初からただならぬ緊張感が漂います。主部に向かってのアッチェランドはすざまじく、その後のテンポはあまりの速さにほとんど弾き飛ばされています。ベルリンフィルも負けじとくらいついてくる様が手に取るようにわかります。このあたりの音楽は1971年の2回目の録音に共通するところがあります。しばらくするとテンポは落ち着きますが、また興奮と熱気と共に次第にテンポは上がっていきます。カラヤンが強引に引っ張っりまわしているといった感じです。展開部での1stヴァイオリンの歌謡風のフレーズでは、その直前で突然のリタルダントをかけ、たっぷり時間をかけてそのフレーズを歌い、再び元の速いテンポに戻るといった少々不自然なことをやっています。このへんは悪趣味という批判もあるかもしれません。しかし、ロマン主義の旗手としてのシューマンの音楽を解釈するに当たって、こうしたフレーズ特有のテンポに素直たらんとしたカラヤンの態度も時代遅れというひと言でかたづけることはできないものがあります。コーダに入ると一気呵成に駈け抜けて行きます。録音が悪い割にはオーケストラの熱気が伝わってくる演奏です。

 第2楽章。チェロとオーボエのソロはぴったりと息の合った見事な演奏を聴かせてくれます。二人の音の同質性も見事です。続く第1楽章の序奏の再現における弦楽器の響きはぞくぞくする程の深遠さを湛えています。ヴァイオリンのソロはスラーを取り去って弾かれていますが、長閑なムードで自然なスタイルであるところに好感が持てます。第3楽章。速めのテンポで攻撃的に弾かれます。アウフタクトに乱れがあるものの勢いと熱気を感じさせる演奏になっています。トリオも厚みのある響きでテンポを変えずにどんどん前に進みます。コーダから第4楽章の序奏にかけては、さすがカラヤンと言わしめる程で、録音の古さにもかかわらず見事な静寂をつくりだし、さらに頂点へと音楽を導いていくドラマ作りには非凡なものを感じさせます。

 第4楽章に入ると速めのテンポでグイグイと進みます。第2主題へ向けてのルバートはためらいがちですが、ひとたび第2主題に入るともはや陶酔の極地、音楽はまさに止まらんばかりになります。カラヤンのこの辺のやり方は後年の録音でも同じようなスタイルを貫いているのは興味深いところです。徐々に目が覚めると、ギアを入れ替えて元のテンポに戻しますが、このやり方も堂に入っています。コーダに入ってからの熱狂ぶりは目を見張るものがあり、ベルリンフィルの底力を見せつけてくれます。1971年のベルリンフィルとの2回目の録音と極めてスタイルの似通ったところがありますが、カラヤンはこちらの方がより徹底的にやりたいようにやっているといった感じを受けます。録音が古いのが返すがえすも残念な演奏です。


◆セル/クリーヴランド管弦楽団(1960年 CBS)
 第1楽章、とにかく速い!なんとかオーケストラはついては来ますが音符が求める音は完全には鳴りきってはいません。弦のキザミ(32分音符で同じ音を2個ずつ弾くところ)も弾き飛ばされていますし、スタカートにならずにすべっているところもあります。完全な演奏という基準ではなく、これがこの指揮者の感じているテンポであるとして聴けばそれなりに納得できないことはありません。コーダにおける華々しいラッパのファンファーレは「いかにもアメリカのオーケストラ」という批判を浴びそうですが、開放感というか爽快感があってそれなりに楽しめます。近年流行のオリジナル楽器による演奏での過激なラッパの音に対しては何もお咎めがないのに、アメリカのノーテンキなラッパの音が許されないのは何故でしょう?学問的な裏付けのあるなしで音楽を聴く態度がかわるというのも変な話しですね。なお、提示部でのリピートは省略されています。
第2楽章、ヴァイオリンのソロがスラーを全部取っ払って、スタカートも無視して弾いているのが印象的です。第3楽章、トリオでもセカセカしたテンポを採っていてヴァイオリンのフレーズはその正確さを失いがちです。ここまでやるといったい何を表現したいのか首を傾げたくなります。

 第4楽章でようやくクリーヴランド管の実力が発揮されます。比較的落ち着いたテンポで進行し、ルバートがかかった第2主題での乱れのないアンサンブルには舌を巻きます。不思議とわざとらしさを感じさせないルバートです。展開部に入った直後の付点のついた音での弦の弾き方は変わっていて近年のオリジナル奏法を先取りしたような感じがします。コーダに入ると速いのなんのって、提示部のリピートも省略されていましたし、よほど早く終わらせたかったのでしょうか。最後も、惜しげもなくというか恥ずかしげもなくというかラッパを目一杯吹かせるところもユニークです。


◆コンヴィチュニー/ライプツィヒ・ゲヴァントハウス管弦楽団(1961年 BERLIN Classics) ★★★★☆
 1961年の録音ながら奥行きを感じさせる音で、鑑賞には全く問題がないどころかその演奏たるやこの曲の真価を聴く者に思い知らせるに足る立派なものです。交響曲作曲家としてシューマンへの評価は意見のわかれるところですが、この演奏を聴くと不思議と偉大なシューマン像が見えてきて、シューマンのいつもの「独り言」ではない、人類の心の奥底からのメッセージが聞こえてくるような気がします。

 第1楽章の序奏での中低弦とファゴットの対旋律には強い意思が感じられます。精緻なアンサンブルでも洗練されたスタイルでもないのですが、頑なに一定のテンポを維持して小細工を弄しないところに好感が持てます。あまり起伏のない楽章ですが、コーダに入ってからこれまで蓄えていたエネルギーを全開させるあたり、我々アマチュアとしては手本にしたいものです。第2楽章でのヴァイオリンのソロの深い響きはとても印象的です。第3楽章で驚かされるのはこのオーケストラの1stヴァイオリンで、これほど自信に満ちたスケルツォにおける四分音符の弾き方は未だ聴いたことはありません。ベートーヴェン、シューベルトのスケルツォ楽章の正統的継承者をこのシューマンに見出すことができるのではないでしょうか。第4楽章の序奏から主部に入る直前までの部分はおそらくこの曲の音楽的頂点をなすところだと思いますが、これほど作為を感じさせずに劇的な効果をあげている演奏は少ないでしょう。その雄大なスケールの中で金管の咆哮からヴァイオリンがフェルマータの最後を弾ききるまで、気持ちが昂ぶりを抑えることは誰もできないはずです。主部に入ると、一転して明るい調子で音楽が進みます。悲壮感漂う演奏もありますが、これは好みの分かれるところです。


◆クレンペラー/フィルハーモニア管弦楽団(1961年 EMI)
 ゆっくりした序奏において停滞することなく、前へ前へと進む勢いのある音にこれから始まる音楽への期待を抱かせます。主部では、濛々と砂埃を巻き上げながら進む重戦車のように量感と自信あふれる歩みを感じさせつつ、けっして攻撃的・威圧的でないところが素晴らしい。テンポも速すぎず遅すぎずといったところで、とりわけフレーズからフレーズへの移り変わる時に音の勢いが衰えず、流れが途絶えないところが見事です。また、弦楽器の音に食らいつくような気合あふれる演奏に心が打たれます。残念なのは録音のせいか木管の音色が今ひとつなのとバランスが時々くずれることでしょうか。あまりテンポが上がらないコーダの堂々とした様を聴くとこんな立派な曲だったかな、なんて考えたりもします。

 第2楽章のオーボエとチェロのソロはあっさりしていて少々もの足りませんが、続く弦のところも早めのテンポながら端正な音楽づくりを行なっています。ヴァイオリンのソロも同様で何か特別な思いを込めようといった弾き方ではないようで、この2楽章を間奏曲風に仕上げようとしている意図が窺えます。第3楽章も深刻ぶらず、激することもなく、速めのテンポでありながらていねいな演奏に徹しています。

 第4楽章の序奏は比較的速めのテンポで開始され、大きなクライマックスを迎えることなく主部に突入します。この楽章も折り目正しいスタイルを堅持しています。テンポは全体的に遅めで変化もあまりつけていません。しかし、弦楽器の弾き方に歯切れがあるのか重たくなることはありません。コーダに入ってもスタイルは崩れません。意外と言っては失礼ですが、クレンペラーとしてはまともで一般的に推薦できる演奏です。


◆クナッパーツブッシュ/ミュンヘンフィルハーモニー管弦楽団(1962年 SEVEN SEAS)
 1962年1月6日に行なわれた演奏会のライヴ録音で(前プロはモーツァルトのクラリネット協奏曲)録音状態はあまり良くはありません。ブルックナー、ワーグナーのスペシャリストとして知られるクナッパーツブッシュですが、ライヴとはいえこの曲の録音が3種(ドレスデン、ミュンヘン、ウィーン)も残っていることからすると好きな曲だったのでしょう。

 序奏では、ヴィオラ・チェロの対旋律を際立たせた力強い演奏です。主部に入る直前のアッチェランドの指示を全く無視して遅いテンポのまま主部に入るのには仰天させられます。主部では重厚な音でスケールの大きさを感じさせます。楽章を通じて遅いテンポで貫かれていますが弛緩は全く感じられません。コーダに入る少し前で1stヴァイオリンが高い音(A)を弾いた後1オクターヴ下げて旋律を奏する個所がありますが(297小節)、クナッパーツブッシュは続く2小節間をオクターヴ下げずにそのまま弾かせています。ロマン派後期の曲を知るヴァイオリン弾きとしては、この楽章での最高音を弾くことで音楽的頂点を築くところなのに何故シューマンはオクターヴ下げたのか最初は疑問に思う個所です。しかしその後、旋律はどんどん高い音に上がっていきますのでこの音域のままでは弾けなくなってします。この演奏は2小節後にはオクターヴ下げていますが、なんだか変に聴こえます。きっとシューマンも悩んだのに違いありません(ピアノ曲だったら悩まなかったでしょう。)。コーダに入ると申し訳程度テンポはアップします。なお、提示部のリピートは省略されています。

 第2楽章。オーボエとチェロのソロはゆったりとしたテンポに乗って深い味わいを湛えています。ヴァイオリンのソロはスタカートのないレガート奏法で、テンポが遅いせいか練習曲のようにも聴こえます。ソロを繋ぐ伴奏部の歌わせ方は起伏に富んだ素晴らしいものがあります。2回目に出てくるオーボエとチェロのソロは1回目より自由なフレージングで演奏されています。第3楽章。これまた遅いテンポで演奏されますが、ヴァイオリンと木管によるスタカートで四分音符が連続するところでは実にリズミカルに弾かれています。リピートの直前でトランペットとティンパニに譜面にないリズムをf(フォルテ)で奏させているのにはビックリしますが、調べるとこの曲の初稿(1841年版)がそうなっていました。ブルックナーでは改訂版を好んで使用した(少々意味はちがいますが)クナッパーツブッシュにしては意外ですね。それとこの時代の指揮者でこうした譜面の探求が行なわれていたというのも意外なことです。トリオでのヴァイオリンによる上降半音階にはすべてリタルダントをかけていますが息はピッタリです。コーダでも丹念に演奏されていますが、録音が悪くノイズがひどいのでその良さがわからないのが残念です。

 第4楽章。ここでもマイクに入りきらない金管、ノイズの向こうから聴こえてくる弦というハンディにもかかわらず実に壮大な序奏です。さすがブルックナー演奏の大家だけあって大見得の切り方は余人を寄せつけません。主部はやはり遅目のテンポに終始しています。展開部での弦による付点のリズムや金管の咆哮に確固たる自信を感じさせます。コーダではやや速くなる程度ですが、音楽の緊張感は常に維持されています。第1楽章と同様、提示部のリピートは省略されています。ライヴだけにキズもある演奏ですが、音楽的な水準は極めて高く録音の悪さが惜しまれます。


◆クーベリック/ベルリンフィルハーモニー管弦楽団(1963年 GRAMMOPHON)
 比較的遅いテンポで、流れるようなレガート気味の弾き方で曲を進めているところがユニークです。ベルリンフィルの重心の低いサウンドのためにやや重たくなる傾向にありますが、トロンボーンのコラールの部分でのチェロ・バスの持続音はいい効果をあげています。後半で1stヴァイオリンがバロック調(メンデルスゾーン風とも言いましょうか)のフレーズを弾き続けるところにおけるオーケストラのバランスの取り方は絶妙で、あたかもヴァイオリンと木管が会話をするように聴こえ、ここでシューマンは何を描こうとしたのかと想像するのも楽しいものです。遅いテンポもコーダに入るとアクセルが踏み込まれ興奮のうちに楽章を閉じます。

 第2楽章のオーボエとチェロのソロはゆったりと奏されますが、続く第1楽章の序奏が戻るところは一転して速いテンポで奏されそのコントラストは見事です。ヴァイオリンのソロも速めのテンポでスラーもスタカートつけずに弾かれています。第3楽章も中庸なテンポで他の演奏にありがちな攻撃的なところのない演奏です。トリオでヴァイオリンを伴奏する低弦の分厚い響きがとても印象的です。

 第4楽章。序奏での金管の咆哮は凄まじいものがありますが、それほど盛り上がることなく主部に入ります。主部でのテンポもゆっくりしていて少し重たく感じることがあります。しかし、コーダではベルリンフィルの底力を見せつけるような迫力で爆発します。プレストからのベルリンの弦楽器奏者の腕前にはただ唖然とするばかりです。限界ギリギリの状態では確かに切迫した緊張感とスリルを味わうことが出来ますが、それでは作曲家が譜面に記した音符を完全に鳴らすことはできません。ここでベルリンの奏者はとんでもなく速いテンポではないこともあって、余裕で弾いているだけに100パーセントの音で唸りを上げて駈け抜けています。ここだけでなく、ベルリンフィルはどんな時でもフォルムを崩さない安定した響きを維持しています。なお、提示部のリピートは省略されています。


◆ショルティ/ウィーンフィルハーモニー管弦楽団(1967年 DECCA)
 ウィーンフィルにとって初のシューマン交響曲全集(この後メータ、バーンスタイン、ムーティと続きます。)ですが、ショルティにとっては意外にもこれは最初で最後のシューマンとなります。厳格なテンポ観を身上とするショルティにはシューマンの音楽が肌に合わないのかもしれません。1967年といえば、あの記念碑的なショルティ/ウィーンフィルによるワーグナーの『指輪』全曲録音をはじめ、R.シュトラウスの歌劇『サロメ』、『エレクトラ』、ブルックナーの7番と重量級の録音が続いた後ということになります。

 第1楽章。序奏では抑揚は少ないながらも密度の濃い音を聴かせてくれます。細かいヴィヴラートと強めの弓の圧力がかけられた弦楽器の音は全曲を通じて粘りのあるフレージングを生み出しています。主部ではとりたててリズムを強調することもなく中庸なテンポに終始しますが、ショルティらしい統率の取れた見事なアンサンブルを聴かせてくれます。ヴァイオリンの確信に満ちた弾き方と時折耳にする美しい音色に心を惹かれます。欲を言えば展開部でもう少しメリハリがほしいのと、コーダでテンポが落ち着いていって生気を失っていくように聴こえるのが残念です。

 第2楽章。オーボエとチェロのソロから極めて遅いテンポで奏されます。ヴァイオリンのソロも一音一音かみしめるようゆっくり弾かれています。第1楽章の音楽づくりから少しかけ離れているように聴こえ、しかもショルティのイメージからも程遠い感じがします。第3楽章。スケルツォくらいはショルティらしい緊張感と豪快さを期待したのですが、ここでも歯切れも悪いリズムに終始します。ショルティが何も考えていないのか、ウィーンフィルがショルティの言うことを聞かないのかわかりません。しかし、トリオのヴァイオリンの洒落た味わいとコーダの室内楽的な響きとアンサンブルは一聴の価値があります。

 第4楽章。序奏は全く盛り上がりのかける凡庸な出来で、主部に入ってもリズムのノリの悪さが目立つ演奏となっています。さすがウィーンフィルだけあって演奏自体はしっかりしていて美しいところもたくさんあるのですが、ワクワクするような興奮を得ることはできません。


◆インバル/ニューフィルハーモニア管弦楽団(1970年 PHILIPS) ★★★★☆
 ニューフィルハーモニア管弦楽団は一時的にフィルハーモニア管弦楽団が改名したものだったと思いますが、この録音は、クレンペラーの録音から9年目、ムーティの録音の6年前ということになります。イギリスのオーケストラによるこの曲の録音は多くなく、80年代にリヴァプール、90年代にロンドンフィルとアカデミー室内管弦楽団しか録音していません。

 第1楽章。序奏から主部になだれ込む直前ところで1stヴァイオリンが落ち着いた感じでしっかり歌うところはとても印象的です。主部に入ってからのテンポは終始遅めで、一音一音明解に聴き取れます。とりわけ16分音符が明瞭に聴こえるのには爽快さを感じます。展開部ではスケールの大きな堂々とした演奏を繰り広げています。ただ、あまり変化がないせいか起伏のない平板な音楽に感じられる時もあります。また、音色への配慮と決めどころへの踏み込みがもう少しあるといいかもしれません。真面目過ぎるのかもしれません。

 第2楽章。第1楽章の序奏のテーマに戻るところで、弦楽器が新しいフレーズに入る時にブレス(息継ぎ)をするように間をあけるところがとても新鮮に感じられます。厚い伴奏に乗ってヴァイオリンのソロがよく鳴る音で流麗に歌います。スタカートは付けていません。第3楽章。リズミカルでバランスのよく取れた演奏で、フルートの高音が心地よく響きます。トリオでのヴァイオリンはていねいに弾かれていてリタルダントもきちんと決まっています。ここまで聴いて思い当たったことですが、インバルは後年シュトゥットガルト放送管弦楽団やフランクフルト放送管弦楽団を振ってマーラーの交響曲を数多く演奏していまして、大曲の細部を丹念に磨き上げながら全体を組み上げていくというこの指揮者特有のスタイルを既にここで実践しているように感じられます。

 第4楽章。実に立派な序奏で、息の長いクレッシェンドで堂々たる頂点を築いています。主部に入ってもその雰囲気は変わりませんが、少々優等生的なところが気になります。音の厚みが変わらないために部分的にやや重くなることがあります。もう少し起伏があった方がいいかもしれません。しかし、全体的には水準の高いお奨めの演奏であると言えます。


◆カラヤン/ベルリンフィルハーモニー管弦楽団(1971年 GRAMMOPHON) ★★★★☆
 一般的にカラヤンの演奏に対する形容詞として「流線形」とか「スポーツカー」とかがよく使われますが、この演奏を聴いてそれを使うとしたらいったいどこに耳をつけているのと問わずにいられません。また、ベルリンフィルの前任者であるフルトヴェングラーがこの曲の超名演をレコードに遺しているために、カラヤンによるこの曲の演奏が対抗意識や反動の産物のような評をこれまでずいぶん目にしてきました。果たして18年も前の演奏に怯えるようなカラヤンでしょうか?

 第1楽章。序奏は極めてオーソドックスなテンポで、流れを大切にしつつ内に秘めた激しさを感じさせる演奏です。主部は驚くばかりの猛スピードで邁進します。さすがのベルリンフィルもついていくのが精一杯です。主部に入って直ぐに出てくるシンコペーションではリズムが狂っているし、弦のキザミ(32分音符で2個ずつ同じ音を弾くところ)は弾ききれず、付点音符のリズムも前のめりであちこちで破綻が生じています。展開部に入っても速いテンポは変わらず(初めて出てくるフェルマータの直前で急ブレーキをかけるのを例外として)、弦のキザミが全く音にならないのもおかまいなしに前へ前へと進む様はこの楽章を一気に聴かせようとするカラヤンの意図を見ることが出来ます。少し俯きかげんに目を閉じて両腕を大きく上下させて、荒馬を乗りこなすようにオーケストラを自在に操る(強引に引っ張るとでも言いましょうか)カラヤンの姿が目に浮かびます。確かに「スポーツカー」並のスピードかもしれませんが、決してスマートで華麗な演奏ではありませんね。

 第2楽章。一転して、しみじみとした情感を湛えたオーボエとチェロのソロで始まります。ヴァイオリンのソロはスラーをすべて取り去って弾いて、抑揚をつけたソリスティックな演奏です。ここでは第1楽章の荒々しさとは対照的にていねいな音楽づくりに徹しています。第3楽章。やや遅めのテンポで決然とした堂々たる演奏を繰り広げます。ヴァイオリンの四分音符の見事な弾き方には惚れ惚れします。コーダから第4楽章の序奏にかけてはいよいよカラヤン独自の世界が始まります。序奏の冒頭でのPP(ピアニッシモ)ではそれまで蓄えられたエネルギーが爆発の時を待っているといった緊迫感が漲っています。金管の咆哮、ティンパニのクレッシェンドとたたみかけ、頂点を築くとすぐさまアッチェランドをかけて一気に主部になだれ込むところはさすがです(全休符の後のアウフタクトでカラヤンの唸り声を聞くことができます。)。主部に入った直後数小節間のそれぞれの音符に対する弾き方(音の長さ)への配慮は他の演奏では見られないものです。とりわけ弦の四分音符や付点八分音符といった長めの音符をテヌート気味に弾かせることで、はやる気持ちを抑える効果を上げています。第2主題では止まりそうになるくらい思いきったテンポ・ルバートを行ない(フルトヴェングラーをも凌ぐ)、自由自在にたっぷり歌い込みます。ここまで徹底的にやられると不思議と説得力があるものです。また、この辺を見事なアンサンブルで応えるベルリンフィルには脱帽せざるを得ません。剛と柔を併せ持ち、第1楽章から第4楽章まで曲全体に起承転結のストーリーを持たせる(細部を磨くことは二の次にして)あたりにカラヤンの計算し尽くされた緻密な音楽づくりを垣間見ることができると思います。この辺は大きく好みが分かれることでしょう。ただ、音楽というのはある意味で「効果」の連続であり、行き当たりばったりではなくすべてを計算した構成になってこそ(ソナタ形式はその典型)感動が得られるという事実を無視してはいけません。


◆バーンスタイン/ウィーンフィルハーモニー管弦楽団(1971年 LIVE CLASSIC BEST)
 ヨーロッパ・ツアーにおけるローマでの演奏会の放送用の録音と思われますが正規の録音ではありません。ちょうどこのツアーと前後して、バーンスタインはウィーンフィルとR.シュトラウスの歌劇『バラの騎士』を録音していました。このころから両者の関係は深まり、1972年からのマーラーの交響曲の映像収録に始まり、ベートーヴェン、シューマン、ブラームスの交響曲や協奏曲の録音へとつながっていきます。全体のテンポ感、音楽づくりは14年後の同じ組み合わせによる演奏とあまり変わりません。強いて言えばこの1971年の演奏のほうがテンポの変わり目が大胆でよりダイナミックな感じがします。演奏会場や聴衆のちがいもあるのでしょう。また、この演奏では第1楽章のコーダで最後のホームストレッチの直前(転調したところ)でテンポを一目盛り落とすことをやっています。

 第2楽章のヴァイオリンのソロは、スタカートを無視してひたすらレガートで弾いているのが特徴的です。第3楽章、相変わらずの遅めのテンポに乗ってウィーンフィルの特質を活かした室内楽的な音楽づくりが魅力です。
第4楽章の序奏、これだけ聴いても損はしない個所でして、ヴァイオリンの力強い助走、弦のトレモロ、金管の咆哮、ティンパニの強打、最後のフェルマータと、どれを取ってもこれしかないという自信に満ち溢れた表現をもって壮大なクライマックスを築いています。主部に入ってからは、バーンスタインのこの曲への熱い思いが感じられる演奏です。第2主題では後の録音と同様に微妙なルバートをかけていますが、今ひとつ練れいてないようです。


◆マズア/ライプチヒ・ゲヴァントハウス管弦楽団(1973年 Deutsche Schallplatten) ★★★☆☆
 この曲の第1稿の初演をおこなった由緒あるオーケストラで、当時はメンデルスゾーンが指揮をしていました。ところが、たまたまその初演時にメンデルスゾーンは不在でコンサートマスターが棒を振ったとされていまして、それが不評の一因とも言われています。もしメンデルスゾーンが指揮をして好評だったらこの改訂した版は存在しなかったかもしれません。

 さてこの演奏は、マズアがライプチヒ・ゲヴァントハウス管弦楽団の常任指揮者となった1970年の3年後になされたもので、そろそろ息の合ったところが出てきた頃でしょうか。筆者は1979年の来日公演(ブラームスの交響曲第1番とベートーヴェンのヴァイオリン協奏曲)を聴いていますが、その時の細部まで神経の行き届いた見事な統率ぶりを思うと、このシューマンの演奏はまだまだといった感じがします。マズアはこの後、第1稿をロンドンのオーケストラで録音していますが、現在常任をしているニューヨークフィルでの録音(やはりこの改訂稿を使って)が待たれます。

 第1楽章。粘りのある独特の雰囲気で始まる序奏の後、主部になだれ込むとやや力みすぎ、突っ込みすぎの感が拭えません(序奏の最後でアッチェランドをかけすぎた?)。勢いがよすぎて弦の細かいキザミが鳴りきらないところもあります。しかし、次第に落ち着きを取り戻し、提示部をリピートした後は安定した歩みとなります(提示部のリピートはまるで敗者復活戦のためにあるみたいですね)。無駄のない響きの中でバランスのよいところが心地よく、とりわけオーボエの音に心が惹かれます。各パート共、ここぞという時の踏ん張りはさすがです。展開部ではやや落ち着きすぎたテンポが気になり、コーダに入ってもアクセルが入りきらないのも物足りなさを感じます。この曲は全曲を通じて1stヴァイオリン偏重で書かれているだけに、盛り上がるところで熱っぽくガンガン弾きまくらないとシューマンの天才というか狂気というかそのひらめきを表現できないと筆者は思っています。何個所か他の演奏では気がつかない音が聴こえたりして、なかなか手が込んでいるなと思ったりもしますが、それは音楽の本質ではないですね。

 第2楽章。この楽章でもオ−ボエがいい音色を出しています。ヴァイオリンのソロはあまりスタカートを意識させない感じで一気に聴かせ、伴奏部も含めてよどみなく流れていきます。第3楽章。明快で見通しがよく、各パートの音が分離されていて全体の構成(例えばカノンの個所とか)がよくわかる演奏です。

 第4楽章。各楽器がよく鳴るテンポ、つまりゆっくり目で奏され、メロディーを担当する楽器がその都度強調されるため聴きやすい演奏となっています。けっして重たくはないのですが、テンポへの色付けが乏しいせいかじれったくなる時があります。曲想の変わり目とかでワクワクさせるものに欠けるとでも言いましょうか。コーダに入ってもあまりテンポは上がらず、今ひとつ興奮しないというか、熱いものが感じられません。ただ、それでも全体としては非常にいい演奏であることは確かです。

                                 1999年8月12日現在


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